「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

我が家の「王道」とは

2022年10月31日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

近々、県外からオーディオ仲間がお見えになる予定なので、おさおさ準備に怠りないが、悩みの種なのがいったいどのスピーカー(7系統)を聴いていただこうか・・。ま、楽しさ半分だが(笑)。

で、大きく分けると二つのアプローチがある。

まずは、自分の好きな音(システム)を優先してこれを聴いてくださいと押し付けるのがひとつ、もうひとつは忖度して(笑)相手の好みそうな音を編成して聴いていただくこと。

どちらかといえば控えめで自己主張をするのが苦手なタイプなので(笑)、今回は後者で行くとしよう。

となると、日頃の「AXIOM80」とか「トライアキシオム」とかの自作の箱に容れた自己流はとても個性的な世界に属しており、けっして「王道」とはいえない。それはもう重々わかっているつもり。

となると、我が家の「王道」スタイルといえばもうこれに尽きます。



いつも「サブウーファー」として、縁の下の力持ち的な存在だったウェストミンスターが久々に陽の目を見て主役として登場。

とはいえ、中に入っているユニットはオリジナルではなくてワーフェデールの「スーパー12」(口径30cm:赤帯マグネット付きのフルレンジ)である。

以下、ちょっと専門的な内容になるが悪しからず~。



この箱の特徴である長大なバックロードホーンと重量(104kg)とを勘案しながら「質感(分解能)と量感」のバランスを取るための実験を散々繰り返しておよそ30年、最後に辿り着いたのがこのユニットだった。

ちなみにタンノイのユニットやJBLのD130など口径38cmのユニットは残念なことに自分の耳にはすべてアウトだった。

で、今回は音質に悪さをする「コイル」はいっさい使わず「スーパー12」をフルレンジで伸び伸びと鳴らす、そして若干の高音域不足を補うためにクロスオーヴァーを8000ヘルツあたりにして同じワーフェデールの「スーパー3」(口径10cm:赤帯マグネット付き)を付け足そうという算段。

同じワーフェデールブランドだから音色がピタリと一致しているのが何とも心強い。



そして駆動するアンプは今回のお客さんが「PP5/400」(英国マツダ:出力管)の大ファンなので自ずと絞られる。



このアンプは切り替えスイッチで前段管を選択できるようになっており、今回は一番「μ(ミュー)=増幅率」が高い「AC/HL」(英国マツダ初期版)を採用して元気溌剌さを狙った。

肝心の整流管には「WE422A」からムラードの「10E/378」へと交換してスピーカーも含めてオール英国勢へと立て直し。

そして、8000ヘルツ以上を受け持つ「スーパー3」には、高音域だけの再生に限っては我が家でダントツの存在の「71Aシングル」(SRPP回路)を採用した。



システムの入り口に当たるプリアンプは「安井式」(フィリップスのE80CC×4本)、DACは「エルガー プラス」(英国:dCS)と、ベストメンバーを揃えた。

さあ、ハラハラドキドキする中でいよいよ音出しへ~。

「う~ん、参ったあ!」と思わず椅子から転げ落ちそうになった(笑)。

絶妙の「音の佇まい」、そして「芳醇な音」とはまさにこの音のことだろう。とりわけたっぷりとした豊かな低音域はこの箱じゃないと無理かもね~と思わせるほどの鳴りっぷり。

これは個人的な見解だが、オーディオの最大のネックはいかに十全な低音を出せるかにあり、そして最終的には「箱」に行き着く・・。

ちなみに、我が家ではスピーカーを置く床の部分だけ打ち抜きのコンクリートにしているが、この効果は絶大で、これが木の床だったり畳だったりすると箱の膨大な振動エネルギーが床の方に吸収されてしまい本格的な低音にはなりにくい。これだけは断言してもいいくらい(笑)。

いずれにしても「完全無欠のオーディオ・サウンドってほんとうにあるんだよねえ」なんて自惚れながら、やっぱりこれが我が家の「王道」だったのか。

お客さんのご来訪がきっかけとなってとんでもない展開になったが、たまには自我を離れて他人の視点に代えてみるのもいいみたいですね(笑)。

念のため、「PP5/400」以外の「PX25」(画像のナス管とドーム管)も試してみたが、やはり前者の「清澄感」には遠く及ばなかった。



これほどの差がはっきり出たのは初めてで、やはりフルレンジを大きな箱に容れて鳴らした時に真空管のほんとうの真価が発揮されるようだ。

さらに実験を続けて、「WE300Bシングル」や「EL34プッシュプル」にも切り替えてみたところやや決め手に欠ける感じだが大善戦、こればかりは好き好きなのであとは当日のお客様のご判断にお任せしよう。

最後に、ツィーターの「スーパー3」だが、久しぶりに「サキソフォン・コロッサス」を鳴らして「シンバル」(マックス・ローチ)の響きを確認したが、もう十分満足できる範囲だが、ジャズ好きには「075」(JBL)がいいかもしれないなあ。

どれどれ、試しに・・。



例によって「以下、続く」(笑)。


この内容に共感された方は励ましのクリックを →   


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

始まりは「感動」から

2022年10月30日 | 読書コーナー

「セレンディピティ」(Serendipity) 

何だか舌を噛みそうな言葉だが、折にふれ目にしたり耳にされたことがあるかもしれない。

広辞苑によると、カタカナにもかかわらずちゃんと意味が記載されている。

「思わぬものを偶然に発見する能力、幸運を招きよせる力」とあり、もっとくだいて言えば
「ほかの目的で活動しているときに、当てにしていなかったものを偶然に見つける才能」
といえば少し身近になる。

「果報は寝て待て」、「待てば海路の日和あり」方式の努力しないで得することが大好きなのでこういう便利そうな言葉は放っておけない(笑)。

「偶然からモノを見つけだす能力」~セレンディピティの活かし方~(澤泉重一著、角川書店)という本がある。

                

ところが、一読してみると意に反してなかなか真面目な本だった。努力が要らないどころか、むしろ必要とする内容だったので半分がっかりしたが、有用な本だと思ったので記憶に留めておくために抜き書きして保存しておこう。

本書では「セレンディピティ」を「偶察力」(偶然と察知力を合わせた著者の造語)として取り扱っている。

まず、表紙の裏の見出しに「世界的発見の多くは”偶然の所産”
だった。」とある。

☆ ”偶然”に感謝するノーベル賞受賞者たち

☆ 
発見・創造の能力とは、偶然を最大限に活かす能力

☆ 
感性を研ぎ澄まし、察知力を養えば偶然は偶然でなくなる

☆ 
異文化との接触は新しい感動と発見を生む

☆ 
誰しもが体験する日常生活での偶然の不思議を想い出そう

☆ 
遊びの中にも偶然の面白さはいっぱいある

ご覧のとおり”偶然”という言葉がひっきりなしに出てきて、なにもかも世の中の事柄すべてが偶然に左右されているようなすごい勢い。

たしかに、人間の人生は「出会い」を始めとして偶然の連続ともいえる。

たとえば自分の場合では就職先の選択ではたまたま出会った知人のアドバイスによるものだったし、通常2年配置の転勤期間がたまたま3年となり、1年遅れたばかりに幸か不幸か(笑)今の結婚相手と出会ったし、その後の友人・知人との交流のきっかけといった節目には偶然が遠因~原因となっている。

