「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

指揮者カラヤンの思い出

2019年07月30日 | 復刻シリーズ

つい先日のブログで触れた名指揮者「フルトヴェングラー」(1886~1954)。

もはや没後65年にもなるが、歴史の闇に消え去るどころかますます光芒を放っているように思える。

しかるに一世を風靡したカラヤン(1908~1989)はまだ没後30年しか経っていないのに忘却の彼方に去りつつあるようだ。

以前のブログで「フルトヴェングラーとカラヤン」という本を紹介したが、その中でベルリン・フィルの旧楽団員が、「フルトヴェングラーは今でも愛好者が沢山いるが、カラヤンは段々忘れ去られつつある。どちらが優れた指揮者かはもう結論が出ている。」と述べていたことが印象に残っている。

どんな指揮者でもフルトヴェングラーと比べるのはちょっと可哀そうというものだが、カラヤンは世界最高峰のベルリンフィルの常任指揮者としてクラシックの一時代を画した功労者であることは疑いを容れない。

そこで、クラシック専門チャンネル「クラシカ・ジャパン」(CS放送)で「ヘルベルト・フォン・カラヤン~その目指した美の世界~」(1時間40分)という番組を放映していたので、この際だとばかり録画したうえでじっくり観賞してみた。

この番組は当時カラヤンと共演した演奏家や家族が登場して思い出を語るドキュメンタリー形式だったが、いろんなエピソードが次から次に登場してきてクラシックファンにとってはたまらない番組だった。

たとえば当時一世を風靡したヤノヴィッツ(ソプラノ、「魔笛」の王女役)やルートヴィッヒ(メゾソプラノ、「大地の歌」)など、高齢にもかかわらず元気な姿で登場してきて実に懐かしかったが、とりわけ興味を惹かれたのが番組中程に登場した娘さんの次の言葉だった。

「父の涙を一度だけ見たことがあります。ザルツブルグでキーシンの演奏を聴いた父はとても感動していました。」(曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。指揮「カラヤン」、ピアノ「キーシン」、オーケストラ「ベルリン・フィルハーモニー」)

キーシンは当時のことを番組の中で次のように語っている。

「カラヤンと握手したら小柄な人なのに手はとても大きくみえました。そして体はとても“きゃしゃ”なのに握手は力強いものでした。彼が黒いメガネの奥から刺すような視線で私を見ているのを感じました。演奏の後、彼は無言でした。私が彼と皆の方へ数歩近づくと彼は私に投げキスを、そしてメガネを外し目をハンカチで拭いたのです。」

カラヤン夫人も「彼とは30年間暮らしているけれど、こんなに感動した姿は初めて見たわ」
と証言する。 そして、再びキーシンは語る。

「帰るときにカラヤンはそこに来ていた私の母に近づき、握手して私を指さし“天才です”と言いました。私は評価を期待して弾いたわけではありません。私の意思を超えた何かがカラヤンによって引き出されたのです。私の中に眠っていた何かが目覚めたのです。」

演奏時のキーシンはこの映像で見る限り非常に若くて10代後半の少年のように映るが、この若さで天下のカラヤンを泣かせたのだからその才能にはまったく恐れ入る。

そういえば、渡欧して指揮者チェビリダッケやスイトナーに師事し、現在プロの音楽家として活躍している高校時代の同級生がキーシンの演奏を評して次のように過去のブログに登載していた。 

『<素晴らしい>という言葉を忘れてしまうほどに「自然な」音楽。どこにも何の無理も誇張も頑張りもアピールもありません・・・・。音楽という言葉すら忘れてしまいそうです。

ピアノという楽器と音楽と自分という存在と思いとの全てが重なるわずかな一点を捉えて、その一点から一分さえもぶれることのない演奏スタイル。このようなピアニストは世界中探してもキーシンただ一人しかいないでしょう。

仰ぎ見る大天才と言うべきでしょう、うれしい事ですね、こういう人が存在しているということは・・・。』

そういうわけで、久しぶりにこの「仰ぎ見る大天才」の演奏を聴いてみようかといくつかのCDを引っ張り出してみた。
                         

ここ2~3日集中して聴いてみたが、たしかに名演には違いないものの不思議なのはどうしてこうもショパンの作品の録音が多いのだろうか。

ちょっと辛らつな言い方になるが、これでは才能の浪費というものだろう。

なぜモーツァルトの「ピアノ・ソナタ全曲」やドビュッシーの「前奏曲集」、それからベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ32番(作品111)を録音しないのだろうか。自信がないのかな(笑)。

最後に、この番組の中でカラヤンがリハーサルのときにワーグナーの音楽について語った言葉が印象に残っている。

「ワーグナーの音楽は演奏不可能だとよく言われるが、彼なりの根拠はある。出来るだけ多くの音符を懸命に演奏すればざわめく背景のような響きになり炎がシュッという音に聴こえるんだ。ではピッコロも一緒に・・・。

これ(ワルキューレ」第三楽章)は、まさにベルリンフィルのための曲目だ。ワーグナーが“私の思い通りにこの作品が演奏されたら危険過ぎて禁止される”と言った意味が初めて分かった。」

実演でさえ困難を極めるのだから、オーディオ・システムでの再生ともなると“推して知るべし”でワーグナーの音楽は危険がいっぱい。しかし実に魅力的だ~(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修理から戻ってきた「300B」アンプ

2019年07月28日 | オーディオ談義

「300Bアンプの修理が済みましたよ。今から持って行きます」

   

年期の入ったアンプビルダーのKさん(大分市)から連絡があったのは26日(金)午前中のことだった。丁度修理に出してから1週間ほど経った頃だった。

「どこが悪かったのですか?」

「ハイ、盛大なハム音の原因は電解コンデンサーの容量漏れでした。4本のうち2本が使い物になりませんでしたので、すべて4本とも交換しておきました。控えめな動作だし耐圧500Vと余裕があるので10年以上は大丈夫だと思います。」

やっぱり電界コンデンサーだった。「北国の真空管博士」の当初のお見込みどおりで、改造したときに中古品が使ってあったので気になっていたとのこと。

       

これが故障した電解コンデンサーで、型番のKSの頭文字は泣く子も黙る「ウェスタン」製品の証明だそうだがどうやら寿命が尽きたらしい。

ちなみに、ウェスタン製のコンデンサーはもう年月が経って寿命が尽きかけているのが相当あるようで、それに伴う故障がかなりあり、ひいては真空管にもダメージを与える例があるとのこと。

「ウェスタン製」といってありがたがるのも「ご用心」といったところですかね(笑)。

30分後くらいにKさんがお見えになって、さっそくの音出しだったが無事に音が出てくれてホット一息。

「おかげさまで助かりました。どうもありがとうございました。」と、格安の修理代を含めてひたすら感謝の言葉しかなかった。

20分ほどで辞去されたが、折りしも午後からは大分市からオーディオ仲間たちがお見えになった。

オークションに出品を依頼していた機器が首尾よく売れたのでその代金を持参していただいたもので、5品目ぶん〆て「54、850円」なり。

これでオーディオ・ハンターとしてまた新たな獲物を狙えるが、このくらいだと大物は望めそうもないかな(笑)。

話は戻って、さっそく修繕なった300Bアンプを仲間たちに披露したが、以前よりも何だかパワー感が薄れた感じがする。直接の言及はなかったが、同じ雰囲気だった。

長年付き合っていると「以心伝心」でだいたい分かる(笑)。

「新品の電解コンデンサーのエージングには最低でも2週間みておいたほうがいいです」(博士談)と言われていたのを思い出した。

結局そういうことなんでしょう。

急遽、システムを代えて「ウェストミンスター」(改)へ。

ちなみに仲間お二人さんの音楽ソースはレコードである。お見えになるたびに「CDを止めてレコードにしましょうよ」と勧誘される。

たしかに、どんなにCDを極めたとしてもレコードの音質には及ばないことは分かっているが、それも中身によると思う。

たとえば、レコードの場合、フォノモーター、ピックアップ、カートリッジ、トーンアーム、フォノイコライザーなどの部品がピタリとマッチしないといい音はなかなか出せない。

