「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

愛情、熱意そして執念に彩られたスピーカー

2021年02月27日 | オーディオ談義

長いことブログをやっていると全国津々浦々からメールをいただく。

その内容も様々だがやはり、愛用されている機器への迸るような愛情と熱意、執念みたいなものが感じられるメールが記憶に残っている。

たとえば数々の伝説に彩られたスピーカー「AXIOM80」(英国グッドマン社)についてのメールなんかがそれに該当する。

まるで麻薬のような妖しげで魅力的な音に「人生を狂わされた」とまで仰る方が実際にいるし、ちょくちょく我が家にお見えになっているオーディオ仲間も「とにかく音の粒子が細かくて別格です」とまで褒め称える

さらには「AXIOM80で聴かないと微妙な音質の差が分かりません」と、自作したばかりのプリアンプをわざわざテスト用としてご持参されるほどだからその評価たるや推して知るべし。

ただし、「実際に聴いてみたけど大したことはなかったよ」と仰る方もいることはいるが、箱の仕様や周辺機器の状況によってガラリと雰囲気が一変するスピーカーなので、そういう方はきっと悪い例に当ったに違いない。実は昔の我が家がそうだった・・。が、今は違いますよ(笑)。

そして、以前メールをいただいた「S」さん(関東地方)も凄い「AXIOM80」ファンだった!

そのSさんのメールを再度ご紹介させていただくとしよう。

「先日の話をもう少し詳しく…。

2発入ったシステムを聴いた時が80の音との出会いでした。
オーディオを始めた頃から存在は知っていました。でも聴く機会はありませんでした。

ヒノ・オーディオの2発入ったシステムを購入したのは栃木の方だったとの事。定年退職した男性(旦那)とその奥さん、それと息子さん夫婦の4人で来店したそうです。

男性はタンノイⅢLZを物色していて、奥さんは暇なので会長が何かCDを聴かせてあげようと。

会長「何が良い?」奥さん『美空ひばりの有る?』

CDを再生したら…

姿勢を正し、正座して聴き入った。

そして旦那さんに、『お父さん、これにしましょうよ!美空ひばりが此処に居るじゃない!!』 奥さんは(ひばりの)親衛隊だっただけに生の歌声を聴いている訳です。

そして買われていったのでした。旦那さんにとっては良い買い物が出来てラッキーでした。

300Bシングルで鳴らしているそうで、『凄い音で鳴ってるよ!!』と喜びの報告があり、たまに奥さんも好きなので聴いてるとの事。

契約が済んで引き取られてゆく前に自分は聴く事が出来た訳です。

その時自分は何か買いたい衝動に駆られて、何となくローサーのPM6のシステムを何種類か聴き比べていたのですが高域に混濁とビリつき感が有るのが気に食わず諦めていました。そして80の2発入りを聴いて…

『スタックスのコンデンサー型イヤースピーカーと変わらない淀み無く澄みきった高域』それと『声を出す時の息の湿り気をも感じる様な生々しさ』に打ちのめされました。

「この音はこのユニットにしか出せない音なんだな」そう感じて『今なら旧型新品が1ペア有るよ』に食らい付いたのです。2発システムは無理でも、この音は欲しい!

好きな音だった訳ですな。でもバスドラムのドスンは残念。

そして本気で鳴らす為のアンプはウエスタンのVT52刻印のシングル。チョークインプットB電源、フィラメントのDC点火にもチョークインプット。※抵抗切り替えのハムバランサーでAC点火も思案。

ドライバートランスは試したいの色々(笑)。部品は大体揃ったから後は組み上げるだけ。でも仕事が…。あ、箱も修理中だった!」

以上のような、いかにも「AXIOM80」の魅力にどっぷりハマられた方のメールだが、このユニットが鳴らす生々しい臨場感を一言で言い表すとすれば「美空ひばりが此処にいるじゃない!」は、けだし、名言・・。

それに、登場された奥様の何と素敵なこと!

普通は「どれもこれも一緒じゃない、一番安いのにしとけば」で落ち着くのが当たり前だろうに、わざわざ高価なスピーカーを選んであげるなんて、旦那さんへのふつふつとした愛情が感じられるではありませんか。

まったく「仲良きことは美しき哉」(武者小路実篤)です・・。

また「スタックスのコンデンサー型イヤフォーン」は独身時代の間借りしていたときに愛用していたもので懐かしい思い出の機器である。たしかに同じ透明感の匂いをAXIOM80にも感じる!

そして、時代の流れに抗しきれずとうとう廃業に至った「ヒノオーディオ」(東京)さん。あれから、もう10年ぐらいになるかなあ・・。

せめて全国で1か所ぐらい「AXIOM80」を気軽に聴けるショップがあってもいいと思うが、これはまったく「若い層のオーディオ愛好家たち」にとっては不幸というべきだろう。

たとえ好きになろうと嫌いになろうと、とにかくスピーカーばかりは実際に聴いてみないと始まらないんだから~。

それはさておき、春近しの開放的な気分に強く後押しされて、久しぶりに我が家の「AXIOM80」の現況について「オリジナル版」と「復刻版」とに分けて俎上に載せてみるとしよう。

以下、続く。



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真空管の生涯

2021年02月25日 | オーディオ談義

名曲「4つの最後の歌」を遺した作曲家「リヒャルト・シュトラウス」に「英雄の生涯」という曲目があるが、それにちなんで今回は日頃お世話になっている真空管の生涯について。

真空管を愛すればこその心理だろうが、ときどき真空管と人間の生涯を重ねたくなることがある。両者とも「寿命」という共通の運命に支配されているのでそう無理筋でもないと思うがどうなんだろう。

まず人間の生涯を大まかに分けると「幼年期~壮年期~老年期」に分けられるが、寿命を80年としてその内訳を順に「15年~40年~25年」としよう。

もちろん肉体的にというわけだがこれを真空管に当てはめてみると、
球の種類もいろいろあるし、ブランドによっても違うので諸説あろうが、十把一からげに大まかに時間単位でいくと寿命を6000時間として幼年期が100時間、壮年期が4000時間、老年期が2000時間といったところかな。

人間に比べると幼年期がとても短いのが特徴で人間の幼児教育にはとても手間と時間がかかるのがわかる(笑)。


さらに人間の場合、己がどの年期に属するのか把握するのは簡単そのものだが、真空管ともなるとはたしてどの時期に相当しているかこれを見分けるのが実に難しい。

なにしろ人の手を転変とするのが宿命なので見分けがつかない。

壮年期に当たるのならもちろんいいが、もし老年期に入ったとするといったいどのくらいで姥捨て山に行かせるか、その時期を常に意識せざるを得ないのが課題だ。


それともう一つ、幼年期に冴えなかった球が壮年期に差し掛かると大化けする可能性もあるので、新品のときに「これはダメ」といちがいに決めつけるわけにもいかないので用心しなければならない。

一例を挙げると、非常に信頼できる筋から手に入れた新品という触れ込みの電圧増幅管「MH4」(=AC/HL)。

          

持ち主が言うのもおかしいが、極めて稀少な「メッシュプレート」管である。画像右側の球の「網の目状になったプレート」がお分かりだろうか。通常はここがのっぺりした板状のプレートになっている。

メーカー側にしてみると開発した初期の頃は音質の良さを広くPRしなければならないので手間はかかるが音が良くてSN比に優れる「メッシュプレート」タイプにするが、そのうちひと通り行き渡ると途端にコスト優先で手を抜きたがるのはどこの国でも同じ(笑)。

なにしろ「(コストを度外視して)いい製品を作るメーカーほど早く潰れる」という悲しい伝説が横行しているのが、この業界の特徴である。

したがって音質はそっちのけでコストダウンを図って開発費を回収しようとばかりツクリが簡単な「板状プレート」に移行してしまうのが常套手段である。まあ、耐久性への対策もあるんだろうが、音質的にけっして良くないのは同じこと。

したがって、メッシュプレートの球は板状プレートの球に比べて通常では2倍程度のお値段がするが、音さえ良ければそれで良し、期待に胸をふくらませてイザ御開帳。

すると、アレ~、何だか冴えない音!低音域はともかく中高音域がキリがかかったみたいにモヤっとしていて見通しが悪い。

おかしいなあ~、ガッカリだなあ~。丁度試聴にお見えになっていた仲間も「これはイケません」とばかり首を傾げられるばかり。

この時点から悶々とした苦悩が始まる。このまま、エージングを続けて大化けを期待しようか、それともいっそのこと新品同様ということでオークションに放出しようか(笑)。

「待て待て、メッシュプレートタイプに駄球はないはずだぞ。しっかりエージングを続けてみろ」と天の声がささやいた。

こういうときにブランドとか定評とかが強力に背中を後押ししてくれるわけだが、言い換えると結局権威に頼る弱い自分がいるだけだ(笑)。


以降、忍の一字で我慢して連日5時間以上のエージング。そして、およそ2週間経ったとおぼしき頃から「信じれば通ず」で今ではこの球無くして171アンプの実力発揮は覚束ないほどの存在となった。中高音域が随分こなれて柔らかくなったのである。

