「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

世にオーディオの種は尽きまじ

2020年06月30日 | オーディオ談義

前々回に投稿した「オークション情報~WE618B昇圧トランス~」については、なかなかアクセス数が多くて久しぶりの快ヒットとなった。読者の反響がいいとついうれしくなる。



これは日頃からなるべくマンネリ化にならないように、あれこれ話題を散りばめているので、きっとその成果に違いない。誰も褒めてくれないので「自画自賛」しておこう(笑)。

さて、この「618B」の性能については凄いという方もあれば、お値段の割にはどうなんだろうかと懐疑的な方もいるようで、それぞれのオーディオ環境も感性も違うので一概に決めつけられないのは当然のこと。

そこで、実際に使っている方の話を伺えれば一番「現実感」が出てくると思っていたところ、ありがたいことに関東地方の「S」さんという方からメールが飛び込んできた


「このメールをそのまま転載していいでしょうか」とお伺いを立てたところ、「匿名ならいいですよ」と、ご了解をいただいたので以下のとおり紹介させていただこう。

「618Bのお話が出ておられましたので、私見を申し上げます。世のWEマニアという輩がその世界の入り口というか罠にはまるきっかけというも 
のが往々に618Bであるようです。

ちなみにそういう私もその一人です。


大してWEに興味も無く期待もせず偶々自宅の装置につないで聞いてみたら、それ 
まで既に20年ぐらいいろいろ取っかえ引っかえしても、たいした変化も無く既に 機器に対する大きな期待は薄れておりました。

つないだ618Bからは私の装置というより眼前に音楽が水平線を見るように奥へ広 がっていました。機器の存在は無いかのようでした。だから当然、618Bを買うしかないと。

後で聞きましたが618Bを聞いてしまうと戻れなくなり、深みにはまるとい うことでした。

本物であれば当たり外れは一切ありません。

特に出品されていたものは超貴重品のシルバータイプで現在の市価は170~200万 ぐらいです。

当時私はマランツ7とマッキン275、ガラード301、SME3012、SPU-AE、 パートリッジトランスでした。

マランツ、マッキンはいろいろ聞きました。ステップアップも同様です。

現在の私はほとんどWEとなってしまいました。

お近くであれば618Bをお聞かせできるのですが、こちらは関東ですので残念 です。」

以上のとおりだが、Sさん宅はどうやら全国的な「ウェスタン詣で」の一角を占められているようで、遠い関東地方というのが非常に残念。

しかし、改めて「WE恐るべし」の感がありますね。

「オーディオの深い闇」がまるで底なし沼のようにパックリと口を開けている。無暗に嵌らないようにしなくては、用心、用心・・(笑)。

続いて、メールをいただいたのはメル友の「I」さん(東海地方)からだった。

「レコードを聴いているクラシックファンは年季の入った方たちでしょうね。オーディオマニアは少ないかもしれません。演奏の解る人たちですね。

WEの昇圧トランスを使う人は、まず第1に「WEマニア」であるのでしょうが、〇〇様のお見込みのとおり、聴いてる音楽はクラシックではないかも知れません。ジャズ・ロック・ポップス・映画音楽etc・・・

何故そう思うのかといいますと、クラシックファンは圧倒的にデジタルに向かうと、私は確信しているからです。

なぜデジタルか? 物理特性が段違いにデジタルの方が上ということだと思います。特に重要な特性(と私が考える)であるノイズレベルとセパレーションレベルがデジタルの圧勝です。

オーディオは生と比較すべきではないとい考え方もあるようですが、意識のうちには当然”生”があってもいい訳で、その”生”に対抗するのがデジタル技術です。名手の演奏を特等席で聴けるなんて「生ではまず無理」で、デジタルオーディオは総合的に”生”をも越えるものだと思います。

レコードを聴いている人の横綱がWE618Bだとすると、序の口がオンキョーP309(私)でしょうか。

私は一度アナログプレイヤーを手放しましたが、今は回帰しています。ジャズを聴くのは99%レコードです。反対に、クラシックは99%デジタルです。CDとFMとBSですが。

ジャズにはアナログレコードが有効に作用していると思います。 音の質、音質でなく・・・音の出方というか、ノイズも音の一部(演奏とノイズに音の質的な親和性がある)という聴き方ですね。針が飛ぶような傷ノイズや演奏がマスキングしきれない(親和性のない)ようなノイズは論外です。

ところで、ジャズオーディオは”生”を越えられるか? 越えてます! 今、ドルフィーの”生”が聴けますか? これは理論のすり替えです(笑)

比較すべき”生”がないのがジャズオーディオです。暴論ですねえ・・

そういえば、グレン・グールドは何十年も昔に、「生より録音媒体の方が優位」と感じて、コンサート・ドロップ・アウトしてましたね。」

以上のとおりです。

ご両人とも随分参考になるご意見をいただき、たいへんありがとうございました。

ものごとにこれほどまでに集中できる熱意と努力に対して敬服の至りです。

最後に「浜の真砂は 尽きるとも 世にオーディオの種は 尽きまじ」で終わりとしましょうかね(笑)。

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日常生活で「素数」に拘る理由

2020年06月28日 | 独り言

こまめに図書館通いを続けていると「雑学大好き」人間にとってピッタリの本に出くわすのが楽しみの一つ。

たとえば、つい先日、隣町の図書館で見つけたのが「日本人の総疑問」。

                

盛り沢山の質疑応答の中から特に興味を引かれたのが「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」

その答えは次のとおり。

「結婚祝いや入学祝を包むときに。いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。

ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。

特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。

中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。

これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」

まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけではどうも説明がつかないように思う。

たとえば、けっして慶事とはいえない葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。

たとえば比較的近い縁者の場合なら3万円、ご近所などの場合は5千円といったところで、慶事ではないケースでも奇数が用いられているのでこれは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。


そこで、出てくるのが「素数」という概念である。


周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31・・・・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。

この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。

素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちがある数字にみえないだろうか。

ちなみに、俳句は周知のとおり基本的には「5・7・5」短歌は「5・7・5・7・7」と素数で構成されていることも意味があるように思えてならない。

そして11月15日に神社に詣でる「7・5.3」(しちごさん)。

11月は素数の月だし、15日を素数に分解すると「7・5・3」だし、3歳のときは「男女とも」、5歳のときは「男の子」、7歳のときは「女の子」の成長を祝う行事として、すべて素数が絡んでくるのが興味深い。


なお、自分の誕生日は3月7日。3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので(誰でもそうだが~笑)、縁起をかついで日常生活では折にふれて「素数」を大切にすることにしている。

たとえば、オーディオシステムはなるべく「素数」の日に弄るとか、クルマのナンバーは素数にしようとか。

ちなみに、現在乗っている3世代前の旧型クラウンのナンバーは「53-67」だ。両方とも素数というのが気に入っているが、家内に言わせると「ゴミのロクデナシ」だそうだ(笑)。


こうして、よく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているわけだが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろう。

本書には、ほかにもたくさんの興味ある雑学があった。かいつまんでいくつか紹介すると。

「日本の地名は、なぜ漢字二文字が多いのか?」これに対して、

「いまから1300年ほど前に、地名は二字にせよという命令が国から下り、その名残である」

「会社に出す手紙はなぜ“御中”と書くのか?」これに対して、

『返信用のはがきや封筒にはよく「〇〇会社 行(宛)」と、印刷してあるが、そういう場合はその行(宛)を消して「御中」に直すのが常識である。なぜかというと、これは御社へ手紙を出すのですが、担当者などのお名前が分かりませんので、会社の中のどなたかにお出ししますという意味である。』

最後に「とてもヒマそうな古書店がつぶれないのはどうして?」これに対して、

「古書店にはふつうそれほどお客が入って繁盛しているとは思えないが、そうつぶれることもなく営業を続けている。いったいなぜだろう?