さらには目を遠大な方向へ向けると、人類に福音をもたらすノーベル賞クラスの大発見にも偶然が大きな要素を占めているとなれば単なる「偶然」も見捨ててはおけない。

自分の記憶にある事例では2002年度ノーベル化学賞を受賞された島津製作所の田中耕一さんも、たしか他の目的で実験を重ねているうちに偶然発見されたものだった。

本書の中でもノーベル賞受賞者の「セレンディピティ」の恩恵に浴した事例が沢山紹介されているが、
これら受賞者ははじめからこの能力に恵まれていたわけではなく、努力と研究を重ねるうちに自然と身につけたものだという。

一般人の場合でも訓練次第で向上することが可能ということで三つの要点が挙げられている。

 広い視野からものごとを見る

革新的な進歩を振り返ってみると、意外にも専門分野の外と思われたところにその突破口が見出せたという実例が多い。つまり広い範囲で活動できる学際的な素養を身につけることが肝要。

 偶然の活用


偶然がもたらす楽しみは意外性の面にある、繰り返しの単調さから抜け出して通常使っていない能力を発揮する機会が生じることに意義があるので意外性を見逃さない意欲が必要。

 察知力を活かす

そのための基本ステップとして挙げられている項目を挙げておくと、一番に挙げられているのがまず感動」 で以下、観察、連想へと続く。

偶然出会った物事に対してまず「感動」が出発点になるというのが面白い。

「感動」というと少し大げさだが「ハット胸を打たれる」ことでもいいと思う。

いわば「理」よりも「情」が先行するというわけ。

そういえば「音楽」と「オーディオ」の関係も、まず音楽を聴いて感動し、もっと「いい音で聴きたい」とオーディオに昇華していくケースの方が(オーディオが)長続きすることが多いと思うのでこの順番は納得です~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 
 
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音の清澄感

2022年10月29日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

リチャードアレンの「ニューゴルデン8」との直接対決に最後に登場したのが「AXIOM80」(復刻版)。



「トライアキシオム」のときの好結果に味をしめて「AXIOM80」が入っている箱のバッフルにも同じことをしたわけだが、美的センスを疑われそうなのでカバーを被せてみたのがこの画像。



いくら「音さえ良ければ見かけはどうでもいい」とはいってもちょっと気になる~(笑)。

さあ、久しぶりに「AXIOM80」(復刻版)の登場だが、駆動するアンプにどれを選ぼうか。

「71A系」だともう少しパワーが欲しくなるし、「WE300B」や「PP5/400」だと、ちょっとかったるいというか大袈裟だしねえ。

「帯に短し、たすきに長し」とはこのことだが、我が家で丁度中間帯に位置しているのが「6AR6シングル」と「2A3シングル」になる。

というわけで久しぶりに「6AR6シングル」の登場。



軍事用レーダー用に開発された「WE350B」の流れをくむ「5極管6AR6(6098)」真空管だが、3結接続にするとあの名管「PX4」と周波数特性がピッタリになるというので購入したのだが期待に違わなかった。

当初と比べてボリュームを「クラロスタット」へ変更し、前段管を「6SL7」から変換アダプターを使ってより「μ=ミュー=増幅率」の高い「12AX7」(BRIMAR製)にしている。

好き好きだろうが、これによって一層きめ細やかになってさらに好みの音に近づいた感じ。

ただし「AXIOM80」を容れているこの箱だと低音がもっと欲しくなるのでサブウーファーとしてウェストミンスターの登場となり専用アンプはいつものとおり「EL34プッシュプル」。

じっくりと耳を澄ましながら「ゴールデン8」との違いを探ったが、彼我の違いが如実に出てきて、やっぱりねえと思わず「ため息」をついた。

音の「清澄感」がまったく違うのである。

秋の澄み切ったような青空の素晴らしさを称えて「北京秋天」という言葉があるが、まさにどこまでも透き通ったような音。これはオペラ「魔笛」の透明感に通じるところがありますねえ。

これまで好きな音の要素として「色気」とか「品位」を優先してきたが、こうして並べて比較してみると「清澄感」が最優先のような気がしてきた。

この辺はもはや「AXIOM80」の独壇場。

ほとほと感心しながら没入状態が数日続いていますぞ(笑)。


実は、近日中に県外から数年ぶりにオーディオ仲間がお見えになる予定で、限られた時間の中で聴いていただくスピーカーの候補に悩んでいる。

イギリス系のSPの愛好家でクラシック・オンリーの方だから「AXIOM80」のオリジナル版と復刻版、そして「トライアキシオム」はまず外せないところだが、「PL100」「ゴールデン8」の処遇をどうしようかなあ~。

実はめったに出番が無いが凄く気になるシステムがひとつあって・・。

例によって「以下、続く」(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →   


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もっと寛容にならなければ

2022年10月27日 | 音楽談義

毎年、晩夏に向けて咲きほこる「百日紅」(さるすべり)が大好きで、今年も早々に散ってしまったがいつも名残惜しく感じてしまう。

来年もぜひ見たい、抜かりなく健康対策をという意欲が自然に湧いてくるから不思議(笑)。


「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり  雲も光るなり。」(林 芙美子)。

この言葉に関連してネットでググっていたら、どなたかの次のような文章が目に留まった。 

「花のいのちは短くてもの悲しい。泣ける悲しさではなく、涙が出てくる悲しさでもない。やはり物悲しいとしか言い様のない悲しさである。

人間の存在はある視点からみると、物悲しい存在であると言えるのだろうか。さしずめモーツアルトの音楽などはその代表格である。美しい、そして物悲しい。」

同感です・・。

「モーツァルトの音楽は悲しさが(涙が追いつかないほどに)疾走する」とは、よく聞かされる言葉だが、彼の音楽の中に“そこはかとなく漂うもの悲しさ”が感じとれれば、(モーツァルトを)鑑賞する資格があることを日本有数の「モーツァルト通」のこの私が保証します(笑)。

さらにモーツァルトの音楽は“もの悲しさ”とは別に、より高い健康効果が認められることをご存知だろうか。

                    

この本の一節に次のような記述がある。(155頁~)

「JBL社の社長、ポール・ベンテがJBLの(最高機種の)エベレストD66000を設置したリビングで最初にかけた一枚は何だったのだろうか? と気になったので聞いてみると、すぐに立ち上がって取り出してきた一枚のCDがモーツァルトのヴァイオリン・コンツェルト3番&5番だった。」

なぜ、この曲目だったのかというわけだが、実に興味深い話なので少々長くなるが引用させてもらおう。

「耳鼻咽喉科医のトマティス博士による研究によると、人は生まれたばかりのときは完全な聴力を持っているが、成長する過程でひどく叱られたときの先生の声や嫌な思いをしたときの音、何か衝撃的なことが起こったときの雰囲気や人の声などに対して、耳はひとりでにその周波数をシャットアウトしてしまう習性がある。

いつのまにか知らない間に身体に聴こえていない音(周波数)の部分が出来てしまう。イヤだという思いを耳が体に入れまいとするからである。そのことが自律神経を正しく刺激しなくなり、具合の悪い箇所を呈してしまう。

トマティス博士はこの聴力の障害を回復するために音楽を用いる。そのため、人間の身体に影響を及ぼす音について、地球上のあらゆる音源を研究したのである。

風の音から水の音、各国の民族音楽、ジャズからポップス、バッハやベートーヴェンやワグナーなどを辛抱強く丁寧に試してみたのである。

50年にもわたるその臨床と実験の結果、体に効果のある音は、何とモーツァルトただ一人だけであり、”モーツァルトの音楽でなければならない”という結論であった。(正しくはグレゴリオ聖歌とモーツァルト)」


ただ惜しいことに、この文章には「なぜモーツァルトの音楽なのか」という理由が書かれていない。そこで他の文献から拾ってきたもので補っておこう。

モーツァルトの音楽の特性として次の3点が挙げられている。


 音の高い周波数(3500ヘルツ以上の高音)がよく含まれている

 自然の音と同じ一定のリズムを保ちながら「変化のある音=”ゆらぎ”」に満ち満ちていること

 倍音(音と音とがぶつかり合ってさらに高い周波数になる)と呼ばれる音の特性が交感神経(ストレスなどを喚起する)の働きにブレーキをかけること

この中でも特筆すべきは2の「ゆらぎ」で、これこそモーツァルトの音楽の特徴で交響曲第39番の第四楽章などはその最たるものだろう。

ところで、前述の文中にあるイヤな思いをしたときの音の話だが子供の頃に大人から上から目線でガミガミ叱られた記憶がある人は、大きくなっても上から降ってくる音には拒絶反応を示すそうで、一般的にオーディオシステムにおいても目線(耳線)の上から音が降ってくると何となく居心地が悪くなるのもそういうことを踏まえると判るような気がする。

さて、そのモーツァルトの音楽の中でも顕著に効果があったのが「ヴァイオリン協奏曲の3番と5番」ということだが、
じぶんに言わせればモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1番から5番まで、いずれも似たようなもので別に特定する必要もなく、すべてひっくるめて「ヴァイオリン協奏曲だ」との思いをずっと持っているので特に何番とかにこだわる必要はないと思う。

で、我が家では「一日の始まりはモーツァルト」で、毎朝起き抜けにネット「AIMP」でモーツァルトの専門チャンネルを聴いているが、ハイレゾ(384KHz)だから、音源としては我が家では最高の音楽ソースになる。

現在、丁度セレナーデ「ハフナ― K.250」が流れているが、実に美しい、そして物悲しい。

こういう素晴らしい音楽を耳にすると所詮オーディオなんて「50歩100歩」、「似たり寄ったり」だなあ、なんてことになる。

「もっと(音に)寛容にならなければ」という気が湧いてくるから不思議(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →    


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「完全無欠のオーディオサウンド」ってほんとうにあるのだろうか?

2022年10月26日 | オーディオ談義

前々回の「聴き比べの重要性」からの続きです。

さて、このほど「Kさん」(横浜)さんから届いたメール。要約すると、

「いつも会社であなたのブログの1週間分をまとめ読みしています。このところトライアキシオムを引っ張ってますね。末尾にある ”以下続く” にストレスを感じなくて済むのがまとめ読みのいいところです」

ハハハ・・。

「以下続く」は「期待感を持たせる」と「ストレスを感じる」の「功罪相半ば」といったところでしょうか(笑)。

で、前々回の「以下続く」から3日空いたので復唱すると、エンクロージャーに小さな改造を施したリチャード・アレンのSPユニット(以下、「ゴールデン8」)を試聴したところ、なかなか「いい塩梅」になったが、他のSPとの「聴き比べ」によってもっとその本性に肉薄しようと目論んだ。

その対象となる相手は我が家の中で天敵ともいえるグッドマン勢の「トライアキクシオム」と「AXIOM80」(復刻版)で、いわば三つどもえの「聴き比べ」。

もちろん、定評のあるスピーカーというのはそれぞれに「いいところ」があって他のSPとの優劣を付けようとする気は毛頭ない、というか無意味ですよね。

「個々にとって芸術に優劣はない」というセオリーがここでも適用されます。

ときどきタンノイの口径38cmをこき下ろしているが、けっして憎くて言ってるわけではなくそれなりの良さは認めているうえでの発言ですぞ(笑)。

そこでの話だが、まずゴールデン8とトライアキシオムの聴き比べをしたところ、たったの口径10cmの違いだが駆動するパワーの方は桁違いに必要になるようで、出力1ワット程度の「71Aシングル2号機」では、非力のせいかプアな音が出て話にならなかった。

ちなみに押し出す空気の抵抗感は単純計算だが円の面積は「πR二乗」だから前者は「314平方cm」、後者は「707平方cm」と2倍以上の差になる。

さらに「トライアキシオム」が入った小さな箱の影響で響きが足りないせいもある。

結局、ここは出力が大きめの「WE300Bシングル」か「PP5/400シングル」の出番だろう。



左が「WE300B・・」、右が「PP5/400・・」。

「両雄並び立たず」、いよいよ雌雄を決する時が来たと意気込んではみたものの、なにせ「百鬼夜行」のオーディオの世界だからことはそう単純に運ばない(笑)。

実は両方のアンプともに欲を言えばきりがないがそれぞれに部品の瑕疵があってけっして万全とはいえないのが無念~。

瑕疵の詳述は忌々しくなるので省略(笑)。

とはいえ、そもそもこれまで自宅でも他家でも、そして高級機が一堂に会した「オーディオフェア」でも完全無欠のオーディオ機器に出会ったことがないのも事実である。

言い換えると、これまで「完全無欠のオーディオ・サウンド」に出会ったことがないともいえる。

いずれも何かしら欠点があって、結局100点満点のないのがオーディオの世界かなあ・・。

人生の残り時間も少なくなってきたので、もう半分あきらめているが「それだけに面白さが尽きない!」のも事実(笑)。

で、結局何が言いたいのかといえば、「WE300B」にしろ「PP5/400」にしろ、名管に相応しい構成になっておらず、十分に球の能力を引き出しているとはいえないので簡単に優劣はつけられないというわけ。

我が家のルールではやや鋭敏な感覚が持続する午前中には湿り気のある「PP5/400」を、やや弛緩した午後では開放的な「WE300B」の出番にしている。

なにしろ、在宅中はアンプのスイッチを入れっぱなしだから真空管の負担の軽減にもなる。5時間おきにRCAケーブルとSPケーブルの付け替えをしているわけだが、な~に30秒もあれば済む話。

今回の聴き比べは午後だったので「WE300Bアンプ」を起用した。

ただし、低音域の量感が少々物足りないのでサブ・ウーファー(ウェストミンスター)の出番となった。

というわけで、ぐだぐだと前置きが長くなったが「71Aシングル2号機 + ゴールデン8」と「WE300Bシングル + トライアクショム」との聴き比べとなった。

その結果、音のスピード感と音像のシャープさは流石に小口径20cmの「ゴールデン8」の方が優勢、口径30cmは音の粒子がやや粗くなる感じがする、そして周波数レンジは同軸3ウェイだけに「トライアキシオムム」の方が優勢、最後に決め手となる「色気と品」だがこれは互角かなあ。



音楽ソースとして加藤登紀子さんの「満州里小唄」と「琵琶湖周航の歌」をテスト用にしており、この曲がしんみりと胸に深く沁み入ってくれればまずもって合格にしているが、こういう現実的な「訴求力」となるとわずかに「トライアキシオム」の持つ独特の翳りが優勢になるかなあ・・。

いずれにしても、プロが作ったしっかりとした箱に容れた「口径20cm」は大健闘だった。小さな改造も大いに功を奏した(自分の見立てでは・・)

次に「ゴールデン8」と相対したのが「AXIOM80」だ。

ユニットのツクリ自体はまったく別物だが「口径20cm」と「口径25㎝」の違いがどのくらい出るんだろうか・・。

例によって、「以下、続く」(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを → 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エフゲニー・キーシン」自伝

2022年10月24日 | 音楽談義

「エフゲニー・キーシン」(ロシア:1971年~ )といえば、泣く子も黙るほどの大ピアニストだが、8年前(2014年)の記事「指揮者カラヤンが涙した唯一の演奏家」をご記憶だろうか。

その記事の中で「クラシカ・ジャパン」(CS:クラシック専門放送)
の「カラヤン特集」を視聴して次のように記していた。

「たとえば当時一世を風靡したヤノヴィッツ(ソプラノ、魔笛の王女役)やルートヴィッヒ(メゾソプラノ、大地の歌)など、高齢にもかかわらず元気な姿で登場してきて実に懐かしかったが、とりわけ興味を惹かれたのが番組中程の娘さんの次の言葉だった。

「父の涙を一度だけ見たことがあります。ザルツブルグでキーシンの演奏を聴いた父はとても感動していました。」(曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。指揮「カラヤン」、ピアノ「キーシン」、オーケストラ「ベルリン・フィルハーモニー」)

キーシンは当時のことを番組の中で次のように語っている。

「カラヤンと握手したら小柄な人なのに手はとても大きくみえました。そして体はとても“きゃしゃ”なのに握手は力強いものでした。彼が黒いメガネの奥から刺すような視線で私を見ているのを感じました。演奏の後、彼は無言でした。私が彼と皆の方へ数歩近づくと彼は私に投げキスを、そしてメガネを外し目をハンカチで拭いたのです。」

ところが・・。



このほど本書を読む機会があったのでざっと目を通したところ、どうやら(カラヤンの)娘さんの記憶違いのようで真相は次のとおりだった。(127頁)

「私はその時ショパンの幻想曲を弾いた。弾き終えると静寂が立ち込めた。私は立ち上がり、皆の方を振り向いて数歩進んだ。

突然、カラヤンが私に投げキッスをした。さらに近寄るとカラヤンの顔にサングラスはなかった。巨匠はハンカチで目をぬぐっていた・・。そのときの自分の状態をどんなに努力しても言葉で表すことはできない。

それから、リストの狂詩曲、シチリアーノ(バッハ)、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番フィナーレの冒頭を演奏した。

カラヤン夫人が「連れ添って30年になりますがこれほど感激している夫を見るのははじめてです」と言った。

カラヤンは私の母と握手しながら、私を示して英語で「天才だ」と言った。私にはかってこういう日があった・・。これまでの人生でもっとも忘れがたく貴重だといえる日が・・。

ということでした。

実を言うと本書の中で期待していたのは、キーシンほどのピアニストがなぜいまだに(自分の)大好きなモーツァルトの「ピアノソナタ」全曲録音をしないのか、その理由が明らかにされているかもしれないということだった。

もし、録音してくれれば「グールド」「ピリス」に続いて愛聴盤が出来そうな気配なのだが結局、その点についての言及はなかった。

折角なので、ほかにめぼしい記事を羅列しておこう。

★ 私がピアニストとして評価しているのは「ラドゥ・ルプー」「マレイ・ペライア」「シフ・アンドラーシュ」「クリスティアン・ツィマーマン」だ。バレンボイム演奏によるバッハのゴールドベルク変奏曲の録音にも触れないわけにはいかない。

いつだったか、グレン・グールドが弾くゴールドベルク変奏曲のビデオ録画(グールド最後の録画だ)を見て以来、私は長いこと、今後誰ひとり同じ水準に達することはできまいと確信していた。この作品を弾こうという気さえまったく起こさなかったほどだ。それがバレンボイムの録音を聴いたとき、またしても確信した。

芸術には限界がない、あり得ないのだ、と。(197頁)

★ 好きな作曲家は誰かという質問に、いつも偽りなく「選り好みしないのでひとりどころか2~3人選ぶことさえできない。ただしバッハはほかのすべての作曲家とは別格だ」と答えてきた。

とはいえ、あるとき作曲家の作品について好きな楽曲数と私が曲に対して感じる親密さの度合いを基準にして自分が好きな5人を仮に判定してみた。

結果は「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームスだった。(211頁)

以上のとおりだが、やはり幾多の作曲家の中で「バッハ」は別格扱いみたいですね~。

「バッハ」が好きな方に妬み心が起きそう(笑)。




この内容に共感された方は励ましのクリックを →    


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴き比べの重要性

2022年10月23日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

これまでどうしても我が家のレギュラーになれなかった「リチャードアレン」(英国)の「ニューゴールデン8」(口径20cm:同軸2ウェイ、以下「ゴールデン8」)。

出番はせいぜい半年に一度くらいだからほとんど無くてもいいような存在に過ぎなかった。



しかし気候もぐんぐん良くなり、体調も良好だし、このままじゃいかんとヤル気が出てきて前々回で述べたようにエンクロージャー内部にほんの小さな改造(定在波防止のための卵トレイの貼り付け、吸音材の撤去)を施した。



そして、DACを「エルガー プラス」、パワーアンプを「71Aシングル2号機」で鳴らしたところ、従来と比べて「音の抜け」が格段に良くなっているのに驚いた!





これほど功を奏するとは・・、いつものことだがやはりスピーカー周りの作業は奥が深いというか、音の変化が著しい。

それに、イギリス製のSPだけあって音に気品があり、非の打ち所がない感じで、バランス的には我が家では一番ではなかろうかと唸るほど。

家庭で音楽を聴くのなら、もうこれ以上望んでも罰が当たりそうな気がするが、とはいえ「いいぞ、いいぞ」ばかりの「独りよがり」では読者から共感が得られないことも十分わかっているつもり(笑)。

そもそも人間の耳は許容範囲が広くて、極めて「ひどい音」を除いてどんな音でも「初見(初聴?)」では「なかなかいいじゃないか」と受け入れる素地があるように思っている。

そこで必要になるのが機器同士の「聴き比べ」で、それによってお互いの長所と短所が大なり小なり浮かび上がってくることをこれまで何度も何度も経験している。

そこで、今回のケースでは我が家の中で天敵ともいえる(笑)グッドマン勢の「トライアクショム」と「AXIOM80」(復刻版)との聴き比べをやってみた。

さあ、いったいどこがどう違うのか・・。

後ろ髪を引かれる思いで「ゴールデン8」をSPスタンドから降ろして、まず「トライアクショム」との直接対決に移った。



すると、悲しいかな口径20cmと30cmの違いが如実に出た。

はたして「いい方向」に変わったのか、それとも・・・。

以下、続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →    



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リサイクル図書の持ち帰り

2022年10月22日 | 独り言

「その地域の文化の程度を象徴する」(作家:吉村 昭氏)とまで言われている図書館の充実度。

地元の悪口を言いたくはないけれど、我が別府市の図書館のお粗末さといったらこの上ない。おそらく人口10万人以上の都市の中では最低だろう。

小さなビルの一角の仮住まい、来館者用の専用駐車場もない。したがって、本を借りる時はいつも路上駐車で、「駐車違反」を避けるために新刊を物色すると慌ただしく戻る始末。

その貧しさの背景には、観光地なので飲食業をはじめとしたサービス業が盛んで忙しいせいか読書習慣が無い市民が多い、政治家が「図書館新設」を訴えても得票に繋がらないので政治的動きも低調という堂々巡りがある。

もう、どうしようもないと諦めていたところ、さすがに恥ずかしくなったのか「図書館新設」の計画が発表された。どうやらあと2~3年後にはできるらしい。 遅すぎるっ!!

となると、移転のときに身軽にするためか古くなった図書(リサイクル図書)が、(図書館に)行くたびに入口のところで展示されている。

タダほど好きなものはないので(笑)、いつもめぼしい本があれば持ち帰っている。

エッセイ、ミステリーなどが中心だが、溜まる一方でもう20冊ぐらいなる。

そのうち音楽関係の本は次のとおり。



とはいえ、借りてきた本の方の消化に忙しく、そしていつでも読めると思ってまだ目を通していないのが残念。

もし興味のある方や、「丁度この本を探していたんだ」という方はご連絡ください。急ぎ一読した上で差し上げます。もちろんタダ(送料別)ですよ~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →    


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手軽に味わえる「スリルとサスペンス」

2022年10月21日 | オーディオ談義

前々回の「シュトゥルム・・」からの続きです。

久しぶりに新装なったリチャードアレン(以下「リチャード」)のSPユニット(口径20cm)の登場。



我が家にはスピーカーが7系統あって「より取り見取り」だが、日頃から出来るだけ選択肢を広げておくことは全般的な質的向上に繋がるので悪くはあるまい。

本妻が定まらないのが「玉に瑕」だが(笑)。

このSPでは内部に厚い紙製の「卵トレイ」を張り付けるとともに、箱が小さめなのでついでに「吸音材」(羽毛)も取っ払って新たな出直しとなった。

こういう独自の手直しを施してから音出しをする時のハラハラ・ワクワク感は何ものにも代えがたいですね。

日常の中で手軽に「スリルとサスペンス」が味わえるのでオーディオは「ボケ防止」に大いに役に立ちそう(笑)。

で、ポイントとなるアンプ選びだが口径20cmのユニットだから「鶏肉を割くのに牛刀を以ってする」のはセンスが悪いので避けたいところ。

つまり、出力がせいぜい1~2ワットクラスの「小出力アンプ」の出番だ。



で、最初は「71Aシングル1号機」(SRPP回路)で鳴らしてみたところ、惜しいことに元気が良すぎて「あっけらかん」というか、何もかも青天白日のもとにさらす趣があって、クラシックに必要な「ある種の翳りと落ち着き」がちょっと物足りない。

次に登場させたのが同じ「71Aシングル」でも回路が違っていて、ややパワー感がおとなしめの「2号機」を使ってみた。



前段管(画像左端)は名管「AC/HL」(英国マツダ)である。

ついでに、DACの方もアンプの非力を補う意味で音量が比較的豊かな「エルガー プラス」(dCS:英国)に代えてみた。



このDACは夏の時期に使うと天板がメチャ熱くなるので内部のコンデンサーなどの保護の観点から7月から9月までは使わないようにしているが、このところ室温が25度以下に落ち着いてきたのでようやく出番となった。

上に載せているのは放熱用の「ヒートシンク」(5個)。

発売されてからもう20年以上は経つのでデジタル機器としては「旧石器時代の遺物」だが発売当時の定価が「250万円」だけあって、いまだに我が家の3台のDACの中では情報量と質感において他の追随を許さない。

そして、ワクワクしながら耳を澄ました途端に「いやあ、これは・・」と、思わず絶句した。

以下、続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 
 
 
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美的感性を磨くための「音楽&オーディオ」

2022年10月20日 | 独り言

このところ急激な円安が物価を直撃し、続々と値上げが続いている。

高齢者は生活スタイルを縮小すればいいが、活動的な若い人たちはそういうわけにもいかないだろうからたいへんそう。

そこで「物価の番人」とされる日銀への風当たりが強くなっており、つい先日の政府の「予算委員会」では、黒田総裁が野党から「もう辞めろ!」と言わんばかりの厳しい追及を受けていた。

円安の原因はアメリカの金利政策が主因だし、「あちら立てればこちら立たず」で、短期的な特効薬となる政策が無さそうなのでお気の毒~。

2期10年の任期も残りは僅か(来春)なので今は我慢して耐え凌ぐしかない。

さて、この「黒田総裁」の「とてつもない秀才」ぶりについて10年前のブログで次のようなことを記していたが、ご記憶だろうか。

当時の)「文芸春秋5月号」にこのたび日銀総裁に就任されて一躍「時の人」となられた黒田東彦(くろだ はるひこ)氏の人物紹介があった。(188~195頁)

                         

ざっと抜き書きしてみると、

 東京教育大学(現・筑場大学)付属駒場中学校時代から、読書好きで図書館の数学や物理学の本をほとんど読み尽くした。理系を志したが高校生の最後になってマックスウェルの電磁方程式が分からなくなり土壇場で東大法学部へ志望を変更してストレートで合格。

 法学部時代は「法哲学」に興味を抱き熱心に勉強したおかげで、「大学に残って教授になって欲しい」と懇願されたが、裁判官になるつもりで4年のときに司法試験に合格。しかし、母親から「お前に人を裁くことが出来るのか」と真剣に尋ねられ、公務員になる道を選んだ。(この母にしてこの子あり!)

 国家公務員試験を2番で合格して大蔵省(現・財務省)へ入省し、エリートコースとされる官房秘書課へ配属。

 ところが、順風満帆の黒田氏だが、上司からいつしか「あいつはキツイ」と疎まれるようになる。「優秀なのは分かるが、頑固で清濁併せ飲むことが出来ない」という意味らしい。これが後に財務省の本流とされる「主計コース」を歩めなかった理由のひとつのようだ。

(どんなに優秀であろうと上役から疎んじられると出世が難しいのは世の習いかな)


 最後に、財務省で「次官」に次ぐポストとされる「財務官」を経て「アジア開発銀行総裁」へ。

世に秀才は多いけれど、こういう飛びっきりの秀才が練りに練った政策なら、間違いが無いような気がしてくるから不思議(笑)。

とはいえ、鈍才の僻み(ひがみ)かもしれないが、こういう人物はつい“あらさがし”をしたくなるものである。


そういえばかって代議士として、さらには東京都知事だった「枡添要一」さんや「鳩山邦夫」(故人)さんは東大法学部時代に成績がオール優で二人で1~2番を争っていたというのに、今のような“体たらく”だから学校の成績はあまり当てにならない。

東大出身者が必ずしも実社会で役に立つわけではない事例があることに気付いておられる方も多いことだろう。


それに黒田さんは絵画とか音楽鑑賞とかの芸術分野についての素養はどうなってるんだろう?

こういう点については本書ではまったく触れてなかった。何せ飛行機による移動中も機内で法哲学書を原書で読み耽るような人物なのでちょっと無理かな。


「知性と感性」の両立はなかなか難しそうに思うが、そういえば以前、モーツァルト関係の専門誌を読んでいたら一番好きな曲目のアンケートがあって、いわば知性の頂点ともいえる、東大教授の方がピアノ協奏曲を挙げられていた。

たしかにピアノ協奏曲は美しいことは認めるが、何も一番に上げなくてもねえ。
ピアノ・ソナタならともかく、少なくとも精神的に尾を引く音楽ではない。むしろモーツァルトを聴き込めば聴き込むほど、ピアノ協奏曲はちょっと敬遠したくなる類の音楽だ。

不遜な言い方になるが「この人は惜しいことにモーツァルトの楽しみ方を知らないな」と思った。


くどいようだがモーツァルトの真骨頂はオペラにある。役者の台詞が終わって、一瞬の静寂が支配する中、雰囲気にピッタリの音楽がさりげなくスッと入ってくるあの絶妙の間合いのリズム感とでも言えばいいのだろうか、その辺に彼の音楽の究極の美がある。

とまあ、つい上から目線の物言いになったがそういうわけでどんな秀才にも完璧は無さそうだ。

音楽とオーディオに熱心に勤しむのも「美的感性」を磨いていることにほかならないが、「鈍才」はせめてその辺に活路を見い出さないと立つ瀬がないのも事実なんですよねえ~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 
 
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シュトゥルム・ウント・ドラング」のオーディオ

2022年10月19日 | オーディオ談義

「シュトゥルム・ウント・ドラング」(独: Sturm und Drang)という言葉をご存知だろうか。

18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動だそうで「疾風怒濤」とも訳されている。

このところ我が家では「疾風怒濤」の嵐が吹きまくっている。とはいっても、いつものオーディオの話でことさら煽っている感じが無いといったらウソになるかな~(笑)。

さて、前々回の「オカルト・オーディオの展開」で述べた「小さなバッフル」の優位性がずっと頭の中で尾を引いている。

そういえば我が家で一番小さなバッフルのスピーカー「PL-100」(英国:モニターオーディオ)があったよなあ~と、つい連想が飛んだ


このところ「グッドマン勢」から押されっぱなしで影が薄いが、今でもしぶとく生き残っていますぞ~(笑)。

丁度1年前(2021年)の忘れもしない10月13日「運転免許証の認知症テスト」を受けた日に到着したスピーカーである。

ど~れ、久しぶりに聴いてみよっかと引っ張り出した。

現代の「技術の粋」が注ぎ込まれたSPで、小ぶりだけど見かけによらず、定価ともなると50万円ほどもする代物である。



従来通りのままでは面白くないので、「バイワイヤリング」方式で鳴らしてみた。

SPの裏側にある「低音域と高音域」を繋ぐ接続金具を外しさえすればいいので簡単。

クロスオーヴァーは2800ヘルツ、能率が「88db」と、かなり低いのでそもそもは高出力の「TRアンプ」で鳴らすのを想定しているのだろうが、我が家ではTRアンプはすべて放逐している。

そこで、無理を承知で比較的パワー感に不安を覚える「真空管アンプ」で鳴らしてみた。

「低音域」に「WE300Bシングル」を、2800ヘルツ以上の高音域(リボン型)に「71Aシングル」をあてがった。

すると、こんな小さなSPからこんなに豊かな低音が出るなんてと驚くほどで、高音域もさすがに「リボン型」だけあってまことに自然で瑞々しい。

やはりこれは「バイワイヤリング」方式で鳴らす方が潜在能力を引き出せるようだ。

改めて当世向きのSPだとの思いを深くしたが、図体が小さいなりのメリットが存分に発揮されていて、音像はシャープだし音の粒子も細かいし音響空間がとても広く感じられる。家庭で音楽を聴くのならこれで十分、かな。

やっぱりこのSPは絶対に手放さないぞ~と、決意を新たにしながら聴くこと半日あまり、次第に欲が出てきて次は「リチャードアレン」のSPにしてみようか・・。

小型のSPは簡単に持ち上げたり降ろしたりできるので交換が楽しくなる。

これも従来のまま鳴らすのは面白くないので一工夫してみた。ユニットを表側から外して、SP内部に厚い紙製の卵トレイを2枚張り付けてみた。



「定在波」を防止してコーン紙が少しでも気持ちよく前後運動をしやすくなるようにとの配慮からである。

とはいえ、素人考えなので吉と出るか、凶と出るか、やってみなくちゃ分からんところがあるのはいつものとおり(笑)。

20分ほどで作業が終了して結線完了~。



さて、肝心のアンプはどれにしようか、血沸き肉躍りながら選択したのは・・。

以下、続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 
 



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書コーナー~明るい禅~

2022年10月18日 | 読書コーナー

玄侑宗久(げんゆう そうきゅう:僧侶、芥川賞受賞作家)氏の「サンショウウオの明るい禅」(海竜社刊)を読んでいたら、「深追いしない」という項目立てがあった。


                 
その趣旨は、「"深追いしない"
ということは、諦めるということではなくて、事をなすには最も適した時があるので、大人はその時をあわてず待つ」というものだった。

仏教的にいえば
「判断停止」ということだそうだ。

しかし、これは言うは易いが実行はなかなか難しい。

たとえば自分の場合だと20~30代にかけてそれはもう、欲しくて欲しくてたまらないオーディオ機器があったが、残念なことに安月給の身でおいそれと簡単に手に入る代物ではない。


こういうときにあっさり「判断停止」ができると良かったのだが、それもかなわず結局、手の届く範囲の中途半端な機器で間に合わせてしまい、以後、クセになって入れ替わり立ち代り2~3年おきの購入と下取りの連続となってしまった。

それはそれで結構楽しかったが、今になって振り返ってみると随分と無駄に近い投資の繰り返しだったと思う。

どうせ50歩100歩だし、似たり寄ったりの結果なのであのときのお金を貯めて後年、ドカ~ンと一気に投資すればたいへん効率的だったのにと、思う。まあ、結果論だが。

それはともかく、「深追い」という言葉はいろんなイメージを膨らませてくれる。一般的な意味としては「未練を断ち切れずにどこまでも追いかける」と解していいだろう。

広辞苑では「深く追求すること」とあり、わざわざ括弧書きで、多く、度を過ごしてするときにいうとある。「深追いは危険だ」
ということわざも添えてある。

深追いする対象もいろいろありそうだ。良い方のイメージとしてはいろんな技術開発はまずもって研究者が深追いしたことによる成果だろうし、文明の発展は「深追い」を抜きにしては語れない。

ところが、人間を深追いした場合はどうだろうか。「深追いは危険」の適用はこのことかもしれない。

たとえば、情と名がつく義理人情、愛情、友情、親愛の情、広義の意味で信用もこれに入るかもしれない。いずれも人の心が絡んでいる。

ある脳科学者によると世の中で「人の心を読む」ほど難しいものはないそうだ。何しろ流動的で不安定だし、本人自身ですらおぼつかないんだから~。

で、これらの「情」を深追いする場合の一番の特徴は、まず採算が度外視される、つまりお金が尺度にならないことだろう。「人の心はお金で買えない」とあるように理屈や理性抜きの世界。

よくニュースなどで男女間の別れ話のもつれから、ストーカー行為とか刃傷沙汰など数え切れないほど報道されているのがその証明。まさに「愛と憎しみは紙一重」。

大半が女性の方が被害者である。ということは男性の方が深追いしがちな傾向にあるのだろうか。良い、悪いは別にして情熱の持続性や冒険心がより強いのかもしれない。

そういえば「女心(おんなごころ)と秋〔飽き〕の空」という言葉もある。

とにかく情に対する深追いは要注意だが、リアルな裸の人間味も垣間見えてこの世から一掃されるのも何だか味気がない。

本書の中に
「熱願冷諦」という言葉があり、その意は、求めるときはひたむきに求めてやまないが、どうしても許されぬとさとると「そうかい、それならそれでよろしい」ときっぱり思い切ることだそうだ。

なかなかの境地でこれだと世の中、万事波乱なくうまく回りそうだが、いさぎよく諦めるのはいいとしても、そもそも加齢とともに「ひたむきに求める」ものが随分と少なくなってきているのも事実で何だか淋しい。

というわけで、せめて日常的にハラハラ、ワクワク感を失わないように工夫しなくちゃねえ。

その点「ブログ」の反響となると「良かったり悪かったり」で、ばらつきがあってとてもいい刺激になってますよ(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オカルト・オーディオ」の展開

2022年10月17日 | オーディオ談義

「オカルト」という言葉を聞いてどういうイメージを持たれるだろうか。

「広辞苑」によると「神秘的なこと。超自然的なさま。」とある。

日本では、原則や理論を無視した「バカげた」現象・行動という捉え方となり、どちらかといえば揶揄される意味合いで使われている気がする。

それを承知の上で、我が家では「オカルト・オーディオ」を展開している。

とまあ、意気込んでいるわけでもないが、オーディオは「物理学+脳(感性)」の世界だから、感性の分野でオカルト的な要素が入ってきてもさして不思議ではなかろうというわけ。

ほら「イワシの頭(かしら)も信心から」という言葉があるでしょう(笑)。

で、その「オカルト」的な具体例を述べてみよう。

つい先日の仲間との試聴会で「SPユニットが付いているバッフルはできるだけ小さい方がいいようですね、振動と乱反射の面で効果があるみたい」と交わした何気ない雑談が淡い記憶になって残っていた。

たとえば、低音域をホーン型で鳴らしているお宅をちょくちょく見かけるが、その類だろうし、そういえば我が家のウェストミンスターだって低音域がホーンタイプになっている。

で、このところハイライトになっている「トライアクショム」についてだがバッフルの振動は食い止めようがないが、乱反射を防ぐ術(すべ)はないものか・・。

というわけで、厚めの紙でできた「卵トレイ」を適当に加工して、バッフルのユニットの両側に張り付けてみた。

もちろん徒労に終わってもいい気持ち、なにしろオーディオは「トライ&エラー」の繰り返しで進展していくんだから~(笑)。

物はついでとツィーターにも同じことを。

「百聞は一見に如かず」なので次のとおり。



児戯にも等しい、オカルト的な対策かもしれないが、実は意外と効果がありましたよ~(笑)。

もちろん「お前にはバイアスがかかっている」と謗られても仕方がないが、効果としては中高音域のうるささが減少してアンプのボリュームがこだわりなく挙げられることにある。

すると、あら不思議、箱の上に載せているツィーターとの干渉が目立ってきて「もう要らないのじゃない・・」と意外な方向へ。

オーディオは「足し算」よりもむしろ「引き算」の世界の方が正しいと思っているので、ツィーターにしても「無しで済めば」それに越したことはない。

その昔、交流のあった仲間が「ツィーターが欲しくなる時は、それはレンジの不足よりも中高音域の透明感が不足していることの方が多い」と言ってたことをふと思い出した。



で、いさぎよく「ツィーター」を外して「トライアクショム」の高音域用のボリュームを最低値からいきなり7分目ぐらいにあげてみた。

駆動するアンプも大いに関係してくるので、透明感の再現性において我が家ではトップクラスの「300Bシングル」アンプの起用となった。

「71A系アンプ」もいいのだが、小さめの箱に容れた口径30cmのユニットを駆動するとなるとちょっとパワー不足を感じるのが残念。



音楽ソースによっては手放しで絶賛というわけにもいかないが、まとまりとか音像定位からいくと、これで十分かな~。

絶好の秋日和のもとヤル気満々でオカルト的試行錯誤が延々と続いていくが、ブログのネタに困らない利点もあるので、まいっか~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを → 
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書の秋に相応しい3冊

2022年10月16日 | 読書コーナー

「秋」は何もかもが快適の一言に尽きますねえ。

読書の方も進みます。

最近読んだ中から印象に残ったものを取り上げてみよう。

まずは「モーツァルト考」から。


                              

著者の「池内 紀」さんは以前、東大の文学部教授をされていた方。たしかドイツ文学専攻だったと思うが「ほう、この人がモーツァルト論を」と意外な感じがしたので、ざっと目を通してみたがさして目新しいことが書かれてなかった。

「モーツァルト」(1756~1791)については、これまで国内外を問わず散々書き尽された感があり、よほどの斬新な視点から書かないと読者の印象に残りそうもない。

さらに
根っからのモーツァルト・ファンなら人並み外れた熱情が行間から”ほとばしる”はずだがそれもなかった。ないない尽くしですね、この本は(笑)。

まず、モーツァルトは他人行儀に表面だけをさらっと撫でて済むようなタイプの作曲家ではない。単純そうに見えて実は極めて人間観察に優れた目を持つ複雑な人間である。

オペラ「ドン・ジョバンニ」を聴き込めばその辺がよくわかる。(ちなみに、このオペラは言葉と音楽が見事に一体化している意味では究極の作品である。)


取り分け、物足りなかったのは「第5章オペラの魅惑」のところで「魔笛」が入ってなかったこと。

これは以前読んだ吉田秀和さん(音楽評論家)の著書「モーツァルを聴く」でもそうだった。他のいろんなオペラが採りあげられているのに「魔笛」だけは奇妙なことに外されている。これは明らかに不自然。

モーツァルトが35歳で亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」はいわば彼の生涯にわたって作曲された600曲以上にもわたる作品の中でも集大成の位置づけを持つ。

最晩年に到達したこの独特の「透明な世界」に魅せられるかどうかが、ほんとうのモーツァルト好きかどうかを占う試金石である。

自分はモーツァルト関係の著作を読むたびに常にこの法則(?)を当てはめているし、巷のモーツァルト・ファンと称する方々にも”ひそか”にこれを適用している。

これは知性の問題ではなくて感性の世界だからひときわ厄介な話。


「”魔笛”を好きにならずして、モーツァルトを語ることなかれ」とは、まことに自分勝手な言い様だが”どなた”か支持してくれる人はいないかな~(笑)。

次は「私の好きなクラシックレコードベスト3」 

                  

編者も含めて各界の著名人89名が上げたベスト3を網羅した内容。たしか以前にも読んだと思うが、もう忘れてしまったので再読。

うち、仏文学者の「古屋健三」氏の文言に興味を引かれた。以下、引用。

「透明で美しい文章を書く作家は音楽好きで、耳がいいのだと長いこと僕は信じていた。小林秀雄、大岡昇平、阿部昭、彼らの文章はいかにも音楽好きらしく読者の感性をふるわせる独特の響きをおびている」

「五味康祐(芥川賞受賞)さんを忘れてはいませんか!」と、言いたいところだが視覚的な作家(夏目漱石、中村光夫)と聴覚的な作家
との区分に新鮮なイメージを覚えた。

本題に戻って、ベスト3にバッハの曲を挙げている方がやたらと目立つが、この古屋氏と石堂淑郎氏(脚本家)、粟津則雄氏(評論家)たちのベスト1がバッハの「マタイ受難曲」。

あとは斉藤慎爾氏(俳人)が「フーガの技法」(バッハ)を挙げていた。演奏者はタチアナ・ニコラーエワ女史(ロシア:ピアニスト)。

                       

「冬の夜長、炉辺で子供たちに昔話を語る祖母の質朴な響きがある、この1枚だけで演奏史上に残る」とのことで、こういう喩えは普段着の生活の中で身近に音楽を愛している人だけに許された絶妙の形容でしょう。

あの太った”おばちゃん”ニコラーエワ女史〔故人)については手持ちの「ゴールドベルク変奏曲」で十分に思い当たる節がある。

バッハは苦手中の苦手だが一丁「フーガの技法」に挑戦してみっかと、このほどコープマン盤を購入してみたがピアノと違ってチェンバロではどうもスッキリ感が湧いてこない・・。

最後に「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」。

                         

「ジョン・ウェインをはじめとしてゲーリー・クーパーなど相次ぐ西部劇の大スターが次々に癌で死んでいったのはなぜか」というテーマ。

すでに有名な話なのでご存知の方が多いことだろう。

長期にわたって西部劇のロケが行われる場所とは熱砂吹き荒ぶ砂漠である。ネバダ州をはじめ、その風下に当たるユタ、アリゾナの各州がメイン。

そしてネバダ州で
「大気中の核実験」
行われたのが1951年から1958年にかけての97回(公表されたもの)。

これから導き出される回答はただひと
「放射能汚染に起因する癌の発病」が原因だった。

一例として1954年にユタ州で長期ロケによって撮影が行われた西部劇「征服者」の関係者が後年、これでもかというように次々に癌(主に肺癌)に見舞われる悲劇が延々と綴られる。

主役のジョン・ウェイン、スーザン・ヘイワード、監督のディック・パウエルそして脇役たちが続々と・・・。

当時、原爆実験による放射能汚染については専門の科学者たちによって「人体にほとんど影響なし」とされていたのだが10年後ぐらいからの相次ぐ発病に対して何ら打つ手がなかった。潜伏期間が長いのが逆に後手となってしまうのだ。

「信じていた国家によって裏切られた」と被害者たちの家族の嘆きが何とも悲しくて切ない。

そういえば、コロナワクチンだって4回も打てば後遺症は大丈夫だろうかと思うが、10年以上の単位でみれば、その頃はもう肉体の方が先に朽ち果てているはずなので、ま、いっか~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオサウンドの最後の決め手は「品」にあり

2022年10月15日 | オーディオ談義

前々回の「辛口が楽しみな試聴会」からの続きです。

新装なった「トライアクショム」について辛口のオーディオ仲間の「Y」さんがどういう感想を洩らされるか、興味津々・・。

ちなみに、オーディオのみならず人生全般について言えることだが「衝突・対立」をなるべく避けるか、あるいは「ウェルカム」か、その姿勢次第で人生の質が大きく違ってくるように思う。

もちろん、残念なことに自分は前者である。何しろ「薄志弱行の徒」なんだから~(笑)。

初めにバッハの「ヴァイオリン・ソナタ」を聴いていただいたが、「とてもいいですねえ、ずっと以前に聴かせていただいた時と全くの様変わりです。どこをどう変えたんですか?」と、珍しいことに「のっけ」から好評。

「あれあれっ!」と、意外な展開に驚きつつ、したり顔に「実はバッフルの下部を・・」と説明(笑)。

「とにかく低音や高音がどうのこうのというのじゃなくて、音に品があります。やはりこれはイギリスのゼントルマンが聴くのに相応しい音ですよ」。

「そうですね、オーディオ・サウンドの最後の決め手は「品」の有無になりますね~」と同感の意を示した。

この辺はイギリスのスピーカーの独壇場だろう。

実は「人間」だって最終的には「人品卑しからぬ」雰囲気の有無に落ち着くんだが、あまり言及すると「やぶ蛇」になりそうなのでこの辺でストップ(笑)。

と、ここで「貴方が日頃から大好きと仰るAXIOM80と比べるとどうなんでしょう?」という質問をしてみた。

というわけで、「トライアクショム」を「AXIOM80」(復刻版)に入れ替えて試聴したところ、「どちらとも甲乙つけ難しです。ただ、AXIOM80は聴くのに少々緊張感を強いてきますね。

長時間ゆったりした気持ちで聴くのにはトライアクショムの方がいいと思います。とりわけユニットの中心にある小型のホーンがいい働きをしていますね。音の浸透力がかなり違いますよ」



ということで、ほんの小さなホーン効果にも言及される耳の良さに改めて感心しつつ、総合的な軍配は「トライアクショム」へ。

ただし、大き目の箱に容れた「オリジナル」の方の「AXIOM80」との比較は次回ということで~。

一段落したところで、「ツィーターのテストに付き合ってくれませんか」と持ち掛けた。

「スーパー3は弦楽器は満点ですが、管楽器の輝きがもっと欲しい気もしますので、075と175に入れ替えてみましょう。」



で、その結果だが、175はツィーターには不向きで早々に脱落。やはりこのドライバーは1000ヘルツあたりから使ってこそ値打ちがある。

次に075はジャズには最適だがクラシックとなると少々自己主張が強すぎる。コンデンサーをマイカ・コンデンサーに代えてクロスオーヴァーを1万5千ヘルツ以上にすると面白そうだが、この日は時間切れ~。

結局「スーパー3がベストだと思います、これは素晴らしいツィーターですね!」とYさん。

しげしげと観察されたが「あれっ、マグネットが赤帯になってますよ」



「はい、赤帯マグネット付きのスピーカーで駄作に出会ったことはこれまで一度もありませんよ」

以上、幸か不幸か期待していた(?)対立軸はないまま今回の試聴会は終わり~。

余談になるが、帰り際にYさんから「やっと新車が来ました。販売店から直接乗って来ました」

「え~っ、何というクルマですか?」「日産のサクラです。電気自動車です。航続距離は180Kmで夜間割引で充電すると1回あたり200円だそうです」


 「ほう、ガソリン代がタダというのはいいですねえ。いったいいくらぐらいするもんですか?」「220万円ぐらいでしたかね。ただしそのうち50万円ほど補助が出ますよ」「え~っ、それはそれは・・。」

近隣の図書館や買い物に出かける程度なら、こういう車で十分。

軽自動車に近いお値段で「電気自動車」が買えるんだから、車にも確実に時代の波が押し寄せてきているようですね。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする