「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

それはもう犯罪行為ですね!

2024年01月31日 | オーディオ談義

真空管を愛すればこその心理だろうが、ときどき真空管と人間の生涯を重ねたくなることがある。両者とも「寿命」という共通の運命に支配されているのでそう無理筋でもないと思うがどうなんだろう。

まず人間の生涯を大まかに分けると「幼年期~壮年期~老年期」に分けられるが、寿命を80年としてその内訳を順に「15年~40年~25年」としよう。

もちろん肉体的にというわけだがこれを真空管に当てはめてみると、
球の種類もいろいろあるし、ブランドによっても違うので諸説あろうが、十把一からげに大まかに時間単位でいくと寿命を6000時間として幼年期が100時間、壮年期が4000時間、老年期が2000時間といったところかな~。

人間に比べると幼年期がとても短いのが特徴で人間の幼児教育にはとても手間と時間がかかるのがわかる(笑)。


さらに人間の場合、己がどの年期に属するのか把握するのは簡単そのものだが、真空管ともなるとはたしてどの時期に相当しているかこれを見分けるのが実に難しい。

なにしろ、寿命不明のまま人の手を転々とするのが常道なので見分けがつかない。

壮年期に当たるのならもちろんいいが、もし老年期に入ったとすると、能力が落ちてきて冴えない音になるので、どのくらいで「姥捨て山」に行かせるか、その時期を常に意識せざるを得ないのが課題だ。

ということで本題に移ろう。

このほど、我が家のサウンドに「革命」をもたらしたこのアンプ。



「革命」なんて大袈裟だと思われるかもしれないが、使用者にとってはこれまでのオーディオ人生の中で指折りといっても差し支えないほどの衝撃を受けているんだから~、いやホントだってば・・(笑)。

それを裏付ける意味でも、ここはぜひ仲間に一肌脱いでもらわねば・・。

昨日(30日)のこと、平日で仕事に忙殺されているはずの「Y」さんに猫なで声で「新しいアンプが出来上がったのでちょっと聴いてもらえませんか」と、お願いしたところ「ハイ、1時間ぐらいならいいですよ」のご返事をいただいた。

さあ、「(Yさんが)驚愕される様子を早く見たいなあ・・」と、血沸き肉躍る感じ、実はこういうことは過去に何度もあったが大概は「ハズレ」だったんだけどね~(笑)、しかし今回ばかりは・・、と秘かに「捲土重来」(けんどじゅうらい)を期するものがあった。

スピーカーはYさんが大好きな「AXIOM80」(オリジナル版)を準備してじっくりと罠に落ちるのを待ち構えた(笑)。

きっかり1時半にお見えになったYさんに、まずは「You Tube」のエレキ・ギターを聴いていただいたところ、予想通りの大好評。

「音にメリハリがあってとても素敵な音です・・、パワーはこれで十分でしょう。これまで聴かせていただいたAXIOM80のなかでは最高の音です。高音域がまるで加速度がついたようにシュッと伸びていますよ。WE300Bアンプよりも ”しっくり” きますね」

「AXIOM80じゃないと絶対に出せない音がありますからね、そういう意味ではこのアンプとの組み合わせがあらゆるオーディオサウンドの中で最高峰に位置するのではないでしょうか」と、珍しく豪語させていただいた・・、調子に乗ったらあかんけどね~(笑)。

そのうち・・、「あれっ、整流管がST管ですね。なぜナス管にしないんですか・・」と、目敏く気付かれた。

「それがですねえ・・、実は当初付けていたナス管がどうもヘタってきているようで、少し元気のない音になるもんですからSTCの80Aに交換したんですけど、実際に確認してみますか」と、順に挿し代えていった。



左が最初に付けていた「80A」(英国STC)、中央がややヘタレ気味の「480」(米国SPARTON)、そして右が真打の「OK-X 213」(メッシュプレート)

「エ~ッ、整流管でこんなに音が変わるんですか!」

抜群だったのは「OKーX・・」で、「これで聴くとほかはちょっと落ちますね・・」とYさん。

整流管というのは周知のとおり「交流を直流に代える」役目を担っているが、どれだけ澄んだ状態で多くの電流を供給できるか、いわば真空管アンプの大元の存在になるわけだが、所詮は消耗品なので常に劣化状況に配慮する必要がある。

「普段はほかの整流管を使うことにします。OKーXはYさんがお見えになったときだけ使いましょうね・・」と、申し上げておいた(笑)。

1時間の中でいろんな曲目を聴いたが「スパニッシュ・ハーレム」の「マラカス」の響きが極めて印象に残ったご様子で、「右側のスピーカーの外側にスッキリと浮いた状態で見事に定位してますね。」

最後に「結局、今回の改造でかかった費用といえば、ほんの少しの部品代の〇円と雀の涙ほどの手間賃の〇円でしたよ」

「それはもう犯罪行為ですね・・」という「捨て台詞」を残して、Yさんは帰途につかれた。

「捨て台詞」(広辞苑)

1 俳優が脚本には書いてないが、その場の雰囲気を生かすため、とっさに言う短い台詞

2 立ち去るときに言い放って相手の返事などを求めない言葉。すてことば。特に相手を脅したり軽蔑したりするときに放つ。

もちろん、前者の意味だが「費用 対 効果」からいくと「ぼったくりの常習犯」といわれても仕方がないかもねえ・・、アハハ(笑)。



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カラヤンがクラシックを殺した

2024年01月30日 | 音楽談義



音楽コーナーで本を漁っていたら「・・殺した」なんて、物騒な表題が目に入ったのでつい手に取ってみた。

ベルリンフィルの常任指揮者として音楽界に君臨し帝王とも称されて絶大な権力を振るった「ヘルベルト・フォン・カラヤン」(1908~1989)が亡くなってからもう30
年余が経った。

古来「人の評価は死して定まる」とあるが、現在クラシック愛好家の間で「カラヤン」という名前から連想されるイメージとはどういうものがあるんだろう・・。

もちろん ”人それぞれ” だが、この場合演奏の良し悪し云々というよりも、感情的な面から「好き」か「嫌い」かと単刀直入に問いかけた方が適切のような気がする。

で、「嫌い」という中には当時のあまりの人気の高さゆえに、クラシック音楽に似つかわしくないポピュリズム(通俗性)に対して苦々しいイメージを連想される方もいるのではあるまいか。実は自分がそう・・。

たとえば、一曲通しての演奏よりも以前に「アダージョ カラヤン」というCDがよく売れたそうだが、ああいったヒーリング向きのハイライト盤みたいなのがピッタリ合っている感じ。

もちろん、これはあくまでも主観的な見方なので「そんなはずはない、そもそもお前の聴き方が悪い」という意見があっても当然で音楽鑑賞にルールはないし、どんな感想を抱こうと個人の自由。

因みに現在、カラヤンが指揮したCDをどのくらい持っているのか調べてみたところ、
膨大な録音をしている割には意外と手持ちが少ないのに改めて驚いた。やっぱり「カラヤン嫌い」を反映しているといえそう。

1 チャイコフスキー 交響曲第六番「悲愴」

2 モーツァルト 「大ミサ曲ハ短調 K427」

3 モーツァルト 「クラリネット協奏曲 K622」「交響曲第39番 K543」

1は音楽評論家の評判が良かったし、チャイコフスキーの楽風となら相性がいいかもと思って購入したもの。


2は曲目が好きなのでいろんな演奏者を物色したがピタリとはまる演奏がなかったのでやむなく消去法で選択したもの。

3はカラヤンの若い頃は一体どういう演奏をしていたのだろうと1946年と1949年の録音をあえて買い求めたもの。

そのほかモーツァルトのオペラ「魔笛」については「収集狂」なので彼が指揮した1950年盤、1953年盤(ライブ)、1974年盤(ライブ)、1980年盤と4つの版を保有しているがこのうち一番のお気に入りは1950年盤(アントン・デルモータの快唱!)である。

盤が新しくなればなるほど冴えなくなってくるのが不思議(笑)。因みにこの1950年盤はピンチヒッターで指揮棒を振ったもので皮肉にも彼の個性を発揮しようにもできなかった盤だ。

さらに追い討ちをかけるようだがベルリンフィルの旧楽団員(コントラバス奏者のハルトマン氏)が「カラヤンは没後まだ20年も経たないのに忘れられつつあるような気がする、それにひきかえフルトヴェングラーは没後50年以上も経つのに・・・」とのコメントもある。

さて、前置きが長くなったがカラヤンへの個人的な感想はこのくらいにして冒頭に戻って肝心の著書「カラヤンがクラシックを殺した」に移ろう。

著者は國學院大學文学部教授で「宮下 誠」氏。ご専攻は20世紀西洋美術史が中心。本書の「巻頭言」をそっくり引用させてもらう。

「20世紀のある時点で、クラシック音楽は見紛うことなく、一つの”死”を経験した。その”死”は人類という種の、今日における絶望的状況の一断面を鮮やかに浮き彫りにする。

このような事態を象徴的に体現したもののひとりが、ほかならぬ、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン、その人であ
る。彼、あるいは彼を取り巻く状況は、時代の病理を理想的に映す鏡である。私たちは、そこに己の姿を映し、見つめ、考えなければならない。」

みなさん、この文章を読んでみて意味が分かります?

率直に言って自分はこういうご大層な御託を並べた文章が一番苦手である。大嫌いと言ってもいい。この調子で本書は延々と展開されていくのだがとうとう内容がきちんと把握できないままに終わった。

どうやら著者は指揮者のオットー・クレンペラーとヘルベルト・ケーゲルがお好きのようで、両者の紹介にかなりの頁を割かれており、カラヤンと対比させようという狙いがあるようだ。

ともあれ、もうちょっと誰にも理解できるように分かりやすく書けないものかな~。

「音楽云々」以前の問題だね、これは・・(笑)。

ちなみに、著者の「宮下誠」氏をググってみると、

宮下 誠(みやした まこと、1961年 - 2009年5月23日)は、日本の美術史家。専門は20世紀西洋美術史、美術史学史、画像解釈学、一般芸術学。

あれえ・・、何と48歳で早世されている!

「死者に鞭打つ」ようなことを言ってゴメンね・・。



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「気品と色気」が両立したアンプ

2024年01月29日 | オーディオ談義

今年(2024)の1月に入って早々のこと、「71Aシングル」アンプを「LS7(英国GEC)シングル」に代える「改造話」の記事をご記憶だろうか。



右側のアンプが今回改造の対象となった「71Aシングル」アンプ、ちなみに左側は「2A3シングル」で、出力管は「VISSEAUX」(フランス:刻印)。

改造するに至った理由は二つあって、今後「LS7」を前段管として使う見込みが無くなったものの、希少な「ナス管」だし、オークションに出すには忍びないと未練が残ったこと、もう一つはそっくり同じ「71Aシングル」アンプをもう1台持っている、ということによる。

改造者は10年近くお付き合いのある「N」さん(大分市)で、腕前の方は誰もが認める保証付きの大ベテランである。

ご自宅に持ち込んだのが2週間ほど前で回路図が出来上がったのが1週間ほど前のこと。画像として表示できないのが残念なほどの極めて緻密な回路図だった。

「これでいいですから進めてください。しかし、71Aを上回る音が出ますかね?」

「ハイ、まったくやってみないと判りません。これから改造するための部品を集めます」

ワクワクしながら待つこと5日あまり、昨日(28日)になって、ようやくうれしい一報が入ってきた。

「出来上がりましたよ・・、今アルテックのA5で鳴らしてますが、堂々とした音が出てますよ」

「エ~ッ、すぐ取りに行きます!」

大いに気が逸(はや)るが、こういう時こそ運転は慎重に~(笑)。

いつもの45分程度で無事到着。さっそく聴かせてもらった。

「パワー不足をいちばん心配してましたが、これだけあれば十分ですね。安心しました!」

「ハイ、我が家のWE300Bシングルとまったく遜色がありませんね・・、これだけの音が出れば十分でしょう。LS7ってとてもいい球ですね。感心しました。アメリカ球とは明らかに一線を画していますよ」

丁度(アンプの)裏蓋を外されていたので、この際とばかり「携帯」でパチリ。



定評のある「シルヴァード・マイカコンデンサー」(左下部の茶色)を、カップリングコンデンサーとして使ってもらった。

「アンプのボリュームを絞ってみますからスピーカーにピッタリ耳を付けてください・・、どうです、ハムノイズがまったく聴こえないでしょう・・。アースとグリッドラインの調整で完璧に抑えるコツを習得しましたよ」

まったく・・、九州の片田舎に置いておくにはもったいないほどのお方である(笑)。

部品代と「雀の涙」ほどの手間賃(笑)をお支払いして、ワクワクしながら帰途に就いた。

このアンプでぜひ「AXIOM80」を鳴らしたい一心である。



アンプを所定の位置に据え付けてパチリ・・、「オール・ナス管」の威容をとくとご覧あれ~。

世界で唯一のアンプなので、改めて概要を記録しておこう。

左側の前段管は「AC/HL」(英国マツダ:初期版)、中央部の出力管は「LS7」(英国:GEC)、右側の整流管は「ナス管の80」(アメリカ)

で、夕食前とあって準備万端怠りなく「AXIOM80」を鳴らす前に「音を音楽に変換する」肝心の「脳」をとりあえず ”ほぐして” おくことにした(笑)。



日本酒はめったに飲まないのだが、知人から頂いたこの「東一」(あずまいち)だけは別格で実に口あたりがいい。これに「橙」を少し絞って入れてやると、「香り・品格」ともに特上の味わいとなる。

で、ちびりちびりやりながら「AXIOM80」に耳を傾けた。まさに「至福の時間」だな~(笑)。


極めて気難しくて用心深い「AXIOM80」は慎重にアンプを選ぶ。

気に入らないアンプだと中高音域がキャンキャンと甲高い音を出してあからさまに拒否する、ところが・・、このアンプだと絹のように滑らかな肌触りを醸し出してくるのに驚いた。

「気品と色気」が見事に両立している・・、このサウンドにこれ以上何を望むことがあろうか。

ちなみに、オーディオ最大の難問とされる「低音」なんかどうでもよくなるのが不思議で、「お前は朝令暮改だ」と言われてもしかたがないなあ(笑)。

このアンプは「帯に短し、たすきに長し」の我が家のアンプ群(9台)の中で最高峰に位置することは間違いなし。

今年一番の収穫が早々に登場しましたぞ~、やはり無謀といえどもチャレンジはしてみるものですな。

改めて「オーディオの原点は行動力だ」を実感しました。

このサウンドはぜひ仲間たちにも聴いてもらいたいなあ~(笑)。


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独り言 あれこれ

2024年01月28日 | 独り言

☆ 名演技にご用心

今の場所に移り住んでから40年近くになるが、小さな団地なので親しい人がかなり絞られてきており、「向う三軒両隣」を含めてせいぜい20
軒程度かな。

そのうちの一軒が「N」さんご夫婦で、同年代ということもあって家人などは2~3日に1回程度は近況を連絡している間柄で「大の仲良し」、その「N」さんからお伺いした話をご紹介しよう。

つい先日のこと、市内をクルマで走行していたところベンチに薄汚い恰好をした浮浪者が寝そべっていた。とても危害を加えるような風には見えないので、クルマを停めて話しかけてみると、決まったねぐらもなく市内各所を転々としているという。

つい可哀想に思って「焼き芋」と、何かの足しにしてねと「1000円」を渡したところ、
その浮浪者は泪を流して喜んだという。

で、その話を自宅に帰った奥様から聞いたご主人は、さらに輪をかけて「豚まん」をたくさん購入して、その浮浪者の所に行き手渡してから、すぐに市役所に連絡して「処遇」を具申したという。

なかなかの「美談」である。自分も含めて大概の人たちがそんな浮浪者と関わり合いになるのを恐れて「知らん顔」をするのが関の山だろう。

「Nさん夫婦ってホントに優しいんだなあ」と、家人と感嘆することしきりだった。

ところが、その後の市役所の担当から入った連絡に「Nさんご夫婦」は仰天することとなった。

「あの人(浮浪者)はSさんという方です。パチンコ狂いで、一文無しになると、ああいう格好をして同情を引く常習犯ですよ。ねぐらもちゃんとあります」

「何だ、あの身なりと涙は演技だったのか」と、Nさんご夫婦は絶句して天を仰がれたという。

その話を伺った自分らも呆然自失・・、しかし、世も末ですねえ~(笑)。

☆ 新幹線で仕事ができる



先日の「日経新聞」に、今後「新幹線のオフィス化」を図るという記事が載っていた。

何だか「JR東海」の思惑が透けて見えるような気がする。

というのも、まずは「自社」の社員で先鞭をつけ、ゆくゆくは関西や関東の大企業にも波及させて「新幹線」の利用に拍車をかけようという作戦・・、かな。

これまで、「出張する」といえば、移り行く窓外の景色を眺めたり、好きな本を読み耽る、あるいは週刊誌のグラビアで目の保養をする(笑)程度だったが、そういう聖域にまで仕事が追いかけてくるのか・・。

世の中は「少しの時間でも無駄にしない、ゆとりのない」
方向へと邁進しているが、はたしていいことなのか、どうか・・。

大局的な視点、長期的な視野に欠けてくるような気がする。

ネットに共感できる言葉がありました。

「無駄に敬意を払ってこそ生は豊かになると思います。そうしてこそ無駄は程よい無駄でいてくれるのだと思います。無駄を軽蔑し否定していると、しっぺ返しがくるでしょう。

いや、もう来ているか・・。無駄の排除に躍起になる社会では、人は失敗を恐れて萎縮するでしょうし、極めて狭い価値尺度(現代では金銭至上主義)が横行することになります。ある程度は無駄を省くことも必要ですが、でも「無駄」は見方を変えれば多様な価値の宝庫だと思うのですよ」

「音楽&オーディオ」なんてお金を産みだすわけでもないし、役にも立たないし、無駄の最たるものではなかろうか・・(笑)。



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面白き こともなき世を 面白く・・

2024年01月27日 | 独り言

昨日(26日)のブログ「神の領域・・」は、この「元旦」以来最強のアクセスでした。

1148件のアクセスということは、ほぼ1100人の方々が(ブログを)御覧になったと考えても間違いではあるまい。

そのうち「こいつの言う通りにはしたくない」という ”へそ曲がり” が大半だろうから(笑)、仮に、1割(110人)の方々が「You Tube」のカサドシュの演奏(22番)を聴いたとしよう。

で、そのうちの1割(11名)が「モーツァルトってなかなかいいじゃない・・、そのほかの曲目も聴いてみようかな~」となると、しめたものである。

たったの「11人」でも大成功である。

何しろこのブログは「オーディオ(道具)を通じて少しでも音楽芸術に深く親しんでもらおう」という高邁な理想を掲げているんですからね~、それに少しでも近づけたことになる。

それにしては少々(ブログの)内容がお粗末だけどね・・(笑)。

「面白き こともなき世を面白く 住みなすものは 心なりけり」(高杉晋作)

つまり「面白くない世の中を面白いと感じるかどうかは、己の心持ち次第である」というわけで、とかく無味乾燥な人生を少しでも音楽芸術に親しんで彩り豊かなものにしたいものです。

で、南スコットランド在住の「ウマさん」からも、さっそくお便りがありました。ウマさんも大のモーツァルトファンですからね~。

「吉田秀和さんの「世界のピア
ニスト」に、確か、カザドジュが紹介されていたんじゃないかと、あらためて紐解くと…

「真珠の玉を並べたような演奏」さらに「ジョージ・セルと組んだモーツァルトのピアノ・コンチェルトなどは、モーツァルトの演奏スタイルの手本みたいなもの」とあり、これや!
で、さっそく22番を聴いてみたんです。いやあ、素晴らしい!
サンキュー!です。いつも感謝!」

はい、共感していただきありがとうございます!

「真珠の玉を並べたような演奏」「モーツァルトの演奏スタイルのお手本みたいなもの」・・、たしかに大いに実感します!

最後に、残り9割の「へそ曲がり」の方々に告ぐ・・。

「世紀の名演」として「セル+カサドシュ」コンビの「ピアノ協奏曲22番第3楽章」にぜひ耳を傾けましょうよ・・(笑)。



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「神の領域」に到達した演奏

2024年01月26日 | 音楽談義

比較的出入りの激しい我が家のオーディオだが、このところ(ブログで)「鳴り」を潜めているのにお気付きだろうか・・。

そう・・、幸か不幸かようやく「安定化」しつつあるようでして~(笑)。



ふっ、ふっ、ふっ・・、いろいろと紆余曲折があったがとうとう辿り着いたのがこのシステム。

オーディオでいちばん苦労するのは「低音域」だと個人的に思っている。やはりオーケストラのスケール感を少しでも味わいたいと思えば、ここに傾注せざるを得ない。

もちろん「スケール感なんてどうでもいい、かえって邪魔だ」という方がいてもちっとも不思議ではないし、そういう方々には縁のない話になる。

で、ウェストミンスター(改)の「200ヘルツ以下」をムンドルフのコイルで押し込めてやって、オルガンの「地を這ってくるような重低音」を味わうともう病み付きになりますなあ~(笑)。

で、中音域を担当するスコーカーは「200~6000ヘルツ」仕様になっている、6000ヘルツ以上は我が家の最強のツィーター「075」(JBL)の出番。

これらを、2台のプリアンプと3台のパワーアンプで駆動する。

このシステムを聴くとクラシック、ジャズ、ボーカル・・まったく不得手が無く、「これまでで最高の音かもねえ・・」、「95点はいけるんじゃないかなあ・・」と、自惚れてしまうほどだが、読者の信用を得るためにはやはり第三者の証言が必要だよねえ~(笑)。

そこで、近隣のオーディオ仲間「Y」さんの出番になるのだが、当方は「毎日が日曜日」だけれども、土、日となるとクルマの運転にやや不安がある家人のエスコートをしなければならない(笑)、その一方「Y」さんは平日は仕事なのでなかなか日程の折り合いがつかない。

ようやく、平日にもかかわらず昨日(25日)の午後に来ていただいた。

開口一番「いいですねえ・・、3ウェイですけどフルレンジが鳴っているみたいです」と、まずは引き込みに成功した。この後ボロを出さなきゃいいんだけどね(笑)。

いろんな曲目を聴くうちに、「モーツァルトのピアノ協奏曲26番を聴かせていただけませんか」。

実は、これまでの傾向から(Yさんの)お気に入りの音が出ているときは「〇〇を聴かせてください」、その一方、音が気に入らないときは(口直しに)「AXIOM80を聴かせてください」と、くるのでたいへん分かりやすい方である(笑)。

で、「ああ、戴冠式ですね・・、あいにく持ってないんですよ~、あっ、そうだYou Tubeで検索してみましょう」

やはり「You・・」は便利がいい、「26番」を打ち込むとズラリと演奏者一覧が登場した。

「あれっ、カザドシュ盤がありますね。これを聴いてみましょうかね。」

ところがいかにも録音が古くて音が冴えない。そこで隣の「内田光子」さんをクリックして聴いてもらった。

そのうち、Yさんが「カザドシュという名前を知っている方は始めてです。ずっと昔のことベートーヴェンの5番(皇帝)を聴いてこんな偉大なピアニストがいるのかと感激したことを思い出しましたよ」

「そうですか・・、カザドシュは私も大好きなピアニストです。たしかフランス人でしたよね。彼にはモーツァルトのピアノ協奏曲22番のたいへんな名演がありますよ、ぜひ聴いてもらいましょう~」



指揮者「ジョージ・セル」、ピアニスト「ロベルト・カザドシュ」のコンビからたいへんな名演が生まれた。

なんといっても22番の聴きどころは「第三楽章」にあるが、開始から4分後にまるでこの世のものとは思えないほどの「美しい旋律」が出てくる。

もう感激のあまり涙が出てくるほどで哀調の極みというのか・・、グサッと琴線に触れてくるのがつらくてうれしくもある。

ところがである・・、いくら他の演奏を聴いてみてもこの幽玄の境地には程遠いのである。

さらっと流し過ぎたり、やたらに遅いテンポでお涙頂戴みたいな下心が見え透いたりと、どうも気に入らない。

やはり「セル+カザドシュ」コンビじゃないと無理なんだよね・・、もはや「神の領域に到達した演奏」というべきか。

日頃になく満足されたYさんが辞去された後で、改めて確認の意味でサワリの部分を片端から聴いてみた。

そのうち、まあ「及ばずといえども遠からず」というのが二人いた。上から目線の表現で恐縮だが、音楽の好みばかりは王様になった気分でやってみても不遜ではないよね(笑)。

それはリヒテル、そしてニコラーエワ女史。



指揮者「カール・シューリヒト」、ピアニスト「タチワナ・ニコラーエワ」女史、そして「ウィーンフィルハーモニー」。

女史には「フーガの技法」(バッハ)という、これまた神演がありますね、さすがにモーツァルトも立派な演奏だと思いました。

さいごに、「You Tube」でカザドシュの演奏が聴けます。まだ聴いたことがない方はぜひ聴いてみてください~。

ただし、これを聴いて熱くならない方は生涯モーツァルトと縁のない方でしょうね、残念です・・(笑)。



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新図書館の建設

2024年01月25日 | 独り言

もう10年以上も昔のことだが「地域の文化レベルと図書館の充実度」というタイトルで、次のようなブログを投稿していたのをご記憶だろうか。

好きな作家の一人「吉村 昭」さんの随筆に「地域の文化レベルは図書館の充実度に如実に反映する」といった趣旨のことが書かれてあった。

吉村さんの幾多の優れた歴史小説の拠ってきたるものは極めて綿密な取材旅行にあったが、その際まず第一歩を記したのが彼(か)の地の図書館だったというから吉村さんならではの実体験に裏打ちされた説得力のある言葉である。

さて、そこで自分が住んでいる別府市とその図書館について取り上げてみよう。

”活字中毒” を自認しているといっても、それほど学究肌でもなし、ミステリーなどの娯楽本や肩の凝らない雑学の本が大半だが、狭い我が家にこれ以上本を積んでおくスペースもないし、経費の節約ということもあって読んでいる本はほとんどが図書館から借りてきた本ばかり。

現在、近隣の3つの図書館を利用しているが最も当てにしているのが県立図書館。地元の別府市の図書館については、専用駐車場も無く、借り物の古ぼけたビルの2階のフロワーに少しばかりの蔵書が並べられている程度なので、今のところ「新刊」だけがお目当てになっている。まるで風前の灯(ともしび)みたいな有り様。

ところが、肝心の関係者にまったく危機感がない!


これまで配付される「市報」をいつも隅から隅までどんなに目を皿のようにして見ても図書館の充実整備の話が市議会の討論などで一度も出てきたことがないのがいかにも別府らしいところ。

旅館やホテルなどのサービス産業が多いせいか(従事者が)本を読む暇が無いらしい(笑)。

しかも、利害が錯綜しているせいか業界のまとまりの悪いこと甚だしい。

「魅力ある観光地づくり」を果たしたお隣の湯布院なんかは、ちゃんとしたリーダーがいて個別の旅館やホテルの名前よりも「湯布院という地域イメージ」による団結のもとに成功を納めたが、その点別府は「百鬼夜行」の伏魔殿みたいなところで、「別府」という地名は抜きにしてホテルなどの個々の固有名詞を優先することが多い。

たとえば別府の端っこの山の上にある「杉の井ホテル」なんか最たるものだろう。ここでお客を囲い込んでしまうと、海岸沿いにある夜の歓楽街に繰り出すことがないので別府の発展にはあまり貢献できていない。

「なぜこういう唯我独尊の体質に?」というわけだが、どうやら昔からの伝統みたいなものらしい(笑)。

そもそも別府は、山あり、海あり、高原あり、温泉ありの観光都市。毎年1,000万人を越える観光客を受け入れようと、温泉から吹き出る湯けむりのもと、ホテル、旅館、民宿、湯治場といったサービス業が乱立している。

「別府の湯けむり」 (2012.3.30.14:30 撮影 天候:薄曇)



(自宅から歩いて1分ほどの)「別府湯けむり展望台」から撮影した遠景。ちなみに「21世紀に残したい日本の風景百選」の第2位で、第1位は富士山。)

したがって、経営者を含めてこういったサービス産業に従事する人たちの市人口に占める割合も半端ではないが、こういう職業は総じて毎日の顧客の獲得やサービスに精一杯で目先の利害に右往左往するのが良きにつけ悪しきにつけ習い性みたいなもの。

とても、ゆったり腰かけて読書に耽るイメージは想像しにくく、図書館へのニーズもそれに比例する。


市議会議員などの地方選挙にしても、業界の利益をどれだけ代弁できるかがポイントになっているようで、全体的に民度がイマイチなのは争えない。

別府に移り住んでもう30年以上になるが、都会の喧騒から離れて静かだし、空気はうまいし、景色はいいし、温泉はあるしで自分にとってこれ以上住みやすいところはないと大満足だが、図書館だけは期待外れである。

しかし、よく考えてみると「民度がイマイチ」と大きな口を叩くわりに自分が借りるのは、いつもミステリーを中心とした娯楽本が大半で肝心の中身には乏しい。

「地域の文化レベルと図書館の充実度」なんて偉そうに言う資格はあまり無さそうで、所詮は ”お湯ボケ” の別府の人間の ”戯言”(たわごと) かと ”いと恥ずかし”!(笑)

とまあ、以上のような内容だったが、どうやらようやく「汚名挽回」のチャンスが巡ってきたらしい。

2日前のネットの記事にこうあった。


「大分県別府市で建設費42億円を超える新しい図書館の建築工事が始まり、現地で22日起工式が行われました。

別府市の新図書館は42億6600万円あまりをかけて、別府市役所の西側にある松林に建設されます。建設予定地で22日起工式が行われ、長野市長らが玉串を奉納して工事中の安全を祈願しました。

新図書館は3階建てでおよそ5000平方メートルの広さがあります。最大収容冊数は32万冊で利用者が手に取れる本の数も現在の図書館の2倍に増えます。

(長野市長)「新図書館に行けば色々な問題や課題の解決ができるというようなみなさん方の心のよりどころになるような交流の場にもしていきたい」

別府市の新図書館は来年9月に完成する予定で、2026年3月からの利用開始を目指します。」

そうこなくっちゃあ・・(笑)。



建設場所は「別府公園」と道路を隔てて隣になるので「ウォーキング」の帰りにでもちょいと立ち寄ることができる。

しかし、あと2年待ちとは・・、ちょっと遅すぎるんだよなあ(笑)。

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「ピアノ協奏曲」の存在価値について

2024年01月24日 | 音楽談義

1年の内で最も寒いといわれている大寒(20日)。

ところが、このところずっと最低気温5℃以上が続いて、「今年の冬は楽勝だな・・」と、思っていたら自然はやっぱり甘くなかった。

23日(火)から一気に冷え込んで、今朝(24日)のオーディオ・ルーム(午前4時半現在)の室温はいつもの14℃前後に比べて9℃と急降下・・、震え上がりながらこのブログをしたためている(笑)。

さて、どんな記事を書こうかな・・。

そうそう、昨日のこと「ウォーキング」から帰ってきて、
ふと無類の音楽好きだったかっての仲間(県内)を思い出した。

久しぶりに「どうしてますか~、相変わらず音楽を聴いてますか?」と、ご様子を伺ってみると「やあ、久しぶり~。体調はイマイチだけど音楽を聴いていると、不思議にお腹(なか)がいっぱいになって”うまいものを食べたい”という気にならないんだ。一石二鳥だよ」

この方はバッハからベートーヴェン、モーツァルト、マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィッチまで、クラシックなら何でもござれで、まさに音楽が「精神的なご飯」になっている稀有の方である。

しかし、オーディオの方は達観されていて、イギリス製のSPをずっと愛用されており、「いじり出すとキリがない世界。そんな時間があったら音楽を聴いていた方がいい」というのがその理由。

まことに、ごもっともです(笑)。


とはいえ、いくら音楽好きといっても例外もあってそれがショパンの作品。以前から「耳あたりはいいんだけれど、彼の作品はさっぱり後に残らないね~。」とおっしゃる。

「クラシックの森」に奥深く踏み込めば踏み込むほど、作曲家や演奏の好き嫌いが変遷していくのは自分にも心当たりがある。

たとえば若年の頃にあれほど聴きまくった「ピアノ協奏曲」が近年ではまったく聴く気にならないのが不思議。

ショパンはもちろんのこと、ベートーヴェンやブラームスといった大家の作品もけっして例外ではない。


どんなに名曲とされるピアノ協奏曲にもどうも気分が乗らないのである。

おかしいなあ、あれほど好きだったのにね~。一方、ピアノ・ソナタの作品群に対してはまったくそういうことがないのでピアノという楽器が嫌いになったというわけでもないようだ。


これはいったいどうしたことか?

以下、自分なりに分析してみたものの、どうせ素人の「たわ言」に過ぎないので、あまり真に受けないようにね(笑)。


で、平たく言えば協奏曲とは「単独楽器をオーケストラで支える音楽」だと思う。

単独楽器にもいろいろあって、誰もが思いつくのがまずはピアノ、そしてヴァイオリン、クラリネット、オーボエ、フルートといったところ。(これらの楽器にはすべて「〇〇協奏曲」という作品がある。)


この中で、音域的かつ和音的にオーケストラと、ある程度対等に渡り合える楽器はピアノだけである。ちなみに各楽器のおよその周波数範囲(基音+倍音)を記してみよう。

 ピアノ 40~6000ヘルツ

 ヴァイオリン 180~1万ヘルツ以上

 クラリネット 150~1万ヘルツ以上

 オーボエ 300~1万ヘルツ以上

 フルート 300~1万ヘルツ以上

 男性歌手 100~8千ヘルツ

☆ 女性歌手 180~1万ヘルツ

ピアノだけが群を抜いていて40ヘルツ付近の低音域の周波数をきちんと出せることに気付く。

いざとなればオーケストラの代役だってできるんだから~。

ずっと以前のテレビ放映で、当時ヨーロッパで活躍されている指揮者の「大野和士」さんが、たまたま楽団員がストに入ったときにオペラ歌手の練習の急場をピアノで凌がれていたのを観たことがある。

一方、ヴァイオリンなどの楽器はせいぜい200ヘルツ前後から上の周波数しか出せない。その代り、ピアノと比べて高域の伸びには目を見張るものがある。


そういうわけで、これらの楽器群は低音域が絶対的に不足しているのでオーケストラでこの辺りの音域をきちんとカバーしてもらうと全体的にバランスのとれた姿になるので、比較的、協奏曲に向いた楽器といえる。

それに「主」(単独楽器)と「従」(オーケストラ)の役割がはっきりするのも利点。


そういえば、音域のバランスという点ではたとえば「ヴィオリン・ソナタ」(モーツァルト)の場合でも、わざわざ「ソナタ」と銘打っておきながらピアノが伴奏して低音域部分をきちんと支えているし、歌手の伴奏にもピアノが活躍したりするがまったく違和感がない。

しかし、ピアノに限ってはオーケストラのカバー(支え)は要らないほど、単独で音域的に十分な表現力を備えているのに、なぜピアノ協奏曲というジャンルがあるのか、その必然性がどうも「?」。

それに、ピアノ協奏曲というのはオーケストラとピアノのどちらが主役なのかよく分からないところがあって、映画でいえば、どっちつかずの主役が2人いるようなもので、いったいどちらに花を持たせるのか、聴けば聴くほど散漫になって、曲全体がただ華やかだけで表層的に流れていく印象を受ける。

この点ではピアノ・ソナタの方がはるかにピタリとフォーカスが決まって作曲家の思想がきちんと伝わってくる(ような気がする)。

べートーヴェンの後期ソナタやモーツァルトの珠玉のソナタ全集がまさにそう・・、この辺に自分がピアノ協奏曲から遠ざかった理由が見い出せるような気がする。

とまあ、いくら大上段に振りかぶってみたところで、世の中、ピアノ協奏曲の愛好家が”ごまん”といるんだから、さぞや反対意見も多いことだろう。

ともあれ、こうして以上のような小理屈を並べてみたものの、それほど(書いた内容に)責任を持てるわけでもなし、改めて久しぶりに(数あるピアノ協奏曲の中でも)白眉とされるクララ・ハスキルの20番(モーツァルト)でも聴いてみるとしよう~。



いくらつべこべ言ってみてもモーツァルトだけは「別格」だからね~(笑)。



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「スペアを欲しがる癖」の終焉

2024年01月23日 | 独り言

去る1月6日付の「ヤル気を促進するグッズ」で紹介した「ランニング・シューズ」。大晦日にネットで注文して、この1月2日に届いたものだった。



で、それから3週間あまり・・、何といっても軽くて地面を蹴り上げる感覚が快適、色も好き(ブルーは青空に通じる?)、クッションがよくて歩き心地もいいとなると、まったく非の打ち所がないシューズ~。

こんなに歩くのが楽しくなるなんて・・、大当たりだった。

日常生活も一変した。これまで、1日当たりせいぜい「6000歩」前後に留まっていたのが、今や「1万歩」前後に上昇したのだから我ながら驚く。

たかがシューズ次第でね~(笑)。

午前中に近くの公園をゆっくりペースで2周して6000歩、夕食前に自宅の近くを歩いて4000歩といった調子だが、1日の大まかな時間割も「ウォーキング」「音楽&オーディオ」「読書」の3つに分割されてきたのはいい傾向。

正直言って「音楽・・」「読書」という趣味は、とても健康に相応しいとは思えない。身体をあまり動かさないからね~。

その点、「オーディオとテニス」を見事に両立されている「I」さん(東海地方)や、日頃から卓球で汗を流されている近隣のオーディ仲間「Y」さんなどはおそらく長生きされるだろうなあ(笑)。

そういえば、オーディオ評論家の方々は早世される方が多い。

瀬川さん(46歳、大腸がん)、朝沼さん(52歳、急性心不全)・・、そのほか70歳前に逝去された方々は枚挙に暇がないほど。

激務ということもあろうが、「運動不足」がいちばんの原因ではなかろうかと秘かに推察している。

で、何が言いたいのかといえば、オーディオ好きの方々は努めて運動しましょうね~。

こんな偉そうなことを言えるのも、この快適な「ランニング・シューズ」のおかげである。

実を言うと、自分はやや品位に欠ける足形の持ち主で普通の人よりも少し幅が広い・・、これまでピッタリ合うシューズを見付けるのがたいへんだった。

そこで「4E」仕様を探しまくってやっと調達したというわけだが、シューズなんてメーカー次第ですぐにデザイン変更されるのがオチだよね~。

このピッタリサイズのシューズが無くなると困るんだよなあ・・。

で、いつもの「心配性」が嵩じてとうとう「スペアを欲しがる癖」が首をもたげてきた。よし、もう一足揃えておくとするか・・、すぐに到着。



ふっ、ふっ、ふっ、これで当分は大丈夫だろう(笑)。

昔から少しでも気に入ったものとなると「スペアを欲しがる癖」が治らない。真空管なんか特にそう・・。



これらはほんの一部ですぞ~。ちなみに保管するときは御覧のようにすべて「縦置き」を心がけています。

そして、6系統ものスピーカー・・。

前回のブログで、その存在理由について「完璧なものはないから・・」なんて偉そうにほざいたが、実はスぺアという意識も完全に無かったといえばウソになるなあ(笑)。

こうして、これまで倦(う)まずに展開してきた「スペア騒動」も寄る年波には勝てず、とうとう物理的な時間の制約が大きく立ちはだかってきた。

そういえば、肝心の「かみさん」と「子供」のスペアが確保できなかったのが唯一の心残りだなあ~(笑)。


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「数が勝負」とは

2024年01月22日 | 独り言

現役を退いてからというもの、定期的な図書館通いを欠かしたことがないが、面白い本に出会える確率がとても低い。

たとえば、館内に入って真っ先に駆けつけるのは「新刊コーナー」だが、面白そうなタイトルに惹かれ、次に著者の名前を確認し、そして最初の方の頁をぱらぱらっとめくる、この3つの儀式を経て納得のうえ借り入れ手続きをするのだが、それでも・・。


その確率といえば10冊あたりせいぜい1~2冊ほど当たるのが精一杯。もちろん、己の読解力不足、忍耐力の無さが少なからず影響しているのは間違いないのだが・・。

で、何とかいい方法はないものかと思っていたら、先日の新聞に「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博)と題した本の紹介の中で次のようなことが書かれていた。


            

「これから先の日本は<本を読む習慣のある人>と<本を読む習慣のない人>に二分される階層社会がやってくる。~中略~。本好きの人がハズレを引かない方法だが、“数が勝負”。無駄な本に出会わずに効率的に本を選ぶことなど、どだい無理」とあった。

「数が勝負」・・、「学問に王道なし」と相通じるところがあって、いい言葉ですね!

裏を返せば「無駄が出てくる」というわけだが、「無駄の効用」という言葉もある・・。

たとえば、その時は無駄と思っても後になってみるとけっして無駄ではなかった・・、あるいは「無駄」を通じて知らず知らずのうちに磨かれていったセンスなど事例を挙げるとキリがない。

「無駄であって無駄ではない」何だか「禅問答」のようだが意識下の問題として分かる人にはわかるはず。

現代社会はあまりにもデジタル的というのか、直線的過ぎて「無駄を排するために汲々している」ように思えるのだがどうなんだろう・・、「回り道」する勇気と余裕~。

おっと、偉そうな「上から目線」の物言いは止めておこう、深く掘り下げる自信もないし~(笑)。

で、話は戻って「数が勝負」
は、
どうやら我が家のオーディオにも通用しそうなんですよね~。

たとえば、「我田引水」になるが具体例を挙げると、


我が家では6系統のスピーカーを所有している。常識外の話なので「そんなに持っていてどうするんだ!」と、詰め寄られそうだが、いずれもどこかにキラリと光るものがあって放逐する気にならない。

そもそもの話だが、だいたい完璧なスピーカーなんてこの世には存在するんだろうか・・、経験上50年に亘っていろんな場数を踏んできたものの、そういう「100%」にはまだ出会ったことがない。

したがって、スピーカーは多ければ多いほど「当たる確率」が高くなると思っている。つまり、6系統のスピーカーのいいところを足し合わせれば「100%」に近くなるという発想である。ちょっとおかしいかな~(笑)。

アンプだってそう・・。

現在プリアンプを3台、パワーアンプを9台持っているが(いずれも真空管式)、これまた「帯に短し、たすきに長し」で完璧なアンプは存在しない・・。

で、これらを6系統のスピーカーに組みわせると、相性がよかったり、悪かったりで生きもすれば死にもしてバラエティに富み、楽しめる。

というわけで、我が家のオーディオは「数が勝負」というわけ~。

そして、肝心の「終生の伴侶」だが・・、これも「数が勝負」だとよかったんだけどねえ・・(笑)。



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快調な滑り出し

2024年01月21日 | オーディオ談義

元旦から早くも今日(21日)で3週間が経過~。

毎日、勝手気ままに好き放題をやっていると、月日の足取りがメチャ早く感じる・・、「1日は長いが1年は早い」 今年もこうしてあっという間に大晦日を迎えるんだろうなあ。

あっ、そうそう、今年は特にドジャースに加入した「大谷選手」「山本投手」の活躍も見逃せないので楽しみ満載~。

とはいえ、その楽しみの筆頭になるのはやはりオーディオだよね・・、考え、そして試行する時間の多さ、小手先では通じない奥の深さ、音楽芸術を味わえる道具としての存在感・・、こんなに飽きがこない趣味も珍しい(笑)。

そして、今年はスピーカーの当たり年なのだろうか・・、新年早々から「いい音」が連続していてウットリする毎日で、まずは「快調な滑り出し」

それとも、加齢により高音域の聞き取りが劣化したせいで、すべて「いい音」に聴こえるのかもね・・(笑)。

それでは、まずは転がしたスピーカーの順を追ってみよう。

元旦早々から登場したのはグッドマンの「TRIAXIOM」(トライアクショム)だった。



さすがに「同軸3ウェイ」(口径30cm)だけあって、音の「音像定位」というか、ハーモニーのまとまりは抜群だが、ちょっと欲を言えばもう少し「ダイナミックさ」というか「粗削りな野性味」が欲しい気もする。

これは総じて英国系のスピーカーに言えることだが、まあ、無いものねだりなんだろうなあ・・。

で、1週間ほど付き合ってから次に目移りしたのがこのスピーカー。



3000円ほどで購入したデンオンのユニット(口径25cm、低音専用)だが、これがたいへんな優れもので大当たり~、これだからオークションは止められない。



ご覧のとおり堂々たる「アルニコマグネット」付きで、このユニットのいいところといえば、どんなアンプをあてがっても、上手く鳴ってくれるところがいい。とりわけ余韻が美しい・・、もうウットリ~。

もちろん箱とのマッチングもいいのだろう。

板厚が「4cm」もあるので、響きにあまり期待していなかったのだが、どうやら「1.5cm」厚のバッフルが利いているようだ。

それに同軸ユニットではないから「ツィーター」の出番となり、我が家のエース「075」(JBL)が使えるのも大きい・・、途端にメリハリが利いたサウンドになるんだから~。

それこそ9台のアンプを日替わりメニューみたいにして、1週間あまり楽しんだが最後の登場となったのが「71Aシングル」アンプ。



2年ほど前にNさん(大分市)に改造を頼んで、ようやく「好みの音」になった代物で、「回路はSRPP」「初段はBRIMAR=STCの12AX7」、出力管は「71A(ナス管)」、整流管は希少な「OK-X213」とくれば、もう「鬼に金棒」だろう~。

ただし、響きはトップクラスだったが、惜しいことにSPの能率のせいかパワーが少し足りない・・、そこで久しぶりに「200ヘルツ以下」を補強するサブウーファー(ウェストミンスター)の出番となった。

すると、さすがに大きな箱の「バックロードホーン」による低音の情報量に「幸か不幸か」次元の違いを感じたのが運の尽き~。

「オーディオの原点は行動力にあり」・・、例によってすぐに動いた(笑)。



バタバタとウェストミンスターを基本にした本格的な3ウェイの構築へ。

クロスオーバーは「200ヘルツ」と「6000ヘルツ」で、我が家のささやかなポリシーとなっている「200~4000ヘルツ」までに異種のユニットは挟まない」を踏襲している。

各ユニットごとに3台のアンプを使って大いに楽しんだし、音質にまったく不満はなかった・・、しかし、3日ほど経ってから中高音域を「175ドライバー」(JBL)にしたらどういう音になるんだろう・・。

いったん思い立つと、どうしてもその誘惑に抗し難くなる(笑)。

で、とうとう現在の姿となると、



で、この「175」に思い切ってエース級の「6A3シングル」アンプを当てがったのがミソで、上出来のサウンドへ。



で、JBL談義をひとくさり~、

そもそもコーン型ユニットには(クラシックを聴くのに)どうしても素っ気なさを感じて馴染めないところがある・・、しかし「175や075」には、秋の澄み切った青空のようなスッキリした爽やか感があってとても捨てがたい味を持っている。


また、昔は2インチドライバーの「375」や「2441」、さらには1インチの「LE85」も使ったことがあるが、どうしても「175と075」の品の良さには及ばない・・、もちろん私見ですよ~。

で、ポイントは前者の3ウェイと後者の2ウェイとではどちらが上なのか・・、これが実に難しい。

「管楽器、ピアノ、ボーカル」は後者の2ウェイの方が1枚上・・、ところが流石に「弦楽器」の麗しさや艶やかさとなると前者の3ウェイの方が1枚上で、はたと困るほどの微妙な関係となった。

「プレイヤーは審判を兼ねてはいけない」という言葉もあるし、ここは素直に仲間の意見に耳を傾けてみようかなあ~(笑)。



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新年早々から縁起でもない話だが

2024年01月20日 | 読書コーナー

「男の読書術」という本がある。

             

著者の「大岡 玲(あきら)」さんは過去に芥川賞を受賞された方だが、そんなことよりも以前NHKの釣り番組でフライ・フィッシングの見事な竿さばきを披露されていたので親しみを覚え、以後見かけた本はかならず手に取るようにしている。

本書は様々な作家の著作をアトランダムに取り上げて書評を行ったものだが、ネット上に読者から寄せられた感想文として「この本を読んでいるとどれもこれも読みたくなってくる。わくわくさせてくれるのだ。こんなレヴューが書ければ、と思わずうなってしまう。プロの凄さを思い知らされる、そんな一冊です。 」と、あったがたしかにこんなブログが恥ずかしくなるほどの熟達した表現力には参ってしまう。

つい一気読みしてしまったが、印象が散漫になると拙いので新年早々から縁起でもないが「死」についてテーマを絞ってみよう。


まずは、沢山の書評のうち「死を哲学する」(中島義道:岩波書店)というのがあって、その冒頭に掲げられた一節の紹介に思わず惹き込まれた。

「すべての人は生まれた瞬間に<百年のうちに死刑は執行される。しかし、その方法は伝えない>という残酷極まりない有罪判決を受けるのです。」

この世の中で「新しい生命の誕生」に喜ばない人はまずいないが、こういうネガティブな考え方もある。ただし、たしかに事実には違いないが何だか「身も蓋もない」話だなあ(笑)。

「死」については古来、いろんな識者が持論を展開している。

まずは、モーツァルトから。

☆ 
「死は最上の真実な友達」

モーツァルトは手紙魔で後世に膨大な書簡を遺したが、父親あての手紙の中の一節にこうある。


「死は人間たちの最上の真実な友だという考えにすっかり慣れております。・・・僕はまだ若いが、恐らく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床にはいったことはありませぬ。しかも、僕を知っているものは、誰も、僕が付き合いの上で、陰気だとか悲しげだとか言えるものはないはずです。僕は、この幸福を神に感謝しております」。

この文章は死期を目前にした手紙ではない。それどころか、まさにアブラの乗り切った円熟期に書かれたもので、こういう生死を超越した人間だからこそ、あの奇跡のような傑作群が完成したのかもしれませんね。

ただし・・、モーツァルトは「な~んちゃって・・」という、おふざけが好きだったので「どこまでが本気なのか」正体不明のところがあり、はたして文面通りに真に受けていいのかどうか、割り引いて考える必要があるかもしれませんね。


次に「兼好法師」のご登場である。

今から、700年も昔の鎌倉時代に「ものごと」の本質を鋭く抉(えぐ)った随筆集「徒然草」(つれづれぐさ)の著者だが、その中の一節にこうある。


☆ 「死は予期していないときに後ろから迫る」

春が終わって夏になり、夏が終わって秋が来るというのではない。春は既に夏の気配を感じさせ、夏は既に秋へと通じており、秋はすぐに肌寒い天気となり・・・・、枯れ葉が落ちるというのも葉が落ちてから芽をつけるのではなく、木々で兆している新芽に堪えきれずに葉が落ちるのだ。 初春を迎える新芽の気を、内部に蓄えているが故に、枯れ葉はあっという間に落ちてしまう。

『生・老・病・死』が移り変わることも、この自然の推移と似ている。四季にはそれでも、定まった順序がある。だが、死期は順序を待つということもない。

死は、必ずしも前より来るのではなくて、いつも背後に迫っているのだ。人は皆、死ぬ事を知ってはいるが、死は急には来ないものと思い込んでいるものの、死はいつの間にか予期していない時に後ろから迫る。沖の干潟は遥か彼方にあるけれど、潮は磯のほうから満ちてくるのである。」


「死は予期していないときに後ろからやってくる」とはたいへん困った話だなあ。

そうだっ! 明日があるなんて思わない方がいい。今のうちに手に入れた稀少な真空管を苛めに苛め抜いて早くオシャカにしてしまおう…(笑)。



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「競争心理」を駆使したオークション

2024年01月19日 | オークション情報

我が家のオーディオに絶対に欠かせないものといえばネット・オークションかな・・、使っている機器や真空管などの部品のうちおおかた7割くらいは該当する~。

もちろん、不要になった機器の処理に利用した事例も数知れない。

で、ここ30年ほどは「掘り出し物」に一喜一憂しているが、成功率となるとおよそ8割くらいかなあ。

今でも「夢よもう一度」みたいな感覚で ”しょっちゅう” オークションを覗いているが、高額商品ともなると人生の残り時間を勘案してさすがにダボハゼみたいに飛びつくことがなくなった。

たとえば・・、このたび出品されていたDACの「パガニーニ」(英国:dCS)。



たしか発売当時の価格は「380万円」だったと記憶しているが、ちょっとビンボー人には手が出ない価格。

さあ、中古品になったらいくらで落札されるんだろうと、興味津々だったら結局「93万2千円」(1月17日付)で落札されていた。

これは自己採点になるが、我が家の同じ「dCS」の「エルガー プラス」が90点だとすると、「パガニーニ」はせいぜい95点ぐらいだろう・・、たった5点あげるのに93万円も突っ込むのか。

ちょっと分別臭くなった自分が嫌になる・・、「気に入ったらお金に糸目をつけない!」
それが趣味というもんでしょうが~(笑)。

それにしてもこの「パガニーニ」はスタート価格がたったの千円だったのには驚く。出品者は「ストア」だったが度胸ありますねえ・・。万一、入札者が少ないときは、たいへんな安値で落札される可能性だってありますからね。

そういえば、過去に「競争心理」を駆使した展開事例があったのでご紹介しよう。

それは「VAIC VALVEモノラル・パワーアンプ VV52Bペア」に関する一連の動き。
              

30年ほど前に発売されたアンプだが、当時欲しくてたまらなかったアンプで、とにかく評判が凄くよかった。今でも当時の記事のコピー(前期型)を保管している。

                  

しかし、ペアで88万円という価格の前にやむなく涙を呑んで諦めた。

ところが、この忘れられないセパレート・アンプがオークションに出品されているではないか・・、懐かしい!

出品価格はピタリ30万円。中古専門のストアの出品だから安心感が漂うが、今のところ手元の使用中の真空管アンプ群(9台)で十分間に合っているし、もっと値段が下がると参加してもいいのだが、置き場にも困るしねえ。

とりあえず「ウォッチリスト」に登録して追いかけることにしたが、30万円という価格の前に入札者が1件もなしの状況が2クール(1クール=1週間)続いて、出品者もようやく腹を括ったのだろうか、一転して今度は開始価格を一挙に1000円に値下げしての再スタート。

これは見物!

最終的に落札価格が10万円以下に落ち着きそうなら考えてもいいがと、俄然色気が出てきてオークションの解説を再度詳細に読んでみると、1台の重さが何と50キロもある。スピーカーならともかく、アンプがこの重さではねえ。

「オーディオ機器の性能は目方に比例する」のは、経験上おおむね正鵠を射ていると思うが、年齢を経るにつれて体力面から機器の重量は切実な問題になる。動かすときにギックリ腰への用心をはじめ、とにかく扱いずらい。

故障したときの発送処理などを考えるだけで億劫になる。したがって機器の性能よりも、むしろ軽さなどの扱いやすさの方に次第に魅かれるようになるのは、おそらく同年配の方々には思い当たるはず。

そういうわけで、潔くキッパリ諦めることにして落札当日になっても気にすることなく早めに就寝。

で、翌日起き抜けにメールを見たところ何と「落札価格29万2千円」とあった。


落札寸前に凄い「叩き合い」があったみたいで入札、価格ともに凄い高騰ぶり!

それにつけても、30万円では2週間以上、買い手がいっさいなかったのに、1000円スタートにしただけで29万2千円もの高値で落札され、ほぼ、出品者の思惑通りになったところが興味深い。

オークションの「競争心理」をうまく利用した出品者側の作戦勝ちだが、前述したようにその一方で1000円スタートなので超安値で落札される危険性もあるから、危ない橋を渡った「リスクの代償」ともいえる。

自分にも経験があるが、落札間際にどうしても欲しい商品が競争状態になったときに平常心を保つのは難しい。「たとえ借金をしてでも絶対に手に入れるぞ」と、我を忘れる事があるが、賭けごとにのめり込むのもこういう心境だろうか。

以前の“おおらか”なオークションの時代ならともかく、こうして“鵜の目鷹の目”のご時世ともなると、つい、うっかりの見逃しはありそうもないので、出品者側にとっては、いきなり高値から出発するよりも安値から出発して参加者の「競争心理」をうまく煽(あお)った方が結果的には得策かもしれないなあ・・、まあ、対象機器の魅力次第だが。

自分の場合にしても、いずれオークションなどを利用して手持ちの真空管やもろもろの機器などの処分を考えるタイミングが視野に入ってこらざるを得ないが、今回の事例は大いに参考になった。

つまりは、出品物をしばらく高値でさらして広く周知したうえで、一気に値下げして競争心理を煽るという作戦だ。

まあ、「生き馬の目を抜く世界」なのでそうは簡単に問屋が卸すまいが(笑)。



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諸事雑感

2024年01月18日 | 独り言

☆ NHK「BS1」チャンネルと「BS3」チャンネルの統合

昨年(2023年)の12月1日からNHKのBS放送「BS1」と「BS3プレミアム」が統合して「BS1」になったのは周知のとおり。

「縮小するなんてこの情報化の時代におかしなことをするなあ・・、手抜きじゃないか、サボりじゃないか」と思われた方は、おそらく自分だけではあるまい。

ところが・・、月刊テレビ番組表によるといつのまにか従来の「BS4K」が「BSプレミアム4K」になっているんですよねえ。

ちなみに「4K」放送は画素数が「829万画素」、従来のハイビジョン放送は「207万画素」だから画面が4倍美しいとされており、たしか音質もいいはず。

なんだ、そんなことなら「ハイビジョンを1チャンネル減らした分をどうか4K放送でお楽しみください」とはっきり言えばいいものを・・。

で、ここから先はまったくの憶測になるが・・、実はまだ「4K」放送に対応できるテレビチューナーが全国津々浦々に行き渡っていないのではなかろうか、つまり一部のご家庭ではまだ「4K」放送を見れない・・。

ということは、NHKは公共放送の使命として電波の公正という観点から「4K放送を見てくださいと声を大にしては言えない」という引け目がある、と睨んでいるがどうだろうか。

もし、その辺の裏事情に詳しい方がおられましたら、どうかご教示ください。

ちなみに、現在「NHK BS8K」放送も細々とやっているが、「8K」が見れるテレビってメチャ高価なはず・・、しかし、そのうち廉価になって普及しだすと、画質、音質ともに「8K全盛時代」を迎えるはず。

もちろん、レコードは別にしてCDなどのデジタルソフトは早々に駆逐されて「8Kがあれば十分」という時代がいずれやってくるのだろう。

ただし、「8K」に対するニーズがどれだけ高まるかということにもよる・・、何しろ「現在の映りと音質でも十分」という方が相当数いるはずだから(笑)。

☆ トヨタの殿様商売

先月のこと、次のような文書が舞い込んできた。



要するに「リコール」である。所要時間が45分程度というからすぐに出かけて済ませてきたが、その待ち時間に担当さんと次のような会話を交わした。

「新型のクラウン・スポーツは売れてますか?」

「ハイ、上々の滑り出しですが、各販売店には1台の割り当てしかありません。今注文しても納車は2年後になります」

「え~っ、2年後ですか! いつからトヨタは殿様商売になったんですか」「・・」。

「殿様商売」とは・・、「商売上の売り手として、サービスや質の向上といった工夫や努力をせず、買いたければ買え、いやなら買うなと、顧客に対して上から目線の鷹揚な構え方で商売を行うさまを意味する表現。」
だそうです(笑)。

とはいえ、トヨタは質の向上は日夜怠らず図っているのだろうから、厳密には「殿様商売」は当てはまらないが、「顧客に対して上から目線」という状況はまったくそのとおり。

そんなにお客を待たせていいものだろうか・・。

こういう循環になると、在庫を抱えることもなく計画どおり注文に応じて悠々と生産に取り組めるのでメーカーにとっては「いいことづくめ」だろう。

だがしかし・・、

日本のクルマ業界は正直いって「トヨタ 一強」である。この状況で納車もすぐに出来るとなると他のメーカーは売れ行きが落ちるばかりだろう。

「そんなに2年も待てない」というユーザーは必ずいるはずなので、他のメーカーに流れていく・・、そこに商機が見出せる。

つまり、トヨタの納車遅れは他のメーカーを救っていることになる。

となると、一概にトヨタを謗れない・・。

で、唯一の解決策となると・・、日産、ホンダ、マツダ、スバルさんたちよ、トヨタに負けない魅力的な車を早く作ってくれ~(笑)。



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「ショパン・コンクール優勝者」の値打ちとは

2024年01月17日 | 音楽談義

クラシック音楽において楽器の双璧といえば・・、諸説あろうが「ヴァイオリン」と「ピアノ」に指を屈するのではあるまいか。

で、どちらが好きかと問われたら・・、自分なら即座に「ヴァイオリン」と答える。

耽美的で憂愁っぽくて現実から遊離させてくれるからだが、その一方「ピアノ」となると、何だか意識を覚醒させるようなところがあり、つい音楽に分析的に向き合いがちでどうも興に乗れないところがある・・。

したがって、ピアニストにはヴァイオリニストほどには関心がないが、「ショパン・コンクール」の優勝者となると話が違ってくる。

5年に一度しか開催されないという希少性もあって、ピアニストとしては生涯付いて回る最高の「栄誉」みたいなもので、歴代の優勝者はすべてその後も華々しく活躍しているのをみても頷ける。

で、およそ20年前の「2005年コンクール」で優勝したのが「ラファウ・ブレハッチ」だった。



当時、最年少の20歳、しかもポーランド出身でコンクールの元祖「ショパン」に風貌が似ているとのことでたいへんな話題になったことを憶えている。

で、ずっと以前のことだがブログの記事にもしたことがある。

ところが、その記事が昨日「過去記事ランキング」に突然登場していたんですよねえ・・。

ハハ~ン、どうせ近々日本で「コンサート」でもやるんで、どういう演奏家かとググってみてどうやら吾輩のブログに辿り着いたらしい。

ビンゴ!

ググってみると、来たる2月17日(所沢市民文化センター)でコンサートが開かれる予定とあった。どうやら「ショパン・コンクール優勝者」のお墨付きって時限がないようですね(笑)。

それでは、「ラファウ・ブレハッチとはいったい何者なのか」、過去のブログを要約して送り届けよう。もちろん「独断と偏見」に満ちているので、真に受けるか受けないかはあなたの自由ですから念のため。

「新版クラシックCDの名盤」で、3名の著者たちがそろって絶賛していたピアニスト「ラファウ・ブレハッチ」〔339頁~)。

ショパンと同郷のポーランド出身で2005年開催のショパン・コンクール優勝者である(当時は20歳)。 

しかし、現時点でまだ25歳前後と若くやや経験不足が心配なところだが、かのヨーゼフ・シゲティによると「演奏のテクニックは25歳がピーク。それ以上にうまくなることはない」との談もあり”まあ、いいか”と自分を半分納得させてHMVへ注文。

2週間ほど経過してやっと自宅に到着した。

左から「24の前奏曲集」(ショパン)、「ピアノソナタ」(モーツァルト)、「ピアノ協奏曲1番&2番」
 

                     

 まず「コルトー以来の名演」(中野 雄氏)と称される「24の前奏曲集」を聴いてみた。「ピアノの詩人」ショパンにはいろんな作品群があるが、ショパン通にとって代表作といえばまず「24の前奏曲集」に指を屈するという人が多いのではあるまいか。

自分には演奏の良し悪しやテクニックを云々する資格はないが聴いてみたところ「ええかっこしい」の音楽家でないことが感じられて救われる思いがした。自分をことさらに大きく見せようとはせず、純粋に音楽に溶け込んでいる印象で、録音の良さは申し分なし。

個別では判断の下しようがないので手持ちの「コルトー」と「アシュケナージ」の演奏と比較してみた。 


                          

思わず居住まいを正し、聴けば聴くほど味わい深くなるコルトー、安定感に満ちたアシュケナージの印象からするとブレハッチの特徴は一言でいえば演奏慣れしていない「初々しさ、瑞々しさ」のように思えた。なかなか好印象!

次に、2枚目のCDにはハイドン、ベートーヴェンそしてモーツァルトと古典派3人のピアノ・ソナタが網羅されていて、モーツァルトでは「K.311」〔9番)が収録されている。

ショパンはなかなか行けると思ったけど、はたしてモーツァルトはどうかな?

自分は帰し方40年ほど耳にたこができるほどモーツァルトの一連のピアノ・ソナタを聴き込んできたが、こう言っては何だがこの一連のピアノ・ソナタほどピアニストのセンスと力量が如実に反映される音楽はないと思っている。

たとえば久元裕子さん(ピアニスト)は著書「モーツァルトはどう弾いたか」の中でこう述べている。
 

「モーツァルトの音楽は素晴らしいが弾くことはとても恐ろしい。リストやラフマニノフの超難曲で鮮やかなテクニックを披露できるピアニストがモーツァルトの小品一つを弾いたばかりに馬脚をあらわし「なんだ、下手だったのか」となることがときどきある。 

粗さ、無骨さ、不自然さ、バランスの悪さ、そのような欠点が少しでも出れば音楽全体が台無しになってしまう恐ろしい音楽である」。 

以上のとおりだが、実に意地の悪そうな前置きはこのくらいにして(笑)、ブレハッチのモーツァルト演奏について述べてみよう。

一楽章の冒頭から指がよく動き、果てしない美音のもとに流れも軽快で ”いいことづくめ” 何ら違和感なく聴けて「大したものだなあ~」と演奏中は感嘆しきり。
 

だが、”しかし”である。

終わってみると、「はて、この演奏から何が残ったんだろうか」という印象を受けてしまう。つまり、後に尾を引くものがない、名演にとって不可欠な「香り立ってくるような余韻」がないのだ。


どうも、つかみどころがない演奏で単なる”きれいごと”に終わっている気がしてしかたがない、もしかすると自分の体調が悪いのかもしれないと日を改めて再び挑戦。しかし、やはり同じ印象は拭えない。

改めて、いつも聴きなれたグレン・グールドのK・311を聴いてみた。

まったく何という違い!音符を一つ一つバラバラに分解し、改めて自分なりに精緻極まりなく組み立てて、
見事に自分の音楽にしてしまうグールド・・。圧倒的な、有無を言わせない説得力に無条件に降参した。

因みに演奏時間の違いが面白い。ブレハッチの16分59秒に比べてグールドは12分25秒。こんなに違うと、まるで異なる音楽になるのは必然で、めまぐるしく早いテンポのグールドと比較すると”まどろっこしさ”を覚えるのも無理はない。

個性的なグールドと比較するのは可哀そうだと思い今度はクラウディオ・アラウの演奏を。これは演奏時間が20分55秒と一番長い。

じっくり聴いてみたがやっぱりいいねえ!一音一音が見事に磨き抜かれてコクがありロマンチックで素敵な演奏の一言に尽きる。こうなるとブレハッチとの差はいかんともしがたい。

ショパンはともかくモーツァルトの音楽では簡単に騙されないぞ!(笑)

キーシンほどの大ピアニストがいまだにモーツァルトのピアノソナタ全集の録音をためらっているが、ブレハッチにはまだモーツァルトのピアノ・ソナタを弾くにはちょっと早すぎるようだ。

しかし、せっかく前途有望な若手が出現したのに否定的な迷言(?)を繰り返すとは何ともへそ曲がりの嫌味なリスナーが世の中にはいるもんですねえ~(笑)。



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