もちろん周辺機器との相性の良し悪しもあるかもしれないが・・
       

ちなみに「北国の真空管博士」に真空管の寿命のノウハウに関して伝授していただいたので紹介しておこう。

「真空管は頻繁にON-OFFを繰り返しますと著しく寿命を縮めます。真空管の寿命があとどれくらいあるのか推定するのは非常に難しいです。Hickok社のチューブテスタでライフテストを実施するのが最も簡便な方法でしょう。 

ライフテストはHickok社の特定のモデルのみで可能ですので機種の選定は重要です。ライフテストが可能な最も安価なモデルは533型と思います。現在私は533型を使用しています。 
 
539Cが最も有名な高級機種なのですが、完動品は〇〇万円以上します。WEタイプは更に高価で故障時のメンテナンス費用も相当にかかります。533型ですと本体〇万円に送料+メンテナンス費用くらいでしょうか。 
 
最も有名なチューブテスタTV-7はHickok社の設計ですが、ライフテストができないのが難点です。私はチューブテスタのコレクターでもあり、修理待ちのテスタが15台以上あります。
 
チューブテスタの修理作業は非常に時間と費用がかかりますので1年に1台程度のペースで修理しています。部品が手に入らず10年以上手付かずのチューブテスタもあります。」

ご教示ありがとうございました。

我が家では真空管アンプのスイッチのオン・オフは慎重にしており、1時間以上家を空けるときはオフ、それ以外のときはオンの状態にしている。

これってエアコンと一緒ですね~(笑)。



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早春の小咄

2021年02月24日 | 独り言

去る21日(日)のこと、家内から「大分まで運転してくれない?職場の同僚の両親の実家が火事で焼け落ちたのでお見舞いに行かなくちゃ」

「エーッ、そりゃお気の毒に~」

50分くらいで到着したのは、大分市郊外の大きな団地のど真ん中だった。さっそく、二人して「この度はご愁傷さまです。たいへんでしたね・・・。火災の原因は何でしたか」

「ハイ、1週間ほど前に厳寒の日があったので久しぶりにエアコンを入れたところ、暖房効果が無かったのでスイッチを切ったのですがコンセントは挿し込んだままになってました。

そして2日前に急に室外機から煙と火が出てあっという間に軒下に燃え広がり水をかけたりして消火しても手がつきませんでした。

警察と消防の実況見分では、放火の可能性も捨てきれないとのことで原因不明とされましたが、室外機から炎が出たのは間違いありません。」

結局、何が言いたいのかといえば長期間使っていないエアコンの室外機にはご用心。きちんとコンセントを抜いておきましょうね。ちなみにエアコンのメーカーは「H」社だったそうです。

閑話休題

もう憧れの3月が目前です。

時候の挨拶でいえば2月は「立春の候」、3月は「早春の候」とされているので、端的に言えば1月が過ぎるともう春なんですね~。

そこで今回は早春にふさわしく明るめの「小咄」をご紹介しよう。

ネタの材料は「名文どろぼう」(文藝春秋社刊)

著者の「竹内政明」さんは読売新聞の看板コラム「編集手帳」の6代目執筆者(2001年~)です。

☆ 「じいさん、ばあさん、お出かけ」

国文学者の池田弥三郎さんがご夫人と福島県のひなびた温泉に旅したときのこと。夕方、宿の下駄をつっかけて散歩に出ようとした。

すると、宿屋の番頭が玄関のところにいて「じいさん、ばあさん、お出かけ」と、大声で怒鳴った。

自分はたしかに若くはないが何もじいさん、ばあさんと呼ばなくてもいいだろうと思いながら一回り散歩して帰ってきたところが、再びその番頭が「じいさん、ばあさん、お帰り」と言った。

池田氏はつかつかと番頭の前へ行き、「きみ、いくら何でも僕たちを、じいさん、ばあさん呼ばわりすることはないだろう。少しは違った言い方があるんじゃないか。」と抗議した。

すると今度は番頭の方が面食らった表情で、そんなことは言った覚えはないという。いったいどういうことかと思ってよく聞いてみると、池田氏の泊まった部屋の番号が「13番」だった。

「ずうさんばんさんお出かけ」と言ったのである。

ご夫妻はきっとあとあとまで番頭さんがくれた「想い出」という土産をサカナに折にふれては思い出し笑いをされたことだろう。

☆ 「旧中山道」(きゅう・なかせんどう)の読み方

何と「旧中山道」を「いちにちじゅう やまみち」と読んだフジテレビの女子アナがいたという(笑)。

☆ 「餞別を 銭別と書いて 本音ばれ」

ごもっともですね(笑)。

☆ 面白い変換ミスの事例

正しい変換 → 「うまくいかない画像サイズになった。」

変換ミス  → 「馬食い家内が象サイズになった」

☆ 「猿の毛を抜け!」

明治から大正にかけて東京帝大で経済学を講じた学者の和田垣謙三氏に、あるとき学生が「どうすれば金儲けができますか」と、質問したところ教授の答えがふるっていた。

「猿の毛を抜け!」

「MONKEY」(モンキー)の「K」を抜けばMONEY(お金)となる。気の利いた洒落で学生を煙に巻いたようでもあり、「経済学を何と心得るか」とたしなめたようでもある。

☆ 「折口学入門」

詩人「北原白秋」が「黒衣の旅人」と称した折口信夫は、あの世からやってきたかと思わせる独特な雰囲気の内側に深い学識を蔵した国文学者だった。

作家の丸谷才一さんは若い頃の一時期、熱に浮かされたように折口に傾倒したという。

「その熱中のせいでしょうね。たしかあれは日本橋辺りの裏通りの本屋だったと思いますが、入り口のところに「折口学入門」と墨で描いたビラを見つけたことがありました。

夢中になって飛び込んで行って「折口学入門」をくれと言ったんです。ところが「そんな本はうちに置いてません」と言うんですね。そこでビラを指さして「ほら、ここにあるじゃないか」と言いながらよく見たらそれは「哲学入門」だった。

蛇足だが「哲」を上下に分解すると「折口」になる!

☆ 「昨年はご厚情をいただいた気がしません。本年はよろしく」

自分もこういう「本音」を書いた年賀状をいずれ出してみたい(笑)。



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テスト盤とオーディオレベル

2021年02月21日 | オーディオ談義

ずっと以前の話だが、当時のオーディオ仲間がいみじくも仰るのには「システムの一部をいじったり、真空管やアンプの交換をしたときには自分が気に入ったテスト盤を試聴しますが、どういう盤を使うかでその人のおおよそのレベルが分かりますね。」

たしかに、テスト盤やお客さんが見えたときにどういう愛聴盤を使うかによって、その人の好きな音の傾向ひいてはレベルを推し量る尺度の一つになるのは疑いない。

そこでだが、自分が現在使用しているテスト盤について、このところ歌謡曲やポピュラーがやたらに多くなってきているのはいったいどうしたことだろう(笑)。

歳を取るにつれ段々と気忙しくなり、手っ取り早く短時間での決着を好む傾向があることを自覚しているし、さらにCDよりも幾分か音質が落ちる「ブルーレイレコーダー」に取り込んだ曲目でテスト(DACはエルガー・プラスを使用)
することが多くなった。

なにしろリモコン一つで次から次にサーフィンしていけるので、音質の欠点を補って余りあるほどの便利さを優先している。

一例を挙げると、

 ポピュラーの「エンヤ」の「Caribbean Blue」では奥行き感、ハーモニー、音響空間の中で微かに消えていく残響音をどのくらいまで拾えるかを試す。

 歌謡曲の「ちあき なおみ大全集」の中の「夜霧よ今夜もありがとう」では切々と訴えかけてくる情感がどのくらい胸に沁み込んでくるかがポイントだし、

 そして「小椋 佳」のアルバム「彷徨」の中から「雨が降り時が流れて」では「スッキリとした爽やかな声」と「伴奏のベースの低音域の広がり具合」がお目当てで、これら3曲を聴くと入れ替えた真空管やシステムの出来不出来がおおよそわかる。

そして、ここまでが共通一次テストみたいなものでおおよその実力を把握してから本番となる二次テストに移る。

19日(金)はプリアンプ3台の比較試聴をしたがその時のテスト盤を記録しておこう。

✰ 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」(モーツァルト)



ヴァイオリン(五島みどり)とヴィオラ(今井信子)の音色の違いがどれだけ鮮明に出せるかをチェックする。

ご存知のようにヴィオラはヴァイオリンと同じ弦楽器に属するがより低音域が出るように一回り大きく作られている。

つまり、コントラバスに象徴されるように楽器は低音域の量に比例して大きくなるが、これをオーディオにたとえるとスピーカー・エンクロージャーの大きさは低音量の関係と見事に符合する。

量感たっぷりの低音を出そうと思ったらエンクロージャーも「大きさと重さ」が必要だ。

つまり、スピーカーも楽器と同じということですね!

オッと、話がつい横道に逸れてしまいそう。

テスト盤の話でしたね(笑)。

ヴァイオリンとヴィオラの比較が済んだら次はワーグナーへ。


☆ 「ワルキューレ」(ワーグナー作曲、ショルティ指揮)

ワーグナーといえばどっしりと大地に根を生やしたような低弦楽器のうねるような響きと大きなスケール感が出てこないと、鑑賞できない音楽といっていい。

それに冒頭のティンパニーの連打は低音域の分解能を推し量るテスト項目のひとつでシステム泣かせの1枚だが、このところ100%ではないにしてもようやく満足感に浸れるようになった。


☆ 「ピアノ・ソナタ」(モーツァルト作曲、グールド演奏)

自分にとって音楽とは何かと問われれば、「それはグールドが演奏するモーツァルトのピアノ・ソナタです」と即座に回答できるほど、いつも心の準備が出来ている。

モーツァルトの天才とグールドの天才がぶつかり合った空前絶後の音楽は独特で他の演奏者を寄せ付けない。

「スピーカーの存在をすっかり忘れて、ただひたすら音楽に没入できるかどうか」がテスト盤としての存在意義だが、システムのテストをするのに、音質を忘れられるかなんて何だか矛盾した話!?

こうして、ああでもない、こうでもないと「音楽&オーディオ」三昧の中で巣ごもりの日々が慌ただしく過ぎていく(笑)。



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オークション情報~魅力ある逸品~

2021年02月19日 | オークション情報

歳を取ると、明らかに高音域の聴取能力が落ちている(誰でもそうだが)にもかかわらず、いまだに「いい音」が出そうな機器にはつい食指が動く。

もうバトルに参加する資格がほぼ無くなっているのに、気持ちだけはまだ若いつもりなのでそのアンバランスが始末に負えない。オーディオ以外にもいろいろあるが・・
(笑)。

毎日、パソコンに向かうと最後の締めはオークションを覗き、キーワードを数語打ち込んで「何か掘り出し物は無いかな~?」のクセがすっかり身に付いているが、最近とても気になった出品物を挙げてみよう。

✰ グッドマン「AXIETTE」(アキシエッテ)8インチ



タンノイなんか軽く凌駕する実力を持っているのにさほど有名ではないイギリスのスピーカーの名門「グッドマン」(goodmans)。

一言でいえばいかにもイギリス紳士らしい、渋くて翳りがあって噛めば噛むほど味のある音を出してくれるのだが、その中でも赤帯マグネット付きのSPユニットとくれば黙って見逃す手はない。

しかも「8インチ」とくれば口径20センチだからとても使いやすく、フルレンジあるいは低音用と高音用のユニットを付け足して2ウェイや3ウェイに発展させてもいい。

フルレンジで使う場合のボーカルなんぞはメチャお金をかけた大袈裟なシステムよりもきっと「いい音」
がするはずだ。

さっそく「ウォッチリスト」に登録して追跡することにした。

とはいえ、欲しいことは欲しいが、我が家では現在ワーフェデールの「10インチ(25センチ)」(これも赤帯マグネット)が八面六臂の大活躍中である。



オーディオ仲間から「コーン型なのに紙臭い音がしませんね。まるでホーン付きのユニットみたいに音が飛んで来ます!」と絶賛を浴びており、マグネットもこの「AXIETTE」よりも一回り大きくてまったく非の打ち所がない。

したがって、いかに「AXIETTE」といえども購入したとしても控え的な存在にならざるを得ず、「あとはお値段次第だな、4万円以下なら「買い」かなと秘かに踏んでいた。

ところが・・。見る見るお値段が高騰して最終落札価格は「8万9千円」なり。

想像したよりも2倍以上のお値段で、どうやら「赤帯マグネット」の価値と広報が浸透したのかもしれないが、実力は間違いなくお値段以上だ。落札者はいい買い物をされたと思い
ますよ~(笑)。

✰ 真空管WE300A 初期型

音がいいとされる三極型出力管のうちでも最高峰とされるWE300B系の出力管。あらゆる真空管マニアが気になる球であることは間違いない。



関西の有名どころからの出品で、品質に信頼が置けるという意味では最高の出品者だろう。解説を覗いてみよう。

「WE ウエスタンエレクトリックの直熱3極出力管WE300A。WEの代表的銘球WE300Bの前身となった真空管です。

出品していますのは、そのWE300Aでも発売当初の前期タイプのもので、後期のWE300Aとの外観上の違いで分かりやすいのは、WE300B刻印以降でも見られる支持用の3枚の長方形マイカ板の替わりにマイカ板全体でプレートを支持するスタイルになっている点です。

また、外観上は一般的なWE300B刻印(オールド以降も同様)よりも数mm程度高いST管形状になっています(5枚目画像参照 右側がWE300A)。 なお、サイズ比較用のWE300Bはオークションには含みません。

ガラス頂部とベースに”00”のプリントが入っています。 ゲッタ金具にはカップ形状のものが1つ使われています。

1930年代前半の製品。 極めて希少。ゲッタの減少もあまり見られず、特性はTV7/Uにより確認済みの美品です。 測定値は基準値58に対し74となっています。」

以上のとおりだが、画像を見たときにこれは確実に50万円は超えるなあ・・、と予測がついた。

さぞや陰影感に富み、品が良くて香り高い音が出るんだろうが、とても自分ごときに手が出る品物ではないので、興味はいったいいくらで落札されるんだろうに絞られる。


そして、最終的な落札価格は「652、000円」だった。



我が家の「WE300B」アンプの製作に一切合切(いっさいがっさい)かかった経費と、どっこいどっこいのお値段である。たったの1本だけで~(笑)。

いったいどういう人が購入されたんだろうか。

この希少な名管を有効に活用してもらうために、せめてアジアの金満国の「投機筋」ではないことを祈りたいものだがはたして・・(笑)。


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頭が良くなるオペラ「ドン・ジョバンニ」

2021年02月17日 | 音楽談義

ときどき図書館に出かけて本を漁っていると、幸運にも思いがけない書物に“当たる”ことがある。

「頭が良くなるオペラ」(著者:樋口裕一)
                                        

まず冒頭に「オペラを聴くとなぜ頭が良くなるのか」とある。その理由とはこうである。 

「室内楽であれ、オーケストラであれ、オペラであれ、クラシック音楽を聴くと頭が良くなる。それが私の持論だ。

クラシックには微妙な音が用いられる。それにじっと耳を傾けることによって、物事をしっかりと落ち着いて思考する態度が身に付く。

変奏形式などに基づいて論理的に構成されていることが多い。それゆえクラシックを聴いているうちに自然と論理的な思考が身についてくる。

だが、オペラとなるとその比ではない。オペラは総合芸術だ。そこに用いられるのは音楽だけではない。

ストーリーがあり、舞台があり、歌手たちが歌い、演出がある。それだけ情報も増え、頭を使う状況も増えてくる。必然的に、いっそう頭の訓練になる。言い換えれば頭が良くなる」

とまあ、以上のとおりだが、自分の場合だと
別に頭が良くなるとはさほど思っておらず、聴いていて心地いい、ときには情感を揺り動かされるのが楽しみなだけだが、目下の関心事のひとつは「ボケないこと」なので、一石二鳥になればそれに越したことはない。

本書では具体的に16の有名なオペラが挙げられており、“頭を良くする”ための聴きどころが懇切丁寧に解説されている。

我らがモーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」ももちろん入っている。 

この三つのうち、もし一つでも欠けていたら著者のオペラに対する見識を疑うところだったので好感度100点!(笑)

この中では、最晩年の作品「魔笛」が音楽的には「一頭地を抜いている」と思うが、「頭が良くなる」という見地からはおそらく「ドン・ジョバンニ」ということになるだろう。

いったい、なぜか?

その理由を述べてみよう。 もちろん大胆な私見ですよ~。

このオペラはモーツァルトの「天馬空をかける」ような音楽には珍しいほどの人間臭さがプンプン臭ってくる男女の愛憎劇である。

ご承知の方も多いと思うが、まず簡単なあらすじを述べると、女性と見れば若い女からお婆ちゃんまで次から次に手を出す好色な貴族の「ドン・ジョバンニ」が、神を信じず人を殺した報いを受けて最後は地獄に堕ちていくというストーリーで、第一幕の冒頭の出来事にこのオペラの大切なポイントがある。

ドン・ジョバンニが貴族の女性「ドンナ・アンナ」をモノにしようと館に忍び込むものの父親の騎士長に見つかり、争いになって騎士長を刺し殺してしまう。父を殺されたドンア・アンナは恋人ドン・オッターヴィオとともに犯人を捜し、復讐しようと誓うシーン。

五味康祐さんの著書「西方の音」にも、このオペラが詳しく解説されているが、この館の夜の出来事においてドン ・ジョバンニが父親を殺す前にドンナ・アンナの貞操を奪ったのかどうか、これがのちのドラマの展開に決定的な差をもたらすとある。

言葉にすることがちょっと憚られる「暗黙知」がこのオペラの深層底流となっているわけだが、こういうことはどんなオペラの解説書にも書かれていないし、もちろん本書もその例に漏れないが、このことを念頭におきながらこのオペラを聴くととても興趣が尽きない。

ちなみに、「西方の音」では二人に関係があったことは明白で「さればこそ、いっさいの謎は解ける」と具体的にその理由が挙げられている。

「もしかしてあの時関係があったのでは・・」と疑心暗鬼にかられる恋人ドン・オッターヴィオ、素知らぬ風を装うドンナ・アンナ、そして臆面もなく他の若い娘にも触手を伸ばす好色漢ドン・ジョバンニとの三角関係、その辺の何とも言えない微妙な雰囲気をモーツァルトの音楽が問わず語らずのうちに巧妙に演出している!

楽聖ベートーヴェンはこの不道徳なオペラに激怒したというが、ロマンチストだったベートーヴェンと違って、モーツァルトは人間の機微に通じた「世慣れ人」であることがいやがうえにも感じ取れるのだ。

というわけで、「ドン・ジョバンニ」をこういう風に鑑賞すると頭の血の巡りが良くなるかもしれない(笑)。

手元にあるフルトヴェングラー指揮、以下クリップス、バレンボイム、ムーティなどいずれも名演だと思うが、前述の微妙な雰囲気を醸し出すのがダントツなのは「フルトヴェングラー」に尽きる!
          

最後に2月13日~5月9日まで、「絵画のドレス・ドレスの絵画」というタイトルで「ファッション展」(東京富士美術館)が開催されています。

ファッションに興味のある方はぜひ~。


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アルテックを使わない理由

2021年02月15日 | オーディオ談義

「そんな1円の得にもならないことをして・・・」と、家内から苦笑交じりに〝からかわれる″「ブログ」。

「バカ言え、これでも社会とのたいせつな交流の窓口になっているんだぞ!」と言い返すものの、現役バリバリの家内に比べて年金のほかにさしたる稼ぎのない亭主の形勢不利はとうてい否めない。

家庭内での権力闘争が稼ぎの多寡に
左右されることは明らかだから(笑)。

まあ、「世の中、お金には換えられないものがあるんだし~」
と、勝手に嘯(うそぶ)いているが、ブログを通じて情報発信をしているおかげで、いろんな情報が入ってきて我が家のオーディオに大いに貢献してくれるのはたしかである。

常日頃のメル友さんにはほんとうに感謝だが、ほかにもときどき見知らぬ方からメールをいただけるのでたいへんありがたい。

つい先日も次のようなメールをいただいた。匿名ということで無断掲載お許しください。

「ブログ、楽しく・興味深く・真剣に、拝見させていただいております。

当方は、アメリカのSPを中心にいろいろ使用してきましたが、いつの間にかJBLばかりになってしまいました。

しかし、1950年代前半の「ジムランシング」時代のユニットと1970年代以降のユニットは全く性格が違うような印象を受けます。まずは、日ごろの感謝と自己紹介まで。」


内容的にはボクシングでいえば軽くジャブ程度ということだろうか(笑)。すぐに返信した。

「拙いブログを読んでいただき恐縮です。昔のJBLの音は大好きです。細身の音の中に何とも言えない色気がありますね。今のところアルテックがちょっと気になる存在になっています。もしアルテックを使わない理由がありましたらご教示ください。」

これもジャブ程度のお返しだったが(笑)、すると実に強力な右のストレートパンチが飛んできた。

「当方の周辺のオーディオの先輩・仲間の多くが、ALTECやタンノイを使用されております。なぜかJBLは「冷遇」されております。そんな中で、なぜJBLなのか?なぜALTECでないのか?本当に不思議です。 

強いて言えば、次のことが理由かと思いますが・・・。 

①ALTECはユニット・ネットワークの種類が限られており、組み合わせが極めて限定される。 

②ALTECは初期タイプ、特に最初期タイプのユニットに絶対的優位性がある。 

ちなみに、当方も過去A7もどき、A5もどきを使用しました。その経験から、上のようなことを感じましたし、結局マニア 内での「最初期ユニットの取り合い」になってしまいそうな予感もしました。 

この春にビンテージオーディオを始めたばかりの知人に請われ、所有していたALTECオリジナルの最初期エンクロージャーをお譲りした次第です。  

最近、ALTEC 604E2(604-8Gのチューンアップ版のようです)というユニットとエンクロージャーを譲っていただきました。 

結線したばかりで、これから調整を楽しみます。同軸SPを本格的に使った経験がなく、さてどうなることやら。当方はアナログ中心で、プリ・パワーとも管球式です。  

「フルレンジSP」の記事は、かなり取り上げられましたね。「同軸SP」、機会があればぜひ取り上げてください。」 

以上のような内容だったが「アルテックは初期のアルニコマグネット・タイプに限る。」と、耳にタコができるほど聞かされてきたが、やはりそういうことだった。

実はアルテックに限らず、SPユニットのうちフェライト(マグネット)タイプが、アルニコタイプを上回った例を知らない。

そもそもなぜアルテックを話題に載せたかというと、我が家のウェストミンスターのエンクロージャーにアルテックの同軸2ウェイ(口径38センチ)を放り込んだらどういう音がするんだろうと、ずっと気になっているから。

現状のワーフェデール「スーパー12」(クロスオーヴァー150ヘルツ)にはまったく「ひとかけら」の不満もないものの、もともと同軸2ウェイ用のエンクロージャーなので回帰志向は常に頭の片隅にある。

それならオリジナルのタンノイ同軸ユニット(口径38cm)を使えばいいじゃないかとご指摘を受けそうだが、この音がどうも・・・

タンノイのファンは世に多いので、これ以上深入りしてあれこれ言うと差し障りがありそうなので止めておこう。

人を不快にさせても、冒頭の話のように「1円の得」にもならないからですね(笑)。



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ヘンな科学~ネズミはオペラを聞くと寿命が伸びる~

2021年02月14日 | 読書コーナー

ご存知の方も多いと思うが「イグノーベル賞」というのがある。

人々を笑わせ、そして考えさせた研究に与えられる賞で、1991年創設。「ノーベル賞のパロディー」とも言われており、授賞部門は開催年によって異なるが、なぜか日本人は授賞の常連になっている。



この本には、これまで受賞した40本の内容が紹介してあったが、音楽関係を拾ってみると「ネズミはオペラを聞くと寿命が伸びる」があったので紹介しよう。

帝京大学チームによると心臓移植を受けたネズミにオペラ「椿姫」を聞かせたところ通常術後1週間の寿命が1か月まで延びたという。

「何も処置をしないと拒絶反応が起こり8日で心臓は止まります。ある時、10匹のネズミが入った箱2つを並べて置いておくことが出来ず、別々の場所で保管しました。

すると片方の箱では8日前後で止まるはずの移植後の心臓が止まりませんでした。そこで環境の変化があるのではないかと直感したのです。

そこでまずはヴェルディ作曲の「椿姫」を聞かせてみることにした。音楽がとても好きだというリーダーの新見院長、イギリスに留学していたころはよくオペラや楽団の演奏を聴きに行ったそうだ。

研究員によると「椿姫」を選んだ理由はボス(新見院長)が好きだからというのが理由。研究者たちは他にもモーツァルトやエンヤなどの音楽を聞かせたが結局一番効果があったのが椿姫であり、寿命が平均26日生き延びた。

次にモーツァルトで20日、エンヤは11日程度で微増。また石川さゆりの「津軽海峡冬景色」も試したが残念ながら効果はなかったそう。

さらに寿命が延びた理由がほんとうに音楽によるものなのかを検証するためにネズミに音が聞こえないようにして同様の実験を繰り返した。その結果、ネズミの寿命が伸びることはなく、術後の長生きが音楽の効果であったことが証明された。

新見院長は「この研究結果から言えることは音楽が脳を介して免疫系に良い影響を与えているということです。

病気には医学的対処はもちろん大切ですが脳に影響を及ぼすような環境、希望や気合、家族のサポートなどが大切であることに通じる結果です。”病は気から”とよく言いますが、あながちウソではないです」。


昨今、とりわけ欧米諸国で音楽は様々な病気の治療の一環としてじわじわと定着し始めている。音楽療法は精神病や中毒症の両方の一つであることに加え、身体的な病気の治療を手助けするものと認識されつつある。

効果の度合いや再現性については諸説あるが様々な症状において、音楽が痛みや吐き気そして不安感を和らげると報告されている。音楽を通常の治療と合わせることで安らぎを与え、症状をポジティブな方向に向かう手助けをしているようだ。

新型コロナウィルス肺炎が続く中、感染予防にも大脳の働きが大切です。ストレスを溜めないことが、がん予防、感染予防、そして長寿につながります」

以上のとおりだが、「音楽&オーディオ」に限らず趣味と名のつくものの効用は免疫系にとても良い作用を及ぼすのでけっして無駄な投資ではないことがわかる。

そして、ずっと以前にも「乳牛にモーツァルトを聞かせるとお乳の出が良くなる」という話を読んだことがあるが、これらのことを踏まえると、美しい芸術を人間が独り占めしてはいけないということだろうか(笑)。


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典雅な雰囲気を醸し出す「古典管」

2021年02月12日 | オーディオ談義

このところ再三にわたって登場しているオーディオ仲間のYさんのプリアンプ。



外側は「ラックス」だが、中身はそっくり別のアンプと入れ替わっているものだが、なかなかの優れもので我が家のプリアンプ「マランツ7もどき」と「際どい
勝負」を演じている。

そして、去る6日(土)、「電圧増幅管12AU7を12AX7(4本)に代えたので再度の挑戦です」と、勢いよく持参された。

またもや「一騎打ち」だ。降りかかる「火の粉」は振り払わねばならないが、非常にありがたい「火の粉」だ(笑)。

12AU7の穏やかさが12AX7によってどのくらい先鋭的になったのか、興味津々で拝聴したが「それほど大きな変化はないと思いますが、音響空間がさらに広大になった印象を受けました。」と、感想を洩らした。

「ずっとこの音で聴きなさい」と「音の神様」から言われたとしたら、「ハイ、わかりました」と素直に従ってもいい気がするが所詮は他人の持ち物なのであまり未練を持たないようにしなければ、となると、ついアラ探ししたくなる。

完璧な人間が少ないのと同じで、およそこの世に完璧なオーディ機器があろうとは思えないので、その気になればいろいろとケチの付けようがある(笑)。

「もう少し典雅な雰囲気が欲しい気がしますねえ。」と、付け足しておいた。

ひとしきり聴かせてもらったうえで、「昨日(5日)仲間からプリアンプを調達しましたよ」と「マッキントッシュのC22型もどき」を聴いてもらった。

「12AX7」を3本使ったアンプだが、始めに「ナショナル」ブランドを聴いてもらい、その後に「BRIMAR(STC)」ブランドに挿し代えた。

「エ~ッ、真空管でこんなに音が変わるんですか!」とため息を洩らされるほどだった。

そして、Yさんのプリアンプに使っておられる12AX7は近代管の「JJ」(チェコ製?)である。

「近代管も悪くないのですが、クラシックにふさわしい典雅な雰囲気を表現するとなると、やはり古典管じゃないと無理みたいですね。」と、ここぞとばかり畳みかける「嫌~な自分」がいた(笑)。

ちなみにこのブログでしばしば登場する「いい音」というのは、「リスナーの情感に切々と訴えかけてくる血の通った音」という意味なので申し添えます。

さて、この日活躍したパワーアンプは「6098」(初期版)シングルだった。

かって軍事レーダー用に使用されていた由緒ある5極管の「WE350B」の血を引く優れものだが「3結」にするとイギリスの名管「PP3/250」と特性が一緒になるという殺し文句についコロっと参ってしまった(笑)。



我が家のパワーアンプ群の中では4番目ぐらいにお金のかかったアンプなので、常日頃から何とか有効に活用しなければと配慮しているアンプである(笑)。

前段管は「6SL7=ECC35」(STC)に指定されているのだが、「スカッと爽やかコカ・コーラ」のメリットも音楽ソースによっては行き過ぎるところがあるので、このほど初めて「6SN7」(レイセオン)に取り換えてみた。

もちろんこのアンプを改造していただいた北国の真空管博士に「取り換えても壊れませんかね?」「ハイ、大丈夫ですよ。ただし、μ(ミュー=増幅度)がガクンと落ちますのでパワーの点ではハンディがあると思います」とのコメントをもらっている。

すると、何ともまろやかな音になったのには驚いた。仲間のYさんも「ガラッと雰囲気が変わりましたね」で一致。

ちなみに「レイセオン」(アメリカ)とか「STC」(イギリス)とかいってもチンプンカンプンだろうが、いやしくも真空管オーディオを通じて音質の向上を図るのなら避けては通れないブランドである。


なお、特性の方は「6SL7=12AX7」であり、「6SN7=12AU7」だから、奇しくも、ここでも両者の対決になった。

今後、音楽ソース、パワーアンプ、スピーカー等との相性によってこまめに変えていくとしよう。

ただし、我が家のオーディオは手綱を緩めるところがいっさい無いので、少々疲れるなあというのもホンネだね~(笑)。



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可愛げのない男

2021年02月10日 | 独り言

先日のブログで触れた日銀総裁の「黒田東彦」氏だが、学生時代からその物凄い秀才ぶりには唖然とさせられるものの、財務省で出世街道の本流とされる「主計コース」を歩めなかった主な原因は「可愛げのなさ」にあったと書いておいた。

もちろん、憶測にすぎないが、我が過去の経験に照らし合わせて「当たらずと言えども遠からず」ではあるまいかと思っている。

そこで「可愛げ」って、いったい何だろうということで、少し分け入ってみよう。

まず、我が愛するオーディオのフィールドで「可愛げが無い」といえばすぐに思い浮かぶのがSPユニット「AXIOM80」だ。

           

その理由は「あまりにもいい音が出過ぎる」というのが真相。

これには「お前、いったい何のためにオーディオやってんだ」というツッコミが入りそうだし、
何ともはや贅沢な悩みだがこればかりは心情的に如何ともしがたい。

「いい音を出したい、しかし、いい音が出てしまうと逆に張り合いが無くなって面白くない。」このパラドックス、もしかして思い当たる方がいるのではあるまいか(笑)。

「出来が悪くて手のかかる子供ほど可愛い」とは巷間よく聞くところだが、その気持ちわかるような気もする。

ま、ありていに言えば「AXIOM80」は可愛げが無いともいえるが、この「可愛げ」という代物は世の中を上手に渡っていくうえで仇やおろそかに出来ないのである。

ずっと以前のブログに「可愛げのある人、ない人」と題して投稿したことがあるが、すでに忘却の彼方にある方が大半だろうからちょっと加工して以下、再掲させてもらおう。

その昔、高校時代の同級生から次のような連絡があった。


「ところで先日のブログに書いてたけど谷沢永一の”可愛気が一番”という話は実によく分かるんだよね。」
 

「へェー、どんな風に?」

「実は以前、自分が部長をしていたときに他所の部門から異動してきた部員がいてね、適齢期なのに課長になり損ねて回されてきたんだ。」


「ほぉ~」

「元の部門の部長とはざっくばらんの仲だったけど、『○○君を課長に出来なかったけど、お前のところで是非、課長にしてやってくれよな』なんて虫のいいことを言うから、思わず『そんなことを言うくらいなら、なぜお前のときに強力に推さなかったんだ?』と言ってやったんだ。」

「ウン、ウン、そのとおり」

「すると、そのときの彼の弁がふるっていて『だって、彼、可愛くないもんな~』だって」

「その○○君、学歴もいいし、真面目で仕事もそこそこできるんだけどねえ。人間には可愛さが大切だって改めて思ったよ」

「なるほど!」

因みに、このブログに登載した谷沢永一氏の"可愛げ"云々をご参考のため次に再掲。

※「才能も知恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛げがあるという奴には叶わない。」~谷沢永一「人間通」(新潮選書)~

以上の話、組織に従属して働いた経験のある方なら体感的に納得されると思うが、どんなに”きれいごと”を言ってみたところで所詮、人間は感情の動物であることを物語っている。つまり、「好きとか嫌い」とかいういかにも人間臭い尺度ですな(笑)。

ちなみに、国家の最高権力組織である自民党の総裁選にしても、おおかたは「好き嫌い」で決まっている。実力、識見ともに「菅」さんに優るとも劣らない「石破」さんがなぜ総裁になれないのか・・。


さて、問題はこの「可愛げ」ってモノが先天的なものなのか、あるいは後天的に身に付けられるものかどうか、そこがポイントなのだが、谷沢氏の書きっぷりによるとどうも先天的な資質の方に比重を置いているようだ。

そして、これを我が身に置き換えてみると、まず典型的な「可愛げのないタイプ」のようである(笑)。

客観的な視点からこの「可愛げのなさ」を分析してみると、第一に「何といっても気が利かない」こと、二番目にはどうも他人行儀というのか「遠慮し過ぎる」ようなところがあったような気がする。言い換えると身構えるところがある?

いい意味で、人にある程度の手間とか負担をかけさせる、ひいては気軽に接して「寄りかかる」ことも大切なことではなかったかと年甲斐もなく反省している今日この頃。

以上、愛用のスピーカーから人生の教訓を学んだ一幕だが、つべこべ言ってみても、もうはるかに「手遅れ」なのは言うまでもない。

ま、今が良ければすべて良しとしなくちゃね~(笑)。



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目が回るほど忙しかった1日

2021年02月08日 | 独り言

「毎日が日曜日」の人間にとって有り余る時間を持て余すほどつらいものは無い。

そこで何かしら自分で「
波風」を起こすしかないが、5日(金)は珍しく自助に他力が絡んできて「目が回るほど忙しい1日」だった。

順を追って振り返ってみよう。

✰ 県立図書館行き



10日間にわたって「図書の整理」のため休館していた県立図書館(大分市)だったが、ようやく開館してくれた。さっそく本を返しに行ったついでに本を7冊借りてきた。

ミステリーが5冊あるが、そのうち近年ベストセラーを連発している作家「アンソニー・ホロヴィッツ」の「絹の家」を新刊コーナーで見つけたのは収穫だった。

30分ほど滞在してから、今度は別府市を挟んで反対側の隣町の図書館へ足を伸ばした。

✰ 隣町の図書館行き



ここでも本を返したついでに8冊借り受けた。そのうち「わたしは夕暮れ時に死ぬと決めている」はタイトルがなかなか面白い。

歌人の西行法師が「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」と詠み、実際に亡くなったのも如月(きさらぎ=2月)だったという故事があるが、「夕暮れ時」にどういう意味があるのか興味津々。

そして、ミステリー3冊のうちの「柚月裕子」女史の作品はほとんど読み尽くしており、まったくと言っていいほどハズレが無いが、今回の「凶犬の目」も期待できそうだ。

それにしても「貸し出し期限」(2週間)のうちに「15冊」も読めるのかと詰問されそうだが、最初の30頁ほど読んで「これはついていけない」という本はすぐにポイするのでどうかご心配なく(笑)。

図書館を後にすると隣接するストアに立ち寄った。

免疫力アップに効果があるとされる「ビタミンD」を補強するために、いつものように「サーモンのにぎり寿司」をゲット。



と、店を出ようとしたときに、ベテランの真空管アンプビルダー「K」さん(大分市)から連絡があった。

「アンプの電源部の改造が済みましたので、今から別府に向かいますがご在宅ですか?」

「ハイ、丁度用事が済んで自宅に戻るところです。15分もすれば到着予定なので時間的には十分間に合うと思います」

✰ 「2A3」シングルアンプの電源部の改造



電源部の改造といっても、電源ケーブルの「接続端子部分の改造」でこれまでは手間のかかるネジ式だったものをご覧のように汎用性の高い「3ピン」端子に代えてもらったものだ。

分厚い鉄を削り取って整形するとなると専用の工具が要るが、その点Kさんは数多くのアンプを手掛けられたこともあって、お茶の子さいさいだ。

ただし、手間がかかる割には儲けが少なくて申し訳なく思うのだがそこはそれ、日頃の仲間意識に寄りかかって格安にしてもらっている(笑)。

ところで、なぜ「電源端子」の改造を思い立ったかというと、原因はこの程仲間から借りた「EL34プッシュプルアンプ」にある。



150ヘルツ以下(ー6db/oct)を担当するアンプとして、強力な駆動力(片チャンネル30W)でもって大いに重宝しているが、当初このアンプに使っていたのは並みの電源ケーブルだったが「キンバーケーブル」に取り換えたところ音がさらに力強く変身したのには驚いた。

微小電流を扱う前段機器やプリアンプでの(電源ケーブルの)効果は把握していたが、「
パワーアンプも電源ケーブル次第でかなり音が変わる!」というのは新発見だった。

そういうわけで「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って「2A3」アンプに目を向け電源端子の改造に至ったのは必然の成り行きといえよう。

PADの電源ケーブル「ドミナス」4本はDAコンバーターやプリアンプに使っているので「2A3」には同じPADの「コロッサス」をあてることにしてさっそく音出し。

その感想はといえば、WE300Bアンプと比べると酷だけど悪くない。ときどき気分転換に使うとしよう。

それに出力管が「2A3」の中でも比較的低音に強い「VISSEAUX」(刻印:フランス)だから低音域専用に使っても面白そう。

ルンルン気分でご機嫌良く「サーモンのにぎり寿司」を食べていたら、今度はMさん(大分市)からご連絡。

「お預かりしたプリアンプの改造に苦戦しています。時間がかかりそうなので、しばらく代わりのプリアンプを使ってみませんか。ボリュームは東京光音製だし、カップリングコンデンサーにはマイカをパラってますよ。」

「ほう、それは面白そうですね。1時から2時の間にお伺いしましょう」ということで、午後は再度大分市へ。

いやあ、東奔西走で今日はほんとうに忙しい!(笑)

✰ 新たなプリアンプ



下段が「マランツ7もどき」で、上段が今回借り受けた新たなプリアンプ(マッキントッシュ:C22型もどき)

さっそくケーブルを接続して聴いてみると、なかなかいいじゃない!(笑)。

「12AX7」を3本使っているが、あの神経質なほどの「切れ味の鋭さ」がすっかり影を潜めて随分マイルドな味わいだ。

球のブランドを見ると「ナショナル」だったので、すぐに予備のBRIMAR(STC)の「12AX7W」(2本)に交換すると見事にヨーロッパの上流社会の雰囲気に変身~。

さっそくMさんに連絡した。

「今、音出ししてみましたが、あなたの手元にある修理中のアンプよりいいかもしれません。しばらく聴いてみますが、交換してもらうか購入するかどちらかにする積りです。その時はご一考願いますね~」。

「ハイ、分かりました」

このところプリアンプを巡る動きが激しい(笑)

この有終の美をもって目が回るほど忙しい1日がようやく終わった。

万事メデタシ、メデタシ~。



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隣の芝生は青い

2021年02月06日 | オーディオ談義

つい先日のこと、「今からプリアンプを引き取りに行っていいでしょうか?」と、オーディオ仲間のYさんから連絡があった。

ご覧のとおり外見は「CL35」(ラックス)だけれど、中身はまったくほかのアンプという変わり種だが、音は惚れ惚れするほどいい。



「ハイいいですよ。現在、システムから外した状態なのですぐにお返しできます」

きっかり15分後にお見えになったYさんに「これからご自宅のシステムに組み入れるんですか?」とお訊ねすると「いいえ、ちょっと思いついた回路があるので、これから手直しする予定です。」

「エッ、これで十分じゃないですか! もう弄らないほうがいいんじゃないですか。」

「いいえ、使っている12AU7は12AX7に比べるとちょっと切れ味が鈍いような気がするし、ほかにぜひ試してみたい回路があるんです」と、強い意思のYさん。

「そう言われると・・。しかし、長時間疲れずに聴くにはもってこいの球ですけどねえ」

プリアンプに使う電圧増幅管の種類によって音質がコロコロ変わるのは周知のとおりだが、良くも悪くもこれが真空管アンプの持ち味の一つ。

「12AU7」のゆったりと落ち着いた雰囲気と、「12AX7」のやや緊張感を強いる音のどちらを選ぶかは、その日の気分次第のところもあってほんとうに難しい。

本音を言うと、我が手持ちの「マランツ7もどき」(12AX7)にはもっと穏やかな雰囲気が欲しいと思っていたので、双方がそれぞれ「無い物ねだり」に陥っていたことになる。

これを「隣の芝生は青い」というのかな(笑)。

実を言うと、我が家では曲りなりにもすでに対策を講じていたのである。

「12AX7」(STC=BRIMAR)から「13D9=12AT7」(BRIMAR)への変更である。

そもそも差し換え可能かどうかも分からず、「えいやっ」という気合だけが頼りで「やってみなくちゃ分からん」の類だが、な~に悪けりゃ元に戻すだけである。

どういう球かといえば、ずっと以前に「13D9」をオークションで購入したときの解説を再掲しよう。

   

「英国BRIMARの業務用高信頼電圧増幅双三極管13D9黒プレートの保存状態、程度の良い稀少な未使用新品ペア(2本)です(落札価格の設定は、ペア(2本)での設定です)。

管壁にBRIMARのロゴ、13D9、MADE IN ENGLAND、BVA、ロット等がシルク印刷されています。

この13D9は、一般的にあまり知られていませんが、1950~60年代に英国のBRIMAR(STC)の工場で、主に厳格な品質が求められる産業用途向けに生産され、英国ナンバーのECC81、CV4024、米国ナンバーの12AT7とは、同等規格の真空管としてそのまま差し替えて使用することができます。

通常のECC81等と比較して、プレート電圧が幾分(約10%程度)高耐圧に設計されており、本来、産業規格品ですが、オーディオ用途に使用した場合においても、高信頼管として優れた特性と音質を有する真空管として高い評価がされています。

この真空管は、私が趣味で約20年程前に自作アンプの保守用として複数本購入していたものですが、未使用品の手持ちが少し残っていますので、それを出品いたします。」

以上のとおりだが、音質に大きく影響する「μ(ミュー)=増幅度」の違いは規格表によると「12AX7」が100で、「12AT7」は60となっている。

そして、前述した「12AU7」はかなり低い17となっており、制御しやすくはなるけどちょっと切れ味が鈍くなる感じ。

もちろん回路や使い方によっても千変万化するので、あくまでも個人的な感想です。

そして、肝心の「13D9」に代えてみた結果だが、当座は「12AX7」と「12AU7」の「いいとこ取り」したみたいなバランスのいい音質になった気がしたものの、そのうち、ちょっと低音の伸びが足りないかなあ・・・。

ま、しばらくこれで聴いてみるとするか。

改めて、新装なったYさんのプリアンプとの「つばぜり合い」が楽しみ(笑)。


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「外見+音声」で人の印象は決まる

2021年02月05日 | 独り言

作家「藤沢周平」氏の「周平独言」を読んでいたら次のような一節があった(132頁)。



「47年2月号の「歴史と人物」に河野多恵子氏が「人物と音声」という文章を書いている。

与謝野晶子が、低く、小さく静かな声で話す人だったといわれることに触れ、歴史上有名な人物でも、性格、容姿、趣味教養は伝わっていても「音声についてほとんど伝えられていないことを残念がっておられる文章である。

あの「芥川龍之介」にしても、繊細な感覚の作品や、面長、長髪の写真などから私は迂闊にも芥川という人は細い静かな声音で喋る人だろうと思っていたら「太い声」だったそうで目が覚めるような感じがした」、とある。

与謝野晶子といえば当時の日露戦争で出征した弟に対し「君死にたまふことなかれ」と、当時の世相に反するような激越な歌を詠んだ歌人だが「小さな声だった」との対比が面白い。

私たちにも思い当たる節がある。たとえば、瘦身の神経質そうな方から「野太い声」が発せられると、「線の細い人だ」との印象がいっきに覆ってしまった経験をお持ちの方が少なからずいるに違いない。

ずっと以前に「任侠映画」の傑作とされる「仁義なき戦い」を観たときに登場人物たちの腹の底から迸るような「野太い声」に、これこそ命を張った任侠の世界にふさわしい声だと妙に圧倒されたことを思い出す。

したがって、人の印象は「外見」に加えて「音声」も欠かせない要素だといつも思っているが、関連してずっと以前に「声を読む」というタイトルで投稿したことがあるので少し手直しして再掲しよう。


「私たちが普段コミュニケーションの道具として何気なく使っている「声」
。声と同時に発せられる言葉については強く意識されるものの、トーンというか「声音」(こわね)についてはあまり注意を引くことがないように思うが今回はそ
の「声」が持つ役割、真価について話題にしてみよう。

<「声」の秘密>(2008.10.1、アン・カーブ著)
という本がある。

                              

本書の”あとがき”に次のようなことが書いてあった。(要旨)

「声は人間の社会で大きな役割を果たしているのに驚くほど顧みられていない。そのもどかしさが本書を書くきっかけとなった。言語やボディーランゲージについては詳しく調べられ、その重要性が高く評価されている。一方、声は(少なくとも学問以外の世界では)なおざりにされ、称えられることはほとんどない。

声は文字にとって代わられ、画像にその地位を追われて<目が耳に勝った>といわれているがそれは間違い。人は家庭や職場で、あるいは友人知人との交流において、”声を読む”という優れた能力を利用している。声を正しく理解するためには、鋭い感性を身につけなければならない。<深く聴く>ことが必要だ。」

といった内容だが、声を読む」というのは実に”言いえて妙”でいろんな情報が声から得られるのは事実である。

自分の場合に例をとると、人と接するときに話の内容よりもむしろその人の表情とか声音でいろいろと判断していることが意外と多いことに気付く。

たとえば、心の動揺が思わず声に表れてしまい普段と違う声になったり語尾が小さくかすれたりすると「あっ、この人は”話す内容に自信を持っていない”とか、”本心をしゃべってないかもしれない”」といった具合。

また、「オーディオ愛好家」の立場からすると目と耳との機能の違いにも凄く興味が湧く。いわば「視覚と聴覚」の対決だが、自分は「目が耳に勝つ」なんてあまり思いたくないほどの圧倒的な耳擁護派である(笑)。

たとえばモーツァルトのオペラ「魔笛」を鑑賞するときにDVDで画像を観ながら聴くのとCDで音楽だけ聴くのとでは受ける感銘度がまるで違う。自分の場合、後者の方が圧倒的にいい。

その理由を端的にいえば第一に画像が目に入るとそちらに注意力がいってしまって”聴く”ことに集中できない。第二に音楽を聴いて沸き起こるイマジネーションが、既に与えられた画像の枠内に留まってしまってそれ以上には拡がらない。

結局、現実の情報量を得るには目が勝っているものの、豊富なイマジネーションの糧(かて)となると耳の方が勝っていると勝手に思っているのだが、これは聴覚をひたすら大切にするオーディオ愛好家の勝手な“身びいき”なのかもしれない。

ただし、養老孟司さん(解剖学者)の著書「耳で考える~脳は名曲を欲する~」には次のような一節があって科学的な根拠が示されている。

「耳の三半規管は身体の運動に直接つながっているので退化せずに残っており、情動に強く影響する<大脳辺縁系>と密接なつながりを持っている。そしてこれと一番遠いのが<目>。だから、目で見て感動するよりも耳で聴いて感動する方が多い。」

そういえば、下世話な話だが「女性は耳で恋をする」といった話を聞いたことがある。

女性は男性に対して“見かけ”よりもむしろ“口説き文句”の方に弱いという意味だが、とんでもない美女にお世辞にもカッコイイとは思えない男性がくっつく例をよく見かけるが、おそらくこの類だろうか(笑)。

おっと、近年ではそれほど魅力があるとも思えない「IT長者」が美女と一緒になるケースも散見されるが、これは「口説き文句」よりも「お金」の誘惑の方が優ったのかもしれないですね(笑)。


さて、遅くなったが本書「声の秘密」の構成は次のとおりとなっている。

第Ⅰ部 声の生態

生物学と言語学の見地から人間の声の能力と役割を詳しく見ていく。

第Ⅱ部 声を支配するもの

どのようにして個人の感情の起伏が声に表れるのか医学や心理学などを動員して分析しているところ(153頁)が非常に面白い。たとえば、発声にかかわる筋肉組織は実に複雑な仕組みになっているので、感情によって引き起こされた筋肉の緊張や呼吸のパターンなどが声の音の変化に密接に影響を及ぼすことを豊富な事例で紹介。

第Ⅲ部 声の温故知新

「百聞は一見にしかず」の諺どおり「見る道具」の発達により「現代は視覚文化」となっている感があるが、声の重要性は高まりこそすれ決して低下していないことを縷々証明していく。さらに、「音声合成システム」の発達に伴い「声は誰のものか」(288頁)という問いかけが興味深かった。たとえば誰もが身近に使っている「カーナビ」の音声は合成だが結構うまくできているのはご存知のとおり。

いずれ、実在する人物の声を合成できる時代が来るという。この技術が完成すれば「窃盗」など新種の犯罪が起きる可能性がある。現在も衰えを知らない「振り込め詐欺」などへの悪用は最たるものだろう。

さらに懐かしの映画スターに新しい台詞を言わせるのは造作もないことだそうで、そうすると「声は一体誰のものだろうか」
というわけ。

「声」の著作権についてこれから物議を醸す時代がやってくるそうですよ。

以上のとおりだが、ふと思い出したことがある。

かって、ジャズマンの「エリック・ドルフィー」は最後の録音終了後にこうつぶやいた。とても有名な言葉なのでご存知の方も多いと思う。

「When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again. ” 

「音楽を聴き終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」

同じ音が二度と聴けないというのも「一期一会」の情が湧いてきていいものだと思うが、これも録音技術の進展によって夢物語に等しくなるのかもしれないですね(笑)。



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ハイセンスが求められる音楽

2021年02月03日 | 音楽談義

ブログのタイトルにはいつも気を使っているつもり。なぜなら、付けようによってかなりアクセス数が左右されるから。

このブログの当初のタイトルは「モーツァルトのピアノソナタに溺れて40年」としていたが、そのうち「溺れて」では、いかにも”ありきたり”のような気がしてきた。

もっと強い言葉が欲しいなあ、そういえば「淫する」という言葉がある・・。

広辞苑によると、「淫する」は「度を越して熱中する」、一方「溺れる」は「心を奪われる、はまる」という意味がある。

となると、やはり「淫する」が適当かな。

とはいえ「淫」を使った言葉には「姦淫」「淫乱」とかの過激な言葉があって、ちょっとイメージが悪い(笑)。

というわけで二転三転して最終的なタイトルは「ハイセンスが求められる音楽」に落ち着いた。

前置きが長くなった。さっそく本題に移ろう。

どうしようもないモーツァルト好きを自認している。

僅か35年の短い生涯の中で残された600曲以上にも亘る曲目の中で好きなジャンルといえば「オペラ」と「ピアノ・ソナタ」に尽きる。

とはいうものの、オペラは長時間ものなので本格的に聴こうとすれば何がしかの覚悟が要るが、その点ピアノ・ソナタは気軽に聴ける感じで、常に手もとにおいて途切れることなく聴いてきたのですっかり耳に馴染んでいる。

ソナタは全部で17曲あり、それらは第1番K(ケッフェル)279から第17番K.576まで彼の短い生涯(35年)の中でも年齢的にかなり幅広い時期に亘って作曲されている。

このソナタがモーツァルトの600曲以上にものぼる作品の中でどういう位置づけを占めているかといえばあまりいい話を聞かない。

まず、このソナタ群の作曲の契機や具体的な時期などの資料が非常に少ない点が挙げられる。

理由のひとつとして、モーツァルト自身がこのジャンルの作品をあまり重要なものと見なさなかったからという説がある。彼の関心は時期にもよるが、ほぼ一貫してオペラにあった。そして、ピアノ協奏曲、交響曲がこれに次いでいるという。

たしかに自分もそう思うが、作品の価値は作曲者自身の意欲や位置づけとは関係ないのが面白いところ。たしかにオペラが一番とは思うが、その次に来る大事な作品は個人的にはピアノ・ソナタだと思っている。

というのは、ピアノはモーツァルトが3歳ごろから親しみ演奏家として、そして作曲家としての生涯を終始担った極めて重要な楽器であり、このピアノ単独のシンプルな響きの中に若年から晩年に至るまでのモーツァルトのそのときどきのありのままの心情がごく自然に表現されていると思っているから。

さらにオペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノ・ソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある。この魅力に一旦はまってしまうと”病み付きになる”こと請け合いである。

なお、実際に演奏する第一線のピアニストによるこのソナタの評価を記しておこう。



「モーツァルトの音楽は素晴らしいが弾くことはとても恐ろしい。リストやラフマニノフの超難曲で鮮やかなテクニックを披露できるピアニストが、モーツァルトの小品ひとつを弾いたばかりに馬脚をあらわし、なんだ、下手だったんだ、となることがときどきある。

粗さ、無骨さ、不自然さ、バランスの悪さ、そのような欠点が少しでも出れば、音楽全体が台無しになってしまう恐ろしい音楽である!」


(「モーツァルトはどう弾いたか」より 久元祐子著、丸善(株)刊)

なぜ恐ろしい音楽なのか、分かるような気がしますね(笑)。

逆にリスナー側にしてみると「粗さ、無骨さ・・・」に気が付かなければ鑑賞できない音楽とも言える。つまり「ハイセンス」が求められる音楽と言えよう。


さて、独特の「モーツァルト・ワールド」に入り込むために欠かせないこのソナタのCDはものすごく沢山のピアニストが録音しており枚挙にいとまがないが、いまのところ次の5名のピアニストのものを所有している。

 グレン・グールド「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」(4枚セット)
    録音:1967年~1974年

 マリア・ジョアオ・ピリス「同 上」(6枚セット)
    録音:1989年~1990年

 内田光子「同 上」(5枚セット)
    録音:1983年~1987年

 ワルター・ギーゼキング「ソナタ10番~17番」(2枚セット)
    録音:1953年

 クラウディオ・アラウ「ソナタ4番、5番、15番」(1枚)
    録音:1985年

                              

                
これら5名ともいずれ劣らぬレベルの高い奏者ばかりだが、以下、自分勝手な感想を記してみよう。

 グールドはこれまで耳にたこができるほど聴いてきた。「ピアノ・ソナタといえばグールド」の時代が長く続いた。あの独特のテンポにすっかりはまってしまったのが原因。

音楽の世界で句読点を意識したのは彼の演奏が初めてである。盤のライナーノートに、このアルバムは世界中のグールド・ファンの愛聴盤と記載されていたがさもありなんと思う。

一番好きなのは第14番(K457)の二楽章。しかし、さすがに15番以降は逆にテンポが早すぎてついていけない。

ちなみに、グールド自身は作曲家モーツァルトをまるで評価しておらず、このソナタについての感想も何も洩らしていない。(「グレン・グールド書簡集」で確認)


 近年、グールドに替わって聴く機会の多いのがピリス。とにかく抜群の芸術的センスの持ち主である。一言で言えば”歌心(ごころ)”が感じとれる。

澄んだ美しさと微妙なニュアンスがとても好ましい。ずっと以前に有料のPCM放送のクラシック専門チャンネルで聴いて心を奪われ、ピリスの演奏であることを確認してすぐに全集を購入した。

第1番から17番まですべてが名演で当たり外れがない。なお、ピリスには旧録音と新録音があるそうで、これは新録音の方である。


 日本を代表する世界的な音楽家となった内田光子さん。しかし、内田さんは活動拠点を徹底的にヨーロッパにおいているところが特徴。

外交官令嬢としてウィーンに学び第8回(1970年)ショパン・コンクールで2位入賞し一躍世界のひのき舞台に躍り出た。このソナタではヘブラー以来というフィリップス・レーベルの期待を担っての録音。

グールドにもピリスにもないピアノの響きと香りが内田さん独自の解釈とともに展開されていく。これが日本と西欧の知性と感性が合体した「内田節」なのだろう。

 購入したいきさつをすっかり忘れてしまったアラウ盤だが、豊かな深い音色で弾かれる骨格の太いソナタには恐れ入る!

とても美しい音色で、その美しさが表面に留まっておらず、武骨だがしみじみとした音が胸の中に温かいものとなってジワーッと広がり、そこからにじみ出てくるような美しさなのである。

この何ともいえない美しさはグールドにもピリスにも内田さんにも感じられなかったもので、とても新鮮に感じる。ゆったりしているテンポも味わいがあっていい。

音質の方も1985年のスイスでのデジタル録音なのでこれで十分。しかし、残念なことに彼はソナタ全曲を通しで録音するに至っておらずバラツキがある。

以上、こうして4人を聴き比べてのベスト盤をと思ったのだが、このピアノ単独演奏にはそれぞれの大ピアニストの個性と芸術性が凝縮されていて、リスナーのその日の体調次第で印象が左右されそうな感じがする。

オーディオ機器と違って音楽家の優劣はうかつに決めつけられないですね(笑)。



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雪辱を果たした執念のプリアンプ

2021年02月01日 | オーディオ談義

あれは2か月ほど前のことだったろうか。

「新たにラックスのプリアンプを手に入れたのですが、ぜひAXIOM80でテストしたいので持参してよろしいでしょうか」と近くにお住いのオーディオ仲間「Y」さんから打診があった。

SPユニットの「AXIOM80」は「アンプの良し悪しを洗いざらいさらけ出しますね」と、Yさんが日頃から仰っているほどの溺愛ぶりだからいかにもあり得る話。

もちろん拒否する理由は何もないので「ハイいいですよ、どうぞ~」。

実物を拝見すると、市中にかなり出回っている「CL35」(ラックス)だった。

さっそく我が家の「マランツ7もどき」(知人の手づくり)と比較試聴すると「解像力が悪いし、ベールが2枚も3枚も被ったようなお粗末な音ですね」で、両者の認識が一致した。

ラックスに何の恨みもないが「CL35やSQ38FDなどは使っている部品がとてもお粗末」という話は、手練れの真空管アンプ製作者、それも「お二人」さんから直に耳にしている。

ガッカリして自宅に戻られた「Y」さんはケースだけ保存し、中身の方は腹立ちまぎれにそっくり廃品回収に出されたとのことだった。

「随分もったいないことをされるな~」と、思ったが、爾来(Yさんが)雪辱を期して秘かに「牙」を研がれているとはその時は知る由もなかった(笑)。

そして、その後に何と外国製のプリアンプを購入され、それに手を加えて自ら研究した回路へと全面改造を行い、ケースだけラックスを使用するという「ウルトラC」の離れ技を講じて再度我が家に持参されたのは数日前のことだった。



各種のスイッチのうち生きているのは一番右側の上下2個だけで、上が「ボリューム」、下が「電源スイッチ」で他のつまみはすべてお飾り~。

回路の方は凝りに凝っていて、できるだけコンデンサーを使わないことをモットーに、真空管による整流方式で左右両チャンネルで1本づつ、そして出力段は「12AU7」(4本)という構成だ。

「今度こそマランツ7もどきと一騎打ちです!」と意気込まれるYさん(笑)。

二人して興味津々の「聴き比べ」だったが、その結果は「いい勝負」だと思った。

マランツ7もどきはやや線が細くて鋭利な刃物を思わせるような切れ味があり、一方の新型プリアンプは穏やかな表情を漂わせながらもしなやかな表現力のもとホール感の再現性に秀でている。どちらが原音に近いかといえば後者かなと思ったほど。

「いやあ、素晴らしいプリアンプですね!」と心から賛辞を送った。

「しばらく置いていきますのでエージングをお願いします」

「はい、願ってもないことです。ことによっては永久保管しても構いませんよ」

「それは困ります!」(笑)。

そして日を置かずして大分市から仲間2名が駆けつけてくれた。およそ1年ぶりくらいのご訪問でどうやら評判を聞きつけられたらしい。

「Yさんが作られたという新しいプリアンプをぜひ聴かせてください」

「いいですよ。ああ、それなら持ち主のYさんにも来ていただきましょうかね」

というわけで話がトントン拍子に進んで29日(金)の午後から4人による試聴会を開催した。

聴いていただいたのはメインシステムの「ウェストミンスター(改)」。



我が家には4系統のSPシステムがあるが、メインとサブの差を分かつものは「低音域」である。

きれいな中高音域は比較的簡単に出せるが、雄大で深々とした低音域となると、なかなか難しい(と、思う)。

確実に「血(お金)と汗(経験と手間)と悔し涙」の量に比例するのが低音域の世界なのだ(と、思う)
(笑)。

したがって、今回のテスト盤は低音域に焦点を絞ったものを意識して選んだ。

ゲイリー・カーの「コントラバス」、カンターテ・ドミノの「オルガン」、フラメンコの「ドスン、ガスンと床を踏み締める音」など。

仲間たちの評価については読者のご想像にお任せしたほうがいいだろう。

人は他人のうまくいった話を敬遠し、失敗談の方を好むものだとおよそ相場が決まっていますからねえ(笑)。

肝心の「マランツ7もどき」と「新型プリアンプ」の一騎打ちについては、「3対1」で後者に軍配が上がった。

「マランツ7もどき」は、ソプラノで声がややきつくなるというのがマイナスポイントだった。

ただし、自分は「マランツ7もどき」の方が好み。というのも、お客様たちが辞去された後に、「AXIOM150マークⅡ+JBL175」で聴いたときの「シンバル」の響きが好きだから。

それに、どうせいずれ新型アンプはYさんに引きとられていくのだから別れるときに淋しい思いをしたくないのも敬遠する理由の一つだ。

例えていえば、他人の奥さんに懸想するようなものですからねえ(笑)。


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