「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

まだまだ成仏するわけにはいかない

2020年09月30日 | オーディオ談義

ひとくちにオーディオ愛好家といっても多種多様な個性の持ち主ばかりなので「傾向と対策」並みに分類するのはたいへん難しいし、おこがましい気もするが、一番音質に多大の影響を与えるスピーカーで分類するとどうも大きく二つに括られるような感じがしてならない。

つまり「フルレンジ派 VS 多ウェイ派」、言い換えるとSPユニットをたったの1個で済ますか、2個以上を組みわせるかとなるし、さらに重ねて言えば「ハーモニー重視派 VS (周波数)レンジ重視派」ともいえる。

もちろん、どちらが正しいとか悪いとかいうことではなくて各人の好みの問題になるので論議しても仕方のない話だが、それだと終わりになってブログのネタにならないので続行するとしよう(笑)。

そういうわけで、意識する、しないに関わらず、結果的にそれぞれのシステムが「ハーモニーを優先しているか」、それとも「周波数レンジを優先しているか」、どちらかに区分できそうなのだ。


もちろんハーモニーも周波数レンジも両者兼ね備えたシステムがあれば万事解決だが、残念なことにそういうシステムはまだ聴いたことがないし、ありそうにもない。どうしてもどちらかに偏ってしまう。

現実的にはその辺を解決しようと同軸型ユニットがあることはあるのだが、やはり中途半端の感が否めようもない。


すると、どうしようもない悲劇が起こる。

フルレンジ派は3ウェイ派に対して「そもそも3つのユニットはそれぞれマグネットが違うし音色も違う。それらを混ぜ合わせて鳴らすなんてハーモニーがおかしくなるのは必定で不自然だ」と非難し、その一方、3ウェイ派はフルレンジ派にたいして「レンジが狭くて聴く気になれない」と反論する。

日本の津々浦々の各家庭の試聴会で大なり小なりこの種の堂々巡りが続いている。

そして、この論争は「クラシック好き」と「ジャズ好き」との相剋とも関係してくる。音楽的にみて前者はハーモニーに、後者はレンジに重点を置いていることは明らかだから。


そこで、肝心の自分はといえば「正体不明のご都合主義」(笑)なので、4系統のシステムを振り分けて、「3ウェイ」が一つ、「2ウェイ」が二つ、「フルレンジ」が一つと多様な構えをとっている。

つまり、いまだに「ふらふら」しているので「お前は永遠にストレイ・シープだ」と謗られても仕方がない状態。


以下、それぞれの利点について個人的に思うところを述べてみよう。ただし、真に受けられても困りますけどね(笑)。

☆ 周波数レンジを追いかけてもキリがない

周波数レンジが広がると確かに魅力的なのは間違いないが、一方では何だか音楽が「薄味」になるような気もする。

とはいえ、もはや広いレンジですっかり耳が慣らされているので狭い帯域を受け付けないだろうとは思うが「音の密度」に満足感を覚えるようになればしめたものだと思う。

そもそも人間の可聴帯域は周知のとおり「20~2万ヘルツ」だが、このところ歳を取って高音域の聴取能力が確実に落ちたせいもあって、現在せいぜい1万ヘルツ前後が聴き取れれば上出来だろう。

したがって高音域へのレンジ拡大はコスパから見て「?」ではなかろうかとの考えがときどき頭をよぎる。

そういう点では心情的に「フルレンジ」派に与したくなる。


☆ ボーカルを聴くときは「点音源」に限る

音楽を聴くうえで「ボーカル」というジャンルは欠かせない。そもそも大好きなオペラがそうだし、ポピュラーにしろジャズにしろ「女声ボーカル」は音楽の宝庫みたいな存在だが、あれや、これやいっても「ボーカル」はフルレンジの「点音源」が合っている。

そもそも人間の口は一つなのだから、当たり前である。これが3ウェイでボーカルを聴くと3つのユニットから別々に音が出てくるのでよほどうまく調整しないと不自然になる。たとえて言えば、顔をスピーカーのバッフルにたとえると、口からだけではなくて、鼻と目からも音が出てくる感じ。

それに3ウェイで聴くときは下手をすると歌手の口元がカバのように大きくなったり、ステージで足のない幽霊が唄っている印象を受けるときがある。

 スケール感、強力なアタック感が欲しいときは3ウェイに尽きる

とはいえ、ファンダメンタルな響きが不可欠なオーケストラを聴くときはやはり3ウェイに尽きる。こういう音楽は300ヘルツ以下の情報量でだいたい決まる。

またジャズを聴くときは、ベースとシンバルがうまく鳴ってくれないと興醒めになるのでウーファーとツィーターが必須となり、ここぞとばかり3ウェイの出番となる。

とまあ、ざっと以上のような理由で「決めきれない」わけだが、先日東京在住の仲間と話す機会があり「一番音がいいユニットはタンノイのモニター・シルバー(同軸)の口径30cmだと思いますよ」とのことだった。

この方はご自宅(福岡)で、タンノイ・コーナーヨークに「モニター・シルバー」(口径38cm)を容れて鳴らされているのだが、それでも口径30㎝の優位性を主張されておられるのだから「身びいき」のない良識派として尊敬に値します。

なお、口径38㎝のユニットはよほどのユニットでもない限りボリュームを絞ったときにまことにプアな響きになるので我が家では選択外に置いている。

それはともかく、生きているうちにぜひ、きちんとした箱に入った「モニター・シルバー」(同軸:口径30cm)を聴いてみたいものだ。

それに、「オールホーンシステム」(自作)の「T」さん(東海地方)の3ウェイもぜひ聴いてみたい。

さらにまた、重量80kgに及ぶ自作のバックロードホーンの箱に入った「AXIOM80」(四国)を聴かせていただくと、次元の違うオーディオ観になるやもしれず、まだまだ(身体的にもオーディオ的にも)成仏するわけにはいかないねえ(笑)。



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筋書きの無いドラマは面白い

2020年09月29日 | 独り言

コロナ禍のもとで開幕が危ぶまれたプロ野球だが、どうやら無事乗り越えておよそ3か月が経った。

当初は無観客試合に始まり、このほどようやく5千人程度の観客も許容されてメデタシ、メデタシ。

やはり野球は国民生活に深く根を下ろし、世の中に活気をもたらしてくれるし、それに筋書きの無いドラマだから面白い

今年は変則日程なので現時点で2/3が終了したそうだが、セリーグは巨人が着々と独走態勢を固めて早くも決まり~。

昨年の日本シリーズでソフトバンクから4連敗と(巨人の)惨めな姿がまだ記憶に新しいが、はたして今年はどうなんだろう。

つい最近のネット誌上で巨人OBで往年の名監督だった「広岡達郎」さんが原監督を評して「ソフトバンクに4連敗するような監督は名監督ではない」という辛辣な言葉が躍っていたがはたして。

相手となるパリーグは今のところロッテが好調なのでソフトバンクとの二強が定着してきたが、どちらが出てきても巨人といい勝負になりそうな気がする。

なお、プロ野球の実況中継だが何だかやたらにまどろっこしくなったので、毎日「ひかりテレビ」(560チャンネル)のプロ野球全試合のハイライト放送(録画1時間)で間に合わせている。せっかちな年寄りにはこちらの方が合っているようだ(笑)。

それはさておき、毎年のように元気がいい「ソフトバンク」の強さはいったいどこに由来しているんだろうか。

どうも選手たちの単なる「投攻守の技術」以前の基本的な問題がありそうな気がして仕方がない。

以前「高校時代の同窓ネットクラブ」に「T君」が次のように解析していたのでご了解のもとに紹介させてもらおう。

1 資金力

ホークスの強さを語るうえで第一に資金力は外せないポイント。親会社であるソフトバンクの経営が順調であることから選手獲得に資金を惜しまないのが特徴的です。

「いい選手を取るためには資金を惜しまない」というスタンスだからこそ、メジャー帰りの選手や外国人助っ人の獲得も積極的に行いチーム力の増加に繋がっています。

また、オーナーの孫正義氏は”金は出すが口は出さない”という完全現場主義の人間。オーナーが球団の方針を握っている他球団とは異なり、野球のことは監督・コーチを含めた専門職に一任しているため、チーム内に軋轢が生まれることもない。

選手の年棒総額は55.9億円で12球団の中で1位です。2位は巨人の51.9億円です。

2 独自のスカウティング

近年、ホークスのスカウトは独自路線を貫いています。メジャーリーグで実績のあるベテラン選手ではなく、日本野球に適応できそうな選手を多く助っ人として迎え入れているのです。

代表的な例が昨年のデヴューから14連勝を記録したバンデンハーク投手。メジャーでは 良い成績を残せなかったものの、韓国リーグで才能が開花したバンデンハークを真っ先に獲りにいったのです。

また現在セットアッパーで活躍しているスアレス投手のスカウトも驚きのものでした。2015年にメキシカン・リーグで登板するまで草野球の経験しかなかったスアレス投手に対して白羽の矢を立てたのです。

