「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

切磋琢磨

2019年02月27日 | オーディオ談義

先日、お見えになったオーディオ仲間から絶賛された「ウェストミンスター」(改)。  

中音域に裸の「AXIOM80」を使ったことから一気に音の品が良くなって「向かうところ敵なし」の情勢となった。

こうなるとほかのスピーカー連中が黙っていない(笑)。我が家ではスピーカー同士で「切磋琢磨」するのが習わしとなっているのだ。

それ以降、ウェストミンスター(改)はまったく聴かずに、他の連中の尻を叩くばっかりだったが、少しぐらいは「ブリティッシュ・サウンド」から方向転換してみようかと実に久しぶりにJBLの「D123」(口径30センチ)を引っ張り出してみた。

   

ところが、あまりの「音の乾き」ぶりに愕然となってしまった。とても響きが少ないのだ!

以前聴いたときはこういう印象をいっさい受けなかったので、ケーブル類などの周辺環境が変わったせいで盛大に「地」が出てきたのだろうか。

ジャズだけを聴くのならこれでもいいが、クラシックを聴くとなるとこれは明らかにアウト。もっと「WET」な感覚が欲しい。

すぐに解体して処分方法を考えることにした。日常生活では「めったにカッとなることもなく気が長い」と言われているが、こと「オーディオ」となるとものすごく気が短くなるのはどうしてだろう。これで性格的なバランスをとっているのかな(笑)。

次に「口直し」のつもりで登場させたのがグッドマンの「トライアクショム」(同軸3ウェイ:アルニコマグネット)だった。

ユニットのマグネットの裏側には周波数レンジ「30~20000ヘルツ」の表示があって、別立てのツィーターが不要なタイプである。

バッフルを変えるだけだから実に作業が簡単。

オーディオの愉しみの一つはいろんな機器を交換して聴き比べることにあるが、その中でもSPユニットの交換が一番音の変化が著しいのでいつもワクワクしてしまう。

   

JBLの音を聴いたすぐ後ということもあって、やっぱりクラシック向きの音はいいなあ~(笑)。

流石は(アルニコ・マグネット時代の)グッドマン!

憂いを含んだ音というのか、翳りのある音といえばいいのか・・・。

自分の場合「いい音」というのは周波数レンジなどの物理的指標じゃなくて、情動的ともいえる「胸が切なくなってくるような音」なのだが、クラシックを聴くのならこういう音じゃないとダメ。

それにしても同軸3ウェイの「点音源」のメリットだろうか「音像定位」にまったくブレがないのに驚かされる。

ユニットが複数ある「多重音源」ともなると、とてもこうはいかない。

スケール感ではウェストミンスター(改)に一日の長があるが、「音像定位」に関してはこちらの方が上だ。

「スケール感」、「音像定位」、「緻密な彫りの深さ」「正確な楽器の音色の表現力」の四つが揃えば理想的な音だと思うがそういうスピーカーは「存在しない」とまでは言わないが、まず無理。

なぜなら大きな箱じゃないとスケール感は無理だが、そうすると他の要素とは両立し難くなるから。

したがって、どれを一番優先すべきかで個人ごとの好みが分かれてくるのがとても興味深い。

オーディオのパラメーターは無限にあるので正解も無いし、終着駅も無いし、そこがいつまでも飽きがこない所以ともなっている。

いずれにしても「トライアクショム」の音像定位に触発されて、今度は「AXIOM150マークⅡ」もネットワークを外してツィーター無しのフルレンジで鳴らしてみたところ、本領発揮でいかにも品が良くて渋いイギリス紳士に変身ときた。

これでようやくウェストミンスターと肩を並べられる状況になってきたのはうれしい限り!(笑)

最後に、「トライアクショム」を駆動したアンプは「171」シングルアンプだった。前段管はバルボの「A411」(バリウム昇華型フィラメント)。

  

このほど、PADの電源ケーブル「ドミナス」を挿し込めるように「3P」端子仕様に改造してもらったばかりだが、たかだか出力0.7ワットくらいのアンプがパワー感あふれる音に変身するのだからもうたまらん(笑)。

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早春の小咄

2019年02月26日 | 独り言

時候の挨拶でいえば2月は「立春の候」、3月は「早春の候」とされているので、端的に言えば1月が過ぎるともう春なんですね~。そしてあと3日もすればもう3月に。

そこで今回は早春にふさわしく明るめの「小咄」をご紹介しよう。

ネタの材料は「名文どろぼう」(文藝春秋社刊)

著者の「竹内政明」さんは読売新聞の看板コラム「編集手帳」の6代目執筆者(2001年~?)だ。

☆ 「じいさん、ばあさん、お出かけ」

国文学者の池田弥三郎さんがご夫人と福島県のひなびた温泉に旅したときのこと。夕方、宿の下駄をつっかけて散歩に出ようとした。

すると、宿屋の番頭が玄関のところにいて「じいさん、ばあさん、お出かけ」と、大声で怒鳴った。

自分はたしかに若くはないが何もじいさん、ばあさんと呼ばなくてもいいだろうと思いながら一回り散歩して帰ってきたところが、再びその番頭が「じいさん、ばあさん、お帰り」と言った。

池田氏はつかつかと番頭の前へ行き、「きみ、いくら何でも僕たちを、じいさん、ばあさん呼ばわりすることはないだろう。少しは違った言い方があるんじゃないか。」と抗議した。

すると今度は番頭の方が面食らった表情で、そんなことは言った覚えはないという。いったいどういうことかと思ってよく聞いてみると、池田氏の泊まった部屋の番号が「13番」だった。

「ずうさんばんさんお出かけ」と言ったのである。

ご夫妻はきっとあとあとまで番頭さんがくれた「想い出」という土産をサカナに折にふれては思い出し笑いをされたことだろう。

☆ 「旧中山道」(きゅう・なかせんどう)の読み方

何と「旧中山道」を「いちにちじゅう やまみち」と読んだフジテレビの女子アナがいたという(笑)。

☆ 「餞別を 銭別と書いて 本音ばれ」

ごもっともですね(笑)。

☆ 面白い変換ミスの事例

正しい変換 → 「うまくいかない画像サイズになった。」

変換ミス  → 「馬食い家内が象サイズになった」

☆ 「猿の毛を抜け!」

明治から大正にかけて東京帝大で経済学を講じた学者の和田垣謙三氏に、あるとき学生が「どうすれば金儲けができますか」と、質問したところ教授の答えがふるっていた。

「猿の毛を抜け!」

「MONKEY」(モンキー)の「K」を抜けばMONEY(お金)となる。気の利いた洒落で学生を煙に巻いたようでもあり、「経済学を何と心得るか」とたしなめたようでもある。

☆ 「折口学入門」

詩人「北原白秋」が「黒衣の旅人」と称した折口信夫は、あの世からやってきたかと思わせる独特な雰囲気の内側に深い学識を蔵した国文学者だった。

作家の丸谷才一さんは若い頃の一時期、熱に浮かされたように折口に傾倒したという。

「その熱中のせいでしょうね。たしかあれは日本橋辺りの裏通りの本屋だったと思いますが、入り口のところに「折口学入門」と墨で描いたビラを見つけたことがありました。

夢中になって飛び込んで行って「折口学入門」をくれと言ったんです。ところが「そんな本はうちに置いてません」と言うんですね。そこでビラを指さして「ほら、ここにあるじゃないか」と言いながらよく見たらそれは「哲学入門」だった。

蛇足だが「哲」を上下に分解すると「折口」になる!

☆ 「昨年はご厚情をいただいた気がしません。本年はよろしく」

自分もこういう「本音」を書いた年賀状をいずれ出してみたい(笑)。

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久しぶりの「球転がし」

2019年02月24日 | オーディオ談義

「今日の1時過ぎにお伺いしていいでしょうか?」

丁度、午前中の日課である運動ジムでバイクを漕いでいる最中だったが、「ハイ、いいですよ。どうぞ」

大分市在住の仲間たち(2名)がお見えになるのは、およそ3か月振りくらいかな。

「男子、三日会わざれば刮目して見よ」とは大げさだが(笑)、我が家では3か月も経つとすっかりシステムが様変わりしているのできっと驚かれることだろう。

自分ではいいと思っていても、違う耳ではそうとも限らず、変化がはたして「吉と出るか、凶と出るか」、その辺のご意見を伺う愉しみがあって興味は尽きない。

定刻通りお見えになった仲間たちに最初に聴いてもらったのはウェストミンスター(改)。

   

「エーッ、AXIOM80をこんな贅沢な使い方をして!」というのが第一声だった。そして、第二声は「PADのケーブルをこれだけ使って壮観!」

「はい、電源ケーブルのドミナスを4本、RCAケーブルを4ペア、SPケーブルを2セット使っています。見た目が仰々しいのであまり気が進まないのですが、実際に音が良くなるので仕方がありません。」

ケーブルの重要性を熟知している仲間たちなので「たしかにそうですね。」と賛同を得たのはうれしかった(笑)。

最初の試聴盤はゲリー・カー(コントラバス)の「祈り」だった。次に、ヴィオッティの「ヴァイオリン協奏曲第22番」(ボベスコ)を。

「これまで聴かせていただいた中でこれは最高の音ではないでしょうか。AXIOM80が実に利いてますね。弦がとても柔らかくて雰囲気が抜群です。」

と、ここまでは良かったが、次の試聴盤のジャズ「枯葉」(キャノンボール&マイルス)で小さな綻びがでた。

「ちょっとJBLの075ツィーターが強すぎるような気がします。」とはまだ50代前半の仲間だった。

「そうかもですねえ。歳を取ると高音域が聞き取りずらくてつい出し過ぎてしまう傾向がありますね。」

気になっていた点をズバリと指摘してくるのだから流石にいい耳をしている。

そこで、ウェスタン製のオイルコンデンサー(1μF)を外して、「ビタミンQ」(0.22μF)とマイカコンデンサーをパラって聴いていただいたところ、「とてもグッドバランスです。」

ひとしきり聴いていただいた後で、今度は「AXIOM80」のフルレンジを聴いていただいたところ、途端に私語が増えてガヤガヤと騒がしくなった。

ウェストミンスター(改)の重厚な音を聴いた後で「AXIOM80」の繊細な音を聴かせるのは順番として実に拙かった。

「柔よく剛を制す」ならぬ「剛よく柔を制す」(笑)。

そこで、再び「ウェストミンスター」(改)に戻して、久しぶりに「球転がし」をやってみることにした。

アンプは「300Bシングル」である。

   

前段管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管はSTCの「4274A」、インプット・トランスとインターステージ・トランスはUTC(アメリカ)で、出力トランスは手巻きによるもの。   

テストした出力管は4種類である。

聴いた順番からいくと「6A3」、「WE300B」(1988年製)、「CR4300B」(中国製)、「エレハモの300B」(チェコ)

総評からいくと、WE300Bの評価がものすごかった。音の陰影と彫りの深さ、艶、演奏者の表現力などがダントツとのこと。

「まるで一幅の絵を見ているようです。それぞれの楽器の強弱が色の濃さの違いとなって見事に表現できています。こうなると音楽と絵画の鑑賞は一緒ですね。」

6A3はクラシックにかけては遜色ないものの、ジャズとなるとベースの締りというか低音域の制動力にやや難があるとのことで惜しくも次点。

中国製とエレハモはお値段なりの音だそうで特にコメントなし。

「それぞれの出力管の差をこれほど明確に出せるのですから凄いシステムですね。」「はい、ケーブルをオールPADにした甲斐がありましたよ。」

3時間ほど試聴していただいただろうか、「今日はほんとうに頭がすっきりしました。」と辞去されたのは4時頃のことだった。

今回の収穫は「WE300Bの見事な復活」だった。今さらながら、周辺環境が良くなればなるほど本領を発揮する凄い真空管である。

ただし、日ごろ聴くのはもったいないのでお客さんがお見えになったときだけの出番としておこう(笑)。

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「しゃべる能力」と「書く能力」、どちらが得?

2019年02月23日 | 独り言

最近、午後のウォーキングのときに眼がかゆくなったり、鼻水や「くしゃみ」の連続で、どうやら花粉症のようだ。

ようやく春めいてきて今年の冬も峠を越した様子。このまま終わってくれれば、明らかに「暖冬」そのもので日頃から心臓血管に問題を抱えている身にとっては大助かりだった。

これで、ますます「音楽&オーディオ」が楽しめる~(笑)。

さて、人間が何か自分の意思を反映させようとしたらどういう方法があるんだろう。

思いつくのはまず「しゃべる」、そして「表情と身振り」、さらには「書く」ぐらいかな。

通常「表情と身振り」は「しゃべる」と併用されるケースが多いので結局「しゃべる」と「書く」に収斂されるといっても間違いは無かろう。

どちらも大切だが日常生活や仕事においては「しゃべる」方が圧倒的に優位で、「書く」は比較的必要とされないのは周知のとおり。

「女性は耳で恋をする、男性は目で恋をする」とは、「女性は口説き文句に弱い、男性は美人に弱い」という意味で、現役時代の洒脱な女性上司からじかに聞いた言葉だが、やっぱり「しゃべる=口説く」のがうまい男性は「もて方」も違うような気がする。

したがって長~い人間の進化の過程では「しゃべる」能力の優勢な遺伝子の数が増えるのは自明の理だから、必然的に該当する人口の比率が増しているのは疑いないところだろう。

ただし、これまでの人生を振り返ってみると「しゃべる能力」と「書く能力」の両方に長けた人に出会うことはめったになかったような記憶がある。

つまり「しゃべる」のが巧い人は、「書く」のが苦手で、逆に「書く」のが巧い人は「しゃべる」のが下手といった具合。もちろん、両方とも冴えない人もいることはいるが(笑)。

具体的な例を挙げるとずっと以前のこと、作家の「城山三郎」さん(故人)の講演を事務局の一員として設定したことがあり、実際に拝聴したことがあるが、小さな抑揚のないボソボソといった話し方で、内容の方もあまり記憶に残らなかった。

これほどの大作家でもこの程度の「しゃべり」かと、驚いたと同時に「天は二物を与えない」ものだと、妙に安心感を覚えたことを記憶している。

エッ、安心感とはどういう意味?

実は、かくいう自分も「書く」のはあまり苦にならないが「しゃべり」は苦手なタイプなのである(笑)。

たとえば1対1の対面ではそれほどでもないが、不特定多数が相手ともなるともうダメ。

よくもまあ、こんなことで長いこと宮仕えが務まったものだと自分を褒めてやりたいくらいだが、結局”虚勢”でも通用する小さな舞台だったということだろう。

いずれにしても、来し方「しゃべり」のうまい人が「うらやましくて」仕方がなかったが、こうして今のような身分になってみると「しゃべり」の機会は家族内に限られてきてほとんど無くなり、「書く」ことの比重の方が圧倒的に増してきている。

たとえば始めてから12年が過ぎたブログ。

「文章が巧い」なんて口が裂けても言うつもりはないし、誰からも言われたこともないが(笑)、「書く」ことが苦にならないことはたしかである。

マイナーな分野のブログでも12年も続くと1日当たり900人ほどの読者がアクセスしてくれるし、興味を持って読んでもらえるのであれば、ささやかながらも社会に役立っているかもしれず、日常生活に張りを与えてくれるのはとてもありがたいこと。

そういうわけで、晩年になると「しゃべる」よりも「書く」方がむしろ「得」かもしれないなんて、この頃は勝手に思い直している次第。

しかし、これも根本的には「ネット時代到来」のおかげだろう。

誰もが簡単に情報発信し、そして取得できるのだからまったく夢のような時代が来たものだ。

最後に、文中に登場した城山三郎さんのことだが、著書「落日燃ゆ」(福岡出身の宰相「広田弘毅」の生涯を描いた作品)は当時の愛読書だったので、エレベーターの中でちゃっかりご本人からサインをもらったのは事務局員の余得としていまだに記憶に残っている(笑)。

  

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際限(きり)のないハイサンプリング競争

2019年02月21日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

いかにも順調に進んできたかのような書きっぷりの我が家の「パソコン・オーディオ」だが、内実はたいへんだった(笑)。

基本的にパソコン操作は苦手なので、その調達から設定まですべて「北国のパソコン博士」に「おんぶに抱っこ」だったし、新しいDAコンバーター(以下、「DAC」)と設定済のパソコンが我が家に到着しても、直接電話で指示を受けながらおぼつかない手つきで操作してようやく音が出てくる始末。

繰り返し根気よく教えていただいた博士にはまことに感謝に堪えない。

さて、どうにか音出しに成功して耳を澄ましてみると実にさりげなくて自然な音に驚いた。これが「384KHz」の威力なのか。

そもそもハイサンプリングでどういう風に音が変わるのかというのがポイントだが、聴感上の私見としては音が滑らかになって柔らかくなるのが特徴で段々と「アナログ」(レコード)の音に近づいていくが、響き自体はそんなに変わらないと思っている。

このDACがたったの1万円なんて信じられない、凄いぞ「メイド・イン・チャイナ」!(笑)

ぜひ近隣のオーディオ仲間に聴いてもらいたくて急いで来てもらった。

このDACは「384KHz」信号をデジタルコード1本で他のDACに供給できるようになっているので一緒に聴き比べをしてみようという算段である。

オーディオは確たる座標軸がないので、機器の性能を推し量るには比較テストをするのが一番である。もちろん相性の問題も無視できないところ。

それではテストに登場する3台のDACを紹介しよう。

いたずらに機器のお値段を明示するのは「はしたない」ことだが、この際は「費用対効果」を直視する観点から許してもらおう。

 「エルガープラス1394」(dCS:イギリス)定価250万円、製造時期は2005年前後(?)で基本的に「44.1KHz」再生だが「SACD」も再生可能。

   

 「HD-7A192」(フェーズメーション:日本)定価33万円、製造時期は2011年で「192KHz」まで自動的にアップサンプリング。

   

 「D10」(中国) 定価1万円、製造時期は2018年で自動的に入力信号を「384KHz」にアップサンプリング。  

テスト音源となるとインターネットラジオは圧縮された「MP3」ファイルが元なので好ましくなく、そこで外付けのハードディスクから「44.1KHz」で録音したものを使用した。

ひとしきり試聴した後での仲間の感想となると「どれがいいとか悪いとか簡単に結論を出せない気がします。」と口を濁されたがそれも当然で、いずれも甲乙つけ難しの印象を受けた。

しかしそれでは読者が面白くないだろうから(笑)、あえて
自分の感想を述べてみると、

1は「44.1KHz」というハンディがあるのに、やはり老舗だけあって貫禄だった。音に目方があるとすれば一番重量感があって響きが豊かだった。ただし、2,3との差はごくわずかで、もしブラインドテスト(目隠し)での判定となると分からないかもねえ。

2は自動的に「176.4KHz」(44.1×4)にアップサンプリングしての試聴だったが、想像通りとても滑らかで柔らかい音で違和感なく聴けた。

3は2とまったく「甲乙つけ難し」のレベルで、お値段からすると信じられないほどの健闘ぶりだった。

以上のとおり、パソコン・オーディオに限定使用となると、もう高価なDACなんて要らないかもですねえ。

日進月歩の技術の進展により「デジタル機器に名器無し」を実感したわけだが、博士の情報によると早くも「768KHz」のDACが海外のオークションに出品されているそうで、博士の選択眼というか慧眼は刮目すべきものがあって、どうやら「お眼鏡に適った」機器のようである。

お値段の方だって手ごろなので、どこまでも際限(きり)のないハイサンプリング競争」に、我が心は千々に乱れるばかり
(笑)。

最後に、昨日(20日)になって博士からパソコンでCDを鳴らす方法を教えてもらったので次の接続で試聴してみた。「D10」が「DDコンバーター」の役割をするわけですね。

パソコン → 「D10」 →(384KHz:デジタルケーブル) → 「エルガープラス」

結果は、ただ一言「これで仮にCDトラポが故障しても安心!」とだけ言っておこう(笑)。

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パソコン・オーディオの究極的な前進

2019年02月19日 | オーディオ談義

昨年(2018年)の秋から取り組んできた「パソコン・オーディオ」もようやく大団円を迎えたようだ。

これまでの取り組み経過を時系列で振り返ってみると、

「パソコン・オーディオへ一歩前進」(2018.11.5)

「パソコン・オーディオへ二歩前進」(2018.11.19)

「パソコン・オーディオへ飛躍的前進」(2018・12・29)

そして、雌伏することおよそ2か月、ようやく今回の「究極的な前進」へとなった。

なぜ「究極的なのか」経緯を追ってみよう。

まず、今年(2019年)の元旦に搭載したブログ「今年の音楽&オーディオの展望」の中の記事をまだご記憶の読者がおられるだろうか。

関係部分を抜粋して再掲してみよう。

<音の入り口系>

CDトラポ、DAコンバーターが2系統あって「これで十分かな」という感じです。

ただし、デジタル技術は日進月歩です。耳寄りのニュースがあって何と海外のオークションで「384KHz」が再生可能のDAコンバーターが1万円で出品されているとのことです。

さっそく知人に1台落札してもらいましたが「首尾やいかに!」と固唾を呑んで待っているところです。

以上のとおりだが、その「固唾を呑んで待っている」DAコンバーターがようやく調整を終えて我が家に到着したのである。

何しろCDのフォーマットが周知のとおり「44.1KHz」だし、通常のハイサンプリングでも「192KHz」がせいぜいだが、このUSBDACともなると、その2倍だし、CDと比べると軽く8倍越えだからいやが上でも胸が高まってしまう。

   

左は今回のUSBDACに合わせて購入したLANケーブルで「カテゴリー7」の代物。

ルーターとパソコンをつなぐケーブルで、無線よりも有線の方が明らかに音がいいし、その線材次第でガラッと音が変わるのもオーディオと同じ(笑)。

過日、「ウェストミンスター」(改)の低音域に使って性能を確認済みなので安心して使える。

そして、右側が話題の「USB DAC」で、右下に小さな文字で「32bit 384kHz」と書いてあるのがお分かりだろうか。

この「USB DAC」について、今回のキーパーソンである「北国のパソコン博士」から次のようなメールが届いたので、後日のために記録しておこう。

「USBDACの概要を説明します。
パソコンからはデジタル信号がUSBを経由してPCMまたはDSDで出力されます。USBDACでは、まずXU208というICでUSBからI2Sという形式に接続方法を変換します。

これはDACICがI2Sという接続方法だからです。今回購入したUSB DACのDACICはESS社のES9018K2Mという型番です。

調べてみると非常に評価が高く安心したところです。
このICの凄いところは、どんなサンプリングレートの信号もPCM384KHZまたはDSD11.2MHZにICの内部でリサンプリングしてからDA変換を行い、更にはリサンプルの際にジッターと呼ばれるデジタル信号特有の音質を阻害する要因を大幅に除去できるのです。

そしてDACICからの出力が電流出力であることも見逃せません。
昔はDACICは電流出力があたりまででしたが今は高級品でないと電流出力に対応しないのが殆どです。

ESS社のDACICは普及価格帯の製品であっても電流出力なのです。電流出力型のDACICは外付けでI/V変換回路を必要としますが、それが幸いして厳選した高音質パーツでI/V変換回路を構成できるのです。

電圧出力型のDACICはIC内部にI/V変換回路がありますのでI/V変換回路の吟味による音質改善ができません。

I/V変換回路とローパスフィルターを経由したアナログ信号はバーブラウン社のOPA2134PAというオペアンプで増幅されRCAジャックへと出力されます。

OPA2134PAは±2.5Vで動作可能なオペアンプの中では最も評価の高いオペアンプです。今回のUSB DACはUSB給電で動作しますからオペアンプは±2.5Vまたは+5Vの単電源で動作することになります。

以上の概要から極めてコストパフォーマンスの高いUSB DACであると感じています。」

非常に専門的な内容だが、当方としてはとにかく出てくる音が良ければそれで良し(笑)。

いずれにしろ、このDACは入ってくる音声信号をすべて自動的に「384KHz」にアップサンプリングしてしまうというのだから驚きである。しかも電源が不要なんだから~。

博士によると「パソコンはいろんな作業をするのでノイズの塊りになっています。余計な作業をさせないに越したことはありません。その点、このDACは自分の側で自動的にすべて処理できるのでとても有利です。」

例によってハラハラドキドキわくわくしながら無事接続を終えてインターネットラジオの「モーツァルト専門チャンネル」をパソコン画面でクリックしてみた。

出てきた音に耳を澄まして聴いてみると、・・・。

以下、続く。

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可愛げのある人、ない人

2019年02月18日 | 独り言

つい先日、NHK BSプレミアム「英雄たちの選択」という番組で「平将門」(たいらのまさかど)特集を放映していた。

「平将門」といえば周知のとおり関東地方で朝廷に対して謀反を起こし最後は討ち死にした武将である。

将門は若年の頃に同僚と一緒に朝廷に仕えたことがあり、同僚はうまく組織に馴染んだものの、将門は無骨そのものの武者だったので官僚組織に馴染めず厄介払いとなり故郷に戻されたという。

どうやらその辺のトラウマが後年の謀反につながったのではないかという解釈だった。

人間には組織にうまく馴染んで融け込めるタイプとそうでないタイプがあるようで、将門は後者のタイプだったのだろう。

これに関連して、
高校時代の同窓生から電話がかかってきたときの会話を思い出した。

「マリア・カラスのCDどうもありがとう。それはそうと、いつぞやのブログに書いてたけど谷沢永一の”可愛げが一番”という話は実によくわかるんだよねえ。」

「へぇ~、どんな風に?」

「実は以前、自分が部長をしていた時に他所(よそ)の部門から異動してきた部員がいてね、適齢期なのに課長になり損ねて回されてきたんだ。」

「ほぉ~」

「元の部門の部長とは仲が良かったんだけど、”〇〇君を課長に出来なかったけど、お前のところでぜひ課長にしてやってくれよ”なんて虫のいいことを言うから、思わず”そんなことを言うくらいならなぜお前のときに強力に推さなかったんだ”と、言ってやったんだ。」

「ウン、ウン」

「すると、その時の弁がふるっていて”だって彼、可愛くないもんな~”だって。その〇〇君は学歴もいいし、真面目で仕事もそこそこできるんだけどねえ。人間には可愛げが大切だって改めて思ったよ。」

「成る程」

ちなみに、谷沢永一氏の「可愛げ云々」を参考のため再掲すると、

「才能も知恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてひっくるめたところでただ可愛げがあるという奴には敵わない。」(「人間通」新潮選書)

以上の話、組織に従属して働いた経験のある方なら体感的に納得されると思うが、どんなに「きれいごと」を言ってみても所詮、人間は感情の動物であることを物語っている。

出自が定かではなかった豊臣秀吉がとうとう登り詰めて「位人臣」を極めることができたのも、「人たらし」と呼ばれていたからで、きっと「可愛げのある」人間だったに相違ない。

さて、そこで問題は「可愛げ」ってものが先天的な資質なのか、あるいは後天的に身に付けられるものかどうかだが、谷沢氏の書きっぷりによると、どうやら先天的な資質の方に比重が置かれているようだ。

自分に置き換えてみるとまず典型的な「可愛げのない」タイプのようである。もちろん気も利かない。娘からも「お父さんはコミュニケーション能力がちょっと・・」と苦笑されている始末。

しかも将門みたいに謀反(現代でいえば起業かな)を起こす元気もなく、とうとう平々凡々たる人生に落ち着いてしまったのはまったく痛恨の極みと言わざるを得ない(笑)。

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細かいノウハウ

2019年02月16日 | オーディオ談義

このブログで人気のあるジャンルは「オーディオ」がらみの話だが、あまりにも「細かいノウハウ」になると「もう、ついていけない!」という読者が多いように見受けられる。

今回はそういう「細かい話」になるので、敬遠される方はここから先はどうか読まないでほしいと、言いたいところだが「読むなと言われると読みたくなる。」のが人情かもしれない(笑)。

全部で3件あって、まず1件目。

☆ スピーカーの柔らかいエッジ対策

前々回のブログで、「スピーカーの柔らかいエッジは故障しやすいけど音はいい」、その一方「丈夫なエッジは故障しないけど音が悪い」という、二律背反の話題を提供したところ、さっそくご親切な方から次のようなメールをいただいた。

「Vintage Wharfedaleの愛好者さんから教えていただいた情報です。その方は、エッジの柔らかさからくる偏心を避けるため、半年おきに、(バッフルへの)取り付け角度を90度ずらして使っているそうです。半年おきですので、2年で一回りということになると思います。

ご本人は、1年で一回りさせた方がいいんだが、それも大変なので、このペースで回しているそうです。12インチですと、コーン紙も結構の重量になっているはずだからとのことでした。ご参考になれば幸いです。」

大いに参考になります! たいへんありがとうございました。

「いい音」を得るためにはこういう手間が必要なんですねえ。

しかし、我が家の場合半年ごとにウェストミンスターの裏蓋のネジ16本を開けての作業となると、もう気が遠くなりそう。機会があったら今度はエッジの柔らかい「スーパー12」から普通のエッジを持つ「AXIOM150マークⅡ」へと入れ替えてみようかな。

すぐに「楽」したがるのが自分の悪い癖です。まさに「有言不実行」ですね(笑)。


☆ 電源ケーブル「ドミナス」の活用

電源ケーブルの威力をまざまざと思い知らせてくれたのがPADの「ドミナス」だった。音質の密度の濃さとか何か根源的なものを変えてくれるのだからたまらない。

   

ただし、電源ケーブルがなぜ音の支配力を持つのか、科学的に説明できないのであくまでも聴感上の話として受け止めていただきたい。

ずっと昔の10年以上も前に購入したこのドミナスは全部で4本持っているが、そのうち3本はプリアンプ1台、パワーアンプ2台に使っている。

そして残り1本をどこに使うのが一番効果的なのかとずっと思案中だった。なるべくデジタル機器に使いたいところだが海外メーカーの取説には「弊社の電源ケーブル以外は使うな、故障しても知らないよ。」みたいなことが書いてあってちょっとためらう。

国産のデジタル機器ならどうだろうかと、取説をよく読んでみるとCDトラポ「TL3 3.0」(CEC)とDAコンバーター「HD7A-192」(フェーズメーション)にはいっさいそんなことが書いていない。

そこで、まずCDトラポに差し込んでみると聴感上まったく変化なし、ということは効果なし。そこで今度はDAコンバーターに使ったところ音が激変した。

もちろん、いい方にである。音に元気が出る、艶が出る、厚みが出るといった表現になるのだろうか。真空管やアンプを換えた時以上の差が出てくる。

どうやら、電源ケーブルの最大効果の発揮先は「DAコンバーターにあり」と断言してよさそうだ。

最後に3番目にいこう。

☆ マイカ・コンデンサーの使い方

数あるコンデンサーの中でも「雲母」という天然素材を使った「マイカ・コンデンサー」は希少価値もあってお値段が高いのが特徴。それに絶縁数値もあまり取れないので、用途としては高能率のツィーターといったところだろうか。

そこで、これは耳よりの話だがオイルコンデンサーにマイカコンデンサーをパラってやると音が良くなると伺ったことがある。

そのときに「秘伝なので口外しないように」と、口止めされたがもう時効だと解釈して公開させてもらおう(笑)。

爾来、我が家ではオイルコンデンサーを使うときは常にマイカコンデンサーをパラッている。

   

ご覧のとおり、ウェスタン製のオイル・コンデンサー(ブラックタイプ)にマイカコンデンサー(茶色)をパラッている。

これも科学的証拠は不明なのだが、これは素人の想像の域を出ないが自然素材のマイカ・コンデンサーの清浄な電流が浄化作用をしてくれるのかもしれない。

オーディオは心理的な影響も無視できないのはお分かりですよね(笑)。

と、ここまで書き記したところでハタと思い当たった。今どきはメーカー既成のスピーカーを愛用する人がほとんどだろうから、こんな情報なんてごく一部の愛好家に限られるのではなかろうか。

そこで、あえて問題提起させてもらおう。

メーカー既成のスピーカーで「いい音」を味わおうと思ったらかなりの高額を準備する覚悟が必要でしょう。たとえば定評のある「B&W」あたりがその最たる例だが、低能率なのでTRアンプ向きなのがあまり面白くない。

しかるに、自分でヴィンテージのユニットを寄せ集めると、はるかに手ごろなお値段で完成するし、しかも真空管アンプが堂々と使えるのが頼もしい。

長いオーディオの歴史の中で一番進歩していないのがスピーカーと真空管だが、むしろ現代よりも昔の物の方が質がいいし、
スピーカー周りの作業を経験しないとほんとうのオーディオの面白さを味わえないのも事実。

既成のスピーカーなんて建売住宅みたいなものだから、本来の住処(すみか)を得ようと思ったら、自作自選のスピーカーに限りますよ~(笑)。

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音楽がもたらす「質のいい幸福感」について

2019年02月14日 | 音楽談義

昨日(13日)は日本列島を衝撃が走った。

午前中の運動ジムでも「白血病」(血液のガン)
の話題でもちきりだった。まだ「うら若き乙女」なのに、スポーツ選手なのに「池江選手」が罹患するなんて信じられないの声が大勢を占めた。

罹患の確率は10万人に1人くらいだそうで実にお気の毒だが、その原因となるとほとんど偶然らしい。チョッピリ免疫力も関係してくるらしいけど。

明日の運命は誰にも分からないので元気なうちに精一杯好きなことをやって楽しんでおきましょうね~。

さて、クラシック音楽&オーディオに興味を持ち始めてから50年近くになるが、その間ずっと畏敬の念を持ち続けている先達がいて、それは作家の五味康介さん。

「西方の音」や「天の声」などの一連の著作に随分と啓発されたが、中でも一番印象に残っているのは「音楽がもたらす幸福感と倫理観」に関する記述だった。

「五味さんみたいな音楽の聴き方が出来るといいなあ。」と、ずっと思ってきたが、今年に入ってから音楽を聴いていると「幸福感」とともに多少なりとも「倫理観」めいた啓示が聴こえてくるような気がしてきたのには我ながら驚いている。

音質があまり気にならなくなって音楽に没入できるようになったことが一因だろうか。

とはいえ「倫理観っていったい何だ?」と問われてもちょっと即答が難しい。広辞苑では「道徳の規範となる原理」とあって、ますます分からなくなる(笑)。

そこで、ここは素通りさせてもらって以下の文章からおぼろげながらでも趣旨を汲み取っていただくほうがベターのようだ。

ずっと以前のブログにも搭載したことがあるが指揮者「ブルーノ・ワルター」が1935年にウィーンの文化協会で「音楽の道徳的な力について」と題して行った講演の内容を紹介してみよう。

         

今どき「道徳」なんて言葉を聞くのは珍しいが、中味の方は音楽に対するワルターの気取らない率直な思いを吐露したものでおよそ90年前の講演にもかかわらず、現代においてもまったく色褪せない内容だと思う。

はじめに「果たして人間は音楽の影響によってより善い存在になれるものだろうか?もしそうであれば毎日絶え間ない音楽の影響のもとに生きている音楽家はすべてが人類の道徳的模範になっているはずだが」とズバリ問題提起されている。

ワルターの分析はこうだ。

 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べて別に少しも善くも悪くもない。

 音楽に内在する倫理的な呼びかけ(高揚感、感動、恍惚)はほんの束の間の瞬間的な効果を狙っているに過ぎない。それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄に過ぎない「電磁石」のようなものだ。

 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的な性質は非常に込み入っており、我々すべての者の内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

こう断定しながらも、「だがしかし」とワルターは続ける。

「それでも音楽はたぶん我々をいくらかでもより善くしてくれるものだと考えるべきだ。音楽が人間の倫理に訴える”ちから”、つまり、音楽を聴くことで少しでも正しく生きようという気持ちにさせる効果を信じるべきだ。」と語っている。

そこでワルターは自分の希望的見解とわざわざ断ったうえで音楽の倫理的な力を次のように述べている。

☆ 音楽そのものが持つ音信(おとずれ)

「音楽とは何であるか」という問いに答えることは不可能だが、音楽は常に「不協和音」から「協和音」へと流れている。

つまり目指すところは融和、満足、安らかなハーモニーへと志向しており、聴く者が音楽によって味わう幸福感情の主たる原因はここにある。音楽の根本法則はこれらの「融和」にあり、これこそ人間に高度な倫理的音信(おとずれ)をもたらすものである。

という結びになっている。

一介の市井の徒がこんな「ご大層なこと」を言っても歯牙にもかけられないが、大指揮者の言だとなると傾聴に値しよう(笑)。

高齢者にとって肉体も精神も衰えるばかりの老後において日々の「充足感=幸福感」というものをどうやって得るかは、たとえ束の間のこととはいえかなり切実なテーマだと思うが、日常生活の中でふんだんに「いい音楽(倫理的音信)を、好みの音で聴く」ことは比較的簡単に手に入る「質のいい幸福感」ではなかろうか、なんて勝手に思うのである。

ちょっと手前味噌かな~(笑)。

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当たり!

2019年02月12日 | オーディオ談義

このところ「当たり!」が2件続いたのでブログのネタにしてみよう。

まず1件目はこのブログがエントリーしている「グー・ブログ」(NTT系)のアクセス・ランキングについて。

前回のブログ「果てしなき欲望」がヒットして「260位/285万件」(訪問者数1183 IP」と、これまでで最高の順位になった。

音楽がらみの記事とは違ってオーディオ関係は総じてアクセスの伸びがいい。まあ、「線香花火」みたいなものだが、役に立つ情報が欲しい人が多いのかな(笑)。

ときどき、読者から「とても(オーディオに)熱心ですね。」とメールをいただくことがあるが、自分が楽しんでいるのはもちろんだが(記事を)愉しみにしている読者がいらっしゃるのも大きな要因になっているのは間違いない。

2番目の「当たり!」は例によってオーディオがらみの話。経緯を述べてみよう。

10日(日)の午前中に、修繕に出していた2つのSPユニットがようやく戻ってきた。

グッドマンの「AXIOM80」は3週間ぶり、そしてワーフェデールの「スーパー12」は2週間ぶりのことだった。とても腕のいい修理屋さんのようで商売繁盛しているのだろう。

修理先からのコメントは次のとおり。

「AXIOM80は分解して磁気回路スリット内の清掃、防錆措置を行い各パーツの整形をして組み直しました。

WHARFEDALEはエッジの偏り、フレームとエッジの接触が主原因です。柔らかいエッジなこともあり変形してしまうようです。」

何しろビンボー人なので不意の出費は痛かったが、修繕代となるとあまり惜しくない気がするのはどうしてだろう?

母親が子供の病気に医療費をケチらないのと同じ心境かな(笑)。

さて、AXIOM80は現在2ペア持っているが、「最初期版」の方はフルレンジとして使っており、今回修繕したのは「復刻版」の方である。

修繕した目的はただ一つ。

    

このブログの読者ならお分かりのことでしょうから、くどくど申し上げません(笑)。

AXIOM80に周波数「800~8000ヘルツ」(-12db/oct)を受け持たせるというたいへんユニークな活用方法である。

いや、天敵ともいえるJBLの075ツィーターと組み合わせるなんてと、怒髪天をつかれる方がいらっしゃるかもねえ(笑)。

ところがAXIOM80を若干控えめに鳴らしているせいか両者の融け込み方にいっさい違和感がないのが実にうれしくなる。

これは「当たり!」の上をいって「大当たり!」だった(笑)。

さっそくオーディオ仲間に試聴してもらうことにした(2月10日の午後)。

システムの一部を変えるたびに仲間の耳を借リるのは、自分の耳の自信のなさを裏付けるものだが、オーディオは下手に天狗にならない方が結果的に音質が向上することを長年の経験で骨身に沁みているからである。

「リチャード・アレンのときよりもずっと透明感が増しましたね。流石はAXIOM80です。この音は以前に聴いたジャズ喫茶「メグ」(吉祥寺)の音にそっくりですよ。」

試聴盤がジャズの「枯葉」(キャノンボール&マイルス)だったのでそういうご感想を述べられたのだろうか。

この音なら、クラシックからジャズまでありとあらゆる音楽ソースに対応できるそうで「もうほかのスピーカーは要らないんじゃないですか。」のコメントには参った!(笑)。

かって音楽評論家の「宇野功芳」(故人)さんが、低音域と高音域にワーフェデールのユニットを、中音域に「AXIOM80」を使っておられたが、その意図が分かるような気がした。

万能タイプのこのシステムは総合力において我がオーディオ史上で「極め付きの音」と言っていいだろう。

ただし、どんなシステムでも聴き込むと何らかの不満が出てくるので「今のところは」という条件付きだ(笑)。

次に、修繕から戻ってきたワーフェデールの「スーパー12」について。

故障の原因は、再掲すると「WHARFEDALEはエッジの偏り、フレームとエッジの接触が主原因です。柔らかいエッジなこともあり変形してしまうようです。」だった。

   

ご覧のとおり、通常のユニットのエッジと随分違うことがお分かりだろうか。どうやらワーフェデール「スーパー12」の音の秘密は、赤帯マグネットと柔らかいエッジにある気がしてならない。

ちなみに世界一と言っていいくらいデリケートな音を出す「AXIOM80」には、そもそも「エッジ」が付いていない。

さて、ここで二択のクエスチョン。

「硬いエッジで故障が少ないけれど音は良くない。」 VS 「柔らかいエッジで故障が発生しやすいが音はとてもいい。」について、皆様はどちらを選択されますでしょうか?

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果てしなき欲望

2019年02月10日 | オーディオ談義

「音に違和感がまったくありませんから、もうこれ以上変えない方がいいと思いますよ。」とは、オーディオ仲間のアドバイスだった。

それにもかかわらず・・。

   

ご覧のとおり、タンノイ・ウェストミンスターがオリジナルとは似ても似つかぬ姿に変わり果てているが、どうやらうまくバランスが取れているようで我ながら上出来の部類に入る。

現状のままで何ら音質に不満はないものの「もっと良くなるかもしれない。」という「果てしなき欲望」はオーディオ愛好家ならお分かりですよね(笑)。

中音域(800~8000ヘルツ)に使っているリチャード・アレン(英国)をウーファーと同じブランドのワーフェデール(英国)に代えたらどうなんだろうという誘惑にはとても抗しがたかった。

こういうときにすぐに脳裡に浮かぶのが東海地方の「T」さんである。

昨年(2018年)のブログ「欲のひとかけらもない出品者」(10月13日)で登場していただいた方である。

当方からの依頼に対して次のようなコメントが戻ってきた。

「ゴールド・アルニコのSuper8、棚を調べたら、5本ありました。ただ、やはり、完全なStereoのペアはありませんでした。インピーダンスだけで3種類、それにダンパーが2種類、加えてFSとASと2種類のモデル、やはり2本の揃えは難しかったようです。

ただSuper10には完全なペアリングがありました。カタログの関係頁を下に貼り付けておきますが、Golden FSB という、ゴールド・アルニコの最終モデルで、シングルコーン・タイプです。もし、〇〇様の方で聴いてみたいということであれば、お送りいたしますが、いかがいたしましょうか。」

ちなみに、「スーパー8(インチ)」は口径20センチ、「スーパー10(インチ)」は口径25センチのユニットである。

そこで、結局ペアがそろっている「スーパー10」を送っていただくことになった。物的担保なしの信用貸しだからほんとうにありがたく、ご厚意に感謝するばかり。

到着した現物をパチリ。

   

ご覧のとおり極上品である。豪勢なアルニコマグネットの部分が、以前Tさんから購入した「スーパー3」(ツィーター)と類似している。

    

これでワーフェデールは「スーパー12」「スーパー10」(借用中)「スーパー3」と3種類揃ったことになる。これはグッドマンを追い越す勢いだ(笑)。

さっそくリチャードアレンと交換して載せてみた。裸のままなので余計なネジ締めなどが要らず3分もあれば十分。

   

胸をワクワクさせながら聴いてみると、ウ~ン、ちょっと・・・。

悪くはないがリチャード・アレンのときと比べると音の重心が上がり過ぎるような気がする。中音域はあまり目立たせない方がいい。

これほどのユニットを「800~8000ヘルツ」と限定的に使うのはどうやらもったいないとの結論に至った。

そこで、老骨に鞭打って半日がかりで新たなバッフルに取り付け2ウェイにしてみた。やり慣れているとはいえ、バッフルの穴あけ、塗装から「ネジ穴合わせ」までもうたいへん!

    

クロスオーバー4000ヘルツを境にそれ以下は「スーパー10」を使い、それ以上は「スーパー3」の出番で同じワーフェデールのコンビだが、マグネットも似たようなものだから音に違和感があろうはずがない。

ちなみに、我が家では4000ヘルツまではネットワーク(-12db/oct)でハイカットし、それ以上の帯域はウェスタン製のオイル・コンデンサーを使ってローカット(-6db/oct)している。この方がツィーターの響きが自然だし豊かになるから不思議。

まあ、ネットワークに使ってある部品の質次第ということですね。

この組み合わせをグッドマン指定の「ARU」(背圧調整器)付きの箱で鳴らすのだからとてもユニーク。


試聴する前から出てくる音が分かっているようなものだが、やはり期待に違わず素晴らしい音だった。

これぞまさしく「ブリティッシュ・トーン」で品の良さが香り立ってくるような、そしてスピーカーをまったく意識させない自然な音ともいえる。     

日頃はグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」と「トライアクショム」を交互に入れ代えて楽しんでおり、これに「スーパー10」が加わったわけだが、この箱は口径25センチのユニットが合っているみたいでシリ~ズの中ではこれがベストかもねえ~(笑)。

これは絶対に手放すわけにはいかないと決意したが、あとはTさんとの交渉が待っている。

そもそもお値段よりも、譲っていただけるかどうかが先決だがはたして~。

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音楽売り上げでロシアが圏外の理由

2019年02月09日 | 独り言

前回のブログ「音楽を楽しむ人はお金持ち?」の中で触れていたロシアの件について、さっそく「北国の真空管博士」(我が家のオーディオの主治医)から次のようなメールをいただいた。

「8日のブログ拝見しました。音楽売り上げでロシアが圏外の理由について考えてみました。

最近無料(合法)のハイレゾ音源を探しては試聴に活用しています。
するとロシアには音楽ファイルをダウンロードできる違法サイトが沢山あることに気づきました。

アメリカや日本は著作権管理がしっかりしているので違法サイトはありません。ロシアはスポーツのドーピング違反に見られるように国自体に順法意識に欠けるところがあり、そのことが音楽ファイルの違法サイト横行の根底にあるような気がします。

更には著作権料の問題もありそうです。
ロシア発の著作権料を見込めそうな音楽は意外と少ないのではないでしょうか。

クラシックは続々と著作権の切れるものが出てきますし、ロシアの現代音楽で国際的に有名なバンドは殆どありません。
ロシアではどんなにCDが売れても著作権料の殆どは国外にいってしまう現実があります。

それゆえ国としても違法サイトの取り締まりに力が入らないのではないでしょうか。」

結局、そういうことなんでしょう。

そこで、根本原因である「ロシアはなぜ順法意識が低いのか」に少し分け入ってみましょうかね。

ロシアという国で真っ先に思い出すのが以前のブログで掲載したことがある「ロシア人の寿命が短い理由」だ。

         
「ロシア人しか知らない本当のロシア」(2008.11、日経新聞社)

本書の中で一番興味を惹かれたのが第三章の中の「ロシア人はなぜ寿命が短いのか」というくだりだった。

ロシアの人口は1993年をピークにずっと減少傾向にある。その要因だが出生率低下という先進国共通の問題だけではなくアフリカ並みの異常に高い死亡率が挙げられる。

何しろロシア人の平均寿命は男性がおよそ59歳、女性が72歳で日本と比べると短命ぶりが際立っている。

1965年から40年間の間に日本人男性の平均寿命は10歳延びたがロシア人男性は逆に5歳短くなっている。

高死亡率の原因は一概には言えないがアルコールが原因の一つである。

一人当たりの年間消費量は英国と並ぶ水準だが英国はビールが主流なのに、ロシアはウォッカなどのスピリッツ(蒸留酒)が70%超でアルコール度数が高い酒の大量摂取が心臓疾患、肝硬変の要因になっている。離婚率の高さにもアルコール中毒が反映されている。

ソ連解体後の社会・経済的な混乱に伴うストレスからの逃避による飲酒、それと「ウォッカが安すぎる」ことも一因とか。

要約すると以上のとおりだが、あの広大な国土に日本と同じくらいの人口というのが驚きだが、何といっても男性の平均寿命が日本とは25歳ほど違うというのは驚きである。

自分などはロシアに生まれていればとっくの昔に「お陀仏」なので、一層身につまされてしまう。

本書は女性の視点から書かれたものなのでアルコールの摂取に厳しい見方をしているが、ああいう厳寒の地では皮下脂肪に恵まれた女性は別として男性には酷だと思う。

アルコール摂取という高いハードルを前にしてロシアにおける高死亡率改善の難しさが伺えるところだが、こういう状況を踏まえてロシアの男性は「短命」に対してどういう人生哲学を持っているのだろうか。

厳寒、荒涼たる大地などの厳しい外的要因と否応なく短く終えてしまう人生を前にすると、「今が良ければいいさ」という刹那主義の蔓延からくる順法精神の無さ、ひいては違法サイトの横行も何となく許せる気になりませんかね~(笑)。

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音楽を楽しむ人はお金持ち?

2019年02月08日 | 復刻シリーズ

習慣というものは恐ろしい。

運動ジムや音楽&オーディオで多忙を極める(?)毎日なのでゆっくり本を読むひまはないのだが、それでも2週間に1度の図書館通いは止められない。

館内に入ったときにほのかに香ってくる「本の匂い」が大好きだし、もしかして面白いミステリーに出会えるかもしれないという期待感に背を押されてのことだが、このほど借りてきたのが
「世界の中の”日本の順位”がわかる本~すごい日本、ダメな日本が一目瞭然~」。

                   

表紙の裏に次のようなことが書いてあった。

「国別ランキングほど面白い知識はない。日本が世界で“第何位”かというシンプルな情報から、「日本と日本人の本当の姿」 「各ジャンルの意外なトップ国」 「世の中にある大きな動き」まで手に取るようにわかるからだ。雑学知識を楽しみながら、教養を高め、話材も増える本!」

そして、「はじめに」の部分では本書の楽しみ方が述べてある。

1 ちょっとした発見を楽しむ

「日本は島国だから国土は狭い」 「日本人は勤勉で仕事をする時間も長い。教育にも熱心だ」と思っている人は多いだろう。だがランキングを見ていると、それとは違ったおもしろ情報が見つかる。

「国土の広さは世界の上位3分の1にランクインするし、海の広さは世界第6位」 「日本は世界6位の軍事大国」であり、「日本人の働く時間は長くはない」し、「日本は教育熱心な国とはいえない」。驚かれたかもしれないが、外国と比べると「日本の凄い一面・ダメな部分」「日本人の素顔」が浮き彫りになるのだ。

2 日本が抱える課題も浮き彫りになる

「家族を一番に考える人が少ない」「男女の平等度は先進国では最低レベル」「国の借金は危険水域」・・・・図解を見るだけでも数字で具体的に理解できる。

3 逆に日本人が当たり前だと思っていることが、世界では称賛の的になっている例も少なくない。

「時間に正確」「他人に親切」「公共料金はきちんと払う」「世界中のグルメが楽しめる」・・・・。そうした国は実は珍しいことが分かり、日本人として誇りに思える部分を再認識できるのだ。


前置きが長くなったが、本書にザット目を通してみると基礎データとしての「人口」「国土」「経済」「健康・体」を皮切りに、93項目の多岐にわたって世界における日本の順位が記してあった。

1章「日本の技術力が分かる!」 2章「日本の文化・教養」 3章「日本人の健康度」 4章「日本人の頭の中がわかる」 5章「日本の政治問題」 6章「日本の3年後の経済を占う」 7章「世界が評価する“日本と日本人の魅力とは”」

まあ、全体的に日本は好ましい項目群で上位に位置していることが分かって、愛国心をくすぐられることは間違いない。しかも第1章にわざわざ世界に誇れる「日本の技術力」を持ってくるところなんか、なかなか気がきいている。

もう一つ、第2章の中の「音楽売上」の項目にも注目。何と、全世界の売り上げの4分の1を占める!」というのだ。

「ヒット曲の不作、CDの売上低迷、老舗レコード店の閉鎖」・・。景気の悪い話ばかり聞える日本の音楽産業だが、実は世界的に見ると日本はアメリカに次いで世界2位。アジアでは当然最大で、その市場規模は飛び抜けている。

2011年の世界の音楽総売り上げ約1兆3千億円のうち、日本の売り上げは約3200億円で全世界の売り上げの4分の1を占めている。

売り上げの内容を見ると、音楽配信や原盤ライセンス収入ではアメリカに大きく水を開けられているが、CDやDVDなどのパッケージ売上シェアは日本が世界一だ。

日本ではCDシングルや音楽DVDの売り上げが比較的順調だが、その一因にはアイドル需要の高さが考えられる。とはいえ、パッケージ゛売り上げはほぼ頭打ちで、今後はインターネットやスマホなどの音楽配信が大きく伸びるだろう。」

ちなみに、アメリカ、日本に続く音楽好きの国とは、ドイツ(日本のおよそ3分の1の売り上げ)、イギリス、フランス、オーストラリア、カナダ、ブラジル、オランダ、イタリアと続いていく。

こうしてみると欧米の先進国がズラリと顔を並べているのに気付く。どうやら音楽を楽しむには政治的な安定と経済的な“ゆとり”が必要のようだが、やはり日本は黄色人種にもかかわらず大健闘ですね。

中国は現在GDP世界第2位だが一人当たりにするとおそらく下位に転落するだろうから問題外だし、ロシアが圏外なのがちょっと意外。これまで幾多の名作曲家・演奏家を輩出し、音楽の歴史と伝統に深く彩られた国だが、まだ国民一人ひとりにそこまで“ゆとり”がないのかな。

さて、「国の豊かさ=音楽好きが多い」を敷衍(ふえん)して、今度は個々の人間に具体的に当てはめてみるとしよう。

音楽を聴ける部屋とか、機器を揃えるとなるとそれなりの出費が求められるが、はたして「音楽を楽しむ人はお金持ち?」なのか。

残念なことに自分のような例もあるので、これは完全に当てはまらないが(笑)、知っている範囲で周囲を見回すと音楽愛好家はいずれも「ゆとり」のある方々ばかり。

「衣食足りて礼節を知る」ではないが、ある程度の「生活のゆとり」 → 「時間のゆとり」 → 「心のゆとり(静謐感)」がないと、音楽(クラシック)は楽しめないと言えるのかもしれない。

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「音狂老人」の独り言

2019年02月06日 | オーディオ談義

去る2月2日(土)のNHK・BSプレミアムで「幻の肉筆画~アメリカに眠る画狂老人の魂~」が放映されていた。

「画狂老人」とは周知のとおり江戸時代の浮世絵師「葛飾北斎」が自称していた名前である。描くことが好きでたまらなかった北斎にあやかるのはまことに恐れ多いが、さしずめ自分は「音狂老人」ではなかろうかと思ってしまった(笑)。

もう毎日が楽しくて、オーディオってどうしてこうも面白いんだろう。

今回はその「音狂老人」の独り言といこう。

周知のとおり、音声信号の流れに沿っていくつもの機器の組み合わせが必要とされるオーディオシステムだが、はたしてその中で音を支配する力が一番強い機器は何だろう?

まずリスニングルームについては欲を言うとキリがないので脇に置いておくとしよう。

すると、大きく3つの領域に区分される。

「前段機器=微小信号
」(CDプレイヤー等) → 「増幅系」(アンプ) → 「変換系」(スピーカー)。

どれもこれも大切ですね(笑)。どこか一つでも手を抜いたら即アウトです。

そして、実は「最後の決め手」となるのはこれらの機器を相互につなぐ「ケーブル」にこそあったんですよねえ。まあ「決め手」というか「仕上げ」というのか・・。

と、ケーブルの話題まで引っ張って来るのに無い知恵を振り絞ったがうまく誘導できたかな~(笑)。

新年早々から我が家では「PAD」(Purist Audio Design)のケーブル類が大活躍だった。

日頃からの読者ならご存知のとおり「SPケーブル」に始まり「RCAケーブル」そして決定打が「電源ケーブル」の「ドミナス」だった。

   

このドミナスを現在3本使用しているが、その内訳は「マランツ7型プリアンプ」、AXIOM80用のパワーアンプ「171A/PP」、そしてウェストミンスター(改)用のパワーアンプ「6A3シングル」(WE300B兼用)と、要所に配置した。

全ての電源はノイズ対策として「200V → 100V」へトランスで降圧したものを使っている。

このドミナスはデジタル機器に使うのが一番効果がありそうな気もするが、機器の解説書には「弊社とは違う電源ケーブルを使用して故障しても知りませんよ。」みたいなことが書いてあって、ちょっと怖い。

それはさておき、その効果たるや「物凄い」としか言いようのない衝撃を実感する毎日。いや、決して大げさではなく~。

しかし、一人で悦に入ってばかりでもしようがないので、確認していただこうとオーディオ仲間のYさんに来ていただいたのが3日(日)の午後のことだった。

一番驚かれたのはウェストミンスター(改)だった。

   

駆動するアンプは「6A3シングル」。

   

試聴しながら、従前とのあまりの音の違いに「ほんとうに電源ケーブルを変えただけですか?」と何回も確認されるYさん。

「低音域から高音域まで音楽情報がびっしりと隙間なく埋まっている印象です。とても密度が濃いです。やっぱりドミナスは凄いですね。」と、強烈な印象を受けられたご様子。

「低音域の効果が目覚ましいですよ。やっとゲーリー・カーのコントラバスを聴く気になりました。」と、自分。

   

「オルガンの音が軽く30ヘルツあたりまでは出てますよ。重低音が床を這ってきますね。」と、Yさん。

事ここに至ってようやく、ずっと持っていた下記の二つの懸念が見事に解消した。

1 「6A3」出力管の実力

「一般的に6A3はWE300Bとの互換性がありませんが、このアンプに限っては出力管に控えめな動作をさせていますし、独自の回路を工夫したので大丈夫です。」と、北国の真空管博士から保証があったところだが、すんなりとは信じ切れず頭の片隅に「?」があったことは否定できなかったが、これほどの低音が出てくれたらもう十分ですっかり懸念が解消した。

「6A3」(1930年代製:刻印)は使い方によっては「WE300B」と匹敵するのは間違いない。お値段は1本あたり1万円前後だから「費用対効果」は抜群。

2 LANケーブル(カテゴリー7)の実力

ウェストミンスター(改)のウーファーには「スーパー12」(ワーフェデール:口径30センチ)を起用しているが、先日故障してスペアと取り換えた際にSPケーブルも銅の単線(0.8mm)からLANケーブルに取り換えた。

実験のつもりだったので、その効果に一抹の不安を持っていたがそれもこの低音で見事に解消した。

次の試聴は「171A/PPアンプ」と「AXIOM80」との組み合わせに移ったが、「さすがにAXIOM80といえども総合的には先ほどの音には及びませんね
。」と、Yさん。

「そうだと思いますよ。ケーブル次第でオーディオ機器の能力は一変しますね。」と自分。

どなたかのブログに「ケーブル類への関心は機器の整備がひととおり済んでからがいい。」と、あったが「もはや打つ手は不要」と自負されている方にお勧めかもしれない。

ただし、いきなり購入するのは冒険過ぎるので、まずはショップや知人から借りたりして試してみるのも一法だと思いますよ~。

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チャイコフスキーがなぜか好き

2019年02月04日 | 復刻シリーズ

「チャイコフスキーがなぜか好き」(2012.2.29、PHP新書)という本を読んでみた。

 

著者は前東京外国語大学の学長の亀山郁夫氏。ロシア文学者として近年、「カラマーゾフの兄弟」をはじめロシアの文豪「ドストエフスキー」の一連の著作の新訳で著名な方。

文学のみならずクラシックにも興味をお持ちとは、ほの暖かい親しみを感じさせてくれるが「チャイコフスキー」となるとちょっと意外かな。

もちろんロシア出身という要素もあるのだろうが、クラシック通の間で「チャイコフスキーが好き」なんて広言することは何だか「はばかられる」感じを持つのは自分だけだろうか。

親しみやすいメロディが多いのはいいけれど、何回も繰り返しての鑑賞に堪えるには少し物足りない音楽という印象が個人的にはずっとしている。

したがって、チャイコフスキーと聞くだけで初心者向けの軽いイメージが先立ってしまう。

本書の題名の中にわざわざ「なぜか」という言葉が挿入されているのも著者のその辺の思いがシグナルとして示されているようにも思う。

ふと、関連して以前のブログの中で「ショパンは二流の音楽」と決めつけたことを思い出してしまった。

ショパンの音楽も親しみやすさという点ではチャイコフスキーと似たようなものだが、いくら筆の勢いとはいえ歴史に名を刻む大作曲家を二流といって一刀のもとに切り捨てる資格は自分ごときにあるはずがないという反省心のもとで亀山さんの率直な物言いがもろに心に響いた。

結局、作曲家の位置づけなんて個々の心情の中で相対的に決まるものであって、そっと心の中に秘めておけばいいものをというのが現在の心情である。

「雉も鳴かずば撃たれまいに」(笑)。

ところで作曲家に一流とか二流とかのレッテル貼りは不遜にしても世間一般のランク付けというのはあるのだろうか。

実は本書の30頁に興味深い記事があった。ロシアの作曲家たちがクラシックの世界でどのような位置づけにあるのかという視点から著者がウェブで調べた結果が次のとおり。(抜粋)

「今日、世界のコンサート会場で演奏される曲目の国別統計を取るとしたらどの国の作曲家が最高位にランクされるのだろうか。そんな非音楽的な好奇心に駆られてウェブ上に情報を求めた結果統計は見つからなかったがその代わりに「百人の音楽家たち」と題するランキング表が出てきた。

タイトルは「100 Greatest Classical Composers」とあり、もうけられた基準は「彼らのイノベーションや影響力だけでなくその美学的な重要性と歴史的な意味の重さ」とある。

そして出てきたのが次のランキング。

全文英語なので、これが日本のみならず世界的にグローバルな「ものさし」だといえよう。

第1位 ベートーヴェン 以下2 モーツァルト、3 バッハ 4 ワーグナー 5 ハイドン 6 ブラームス 7 シューベルト 8 チャイコフスキー 9 ヘンデル 10 ストラヴィンスキー 11 シューマン 12 ショパン 13 メンデルスゾーン 14 ドビュッシー 15 リスト 16 ドヴォルザーク 17 ヴェルディ 18 マーラー 19 ベルリオーズ 20 ヴィヴァルディ

これまで自分の好み次第で作曲家のランクを勝手に決めつけていたがこのランキングでいろいろ考えさせられた。

まず上位4名の顔ぶれは妥当なところという気がする。もはや時代遅れと思っていたベートーヴェンが1位とはさすがだが、「第九」という十八番(おはこ)の影響もあるのかな。そして、近年コンサート会場を席巻しているマーラーが18位とは後ろ過ぎて意外。

逆に、今回俎上にのぼったチャイコフスキーが8位、ショパンが12位というのもちょっと上位過ぎる感がする。

やはり一度聴いただけでも親しみやすい「アイスクリームのような音楽」というのが有利なのだろうか(笑)。

最後に、チャイコフスキーの音楽について著者の友人「音楽評論家」のコメントが印象に残った。(141頁)

「私はチャイコフスキーの音楽(メロディ)に”いじわる”なものを感じます。とてつもない自己愛から来るもの。だからチャイコフスキーの奇跡のように素晴らしい音楽にはものすごく興奮し、感動もするけれど、慈愛を感じない。

作曲家はみんな自己中心的でナルシストだけれど、創作しているうちに、音楽への愛が自己愛を上回る瞬間というのが必ず来ると思う。チャイコフスキーの場合はたぶん、音楽より自分の方が大好きだったのではないか、と思えるんですね。そう、あの人の音楽、聴いても何か癒されない・・・・・・。」

そうなんですよねえ。

本格的に鑑賞するのに何がしかの物足りなさを感じていた原因はそこにありましたか!

文中の「チャイコフスキー」を「ショパン」に置き換えても同じことが言えそうな気がしますけど読者の皆様はいかがでしょう?

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