したがって中途半端なレコードシステムだとCDには及ばないことが多々ありそうだ。

「もし〇〇さんがレコードに取り組むと凝り性だからたいへんなことになりそうですね」

「やっぱり(人生の)残りの時間を考えると、今さらですもんねえ。それにレコード自体が輸入盤と国内版では月とスッポンみたいに値段の差があるでしょう。ましてや名盤ともなると目の玉が飛び出るような価格になるそうですね」

「そうなんです。たとえばリー・モーガンの初期版ともなるとメチャ高い値段がしてますが、すぐに売れるのが不思議です。メチャ熱心なマニアが実際にいますね」

   

というわけで、さっそくリー・モーガンの「サイド・ワインダー」(ブルーノート)を聴いていただいた。昔のジャズの有名どころはシステムのテスト盤としてかなり持っている積り(笑)。

「ウム、この低音はいい!」となかなかの好評でしたぞ(笑)。続いて止めはワーグナーの「ワルキューレ」。

この2曲でどうやら有終の美を飾れた気がしている(笑)。

ただし、この日一番盛り上がった話題は例の輸出管理に伴う「韓国」の話。

議論は「どうしてあんなに訳の分からん連中なんだろうか。日本を甘く見てきた罰だ。これから徹底的に思い知らせてやるといい」に落ち着く。

我が家にお見えになるお客さんはすべてオーディオがらみの方々だが、口を揃えて韓国を罵倒されるのが常だ。

オーディオ愛好家は愛国心がことのほか強いのかな(笑)。

ちなみに古い話を持ち出して恐縮だが、戦前には「五族協和」の精神が提唱されていた。

五族とは「日本人、漢人、朝鮮人、満州人、蒙古人」を指す。今となっては想像だにできない区分ですね!(笑)

その背景には「白色人種は黄色人種を仲間に入れてくれない」という思想のもとに「大東亜共栄圏」をつくって西洋列強に対峙しようという遠大な構想があったが、これは当時の「大日本帝国」の独り勝手な思惑であったことは悲しいことに歴史が証明している。

しかし、「歴史は巡る」で今や日本の代わりに中国がのし上がってきた。

一部の学者の意見によると「共産主義国家中国はいずれ潰れる」とあったが、どうも潰れる気配が微塵もない(笑)。膨大なAI機器を駆使した監視国家のおかげだろうか。

いずれ日本は「アメリカ」と「中国」のどちらにつくか切実な選択を迫られる時期がやって来そうだが、「日本が言論の自由がない国になったらたいへんなので香港みたいに死に物狂いで抵抗する」という仲間が多いようですよ(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →       



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「モーツァルト天才説」に思う

2019年07月27日 | 復刻シリーズ

先日のこと、テレビを観ていたら、一般の人にはちょっと敷居が高いとされるクラシック音楽にもっと親しんでもらおうという目論みの番組があった。解説はヴァイオリニストの「葉加瀬太郎」氏。

冒頭に「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」(イギリスの文学者)という言葉が紹介された。

その意味は、たとえば同じ芸術の範疇にある文学の場合はどうしてもその時代の道徳とか社会のルールに制約を受けてしまう、一例をあげると一夫多妻制の国と一夫一妻制の国とでは、複数の女性を愛したときの文章表現がどうしても変わってしまう。

その点、音楽は音符の組み合わせによって調べを作るだけなので、言語の違いなどを含めて何ら制約を受けることなくあらゆる国境を乗り越えて人の心に沁みこみ親しまれるという趣旨だった。

「音楽は哲学よりもさらに高い啓示である」と言ったのはベートーヴェンだが、芸術はスポーツなどと違って「順番」を付けるのは意味が無いなので「音楽はあらゆる芸術の中で最高だ」なんて野暮な話は抜きにしましょうね(笑)。

さて、本題に戻って、この番組の中で葉加瀬氏が「モーツァルトは天才です。次から次に楽想が浮かんで音符を書くのが追いつかないほどで彼の楽譜に接するたびに天才と対面している思いがします。」と言っていた。

これまで「モーツァルト天才説」は耳にタコができるほど聞かされてきたが、はたしてほんとうの意味で天才だったのだろうか?

この論議については格好の本がある。「モーツァルト 天才の秘密」

                                    

「ご存知のとおり、人間一人ひとりは生まれながらにして風貌も違えば五感すべての感受性も違うし、運動能力にも天地の違いがある。 

そして、その差が遺伝子の相違に起因することは疑いがない。さらに人間はこの遺伝子に加えて生まれ育った環境と経験によっても変容を遂げていく。そうすると、一人の人間の人生行路に占める遺伝子の働きの割合は”どのくらい”と考えたらいいのだろうか。」

この興味深いテーマを天才の代名詞ともいうべきモーツァルトを題材にして解明を試みたのがこの本だった。

著者の中野 雄(なかの たけし)氏はケンウッド代表取締役を経て現在、音楽プロデューサー。
 

自然科学の実験結果のようにスパッとした解答が出ないのはもちろんだが、脳科学専攻の大学教授の間でも説は分かれる。

「知能指数IQの60%くらいは遺伝に依存する」との説。「脳の神経細胞同士をつなげる神経線維の増やし方にかかっているので、脳の使い方、育て方によって決まる」との説などいろいろある。

集約すると「およそ60%の高い比率で遺伝子の影響を受けるとしても残り40%の活かし方で人生は千変万化する」とのこと。

モーツァルト級の楽才の遺伝子は極めて稀だが、人類史上数百人に宿っていたと考えられ、これらの人たちが第二のモーツァルトになれなかったのは、生まれた時代、受けた教育も含めて育った環境の違いによるとのこと。


この育った環境に注目して「臨界期」という興味深い言葉が本書の52頁に登場する。

これは、一定の年齢以下で経験させなければ以後いかなる努力をなそうとも身に付かない能力、技術というものがあり、物事を超一流のレベルで修得していく過程に、「年齢」という厳しい制限が大きく立ちはだかっていることを指している。

顕著な一例として、ヨーロッパ言語の修得の際、日本人には難解とされるLとRの発音、および聴き取りの技術は生後八~九ヶ月が最適期であり、マルチリンガルの時期は八歳前後というのが定説で、0歳から八歳までの時期が才能開発のための「臨界期」というわけである。

もちろん、音楽の才能もその例に漏れない。ここでモーツァルトの登場である。

幼児期から作曲の才能に秀で、5歳のときにピアノのための小曲を、8歳のときに最初の交響曲を、11歳のときにオペラを書いたという音楽史上稀に見る早熟の天才である。

モーツァルトは産湯に漬かったときから父親と姉の奏でる音楽を耳にしながら育ち、三歳のときから名教師である父親から音楽理論と実技の双方を徹底的に叩き込まれている。

この父親(レオポルド)は当時としては画期的な「ヴァイオリン基本教程試論」を書いたほどの名教育者であり、「作曲するときはできるだけ音符の数を少なくしなさい」と(モーツァルトを)鍛え上げたのは有名な話。

こうしてモーツァルトは「臨界期」の条件を完璧に満たした申し子のような存在であり、この父親の教育をはじめとした周囲の環境があってこそはじめて出来上がった天才といえる。

したがって、モーツァルトは高度の作曲能力を「身につけた」のであって、「持って生まれてきた」わけでは決してない。

群百の音楽家に比して百倍も千倍も努力し、その努力を「つらい」とか「もういやだ」と思わなかっただけの話。

そこで結局、モーツァルトに当てはまる「天才の秘密」とは、育った環境に恵まれていたことに加えて、「好きでたまらない」ためにどんなに困難な努力が伴ってもそれを苦労と感じない「類稀なる学習能力」という生まれつきの遺伝子を持っていたというのが本書の結論だった。

これに関連して小林秀雄氏の著作「モーツァルト」の一節をふと思い出した。
  
この中で引用されていたゲーテの言葉
「天才とは努力し得る才だ(エッカーマン「ゲーテとの対話」)に対する解説がそうなのだが、当時はいまひとつその意味がピンとこなかったが、ここに至ってようやく具体的な意味がつかめた気がする。

「好きでたまらない」ことに伴う苦労を楽しみに換える能力が天才の条件のひとつとすれば、かなりの人が臨界期の環境に恵まれてさえいれば天才となる可能性を秘めているといえるのではなかろうか。

天才とは凡人にとって意外と身近な存在であり、もしかすると紙一重の存在なのかもしれない。

とまあ、かいつまむと以上の内容だが「天才」という言葉は「天賦の才」という意味であって、人工的に手を加えられた才能ではないと思うので、巷間「モーツァルト天才」説を聞くたびに何かしらの違和感を覚えてしまう。

ただし、「類稀なる学習能力こそ天才の証しだ」と、反論される方がいるかもしれない。

皆さまはどちらに組しますか?
 