資金力だけじゃなく逸材を見抜く力が相俟ってチーム力増加に繋がっている。

3 3軍制度

選手層の厚いホークスの中で若手選手は2軍での出場すら確約されません。2015年にはウェスタンリーグで4連覇を果たすほど2軍でも圧倒的な力を誇っています。

ホークスの2軍には「他球団に行けばレギュラーを獲得できる可能性もある選手が山ほどいる」とも言われているため、完全なる育成を2軍で行うことは出来ないのです。

そんな中で導入されたのが3軍制度です。高校卒の若手や育成指名された選手が地方リーグ・社会人チームなどと試合を行い「経験を積む」ことが可能になっています。

これによって試合機会をより多く与え、結果を残せば2軍に上がれるようになります。また2軍の選手もいつ3軍と入れ替えられるかわからない緊張感の中、日々の練習に臨まなくてはならないというわけ。

新幹線の筑後船小屋駅の近くに2軍用、3軍用の設備が整っている。

4 生え抜きの育成

資金力や助っ人の活躍にスポットが当たりがちになるホークスですが、現在のスターティングメンバーのラインナップを見てみるとほとんどが生え抜きの選手であることがわかる。

これは前述した3軍制度にも関係があるでしょう。千賀、甲斐、牧原、飯田、山田、二保といった一軍に顔を見せ始めている選手も元々は育成出身。

3軍でプレーを続け、実力を付けた後に1軍入りを果たしたのです。

育成により選手層が厚くなったため、怪我などのアクシデントが起きてもすぐに代わりの選手が活躍できる体制が整っており、日替わりのヒーローが登場するのも現在ホークスが強い理由。

5 工藤監督の徹底した選手管理

現在ホークスを率いる工藤監督は選手の健康管理を徹底しています。12球団でいちばん過酷とも言われているキャンプに入るまでの自主トレ期間にも、各選手に課題を出すなどして管理しており、初日に行われる体力テストで規定の数値に達しないと即B組スタートを命じられるとのこと。

休日に関しても疲れを取ることに専念してほしいという思いから基本的に休日返上練習を認めていないそうです。

工藤監督はシーズン中も積極的に2軍施設への視察を行っており、リハビリ中の選手の状態や不調で調整中の選手に関しても自分の目で状態を把握しているとのこと。圧倒的な強さの裏にはこういった細かな選手管理も役立っている。

以上のとおり、実に微に入り細をうがったソフトバンクの強さの分析がなされており、 どれもこれも重要度の点で順番のつけようがないが、自分の推測するところ、これ以外で強いて挙げればやはり「選手の年棒が手厚いこと」ではないだろうか。

選手のヤル気にもっとも直結するところといえよう。

そして、その年棒の出どころはといえば、一つには「ヤフー・オークションの手数料」だろうと推測している。

ネット情報によると、2013年度のヤフオクの落札額は約「7300億円」で、手数料を仮に「8%」とすると、年間「584億円」もの寺銭が自動的に転がり込んでくる計算になる。

まあ、オークションが悪いウィルスに感染するとたいへんなことになるのでセキュリティ対策費も相当なものだろうがいくら何でもそこまではいかないだろう。

           

ヤフーは2013年に「福岡ヤフードーム」から「ヤフオクドーム」へ改名しているが、「リサイクルの活用による環境保護の促進」というもっともらしい理由があるものの、建設費から球団の運営費まで「寺銭」に「おんぶにだっこ」という事情がきっと背景にあるに違いないと睨んでいる。

(ただし、2020年シーズンから「PAY PAYドーム」へ改称)

ごく、ささやかながら自分も寺銭の一部に貢献しているはずだ!(笑)。



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鉄は熱いうちに打て

2020年09月27日 | オーディオ談義

前回掲載の「読書コーナー」について、日頃とは少々毛色が変わった内容なので読者の反応が気になっていたところ、ある方から「哀しくも美しいストーリーをご紹介頂きました。毎朝楽しみにブログ拝見しています。継続は大変なご努力ですが。」と、「iPad」からの通信があった。

こういう励ましの言葉をいただくと、「似たような感性の持ち主と出会えた」ということで実にうれしくなりますね!

しかも肝心のアクセス数もこの1週間で第一位の快挙でした。

このブログの読者は総じて感性が豊かな人が多いと改めて感じ入りましたよ~(笑)。

そこで、がらっと話題が変わってあまり人気のないオーディオがらみの話をひとつ(笑)。

つい先日、我が家に試聴に来ていただいたYさん。

クルマで10分ほどの所にお住まいで、日頃から生の楽器(フルート)に親しまれているせいか、すこぶる耳がいい方なので我が家のオーディオの「ご意見番」として大いに貢献してもらっている。

つい最近のブログに登載したように、このほど「RCAケーブル」をすべて「LANケーブル」の素材に代えたので「いかがですか?」とご意見を拝聴したところ「たしかに変わりましたね。音の汚れが取れた感じで音響空間に爽やかな空気感が漂ってきました」と、大好評。

「やっぱり、そうでしょう」と、まだ我が耳が多少なりとも健在であることを確認して喜びもひとしおだった(笑)。

それはいいとして、Yさんが耳寄りのオーディオ情報をもたらしてくれた。

「中国の〇〇メーカーが半年ほど前に新たなDACを発売しました。お値段も手ごろだし、チップも旭化成の最新型だし、オペアンプも日本製の優れものだそうで随分評判がいいようですよ」

「ホウ~、ぜひモデルの型番を教えてください。北国の真空管博士に問い合わせてご意見を伺ってみましょう」

翌日、さっそく博士からコメントがあった。

「中国の〇〇は以前からお値段のわりに性能が良くて注目していたメーカーです。変換チップも定評のある旭化成のものだし、オペアンプも国産だしとてもいいんじゃないでしょうか。お値段も手ごろだし、お買い得だと思いますよ」と、珍しく太鼓判押し。

「それはうれしい情報ですね。ただ、RCA出力とXLR出力では随分と音質の差があるようにユーザーが言ってますがはたしてどうなんでしょう。」

「基本的にXLR出力は業務用ですからそちらの方に力点を置いているのでしょう。実際に使ってみないと何とも言えませんがあまり拘らなくてもいい範囲ではないかと思いますよ」

デジタル機器は周知のとおり日進月歩の時代なので常に最新情報にアンテナを張っておく必要がある。

とはいえ、中国製のDACはこれまではどうしても「オペアンプ」の性能がイマイチだとの評価が絶えず、乗り気にさせてくれなかったが今回ようやく「変換チップ」と「オペアンプ」のクルマの両輪がそろった感じ。おまけにお値段の方も手ごろだしねえ~(笑)。

ただし、唯一気になるのが「RCA出力の性能がやや落ちる」とのことなので、「XLR → RCA」変換ケーブルの出番も考えておく必要がありそうだ。

つまり「DACのXLR出力端子」と「プリアンプのRCA入力端子」の間に変換ケーブルを使えばいいという算段となる。

実は、これについてはずっと以前に手持ちの変換ケーブルを使って実際に試してみたことがあるのだが、その時はとても冴えなかった。

明らかに音質の劣化が目立ち、もう二度とこんなことはするまいと決心したのだが、「LAN」素材と、高性能のプラグを使う「T」さん(東海地方)の製作されたものならいけるかもしれないと、ふと頭によぎった。

こうなると速攻あるのみで、すぐに(Tさんに)お願いしてみると「ハイ分かりました。DACの出力端子はオスですか、メスですか?」そこで「はい、オスになります。したがって受ける(作る)側の端子はメスになります。余計なことかもしれませんが2番ホットです。」「了解しました」

そして、早くも2日後には我が家に到着。


「XLRはノイトリックの金メッキ端子です、生産国はリヒテンシュタインです、20~30年ぐらい前まではスイス製でした、リヒテンシュタインはスイスの隣です、どちらの国も所得水準が高いです。
 
XLRもRCAもコレットチャックなので中でケーブルを締め付けて固定します、大変良く考えられた製品です。」との、コメント付き。

「T」さんはレスポンスがメチャ早くて大助かり。

「鉄は熱いうちに打て」を身を持って実践されている(笑)。

さっそくDAコンバーター(DAC)に挿し込んで性能を試してみた。



我が家のエースDACで「腐っても鯛」(笑)と重宝している「エルガー プラス」(英国:dCS)の出力端子「XLR」端子(バランス端子)からプリアンプ2号機(安井式)へと接続して聴いてみた。

いやあ、驚きました!

「RCA出力端子」からの出力とまったく音質が変わらぬではありませんか!