実を言うと、古書店は店頭で売っている古書の売り上げで喰っているわけではない。売り上げの多くは研究機関や学者、作家らから注文があったときに、何十冊、何百冊もの本を持ち込み相当な額の商いを成立させているのだ。

昔、作家の司馬遼太郎氏が歴史小説を書くとき、トラックで運ぶほどの古書を買い集め、古書の相場が動いたという話は有名だ。」

司馬さんなら十分頷ける話ですね。

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オークション情報~WE618B昇圧トランス~

2020年06月26日 | オークション情報

「現在、オークションにウェスタンの昇圧トランス618-Bが出品されてますね。かねがね噂だけはたっぷりと聞かされている代物ですが、これはご承知のとおりMC型カートリッジを使うときの昇圧トランスですけど、DACからパワーアンプに直接つなぐときの増幅用としても使えますかね。どうなんでしょう?」と、我が家の古典管の主治医である「北国の真空管博士」に伺ってみた。



「618-Bですか・・。かなり当たり外れがあるみたいですよ。MC型カートリッジの昇圧用なのでDACからの昇圧は無理です。いずれにせよ軽く50万円は超えるでしょう。それだけあれば立派な真空管アンプが製作できますから結局はウェスタンの信者向きでしょう。」

と、「費用 対 効果」にシビアな姿勢をお持ちの博士の冷静なお言葉が返ってきた。

いずれにせよ”知る人ぞ知る”あの数々の伝説に彩られた「WE618ーB」だ。このトランスに(微細な)音声信号を通すだけで「天上のサウンド」になるという話をよく聞かされてきた。

めったにお目にかからない出品物なので野次馬根性で落札価格を注視していたところ、落札結果は24日(水)、価格は958,000円。

100万円近い金額に驚いた! たかが昇圧トランスごときで~(笑)。

しかし、よく考えてみるとこの「618-B」じゃないと絶対に出せない音があるそうで、それに今では再生産不可能でまず手に入らない代物となるとそのくらいの金額を出すマニアがいても不思議ではないのかもしれない。

巷間、オーディオシステムの中で一番音を左右するのは(部屋の大小は除外するとして)「スピーカー」であり、その次が「アンプ」であり、音の「入り口部分」である「レコードやCD」の機器類、そして最後の仕上げが「電源対策」と「ケーブル類」とされている。

それにもかかわらず「618ーB」は、「音の入り口」部分のほんのわずかな一端を担うだけで全体のサウンドを一変させる力があるという常識外の逸品なのだろう。

物理的な見地からすると「音の入り口」部分で発生した微細な情報は、良い部分も悪い部分もすべてアンプで増幅されてスピーカーに伝達されるので、そういう意味では最初が肝心なのは分かりきったことだが、それにしても・・、ぜひ一度聴いてみたいものではある。

熱心なレコード愛好家の存在に今さらながら感心するばかりだが、そこで思い出したのが先日投稿した「レコード譲ります」の話。

近所にお住いの知人から委託を受けたクラシックのレコード(10枚)の希望者を募ったところ残念ながら皆無だった。まったく人気が無かった(笑)。

ジャズ・レコード愛好家の知人に伺ったところ「クラシックのレコードはまったく人気がありません。とりわけ国内版ともなるとタダで譲るといっても引き取り手は無いと思いますよ」

「エ~ッ、そんなご時世なんですか!」と、レコード事情にまったく疎かった自分に恥じ入った(笑)。

「618-B」の高騰ぶりからすると、高級層だけが突出している状況なのかな。それもジャズ系の可能性が高い。

とはいえ、100枚にも及ぶレコードをほったらかしにしておくのももったいないし、と思っていたところ高校時代の仲間から「USB端子付きのレコードプレイヤー」が販売されている情報が耳に入った。

レコード機器もピンからキリまであって、あれこれ贅沢を言うとキリがない世界だが、これは手軽で面白そうな感じ。

さっそく博士に連絡して「USB端子付きのレコードプレイヤーがいろんなメーカーから販売されていますが、お薦め品を教えていただけませんか」。

3日ほど経ってから「もし購入されるのなら〇〇製がいいみたいですよ。イコライザーアンプも内蔵されてますからプリアンプに直接入力もできますし、USB端子もありますのでパソコンに繋いでDACでも楽しめます。ただ惜しいことにカートリッジの交換が出来ないみたいです」

肝心のお値段の方だが、まったく手が出ない範囲でもないし、現在どうしようかと思案の真っ最中。

問題は時間の方で、毎日やることが多すぎていくらあっても足りないしねえ(笑)。

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智に働けば角が立つ、情に棹させば流される

2020年06月24日 | オーディオ談義

私たちの健康を支える大切な医療の現場に「セカンド オピニオン」という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが念のため、意味を掲げておくと、

「現在かかっている医師(主治医)以外の医師に求める第2の意見のことです。この考え方が広がってきた背景には従来の医師へのお任せ治療ではなく、インフォームド コンセント(説明と同意)を受け、自分も治療の決定に関わる医療に変わってきたという社会背景があります。

医療は日進月歩で新しい治療法が次々に生まれています。そのすべてを一人の医師が把握しているとは限りません。また、医師や医療機関によって患者さんに提供すべきだと考える治療は同じとは限りません。医師や病院によって提供できる医療内容に限界がある場合もあります。また、患者さんそれぞれによって自分の受けたい治療は様々です。

そこで、患者さんにとって最善だと思える治療を判断するために別の医師の意見を訊くこと、それがセカンド オピニオンです。」

この話とオーディオといったいどんな関係があるんだと、いきり立つ人がいるかもしれない。まあ、そう焦らずに(笑)。

まず話の発端を述べてみよう。

以前、あるオーディオ仲間を訪問したところ、修繕した真空管アンプのあまりの変わり様に驚いてしまった。もちろんすべてがいい方向へと大変身である。なにしろ周波数レンジは広くなるし、奥行き感も出てきて、楽器の位置や音色にもリアリティが横溢していた。以前とは大違いである。

どんなスピーカーでもアンプの性能によって音質が大きく左右されることを改めて痛感した次第だが、同時に「アンプ ビルダー」の腕次第でもその差が大きく違うことに驚いてしまった。

ここで仮にこのアンプの持ち主をAさんとしよう。そして作り主、いわば創生主に当たる方をBさんとしよう、そして今回の修繕主をCさんとしておこう。

つまり患者がAさんであり、主治医がBさん、そして第二の意見を求める医師がCさんに当たる。これで役者が出そろった(笑)。

Aさんはこれまで自分のアンプにいっさい不満を覚えなかった。なにしろ作り主にあたるBさんは1000台近くにも上る真空管アンプを作ったというベテランで、回路の設計から配線にかけても正確無比、しかも音質がいい上に故障知らずときている。

いつも大船に乗った気持でいたが、そのうちウッカリミスで整流管のピンを差し違えてしまいアンプから煙が吹いてしまった。 さあ、たいへん! 

間が悪いことに肝心のBさんは寄る年波に勝てず健康を害して入退院を繰り返しており、アンプの修繕どころではないご様子。

そこで、仕方なくこれまたアンプ名人で知られるCさんに助っ人をお願いしたところ快く引き受けていただき、煙を吹いた箇所ばかりではなく、ほかにも気になる個所をいろいろと、たとえば違う種類の整流管が挿せるようにとか、線材の交換から稀少品のハンダのやり直しなどを交えてかなりの規模の修繕と相成った。

その結果、前述のように音質が大変身というわけだが、この出来事について真空管アンプを愛好する人間としてちょっと考えさせられてしまった。

結局、超ベテランの、おそらく日本有数と称されるBさんが作ったものでさえ、結果的にアンプの性能をベストの状態に持って行くことができなかったことになるわけだから。

どんなに優れた「アンプ ビルダー」にしても医師と同様に専門分野や得意分野があるのかもしれないと思った次第。

たとえば個有の古典的な出力管に対する前段管や整流管の適切な選択と回路の採用、シングル型式とプッシュプル型式の違い、インターステージトランスの取り扱い方など、これらの細かいノウハウについての情報を個人が100%取得することは不可能に近いだろう。

したがって、このことから導き出せる結論はひとつ、「どんなに経験豊かなアンプビルダーにも得手不得手があるので、盲信するのはほどほどに」

とはいえ、「依頼者と製作者は固い信頼の糸で結ばれているはずだ。まるで“人情紙風船”みたいにそんな冷たいことを言うな」と叱られそうだが・・。

ここでようやく我が家の話になるが、現在ほぼ満足して使用している「PP5/400シングルアンプ」。



現在の構成は前段管に「SX-112」(トリタンフィラメント)、整流管に「WE422A」(1957年製)、出力管は「PP5/400」(英国マツダ:初期版)となるが、このアンプを振り返ってみると、恥ずかしながら「セカンド オピニオン」ならぬ、何と「Fifth オピニオン」、つまり延べ5人に修繕を依頼したことになる。
           

もうこうなると「執念」としか言いようがないが、その一方では、薄情者と謗られても仕方がない(笑)。

過去の4名の方々に対する忸怩(じくじ)たる思いは当然のことだが、前述のように日本有数と称される「アンプ ビルダー」だって結果的には盲点があったんだから、結局相性が悪かったというべきだろう。

真空管オーディオのポイントはどれだけ相性のいい「アンプ ビルダー」を探し出せるかにかかっていることを否定する人はまずいないと思うが、当方もオーディオは生命線に近いので一生懸命なのである。

それにしてもアンプの音質が気に入らないとき、あるいはもっと「気に入った音」にしたいと思ったときに、製作者に義理立てして再度改造を依頼するか、あるいは、ためらうことなく別の「セカンド オピニオン」を利用するか、これは当事者にとって難しい選択肢になる。

「智に働けば角が立つ 情に掉(さお)させば流される 意地を通せば窮屈だ とかく人の世は住みにくい。」(「草枕」夏目漱石)

智に働くか、情に掉さすか、もしあなたならどうします?(笑) 

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今年の暑さ対策

2020年06月23日 | 独り言

今や梅雨の真っ最中だが、7月中旬ともなると必ず猛暑がやって来るのでそろそろ対策を講じようかと思っていたところ、図らずも幸運が舞い込んできた。

3点ほど挙げてみよう。

1 エアコンのクリーニング

通りを隔てて斜め向かいに若夫婦(子供が3人)が住んでいる。5年くらい前に新築して引っ越されてきたが、駐車場が広々と3台も置かれるようになっているので我が家にお客さんが二組以上見えたときはときどきお借りしているほどのわりかし気安い仲である。

先日、庭の草刈りに奥さん側のご両親がお見えになっていた。仮にTさんとしておこう。年のころは70歳前後のご夫婦である。

本格的な草刈り機を準備され、「出で立ち」も「様」になっていてとても器用そうな
感じ。よく話を伺ってみると、若い時分に電気関係の仕事をされており、現在では老人ホームを対象にエアコンのクリーニングをされているとのこと。

「ああ丁度良かった。我が家にはエアコンが6台あってずっとクリーニングをやってないので猛暑がやって来る前にお願いできませんか」

「ハイ、いいですよ。明後日にでもお伺いします」

というわけでアッサリ商談成立。

結局、6台のうち1台は掃除の必要なしで5台をクリーニングしてもらった。専用の機器を持参のうえ洗ってもらったところ、いずれもバケツに溜まった水が真っ黒になって汚れの激しさが見て取れた。こんなに汚れた空気が部屋の中を巡回していたかと思うと背筋がゾッとした。

エアコンは少なくとも3年に1度くらいはクリーニングが必要とのことだそうですよ~。

余談になるが、Tさんご夫婦とすっかり気安くなってよもやま話に及んだところ、宮崎県で手広く人を雇って電気業を営まれていたがいろんな事情で大分県に引っ越しされてきたとのこと。

奥様は昼時に別府市内でカラオケ喫茶を営業中とのことで、「それはもう、凄い歌い手さんがいますよ。青江三奈の「恍惚のブルース」を歌わせたら天下逸品です。おそらく本物と負けず劣らずだと思いますよ。」

「ホウ、それはぜひお聴きしたいですねえ。その歌い手さんがお見えになったときは、連絡していただければすぐに駆けつけますよ。」と、つい悪乗りしてしまった(笑)。

我が家のオーディオルームをご覧になって、「今どき真空管アンプなんて珍しいですねえ。昔のテレビは真空管だったのでよく修理したものです。こういう部屋にいると毎日退屈することがないでしょう」

「ええ、それはもう・・」

後日、ご好意で「サム・テイラー&木村好夫」(珠玉のムード歌謡全集:7枚組)と「JET STREAM」(軽音楽:7枚組)をわざわざ持ってきてくれた。



「エッ、頂いていいんですか」

軽音楽だったが、録音はすこぶる良かった。どこに幸運が転がっているかわかりませんねえ(笑)。

2 携帯用扇風機

行きつけの市営の運動ジムが3月からずっと閉館中で7月からようやく開館と聞いていたが、このほど再度確認したところ7月も休館とのことでガッカリ。

別府は観光都市とあって新型コロナ発生を警戒しており、すこぶる用心深いが「”あつもの”に懲りて”なます”を吹く」感じがしないでもない。

いずれにしても、専用の器具を使って筋トレやストレッチが出来ないのが痛い。

現在の午後のウォーキングをメチャ暑くなる7月も続けるのかとなるとウンザリするので、「携帯用扇風機」をネットで購入してみた。下図のように日傘にも取り付け可能。



スイッチ一つで簡単取り外しが出来、風向き角度180度調節可能、スピードは3段階調節の弱・中・強で、弱の場合には連続4時間駆動、充電はパソコンのUSB端子に接続と、とても便利。しかもお値段も安い。

昨日(22日)は猛暑だったのでさっそく試してみたが、その感想は「風速は弱がいい。中は音がうるさい。うなじに微風を当てる感じになるが、涼風効果はまあまあというところかな」。

3 スーパークール・タオル

昨年、娘からの「父の日」のプレゼントは「晴雨兼用の傘」だったが今年はスーパークール・タオルだった。



「新素材」によるタオルで水に濡らして絞り、軽く振るだけで冷えるという便利グッズ。

今年の「暑さ対策」は以上の3つでいくことにしよう。

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音楽が脳にもたらすうれしい効果

2020年06月21日 | オーディオ談義

人間はどうやら己(おのれ)にとって耳当たりのいい情報だけ切り取る傾向にあるらしい。もちろん自分もその例に漏れない(笑)。

            


というわけで、東北大学の教授が書いた「生涯健康脳」から都合のいい情報だけを切り取ってみた。

「生涯にわたって脳を健康に保つ」ためのノウハウを分かりやすく説いた内容だったが、この種の書籍は巷に氾濫しているので、「ワン オブ ゼム」のつもりで気軽に読んでみたところ、さして目新しいことはなかったものの、それでも気になる事柄があったので列挙しておこう。


☆ 脳の最高の栄養素は知的好奇心


脳の健康維持のために欠かせないのが毎日の30分以上の有酸素運動とともに、知的好奇心が挙げられている。

たとえば探究心、冒険心、追求心などワクワク、ドキドキが脳の中の神経伝達物質であるドーパミンを活性化させて脳全体をとても元気にする。

したがって知的好奇心を大いに刺激する趣味を持つことは脳にとって素晴らしい効果をもたらす。


☆ 音楽は脳の報酬系を刺激する


以下、引用。

「音楽を聴くととても良い気持ちになります。ここでもまた脳の中では凄いことが起きているのです。脳はご褒美をもらったような状態になっているのです。音楽を聴くと脳の<報酬系>と呼ばれる領域が活発になることがカナダの大学の研究で分かっています。


報酬系というのは詳しくお話しすると、欲求が満たされたときに心地よいという感覚を与える神経伝達物質を放出する神経系のことです。

会社で給料が上がるなどの良いニュースを聞くととても良い気持ちになってヤル気が出たりしますが、欲求が満たされると予測することでも脳は活性化するのです。


報酬系の領域が活性化されると、灰白質の体積が増えるという報告もあります。よく褒めて伸ばすという事例がありますが、まさにそれに当たります。

つまり、音楽を聴くと欲求が満たされたり、褒められたりしたときと同じような心地よい気持ちに自然となるのです。

また音楽を聴くと一部の領域だけでなく多くの領域の働きが活発になることが分かっています。音楽を聴くだけでも脳にとっても良いのです。

したがって、脳にとって音楽は<百利あって一害なし>なのです。」


とまあ、そういうわけで日頃から音楽を聴くこと、そして、しょっちゅうオーディオ機器を入れ替えてハラハラドキドキすることは認知症予防のためにとってもいいことが分かった。

したがって、これからも「音楽&オーディオ」をひときわ熱心に続けていこうと固く心に誓った次第(笑)。

折りしも先日の「サイエンスZERO」(NHK Eテレ23:30~)では「音楽が脳にもたらすうれしい効果」を放映していた。

アメリカの上院議員(女性)が演説中に拳銃で脳を狙撃され幸い命はとりとめたものの失語症になってしまったが、音楽療法で発声方法を試みたところ劇的に回復した実例が紹介されていた。

音楽式の発声療法によって「右脳」(音楽などを司る脳)と「左脳」(論理的な脳)との連携がうまくいったからだそうだ。

またハードロック好き、クラシック好き、ジャズ好きの3人の治験者を例に5曲を聴かせてそのうち部分的に脳が好反応を示した小節をもとに「AI」で好きな音楽を創造して聴かせたところ「好きな音楽」が必ずしも「脳が心地よいと感じる音楽」と一致しないことが判明した。

この興味深い事実から音楽愛好家は「好きな音楽」に限らずあらゆるジャンルに亘って幅広く聴くことが脳のためにいいことが導き出される。

自分はいつもモーツァルトを中心にジャズ、ポピュラー、演歌などジャンルを問わない聴き方をしているが非常に理に適っていたことになる。

とはいえ、冒頭に述べたとおり自分の都合のいい情報だけを切り取ったことは争えないので、以上の話はあまり信用できないかもしれませんがねえ(笑)。

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終着点が見えないことの楽しさ

2020年06月19日 | 独り言

さあ、いよいよ今日(19日)からプロ野球の開幕です。世の中に閉塞感が漂う中で、何よりもスポーツ誌面が賑やかになるのがいいですねえ。

さて、プロ野球の王選手の自叙伝「もっと遠くへ」(2015年6月刊)を読んでいたら次のような箇所があった。




引退会見で「バッティングで一番難しかったことは」と尋ねられ、私は答えた。

「バッティングは難しい。自分のタイミングで自分のポイントでいかに球をとらえるか、22年間やりましたが、つかみきれないまま、今日を迎えました。」

打撃の道は奥深く、突き詰めても突き詰めても終着点はない。それが偽らざる心境だった。(138頁)

世界のホームラン王、生涯で868本放った超一流選手にしてこの言葉である。

あらゆる物事の「道」に通じる言葉だと思うが、「オーディオ道」だってその例に漏れない(笑)。

王選手を引き合いに出すのはまことに畏れ多いが、(オーディオを)50年以上もやってきていまだに“つかみきれない”ままである。手が届いたかと思うといつもスルリと逃げられてしまう。


とうとう、人生の残り時間からして「寄り切り」されそうな状況になってきたので「いったいどういう終わり方になるんだろうか」と、このところ淋しくなることがたびたびある。

生涯をかけた割には大した音は出せなかったなあ(笑)。

とはいえ、これは逆説的な言い回しになるが打撃にしろオーディオにしろ極めることが出来ないところに面白さがあるような気もするのだ。

言い換えると「終着点が見えないことの楽しさ」とでも言うのだろうか。

というわけで、右往左往する卑近な実例を挙げてみよう。

この程、夏向きの音として満を持して登場したグッドマンのトライアクショム(口径30センチ:同軸3ウェイ)だが、初めのうちは何ら破綻の無いサウンドに感心するばかりだったが、そのうち何だかあまりにも「まとまり過ぎている」ような気がしてきた。

音像定位だけでは飯を食えないよなあという感じ~。

昔使っていた同軸ユニットのタンノイにも同様の匂いを感じたが、贅沢な悩みかもしれないが、ほどほどの「荒削り」というか「遊び」といったようなものがもっとあってもいいような気がする。

こればかりは、言葉ではうまく説明できない「something」のようなもの・・。

というわけで自他ともに「行動派」を自認しているので、さっそく「トライアクショム」の新しい可能性を探ってみた。低音域を受け持つ口径30センチのコーン紙のいかにも薄くて軽そうな点に着目!



そこで、とっておきの切り札「AXIOM80」(復刻版)の登場となった。



8.1mh(ミリヘンリー)のコイル(独ムンドルフ)と、32μF(マイクロファラッド)のコンデンサーによってクロスオーバーを「300ヘルツ」前後(-6db/oct)に設定して聴いてみた。

つまり300ヘルツ以下を「トライアクショム」に受け持たせ、それ以上は「AXIOM80」が担当するという前代未聞の組み合わせだが、救いは同じグッドマン製という利点だけ。

駆動するアンプは300ヘルツ以下を「PX25シングル」アンプ、それ以上を「WE300Bシングル」アンプだ。

それぞれのアンプのボリュームを調整してワクワクしながら聴いてみると・・。

う~ん!


くどくど言いません、後は読者のご想像にお任せします~(笑)。

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夢の「不老不死」に繋がる発見か

2020年06月17日 | 独り言

去る6月12日付(金)の日本経済新聞にさりげなく載っていた記事がこれ。



スマホでは読みづらいだろうが、パソコンだとはっきり読み取れるので詳述は避けるが、脳の神経回路の特定部分を刺激すると冬眠状態に陥らせることができ、今はマウスによる実験段階だがゆくゆくはヒトでも適用できそうだとのこと。

「べた記事」だが、素人ながらよく考えてみるとこれは「夢の不老不死」に繋がる大発見ではなかろうかと思ってしまった。

「不老不死」といえば「徐福伝説」が有名だ。ネットによると、

「徐福とは、紀元前3世紀の中国・秦(しん)の始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)。いまから2200年くらい前(日本でいえば弥生時代初期)の人物です。

始皇帝の命により、東方海上に不老不死の仙薬を求めて三千人の少年少女を引き連れて船出し、熊野に上陸したと伝えられています。徐福一行は熊野の地に上陸すると、そこに住み着き、里人にさまざまな新技術を伝えたといわれています。

徐福の渡海は、司馬遷が著した中国の歴史書『史記』などに記されていて、それらの記事と実際に大陸からの渡来者があったことから、徐福が日本に渡来したとの伝説が発生したのでしょう。徐福の渡海は、司馬遷が著した中国の歴史書『史記』などに記されています。」

以上のとおり、これは古来から綿々と続く権力者が夢見た「不老不死」に一歩近づいた研究とも言えるが、現実的な使い方としては次のように考えられる。

たとえば、まだ幼い子供を持つ若い親たちが不治の病に罹ったときに、将来の医学の進展で特効薬が発明されることを期待して少しでも寿命を延ばすために「冬眠状態」にするなんてことは十分意義がありそうだ。

その一方、冷たい言い方になるが天命を迎えた80歳以上の老人に対してはみだりに処方しない方がいい。

世の中の役に立たない人間をこれ以上長生きさせても意味がないし、むしろ社会の「新陳代謝」を図るうえでは害になる恐れがあるから(笑)。

読者の皆様は「不老不死」について、どう考えられますか。

続いて同じ日経新聞の記事から「変わりゆく暗黙知の価値」についてを紹介しよう。


「暗黙知」とは平たく言えば「新米」が「名人」に弟子入りしたときに、見よう見まねで身体で覚えていくという類の物。

今回の「コロナ禍」によって、テレワークが普及し従来の「暗黙知」と「形式知」に加えて「中間知」という新たな領域が出現してきた。

社会システムの効率化とともに人間関係、経験、勘といった領域がどう変化していくのか、そしてどう折り合いがつけられていくのか、これから興味深い社会実験が展開されていきますね。

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レコード譲ります~その1~

2020年06月16日 | 音楽談義

我が家から通りを一つ隔てた所にお住いのHさん。3年ほど前にご主人を亡くされ、今は愛犬を生きがいのように可愛がりながら一緒に散歩をされている姿をよく見かける。

俗にいう「夜目、遠目、笠の内」に該当しない素敵なご婦人だが(笑)、10年ほど前に自治会の会計を担当していた関係で一緒に街角で「交通安全」指導に携わったこともあり、たまたまお会いすると軽く挨拶を交わす程度のお付き合いである。

つい先日のこと、ご自宅の前で偶然お会いしたところ「たしか〇〇さんは音楽がお好きでしたよね。実は主人が残したレコードがいろいろあって処分に困ってます。遺品なので廃棄物にするには忍びないし・・」との相談を持ち掛けられた。

亡くなられたご主人は絵画や彫刻、そして音楽などの芸術にご熱心だったという。

「いやあ、残念ですね。私はレコードじゃなくて専らCDを愛好しているので、プレイヤーを持ってないんです。しかし、よろしかったらお力添えになれるかもしれません。一度実物を拝見させてもらっていいですか」

「ハイ、どうぞ」というわけで、大きな邸宅の2階へとご案内していただいた。

数にして100枚程度かな。それほどの枚数でもないが中身はクラシックが大半のようで俄然乗り気になった(笑)。

この機会にレコードを始めようかとチラリと頭をよぎったが、フォノモーター、カートリッジ、トーンアーム、イコライザーアンプなどを揃えるとなると、天文学的な数字(?)になるし高音域を聴きとる能力にとって残された時間もそれほど多くない。

それに、たしかにレコードの方がCDやSACDよりも音がいいが、それはよく調整が行き届いたときの話でそういうケースは滅多にないことを経験上知っているので「レコードとCDの優劣」は一概に論じられない。

そこで、考えられる処分方法としては、オークションに委託出品する、レコード好きの友人に連絡して引き取ってもらう、このブログで広報して愛好家を募る、と3つぐらいの方法がある。

「方法はお任せします」とのことなので、このブログで広報したうえで処分させてもらうことにした。何しろブログのネタになるし、読者との交流にも繋がる可能性があるので(笑)。

ただ、「今どきレコードなんて」とドン引きされる方がほとんどだろうが、中には根強いレコードファンもいらっしゃるのでそういう層に期待するとしよう。

もちろん、送料着払いで無料のまま譲渡してもいいのだが(ずっと以前にレコードからCDに切り替えたときには実際にそうした)、Hさんの手前もあってそういうわけにもいかないので「価格応談」ということにさせてもらいます。

それでは、とりあえず第一弾として以下の10枚をまとめてリストアップしてみました。

「一括購入」ということでぜひ欲しいという方は、メルアドの「smcgr544@ybb.ne.jp」までご連絡ください。



 ショスタコーヴィッチ「交響曲第10番」 指揮 エフゲニー・スヴェトラノフ ソビエト国立交響楽団 日本ヴィクターSMK-7536(解説:藁科雅美)

 ショパン 「ピアノ協奏曲第2番作品21」「ポーランド民謡による大幻想曲作品13」 ピアノ演奏「アルトゥール・ルービンシュタイン」
指揮 ユージン・オーマンディ フィラデルフィア管弦楽団 日本ヴィクターSRA-2539(解説:小林 利之)

 マーラー「交響曲第8番~千人の交響曲~」 指揮 小澤征爾 ボストン交響楽団 フィリップス28PC(2枚組) 解説(小石忠男、門馬直美)

 「アシュケナージ・プレイズ・リスト~超絶技巧練習曲~」ロンドンSLA1024 解説(野村光一+石井宏)

 「ショパンピアノ名曲のすべて」サンソン・フランソワ エンゼルEMI AA-9953B(2枚組) 解説(藁科雅美)

 ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」、チャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」チェロ奏者「ロストロポーヴィッチ」 カラヤン指揮/ベルリンフィルハーモニー ドイツ・グラモフォンMG-2118 解説(小石忠男)

 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」 演奏者「アルトゥール・ルービンシュタイン」
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮/シカゴ交響楽団 日本ヴィクターRCA「SRA-2627」 解説(大宮真琴)

 チャイコフスキー「バレエ組曲 白鳥の湖・眠りの森の美女」 カラヤン指揮/ベルリンフィルハーモニー ドイツグラモフォンMG2334
解説(志鳥栄八郎)

 ドヴォルザーク「ピアノ協奏曲」 演奏「ユストゥス・フランツ」バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック CBSソニー 25AC10 解説(吉井亜彦)

10 ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第6番」 チャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番」 演奏「スメタナ弦楽四重奏団」 エンゼルAA-9279 解説(門馬直美)

以上のとおりだが、肝心の盤面の状態は目視する限り保存状態がいいし「針傷」も「ひげ」も見当たらず全て真っ新(まっさら)に近い状態ですよ~。

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改めて「整流管」の大切さを力説しよう

2020年06月15日 | オーディオ談義

つい先日のこと、過去記事ランキングで「レイセオンの整流管5Y3G」が上位に食い込んでいた。

書いた本人でも中身の方は綺麗サッパリ「忘却の彼方」だったが、再読してみると、真空管アンプにおいて「縁の下の力持ち」ともいえる「整流管」の大切さを謳った内容で現在でも通用しそうなので、以下のとおり再掲させてもらおう。


先日の試聴会でのこと、仲間が持参した整流管の活躍の残像がいまだに尾を引いている


その時のことを再現してみると、

「Kさんが持参された整流管「STCの4・274A」と、我が家の「シルヴァニアの274B」の一騎打ちだ。ちなみに我が家の300Bアンプは整流管用のソケットが2種類(4ピンと5ピン)挿せるようになっていて便利がいい。

そして、結果は圧倒的にSTC(英国)の4・274Aに軍配が上がった。
「交流を直流に換えるだけの整流管なのになぜこんなにも音が変わるの?」と、驚くほどの変わりよう。その原因だが専門家から話を伺うと、整流管はアンプ全般の音質のSN比に多大の影響を及ぼすとのことで、音のクリヤさにおいてベールが1枚も2枚も剥がれたような気がした。
ある意味では整流管こそ真空管アンプの命かもしれない。あだやおろそかにできない存在である。」

というわけで、「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って(笑)、今度は手元の「371Aプッシュプル」アンプの整流管を交換してみた。

   

このアンプの概要だが、真空管の構成は前段管が一次、二次とも「127」(ARCTURAS:ブルー管4本)、出力管が「371A」(カニンガム、ナス管4本)、そして整流管が「5Y3G」(メーカー不明のST管1本)。トランス類も非常に凝っていて、出力トランスが名門ピアレスだしインターステージトランスはパーマロイコアだ。

今どき「127」や「371A」などの型番を聞いても「?」という方がきっと多いに違いない。1940年前後に製造された球だから仕方がないが、音質的には近代管に求められない落ち着いた雰囲気があって、楽器や人の声がリアルに聴こえるところがたいへん気に入っている。

このアンプは以前、オークションで運よく落札したものを「北国の真空管博士」から全面改造していただいたものだが、「球からトランスまで、役者がそろっているので悪い音の出ようがありません。」とのお墨付きをいただいている。

ところが、実をいうとこのアンプにはちょっと不満があったのである。音の元気度はいいのだが透明感がいまいちで、ときどきこのアンプを引っ張り出しては聴くものの2~3日もするとまたお引き取り願うというパターンの繰り返しだった。

音抜けのいいシングルンアンプと比べるとプッシュプルアンプの限界かなあと、半ば諦めていたのだが、今回の「整流管騒動」で「もしかしたら」と思い、これまで挿しこんでいた無銘ブランドの「5Y3G」からレイセオン(アメリカ)の「5Y3G」に取り換えてみた。

    

レイセオンといえば現在はミサイルなどの高度な武器製造メーカー(世界第1位)として知られる軍需産業だが、昔は真空管もつくっていた。しかもその性能たるやツクリも音質も当時から飛びぬけていて、とりわけ「4ピラー」というプレート部分が4本柱で支えられている真空管はいまだに古典管マニアの垂涎の的である。

アメリカ系の真空管アンプを使うときは「レイセオンを使えば間違いなし。」と言われるほどだが、後期ともなると単なる「名前貸し」が多くなるので用心している。

余談になるが兵器の話が出てきたので、先日のNさん(大分市)との会話を思い出した。
「アメリカの大統領からいつも兵器の購入を迫られて日本は莫大な支出を余儀なくされていますが、そんなことなら自国で何とか開発できないものですかね。自分の国は自分で守るというのが真の独立国でしょうに。」

するとNさん曰く「日本の知的レベルの象徴である東大が世界の大学ランキングで何位か知っていますか。どんなに日本が頑張ってもアメリカの兵器産業のレベルには未来永劫に追いつけるはずがありませんよ。」

「そうですか・・・。外交力は自国の軍事力を背景にしないと成り立ちませんから、日本はアメリカの言いなりになるしかないですね。淋しい限りです。」

閑話休題

話は戻って、このレイセオン球に差し替えてみると何とまあ、「この音は何だ!」と驚くほどの変わりよう!

音の力強さは相変わらずだが、鮮度と透明感がぐ~んと向上して、シングルアンプとまったく遜色ない状態になったのだからたまらない(笑)。「原因は整流管にあったのか」と疑問が氷解したが、真空管アンプに及ぼす整流管の絶大な威力を改めて目の当たりにした。

しかも、どんなスピーカーとも相性が良くなったのが頼もしい。念のため、我が家を代表する「PP5/400シングル」、「WE300Bシングル」と比べても繊細さと品の良さには及ばないが骨太い音質には見るべきものがあって、総合力では肉迫するほどだ。

これらの出力管はお値段もさることながら、もはや手に入れるのが難しい希少管ばかりなのでどうしても「もったいない精神」が先に立ち、必然的にこの「71Aプッシュプル」の出番が多くなってしまいそうだ(笑)。

前段管の「127」や出力管の「371A」は当時一般家庭に普及していたラジオ用として大量生産されたものだし、アメリカが「世界大戦の戦場」にならなかったおかげも手伝って比較的安価な状態で残されているので大助かり。

ただし、レイセオンの「5Y3G」はスペアを持っていないので、何が何でもあと1本くらいは死に物狂いで手に入れなければならない(笑)。

以上のような内容だったが、補足しておくと、魅了されたSTCの整流管「4・274A」は清水の舞台から飛び降りる思いでようやく手に入れて、現在「WE300B」アンプに使っていますよ~。

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「山椒は小粒でもピリリと辛い」サウンド

2020年06月13日 | オーディオ談義

つい最近のブログで「夏向きの音、冬向きの音」の区分を記載したことをご記憶だろうか。

明るく開放的なアメリカ系の音は冬に聴く、内省的で思慮深いイギリス系の音は夏に聴くというものだった。

そこでJBLのウーファー「D123」(口径30センチ)をグッドマンの「トライアクショム」にそっくり入れ替えたが、我が家にはもう1台生粋のJBLのシステムがある。



JBLの「LE8T(口径20センチ)+175ドライバー」で、こればかりはユニットの入れ替えがきかないのでそのままだが、夏到来とはいえ、季節を問わずこのサウンドがときどき無性に聴きたくなるのが不思議。

その昔「スカッと爽やかコカ・コーラ」という宣伝文句があったが、まことに「スカッと爽やか」なサウンドである。

日頃イギリス系の音ばかり聴いていると時々「うっぷん晴らし」がしたくなるのかもしれない(笑)。

低音域のレンジもさほど伸びないし重量感には乏しいのだが、その代わりスピード感が半端ないのが気に入っている。

軽くて小気味よく弾んでくる低音に麻薬のように痺れる匂いがあって、この辺りのサウンドはイギリス系のスピーカーには求めようとしても得られないものなので我が家のスピーカー群では独特の光芒を放っているといえる。

ただアンプの選び方は要注意で、選び方次第でガラリと音が変わる。

以前、オーディオ仲間に聴いてもらったところ、相性の悪いアンプを選んでしまい散々の悪評だった(笑)。

そこで「捲土重来」だとばかり、アンプの選択にはことのほか慎重になった。

周波数1000ヘルツ以下(-6db/oct)を受け持つ「LE8T」はPX25アンプで決まり、難しいのがそれ以上を受け持つ「175ドライバー」で、能率が「110db」近くあるのでとても音が暴れやすい。

「300Bアンプ」で鳴らしたりするとパワーがあり過ぎてボリュームの調整が難しくなりアウト。

そこで出番となったのが「71系」アンプ。何しろ出力がたったの1ワット前後なので高能率スピーカーにはもってこいだし、素直でクセが無い音質なので絶対に手放せないアンプである。



前段管がヴァルボ(ドイツ)の「A411」(バリウム昇華型フィラメント」、整流管は「OK-X213」(メッシュプレート)だが、出力管の選択が難しい。

周知のとおり71系の出力管は沢山種類があって枚挙にいとまがないが、一番相性が良かったのは「DEFOREST」(デフォレ)の「471ーB」だった。71系の中でも最もパワーが少ない出力管である。



この出力管を使うと、ヴァイオリンが艶やかで濡れたような響きになってJBLの金属のダイヤフラムから出てくる音とは信じられないほどで、女性ボーカルだって場末の安酒場から高級クラブの歌姫に変身するのだからたまらない(笑)。

小型スピーカーは一般的に「きれいごとの世界」で終わりがちなのだが「山椒は小粒でもピリリと辛い」サウンドとはこういうものを指すのだろう。

大型スピーカーにはもちろん特筆すべき良さがあるが、小型スピーカーにもそれなりの世界があって、終生愛用したいと思いたくなるシステムである。

ただし、小型スピーカーほどアンプを選ぶ傾向にあるのでどうかご用心を~。

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「精神のリズム感」とは

2020年06月12日 | 音楽談義

明治から大正・昭和にかけて「小説の神様」と謳われた文豪「志賀直哉」(1883~1971)に「リズムとマンネリズム」というタイトルのエッセイがある。その一部を紹介してみよう。

1 偉れた人間のする事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。

自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こう
してはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。

この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。

2 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという聯想でいうわけではないがリズムだと思う。

3 このリズムが弱いものはいくら「うまく」出来ていても、いくら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱問題はそれだけだ。

4 マンネリズムが何故悪いか。本来ならば何度も同じ事を繰返していれば段々「うまく」なるから、いいはずだが、悪いのは一方「うまく」なると同時にリズムが弱るからだ。

精神のリズ
ムがなくなってしまうからだ。「うまい」が「つまらない」という芸術品は皆それである。い
くら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。

以上のとおりだが、モーツァルトの音楽を聴くといつもワクワクして心が弾んでくるのもこの「リズム感」が伝わってくるからに違いない。絶妙に波長が合うのだろう。

人間同士でも、いちいち言葉にしなくても伝わってくる「以心伝心」もリズム感のおかげかな~。

それに引き換え、天と地ほどに差があるこのブログ(笑)。

文章も内容も陳腐化する一方で、大切な「リズム感」が読者に伝わっているかどうか非常に心もとない。

              

ここは「名文」を引用して自戒としておこう。なぜ名文なのかは賢明な読者のことなのできっとお分かりになるはず~。

「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。

工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。

決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」

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237年前のモーツァルトの音楽会

2020年06月10日 | 音楽談義

図書館から借りてきた「クラシック名曲全史」(2019年10月刊)に目を通していたら、興味深い資料があった。



「1783年のモーツァルトの音楽会のプログラム」

いわば237
年前の「音楽会」の演目なので極めて珍しい。

モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったので、換算すると27歳のときの演奏会になる。

ウィーンで開かれた演奏会のプログラムの内容はこうだ。

 序曲「ハフナー」交響曲

 オペラ「イドメネオ」よりアリア(ソプラノ)

 ピアノ協奏曲K415(モーツァルト演奏)

 オペラのシェーナK369(テノール独唱)

 「ポストホルン」セレナードの協奏曲楽章

 ピアノ協奏曲K175(モーツァルト演奏)

 

 オペラ「ルーチォ・シッラ」よりアリア(ソプラノ)

 モーツァルトのピアノ独奏

 オペラのシェーナK416(ソプラノ独唱)

10 終曲(序曲の終楽章)

解説によると、当時の音楽会の目玉演目はいつも声楽であり、注目されるのも声楽家たちだった。

1番と10番はオーケストラだけの演奏で、まだ電気も発明されておらず普及していない時代なので1曲目の序曲は開幕のベル代わりであり、最後の10曲目にあたる終曲は終了の合図だった。

つまり交響曲はベル代わりで「前座」のようなものでありコンサートの華は歌曲だった。

以上のとおりだが、この「音楽会」がはたして宮廷の「王侯貴族向け」なのか、それとも「一般市民向け」なのか、定かではないがコンサートの華が歌曲だったということに大いに興味を惹かれる。

人の声(ボーカル)は昔も今も変わらない「最高の楽器」なのでしょうね。

我が家のオーディオの試聴会においても中心となるのはやはりボーカルだが、その再生は簡単そうに見えて実はオーディオ機器の欠点を洗いざらいに白日の下にさらけ出す手強い難物でもある。

実例を挙げてみよう。

去る6日(土)の午後の試聴会でYさんが持参されたCDは「カンターテ・ドミノ」だった。



あのオーディオ評論家「長岡鉄男」さんが絶賛され、合唱録音の傑作とされるCDである。名だたるオーディオ店は試聴盤として大概持っているそうな。オルガンの凄い低音域が入っていることでも有名である。

はじめに聴いていただいたシステムは「ウェストミンスター」(改)だったが、Yさんにしては珍しく「合唱の人数がとても多く聞こえます。情報量が豊かですね」とポツリ。こういうことは非常に珍しい(笑)。

一通り聴き終えて、次は何がいいですかとお訊ねすると「花の街を聴かせて欲しいのですが・・、鮫島有美子さん(ソプラノ)のは持ってますけど」。

あっ、島田祐子さんのがありますよ。「団 伊久磨」作曲のどこか哀愁味を帯びていて実にいい曲ですね。大好きです。それに島田さんの声はまるで母親の胎内で羊水に浸っているような錯覚を覚えます。



ところが「好事魔多し」というのか、この曲目の再生でもろくも「ウェストミンスター」が馬脚を現してしまった。

「低音域と中音域のユニットの重なる部分にちょっと濁り感を覚えますね。」と、Yさん。

「クロスオーバーを300ヘルツ前後にしていますので、その付近の両ユニットの重なる帯域にどうしても濁りが出てきてしまいます。このスピーカーの限界だと思います。スピーカーを変えてみましょう」

と、「トライアクショム」へ交代。



「いやあ、これは素晴らしい!これまでトライアクショムを何度か聴かせていただきましたが今回は音像定位といい、音色といい、周波数レンジといい非の打ち所がないですね。さすがはグッドマンです。低音域の沈み込みからいくとAXIOM80より上かもしれませんよ」

「やはりボーカルや小編成の再生になるとフルレンジや同軸型に限るようです。この神経質なユニットにはメチャ苦労しました。プリアンプを6台つぶしてやっと1台合格でしたし、パワーアンプはWE300B(1967年製)の出番でやっと片が付いた格好です。

結局、家庭で本格的に音楽を聴こうと思ったら、最低でも大編成のオーケストラ用のシステムと、ボーカル専用のシステムが要るみたいですね。」

というわけで、結局いつものように我田引水でした(笑)。

我が家ではテレビの音声も聴くことが多いのでなおのこと「ボーカル専用」システムは必須です~。

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オークション情報~タンノイ・コーネッタ~

2020年06月08日 | オークション情報

オークションの画像を観ただけで「これは欲しいなあ!」と、思わずつぶやいてしまった。



解説にはこうある。
今回のTANNOY cornetta コーネッタは、1976年のステレオサウンド誌の企画によって、タンノイ・オートグラフを模して誕生しました。
又、2008年12月にステレオサウンド誌のタンノイ特集号にて、コーネッタ製作記事などの復刻版が出ました。

今回のコーネッタのサイズは、横幅830mm×奥行き540mm×高さ1,050mmです、オートグラフの高さは1,500mm以上あり、横幅が1,080、奥行き730mmですので、小型化設計・企画され、国内でキャビネット作成されましたのが、ステレオサウンド版のタンノイ Cornettaです。

タンノイの10インチ 希少なラージ・フレームのモニターゴールドを搭載しております。
型番は、IIILZ,ユニット:MONITOR GOLD LSU/HF/III.LZ/8/Uです。

タンノイの同軸スピーカーは、BLACK → SILVER → RED →GOLD → HPDとモデルチェンジして行きますが、RED、 GOLD期の10インチ・ユニットの名称が III-LZです。

過去に、TANNOY III-LZとして、オリジナルや国産キャビネットでのシステムを、数回紹介させて頂いておりますがスピーカーシステムの名称では無く、正式にはユニットの名称です。

タンノイ MONITOR GOLD III LZ 搭載のコーネッタをLUXMAN SQ38FDと繋ぎ、レコード、CDで試聴致しました...
音像定位の素晴らしさは、さすがにTANNOYです....

楽器の細やかな表情、繊細な響きと綺麗な余韻、多楽器でのスケール感と広がり.... 
低域の力感と豊かな量感があり、クラシック楽曲だけでなく、JAZZやポップス等々....様々な楽曲を堪能できました。

♪音楽に浸り癒される....優雅で素晴らしいシステムです♪

元々、タンノイでコーネッタ名のモデルはありますが、アメリカ市場用のシステムで、四角型キャビネットのバックロードホーンで、デザイン・音質共にまったく違うシステムです。

今回のコーネッタは、ステレオサウンド誌の企画でオートグラフを模して誕生した、オールド・タンノイの風格と気品のある銘システムです。」

とまあ、以上のとおり。

所詮は叶わぬ夢だと分かっている。現在4つのスピーカーがあってそれほど広くもない部屋に”たむろ”しているのでこれ以上増やすのは無理だと分かっていてもそれでも欲しい~(笑)。

タンノイは我がオーディオの歴史においても無視できない存在となっている。もちろん「五味康祐」さんから多大の影響を受けているのだが、「ⅢLZ・イン・オリジナルキャビネット」→「インパルス15」→「ウェストミンスター」という系譜を辿ってから、同じ英国のワーフェデール・グッドマンへと展開していった。

その中で現在一番後悔しているのが「ⅢLZ」を手放してしまったことで、当時は無知だったなあとつくづく思う。今振り返ってみるとタンノイの中で一番バランスのいいユニットだった。

あのタンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が旗艦モデル「オートグラフ」ではなくて「イートン」(口径10インチ)を愛用していたことも何だか頷けるのである。

逆の言い方をすればタンノイの「15インチ」(口径38センチ)は自分には合わなかった。インパルス15は友人にそっくり進呈したし、ウェストミンスターのユニットはワーフェデールのユニットに入れ替えている。

なぜ合わなかったのかはあえて言わない。いちいち欠点を羅列すると愛用者を不愉快にするだけだから(笑)。

それだけに、今回のコーネッタは過去の汚点を覆すチャンスだったのだが、どうせ40万円以上はするだろうと思っていたら、なんと落札価格を見たら、「246,000円」だった。安いッ!

まったく手が出ない価格ではなかった!

結果論だが、この価格なら参戦して落札した暁には知人の広い(およそ80坪)部屋の片隅にでも置かせてもらう手もあったのにと臍を噛んだ。

まあ、結局「縁」が無かったんでしょうね~。(涙)

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コロナ禍における「マスク美人」

2020年06月06日 | 独り言

近年では滅多に聞くことがないが「夜目遠目笠の内」(よめ とおめ かさのうち)という言葉をご存知だろうか。

その意味とは「夜の暗がりで見るとき、遠くから見るとき、笠の下からちらりと見えるとき、女性は一番美しく見えるものだ。」というもの。

考えようによっては美貌を自負する女性にとって随分と失礼な話だが、最近は「コロナ禍」によってマスク姿の女性が増えたので、これにプラスして(目元が涼しいだけで得をする)
「マスク美人」を追加した方がいいのじゃなかろうかなんて思ってしまった(笑)。

すべてをさらけ出すのを良しとせず、「チラリ」とあるいは「おぼろげ」に見せることで相手の想像力を逞しくさせるというのは素敵ですね。

そういえば昔の時代小説なんかを読んでいると、姿かたちのいい女性のことを指して「それがまあ、小股の切れ上がったいい女でさあ」という表現が時折り出てくる。

小股とはいったいどこを指すのかといえば、諸説あるのだが着物の裾からチラリと見える足首のことだと何かの本で読んだことがある。

これもなかなか素敵な表現ですね。

スピーカーで言えば、洗いざらいすべての情報を出そうとするのがJBLを始めとするアメリカ系のスピーカーだとすれば、その一方「いぶし銀」のように陰影が在って、想像力をかきたてるのがイギリス系のスピーカーとおよそ相場が決まっている。

どちらがいいとも悪いとも言えないが、いわば「マスク美人」はコロナ禍による恩恵の一つと言ったら「不謹慎だ」と顰蹙を買うかもしれない~(笑)。

恩恵といえば2匹の野良猫からすっかり慕われるようになったのでその経緯を述べてみよう。

市営の運動ジムがコロナ禍のせいで3月5日から休館となり、仕方なくこの3か月ばかり午後の運動は上り下りの激しい近隣の坂道を50分ほどかけてウォーキングしている。

そのコースの途上にあるのが「鉄輪」(かんなわ)の旅館街で、いわば別府温泉を代表する街並みのいかにも狭い路地を大中小の様々な旅館が軒を連ねている。



必然的に、野良猫も多くて軒下でよく寝そべっているが場所柄のせいか人慣れしていてあまり怖がらない。

中には餌をくれとばかり「にゃ~ん」とすり寄ってくるのが居て実に可愛い!

そういうわけで、期待に応えようととうとう餌をやる破目になってしまった。



始めに出会う1匹目がこれ。旅館兼焼き鳥屋さんにたむろしている猫で、栄養状態がいいせいか太り気味だが食欲旺盛で午後3時半くらいには決まって所定の場所にいて、自分の姿が少しでも見えると駆け寄ってくる。



そして、2匹目がこれ。

小さな雑貨屋を営んでいた飼い主の「おばあちゃん」が急逝してしまい、新しい経営者から追い出されて居場所が無くなった可哀そうな猫ですよ、と通りがかりの人が教えてくれた。

この猫も毎日定時にしっかりと待っていて「にゃーん」と尻尾を立ててスリ寄ってくる。

ただし、難点が二つあって1点目はこれ。



猫によって餌の好き嫌いがあって、別々に3種類の餌を微妙に配合してやらないと食いつきが悪い。まったく手間のかかる贅沢極まりない猫だ(笑)~。

もう一つは当然歩きたくない日もあるのだが猫が待っていると思うと重い腰を上げざるを得ない。

何しろ雨の日だって軒下でしっかり待っているんだから困ってしまう。この分では運動ジムが再開されてもとうてい行けそうにない(笑)。

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