この内容に共感された方は積極的にクリック →       

 

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リチウムイオン電池」の使用実験

2019年07月25日 | オーディオ談義

「サム・テイラーのCDを手に入れました。よろしかったらお貸ししますよ」

木村好夫のギター演奏をはじめラテン音楽など、軽音楽の好みが一致する知人「I」さんからのお誘いだった。歩いて5分ほどの所にお住いの方である。

はて、サム・テイラーって誰だっけ?

「テナーサックス」奏者ぐらいしか思いつかないし、ジャズ史の中でどういう位置づけにあるのかさっぱり不明だが、折角のご厚意なのでありがたくお借りすることにした。

ちょうど日曜日(21日)の午前中のことで、午後からオーディオ仲間のYさんがお見えになる日だった。

       

まだ封切り前だったのをありがたく破らせてもらって、Yさんと一緒に耳を澄ました。

「何だか場末の安酒場で吹いているような演奏ですね」と、相変わらず歯に衣(きぬ)を着せないYさんだった。

せっかく貸してくれたのにご免なさいね、「I」さんがこのブログを読まれていないことを切に祈ります(笑)。

続いて、「口直し」のように、今度はYさんが持参されたCDを聴くことにした。たいへんな優秀録音だそうで、古代ギリシャの宮殿で厳かな儀式が執り行われているときの「祭礼音楽」ともいえる。

   

「とても澄んだ音が出る録音ですね!古代の宮殿の雰囲気を彷彿とさせる演奏です。チリ~ンという鈴の音がとてもリアルに響きますよ。」と、自分。

「075ツィーターがとても利いてますよ、さすがです!」と、Yさん。

聴いているシステムはウェストミンスター(改)を「WE300Bオールドもどき」アンプ(モノ×2台)で駆動したものだったが、耳のいいYさんを前にして丁度いい機会とばかりオリジナルの「WE300B」(1988年製)と「WE300Bオールドもどき」(以下「もどき」)の聴き比べをやってみた。

        

その結果、画像の「もどき」が大善戦だったが、さすがに「WE300B」にはわずかに及ばずといったところだった。ちょっと言葉で表現するのは難しいほどの微妙な違い。

「もどき」はまだ新品同様なのでエージングが進めばもっと良くなりそうな気配がするので、これからせっせと聴き込まねばと決意を新たにしたところ(笑)。

テストが済むと今度はスピーカーを変えてYさんが大のお気に入りの「AXIOM80」へ。駆動するアンプは「6AR6=6098シングル」アンプ。

        

さすがに緻密な表現力が得意の「AXIOM80」らしくギリシャ宮殿の儀式の雰囲気が見事に再現された。

「まるでクレオパトラとアントニウスが登場したかのようです」としきりに感嘆されるYさん。

「AXIOM80には今のところこのアンプがベストですね」

「ええ、私もそう思います」

ここで、興に乗ったYさんからありがたい提案があった。「電源をソニー製のリチウムイオン電池にしてみませんか。今、クルマに積んでますが」

「エッ、それは願ってもない実験ですね。さっそく試してみましょう」

オーディオ機器の電源は音質の根幹に関わって来るほど重要だが、こればかりは実際にトライして肌身で実感しないと分からない。

   

我が家のオーディオ機器の電源はすべて「200V電源から降圧トランスを使って100V」にしたもので一般の家庭用電源から隔離しているが、そのうちの2台を「リチウムイオン電池」に付け替えた。

「電源効果」が一番発揮できるのはやはりデジタル機器の要である「DAコンバーター」である。こればかりはこれまでの経験上から断言してもいいくらいで、万事に換えめな自分が言うのだから間違いなし(笑)。

そこで「エルガー・プラス」(dCS)と「HD-7A・192」(フェーズメーション)の2台を画像のとおり接続した。使用する電源コードは、もちろん「ドミナス」(PAD)である。

ワクワクしながら二人して耳を澄ませた。

すると、まあ・・・。

もうこれ以上は分かりきったことを言わない方がいいだろう(笑)。

「大いに気に入りました。しばらく置かせてもらえませんか」

「ええ、いいですよ。容量の大きいリチウムイオン電池を新しく手に入れましたから」

持つべきものはやはり熱心なオーディオ仲間ですねえ(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →      



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クラシックの核心」~読書コーナー~

2019年07月23日 | 読書コーナー

音楽評論(クラシック)の大御所だった吉田秀和さんが亡くなられてからおよそ7年になる。

あまり肌合いがマッチした評論家ではなかったが、いかにも存在感が大きかっただけに、はたして吉田さんに続く後継者は現れるんだろうかと思っていたら、どうやらちゃんとふさわしい方がおられたようだ。

              

「クラシックの核心」(2014.3.30、河出書房新社刊)を読んでそう思った。「です、ます」調の柔らかい文体がいかにも吉田さんの著作
を彷彿とさせてくれたし、中身も濃い。

著者の名前は「片山杜秀」(かたやま もりひで)氏。巻末の経歴欄を伺うと1963年生まれで現在は慶應義塾大学法学部教授。

過去に「音盤考現学」「音盤博物誌」「クラシック迷宮図書館(正・続)」などの著書があり、「吉田秀和賞」をはじめ「サントリー学芸賞」「司馬遼太郎賞」など数々の賞を受賞されている。

本書の内容は次の構成になっている。

1 バッハ  精緻な平等という夢の担い手
2 モーツァルト  寄る辺なき不安からの疾走
3 ショパン  メロドラマと“遠距離思慕”
4 ワーグナー  フォルクからの世界統合
5 マーラー  童謡・音響・カオス
6 フルトヴェングラー  ディオニュソスの加速と減速
7 カラヤン サウンドの覇権主義
8 カルロス クライバー  生動する無
9 グレン・グールド  線の変容

この中で特に興味を惹かれたのは、「フルトヴェングラー」と「グレン・グールド」だった。

前者では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」

オーディオ的にみて実に興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが目的の我が家のシステムとフルトヴェングラーとの相性が良くないのもそういうところに原因があるのかもしれない。

通常「いい音」とされているのは、端的に言えば「分解能があって奥行き感のある音」が通り相場だが、指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があったのかもしれないと思った。

ただし、改造したことにいっさい後悔はしておりませんが(笑)。


それにしても、改めて「いい音とは」について考えさせられるお話だった。

次にグールド論についてだが、これはグールドファンにとっては必見の内容で、まだお読みになっていない方はぜひお薦めします。

稀代の名ピアニスト「グレン・グールド」(故人、カナダ)が、ある時期からコンサートのライブ演奏をいっさい放棄して録音活動だけに専念したのは有名な話でその理由については諸説紛々だが、本書ではまったく異なる視点からの指摘がなされており、まさに「眼からウロコ」だった。

まず、これまでのコンサートからのドロップアウトの通説はこうだ。

 グールドは潔癖症で衛生面からいってもいろんなお客さんが溜まって雑菌の洪水みたいな空間のコンサート・ホールには耐えられなかった。

 お客さんのプレッシャーに弱かった。


 極めて繊細な神経の持ち主で、ライブ演奏のときにピアノを弾くときの椅子の高さにこだわり、何とその調整に30分以上もかけたために聴衆があきれ返ったという伝説があるほどで、ライブには絶対に向かないタイプ。