これで飛躍的に使い勝手が向上した。

つまり「エルガー プラス」の「RCA端子」からプリアンプ1号機(マランツ7型)へ、「XLR端子」からプリアンプ2号機(安井式)へと自由自在に「エルガー プラス」が使える。

もちろん、これは「瓢箪から駒が出た」ようなものであくまでも付録であり、本命は新たな中国製DACの購入に向けての本格的な検討開始の端緒となるもの。

ちなみに、仲間の「Y」さんは大きな老健施設の理事長さんとして我が家とは月とスッポンの「財力の持ち主」なので、「先に購入していただくと、我が家に持ってきていただいて実験できるのですが」と、しきりに勧誘しているのだが、ちょっと虫が良すぎるかな・・(笑)。



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読書コーナー~薬の話と釣りの名著~

2020年09月25日 | 読書コーナー

もう毎日が目が回るほど忙しい。

ブログの更新、図書館での学習、音楽とオーディオ、録りためたテレビ番組の視聴、ウォーキング途上での野良猫の餌やり、刻々と返却期限が迫ってくる借りた図書の購読など

優先事項がつけられないほどすべてが大切なので、今よりも倍くらいの時間があると大いに助かるのだがなあ(笑)。

そういう中でつい最近読んだ中で興味を惹かれた本を2冊紹介しよう。

✰ 「歴史を変えた10の薬」


中高年で薬のお世話になっていない人はまずおるまいと思う。かく言う自分もその例に漏れず、血液がサラサラになる薬、血糖値を下げる薬など毎朝4種類ほどの薬を服用している。

とりわけ、サラサラになる薬は「1週間服用しないと貴方は死にますよ」と医者から脅されている(笑)。

まあ、薬というのは日頃意識することはあまりないが、身近で生死にかかわる問題だけにいくら知識があってもそれほど邪魔にはならないだろうと、新刊を見かけたらまず借りることにしている。

本書のプロローグに次のような文章があったのでご紹介しよう。

「本書全体にわたって、あなたに伝えたい教訓は次のことだ。

ひたすらいい薬などというものはない。とにかく悪い薬というものもない。


どの薬もいいところと悪いところがある。別の言い方をすれば効果が高い薬はどれも例外なく危険を及ぼしうる副作用がある。

けれども、この(厳粛な)事実は新しい薬が市販され、熱狂的に迎えられたりすると簡単に忘れ去られてしまう。

大規模な広告キャンペーンに後押しされ、また熱心なマスコミのニュースやレポートで期待が増幅された、市販されたばかりの話題沸騰の新薬はサイゲサイクル(人名に由来)と呼ばれるものに突入する。それは(これまで)幾度も繰り返されている。

つまり、画期的な薬が市販されると、熱烈に迎えられ広く受け入れられる(これが第一段階)。

蜜月期間のあと、数年間、この新たな売り出し中の薬の危険性について数多くのネガティブなニュース記事が続く(第二段階)。昨日まで驚くべき薬だったものが今日は危険だと警告を与えられるのだ。

そして、この段階も過ぎると第三段階に突入する。その薬がほんとうにどういうものなのか、人々は冷静に理解し、バランスの取れた態度を取るようになり、薬は適度な売れ行きになり、薬の神殿の適切な位置に納まる。

そして・・・。(性懲りもなく)製薬会社がつぎの魔法の薬を発売し、前述のサイクルが再び最初から繰り返される。」

とまあ、本書は薬に対して随分醒めた見方をしているが妙に説得力のある話でもある。薬のほんとうの効果は長期間、それも数えきれないほどの人体実験をしないと判明しづらいのだ。

近々、仮に「新型コロナ」に対する画期的な薬が発売されるにしろ、以上の点を頭の片隅に置いておくことも必要ではなかろうか。

✰ 「釣りの名著50冊」



「釣り文学の傑作」が目白押しで、近年、稀に見るほどの感銘を受けた本だった。数多(あまた)の文豪の「釣り随筆」には、人生観も含めて大いに身につまされた。

その中の1冊を紹介しよう。明治期の文豪「幸田露伴」(こうだ ろはん)の娘「文」(あや)が記した「鱸」(スズキ)の名文の一節をぜひ。

「料理の腕は船頭がふるう。夕陽のなごりが明るく船上での炊事が始まるのである。文豪はいつものように一杯やり始める。そこへ、塩をぶっかけて大雑把に焼いたスズキを節くれだった漁師の手が供す。皿からはみ出す大物だ。

弟は、今しがた自分が釣りあげたばかりの尾頭付きを頬張ってうまいなあと破顔。それに続いて次のような情景描写が続く。

色の白い子が一日で陽に焼けて頬が紅く笑う。それは親の目には浸みつく顔だったようである。ただ愉快とか満足とかだけではなく、浸み入ってくるもののある表情である。

魚を食べてうまいなあと微笑む少年の心には何の翳りもないけれど”少年”というもの自体には美しさのかなしさ、詩の哀しさのようなものがある。

少年の笑顔は親の心の奥底に映像として刻印され、それは単に美しいだけではなくて哀しささえにじませている。

そして、そのすぐ後に突然、次のような文章が立ち上がる。

”父は何度この話をしたろう”。・・あの可愛い少年は結核のために20歳で先立ってしまっていたのである。露伴59歳のときだ。

それからというもの、老後の文豪は娘の文(あや)にこのスズキ釣りの話を何度も何度も語り聞かせるようになったのである。随筆の最後は次のように終わる。

少年の姿が可愛いのか、父親の心が哀しいのか、釣られる魚がいとおしいのか、供をする船頭が辛いのか、水が切ないのか、船が寂しいのか、・・いちばんはっきりわかっていることは、父は息子を可愛がっていてそれに先立たれたということである」

「ものの哀れ」もここに極まれり!



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ここだけの話にして欲しいのですが・・

2020年09月23日 | オーディオ談義

先日のことだがオークションにワーフェデール(英国)の口径38センチ(15インチ)のユニットが1本出品されていた。

お値段は「13,800円」と超安いうえに、音がメチャいいとされている「赤帯マグネット」付き!

我が家のウェストミンスター(箱)に使えそうなユニットなので落札したいところだが、なんといってもペアとしてあと1本欲しいところ。

そこでヨーロッパのSPユニットに関して独自の輸入ルートをお持ちの「T」さん(東海地方)に伺ってみた。

「現在オークションにワーフェデールの口径38センチのユニットが1本出品されてます。落札したいのですが、ステレオ用としてあと1本欲しいところです。

そこで、T様のルートから同じ口径38センチが手に入る可能性はありますでしょうか。まことに勝手のいいご相談ですが、いかがなものでしょうか。」

すると、ご親切にも次のような返信があった。

「お元気ですか。

ご照会の件ですが、当該のオークションも覗いてみましたが、アルニコの15インチタイプはなかなか見つけられないと思います。

15インチはどちらかというとアメリカ人好みのようで、イギリス国内では、Wharfedaleに限らず、15インチのユニットそのものが、あまり見受けられないように思います。

ご期待にそえず申し訳ありませんが、これに懲りず、また何かありましたら、いつでもご照会なり、ご相談なりしてください。 では、失礼いたします。」

というわけで、手に入れるのが難しいとなればオークションの出品物を諦めざるを得ない。1本だけではどうしようもないしねえ~。

さて、ここで何が言いたいのかといえば、イギリスでは15インチ(38センチ)のユニットがあまり見受けられないということ。

たしかにグッドマンやワーフェデールなどの有名どころにしても、15インチがあることはあるがめったに見かけないし、タンノイもあることはあるが使えるのはせいぜい往年のモニター・シルヴァー、レッドあたりまでだろう。

後日、この件を「北国の真空管博士」にご注進したところ次のようなコメントがあった。

「そうなんです。イギリスは口径30センチのユニットが圧倒的に多いです。音のスピード感と繊細な表現力と適度な量感をマッチングさせるとなると口径30センチのユニットがベストと考えているのでしょう。

私もそう思います。したがって、あなたのユニットの選択は間違っていないと思いますよ。口径38センチのユニットを思いどおりに動かすのはたいへんです。タンノイの昔のユニットがなぜいいかというと、コーン紙の重さが軽いのも一因でしょう。」


口径38センチのユニットはそれなりの魅力もあるのだが、どうしても空気を押し出す量と抵抗、そしてコーン紙の重さを考え合わせると、音声信号に対する追従性に問題が出てきそうに思えて仕方がない。

そういうネックがあるので我が家のユニットはウェストミンスター内蔵のユニットまで含めてウーファー系はすべて「口径30センチ」に留めている。

もちろん我が家で常用している小出力の「3極管シングル」アンプとの絡みもあるので一概には言えないが、これまで使ってきた口径38センチのユニットはJBLの「D130」やタンノイなどすべてオークションに放出してしまった。

この画像はウェストミンスターに内蔵しているワーフェデールの赤帯マグネット付きのユニット(口径30センチ)だが、これでも低音域にいっさい不満が無い。

   

そういえば、タンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が愛用していたのは「オートグラフ」ではなく、口径25センチの「イートン」だったことはよく知られている。

これがイギリス人の良識あるオーディオ観といっていいだろう。

自分もタンノイは「ⅢLZ・イン・オリジナル・キャビネット」「インパルス15」「ウェストミンスター」と使ってきたものの、一番バランスが良かったのは最初に使った「ⅢLZ」だった。今となっては手放さなきゃよかった(笑)。

まあ、「口径38センチ」のユニットが好きという方もいるので、こればかりは好き好きだし、さらには箱の容量とかパワーアンプの出力との兼ね合いもあるので一律には論じられないが肝心の「お耳のセンス」の方は「?」だと内心秘かに思っている。

もちろん、いろいろと差し障りがあるのでこれは「ここだけの話」にしていただくと大いに助かります(笑)。



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「ピアノ協奏曲」よ、さらば

2020年09月21日 | 音楽談義

振り返ってみると今年の夏はメチャ暑かったが、世界的に見てもそうだったようで、権威ある気象機関が過去最高の夏の気温だったと発表していた。

一日千秋の思いで「早く涼しい秋がやって来ないかなあ」と、願ううちに何と本日(21日)の起き抜けの室内温度は22度と、秋がもう目の前に忍び寄ってきた。

これから「音楽とオーディオ、そして読書」を思う存分楽しめる時間がやってくるかと思うとつい心が弾む。


そこで、ふと無類の音楽好きだったかっての仲間(県内)を思い出した。

久しぶりに「どうしてますか~、相変わらず音楽を聴いてますか?」と、電話でご様子を伺ってみると「やあ、久しぶり~。体調はイマイチだけど今年の夏はエアコンをかけっぱなしで毎日飽きもせずに聴いてたよ。音楽を聴いていると、不思議にお腹(なか)がいっぱいになって”うまいものを食べたい”という気にならないんだ。一石二鳥だよ」

この方はバッハからベートーヴェン、モーツァルト、マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィッチまで、クラシックなら何でもござれで、まさに音楽が「精神的なご飯」になっている稀有の方である。

しかし、オーディオの方は達観されていて、イギリス製のSPをずっと愛用されているが、「いじり出すとキリがない世界。そんな時間があったら音楽を聴いていた方がいい」というのがその理由。

まことに、ごもっともです(笑)。


とはいえ、いくら音楽好きといっても例外もあってそれがショパンの作品。以前から「耳あたりはいいんだけれど、彼の作品はさっぱり後に残らないね~。」とおっしゃる。

「クラシックの森」に奥深く踏み込めば踏み込むほど好きな曲目が変遷していくのは自分にも心当たりがある。

たとえば若年の頃にあれほど聴きまくった「ピアノ協奏曲」が近年ではまったく聴く気にならないのが不思議。ショパンはもちろんのこと、モーツァルトやベートーヴェンといった大家の作品もけっして例外ではない。


どんなに名曲とされるピアノ協奏曲にもどうも気分が乗らないのである。

おかしいなあ、あれほど好きだったのにね~。一方、ピアノ・ソナタの作品群に対してはまったくそういうことがないのでピアノという楽器が嫌いになったというわけでもないようだ。


これはいったいどうしたことか?

以下、自分なりに分析してみたものの、どうせ素人の「たわ言」に過ぎないので、あまり真に受けないようにね(笑)。


平たく言えば協奏曲とは「単独楽器をオーケストラで支える音楽」である。単独楽器にもいろいろあって、誰もが思いつくのがピアノをはじめ、ヴァイオリン、クラリネット、オーボエ、フルートといったところ。(これらの楽器にはすべて「〇〇協奏曲」という作品がある。)

この中で、音域的かつ和音的にオーケストラと、ある程度対等に渡り合える楽器はピアノだけである。ちなみに各楽器のおよその周波数範囲(基音+倍音)を記してみよう。

 ピアノ 40~6000ヘルツ

 ヴァイオリン 180~1万ヘルツ以上

 クラリネット 150~1万ヘルツ以上

 オーボエ 300~1万ヘルツ以上

 フルート 300~1万ヘルツ以上

 男性歌手 100~8千ヘルツ

☆ 女性歌手 180~1万ヘルツ

ピアノだけが群を抜いていて40ヘルツ付近の低音域の周波数をきちんと出せることに気付く。

一方、ヴァイオリンなどの楽器はせいぜい200ヘルツ前後から上の周波数しか出せない。その代り、ピアノと比べて高域の伸びには目を見張るものがある。


そういうわけで、これらの楽器群は低音域が絶対的に不足しているのでオーケストラでこの辺りの音域をきちんとカバーしてもらうと全体的にバランスのとれた姿になるので、比較的、協奏曲に向いた楽器といえる。それに「主」(単独楽器)と「従」(オーケストラ)の役割がはっきりするのも利点。

そういえば、音域のバランスという点ではたとえば「ヴィオリン・ソナタ」(モーツァルト)の場合でも、わざわざ「ソナタ」と銘打っておきながらピアノが伴奏して低音域部分をきちんと支えているし、歌手の伴奏にもピアノが活躍したりするがまったく違和感がない。

しかし、ピアノに限ってはオーケストラのカバー(支え)は要らないほど、単独で音域的に十分な表現力を備えているのに、なぜピアノ協奏曲というジャンルがあるのか、その必然性がどうもいまひとつ理解できない。

それに、ピアノ協奏曲というのはオーケストラとピアノのどちらが主役なのかよく分からないところがあって、映画でいえば、どっちつかずの主役が2人いるようなもので、いったいどちらに花を持たせるのか、聴けば聴くほど散漫になって、曲全体がただ華やかだけで表層的に流れていく印象を受ける。

この点ではピアノ・ソナタの方がはるかにピタリとフォーカスが決まって作曲家の思想がきちんと伝わってくる(ような気がする)。

べートーヴェンの後期ソナタやモーツァルトの珠玉のソナタ全集然り、この辺に自分がピアノ協奏曲から遠ざかった理由が見い出せるような気がする。

とまあ、いくら大上段に振りかぶってみたところで、世の中、ピアノ協奏曲の愛好家が”ごまん”といるんだから、さぞや反対意見も多いことだろう。

ここで、関連してふと思い付いたのだが、オーディオシステムも似たり寄ったりで、音楽を聴く上でスピード感と量感が程よくマッチした低音域の支えが音域バランスを整える上で一番難しいポイントだと思っているがどうだろうか。

つまり、300ヘルツあたりまでの情報量が音楽全体を支配している!


ともあれ、こうして以上のような小理屈を述べてみたものの、それほど(書いた内容に)責任を持てるわけでもなし、改めて確認の意味で久しぶりに(数あるピアノ協奏曲の中でも)白眉とされるクララ・ハスキルの20番(モーツァルト)でも聴いて確認してみるとしよう~。

                    

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連日の図書館通い

2020年09月20日 | 独り言

1か月ほど前のブログでボケ防止のための「ドリル」について言及したことをご記憶だろうか。



爾来、せめて毎日1時間ぐらいは取り組まねばと努力してはみたものの、悲しいことに集中力が持続しない。せいぜい20分も続けばいい方だし、それにちょっとひねった問題にぶち当たると、すぐにあれやこれやと気が散ってしまう。

自分の頭は想像以上に劣化し、退化していると思わず戦慄を覚えてしまった。もともとそれほど出来が良くないのに、ますます悪化の一途を辿っているわけですけどね(笑)。

これじゃいかん!

そこで先週から気合を入れ直して図書館に通いながらドリルに取り組むことにした。

午前中の9時から11時半までを当て、日曜と月曜日(休館日)だけお休み。

すると、あら不思議、図書館だと気が散ることなくかなり勉強に専念できるのである。

我が家にはオーディオをはじめ魅力あふれるものがあり過ぎて勉強する環境には相応しくないようだ(笑)。

人生において優先すべきものは、何よりも「頭脳+体力」の維持が一番で趣味とか娯楽はその次だと思えるのだがはたしてどうでしょうか。

そして図書館通いを始めると、当然のごとくついでに本を借りることになってもはや溜まる一方になる。

3か所の図書館から目いっぱい借りるとなんと25冊にもなるのだから、返却期限(2週間)に間に合わせるためにはいくら時間があっても足りない計算になるのは必定。

そこで、いつも目に触れて視覚に訴えることが大切なのでオーディオ機器の前に並べて目立つようにしている。



「パソコンに収蔵している曲目をなぜ聴くことが少ないのかといえば、それは常時目に触れないからだ」と、何かの本に書いてあったのを参考にして、大切なものは常に目に触れるように心がけている。

そういえば「男女の仲」でも常に接触していると何かしらの感情が湧きたつ経験をした人もあるのではないだろうか。ただし、家内だけはマンネリで例外ですけどね(笑)。「去るものは日々に疎し」という言葉もありますよ。

それからもう一つ。

これまた先日のブログに登載した「エイプリル・イン・パリ」(チャーリー・パーカー)のCDの件。



「どなたかこのCDをお貸し願えませんか」と、末尾に記載していたところ、メル友の「I」さん(東海地方)から、さっそく「ハイ、持ってますので送付します」という、ありがたいご返事。やはり持つべきものは「メル友」さんですね。

さすがはジャズのオーソリティ「I」さんだけあって、次のようなコメントが付いていた。

「ジャズマンとストリングスの共演はジャズマンにとっては夢のようなことらしいのですが、名演は案外少ないように私は感じています。

その中でも、さすがパーカー!!! 天才肌とはこういうことを言うのかと思わせる快演です。

ところで、パーカーは”バード”と呼ばれていますが、その由来は、「チキンが好物だった」というのが通説のようです。

私は違うと思います。そのアドリブの自由さ自在さ、曲の始めから最後まで見通している視野の広さ、このようなパーカーの演奏が、恰も鳥が空を舞うが如しだったからだと・・・そのほうが説得力があると思いませんか(笑)」

さっそく、ジャズ向きのシステム「D123+175ドライバー」(JBL)で聴いてみた。

「チャーリー・パーカー」(アルト・サックス)といえば、後世に多大な影響を与えた「ジャズの神様」みたいな存在なので、かなり尖った演奏を予想していたのだが意外なことに柔らかくて自由自在の闊達な演奏に思わず目を見張った。

「恰も鳥が空を舞うが如し」という表現に、心から納得です。

「I」さん、どうもありがとうございました。

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音楽家がオーディオに無関心な理由

2020年09月19日 | 音楽談義

これまで50年近く「音楽とオーディオ」に親しんできた、と偉ぶってみたものの、な~に徒に馬齢を重ねてきただけだが(笑)、いつも気になっていることの一つが「楽譜」の存在。

日頃聴いているクラシック音楽はすべて作曲家の手になる「楽譜」に基づいて演奏されているので、「楽譜」が読めさえすればもっと深い曲趣の把握が出来たり「いい演奏」かどうかの判断材料になるのに、と思うわけ。

したがって楽譜を見ながら聴いたり楽器を演奏できる人がちょっぴりうらやましいというのが本音で楽譜が読める音楽評論家たちもこれに含まれる。

こういう人たちは四六時中、生の音楽にどっぷり浸(つ)かっているだろうから耳のほうも凄く肥えていて、家庭においてもオーディオ装置にうるさい人が多いと考えるのがまあ普通だろうというもの。

ところがである。どうもこれまで幾多の音楽専門誌を読んでみても、これら専門家たちの間で総じて
「オーディオにあまり関心を示さない人を見受けるのは一体どうしてなんだろう?」と思うことがしばしばある。

というわけで、素人が簡単に思いつく理由をいくつか挙げてみた。


 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので家に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。

 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聴いているので、電気回路を通した音は人工的で聴く気がしない。

 他人の演奏をなるべく聴きたくない、芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。

 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽というよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。 

こういうテーマは実際に「実在の音楽家(演奏家)」に訊いてみるのが一番。

O市にお住まいのEさんは大学の先輩で、在職中ひとかたならぬお世話をいただいた方。同じ職場で上司と部下の関係となり五味康祐氏の著作「西方の音」を貸してあげたりして音楽の趣味を通じてたいへん懇意にさせていただいた。

Eさんは学生時代のときからトロンボーンを奏されており、職員で運営する私設の吹奏楽団でずっと活躍、今でもお元気で顧問として活躍されている。

それにトロンボーンに限らず管楽器全般に詳しい方でオーケストラの演奏を聴いてたちどころにどこそこの楽団だと的確に言い当てられる。(ご本人の言)

管楽器の演奏にその楽団の独自の特徴が表れるのでそれが目安になるとのことで、まあ、いわばセミプロみたいな方。

自分とはまるでレベルが違う音楽の聴き方をされている。

そのEさんも例によってオーディオ装置にはほとんど関心を示されず、ご自宅に二度ほどお伺いしたことがあるが古い英国製のたしかスペンドールとかいった小振りのスピーカーがずっと放置したまま。

さて、失礼を承知で「オーディオに関心を示されない理由」を単刀直入に聞いてみた。

その結果、1~3までいずれも少しずつ該当するが、
一番大きな理由は4とのこと。

また、「いい音」を得るためには、それなりの手間と投資額も必要になるがそれもまた面倒で
「オーディオは”そこそこ”でいい」とあっさりおっしゃる。いかにも飾らないEさんらしい物言い。

結局、表題の回答としてはこの辺に落ち着くのだろう。

自分はてっきり2だと思っていたので見事に予想が外れたが、4が主な理由だとすると、これはこれでまた結構割り切れない話。

素人考えだが演奏者のテクニックのアラに気をとられてしまって、それが音楽鑑賞の障害になるなんて「本当に音楽が好きなんだろうか」という素朴な疑問が湧き起こる。

そういうことなら、なまじ「楽譜」が読めたり「楽器」が演奏できないほうがいいとさえ思うし、それに上記の1とも関連するが日常生活の中で身近に音楽を本格的に楽しむ機会を設けないというのもこれまた音楽家として淋しすぎる話。

たとえば、いつぞやのBSハイビジョンの番組の中で先年、引退宣言をしたピアニストのマリア・ジョアオ・ピリス女史が日常生活の中でそれこそ普段着のままで気軽に楽しむのが本来の音楽芸術のあり方だと力説していたのが妙に記憶に残っている。

具体的に彼女が言うのには、「決められた一定の時刻と時間内にきちんと正装して演奏会に出向き衆人環視のもとで音楽を聴いて本当にそれで心から音楽が楽しめるのだろうか」といった趣旨だった。

これにはまったく同感。

音楽愛好家といっても、およそ演奏会重視派とオーディオ重視派とに大別されるわけだが、どちらが本当の「音楽好きなのか」一つの答えが出されているような気もするが、はたしてどうなんだろう。

そういえば伝説のピアニスト「グレン・グールド」は途中から演奏会を放棄して「スタジオ録音」に専念した。

その理由の一つが「演奏会で一度聴いたくらいで音楽が分かるはずがない。たとえばゴールドベルク変奏曲で小節ごとの変奏の状況なんて何度も繰り返して聴かないと絶対無理」と宣う。

というわけで、純粋な「音楽好き」という観点からすると「オーディオ重視派」に軍配を上げたくなるが、つい色目で見がちな自分と違って客観的な視点からするとはたしてどうなんだろう。



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「新しいケーブルの登場」の後日談

2020年09月17日 | オーディオ談義

つい先日搭載した「新しいケーブルの登場」について、その後日談を述べてみよう。



東海地方の「T」さんから作っていただいた「1.5m」(1ペア)のRCAコード(プリアンプ→パワーアンプ:素材はRANケーブル)が、あまりにも気に入ったものだから、あつかましくも長さの違うケーブルを5ペアお願いしたところ、気持ちよくご承諾していただき日を置かずして我が家に届いた。

「お互いに残り時間が限られているのですから1日でも早くいい音を聴いていただきたい」とのことで、その自信あふれる前向きの姿勢と思いやりに対して敬服の至り~。

メールのレスポンスも早いし、おそらくご自宅のオールホーンシステムも「ハイスピード・サウンド」だろうとはおよそ想像がつく。

おかげさまでと感謝しながら、そっくり入れ替えて新たなRCAケーブルで4系統のシステムすべてを聴き直したところ、いずれも一皮むけたように「スカッとした爽快感」が感じ取れるのが実に好ましい。また余韻がくっきりと音響空間に漂うのも素晴らしい。

「T」さんの表現によると「音の汚れが取れます」ということだが、たしかに音の被りが少なくて余計な付帯音が付かないというのか、「音の濁り」が取れますよ。

ただし、その効果が判明し認識されるとなると自分が言うのも何だがある程度システム環境がきちんと整備されていないと無理だと思うので万人向きではないですけどね(笑)。

それに「ケーブル」の電気特性や性能を測定する指標はいっさいないので最後はリスナーの「聴感」に委ねざるを得ないのも特徴の一つ。

そこで、自己採点だがこれまでの仕上がり具合が80点だとすると85点は軽く行くほどのグレードアップで
お値段以上の効果に大喜びの一幕。

そして、いつもこのブログをご覧になっている「K」さん(横浜市)からもこのケーブルについて「ぜひ試してみたい」とのことで、「T」さんに中継したところ「ハイ、いいですよ」と引き受けていただいた。

まさに「叩けよ、されば開かれん」ですぞ(笑)。

とりあえず「長さ1.2m」(1ペア)だったが、ご注文から3日後には「K」さん宅に届いた。東海地方と横浜ではお隣同士みたいなものだから運送も超特急ですな。

我が家ではこのRCAケーブルに味をしめて、次はSPケーブル(バナナ端子付き、4mペア)に触手を伸ばした。

「T」さんによると「バナナ端子は使ったことがないので吟味します」とのことだったが、程なくコスパに優れた優良品を選定していただき、これもすぐに到着した。

これまで使ってきた2種類のSPケーブル「ウェスタンの単線」(低音域用)、「純銀製の単線」(中高音域用)にまったく不満はないが、長さがちょっと不足しているので今回4mのケーブルをお願いしたわけだが、これらにまったく引けを取らない性能に驚嘆した。

透明感に優れ、音場の見通しが抜群!

エージングが進めば進むほどもっと良くなるのだろう。

それにしても「T」さんに「儲け心」がいっさい無いのには自ずと頭が下がる。何しろ材料代だけで手間賃は無いに等しいのだから。

古来、オーディオの世界では「いい製品」を作るメーカーほど早く倒産するという伝説がある。

たとえばプリアンプの最高傑作「マランツ7」を生み出したマランツ社を嚆矢(こうし)として、あまたのメーカーが右に倣えだがあまりにも性能を追求するためにコストを度外視するのがその理由だが、「T」さんにおかれてもよほどピュアな「オーディオ人」なんだろうなあ・・。



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もうすぐ「読書の秋」がやって来る

2020年09月15日 | 読書コーナー

朝晩の気温が随分低くなってようやく寝苦しい夜から解放されてきた。

二階の寝室ではひところ30度前後もあったのがこのところ23度あたりに落ち着いてきたのがその証拠で、寝具の方もタオルケットに毛布を追加する始末。



外ではトンボが飛び交い、秋の気配がひっそりと忍び寄ってきているが、秋とくれば「芸術の秋」だし、「読書の秋」でもある。

現在、2か所の図書館通いを行っているが、久しぶりに一番蔵書が豊富な「県立図書館」に行ってきた。

およそ3年ぶりくらいの訪問になるが、例のコロナ禍で駐車場はがら空きだし、館内もスカスカでいつもの4割程度の入りでそのおかげで新刊が豊富で借り放題。

本好きにとってはうれしい悲鳴ですね。「禍転じて福となる」(笑)。

ちなみに、つい先日目を通した本の中にこういう文章があったので、やや我田引水になるがご紹介しよう。

「AIがビッグデータを駆使して分析した結果、実際的に図書館が近くにある地域では認知症の発生率は低く、読書習慣と健康寿命との関連も大きい。

だから図書館予算を優先することは将来の医療費や介護費などの減少を見越せば先行投資であると話すのは元鳥取県知事の片山善博氏、大崎市図書館での講演会のことである。」

中高年にとって切実な問題となる認知症を少しでも遅らせるためにも読書習慣を身につけたいものですね。

さて、今回県立図書館に足を伸ばした理由の一つは面白いミステリを探したかったこと。



このところメチャ面白いミステリーに出会わないものだから過去の「週刊文春」推薦のベストミステリーを検索していたら、引っ掛かったのが「暗く聖なる夜」だった。

こんなに古い本は蔵書が豊富な県立図書館じゃないと無理。館内のパソコンで検索してみると一発で在り処が分かった。

喜び勇んでざっと読んでみたがななかの力作ではあるが、感心して唸るほどではなかった。まあ75点くらいかな。

それよりも興味を惹かれたのが、著者がよほどのジャズ好きと見えてしょっちゅう往年のプレイヤーやスタンダードの曲目が出てくる。

ジャズにはほぼ門外漢に近いが、むしろ無性に聴きたくなる筆力の方に感心した(笑)。

そういえば、先日の日経新聞の「日曜版」に載っていたのがこれ。



チャーリー・パーカーの「エイプリル・イン・パリ」。

これもぜひ聴いてみたいですね。どなたかCDを貸してくれる奇特な方はいませんかね(笑)。

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SPユニットの振動板の位置合わせ

2020年09月14日 | オーディオ談義

何の変哲もない我が家の2ウェイシステム。



クロスオーバーを900ヘルツ前後(-6db/oct)にとっており、ユニットは下側がJBLの「D123」(口径30cm)、上側が同じくJBLの「175ドライバー」で組み合わせている。

強いてポイントを挙げれば「ジャズ向きとされているJBLシステムでクラシックがそこそこ聴ける」という程度かな。

横から見ると次のとおり。



ご覧のとおり、箱の上に乗っけている「175ドライバー」のダイヤフラムの位置と箱の中にある「D123」ユニットのボイスコイルの両者の位置を、つまり「振動板の位置」を縦のラインでほぼ合わせているのがミソだ。

音は空気の波だから別名「位相合わせ」ともいうが、市販のスピーカーをそのまま使っている方にはまったく縁のない話だし、これで何の不都合も無かったのだが、先日同じ「175ドライバー」を搭載したJBLの正規品「ランサー101」の画像を観てオヤッと思った。



ご覧のとおり、175の「ハチの巣ホーン」の先端部分と「LE14A」のコーン型ユニットの先端部分とを縦のラインで合わせているのだ。

「エッ、これって振動板の位置で合わせなくていいの?」という素朴な疑問が当然のごとく湧いてくる。

名にし負うJBLの技術陣のことだから、まずは「見てくれ」を優先しつつも技術的にも聴覚的にも然るべき測定をしたうえでのことだろう。

当然、これにならって我が家でも175ドライバーの位置を動かして両ユニットの先端部分を縦のラインで合わせて試聴してみたところ、位相のずれによって変な音になりとても聴けたものではなかった。

「ランサー101」は今でも絶大な人気があり天下のJBLのオリジナルモデルだから不都合な音が出るはずがないので、この辺の処理に独自の工夫を凝らしているのだろう。

振動版の位置を合わせることなく不自然な音を出さないノウハウがあるのだろうか。いまだに「?」だが、どなたか答え(らしきものでも可)を知っている方があればご教示願えるとたいへんありがたい。

そして、もう一つこの際だからついでに同じ振動板の位置関係にまつわる実験をしてみた。



JBLの「LE8T」(口径20cm)システムはフルレンジ特有の「音のまとまり」が良くてハイスピードの小気味よい反応が特徴だが、無い物ねだりとはいえ惜しむらくは低音域の重量感がもっとあれば言うことなしだがという思いをいつも捨てきれない。

そこで、300ヘルツあたり以下をウェストミンスターの箱に内蔵しているユニットでカバーできないものかと画像のとおり両者をできるだけ接近させて2台のアンプで一緒に鳴らすという窮余の一策を講じてみた。

ここで問題になるのが両方のユニットの「振動板の位置」だ。その間隔となると目測で80cmくらいになるのかなあ。ところがこれが理論的には行けそうなのである。

以下、「知ったかぶり」(笑)で検証してみよう。

そもそも音の速さは秒速「340m」(摂氏15度の場合)だ。時速では「1、225km」になる。この速さが「マッハ1」ということになる。

音の振幅の大きさは100ヘルツのときに「3.4m」であり、1000ヘルツのときには「34cm」となる。したがって300ヘルツのときの振幅は「1.1m」となり、前述の80㎝はこの範囲内に十分収まるのだ。

小賢しい理屈は別にして実際に聴いてみると、これがなかなか結構いけるのである(笑)。

くどいようだが「LE8T」はフルレンジで鳴らしているので、ウェストミンスターがサブウーファー的な役割を果たしていることになるが、細かいことは抜きにしてBGM風に聴くのならこれで十分。

とはいえ、「素人の生兵法」は禁物、はたして理論的にみてこれでいいのかどうか、これまた「哀れなストレイ・シープ」にどなたか教えてくださいな(笑)。

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盲目のピアニスト「辻井伸行」さんと楽譜

2020年09月12日 | 音楽談義

大活躍中の全盲のピアニスト「辻井伸行」さんについて、11年前にこのブログに投稿したことがあるが、いまだにときどき過去記事のランキングに登場してくる。

おそらく、折にふれ検索などで引っ掛かるのだろう。

改めて読み直してみると、凡作だらけの自分にしてはなかなか出来のいい力作といっていいかもしれない(笑)。

そこで、既に「忘却の彼方」にある方が大半だと思うので以下のとおり再掲させてもらおう。


いささか遅きに失するが、全盲のピアニスト「辻井伸行」さんが
「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」に優勝したというニュースに思わず心が弾んだ。

生まれたときから光を失っているので「楽譜」をまったく見たことがないという「辻井」さんだが、一体どういう演奏をされるんだろうかと興味津々、一度お聴きしたいと思っていたところ早速6月13日(土)にBS朝日で
「全盲の天才少年ピアニスト~ショパンコンクールに挑戦~」と題して放映(116分)があったので録画した。


       

この番組は辻井さんが当時17歳、2005年の「第15回ショパン国際ピアノコンクール」に挑戦したときの模様を2005年12月4日に放映したもので今回はその再放送。

因みにこの「ショパンコンクール」はご存知の方も多いと思うが5年に1回ポーランドの首都ワルシャワで開催されるもので世界中の数あるピアノコンクールの中でも間違いなくダントツの最高峰と位置づけされるもの。日本人のこれまでの最高位は現在国際的な大ピアニストとして活躍されている「内田光子」さんの第2位。

年齢制限があって17~27歳までが出場の有資格者で辻井さんは当時その年の9月が17歳の誕生日なのでもちろん出場者中最年少。このコンクールは約1ヶ月の長丁場なのでテクニックは言うに及ばず体力、気力さらには財力(?)までもが要求される。

第15回のコンクールでは参加人数が多かったため予備予選(棄権者を除いて257人)が実施され、以下第一次予選(80人) → 第二次予選(30人) → 本選(12人)と絞り込まれていく。

辻井さんは結局二次予選まで残ったが最後の本選には進めなかった。「ショパンコンクール」で勝ち抜いていくためには「まず楽譜に絶対忠実であることを要求される」
と聞いたことがあるが、それでも257人中30人までに入ったのだから大したものである。

さて予備予選~第一次予選~第二次予選の辻井さんの演奏をじっくりと聴かせてもらったが一番好みだったのは第二次予選で弾かれた「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ変ホ長調作品22」。一音一音が磨き上げられたように聴こえ、ひときわ美しい下降旋律が心に染み入ってきてショパンらしい優雅さだと思った。

この曲はショパンの中でも「クラウディオ・アラウ」の演奏で若い頃しょっちゅう聴いていたお気に入りだが、もちろんまだアラウには及ばないと思うが自分ごとき素人が評価するのはおこがましいけれども「十分才能あり」と感じさせてくれた。

全盲というハンディをまったく感じさせない演奏であることはいうまでもないが審査員も演奏の途中から全盲に気付いてビックリしたなんて言っていた。

番組全体から受けた印象では、辻井さんの今回のショパンコンクール参加は「小手調べ」といった感じで次回の2010年9月開催の「第16回」にピタリと照準を合わせている印象をもった。万一、それがダメなときでも27歳のときの「第17回」に最後のチャンスを賭けるといったところかなあ~。

お父さんが「医師」(産婦人科)なので国際コンクールへの参加も自由自在だろうとは要らぬお世話だが、とにかく来年の第16回ショパンコンクールには大注目である。もし優勝すれば日本人初の快挙として日本中が沸き立つだろうし、そうなってくれればいいと心から願っているが少なくとも上位入賞はして欲しい。

オット、何だか「ショパン・・・」の話ばかりになってしまい冒頭の「バン・クライバーン・・・」が通過点のような書き方になってしまった・・・。

自分では決して水を差す積もりは毛頭なく、「辻井」さんにとって貴重なステップのひとつであり、「ショパン・・・」の挑戦から4年後の21歳で見事に栄冠を獲得されたことは、より一層腕に磨きをかかれたという努力の賜物だと明記しておこう。

さて、ここからいよいよ本題に突入。いつもの調子で独善的で小理屈っぽい話になるがあしからず。

まず、「楽譜」を見たこともない辻井さんが点字の楽譜があるわけでもなし、どうして演奏ができるのかという大きな疑問を根底にもっていたのだがこの番組はきちんと答えてくれた。5歳のときから東京音大の講師の川上先生がつきっきりで指導に当たっておられるという。

通常の演奏者では「楽譜 → 演奏」なので音楽信号が「目から耳」へと伝達されることになるが、辻井さんの場合は「楽譜 → 川上先生が弾く → 辻井さんが聴いて演奏」となり「耳から耳」へとなっているわけで、人間の機能の面だけでいえばいわばストレートな形。音楽を聴くときには目は必要ではなくむしろ邪魔になるくらいなのでこれは理にかなっている。

もっとも川上先生によると「辻井さんは自分が感じた音をそのまま鍵盤を介して表現できる、これは神様から授かった才能」と激賞されていたので辻井さんだけに許された才能なんだろう。

それにしても、辻井さんのように楽譜がなくても演奏できるとすれば改めて「楽譜って一体どういう役割をもっているんだろう?」と素朴な疑問が湧き出てくるところだがこの問いに対するガイド本をつい最近見かけた。

「コンサートが退屈な私って変?」(2009.3.12、春秋社)   

「素朴な疑問に応えるクラシックガイド」の副題のもとドイツ人のクリスティアーネ・テヴィンケル女史の著作で、本書の104頁にズバリ「楽譜の役割は?」とある。

もちろんひとつの考え方に過ぎないし翻訳書なので結構、意味の把握がしずらかったが自分なりに要約してみると「楽譜なんてのは仕方なくできたのさ、昔はCDプレーヤーもCDを焼くソフトもなかったからね」
と、あるミュージシャンの言葉を引用しつつ、楽譜の役割とは音楽を記録化することにあり、その一番の動機は次の世代に残すことと記憶を助けることにある」と随分単純化している。音楽を理解するためには楽譜が読めなくても構わないといった調子で全体的に楽譜を金科玉条のものとしては捉えていない印象を受けた。

                       

ここで興味半分に「人類の至宝」とされる楽譜の写真を掲載。左がベートーヴェン第九の四楽章の自筆譜(112頁)。「気が狂ったようにグチャグチャ」とある。右が浄書スコア譜(印刷出版譜)。

自分が思うに「文学」だって「行間を読む」という言葉があるようにそれぞれの読者には独自のイメージ的な思考が許されているし、作家が文章だけで自分の思想を100%表現できるとは考えていないのと同じで、作曲家だって書き記した音符だけで自分の思想を完全に表現できるとは考えていないように感じるのだが。

つまり楽譜に記載された音符と音符の間とか周辺にも何か”something”がありそうで辻井さんのように演奏を聴かせてもらって聴覚の世界だけでイメージ思考をすることでむしろ作曲家の意思とか思想がより具体的に伝わってくるのではと思った次第。

というわけで、つまるところ不謹慎かもしれないが「盲目はむしろ辻井さんにとってアドバンテージになっているのでは」なんて考えてしまう。したがって、これからの辻井さんの音楽への挑戦に対してもこういう視点を含めて興味深く拝見させてもらおう~。

この番組の終盤、コンクール終了後にポーランドの盲学校で辻井さんの演奏に真剣に耳を傾ける生徒さんたちの様子(一番右の写真)が目に焼き付いて離れないが、もし盲目がメリットになることが実証されるのなら世界中の目の不自由な方に大きな希望と光を与え、何よりもプラス思考にもっていけるので是非とも辻井さんには大成して欲しいと切に願っている。

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左対右~利き手大研究~

2020年09月11日 | 独り言

世界中を震撼させているコロナ禍の中で始まったプロ野球もようやく佳境に入ってきた。

ファンも多いしテレビ中継も豊富だし、数あるスポーツの中で一番元気がいいように思えるが、野球の場合にとりわけ目立つのが左利きの選手が多いことで、つくづく左利き有利のスポーツだと感じさせる。

たとえば、左バッターは打ってから駆けだす方向の一塁に近いので有利だし、左ピッチャーは投げる時に一塁走者に相対するので牽制するのにたいへん有利だ。

このように野球の場合には「左利き」有利は明らかだが、一般的な社会生活では果たしてどうなんだろう?

恰好の本があった。

「左右・きき手大研究」(化学同人社刊)

    

本書は、古来言われてきた、「左利きは器用」「左利きは怪我をしやすく短命」「なぜ左利きの人が少ないか」「利き手はいつ決まる」「利き手の矯正はよいことか」などの疑問に対して学術的にアプローチした本である。

著者は「八田武志」氏で名古屋大学名誉教授で現在関西福祉科学大学教授で心理学がご専門。

ひととおり、ざっと目を通してみたが医学的な観点からのアプローチがやや欠けているようにも思うが世界各国のいろんな研究データを豊富に集めて考証されているたいへんな労作。

しかし、まだこの分野は未解明の部分が多いようで、著者の意見にも歯切れが悪いところがあって明快な結論が導き出されないのがチョットもどかしい。

とりあえず二点ほど興味のある項目を列挙してみた。

なお、
人間は「右利き」「左利き」「両利き」の3つに分類されるが、定義というほどのこともないが「左利き」としてのデータの解析対象とされているのは、「書字に使う手」「スプーンを持つ手」「ハサミを使う手」「歯ブラシを持つ手」「金槌を持つ手」にそれぞれ左手を使用することが挙げられている。

☆ 「左利き=短命説」

「左利き」の方にはドキリとするような説だが、1994年に「左利きは危険がいっぱい」という本が出版(外国)され、広く知られるようになった。

これは空軍の兵隊を対象に「スポーツに関連する事故」「作業に関連する事故」「家庭での事故」「道具に関連する事故」「運転事故」の5つのカテゴリーで調査した結果に基づいたもので事故に遭遇した確率が「左利き」の方が「右利き」よりも多かったというもの。

因みに調査対象者の内訳は「左利き」は119名、「右利き」は945名で右ききの割合は89%とおよそ通常の人口分布に占める割合との乖離がない状況だった。

結局、「左利き」が事故に遭遇しやすいというのが「左利き=短命説」の大きな根拠というわけだが、著者の見解によると現代医学では人間が死ぬのは最終的には心臓が止るか肺が機能しなくなるのかのどちらかなので、腕などの怪我(外傷)ぐらいで短命に結びつけるのは因果関係として弱いとの結論だった。

まずはひと安心だが、「左利き」は戦争時の戦闘場面で命を落としやすいことが明白であり、かつ「右利き社会における長い間のストレス」については無視出来ない要因とのこと。

☆ 音楽の才能と左利き

聴くのが専門だが音楽愛好家の自分(右利き)としては非常に興味のあるところ。

音楽の能力には利き手による違いがあり、「左利き」が優れているという指摘が以前からあったが、本格的に「左利きと聴覚機能」に焦点が移ったのは1980年代から。

その結果、言語音は左脳がその処理に優れるが、音の高低の判別や音と音との間、音の大きさ、各種の音の配分など音楽を構成する要素には右脳の方が処理に優れることが次々に明らかにされた。

「プロソディ(韻律)」と呼ばれる音声言語の周辺的要素も右脳の働きであることが立証された。

そこで右脳は左手指の運動と関連が深いので、「左利き」は音楽の才能があるはずだという予測が生まれいくつかの実験調査が行われた。

・ イギリスのある小学校(897名)の実験調査では差異は認められなかった。

・ ある学生相手の音の記憶実験によると「左利き」の優位性がはっきりと認められた。「左利き」では音の記憶を左右両方の脳で出来るのに対して、「右利き」では右脳でしか記憶できないためと説明された。

・ ドイツの音楽大学でピアノ学科52名を対象に初見演奏の実験を行ったところ「右利き」は「左利き」や「両手利き」よりも劣ることが明らかにされた。

初見演奏とは初めて見る楽譜を指の運動に直ちに変換して演奏したり、はじめて耳にしたメロディを再生する聴音演奏と同意語で音楽能力に必須の能力とされるもの。

(この初見能力について、幼少期のモーツァルトが門外不出とされた教会音楽を一度聴いただけで、後になってスラスラと楽譜にしたためた逸話を思わず想い出した)

以上のことから導き出される結果は次のとおり。

「小学生を対象にした調査では利き手による音楽能力の違いが見出せなかったが、成人ではその関係を支持するデータが多い。

ということは左手の手指運動の訓練に困難さを感じる者(右利き)は楽器演奏の練習を途中で放棄するのに対して、それほど困難さを強く感じなかったものは”繰り返し練習”が持続した結果、音楽家への職業につながり、”右利き”の音楽家が少ないという理由につながっている」

結局、「音楽の才能と左利きは関係あり」で、さらに興味を引くのは音楽専攻生の場合、親に「左利き」がいる場合には遺伝的要素の関与や左手を使うことへの養育者周辺の容認度が高いことなどがあってより成績がいいそうだ。

したがって音楽的能力には「利き手」それも親の世代を含めた「利き手」が影響している可能性が大いにある。

そういうわけで著名な作曲家の「利き手」を調べてみるのも面白そうだ。

そこで、ネット情報なのであまり当てにならないが有名どころを列挙してみよう。

<音楽家> モーツァルト、ベートーヴェン、グールド、カザルスほか多数

ほかの分野では、

<画家> ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ

<作家> ゲーテ、ニーチェ、夏目漱石

<学者> アインシュタイン、フロイト、ニュートン

こうしてみると、後世に名を遺した錚錚たる連中が並んでいますね。中には「両手利き」もきっといることでしょう。

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「ハイスピード・サウンド」大好き

2020年09月09日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「T」さん(東海地方)から送付していただいた「RCAケーブル」(素材はRANケーブル)を、プリアンプ → パワーアンプ間に接続して聴いてみたところ、これまでのサウンドとのあまりの違いにしばし呆然。



一言でいえば「ハイスピード感」に裏打ちされたサウンドへと大変身。

我が家の個性的な「AXIOM80」がこれまでになくまるで存在感を無くしたように自然なサウンドを届けてくれるので、いつの間にかオーディオ機器の存在をすっかり忘れ、音楽だけに集中してつい長時間聴き耽ってしまった。

これって、本来のオーディオのあるべき姿じゃないですかね。


さっそく、「T」さんに次のように打電した。

「昨日、1日かけてじっくり聴き込みました。あまりのハイスピード感に打ちのめされました。

素材の味をそっくりそのまま生かすというのでしょうか、楽器の音色が実に素直に聴こえますし、音の収束が早いため(音が)徒に被ることなく余韻が綺麗にそして漂うように出てきます。おそらく使用されたプラグと線材のマッチングもいいのでしょう。大いに気に入りました。

そこで、現用中のすべてのケーブルを変更して聴いてみたくなりましたので
、追加注文してよろしいでしょうか。

長さ「50cmを1ペア」「1mを2ペア」「1.5mを2ペア」計5ペアになります。

よろしかったら、お見積り方お願いします。」

こういう音を聴かされると、もう速攻あるのみですぞ(笑)。

ケーブル次第でこれだけサウンドが変わるのだからやっぱりオーディオって怖いですねえ。

それにしても、ケーブルに関する理論は諸説あるのだが、折角の機会なのでとあるメーカーの説を紹介させてもらおう。もちろん、信じる、信じないは貴方の自由なので念のため。

そもそも読書にしろブログにしろ、あらゆる文章は作者と読者の「同意」と「不同意」の繰り返しによる対話みたいなものですからね。

☆ ケーブルについての基本的なポリシー

 当社はおそらくどのメーカーよりもケーブルに対して醒めた目を持っている。オーディオシステムに置かれたケーブルは必要悪以外の何物でもなく、その存在を小さくする努力にしか進化を認めらない。当社にとってケーブルの進化とは「消滅へのプロセス」であり、(当社が製作した)〇〇〇〇は自らの存在を極限まで矮小化したケーブルシステムだ。

☆ ケーブル自重

ケーブル自重は当社にとって重要なファクターだ。ケーブルは自重によって自らを振動体(床、壁)に押しつけ、重いケーブルほど芯線が受け止める振動の衝撃は大きくなる。芯線を振動からアイソレートするべきダンピング材がケーブル自重の増加に一役買うので、意図したほどのダンピング効果が得られないばかりか、ダンピング材に蓄えられた振動エネルギーの解放を、これまたダンピング材が妨げるため、音楽のダイナミクスの変化がケーブルに吸収され、リズムが立たない。この悪循環を断ち切るにはケーブル自重を軽くする意外に有効な手立てはない。

☆ 芯線直径

「太い芯線は重低音が出る」というのは本当だ。ただし、その重低音がソース(CDやレコード)に含まれるものかどうかは疑わしい。太いケーブルを使って重低音が出たとしても、その先にはウーファー(低域用ユニット)の“か細い”ボイスコイルが繋がっている。したがって、その重低音がソースに含まれるものであれば、ボイスコイルと同じ線径のケーブルを使っても再生されるはずだ。つまり、ケーブルによる低音の差とは固有振動数の異なるケーブルの音色の差でしかない。

太い芯線は振動エネルギーの蓄積が大きく、エネルギーの解放が遅れるため、音楽のダイナミクスの細かな変化に追従できない。いったん振動すると止まりにくく、振動(鳴き)を止めるために芯線を締め上げると逆にストレスがかかる。それは音の伸びを妨げ、周波数レンジを狭める。同様に重いケーブル自重や、きつい撚り合わせも芯線にストレスを与える。ケーブルに限らず、あらゆるコンポーネンツに与えられる「ストレス」と「ダンピング」は音楽の躍動感を殺す2大ファクターだ。

もう一度ウーファーのボイスコイルの太さに戻って考えて欲しい。質の良い低音をケーブルの太さに求めるのは本筋ではない。もっと別のところ、つまり電気の通り道の太さにではなく、振動の通り道の明快さに求めるべきだ。

☆ その他(特記事項)

〇 ケーブルをひもやビニタイで縛らないこと。どうしても必要な場合はゆるゆるの状態に。また、シールド線は被せないこと。効果がないばかりか、逆にアンテナとして働く場合の方が多い。

〇 +側と-側のケーブルはツィストしても、しなくてもよい。前者では音像型になり、ハムに対しても若干強くなる。後者ではレンジの広い音場型になる。当社はこちらを好む。なお、ツィストする場合はけっしてきつく撚りあわせないこと。芯線にストレスがかかり、レンジが狭く歪っぽい音になる。したがって、1ターンあたり3cm以上の緩いツィストにすること。とにかく「ケーブルにストレスをかけない」これがもっとも重要なキーワード

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新しいケーブルの登場

2020年09月06日 | オーディオ談義

風速70mにも及ぶ台風10号の接近に戦々恐々。しかも進行方向の右側に位置しているので被害が思いやられる。

停電とか、送信ケーブルの断線ともなれば当分ブログの更新も出来そうもないのでどうかご承知おきを。

オーディオルームにしても、車庫側と道路側の2か所の雨戸をすべて引っ張り出して防戦体制一方だが、外部からのノイズが減って室内のSN比が良くなり心なしか音楽が美しく聴こえるのには驚いた。

これからいつも雨戸を閉めて聴こうかな(笑)。

閑話休題

オーディオは独りで楽しめる趣味なので「唯我独尊」でもいっこうに構わないが、やはり音質向上のためには仲間同士の人的ネットワークも必要だということをこの度イヤというほど痛感させられた。

その身近で端的な例を挙げてみよう。

つい先日、東海地方にお住いの「I」さんからのメールの一節に次のような記事があった。

「メインのJBLが快調です。理由は、プリからチャンデバの接続をRANケーブル(T式)にしたことと、カートリッジのヤマハMC505とテクニカF7の音色にありそうです。

RANケーブルはCDPからプリへの接続の時は、あまり効果を感じなかったのですが、プリからチャンデバの接続では威力を発揮しました。音像の分離が非常にいいです。」

ホウ~! Tさん式の「RCAケーブル」(線材はRANケーブル)に大いに好奇心を刺激されてさっそく調査開始。

すると、年金生活者にとって一番ネックとなるお値段が極めてリーズナブルであることが判明した(笑)。

さっそく「I」さん経由で、あまり馴染みのない「T」さんに注文してもらい、ご同意のもとに作成していただくこととなった。

「I」さん、「T」さんともに名うてのオーディオ愛好家だしその耳には大いに信頼を置いているので試してみる価値が大いにありそうだ。

ちなみに「T」さん自作のホーン型システム(3部屋)のうちの一つがこれ。



エンクロージャーで)余分な音が付くのを嫌い、
45年前からエンクロージャー(箱)を止められたそうだ。よく分かりますよ!

さて、これまで何度も繰り返し述べてきたようにオーディオは音質に関する変数がメチャ多いので、理論よりも実践を優先するというのが我が家のポリシーである。

つまり「いろいろ理屈をこねてみても実際にやってみなくちゃ分からん!」。

たとえば、その変数というのは「部屋の大きさと形状」「電源事情」「音の入り口の機器」「アンプの個性」「スピーカーのユニットと箱の個性」「これらを繋ぐケーブルの個性」「機器同士の相互の相性」など、もう枚挙にいとまがないほど。

加えて、肝心のリスナー側にも耳の個体差があって、いつぞやのテレビ番組で「耳の内部構造にもそれぞれ個人差があって、聴きとれる音も千差万別だ」と言ってた。

自分では「いい音」だと思っていても、他人が聴くとそれほどでもないという悲喜劇がしょっちゅう繰り返されているのもそれが主因でしょうよ(笑)。

とはいえ、オーディオは五里霧中の世界と言ってしまえば身も蓋もないので、せいぜい「理論4割、実践6割」というところが相場でしょうか~。

そして「T」さんから程なく「RCAケーブル」(1.5m)が到着した。



あまりに細すぎてちょっと見た目が貧弱そう、音もプアじゃなければいいが・・(笑)。

あまり期待感を持たずに試聴してみた。

使用するスピーカーは「AXIOM80」である。

どんなオーディオ機器もこのスピーカーを通すと、たちどころに正体が判明するので我が家のリトマス試験紙のような役割を果たしておりメチャ重宝している。

ところが一聴しただけであまりの「ハイスピード感」に陶然となってしまった。

これは凄い! 近年まれにみる衝撃である。


ただし、いい歳をして「一目惚れ」し、すぐに浮かれても”はしたない”ので(笑)、1日中じっくりと腰を据えてありとあらゆる音楽ソースに耳を傾けてみた。

その結果、Tさんに直接次のようなメールを送信した。

以下、続く。

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