「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

いよいよ佳境に入った「木製植木鉢」の活用

2023年06月30日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「木製の植木鉢にSPユニットを取り付ける」記事はかなりユニークな試みだったとみえて興味を惹かれた人が多かったみたい・・、アクセス、ランキング順位ともに今年一番の出来だった。

ま、読者にはどうでもいいことだろうが、ブログ主にはうれしい報せ・・(笑)。

で、南スコットランド在住の「ウマ」さんからもすぐにお便りがあった。

「いやあ、びっくり!
植木鉢をエンクロージャー?に使うマニアって、間違いなく世界にたった一人や!
日夜、こんな発想こんな知恵と工夫をする人間は、間違いなくボケない!

ネットで様々な日本の雑誌を見るけど、ここんとこ立て続けに「レコードを聴いてる人はボケない」との特集があった。人間が聞けない二万ヘルツ以上の高周波どころか、レコードからは10万ヘルツの音波も出ていると言う。

これをイヤホンやヘッドホンではなくスピーカーで聴いていると、心身ともにかなり影響を受けるらしい。
でね、毎日、レコードをスピーカーで聴いてる僕もボケないと言うことになる。バンザーイ!

これを娘たちに言うと…
「おとーちゃん、安心したらあかん!アルコール性アルツハイマーもあるんやで!」

・・言い忘れましたが「音楽とオーディオ」の小部屋の貴重なスペースに、「ウマ便り」を載せようなどとは、ゆめゆめお考えにならないようにしてください。植木鉢のエンクロージャーの話の方がよっぽど面白いですよ。」

アハハ・・、いやいや「ウマさん便り」の「海外感覚」はこのブログに「貴重な彩」を添えてくれますのでぜひ継続して「逸話」をお願いします。

そういえば・・、先日のこと「英語の発音」で日本人が難渋する「L」と「R」の発音で、「R」の時には、最初に「う」を付けると英語らしくなるという記事はとても重宝された方が多かったみたいですよ。

たとえば「RIGHT」の発音時に(ウ)「ライト」とやると、たしかに様(さま)になりますね(笑)。

さて、「木製植木鉢」の活用もいよいよ佳境へ~。



まず、これが不安定な植木鉢を固定する凄くシンプルな置きものです。これも「ありあわせ」のもので自作しました。

そして、前回予告したように同じグッドマンの30cmの「TRIAXIOM」を、予備の「植木鉢」に取り付けた画像がこれ。

え~い、面倒くさい、三つまとめてパチリ!



手前が既存の「スーパー10」(ワーフェデール:口径25cm)、上段の左が「AXIOM150マークⅡ」、右側が新たな「TRIAXIOM」で、ともにグッドマンの口径30cmのユニットである。

で、完成後に「後ろ髪」を引かれる思いで「150マークⅡ」から「TRIAXIOM」へ交換して試聴してみた。



とりあえず、左チャンネルは「150マークⅡ」のままで聴いたところ、音色(というか「ハーモニー」の響かせ方)が凄く似通っているのに心の底から驚いたと同時に感心した!

さすがはグッドマン・・、統一性があって「周波数レンジ」ではなく「音楽」を聴かせてくれるんですよねえ!

で、強いて両者のユニットの違いを挙げれば・・、「TRIAXIOM」の茶色のコーン紙の方がやや軽いせいかユニットからの「音離れ」が少し上回っている感じがする。

たとえば、音響空間でのヴァイオリンのフワッとした余韻の漂い方に一日の長があり、もはやこの世のもとは思えないほど美しい・・。

それにしても参りましたね。

単なる思い付きから出発した作業から簡単に3種類のユニットをより取り見取りのもと「ハイレベル」で楽しめるようになったんだから、もう「最高で~す」(笑)。

それに、我が家の基本形「フルレンジをメインにして低音と高音を少し付け足す」をきちんと踏襲していますからね。

ちなみに、かかった経費といえばずっと以前に購入した「植木鉢」代(1個:2000円程度だったかな)を別にして、針金(100均)とネジ代くらいだから、これはもう「濡れ手で粟(あわ)」とはこのことですね。

そして、最後にこれらのユニットに組みわせるアンプの話。

「WE300Bシングル」や「6AR6シングル」は、あまりに本格過ぎる(?)というか、やや神経質的な色彩を帯びるのが難点だったので、前回述べたように「371Aプッシュプル」アンプの出番を仰いだが、これでもう十分だと思ったが、念のため「71Aシングル」をあてがったところ、これまたいい!

古典系のユニットには古典管の小出力アンプがピッタリ!


 このアンプは「SRPP」回路で、初段管は「13D9」(BRIMAR=STC」で出力管は「71A」(RAYTHEON:刻印)、整流管はこれまたSTCの「80A」というコンビ。

古典系ユニットと古典管を使ったアンプの組み合わせじゃないと、こういう「幽玄的な佇まい」は味わえないと断言してもいいでしょう。

とまあ、まったく偉そうに「言い(書き)たい放題」だが、何しろ、それだけの「血と汗と涙」を50年以上に亘って流してきたんだから、遅まきながら少しくらいは報われないとね~。

ネッ、そうは思いませんか・・?(笑)


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叩けば叩くほど良く鳴る法華の太鼓

2023年06月28日 | オーディオ談義

すべては「もったいない」精神から始まった。

我が家では出番がなかなか巡ってこないSPユニットがいくつかあるが、その中でも一番気になる存在なのがグッドマンのSPユニット「AXIOM150マークⅡ」(口径30cm)だ。

評判はすこぶるいいし、重量級の堂々たるマグネットが付いているし、音がメチャいいのは分かっているので何とか有効活用したい・・、ただしこれ以上図体のかさばる箱は作れないし、どうすりゃいいのさ思案橋~。

そこで思いついたのが、木製「植木鉢」の活用だ。ずっと以前に購入した「植木鉢」がまだ余っているではないか~。

活用例として「スーパー10」で味を占めているので、いわば「柳の下の二匹目のどじょう」を狙ってみた。

この木製「植木鉢」の場合、通常の平面バッフルに比べてユニットの後方から出る音(逆相の音)が前方にあまり回り込んでこない、バッフルがないので不要な反射が無い、筒形なので定在波があまり生じないところなどがメリットかなあ~。

で、御覧の通り次のような細工をやってみた。


 ユニットの4か所のネジ穴に針金を取り付けて木製の植木鉢に打ち込んだネジ(2か所)に結びつけ(ユニットを)しっかり固定。

これをSPスタンドに載せて試聴してみた。工作時間は試行錯誤があったので、左右両チャンネル合わせて半日程度かな~。



もちろん、コイルもコンデンサーも使わず「フルレンジ」で鳴らす。

当然のごとく箱に容れてないので100ヘルツ以下の低音不足は否めないので、ウェストミンスター(改)で補強する。

ちなみに「DAC」の出力については「RCA」アウトと「バランス」アウト(要「変換ケーブル」)の2系統出力で活用しており、低音だけはバランスアウト系を使って「別のプリアンプ」に接続して鳴らしている。

そして、高音域についてはそれほどの不足は感じられないが、念のため「リボンツィーター」(デッカ)で5000ヘルツ以上を緩やかにカバーしている。

リボン型の特徴なのか、フルレンジ(150マークⅡ)の高音域とあまり喧嘩しないので大いに助かる。

で、聴いてみるとひっくり返らんばかりに驚いた。「150マークⅡ」がこれほど繊細な音を出すのか・・、まったくの様変わりである。

これまでいろんな箱に容れて鳴らしてきたが、この「鳴らし方」がベストじゃないかな~、と、いつもの自画自賛が始まった(笑)。

ただし、こうなると全体的なバランスとして低音域の図太さが悪目立ちしてきたのでやや「ミスマッチ」の感あり・・、で、これまでの(低音用の)「EL34プッシュプル」アンプから「2A3シングル」アンプへと交換してやると、ようやく佇まいが良くなってきた。

最終的に「150マークⅡ」には、「WE300B」や「6AR6」などの解像力を優先した「シングル」アンプではなくて、やや太めの筆の持ち主、言い換えると少しばかりボヤっとした「プッシュプル」アンプをあてがってみたところ、両者の長所と欠点が見事に補い合ってクリーンヒットとなった。



これが「371Aプッシュプルアンプ」で、久しぶりの出番だった。

で「150マークⅡ」がこれほど良くなってくれるのであれば、同じグッドマンの「TRIAXIOM」を木製の植木鉢に容れたらどうなんだろうと、がぜん意欲が湧いてきた。

「叩けば叩くほど良く鳴る法華の太鼓」で、だんだんと調子に乗ってきましたよ~(笑)。

以下、続く。



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プロ野球選手は契約更改年になぜ活躍するのか

2023年06月27日 | 独り言

野球の話だが、関心はもっぱら「MLB」の大谷選手に向けていて、名門の「巨人」が勝とうと負けようとどうってことはないのだが、家人が(巨人の)大ファンなので、負けた時に家庭内に暗雲が漂うのは困る・・、やはり勝ってもらった方がいいかなあ(笑)。

「もう・・、また~!」と、チャンスを逃したときに隣室から歯ぎしりする声が聞こえてくるほどだが、その巨人は大枚をはたいて他球団の「いい選手」を獲得する割にはあまり成績が振るわないのはいったいどうしたことだろう?

単純にいえば、それは獲得した選手が期待通りに働かないから~。

そもそも、野球選手は契約更改の年に限ってどうしてあんなに活躍し、そして高額年俸を獲得して移籍を果たすと途端に故障したり成績が振るわなくなるのはいったいなぜだろうか・・。

名前を挙げて悪いが、巨人の「梶谷」選手、「丸」選手などがそうだし、他球団でも枚挙に暇がないほど。

で、MLB(大リーグ)に目を転じてもそうで、大谷選手が属する「エンゼルス」球団の「レンドン」選手(三塁手)なんか高額の契約金で入団したのにあの体たらく~。

何しろエンゼルスに来る前は打率3割、打点王(ナ・リーグ)を取ったほどの選手なんだから。

そこで「チャットGTP」に訊いてみた。

「プロ野球選手は契約更改の時になぜあれほど活躍するのか? 

段階的に考えよう」

すると、


「プロ野球選手が契約更改の時に活躍する理由は、以下の段階的な要素によって説明することができます。

1 パフォーマンスの評価

契約更改では、選手の実績や能力が評価されます。選手の成績や統計データ、個人的なスキルや才能、チームへの貢献度などがチームや球団によって分析されます。選手が活躍したシーズンや試合の成績が評価されるため、その成績が契約更改における交渉材料となります。

2 市場価値の評価

契約更改では、選手の市場価値も考慮されます。他の球団からの関心やオファー、同じポジションの他の選手との比較などがチームにとって重要な要素です。選手の市場価値が高ければ、契約交渉の立場が強くなります。活躍した選手は、市場価値を高めることができるため、契約更改時に有利な条件を獲得する可能性が高まります。

3 モチベーションの向上

 契約更改は、選手にとって将来のキャリアや経済的な安定性に大きな影響を与える重要な時期です。契約更改の期間中は、選手は自身のパフォーマンスを向上させるために努力を重ねることが多いです。契約更改を機に、自己改善やトレーニングによってスキルや体力を向上させることで、次のシーズンでの活躍が期待されます。

4 競争の刺激

 契約更改では、他の選手との競争も存在します。同じポジションの選手や他のチームメイトとの競争によって、選手はより高いパフォーマンスを発揮する刺激を受けます。契約更改においては、自身のポジションを守るために競争相手よりも優れた成績を収める必要があります。この競争の刺激も、契約更改時に選手の活躍を促す要因となります。

これらの要素が組み合わさることで、契約更改時にプロ野球選手が活躍する背景となります。成績や市場価値の向上、モチベーションの向上、競争の刺激などが相互に関連しながら、選手のパフォーマンス向上を促していると言えます。」

まあ、こんなところなんだろうが、選手自体の「打算的な対応」という人間らしい言葉が欲しかった。「商品」としてもっとも高い「売れ時」を演出するために、契約更改年に限ってさらに奮闘しているのだから。

淋しいことだが、わたしたちは選手に対してもっと「醒めた目」が必要かもしれませんね。

ただし、もし自分が選手だったとしたらそうするかもしれないですよ。

だって、一般人に比べてたかだか40歳前後で早々に引退するのだからその後の40年近くの年月をどうやって食っていくか、その生活保障は大切ですよね(笑)。


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押し寄せる「新旧交代」の波

2023年06月26日 | 独り言

現在住んでいる団地(150戸ばかり)は造成されてからもう50年近くになる。

仮に、当時40歳前後で「入植」された方は現在では90歳前後になるので、「寄る年波には適わない」ということで、ご夫婦のどちらかが亡くなるケースが多い。

こういう田舎なので、子どもは都会に働きに出かけているケースが圧倒的に多い、したがって残された片方は家を売るなり取り壊して子供のところや介護施設に移り住むということになる。

そういう象徴的な区画がウォーキングコースの途上にある。
           

画面中央の奥には現在建築中の2階建てとその右には同じく建築中の1階建て(黒い屋根)がある。

そして手前の荒れ果てた場所がほぼ家の解体が済んだ現場である。かなり大きな邸宅だったが今はもう見る影もない。

ご近所の方々の話題になっていることが一つある。画面中央付近にある小さなブロックの施設は風呂場として使われていた部分だが、なぜか、ここだけは不思議に取り壊されずに残っているのだ。

いったい、どうして?

ヒント:ここは温泉管が引かれている地帯である。

もし分かった方は非常に洞察力にすぐれた方である(笑)。

答えは、解体作業を終えた従業員が一日の終わりに温泉に入って疲れを癒すための暫定的な風呂場として使われているというのが真相。

いささか単純だったかな(笑)。

我が家もこの団地に住んでからおよそ40年ほどになる。そのうち、いずれどちらかが先に逝くことは必然だし、順番としては自分の方が圧倒的に可能性が高いが、そのときに県外に住んでいる一人娘が帰ってくることは100%近く期待できない。

いずれ古くなった家が取り壊されるのは覚悟の上として、そのときにオーディオ・システムの行く末はいったいどうなるんだろう?

というわけで、近年オーディオ機器はなるべく増やさないように心がけているんですけど、それがねえ・・(笑)。
 

現在でもオークションの「ウォッチリスト」に放り込んで真剣に思い悩んでいる機器があるが、(このブログで)公開すると狙っている方にとってはライバルが増えてご迷惑だろうから、無難なところでつい最近見送った代物を挙げてみよう。

「AAD American Acoustic Development 2002 2003 スピーカースタンド 音響 オーディオ」



素敵なデザインに思わずウットリ~。

大きな湾曲にはきっと意味があるに違いないが、こういうスタンドにSPユニットを載せると見た目がすごく映えるし、音質まで上等になる気がする。

落札価格は「55,000円」(6月24日)だからまったく手が出ないわけではなかったが、何しろ図体が大きいので我が家に到着した時に家人の対応を想像しただけで一気に情熱が冷え込んでしまう。

つまり絶好の抑制剤になっているというわけ(笑)。



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真空管アンプの「つばぜり合い」

2023年06月24日 | オーディオ談義

前々回の「オーディオシステムの衣替え」からの続きです。

そもそもの発端は10日前(14日)の倉敷市からお見えになった「Y」さんの一言だった。

「WE300Bアンプより6AR6シングルの方がいいと思います」

そのときは「そうですか・・」と、初対面の方への遠慮もあって軽く受け流していたのだが(笑)、製作費や真空管のお値段からすると前者は後者の5倍くらいのダントツの差だから、投資効果からみて持ち主にとっては「由々しき事態」といっていい。

人それぞれに感性が違うので仕方がないといえばそれまでだが、やはり気になってそのまま放っておけないよなあ。

さっそく対策を講じてみた。

まずは、第一弾として当日の300Bアンプの前段管には「471B」(「デフォレ」の刻印)を使っていたのでそこに疑いの眼を向けた。



希少な古典管だが、惜しいことにちょっと電流が少なめの規格の真空管なので、アンプに元気を出してもらうために新品同様の「71A」に差し替えた。

このアンプの場合、インターステージトランス「HA-106」(UTC)で前段管の出力を6倍増幅しているので、基本的なべースになる前段管をゆめゆめおろそかにできない。

第二弾は出力管を「WE300B」から、より「スピード」が速そうな「6A3」(刻印)に代えてみた。本来は互換性が無いのだが、我が家のアンプに限っては差し替え可能となっている。

これらの対策を講じてから、来ていただいたのが近隣にお住いの「Y」さんだ。困ったときの「Y」さん頼みがここ数年続いている(笑)。

お見えになったときは、いつもまるで「うわ言」のように「AXIOM80を聴かせてください」と仰るのだが(笑)、今回はあえてこの「梅雨用=窓開け放し」システムを聴いていただいた。



テスト用のソースはYさんが持参されたバッハの「ヴァイオリン協奏曲」。



開口一番「ほう~、AXIOM80じゃなくてもこんな音が出せるんですねえ・・」。

「どうです、いいでしょうが・・」と、ここぞとばかり調子に乗る軽薄さ丸出しの自分がいる(笑)。

「実は本日来ていただいたのは・・」と、おもむろに趣旨を説明してから「WE300B」アンプと「6AR6」(三極管接続)アンプの一騎打ちに入った。

ちなみに、「6AR6」真空管は初期型の「楕円型形状プレート」を使っている。

で、システムの中核を成す「スーパー10」(ワーフェデール)用のアンプを最初は「WE300B」で、そして次に「6AR6」と切り替えてから、「どうでした?」。

「ほとんど変わりませんよ~。もう紙一重という感じですが、強いて言うなら、6AR6アンプの方が静けさにおいて優っているように思います。録音現場の雰囲気の再現性がより高いように思えます。」

この「6AR6」アンプは「三極管接続」にすると、「あの銘管PX4の周波数特性と酷似します」(北国の真空管博士)とのことで、それを拠り所に購入したものだが、まったくもって「コスパ抜群」だったことになる。

ただし、前段管は指定の「6SL7」の代わりに「ミュー=増幅率」が同じ程度の「13D9」(英国:BRIMAR=STC)に代えている。



BRIMARの「13Dシリ~ズ」は性能・耐久性ともにまったくハズレがないようですね。

というわけで、この2台のアンプの落ち着き先は「「6A3シングル」がデッカの「リボンツィーター」(低能率)に、そして「6AR6シングル」が「スーパー10」となった。

とはいえ、そのうち飽いてきたときは「2A3シングル」「71Aシングル」「71Aプッシュプル」そして真打の「PX25シングル」などの出番となるのは目に見えている。

そして、試聴会の最後は「AXIOM80」を聴きながらの四方山話に移ったが、80を取り付けているバッフルを付け替えると、もっといい音になりそうですよ、というわけでこの画像を御覧になっていただいた。



「ああ、これはギターやヴァイオリンにもよくみられる裏打ちですね。AXIOM80がもっと良く鳴る可能性があるのであれば大いに興味があります。4mm程度の板厚は無理かもしれませんが、ギターの製作者に心当たりがありますので訊いてみましょうか」

「それは願ってもない事、よろしくお願いします」

「AXIOM80」用バッフルの製作・加工は今後の楽しみなテーマだが、低予算で済めばいいけれど・・(笑)。



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ハッと胸を打たれたエッセイ「二編」~読書コーナー~

2023年06月23日 | 読書コーナー

「新刊コーナー」でたまたま目についた本を借りてきて何気なしに読んでいると、ハッと胸を打たれることがある・・。

何の先入観や期待も抱かないままでの、
 程よい刺激はマンネリ化した「脳」にはもってこいなので、やっぱり図書館通いは止められない。

この本には67名の作家の「小編」が収められていた。



そのうちの「二編」を後日のために記録に残しておくとしよう。まず最初の「一編」の著者は芥川賞作家の「堀江敏幸」氏。

タイトルは「歌でも読む様にして」

「識字率という物騒な単語がある。これは一般に、ひとつの国の総人口の、15歳以上で読み書きができる者の割合を意味するのだが、こういう話題になるとかならず、日本の識字率がいかに高いかといった、妙な自慢話をはじめる人がいる。

たしかにそうかもしれない。しかし、字を識(し)る力はかならずしも心を識る力に結びついているわけではないのだ。平成の世に入って生じたいくつもの人災において、責任ある立場に置かれた人々が示した立ち居振る舞いを見れば、それは明らかである。

文字は、そして文字の連なりからなる文章はどんなにありきたりなものであっても、単なる情報ではない。いや、情報ではあるけれど、それだけに終わらないなにかがふくまれている。

たとえばかって、消息を知らせる書状や葉書の文面には、文字の読める受取人だけでなくそのまわりの、文字を読めない者にも伝わる思いがこめられていた。読める人が近くにいるのを当てにして書かれている場合もめずらしくなかった。

石川県富来に生まれた加能作次郎に、「恭三の父」(1910年)と題された短編がある。郷里から東京の大学に進んだ恭三は夏休みに帰省して1か月あまり無為な暮らしを送っている。

やるべき勉強にも身が入らず、むなしく散歩をするばかりで、親しい話し相手もいない。だから手紙を書く。日常の些事を同じく里へ帰っている友人たちに細かく報せる。返事が欲しいのだ。

ある晩、恭三が散歩を終えて家に戻ると、待ち暮らしていた自分宛ての手紙の代わりに親族からの葉書と手紙が届いていた。父親は字が読めないのでふだんは学校に通っている次男坊に頼んで読んでもらっている。

しかしその日、酒の入っていた父親は、恭三に読んでくれと頼んだ。「何と言うて来たかい」と問う父親に息子は答える。「別に何でもありません。八重さんのは暑中見舞いですし、弟様(おっさま)のは礼状です」

彼らの手紙は「言文一致」ではなく従来の「候(そうろう)文」の定型を並べたにすぎず、意味のあることなど書かれていない、伝えても分からないでしょうという息子に、父親は分からないから聞くんだと怒る。

「六(むつ)かしい事は己等(おれら)に分からんかも知れねど、それを一々、さあこう書いてある、ああ言うてあると歌でも読む様にして片端から読うで聞かして呉れりゃ嬉しいのじゃ」

父親はすべての言葉が大切なのである。差出人を見れば中身など簡単に想像できるけれど、時候の挨拶ひとつにもいろいろ言い方があって、元気なのは承知していても、そこに書かれていることをありのまま、ぜんぶ教えて欲しいのだ。

声に出して読んでもらうことで定型は定型をはずれ、情報を超えた感情となる。字の読めることが当然の恭三はそこに気づかず、言葉のやりとりを効率に換算して、説明や要約にかえてしまう。

彼の躓(つまず)きは、百年後のわたしたちの躓きでもある。読み書きとは、本来無駄なことを無駄でなくするための力なのだ。

 ”歌でも読む様にして” 、という父親のひと言が、深く胸にしみる。(2016年5月発出)

そして、二編目はこれ。

「わからない」を語りたい(花田 菜々子)

「最近 ”わからなかった” 本の話を誰かとすることにハマっている。書店員として働くようになってから二十年弱。書店員というのは職業上、本のことを ”わかっている” ていで話をしなければならない仕事だ。

あれは名作ですよね、話題のあの本が売れているのはこういう理由でしょう、この本の素晴らしいところはこんなところなんです、などなど。

嘘は言わないが、わざわざネガティブな感想を表に出すことはほとんどない。 ”わからなかった” は本来はネガティブな感想ではないのだが、 ”読む価値が無かった” の婉曲表現だと思われてしまうし、何より書店員としての見栄もある。

そう感じていた私が「わからない」に目を向けたきっかけは、最近文学賞を受賞したある小説を読んだときに全然面白いと感じられなかったことだ。う~ん、よさがわからない。

だが、たくさんの書店員が心から絶賛しているようだ。駄作ということではなさそう。隣で仕事をしている文芸好きの同僚にふと尋ねてみた。

「〇〇って読んだ? 私、実はよくわからなかったんだけど」

すると意外なことに、同僚の目はパッと見開かれ、輝いていた。「実は私もわからなかった!」

だが、賞の批判や作品の悪口に話が逸れてしまってはつまらない。わたしはその作品を面白いと感じる人がなぜそう感じられたかを、純粋に知りたいだけだからだ。

仕事中にもかかわらず、ああでもないこうでもないと意見を交わす。話してみると「わからない」を語る言葉には意外な豊かさがあることに気づく。

まず、自分が一応その本を読めていて「わからなさ」を言語化できていないと話すことはできない。そして、話すことができても、今度はよい小説の基準、マイナスに思えた表現方法、結末への懐疑・・、口に出してみて初めて、自分の意見の不確かさがはっきりと輪郭を持つ。

たかが本の話なのに自分の恥ずかしい内面を吐露せずに「わからなさ」を語ることは難しいのだった。
「わかる」を語るとき、私たちは自分の弱さをさらさぬまま、自信を持って語ることができる。

本を読んでいて「わかる」と思うとき、私たちは幸せに満ちているし、心強さをもらう。読書の一番の醍醐味とも言えるだろう。わかる本への言葉は、究極的には「とにかくいい」「すごい」
という感嘆で足りてしまう。作品が心に飛び込んできているので自分から近づく必要がないからだ。

だが「わからない」は自分から近づかなければ、向こうから歩み寄ってきてはくれない。そこに辿り着こうとして届かない言葉や思いはいつも不格好で、その人らしさがにじみ出ていて惹かれる。

というわけで最近の私は、誰かの分からなかった本の話を採取することに夢中なのだ。

つまりそれは、本の話をするふりをして誰かの心の奥底に触れてみたいだけなのかもしれない。(2021年1月発出)

<ブログ主>

オーディオにも似たようなことがある。自分では「いい音」と思っていても、他人が聴くとそうでもないことが多々ある。

その辺の違いをきっちり詰めていくと、相手の心の奥底の一端が見えてくるのだろうが、「ま、いっか」とつい鬱陶しくなって放ったらかしてしまい、そしていつのまにか曖昧模糊となってしまう・・(笑)。



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オーディオ・システムの「衣替え」

2023年06月22日 | オーディオ談義

蒸し暑いなあ・・、梅雨だから当然のことなんだけど汗がジトっと皮膚にへばりつく感じで、こういうときは爽やかで涼しい風が欲しい~。

で、「エアコン」の出番になるのだが、真昼間からあまり使いたくない・・、電気代の心配というよりも健康に不適だから、となると窓を開け放して出来るだけ風通しをよくするしかない。

幸い、我が家は比較的高台にあり夏の時期は別府湾からの海風が吹きぬけてくるのでかなり涼しい。けっして自慢ではありませんよ、事実なんですから(笑)。

ところが窓を開け放して音楽鑑賞となると、もろに外へ音が漏れて通行人にとっては「はた迷惑=騒音」な話になる。

実際に試してみよう、

かなり大きめの音で鳴らしながら外に出てみると、生い茂った「ヤマモモ」の木が吸音効果を発揮してくれるようで、「通りすがり」の人ならそれほど神経質にならずに済みそうだ。



大音量でなければ、まずはひと安心~。

で、外堀を埋めたのでいよいよオーディオシステムの「衣替え」といこう。つまり、比較的小さめの音でもくっきりと明瞭に聴けるシステムの出番。

ちなみに、AXIOM80は結果が分かりきっているのであまり面白くない、他のシステムでぜひ実現させたい・・(笑)。

そこで、次の画像。



まずフルレンジの「スーパー10」(ワーフェデール:口径25cm)をメインに持ってきた。

箱に容れていないユニットのメリットはいろいろある、第一に音が籠らない、次にバッフルへの反射
音もないしでベストじゃないかな~。まあ、一種のカンだけどね(笑)。

後面開放と行きたいところだが、ウェストミンスター(改)との干渉を少しでも防ぐため、20か所ばかりドリルで小さな穴をあけた板で塞ぐことにした。



こんな大型の強力な赤帯マグネットが付いているのだから、ボリュームを絞っても音の解像度が落ちるはずがない、と思うが(笑)。

そして、「ツィーター」には久しぶりにデッカの「リボン型ツィーター」を持ってきた。ことさら目立つこともなく自己主張も少ないけれど、「無くなるとメチャ淋しくなる」という、理想的なツィーターである。

これは「リボン型」の特徴かもしれませんね。

ウェスタン製の「ブラック・タイプ」のコンデンサーで5000ヘルツ(-6db/oct)あたりの帯域から上をカバーさせている。

そして、100ヘルツ以下はウェストンミンスター(改)で補強する、無論ごく控えめの音で・・。

これで「オール・ブリティッシュ」サウンドをまとったスピーカー側はセッティング完了。

問題はアンプである。

さあ、どのアンプをどのSPユニットに差し向けるか・・、腕の見せどころになりますね(笑)。

実は気になっていることがある。

先日「倉敷市」からお見えになったYさんからご指摘があった「WE300Bシングル」アンプと「6AR6シングル」アンプ(三極管接続)との優劣に最終的な決着をつける必要がある・・。



近隣のオーディオ仲間「Y」さんに来ていただいて最終判定をお願いすることにしよう~。

以下、続く。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・6・21)

2023年06月21日 | ウマさん便り

「アルマと北斎 」

ダンフリースの街のハイストリート(目抜き通り)を歩いていたら、めちゃ別嬪さんが向こうから歩いて来る。石畳を歩くその背筋の伸びた姿が凛としていて惚れ惚れする。遠目に見てもスラッと背の高い綺麗な人や。

ところがびっくりした。そんな美人が僕を見て「ウマー!」

さらに「ウマー!ゲンキー!」なんと日本語やないか!いったいどないなってるの?頭が混乱してきた。目の前で立ち止まった彼女、僕の困惑した顔を見て、

「私よ、アルマ、アルマよ」

エッ?アルマって、ひょっとして隣村にいたアルマ・フィッツパトリックかいな?そう言えば面影がある。そうや間違いない。確かにアルマや。

僕が知っているアルマは、確か中学二年生だった。すごくちっちゃい娘で、小学校三年生ぐらいにしか見えなかった。でも、大きくなったなあ。そして綺麗になったなあ。で、通りの真ん中でビッグハグです。日頃ハグにはウンザリしてるけど…  

予期せぬ驚きの再会だったので、コーヒーショップで話をした。

「今、何してるの?」

「オックスフォードのグラデュエイト(大学院)で東洋美術史、特に日本の美術史の専攻を終えたところなのでスコットランドに帰ってきたの。来年日本に行くつもりなので、これからその準備をするつもり」

そうや!アルマは小さい時から日本と日本文化にすごく興味を持ってたよね。

ジブリのアニメに夢中になったのが日本に興味を持つきっかけだった。「昔、ウマに日本語を教えてもらったけど、今も勉強を続けてるわよ。」

僕がスコットランドに移住して、しばらくたった頃だった…

アラントンに日本人がいると知った女の子が僕を訪ねてきて日本語を教えてほしいと云う。とても中学生には見えないこの小さな可愛い子、ひらがなとカタカナを一週間でスラスラと書けるようになった。

アルマの家は揃って馬好きで、当時二頭飼っていた。アルマの兄達は、学校から帰ると、自宅の馬場で馬に乗って遊んでいた。僕はそれを車の中からよく見ていたのを思い出す。中学生になったアルマも仔馬を買ってもらったけど、身体がちっちゃくて馬に乗れなかった。で、特別な馬具を作ってもらい乗れるようになった。

アルマはロンドンのギャラリーで見た葛飾北斎の浮世絵に大きなショックを受け「この世にあんな素晴らしい美術があると知って興奮してしまった」


その昔、パリ万博でジャポニズム旋風が起こったけど、北斎をはじめとする日本の浮世絵がそのきっかけだった。その影響を受けた画家は多かった。

ゴッホ、モネ、ドガ、セザンヌ、ルノアールなどなど。後年、アルマが影響を受けても不思議ではない。アルマは、北斎の浮世絵が木版画だとは信じられなかったと言う。そして、その故郷である日本へ行くことが目下のところ最大の関心事…

久しぶりに再会して以降、僕とはずっと電話でも日本語で会話しているが、第三者が聞いたら、外人さんが喋ってるとは思わないだろう。日本へ行く準備として、アルマはさらに敬語も習得したいと云う。で、以降、双方敬語でのやりとりが続くこととなった。

「ウマ様でしょうか?お元気でいらっしゃいますか?」

「はい、アルマ様もお元気でしょうか?」しかし、彼女の習得の早さには、目を見張ってしまった。

「アルマ様のスリーサイズを教えていただけないでしょうか」

「申し訳ございません。それは出来かねます」

なんと「出来かねる」を知ってるんや。参った参った。日本へ行っても、言葉で困ることは、まずないと思う。

さて、ちっちゃかったアルマが仔馬(こうま)を買ってもらった時のこと…

「ウマ!馬のことを日本語で何て言うの?」て聞くもんだから、ホースの日本語はウマや。「エーッ?!じゃ、ウマさんのウマはホースの意味?」

で、彼女、<UMA>と名付けた自分の仔馬に乗って、ちょくちょくアラントンに遊びにきた。彼女が「UMAー!」と叫ぶと、馬のUMAと人間のウマが同時に返事するんや。

「ハーイ!」「ヒヒィ~ン!」 ややこしいてしゃーない。

緊急連絡:ウマさんへ

天才絵師「北斎」にも「春画」があることをご存じでしょうか。代表的なものがこの「海女と蛸」です。



さすがに、上手いっ! 

とはいえ、いくら「春画=芸術」といっても純情可憐な「アルマ」嬢には刺激が強すぎるでしょうからくれぐれもご内分に~(笑)。

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物事に凝る「きっかけ」とは

2023年06月19日 | 独り言

先日、月遅れの「芸術新潮」を読んでいたら、あの解剖学者「養老孟司」さんの特集がしてあった。



いわば「日本の良識」みたいな方なので、己の「考え方」とマッチしているかどうか・・と、目を通していたら次のような記述があった。(63頁)

「人生にはいろんなありようがあるから、私は他人のことには口出しなどしたくありません。ただ若い人たちには簡単に諦めて欲しくない。好きなことをとことんやってみてほしい。虫なんて見ていたら、あまりにも沢山いすぎて、時間が一生じゃ足りません。三生は欲しいくらいなんですよ」

おいらも「音楽&オーディオ」をとことんやっているが、あまりにも奥が深すぎて「三生」じゃ足りないくらいですぞ~(笑)。

読者の皆様は好きなことをとことんやってますか?

「とことんやるというよりも好きなことを見つける方が先だっ!」という方も、もしかしておられるかもしれませんね・・。

物事に凝る「きっかけ」っていったい何だろう?

で、僭越ながら我が「音楽&オーディオ」の「原点」というとちょっと大げさなので「きっかけ」を述べてみよう。

結論からいえば、それはモーツァルトのオペラ「魔笛」だった・・。

あれは丁度働き盛りの35歳くらいのときだったかなあ~。

定期異動で辺鄙な田舎町に飛ばされたときのこと。傷心のまま、片道1時間半の道のりをクルマで2年間通勤したが、1時間半もの退屈な時間をどうやって過ごすかというのも切実な問題。

丁度その当時コリン・デービス指揮の「魔笛」が発売されクラシック好きの知人がカセットテープに録音してくれたので「まあ、聴いてみるか」と軽い気持ちで通勤の行き帰りにカーオーディオで聴くことにした。

ご承知のようにこの2時間半もの長大なオペラは一度聴いて簡単に良さがわかるような代物ではない。

最初のうちは何も感銘を受けないままに、それこそ何回も何回も通勤の都度クセのようになって何気なく聴いているうち、あるメロディが頭の中にこびりついて離れないようになった。

それは「第二幕」の終盤、タミーノ(王子)とパミーナ(王女)との和解のシーンで言葉では表現できないほどの、それは、それは美しいメロディ。この部分を聴いていると後頭部の一部がジーンと痺れるような感覚がしてきた。

そう、初めて音楽の麻薬に酔い痴れた瞬間だった。こういう感覚を覚えたのは後にも先にも魔笛が初めて~。

ベートーヴェンの音楽もたしかにいいが、強い人間の意思力を感じる反面、ちょっと作為的なものを感じるのだが、モーツァルトの音楽は天衣無縫かつ俗世間を超越したところがあって生身の人間の痕跡が感じられないところがある。

魔笛という作品はその中でも最たるものだという気がするが、文豪ゲーテが晩年になってモーツァルトの音楽を称し「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と語ったのは実に興味深いこと。

それからはもう「魔笛」の道をひた走り、病が嵩じて「指揮者と演奏」が違えばもっと感動できる「魔笛」に出会えるかもしれないと、とうとう50セット近い魔笛を収集してしまった。

これも一種の病気だね(笑)。ちなみに、我が家のすべての魔笛を引っ張り出して撮ってみました。

左からCD盤、DVD盤、CD(ライブ)盤です。



ただし、あれからもう30年以上経つが、あの「ジーン」と頭が痺れるような感覚はもう二度と蘇ってこないのが極めて残念~。おそらく感性が瑞々しい時代特有の出来事だったのだろう。

しかも、冴えない音質の「カーラジオ」でそういう感覚を味わったのだからもうまったく皮肉極まる~(笑)。

あっ、そうそう、「芸術新潮」といえば「五味康佑」さんの名著「西方の音」が連載されていたのでも有名ですね。

で、当該誌には浮世絵の大家「喜多川歌麿」の新出「春画」が掲載されていた。江戸時代は「性」がおおらかだったとみえる。

なにせ天下の「芸術新潮」に堂々と掲載されるくらいだから「春画も芸術」なんだろう。

というわけで、・・。



階段の途中で・・、実に器用なことをしますねえ(笑)。



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音楽は認知症のバロメーターか?

2023年06月18日 | 音楽談義

つい先日、倉敷市からお見えになったYさんは電気にお詳しい方だったが、総じて「音楽&オーディオ」が好きな人はどうも理系人間に偏っている傾向があるように見受けられる。

また、クラシックやジャズに熱心な医師、歯科医、建築関係の技師さんたちも専門誌などでよく見かけるのであながち間違いではなかろう。

で、なぜ理系人間に「音楽&オーディオ」好きが多いのか。

これに関しては数年前のブログでも身の回りの実例を挙げて投稿したことがある。ご記憶だろうか・・。

一部抜粋すると、

周知のとおり、ほとんどの人が高校時代に大学受験のため「文系と理系のどちらに進むか」の選択を迫られるが、これはその後の人生をかなり大きく左右する要素の一つとなっている。そのことは、一定の年齢に達した人たちのそれぞれが己の胸に問いかけてみるとお分かりだろう。

「自分がはたして理系、文系のどちらに向いているか」なんて、多感な青春時代の一時期に最終判断を求めるのは何だか酷のような気もするが、生涯に亘る総合的な幸福度を勘案するとなれば、なるべくここで誤った選択をしないに越したことはない。

現代でも進路を決める際の大きな選択肢の一つとなっているのは、おそらく本人の好きな科目が拠り所になっているはずで、たとえば、数学、理科が好きな子は理系を志望し、国語、英語、社会などが好きな子は文系志望ということになる。もちろんその中には「数学は好き」という子がいても不思議ではないが・・。

それで概ね大きなミスはないのだろうが、さて、ここからいよいよ本論に入るとして、なぜ、音楽好きは理系人間に多いのだろうか、その理由について実に示唆に富んだ興味深い本がある。



序文に音楽と数学の関わり合いについて次のようなことが述べてある。

「私たちは、数の世界の背後には深い抽象性があることを、ほとんど無意識で感じています。音楽によって与えられる快感は、ときにはこの抽象世界の中を感覚的に漂う心地よさで高まり、それは広がっていく心の小宇宙に浮遊し、魂が解放されるような感動まで到達することがあります。~中略~。音楽は数の比によって成り立っており、それを考える数学の一分野です。」(抜粋)

抽象的だけどなかなか含蓄のある文章だと思うが、要するに音楽は数の比によって成り立っており数学の一分野というわけ。

さて、それはそれとして
ここから新たにどう展開しようか・・。

困ったときは
「チャットGTP」の出番だ~(笑)。

「数学と音楽の関連性について、段階的に考えてみよう」と打ち込んでみた。

ちなみに「段階的に考えてみよう」と、質問の末尾に付け加えるだけで(チャット「GTP」の)「正答率が上がる」とNHKのテレビ放送で紹介していましたよ。

で、答えは以下のとおり。

「数学と音楽には深い関連性があります。以下では、段階的にその関連性を考えてみましょう。

1 数とリズムの関係性

音楽はリズムや拍子を持っており、これらは数学的な概念と密接に関連しています。拍子やリズムは数のパターンや割合として捉えることができます。たとえば、4分の4拍子の曲では、1小節が4つの等しい拍子に分割されます。このような数学的なパターンは音楽を構成する基礎となっています。

2 音程と振動数の関係性

音楽では音程が重要な要素です。音程は音の高さを表し、数学的には振動数と関連付けられます。音程の間の関係は、周波数比として数学的に表現されます。たとえば、オクターブの関係では、2つの音の振動数は2倍の比率で関連付けられます。このような数学的な関係性に基づいて、音楽の調和や和音の構成が理解されています。

3 音楽のスケールと数列の関係性

音楽のスケールは、音の組み合わせのパターンです。これらのパターンは、数列や数学的なパターンとして表現することができます。たとえば、メジャースケールでは音の間隔が特定の数列(全音全音半音全音全音全音半音)に従っています。数学的なパターンを音楽に適用することで、調性や音楽理論を解析することが可能となります。

4 波形とフーリエ変換

音は波形として表現されます。波形は時間と振幅の関係を示すものであり、これを解析するために数学的な手法が利用されます。フーリエ変換は、音の波形を異なる周波数成分に分解するための数学的手法です。フーリエ変換を用いることで、音楽の周波数スペクトルや音色を分析することができます。

5 数学と作曲

数学的なアプローチは、作曲や音楽の創造にも応用されます。音楽の構造やパターン、ハーモニーの構築において、数学的なルールや理論が参考にされます。たとえば、バッハの作品では数学的なパターンが随所に見られます。また、現代の作曲家たちは、数学的なアルゴリズムや確率論を音楽の生成に応用することもあります。

以上が、数学と音楽の関連性を段階的に考えた一例です。数学は音楽の理解や解析に役立つだけでなく、作曲や音楽の創造にも応用されることがわかります。」

いかがでしょう?

これほどまでに音楽が数学と密接な関係があるとしたら、音楽は認知症のバロメーターとしても使えそうですよ。

つまり、音楽好きの人がだんだん聴か(け)ないようになったら「認知症」の進行を疑った方がいいかもしれませんね。

で、その対策の一環として日頃から浴びるように好きな音楽を「いい音」で聴きましょう、ネッ!(笑)。



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これぞまさしく「オーディオの極み」!

2023年06月16日 | オーディオ談義

一昨日(14日)のこと、今日は試聴会なのでおそらく歩く時間が少ないだろうから、朝のうちに(歩数を)稼いでおこうかとウォーキングしていたら終り掛けになって携帯が鳴った。

本日お見えになる予定のYさん(岡山県倉敷市)からだった。

「現在、(高速道路の)別府湾サービスエリアにいます。」

「ああ、そこからなら15分程度で我が家に着きますよ。家の前に出てお待ちしておきます。」

そして9時5分ごろに三菱の大型SUV(PHEV)が50mほど隔たった曲がり角から、しずしずと灰色の雄姿を現した。

「いやあ、どうもどうも・・」

お見受けしたところ、お歳の頃は同じくらいかな~。

「遠路たいへんでしたね、何時ごろに倉敷を出発されましたか?」


「ハイ、昨晩の8時ごろです」


「エッ、・・」

「いや、サービスエリアで泊ってきましたから・・」

「なるほど」

「遠距離運転は苦になりません。若いころは軽自動車で青森まで行ったことがあります。」

「ホ~ッ・・」

さっそくオーディオルームに入っていただいてオーディオ機器のスイッチを入れ、いざ聴いていただこうとしたものの、オーディオ話の方がご熱心でどうやらとてもお話好きの方のご様子。

で、日頃から愛用されているスピーカーは「PM6A」(ローサー)と「HSー500」(日立)とのこと。

ハハ~ン、どうやら低音域の量感よりも質感を重視されるタイプとお見受けした。

オーディオ愛好家のタイプはこの両者の区分で大きく色分けされると思っているが、経験上どちらかといえば後者の方に音質にウルさい方が多い感じかな~(笑)。

で、我が家の対応の方も「サブウーファー」(100ヘルツ以下)はごく小さめの音で行こうと即座に判断した。

また、音楽重視タイプか、オーディオ重視タイプかというのも、きわめて大切な要素だが、「音楽ではなく音の方に興味があります。主に電気に関する仕事をしていました」ということで典型的な後者のタイプだった。

ちなみに、自分は前者のタイプだが、どちらがいいとか悪いとかいう話ではなく、それぞれ楽しみ方が違うだけだと割り切ることにしている。

初めに聴いていただいたのは予定通りJBLの「2ウェイシステム」で「ジャズ」を聴いていただいたが、どうやらお気に召さなかったご様子で「なんだか逆相的な音がしますね・・」と、首を傾げられた。

逆相的の意味がよくわからなかったが、どうやら思ったことをストレートに発言されるタイプのようだ(笑)。

そこで、JBLは早々に退散させることにして、いよいよ真打の「AXIOM80」の登場となった。

ここで、転(こ)けたら本日はまったくの「ご破算」だと覚悟したが、どうやらかろうじて踏みとどまったかな(笑)。

このブログを隅から隅まで読んでおられるようで「AXIOM80はとても神経質で長時間聴くと疲れるみたいなことが書かれてありましたが、そういうことはありませんね・・。」

「そうですか・・、駆動するアンプ次第で千変万化するスピーカーなのでアンプのせいかもしれませんね。」

ヴァイオリン、ボーカル、歌謡曲などあらゆるソースを聴いていただいたが、どうや大きな破綻を感じられなかったご様子にひと安心。

これまでの状況からみて、AXIOM80以外に予定したスピーカーの試聴はお気に召さないような感じなので、今日はこれで打ち止めにしようと決心した(笑)。

ちなみに、AXIOM80については片チャンネル「4発入り」を聴かれたことがあるそうだが「音像が大きすぎて・・」と、イマイチだったご様子で「やはりこのスピーカーは単独で聴くのがいいみたいです・・」。

始めは「WE300Bシングル」で聴いていただいたのだが、この繊細なユニットがアンプ次第でころっと音が変わることをわかっていただくために途中から「6AR6シングル」(三極管接続)に切り替えたところ、「こちらの方が情報量が多くて周波数レンジが広がったみたいです。わたしはこっちの方が好きです」。



「そうですか・・」

AXIOM80を転機にいろいろ話が弾んだが耳寄りの情報が入った。

Yさんによると「使っているPM6Aのバッフルは厚さ4mmの薄板です。ドイツから取り寄せたものでギター材に使用されているものです。」

「なるほど・・。バッフルを薄くして共振させるのは大いに納得です。AXIOM80も現在1.5cmの薄板を使ってますが、楓(かえで)材あたりの4mm厚に取り付けてぜひ鳴らしてみたいですね。とてもいい音色になりそうな気がします」

翌日、さっそく画像を送っていただいた。

これが表側から見たバッフルで、状況に応じて小さな穴にコルク栓を埋め込むタイプ。



そして、これが裏側から見たバッフル。



響きの伝達と補強を兼ねて丁寧に「桟」が放射状に施してあり、丁寧で緻密な工作にほとほと感じ入った。これまでいろんなオーディオの工夫を見てきたがこれがベストです。

これぞまさしく「オーディオの極み」だと思いますよ!

昼食を取っていただいてから、しばらく四方山話に花を咲かせて13時ごろに今にも泣きだしそうな曇り空のもとを帰途につかれた。

そして、夕方になってメールが届いた。

「今、無事に到着しました。無給油で帰ったので途中何度も充電しました。
 
80の音が耳に残っている間に我が家の試聴をしたいと思います。
 
本当にありがとうございました。」

そして、その翌日(15日)には次のようなメールが届いた。

「AXIOM80一発で低音、高音がどうこうでなく本当に癒されるシステムを最後の挑戦にできたらと思いました(夢のまた夢)ですが。それほどのパフォーマンスを持ったスピーカーだと思います。それを使いこなしている〇〇さんはもっとすごいと思います。」

お褒めにあずかり恐縮です! どうやら遠路お越しになった甲斐があったようでひと安心しました(笑)。

また、いろいろとご教示いただきありがとうございました。


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オーディオ愛好家のご来訪(2023・6・14)

2023年06月14日 | オーディオ談義

「お宅のAXIOM80を聴かせていただけませんか?」と、5日ほど前に見知らぬ方からメールをいただいた。

「はい、いいですよ」と気軽に応じたところ、「できるだけ早い方がいいです」とのことで、バタバタと日程が決まって本日(14日)に決定。

お見えになる方は仮に「Y」さん(岡山県)としておこう。

「ブログを拝見していると、視聴の前は部屋のかたずけが大変のようですが、私はいつもスピーカーや部品囲まれているせいか綺麗に整頓されていると、落ち着きません。出来れば普段の音が聞きたいです。よろしくお願いいたします。」

随分と思いやりのある方ですね! 大いに助かります(笑)。

で、持ち主が言うのも何だが稀代の銘ユニット「AXIOM80」を、気に入る、気に入らないは別にして一度でも聴いておくことは「オーディオ愛好家の義務」ではないかと思っている。



ユニットの作りがまったく違うし、出てくる音も異次元の音なんだから~。

ただし、メチャ繊細で神経質なので容れる箱や駆動するアンプでガラッと音が変わる怖いスピーカーでもある。

そういう意味では我が家の「AXIOM80」がどの程度の出来栄えかとなると「?」ですね。まあ、80点行けば上等かな、という感じで、このジャジャ馬ユニットを完全に乗りこなしているとは到底思えない。

ちなみに、これまで遠方からお見えになったお客さんで、リピーターが一人もいらっしゃらないのはちと寂しい、もうコリゴリされたのかな・・(笑)。

それはさておき、今日はどういう順番で聴いていただこうかな。

わざわざ遠方からお見えになるのだから「ベスト」を尽くさねばとは思うが、普段以上の力は出せない~(笑)。


そういえば・・。

ずっと昔のブログで「順番への思惑」と題して投稿したことがある。


その時の要旨は、推理作家「阿刀田 高」氏のケースで、短編集をまとめて1冊の本にする場合、仮に作品が全体で10本あるとして、出来のいい順からABCDとあって、後は「十把一絡げ」の作品だとする。

阿刀田氏はこう述べる。


「最初から期待を裏切ってはいけないので1番目にBを持ってきて、2番目は展開力に弾みをつけるためにいちばん出来のいいAを持ってくる。3番目にCを置き、4番目から9番目はありきたりの作品を置く、そして最後は後味をよくするためにDを持ってくる」

というものだった。

演奏会を始め、あらゆるケースで応用が利きそうな「順番への思惑」とは思いませんか?(笑)

で、さしずめ、本日の順番となると

 JBLの2ウェイシステム

 AXIOM80(オリジナル版)

 「スーパー10+075ツィーター」

そして最後に、 グッドマンの「TRIAXIOM」かなあ・・。

ちなみに、いずれのシステムもサブウーファーとして、ごく「秘めやか」に「ウェストミンスター」(改)で「100ヘルツ以下」を補強してやる算段である。

さあ、吉と出るか凶とでるか・・(笑)。



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梅雨の時期は「JBLサウンド」の出番

2023年06月13日 | オーディオ談義

今年(2023年)の梅雨入りは2週間ほど早かったが、その分早く終わってくれるとありがたいのだが・・。

それにしても、このところ九州地方は鬱陶しい天気が続いているが、
どうしても気分が滅入ってくるので、せめてオーディオぐらいはスカッと晴れやかな「サウンド」でいきたいところ。

となるとJBLの出番だ!

専らジャズ用とされており、クラシック愛好家からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われているJBLだが、「爽やかな気分」をもたらす不思議な魅力があってどうしても手放す気にならない。

グッドマンがお行儀のいい知的なイギリス紳士だとするとJBLは健康的なヤング・アメリカンといったところかな。

そういえば、かって「JBLサウンド」の宣伝コピーに「カリフォルニアの澄み切った青空のような音」という形容があったっけ。

というわけで、このところもっぱらJBLサウンドを楽しんでいる。


ユニットは「D123(口径30cm)+175ドライバー」の2ウェイ方式でハイカットは700ヘルツ(ムンドルフのコイル)、ローカットは2000ヘルツ(ウェスタンのオイルコンデンサー)という構成。   

グッドマンの十八番とされる純正の「ARU」(背圧調整器)付きの箱でJBLを鳴らすなんてと眉を顰める向きもあろうが、これほど相性がいいのも珍しい。

普通のバスレフ方式は簡単に背圧(ユニットの後ろ側へ出る音圧)を逃がすだけだが、「ARU」だと一度タメをつくってユニットのコーン紙に負荷をかけるので低音域が出やすくなるのだ。

半信半疑だろうが一度試してご覧あれ。なにしろどんなに理屈をこねようと実験に優るものはないんだから~(笑)。

その昔、オーディオ評論家の瀬川冬樹さんが「ステレオサウンド」誌で「本物の低音が出る」と絶賛されていたJBLの「L88ノヴァ」という完成型のスピーカーがあった。とても評判が良かったのでご記憶の方もおられるかもしれない。

    

このSPが「D123」を使った2ウェイで、まさに今回のSPとそっくりの仕様になっているが、箱のツクリといい、ツィーターの性能といい音質的にはむしろこちらの方が上だと勝手に自惚れている(笑)。

さて、次はアンプとの相性テストである。古典管を使ったアンプでJBLを鳴らすと、不思議とクラシック向きになるのがありがたい。

とはいえ、JBLのユニットはもともと能率が高いものの、経験上かなりパワーのあるアンプが必要のような気がしている。

で、「D123」には「2A3シングル」と「WE300Bシングル」を試してみたが、どっこいどっこいで「2A3・・」が大善戦。何といっても出力管があの「VISSEAUX」(フランス:刻印)だからね。

普段はこのアンプで十分だろう。

そして、「175ドライバー」には、「71Aシングル」といきたいところだが、2000ヘルツからの再生となると、それなりのパワーが求められるので久しぶりに「6AR6シングル」(三極管接続)を充ててみた。



左が「2A3」、右が「6AR6」という景色で、「AXIOM80」に匹敵するほどのサウンドにウットリする毎日・・。

いわば「控え」のアンプたちが大活躍で、
これぞオーディオの醍醐味といえましょうか!(笑)



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オークション情報~スピーカー・真空管~

2023年06月12日 | オークション情報

もはやいくらオークションで掘り出し物を見つけても、肝心の「楽しめる時間が十分に残されていない」ので所詮は無益なこと・・、しかし分かっちゃいるけどつい惰性でチェックしてしまう・・、悲しい習性の持ち主である(笑)。

☆ グッドマンのSPボックス



つい先日、このSPの画像を見て思わず「これ、これっ」と呟いてしまった。

たしか10年ほど前にまったく同じものを落札して改造に至ったものだが、今回の落札額は4万円で、自分の時はたしか3万円ぐらいだった記憶がある。

ちなみに、改造の結果は次の状態になっている。



バッフルを全面的に取り換えてJBLの2ウェイシステム「D123+175ドライバー」へと大変身~。

今や梅雨の真っ最中だが、こういう時こそJBLの出番で「スカッと爽やかなサウンド」を堪能している非常に貴重な存在。

ちなみにこの箱に内蔵されていた「AXIOM301」は早々にオークションに放出した。

いくらグッドマンといっても「フェライトマグネット付き」は、アキュフェーズのアンプと同様にタダでくれるといわれても要らないからね(笑)。

☆ GOODMANS 12インチ・フルレンジSP・2本(蝶ダンパ仕様・保管品)



これまたグッドマンだが、初期の本格的なユニットでもちろんアルニコマグネット付き。口径30cmとなると、我が家ではいくらでも使い道があるので思わず食指をそそる。



「蝶ダンパー」に注目。



開始価格は2万円で5万円くらいまでならと、注視していたところ最終的には何と落札価格が「16万円」・・。

恐れ入りました!

皆様、価値をよくご存じですね(笑)。

☆ WE300B 1988-7月 製造の量産最終期の逸品、未使用新品です。



ついに出てきましたね・・。

名にし負う銘管「WE300B」は今でも真空管オーディオの世界に君臨しているが、うまく鳴らすのは「難しい球」としても知られている。

たとえば「(アンプの回路の中で使用される)インターステージトランスの性能がカギを握っていますが、その肝心のインター・・にいいものが品薄で・・」と、北国の真空管博士からお伺いしている。

それはさておき、はたしていくらで落札されるんだろうと興味は果てしない。

というのも最近「WE300B」の再生産が始まっており既に国内の某販売店から発売されている状況だが、価格はたしかペアで23万円前後だった記憶がある。

それを上回るか、下回るか・・。

むしろ・・、値上がりを期待してWE300Bを大量にストックしていたが、再生産が始まったので止む無くオークションに放出せざるを得なくなったという見方はうがち過ぎかな(笑)。

で、最終的に落札価格は「12万6千円」(1本あたり)だった。

ウ~ン、微妙な値段ですね(笑)。

ちなみに、まだ記憶に新しい今年(2023年)の3月28日付で投稿した「WE300A」(1930年代製造)のオークション価格は「160万円」だった。



製造年代でこんなにお値段が変わる真空管も珍しい・・。

管内の真空度が高いため妖しく光るブルーの色彩が実に魅力的で、伝説的なロマンに満ち溢れた幻想の世界へと誘(いざな)ってくれますね。

ああ、一度でいいから「WE300A」を聴いてみたい・・(笑)。



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「こだわり」

2023年06月11日 | 独り言

音楽やオーディオを始めいろんな趣味は個人ごとのある種の「こだわり」で成り立っていると思うが、「こだわり」が果たしていいことなのか、わるいことなのか・・。

試しに「チャットGTP」で「こだわり」と打ち込んでみると、

こだわり」という言葉は、何かに対して特に注意深く取り組むことや、細部にまで気を配ることを意味します。個人や組織によって異なるこだわりが存在し、それはさまざまな領域において表れることがあります。以下にいくつかの例を挙げてみます。

1 食へのこだわり: 食材の品質や産地、栄養価などにこだわりを持つ人々がいます。有機栽培や地産地消など、自然や環境に配慮した食生活を追求することもあります。

2 デザインへのこだわり: 製品や建築物のデザインにこだわりを持つ人々がいます。美しい形状や色彩、機能性に重点を置いたデザインを追求し、細部までこだわることで、独自の価値や個性を表現します。

3 品質へのこだわり: 製品やサービスの品質にこだわる人々がいます。耐久性や信頼性の高い製品を提供するために、素材の選定や製造プロセスの品質管理にこだわることがあります。

4 教育へのこだわり: 教育においては、個々の能力や才能を引き出すためにこだわりを持つ教育者や教育機関が存在します。教材や授業内容、教育方法について研究し、最良の教育環境を提供することを目指します。

5 サービスへのこだわり: サービス業においては、お客様の満足度を追求するためにこだわりを持つ企業や従業員がいます。丁寧な接客や迅速な対応、細やかなサービス提供に努めることで、顧客からの信頼を得ます。

こだわりは人々の生活や仕事において重要な要素となります。それによって個々の価値観や個性が表れ、高品質な成果や満足度を得ることができるでしょう。

肯定的ですね。

で、否定的という観点からだと、つい
ンフィクション作家・柳田邦夫氏の「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」というエッセイを思い出す。

ちょっと長くなるがご紹介しよう。

人間には誰しも何らかの「こだわり」を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわり」が嵩じてしまうと自分の生きかたや周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。

やがて人生も半ばを迎えた頃、臨床心理学者の河合隼雄先生(故人、元文化庁長官)の謦咳(けいがい)に接し薫陶を受けた。ひそかに「人生の師」と仰いでいたが大事な学びの一つに「こだわり」の克服というのがあった。

その教えのひとつとして出てくるのが河合隼雄氏の著作「ユング心理学と仏教」の中の次のような話である。要約して記す。

二人の禅僧が川を歩いて渡ろうとしているところに、美しい女性が来て川に入るのをためらっている。一人の僧がすぐに、彼女を抱いて川を渡り切ると、女性を下ろして淡々と別れた。

二人の僧はしばらく黙々と歩いていたが、女性を助けなかった僧が口を開いた。

「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。

すると、もう一人の僧が答えた。「たしかに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし、川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を(心理的に)抱いていたのか」と。

このパラドキシカルなエピソードについて、河合先生はこう語るのだ。

「女性に触れてはならぬという戒めを守ることに心を遣った僧は、女性に対する個人的なエロティックな感情につかまってしまいます。実に自由だったもう一人の僧は、私に”
風のイメージ”
を想い起こさせます。

”風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。

私は河合先生からこの二人の禅僧のエピソードを教えられた時、目から鱗(うろこ)が落ちるとはこういうことかと思わず唸ったものだ。

バッハはこう弾かねばならぬ、自分の生き方はこうでなければならぬ、こういう社会規範がある以上は絶対に守らねばならぬ・・・。そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で人は何と悩み苦しんでいることか。

私はあまりにも多くのそういう人々を見てきた。そして、私自身もしばしばそういう「拘泥」の泥沼に陥ってきた。

だが、何のこだわりもなく女を抱いて川を渡った禅僧のことを学んでからは、私は何かの「こだわり」につかまるたびに、その禅僧のイメージを頭の中に思い描くようにしている。
                 

という内容。

自分はこれまでさほど強い信念の持ち合わせもなく、「生き方」についても行き当たりばったりで特段の「こだわり」を持ってこなかったので、きちんとした「信念」というか、「こだわり」を持って生きている方を見たり、聞いたり、読んだりすると「立派だなあ!」と素直に心から感心する。

ただし、年齢も年齢だし、もはや「棺桶に片足を突っ込みかけている」状況なのでもう見習い甲斐がないのが
残念だが(笑)、冒頭で述べたように「音楽とオーディオ」に関しては、いまだに妙な「こだわり」を引き摺っている。

たとえば、音楽でいえばブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ジネット・ヌヴー」で決まり、モーツァルトのピアノ・ソナタは「グレン・グールド」、「新世界より」はケルテス指揮、「大地の歌」はクレンペラー指揮、「田園」はワルター指揮、等々、いわば古色蒼然(笑)。

そしてオーディオとなるともっと「こだわり」がひどくなる、


 中高音域用のアンプは倍音の再生に優れた「真空管(古典管)」しか使わない

 口径38cmのユニットは音声信号に対する反応が鈍いので使わない

 SPボックスは市販品をそのまま使わずに気に入った音へ改造する

等々・・。

どういうわけか、対象に惚れ込むと「こだわり」がひどくなる模様だが、肝心の「自分自身」に対しては「?」なので生き方に「信念=こだわり」が無いのもこれで頷ける~(笑)。


とはいえ、前述の「風のイメージ」と「こだわり」の二極をうまく使い分ける人生もあってもいいように思うんですけどねえ・・。



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