そして、本書ではそれとは別に次のような論が展開されている。(188頁)

「グールドによると、音楽というのは構造や仕掛けを徹底的に理解し、しゃぶり尽くして、初めて弾いた、聴いたということになる。

たとえばゴールドベルク変奏曲の第七変奏はどうなっているか、第八変奏は、第九変奏はとなると、それは生演奏で1回きいたくらいではとうてい分かるわけがない。たいていの(コンサートの)お客さんは付いてこられないはず。

したがって、ライブは虚しいと感じた。よい演奏をよい録音で繰り返し聴く、それ以外に実のある音楽鑑賞は成立しないし、ありえない。」


以上、初めて聞く新説だが40年以上にわたってひたすらグールドを聴いてきたので“さもありなん”と思った。非常に説得力があると思う。

そもそもライブのコンサートには(よほどの演奏家を除いて)興味がなく、ひたすら「文化果つる田舎」(笑)の自宅のシステムで音楽に聴き耽る自分のような人間にとってはまことに「我が意を得たり」である(笑)。

「音楽は生演奏に限る。オーディオなんて興味がない。」
という方をちょくちょく見聞するが、けっして自慢できる話ではなく、ほんとうの音楽好きとは違うことを銘記しておかなければならない。

さらにオーディオ的に興味のある話が続く。

「その辺の趣味はグールドのピアノの響きについてもつながってくる。線的動きを精緻に聴かせたいのだから、いかにもピアノらしい残響の豊かな、つまりよく鳴るピアノは好みじゃない。

チェンバロっぽい、カチャカチャ鳴るようなものが好きだった。線の絡み合いとかメロディや動機というものは響きが豊かだと残響に覆われてつかまえにくくなる。」
といった具合。


グールドが「スタンウェイ」ではなくて、主に「ヤマハ」のピアノを使っていた理由もこれで納得がいきそうだが、響きの多いオーディオシステムはたしかに心地よい面があるが、その一方、音の分解能の面からするとデメリットになるのも愛好家ならお分かりのとおり。

したがって、グールドの演奏はJBL系のシステムが似合っていて前述のフルトヴェングラーの演奏とは対極の位置にあることが分かる。

結局、こういうことからすると「いい音」といっても実に様々で指揮者や演奏家のスタイルによって無数に存在していることになる。

逆に言えば、一つのシステムで何から何までうまく鳴らそうなんて思うのは虫が良すぎるのかもしれない。

世の中にはそれこそピンからキリまで様々なオーディオ・システムがあるが、高級とか低級の区分なくどんなシステムだってドンピシャリと当てはまる録音と演奏がありそうだと考えると何だか楽しくなりますね~(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →      


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またもやピンチはチャンス

2019年07月22日 | オーディオ談義

せっかくこの世に生まれてきたのだから、人生を思う存分謳歌したいというのが人情というものだが、その方法はといえば人それぞれ。

たとえば、近所のご主人はゴルフが大好きで「あの人からゴルフを取ったら何も残らない」と言われているほどだが、「このところ梅雨の時期とあってゴルフに満足に行けず、奥様に八つ当たりしているそうよ」と、家内が言っていた。

そして「あの人からオーディオを取ったら何も残らない」と、たぶん言われているはずなのがこの自分だ(笑)。

天候に左右されることもなく、さほどの体力も要らず、機器のスイッチを入れるだけで楽しめるとあってヒステリーの起きようがない「ありがたい趣味」だが、このところ毎日2系統のシステムを半分づつ使い分けている。


たとえば朝起きてから昼食までの時間を「トライアクショム」(グッドマン)で聴き、午後からはウェストミンスター(改)で聴くといった具合。

つまり一つの真空管アンプをぶっ続けで6時間ほど聴いている勘定になるが、つい先日のこと「WE300オールドもどき」の出力管を使ったアンプから「ブ~ン」という嫌なハム音が聞こえてきた。

  

音が鳴っているときはさほど目立たないが、鳴りやむとかなり盛大に聞こえてくる。明らかに故障である。さあ、大変!

こういうケースではひところは「ご飯が喉を通らない」ほど心配したものだが、今ではスペアのアンプが3台ほどあるのでさほど慌てることも無く泰然自若としている、といったらウソになるかな(笑)。

両方のスピーカーからハム音が出るということは、どうやら電源部のコンデンサーあたりのトラブルらしい(「北国の真空管博士」談)。

さっそく、大分市在住のアンプ修理のベテランKさんにお願いして取りに来ていただいた。持っていくのが礼儀だが、何しろ重たいので腰を痛めそう。

その点Kさんはガッチリした体格で腰痛とは無縁そうな力持ち。

「測定器で調べて修繕しておきます。1週間ほど時間をください」

「ハイ、よろしくお願いします。我が家のエース級なので部品交換の際はなるべくならハイグレードのものをお願いします」で一段落。

さあ、そこでスペアの真空管アンプの出番となるがどれを使おうかな?

候補としては3台あって「6098シングル」「PX25シングル」そして「300Bシングル」(モノ×2台)。

何しろ「ウェストミンスター」(改)のバックロードホーンの大きな空気の塊りを力強く押し出すためにはそこそこのパワーが必要となる。

そして、いろんな事情を勘案して最終的に選んだのは「300Bシングル」(モノ×2台)だった。

   

エースの故障のおかげで、ようやく表舞台に登場といったところかな(笑)。

せっかくの機会だからベストの真空管で臨むことにした。

前段管はマルコーニの「MH4」(メッシュプレート)、出力管は「WE300Bオールドもどき」、整流管は「CV378」(ムラード)を投入。

インターステージトランスは別にして、ほかのトランス類はすべてタムラの特注品。購入してから軽く30年以上になるが、改造を4回ぐらいやったかな(笑)。

このアンプで耳を澄まして聴いてみると、800ヘルツ以上を担当しているJBLの「175ドライバー」がややウルサ気味に聴こえてきた。特にヴァイオリンがややキツイ。

コンプレッション・ドライバーはツボにハマったときはいいが、ときに紙一重で刺激的な響きを出すことがあるが今回がそれ。

アンプとの相性がイマイチのようで、これだけ音が変わるのだからやはりオーディオは難しい。それかといって800ヘルツから使用できるユニットは無いしと困り果てたところ、ふと思い出したのが、つい先日購入したテクニクスのスコーカー。

   

あえなく「175」との競争に敗れて倉庫に保管していたが比較的穏やかな音を出すコーン型(口径12センチ)だから、駆動するアンプが変われば逆に持ち味が発揮できるかもしれない。

しかもスコーカー専用なので上限が「6000ヘルツ」になっておりハイカット用のコイルも不要ときている。これはまさに一石二鳥の「敗者復活戦」だと張り切った(笑)。

難なく結線(銀線)を終え、ネットワークのボリュームを最大限に上げてようやくバランスが取れた。

う~む、なかなかいいじゃないか!

明らかにクラシック向きの音で弦楽器がなかなか瑞々しい響きを出す。どうやら新アンプのおかげでスコーカーが息を吹き返したようだ。いつも言っているようにスピーカーを生かすも殺すもアンプ次第なんだから(笑)。

   

去る19日(金)にお見えになった超辛口のMさん(福岡)から、一押ししていただいたのが新装なったこのシステムだった。

ウェストミンスター(改)でクラシックを聴くのならこれがべストだろう。ジャズなら「175」の出番かな~。

それにしても、今回もやはり「ピンチはチャンス」で、1台のアンプの故障のおかげで思わぬ活路が開けたことになる。

改めて、オーディオは簡単に諦めたらダメですね(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    





  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生きた情報」を得るために必要なものとは

2019年07月20日 | 独り言

「オークションで落札してほしい品物があるんですけどいいですか」と、いつものオーディオ仲間からの連絡があった。

「ハイ、お安い御用ですよ」

お目当ての品物は”またか”と言っては叱られるが(笑)、やっぱり電源コードだった。

   

純銀線の2mの電源コードがこれ。

送金後すぐに我が家に到着したので、仲間に連絡すると「今から取りに行きます」

今回は、拝見したところ25歳前後の息子さんと一緒のご来訪だった。いやあ、どうもはじめまして~。

詳しくお話を伺ってみると、現在はお父さんが運営する法人に勤めておられるが学生時代(東京)はギターに熱中してバンドまで結成されていた由。

今でも熱心にギターを続けておられるとのことで「朝の湿度の具合で音が変化するのがわかります」

お父さんはフルートの名手だし、まさに音楽一家ですね。

ギターがお好きならと「木村好夫のギターを聴いてみましょうか」と、さっそく選曲。スピーカーは「トライアクショム」(グッドマン)。

   

こういうアコースティック系の楽器となると「AXIOM80」の独壇場だが、あいにく休養中なので仕方がない。

聴いていただいた結果はといえば、さしたる感想を述べられなかったがどうにか合格点だったかな?(笑)。

若い方の耳は高音域の音が良く聴きとれるので絶好の機会かもしれないと、出力管の聴き比べをしたくなった。

   

このところハマっている「PX25シングル」アンプのドーム管とナス管の聴き比べである。

その結果はといえば、「ドーム管はレンジが広いけどやや薄味気味ですが、その一方、ナス管はレンジはやや狭いけどリッチな音のような気がしました」

ウ~ン、なるほど。一理ありますな!(笑)

お客様がお見えになると何かと参考になってありがたい。

そして、19日(金)は福岡在住のMさんが奥様の病院(別府市内)の定期検診のついでにと我が家にお見えになった。

国内外の高名なオーディオ愛好家と交流があり、誇り高きMさんはいつも辛口である。この日も耳が痛い話が盛沢山だった(笑)。そのうちの一つがこれ。

「ネットでオーディオ情報を公開している程度の交流では(レベルアップするのに)物足りないですね。本格的な愛好家になると貴重な情報をネットに流すことはまずありません。もっと視野を広げてネット以外の交流の範囲を広げた方がいいんじゃないですか」という趣旨だった。

大先輩に対して「いやあ、ごもっともです。」としか言いようがなかったが(笑)、「本当の生きたオーディオ情報はネット程度では得られない」という言葉は至言かもですね。

人間はとかく楽をしたがる動物だと思うが、本当にためになる情報を得ようと思ったら「血(お金)と汗(努力)と涙(失敗体験)が必要です」と言ったら「上から目線」の物言いになるかなあ。

ただし、このブログのハイレベルな読者におかれましては「そんなことはとっくの昔に知ってるよ」だと思いますがね(笑)。


さて、この日は「ワルキューレ」(ワーグナー)をウェストミンスター(改)で聴いていただいた。

    

「3年前に聴いたときよりもずっとバランスが良くなっている。オペラは低音域の支えがないと聴けない音楽だけど、なかなかいい線を行っているよ。タンノイの箱はやはり独特の響きを出すなあ・・・」

およそ2時間ほどで辞去されたが、数多くの場数を踏んだメチャ辛口の方からこれほど褒めていただくと「自信」が「確信」に変わろうというものです(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽鑑賞向きの音 VS オーディオ向きの音

2019年07月18日 | 音楽談義

このところネットニュースで夢中になっているのが韓国への「輸出規制」問題。

思いもかけないカウンターパンチを喰らっての韓国政府の慌てぶりが楽しい(笑)。

基幹的な技術が欠けている自国の半導体産業をどう展開させるか、まさに正念場なのにいまだにつまらない意地や面子にこだわっている感じの文大統領。

「引くに引けない」のが実状だろうが、現在の韓国はかっての日本海軍を彷彿とさせますな。

「航空機の時代」が到来しているのに「戦艦大和」の乗組員の失業問題に拘って対応が遅れてしまい、敗戦の一因になった。(「失敗の本質」野中郁二郎他著)

国の存亡と失業問題の「優先順位」を明らかに誤ってしまったのが原因だが、現在の韓国の最優先事項は「半導体産業の存亡」ひいては「国の存亡」なのに・・。一番の被害者は国民だからお気の毒~。

閑話休題

前回からの続きです。

真空管アンプとスピーカーの相性テストから面白いことに気付いた。

今さらとはいえ、音にはどうも「オーディオ向きの音」と「音楽鑑賞向きの音」の2種類があるようなのだ。

たとえば「6098シングル」アンプが「オーディオ向きの音」とすると、PX25(ドーム管)シングル」アンプは「音楽鑑賞向きの音」といった具合。

ここで「オーディオ向きの音」と「音楽鑑賞向きの音」っていったい何のことだ、そもそも分ける必要があるのかという話になるのは必然ですよね(笑)。

以下、未熟ながら「私見」として少々分け入ってみよう。

オーディオの要諦は周知のとおり「原音再生にあり」ですよね。言い換えると「録音現場の音」をそっくりそのまま雰囲気さえも再生することがベストだが、それは物理学的にみてとうてい無理な話。

となると、二つのアプローチに分類できる。

一つは出来るだけ「原音再生に近づくことを目指す」方向へ、もう一つは「原音再生に拘ることなく聴感上、イメージを膨らましやすいような音を目指す」方向へ。

前者が「オーディオ向きの音」であり、後者が「音楽鑑賞向きの音」というわけ。

なかなか抽象的で理解しづらいだろうから実例を挙げてみよう。

たとえばモーツァルトのオペラに「ドン・ジョバンニ」がある。大好きな「魔笛」に匹敵するほどの傑作だと思うしドラマティックという意味では古今東西でもベストのオペラだが、これまでいろんな指揮者のものを聴いてきた。

評判のいいヨーゼフ・クリップスを始め、リッカルド・ムーティ、ダニエル・バレンボイムなどだが、残念なことにいまだに「フルトヴェングラー」以上の演奏にお目にかかったことがない。

  

主人公「ドン・ジョバンニ」のふてぶてしい悪漢振りと登場人物たちの心理のあやが音楽的に実にうまく表現されていて、深~い感銘を受けるわけだが、その一方では何しろ当時(1953年)のことなのでモノラル録音だし、それにライブなので非常に音質が悪い。

したがってこの演奏は音楽鑑賞向きとしては満点だがオーディオ向きとしては非常にお粗末といったことになるが、こんな名演奏を聴かされると音質の悪さなんかどうでもいいような気持にさせられるのが不思議。オーディオ愛好家にとっては大いなる矛盾である。

これがそっくりそのまま「音楽鑑賞向きの音」VS「オーディオ向きの音」に当てはまる。

フルトヴェングラーの演奏をオーディオ向きの高音域のレンジが伸びた音で聴くとどうなるか、結果は見えてますよね(笑)。

どうもレンジが広くなると音の密度が薄くなって音楽の濃厚さが減少する印象がしてくるのだ!

つまり、何が言いたいかというと「オーディオ向きの音が必ずしも音楽鑑賞にとっていいとは限らない!」

  

この「フルトヴェングラー全集(107枚)」を毎日少なくとも1枚は聴くようにしている。耳が安易な方向に行かないよう戒めている積り(笑)。

とはいえ、録音と再生技術が進歩した現代ではオーディオ向きの音を第一に優先する人がいてもちっとも不思議ではないし、むしろそれが圧倒的な多数派になるのだろう。

何しろ1950年代前後の往年のマエストロたちによるクラシックの黄金時代を知らない人たちが増えるばかりだから。

「音楽愛好家」と「オーディオ愛好家」の線引きが難しいのもこの辺に由来している気がする。

関連して、これまで周辺で「オーディオに飽きてしまって長続きしない」いわゆる挫折組のケースをちらほら見てきたが、残念なことにきまって「音楽を心から愛することができない人たち」だった。

結局、音楽あってのオーディオなんですよね。

以上、ちょっと偉そうに言ったかもですね、どうもスミマセン(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    





 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真空管アンプとスピーカーの相性テスト

2019年07月16日 | オーディオ談義

このところ登場機会がなかった我が家のSPユニット「トライアクショム」(グッドマン:英国)。

  

およそ70年前の製品で同軸3ウェイ・口径30センチのユニットで低音域から高音域まで良くバランスが取れた素晴らしい音である。

「スピーカーの技術は少しも進歩していない、昔のユニットの方が上だね」という思いをつくづく感じさせる逸品だ。

貴重な文化遺産だと思っているので後世に引き継ぐため、強い音が入ったときにノイズが発生する個所を修理に出したばかりだが、「AXIOM80」の控えとして湿気の少ないところに大切に保管していたものの、この度およそ半年ぶりの復活と相成った。

理由は二つあって、一つは「AXIOM80」のボイスコイルの偏心を防ぐための入れ替え、そして二つ目は新しい真空管アンプ「6098シングル」との相性を試したくなったこと。

このアンプは出力管「6AR6=6098」(5極管)を「3極管接続」にしてある。

   


   

アンプとスピーカーの相性は実際に鳴らしてみないと分からないが、こればかりはオーディオの一番の愉しみと言っていいですね。

何しろスピーカーを生かすも殺すもアンプ次第なんだから~(笑)。

舌なめずりしながら耳を傾けてみると驚いた。

「トライアクショム」には中高音域用の調整ボリュームが付いているが、最小に絞ってようやくサウンドのバランスが取れたのである。しかも上質のサウンドだった。

こんなことは初めてで、アンプ側の高音域の伸びが凄まじいことに改めて感銘を受けた。

そこで大いに気になって北国の真空管博士に問い合わせてみると、

「多極管を3極管接続にすると、高音域が通常の3極管よりも良く伸びるのが通例です。あなたのPX25シングルもナス管とは違ってドーム管の場合は4極管を3極管接続にしていますので高音域は(ナス管)よりも伸びるはずですよ」

いやあ、新しい情報が手に入った!

そこで、さっそく「6098シングル」と「PX25(ドーム管)シングル」との聴き比べに入った。

   

いつもはナス管を使っているがご覧のようにドーム管に衣替え。

もう愉しくて楽しくて、たまらんですなあ!(笑)

そして、「トライアクショム」をベースにしてじっくりと両者を聴き比べてみた結果、今さらながら新たな発見があった!

以下続く。


この内容に共感された方は積極的にクリック →    





 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「超電導線材」の開発に思う

2019年07月15日 | オーディオ談義

7月12日(金)付けの「日本経済新聞」に次のような記事が載っていた。

   

「フジクラ」(株)が「超電導線材」を開発したという話だが、従来の線材に比べて電流を流せる容量が3割以上も大きいという。

これって、もしかして「オーディオ用ケーブル」に応用できないだろうか?

さっそく「フジクラ」でググってみると、同社はすでに電源ケーブルを発売していたが、今のところ高級品としての位置づけにはなっていないようだ。

ケーブルにはひとかたならぬ興味がある自分にも未知のメーカーである。

したがって、今後、同社の新製品には要注目といったところだが、電源ケーブルに留まらず、RCAケーブルにもぜひ手を広げてくれれば言うことなし。

とはいえ、そもそもケーブルってオーディオシステムの中でどういう位置づけにあるんだろう?

周知のとおり機器と機器をつなぐ役割しか持っていないので所詮は陽の当たらない「縁の下の力持ち」的存在だが、実際に使ってみた経験から言わせてもらうと、ケーブルによって音の質感が明らかに変わってくるのでとても重要な存在だ。

ただし、偉そうに言うわけではないがシステムのレベルが冴えないとどんな高級なケーブルを使っても同じことではある(笑)。

そして、このことを裏付ける資料として見つけたのが「RCAケーブルで音に変化はあるのか?」というブログ。せっかくなので内容をかいつまんで紹介させていただこう。

別に「無断転載不可」の記載も無いようなのでどうか悪しからず。もし抗議があればすぐに撤去します。

ちなみに、よそ様のブログを拝見していると「無断転載不可」と書いてあるのをちょくちょく見かけるが、ネットで公開している以上「無断転載」を禁じるなんて無意味だと思っている。

転載してほしくないなら「そもそも初めからブログに載せるな!」と言いたいところだが、これっておかしいですかね。読者の皆様はいかが思われますか(笑)。

話は戻って、この興味深いブログの計測図では3種類の線材を実験した結果400ヘルツあたりから違いが出てきたそうだ。

      

とりわけ1000ヘルツあたりから線材ごとに顕著な乱高下が見られるのがそれ。

線材の違いの理由としては「ケーブルの抵抗値の違い」「ノイズによる影響の差」が指摘されていた。

「抵抗値の違い」とは、まさに冒頭の「超電導線材」に大いに関係してくる話。

フジクラさん、どうか「PAD」(Purist Audio Design)をはるかに上回るような画期的な「電源ケーブル」と「RCAケーブル」を開発してくださいね。

メチャ楽しみにしてまっせ~(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧乏オーディオの悲哀

2019年07月13日 | 復刻シリーズ

オーディオをやっていると必然的にお金が付きものだが、我が家は典型的な「貧乏オーディオ」なのでその悲哀をいつも感じている。

つい先日もご承知のとおりSTCの「4300A」真空管に涙を呑んだばかり。負け惜しみを込めて”ぐだぐだ”書きましたけどね(笑)。

読者も「可哀そうだな」とその辺を感じていらっしゃるのだろうか、過去ブログのアクセスランキングに「お金があり過ぎる悲劇」がランクインしていた。

すっかり忘れていた内容だったが再読してみると我ながらなかなかの出来栄えだったので、以下のとおり再掲させてもらうとしよう。

つい先日、このブログで「旧いステレオサウンド誌(40冊)を無償で差し上げます。」と募集してはみたものの、とうとう希望者が現れなかったので、やむなく去る5日(水)の廃品回収日に放出した。

        

他人に差し上げる分には少しも惜しいと思わなかったが、いざ廃品回収に出すとなると何だか勿体ないような気がして(笑)、事前に3日ほどかけて全40冊にザット目を通してみた。

旧いものでは50年ほど前の号もあり「あのときの熱気よ、今いずこ」とばかり、とても懐かしい思いとともに全体を通読したが、この際なので感じたことをあえて述べさせてもらうと、

「ステレオサウンド誌は古いものほど面白い。結局、連載されていた巻頭の五味康祐さんの「オーディオ人生」と瀬川冬樹さんのオーディオ評論で辛うじて持ちこたえていた雑誌だった。このお二人さんが亡くなられると途端に色褪せてしまい精彩を欠くようになっている。」に尽きる。

その五味康祐さんだが、1973年の「28号Autumn」版に「オーディオ愛好家の五条件」という記事があった。

すっかり忘れていた内容だったが、いくら天下の五味さんのご提唱といえども「オーディオは百人百様」で、本人さえ良ければいいも悪いもなく、公式とか条件とかの決まりごとはいっさい「要らん世話」だと思うので、これは「オーディオ愛好家はかくあってほしい」という五味さんなりの願望だと受け取らせていただこう。

稀代のクラシック通だった五味さんが掲げるその五条件とはこうである。

 メーカー・ブランドを信用しないこと

 ヒゲの怖さを知ること

 ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること

 真空管を愛すること

 お金のない口惜しさを痛感していること

自分のような「心なき身」でも、いずれも「そうですよねえ」と頷くことばかりだが、2の「ヒゲ」というのは聴き慣れない言葉だがレコード愛好家ならきっとお分かりのことだろう。端的に言えば音楽ソフトを大切にする心がけを失わないようにしようという内容である。

この中で一番オヤッと思ったのは5の「お金のない口惜しさを痛感していること」だった。皆さん、いったいどういう意味なんだろうと興味をそそられませんか?

青年時代に乞食同然の放浪生活を送られた五味さんの云わんとするところはこうである。

オーディオは周知のとおり機器などのハード部分と音楽のソフト部分とで成り立っている趣味だが、これらを購入するのに必然的にお金は付き物だ。

しかし、どうしても前者にお金が集中するのは否めない。すると後者が手薄になってしまい、音楽的な教養が失われてしまいがちだ。オーデイオは音楽を聴くための道具だから本末転倒はよくない。

したがって、お金がなくてお目当ての機器が購入できないときは、その口惜しさを音楽を一生懸命に聴くことでどうか(自分のように)昇華して欲しい。

以上、芥川賞作家の文章を要約するなんてとても恐れ多いが、かいつまむと以上のような趣旨だった。

「オーディオとお金」は愛好家にとっても普遍的なテーマだと思うが、今度はチョット違う視点からアプローチしてみよう。

以前、あるオーディオ仲間と次のような会話をしたことがある。

「オーディオってお金が無い悲劇も勿論ありますが、お金があり過ぎる悲劇もあるようですね。沢山のお金を掛けた割には音がサッパリという事例をかなり見てきました。お金と音はけっして比例しないところがオーディオの面白いところですね。」

「そうなんです。お金があり過ぎるとすぐに煽動されていとも簡単に高級機器を購入してしまいますが、どうしても研究不足になりがちです。

どんな高級機器にしろ、ポンと据えつけただけでは絶対にいい音が出ませんからね。むしろ高級機器ほどうまく鳴らすのが難しいところがありますから、これは一種のオーディオの危険な罠ですよ。

しかも、いったん罠に入り込んでしまうと将来に亘って身動きが取れないようになる傾向があります。そこそこのお金がありさえすれば、それが一番ですよ・・・。」

ちなみに、自分のケースのように「お金が無いくせに背伸びしすぎる悲劇」もあるのでどうかご用心を(笑)~。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり高嶺の花だった!

2019年07月11日 | オーディオ談義

久しぶりにスリリングな経験をした。な~に、いつものオークションの話である(笑)。

  

解説にはこうあった。

「STC(イギリス)の直熱3極出力管4300Aです。STCはウエスタンエレクトリックの兄弟会社で、イギリスでWEと同じ規格の真空管を製造していました。

この4300AもWE300AおよびWE300Bと同じ真空管で、そのまま差し替え使用出来ます。 出品していますのは、灰色プレートの後期タイプと異なり、WE300AやWE300Bと同じくプレート表面にカーボン処理を行った黒つや消しプレートを採用している初期タイプのものです。

1940年代前半頃の製品。 プレート周りは同時代のWE300Bと基本的に同じですが、フィラメント吊り金具にWE300Aと同様の構造を残しているところはSTC4300Aの特徴といえます。

どちらも新品元箱入りで、この時代の未使用のSTC4300Aは極めて希少です。 元箱は同時代のWE元箱よりかなり大型のもので、業務用のため大変地味な仕様となっています。

 ゲッタの量的な違いはそれぞれ使用しているゲッタ金具の違いによるものです。 どちらも新品元箱入りで(元箱には経年によるよごれが見られます)、今回出品のため測定しただけです。

特性はTV7/Uにより確認済みです。 測定値は基準値58に対し74(右側)、79(左側)となっています。 入札価格は2本セットの価格です。」

とまあ、大いにスペースの穴埋めをさせてもらったが(笑)、出品者が信頼のおける一流のショップだったのでもう欲しくてほしくて・・。

それにこれまでSTCの球を使って期待を裏切られたことがないし、恐ろしいほどの長寿命を誇っている。

さっそく馴染みの真空管博士に問い合わせたところ「最初期のものではありませんが、希少球であることはたしかです。性能に見合った相場としてはせいぜい40万円といったところでしょうか」

そして注視する中、いよいよ落札日の当日(7日)になった。

就寝するときの入札価格は26万円だったので、5万円上乗せしてあわよくばと31万円で入札欄をポチッ。「あなたが最高価格です」を確認して就寝。

翌朝、一番にメールを開けてみると「高値更新」の無情な文字が目に入った。ああ、やっぱり駄目だったかとガックリ。

そして落札価格はとみれば何と「60万1千円」なり!

ダメはダメでも、この価格なら諦めもつきますわいなあ(笑)。

やっぱり高嶺の花だった!

それにしても冷静に考えてみると、万一自分が「31万円」で落札したとしても、時間的にその分楽しめるかというと「?」ですよねえ。

「WE300B」(1988年製)、「WE300Bオールドもどき」、「スヴェトラーナのSV300B」がある中では出番もおぼつかないところ。

オークションでの逸品を見つけると、すぐに頭に血が昇って前後の見境が無くなるのでこれからはオークションの「真空管」欄をいっさい見ないように心がけよう。あまりに高騰しすぎて大火傷すると怖い!(笑)

その点SPユニットはいい。それほどのお値段を出さずとも掘り出し物が比較的簡単に手に入ることがあるし、ときには真空管以上のサウンドの変化が楽しめる。

しかも今どきの愛好家はユニットを単独で購入してエンクロージャーに容れて楽しむことが少ないのでこの分野は穴場である。

我が家の例でいえば、グッドマンの「トライアクショム」「AXIOM 150マークⅡ」などがそれだが、そのグッドマン関連でつい先日、東京の「I」さんからメールをいただいた。

     

ご紹介をいただいたブログの中の画像がこれ。

同じグッドマン製(イギリス)で左側が「AXIOM300」で右側が「AXIOM22マークⅡ」。両方ともたいへんな希少品である。

このブログのご主人はスピーカーの測定をされる専門家さんだが、これらのユニットは知人からの依頼品とのことで、まだまだ世間には自分のようなグッドマンの根強いファンがいることを思い知らされた。

おそらく、つい先日のブログ「データ保存用のブログ」(2019.7.2)のときに、SPユニットの周波数特性が分かり、クロスオーバーの設定に大いに役立ったという記事をご覧になって「I」さんがご親切にも知らせていただいたに相違ない。この欄を借りて厚くお礼申し上げます。

そして、この画像右側の「赤帯マグネット」がもしオークションに出品されたとしたら迷うことなく絶対に「即買い」だっ!(笑)

この内容に共感された方は積極的にクリック →    

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

密閉型スコーカーの後日談

2019年07月09日 | オーディオ談義
つい先日、あまりのお値段の安さに釣られてフラフラッと落札したテクニクスのスコーカー(中音域専用のユニット)。

  

詳細はつい先日の「スコーカーは生かさず殺さず」(2019.6.29)に記した通り。

ちなみに「生かさず殺さず」とは徳川幕府の施策「百姓は生かさず殺さず」に由来していることは言うまでもないが、何ら人間味が感じられない冷徹な言葉ですね!

翻って、このスコーカーもやや人間味の乏しい音と言わざるを得なかった(笑)。

コーン型にしては「能率100db」と比較的高いので使いやすいし、周波数帯域も「200~6千ヘルツ」と手ごろだったことも落札した一因だが、ここ2週間ほどあれやこれや試してみたものの、善戦したとはいえどうやらライバルの「175ドライバー」(JBL)には及ばない印象がはっきりしてきた。

そういう中、東海地方にお住いのTさんからメールをいただいた。

Tさんはシステムの画像やいろんな噂を拝聴する限り、おそらく自分ごときが及びもしないようなたいへん研究熱心なオーディオ愛好家だろうと推察している。
   

「色々楽しんでいますね。
 
コーン型のスコーカーの件ですが密閉型のスコーカーは弾まない事がJBLの4343や4350で実証済みです。
 
テクニクスのスコーカーが分解出来たり、または背圧を逃がせる穴が開けられるならトライして下さい。
 
密閉で弾まない、愉快でない音が改善されます。
 
コーンが自由に前後に動く事で解放的な音になります、本当は裸のユニットが1番クリアーです。」

以上のとおりだったが、コーン型のユニットは裸が一番「Pure」な音がするというのは同感です。言い換えると低音域を無視できるなら裸で鳴らすのが一番でしょうか。

さて、そこでこのスコーカーの件に移るが、もっとうまく鳴らすためには鉄製のドリルで背部の穴開けをするのがベストだが素人がオリジナルに手を加えるとなると大いに迷ってしまう。

かって、我が家の「ウェストミンスター」に手を加えるときはそれこそ「清水の舞台」から飛び降りるような気がしたものである(笑)。

そもそも、どうしてこのスコーカーを密閉型仕様にしたのかだが、おそらくウーファーと一緒の箱に容れて使用されることを想定して(ウーファーの)背圧を受けないように密閉型にしたとしか考えられない。

つまり「音質は二の次」というわけでおそらく「音楽&オーディオ」に疎い技術屋さんの所業だろう。だいたい日本のメーカーは・・・。

止めておこう、いくら謗(そし)っても後ろ向きの話にしかならない(笑)。

ただし、一つだけ収穫があった。

このスコーカーの上限は6千ヘルツだったが、それに応じて使ったツィーターの075(JBL)がこれまで以上に実にスッキリした爽やかな音を奏でてくれた。

そこで、現用中の175(JBL)のハイカットの必要性を感じてムンドルフの無抵抗コイル(0.15mh)を引っ張り出して付けてみた。(中央の一部が赤い帯状のコイルがそれ)

  

信じられないほどうまくいった!

オーディオはやはり何らかの「渦」が巻き起こらないと進展しないようですね(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオの醍醐味とは

2019年07月06日 | オーディオ談義

先日から気になって仕方がないオークションの出品物がこれ。

  

タイトルは「Western Electricの両波整流管274Aナス管1930年代」

真空管の世界では「泣く子も黙る」と言われるほどのウェスタン製で、しかも黄金時代の1930年代製造といえばケチのつけようがないですね。

解説にはこうある。

「WESTERN ELECTRICの両波整流管274Aのナス管を出品します。ナス管は274Aの最初期タイプで1930年代の製造です。後ろの箱は刻印ロゴST管用と思います。

ベースに緩み及び取り付けに傾斜がありますので気にされる方はご注意下さい。WE86アンプ用に購入したものですがナス管は恐れ多くて使用は僅かです。立ち上がりが若干遅く300Aに合わせているのでは無いかと当時思いました。もう1本出品しています。」

以上のとおりだが「ナス管は恐れ多くて使えない」という気持ちは十分理解できますよ(笑)。

   

たとえば、我が家の300Bアンプは非常に控えめな動作に終始しているので「少なくともあなたが存命中はWE300Bの寿命が尽きることはありませんよ」と、専門家から太鼓判を押してもらっているが、なかなか日常的にオリジナルの「WE300B」を使う気にならない気持ちがそれ。

大切なものは「祭り上げて、そっとしておきたい」という心情を分かっていただけるだろうか。とはいえ、「たかが真空管ではないか」という意見も当然ありそうですが(笑)。

話は戻って、この整流管は当初は「48万円」(1本)で出品されていたが、現在は「40万円」に値下げされている。

欲しいなあ!

ただし、問題は果たしてこの整流管が40万円に見合うほどサウンドに劇的な影響を与えることができるかどうかということに尽きるが果たしてどうなんだろう。

たとえば、あらゆる部品に超一流品が使ってあり、回路も最高の仕上げという理想的なアンプでこそ、その真価が発揮されるのであって、よほどのアンプじゃないとこの整流管には相応しくない気がする。

そもそも整流管と言えば周知のとおり「交流を直流に換える役割」を担っているが、その整流能力によってアンプ全体の元気度が左右され、さらには静けさ(SN比)に貢献することが知られているが、どちらかといえば「縁の下の力持ち的存在」だ。

野球でいえばエースあるいは4番バッターが「出力管」であり、「整流管」はキャッチャーみたいな気がする。

ここで実例を挙げてみよう。次の画像は我が家の「171シングル」アンプ。

   

真空管の構成は、左から前段管の「A411」(ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管「171」(トリタン・フィラメント)、整流管が「83V」(RCA:1940年代)


これまで整流管はナス管の「480」(SPARTON)を使っていたが、つい先日「83Vの方が整流能力は一枚上ですよ。お値段も張らないし使ってみませんか」と、専門家から調達したので付け替えてみたところ、これがGOODの一言。

スピーカー(AXIOM80)の存在をまったく意識させない鳴りっぷりにほとほと感心してしまった。

これを敷衍(ふえん)すると、お値段が手ごろのときに効果が上がればうれしさ百倍だが、あまりに高価だと効果があっても当たり前でうれしさも半減するというのが本音です。

オーディオの醍醐味とは「最小の投資で最大の成果を上げる」ことにあるような気がしてしかたがないが皆様はいかがでしょうか(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    


 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サウンドの「最大の変数要因」とは

2019年07月04日 | オーディオ談義
先日のブログ「肝心なことは目に見えないんだよ!」(2019・6・24)で、オーディオはあまりにも音を変える要素(変数)が沢山あり過ぎて、まるで雲をつかむような話だとその難しさを嘆いたところ、メル友の「I」さん(東海地方)から次のようなメールが届いた。

「前略~ 数ある変数の中で、最大の変数というか最悪の変数は”自分の耳(本当は脳と言うべきでしょうが)”なんじゃないかと感じています。
 
スーパーツイターを付けて「正にシームレスに伸びていく」・・・音が出ていない!
 
SPケーブルを換えて「空気感がアップしている」・・・片方のスコーカーの極性が逆!こんなことが、しょっちゅうではありませんが、何回もありました。
 
オーディオを弄ると、血圧、脈拍は変化し、自立神経も揺れます。そうなると、私の場合は判断力が正常に保てません。で、どうするかというと「日常的に聴いていて良い方向かどうか」を感じるようにしています。
 
時間をかけるしかないようです。あくまでも私の場合です。
 
プロは何秒だか何分だかで判断できるそうです。そのくらいの能力があっても不思議ではありません。ただ、正直に発信しているかどうかはわかりませんね。」
 
以上のとおりだが、いやあ、仰る通りで思い当たることが沢山ありますよ。

たとえば、前日の夜に聴いたときはあんなに「いいサウンド」だったのに翌日になって聴いてみると冴えない音でガッカリというのを何度も経験したが、それはいったいなぜなのか?

システムのどこも弄ってないのに!

巷の噂によると、深夜の電源事情や周辺環境のSN比が良かったりしたせいだとあるが、自分のコンディションたとえば睡眠不足とか体調不良とかの理由もけっして無縁とは思えない。

したがってサウンドの最大の「変数」要因は「自分の耳(脳)」という説にも十分頷けますね。

改めてオーディオは「音響物理学+人間の感性」であることを思い知らされる。


これに関連して面白いことに気が付いた。

これまでの傾向としてオーディオ仲間と一緒に試聴していると、お気に入りのサウンドだったものがどうも響きが少なくてやたらにいろんな欠点をさらけ出してしまう。

お客さんと一緒だと客観的になって「よそ行きの耳」になるせいかと、ずっと思っていたがどうも外にも原因があるようなのだ。

たとえば仲間と一緒に次の画像のアンプ「6SN7GT」で「AXIOM80」を聴いていた時のこと。

   

仲間から「とてもいい音ですね、原音に近い音がしている感じです。」

と、大好評だったが、脇でしばらく聴いている自分としては「何だか響きが少なくて色艶に乏しい感じです。所詮は6SN7ですかね」と、アンプをすぐに交換したが後になってふと思い当たった。

お客さんと一緒に聴くときには当然(お客さんには)リスニングの位置として両方のスピーカーの正面に対して座っていただく、いわば特等席である。

しかるに自分はといえば主役の座を降りて脇の方に座り、片方の耳で片方のスピーカーしか聴いていないことになる。   

これでは響きが”プア”になりますわいなあ(笑)。

確認の意味でもう一度同じアンプを引っ張り出して特等席で聴いてみるとグッド・サウンドだった。つまりアンプの責任ではなかった!


これまでお客さんがお帰りになるたびに何かしらシステムのあちこちを弄ってきたが、これからはいちいち右往左往しないで横着に構えようと固く心に誓った次第(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →    




 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする