「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

一つの部屋に4系統のシステムを置く理由

2018年06月29日 | 復刻シリーズ

“のっけ”から理屈っぽい話で恐縮だが、人間には二通りの人物像があると思っている。すなわち、自分が考えている己の人物像と他人が自分に対して思い描いている人物像(イメージ)。

後者の場合だと「はたして自分は他人の目にどう映っているのだろうか」というわけだが、物理的に他人の頭の中を覗き見ることが出来ない以上こればかりは永遠に分かりっこない。

おそらく両方の間に“ズレ”が生じていることは想像に難くないので、この“ズレ”を日常的にときどき意識して自分を客観視することはなかなか意義のあることではないかと思っている。

たとえば分かりやすい例として身近なオーディオを挙げてみよう。

このブログを常時読んでいただいている方ならご承知のように、自分の部屋には現在4系統のシステムが置かれている。

当のご本人はこれを至極当たり前と思っているのだが、他人から見ると
「この人、バッカじゃなかろか、同じ部屋に4つもシステムを置く必要があるのか?」といった具合(笑)。

そういえば、ずっと以前に読んだオーディオ誌には「同じ部屋にスピーカーをいくつも置いてはいけない。それぞれが吸音材の役割をするし、音響的にもけっしていい効果をもたらさない。」といった趣旨のことが書いてあった。

まことに、“ごもっとも”で、出来ることならメイン・システム(=正妻)を固定してひたすら後生大事に使うのが“まっとう”だし世間体もいいに決まっている。

だがしかし、妻妾同居の禁断の味を一度味わうと、これが“病み付き”になってなかなかやめられそうにない。しかも、お妾さんが3人も(笑)。

というわけで、ここで「バッカじゃなかろか」のイメージを覆しておくのも悪くはないと思うので、改めて4系統のシステムを置く理由を縷々述べてみよう。

しかし、はたしてこんな理由で納得していただけるかなあと、ちょっと心配~(笑)。


まず、第一の理由として挙げられるのは何といってもオーディオに割ける時間の多寡によるものだ。

たとえば現在進行形の多忙な現役生活を送っている方については物心両面で日中の仕事が忙しくて音楽とオーディオに割ける時間はせいぜい休日や夜の“ひと時”といったところだろうからこういう場合は一つのシステムで十分のはず。


実際に自分の場合も現役時代はそうだった。社会の荒波は想像以上に厳しい。当時、頭の中の大部分を占めていたのは仕事のほうで、割合でいえば「音楽&オーディオ」は3割以下に過ぎなかった。もちろん個人ごとの能力的な問題もあって出来のいい人は別だろうが(笑)。

しかし、現在となっては明らかに時間の余裕度が違う。1日24時間がフルに活用できるようになると、今や「音楽&オーディオ」三昧で、その占める割合は完全に逆転して7割以上にも達する勢い。

「あなたの頭の中はオーディオだけね」と、こぼす家内の言葉なんかどこ吹く風で(笑)、こうなると一つのシステムだけではとても間に合わないのが自明の理というものだろう。

次の2番目の理由といえば音楽ソースに応じたスピーカーの使い分けをすることになろう。

たとえば、どんなに高価な大型システムであろうと、女性ボーカルや小編成のソースに限ってはシンプルな口径20~25センチクラスのフルレンジの良さにはとうてい及ばない。

大型システムはどうしても音像が大きくなってシャープさが失われてしまうのだ。むしろ音のエッジが荒くなるという表現が妥当かもしれない。

そういうわけでオーケストラからボーカルまで、そしてジャズなどのいろんな音楽ソースを1台のスピーカーでこなせるほどオーディオは甘くないんだよ~と、言いたい(笑)。

投資額と音質が必ずしも比例しない、これはオーディオが仕掛ける巧妙かつ非情な罠ではないかといつも思っている。

もし豪勢なシステムの外にも「AXIOM80」を備えているマニアがいたとしたらその耳を私は信用すると、言ったらあまりにも手前味噌だろうか(笑)。

そういうわけで、現在念頭においている主な使い分けの目安は次のとおり。

 「AXIOM80」は主としてボーカルと小編成の音楽ソース

 「ワーフェデール2ウェイ」(自作エンクロージャー)はクラシックすべての音楽ソース

 「JBLのLE8T」はテレビ音声やジャズ用          

 「JBLのD130+グッドマンの楕円型ユニット」(チャンデバ使用の2ウェイマルチ)はオーケストラなどの大編成用

        

と、いった具合だが、これは表向きの理由で半分は毎日違う音を聴きながら「あら探し」をして楽しみたいのがホンネ(笑)。

使う頻度によって順に並べてみたが、いちいち取り換えるのも面倒くさいので1日をまるっと一つのスピーカーに当て込んでほぼ1週間ほどで4つのスピーカーが一巡するようになっている。


以上、まさにオーディオ三昧の生活だが、これで「4系統のシステムを置いている理由」にある程度納得していただけただろうか。

少しは自分の「変人イメージ」が覆ったかな~(笑)。

    



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読書コーナー~部下を定時に帰す仕事術~

2018年06月28日 | 復刻シリーズ

「猫の額」ほどの我が家の庭に咲いていたピンクの百合の花。

   

日頃から殺風景なオーディオ機器の画像が多いのでたまにはイメチェンのつもりで載せてみた。

さて、このたび7月1日付の異動で娘が福岡から他県に転勤することになった。

異動は組織人としての宿命なので何もしてやれないが、以前から「どこに替わっても日経新聞だけは毎日読んでおくように」とアドバイスしているが、実はもう一つ内心ひそかに望んでいることがあってそれは「部下を定時に帰す」よう心がけること。

これには有名な本がある。


              

読まれた方も多いかもしれない。著者は東レ経営研究所社長(当時)の「佐々木常夫」さん。

本書の内容を要約すると、「肝硬変のため入退院を繰り返し「うつ病」を併発した奥さんと自閉症の長男を含む3人の子供を育てるために、毎日夕方6時に退社して家事の一切をやる必要に迫られたことからくる合理的な仕事術」を述べた本。

何といっても題名がいい。

「部下を定時に帰す」なんて、いかにも立場の弱い者を大切にする思想が感じられる。

業績を上げるために人を目一杯こき使おうとするのが普通の企業である。中には超過勤務手当てを支払わないで済むように名前だけの店長(管理職)にして過重労働を強いる”けしからん”会社があったりする。


「企業は人なり」で、こういう「人を大切にしない、育てようとしない会社」は早くつぶれてしまったほうが世の中のためにはむしろいい。

ふと自分の現役時代のことを想い出した。

勤務する部署によってマチマチだったが、毎日、夜の9時ぐらいまで残業が当たり前の職場がいくつもあった。早く家に帰って「オーディオ」をいじりたいのはヤマヤマだけど忙しくてそうもいかない。薄給なりとも当時は何せ両肩に妻子が乗っているからね~(笑)。

一番、感性が瑞々しくて豊かな若年時代がこんな調子で、加齢とともに感性が鈍り高音域が段々と聴こえづらくなった今の時期になって時間がたっぷりあるとは、世の中皮肉なもので「人生そうそううまくは運ばない」ことを思い知らされる。


それはともかく、今は「働き方改革」真っ盛りの状況で何とも「いい時代」になった。「ワーク・ライフ・バランス」つまり「仕事と生活の両立」なんて、当時はそういう生易しい時代ではなかった。

しかし、中には明らかに上司の指示がまずいために無駄な残業があったのも事実で、「残業の量は上司の出来具合に左右される」のは明らかだし、昔も今も原則として「上司の指示は絶対」なのはやはりキツイ。

「部下は上司を択べない」悲哀をそこかしこに味わったが、これは組織に勤める以上誰もが痛感し、経験することだろう。

こういう中、「部下を定時に帰そう」という姿勢をもち、努力してくれる上司に巡り会えるのは稀だしホントにありがたいことだと思う。

ただし、自分の経験からすると残業する側にもいろんなタイプがあって「十把ひとからげ」とはいかないのも事実。たとえば意地の悪い見方かもしれないが次のような例もある。

 「超過勤務手当て」を目当てに残業したがる人間

 家庭での居心地が悪いので出来るだけ会社に残って残業し「家では寝るだけ」にしている人間

 残業をこなすことで「仕事をした」という自己満足に浸りたがる人間

本書の場合、著者が課長になって新しい職場に赴任したときに部下が目一杯残業をしていたので無駄を無くそうと具体的に取り組んだ話である。

通常、部下が残業をしているときの上司の対応としては

 一緒に残業をする

 管理職には「超過勤務手当て」が支給されないので見て見ぬ振りをして早めに帰る

3 部下の残業を無くそうと努力する

の3つに絞られるが、1は著者の家庭の事情があって到底ムリ、そこで2か3の選択になるのだが安易な選択の2に走らないのが、なかなかご立派。しかも通常、家庭がそういう事情ならアッサリ「出世」を諦めるところだが、この方は後々「社長」にまで上りつめる粘り腰がすごい。

とにかく、本書はそういった視点に基づいているので「精神論」ではなくて、現場で鍛え上げられた「実践論」に終始しているので分かりやすい。

「会議を半分に減らす」「会議の時間を半分に短縮」「資料は事前配布」「簡潔な資料」「重要ではない業務の切捨て」など当たり前の対策が緻密な現状分析のもとにきめ細かに綴られている。

組織で働く人にとって管理職はもちろんだが、これから昇進という方にも参考になりそうな本である。



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半端ない欲望

2018年06月26日 | オーディオ談義

先日のこと、我が家の真空管の主治医「北国の真空管博士」に「いつも欲の深いことばかり頼んで申し訳ないのですが・・・」と、つい枕詞を使ってしまった。

すると「欲の深いことはいいことですよ。だってオーディオはそうじゃないと面白くないでしょう。」とのご理解ある発言に「いやあ、そう言っていただくとありがたいです。」

我が家の場合は「オーディオは 半端ない欲望の 産物と見つけたり」(笑)。

頼み事と言うのはこうである。

    

以前のブログに搭載したように「071シングル」アンプを改造してもらって前段管「6SN7GT」を「LS7」(GEC:イギリス)の取り換えた件だが、聴き込むにつれ増幅率の「μ」(ミュー)を「12前後」からもっと上げると、さらに音が良くなりそうな感じがしてきた。

そこで冒頭のように遠慮しいしい博士に相談したというわけで「LS7よりももっとμが高くてそっくり挿し換えの利く前段管はありませんかね?」

すると、1時間ほどしてからご連絡があった。

「2種類ありましたよ。テレフンケン(ドイツ)の〇〇〇とバルボ(ドイツ)の
△△△です。前者はμが16、後者はμが24です。いずれも国内のオークションで手に入れるのは至難の業です。海外のオークションで気長に探すことになりますがそれでもいいですか。」

「ハイそれで結構ですからぜひお願いします。」

とはいえ、念のため「真空管△△△」でググってみると、信じられないことに東京のショップでネット販売されていた!

お値段も手ごろそうなので博士に相談してみると「それは超安いです!冒険してみる価値はありそうですね。」

というわけで意を決して注文。スムーズに取引が済んで△△△が我が家に到着したのは一昨日の24日(日)の午前中のことだった。

さっそく「LS7」と挿し換えて試聴と相成った。もう期待で胸がはち切れんばかり(笑)。

   

左側2本がバルボの△△△で、右端の整流管は「OKーX213」(メッシュプレート)に入れ替えている。

出てきた音と言えば、これが何とも素晴らしくて思わず振るいつきたくなるような音!

いや、ホントだってば~(笑)。

ただし無情なことに左チャンネルからガサゴソとノイズが発生する!

「やっぱりねえ」と、チューブテスターで測定結果が付いていない「中古良品」の表示に対する不安が的中した(笑)。

ただし、ノイズがだんだんと小さくなっていくのはいい傾向だ。さっそく博士にご注進。

すると「△△△はバリウム昇華型フィラメントですから、そういうケースがままあります。ノイズがフィラメントに由来するものであれば段々と消えていくことでしょう。このフィラメントはとても音がいいですよ~。」

3時間ほどぶっ続けで鳴らすとノイズが消滅したのはありがたい限りだが、何せ時代物の古典管なので油断は禁物、当分の間観察が必要だろう。

それにしても、ええ音やなあ!

ミニチュア管を除いて本格的なドイツ系の真空管は初めてだが、まさかこんなに「いい球」に出会えるなんて夢にも思わなかった。

博士に感謝とともに、これは八方手を尽くしてスペアを確保しておかないと後々後悔しそうだと決意を新たにした。

したがって、無暗(むやみ)な競合を避けるために文中では真空管の型番を「△△△」と匿名にさせていただきました。どうか悪しからず~(笑)。

 

 


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「音像定位」 VS 「周波数レンジ」

2018年06月23日 | オーディオ談義

「出力管6550を使ったプッシュプルアンプが出来上がりました。これまで使ってきたWE300Bシングルとは違った味を出してくれます。聴きにお見えになりませんか。」

と、オーディオ仲間のNさん(大分市)からお呼びがかかったのはつい数日前のことだった。

「6550」といえば、「KT88」(イギリス)と並び称されるアメリカの大出力管である。


「ハイ、もう喜んでお伺いします。」と、一つ返事で、クルマで40分ほどのNさん宅にすぐに駆けつけた。

ジャズ一辺倒のNさんは真空管アンプの製作もお手の物でこれまではずっと自作の「WE300Bシングル」を使っておられた。

     

Nさんは圧倒的なレコード党でフォノイコもプリアンプも自作されている。スピーカーはアルテックの「A5」で、今回の「6550プッシュプル」はラックの下段に収められていた。

     

元からあった2A3のプッシュプルを改造されたとのことで、くりぬきのウッドシャーシとタンゴの大型出力トランスが目を引く。

Nさん宅ではこれまで何度も「WE300Bシングル」(モノ×2台)で聴かせてもらったが、プッシュプルアンプとの違いは歴然だった。

「ジャズは音の勢いで勝負するところがありますので、その点6550はピッタリですね。音を押し出す力が増したせいか音のエッジがくっきり浮き出てきました。低音域の締まり具合も見事なものです。このスピーカーはプッシュプルアンプが向いているような気がしますよ。」

「そうなんです。」とご満悦そうなNさん。

真空管アンプ党を大きく分けると「シングル」派と「プッシュプル」派に大きく分けられそうである。

前者は小出力のもとで音の繊細さを愛でる傾向があるし、後者は大出力のもとで音の力強さを愛でる傾向があるといっても大きな間違いではなかろう。

我が家の場合は圧倒的なシングル党でプッシュプルアンプは1台しか持っていない。

それも小出力の「171Aプッシュプル」だから胸を張って「プッシュプルアンプ」党とはとても言えないが、いつの日かしっかりした「プッシュプルアンプ」で「AXIOM80」から力強い低音を引き出したい願望が無いと言ったらウソになるなあ~。

この質のいい「6550プッシュプルアンプ」にはそう思わせるものがあった。

「お前はつい先日のブログで話題にした071シングルで満足しているはずなのに、いまだに低音にこだわっているのか」と叱られそうだが、なかなか「低音へのこだわり」からすっきり抜け出せそうにないというのがホンネだ。

山頂を目指して、いろんな登り道があるオーディオにはそれぞれに様々な隘路が横たわっているが、「低音をいかに処理するか」に、マニアの個性が集約されているように思う。


ローエンドまでスッキリ伸び切らない低音域の量感をいたずらに増やしても中高音域に被ってきて音全体が濁って聴こえてしまう経験を嫌というほど積み重ねてきたので、それぐらいならいっそのこと低音を諦めて、ひたすら音の彫琢を楽しんだ方がいいとこれまで割り切ってきた。

そういうわけで、ときどき「よそ様」の「仰々しいシステム」をブログなどで拝見すると、低音域用にSPユニットをいくつも使ったり、あるいはスピード感に問題がある大口径のユニットを使っているマニアがいたりして、どうしてそんなものが必要なんだろうかとつい思ってしまう。

スピーカーはフルレンジが基本であって、それではどうしても周波数レンジに物足りなさを覚える人間が2ウェイ、3ウェイへと走っていくが、その代償として音楽鑑賞にとって大切な「音像定位」のいくばくかが失われていく。

したがって、最終的には「周波数レンジ」を優先するか、「音像定位」を優先するかが各自の胸元に鋭く突き付けられてくる。

もちろん両立するに越したことはないし、そもそもそんなことは個々の勝手でいいも悪いもないのだが、音楽好きな人間ほど「音像定位」を優先する傾向があると言ったら手前味噌だろうか(笑)。

以上、Nさん宅の「6550プッシュプルアンプ」のバランスのいい音を聴かせていただきながらつい問題提起させてもらった。

どうせ「独断と偏見」なので悪しからず(笑)~。

 




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美男美女はほんとうに得か?

2018年06月21日 | 復刻シリーズ

「経済学的思考のセンス」(2005.12.20、中公新書刊)いう本がある。

                  

著者は大竹文雄氏(大阪大学社会経済研究所教授)だが、序文の終わりに身近に
ある”さまざまな格差”を経済学で考えてみることで、経済学的思考のセンスを体得していただければ幸い」だとある。 

さて、その身近にある格差にもいろんなものがあるが、日常で一番意識に上るのは「所得の格差」、つまり「お金持ちか、貧乏人か」という区別だろう。

ただ、これは運、不運もたしかにあるが個人の「才能」や「心がけ」、「努力」などもまったく無視するわけにもいかず、多分に因果応報の面もあって
「まあ、しょうがないか」と思うこと無しとしない。

ところが、人間の努力とは一切関係がない単なる生まれついての
「容姿」
による格差がどの程度人生に得失を生じさせるかというのは不条理な面があってなかなか興味深いテーマである。

ということで、本書の14頁に次の小節があった。

☆ 美男美女は本当に得か?」

これの正確な解答を得るためには、昔「美男美女」だった該当者に人生の終末になって、「あなたは美男美女だったおかげで人生を得したと思いますか?」と沢山のアンケートをとって、集計するのがいいような気もするが、本書では経済学的な視点から
労働市場において「いい就職機会を得るのか」「より高い賃金を受け取るのか」「昇進が早いのか」といったことに焦点を絞って考察している。

以下、要約してみると、

残念なことに「美男美女は得か」の
実証研究は日本ではまだなされていないが、
アメリカではこのテーマでの事例がある。(テキサス大学ハマメシュ教授)

それによると「美男美女」は「不器量」な人よりも高い賃金を得ていることが明らかになっており、さらに重役の美男美女度が高いほど企業の実績がいいとあって、むしろ業績がいいからその会社に美男美女の重役がいるという逆の因果関係も確認されている。

ここで一つの疑問が出される
「美人」の定義
である。

「たで食う虫も好き好き」という言葉にもあるように、人によって美の尺度はさまざまなのでそのような主観的なものが、厳密な実証分析に耐えられるものだろうかということと、さらに、そもそも
「美人の経済学的研究」意味があることなのだろうか、ということなのだが、実際には、

 美人が労働市場で得をしているかどうか


〇 得をしているとしたらどういう理由なのか

この2点を明らかにすることは「労働経済学的」にきわめて重要なことだという。

なぜなら、公平かつ機会均等の観点から、生まれつきの容姿の差による所得格差を解消するとしたら、ハーバード大学のバロー教授が提案する「美男美女に税金を課す」「不器量な人間に補助金を交付する」が経済学的に正しい政策となるからだ。

まり、美男美女は努力なしに生まれつき得をしているので税金を納める必要があるし、不器量な人はもらった補助金で「リクルート整形」をするのも自由だし、うっぷん晴らしに娯楽に使うのも自由となることで社会的な調和が保てるというわけ。

ただし、これは具体的な手段が難しい。たとえば自己申告制にした場合
「美男美女税」「不器量補助金」の申請者数がどの程度になるのか皆目分からないのが難点。「美男美女税負担者証明書」を発行することにすれば大幅税収アップを見込めるかもしれない

かいつまむと以上のような内容で、バロー教授が提案する「美男美女税」には思わず笑ってしまったが、結局「美男美女は本当に得か?」
正しい考察には経済学的視点以外にも遺伝学、社会学、哲学、心理学、芸術などいろんな分野を総動員することが必要ではないかという気がする。

たとえば、ベートーヴェンは醜男だったそうで生涯にわたって女性にまったくモテずずっと独身を通して子供もいなかったが、それが逆にエネルギーとなって内面的に深~い進化を遂げ、跡継ぎになる子供の存在なんかとは比較にならない程の偉大な作品を次々に後世に遺していった。

現代のクラシック音楽界は彼の作品抜きには考えられないので、ベートーヴェンがもし美男だったとしたら私たちは音楽芸術を今のようには享受できなかったかもしれず、音楽産業にしても随分と縮小したことだろう。これは人類にとって大きな損失ではなかろうか。

また、古典「徒然草」(兼好法師)では「素性とか容貌は生まれついてのものだからしようがないけれど、それ以上に大切なのは賢いことであって、学才がないとかえって素性の劣った憎々しい顔の人にやり込められる」という「段」がある。

というわけで、このテーマは大上段に振りかぶってはみたものの「外見よりも内面が大切」という「ありきたりの結論」で終わりにするのが無難のようだ。

アッ、最後になって色男 金と力は 無かりけり」いう句を思い出した!(笑)


  


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躍動する「71系」真空管

2018年06月19日 | オーディオ談義

そもそもの始まりは「PX25シングル」アンプだった。

   

左側2本の前段管は「SX-112」(トリタンフィラメント:1930年前後)という球だが、これを運よく専門家から3本手に入れたので既存の前段管が不要になってしまった。

たとえば「LS7」(GEC)、「3A/107B」(STC)、「3A/109B」、「3A/110B」といったイギリス勢の面々。

遊ばせておくのも勿体ないので、何とか有効活用はできないものかと「無い知恵」を振り絞った結果、思いついたのが手持ちの「71系シングルアンプ」への転用だった。

    

この姉妹のような2台の「71系」アンプはいずれもオークションで落札したものだが、例によって2台とも改造を施してインターステージトランスを挿入したが、左側のアンプの改造がどうも中途半端に終わってしまった。

前段管に「6SN7」を使ってあるが、この球には以前から疑惑の眼を向けている。日頃から古典管の薫陶を受けている身にとっては、丈夫さはわかるものの肝心の音質となると「?」(笑)。

そこで、前述した「LS7」と入れ替えられるといいんだがなあ~。

「6SN7」は傍熱管であり、「LS7」は直熱管なので、電源部の改造が必要のようだ。もちろんソケットの形状も違うが、素人にはそんなことくらいしか思いつかない(笑)。

どうも簡単には行きそうもないがアンプの製造歴が軽く40年をオーバーするKさん(大分市)に相談を持ち掛けてみると「ああ、工夫すればできないことはないですよ。今ちょっと立て込んでますので1か月後ぐらいには何とか完成できると思います。」

そしてアンプを預けて首を長くして待つこと1か月余り、Kさんから「ご在宅ですか。ようやく出来上がりましたので今から持参します。」と朗報が入った。

つい先日の「6A3」真空管に続いて我が家の真空管アンプ群はこのところ「シュトルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)の状態だ(笑)。

    

これが改造してもらったアンプで、左から前段管の「LS7」(GEC)、出力管「071」(ARCTURAS:フィラメント電流0.5V仕様)、整流管「80S」(STC)という、まことに豪華な布陣である。持ち主が言うのもちょっと何だが、球の値段の方がアンプ本体よりも高価とはこれいかに(笑)。

さっそくKさんを交えて「AXIOM80」で試聴したが、「LS7」の増幅率「μ」(ミュー)は12前後、「6SN7」の「μ」は18前後なので効率はやや落ちるが、プリアンプの目盛りをちょっと上げればいい程度だったし、音質の差はもう「月とスッポン」で透明感が段違い!

この「071シングル」の出来栄えに大いに喜びつつ「いやあ、おかげさまでありがとうございました。」と、凄腕のKさんに感謝感激。

1時間ほどでKさんが辞去されたので「AXIOM80」をぶっ続けで5時間ほど鳴らし込んでみたが、何とも言えない色気が醸し出されるし、聴き疲れがしないしで超ハッピー(笑)。

さっそくシステムの編成を再構築した。

 「AXIOM80」には「071シングル」

 「ワーフェデール2ウェイ」には「PX25シングル」

 「LE8T」には「171Aプッシュプル」

 JBL「D130」+ワーフェデール「スーパー3」

  「D130」(~2500ヘルツ)には「6A3シングル」

  「ス-パー3」(2500ヘルツ~)には「171シングル」

これが今のところ適材適所による我が家のベストの布陣だろう。「6A3シングル」は万能選手なのでどんな守備位置でもこなせるが、「D130」(口径38センチ:イン・ウェストミンスター)が相手となると不足はない。唯一の大型システムが緻密な音像に見事に変身(笑)。

それにしても我が家における「71系真空管」の躍動ぶりには驚く。現役として出力管8本、前段管2本合わせて10本(すべてナス管)も使っているのだから、これほど恩恵を被っている例も珍しかろう。

インターステージ・トランスや出力トランスの選り好みも無く、「球の選択に困ったときは71系を使え」という名言があるが、万事に控えめで朴訥そのものの飽きがこない音質にまったく「71系さまさま」である。




 


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「6A3シングル」 VS 「PX25シングル」

2018年06月16日 | オーディオ談義

一躍我が家のオーディオに革命をもたらしてくれた「6A3シングル」アンプだが、前回、前々回のブログなどで、もしかして「お前はちょっとはしゃぎ過ぎだ!」と不快の念をお持ちの方がいるかもしれない。

幕末の英傑「高杉晋作」の辞世の句に「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」というのがある。意味は「この世を面白くさせるのも、面白いことが無い世にするのも自分の心の持ちよう次第だ。」

つまり、さしたる波乱のない日常生活においてなるべく自分の心を「はやし立てる」ように意識しているのでどうか悪しからず(笑)。

さて、3系統のスピーカーをたらいまわしにして、いろんな曲目を聴きあさってみたものの、第一の関心事はやはり既存のアンプとの違いで、それも「PX25」シングルアンプとの聴き比べに焦点が絞られる。

   

左が「PX25シングル」アンプ、右が「6A3シングル」アンプだが、古来「両雄並び立たず」という言葉があるが、はたしてどちらが優れているのか!

すぐに優劣を決めたがるのは自分の悪いクセだ(笑)。

興味津々のもと、耳を澄ましての試聴の結果ではやはりスピーカーごとに相性があるようで、「AXIOM80」と「LE8T」では「6A3」に軍配が上がり、「ワーフェデールの2ウェイ」で聴くクラシックは「奥ゆかしさ」という面から「PX25」に一日の長があるように思った。

こういうときは自分であれこれ考えても仕方がないので「生き証人」に来てもらうに限る(笑)。

例によって近所にお住いのYさんに「新たに6A3という凄い球を手に入れましたよ。聴きにお見えになりませんか。」

すると「それは楽しみですねえ。今から行きます。」と一つ返事(笑)。

はじめに「AXIOM80」(最初期版)を聴いていただいた。「とても粒立ちがいい音ですね。見事です。」

試聴盤として持参されたのは「バレエ<三角帽子>」(ファリャ作曲:アンセルメ指揮:デッカ盤)だったが、流石にアナログ時代のデッカだけあって極め付きの優秀録音に舌を巻いた。

そのうちYさんから「ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番を聴かせていただきたいのですがお持ちですか。」

「あ~、キーシンとミケランジェリが弾いたのならありますよ。べート-ベンなら4番と5番が有名ですが1番がお好きとは珍しいですね。」

「画家の若描きという言葉がありますが、初々しさがとても気に入ってます。ミケランジェリの方を聴いてみたいですね。」

ガチガチの正統派のクラシックを聴くのなら、やはり「ワーフェデールの2ウェイ」(赤帯マグネット)の出番だ。

はじめに、「6A3」で聴き、途中から「PX25」に切り替えた。

実を言うと1番は初めて聴いたのだが想像以上に良かった。ミケランジェリだからこそかもしれないが、抒情性がそこかしこに醸し出されていてたいへんGOOD。日頃から「モーツァルト絶対」人間だが、久しぶりに聴くベートーベンもなかなかいい(笑)。

それにしても、あまりに沈思黙考しながら聴きふけるYさんに痺れを切らして、とうとう「どちらのアンプがお好みでしょうか?」

「えっ、オーディオモードから鑑賞モードにすっかり切り替わって、つい音楽に引きずりこまれていました。どちらがいいとか悪いとかはちょっと・・・」

「そうなんです!PX25はオーディオ的にどうこう言えるような音ではないですね。このアンプで聴くと、いつも音楽の方に意識がいってしまいます。さすがはブリティッシュサウンドの雄ですよ。」

というわけで、我が家の場合はどうやら「両雄並び立つ」ようでして(笑)。

 




 


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隠れた名管~その2~

2018年06月14日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「北国の真空管博士」からご提供があった出力管「6A3」を「WE300B」(1951年製)と挿し換えて聴いてみたところ想像以上に「いい音」が出た。

          

周知のとおり、音を言葉で形容するのにもいろんな要素があり個人ごとの好みも様々だが、自分の場合の尺度はなんといっても
「鮮度」、「色気」そして「琴線に触れる」とでもいうのか「胸にきゅんとくる哀愁感」
に尽きる、この三者を見事に兼ね備えているのが何ともうれしくなる!

出力管を換えるだけでこれほど「音の表情」が一変するのか、と真空管の選択の奥深さに深~い感銘を受けつつ、さっそく博士にご注進。

「いやあ、いい音ですねえ。新品ということもあるのでしょうがWE300Bに優るとも劣らない凄い真空管ですよ。お値段もビンボー人向きなので助かります。スペアをあと2,3本欲しいのでぜひ確保をお願いします。それから、この真空管はブログで型番を公開しても構いませんかね。」

すると「ああ、構いませんよ。良質の6A3ともなるとオークションで購入するのはなかなか難しいでしょうし、アンプの製作にもノウハウが必要ですから競り合いとはおよそ無縁の代物でしょう。」

博士については真空管の「生きた知識」に関して日本有数の方だと思っているが、いつもオープンの姿勢でいたずらに「もったいぶる」ことがないのはとてもありがたい

この世界ではどうでもいいようなノウハウを秘密にしたがる「変人奇人」が多いのだが(笑)。


追って、博士から次のようなメールが届いた。

6A3は1935年にシルバニアが発表したと思われます。フィラメントの形状を見るとヨーロッパ管の影響が見て取れます。 

10往復フィラメントのRCA2A3(一枚プレート)に4往復のフィラメントで対抗するにはヨーロッパに学ぶ必要があったのかもしれません。 

(当時真空管の製造技術はヨーロッパのほうが優れていました) 

その甲斐あってかチューブテスタでGmを実測すると6A3の方が2A3より高く、規格表に近い数値が出ます。 

6A3は良く出来た球なのですが日本では知名度が低いためか製作例は意外と少なく、その実力は正しく評価されていません。 

2A3の2枚プレートと6A3の音を比べてみると6A3の方が音のヌケが良く2A3にありがちな中域の音の濁りをあまり感じません。 

更には、私の開発した裏技回路を組み合わせればWE300Bや一枚プレートの2A3にも引けをとらない音が実現できます。  

(フィラメント電圧が6V規格の)6A3の程度の良い球であれば(フィラメント電圧を)5Vに下げても十分なエミッションを発生します。 

それゆえWE300Bアンプの動作がEp325V以下、プレート損失15W以下であれば差し替え可能です。 

もちろん私が改造したあなたのWE300Bアンプの動作はその範囲に収まっていますので6A3が使えます。 

 なお、71Aシングルアンプでも6A3は使えると思いますが、アンプのフィラメント電流供給能力がギリギリなので長時間の使用はお勧めできません。」

以上のとおり、微に入り細にわたる博士のご解説だが、結局有名な「2A3」真空管に比べてフィラメント電圧が6Vなので「6A3」というわけ。

我が家のケースでは、アンプの回路やインターステージトランスなどとの相性がよほど良かったに違いない。

いずれにしても、我が家ではこれから由緒ある「WE300Bシングル」から「6A3シングル」へとアンプの呼称を変更することにしたが「名を捨てて実をとる」のがポリシーなので、まったく抵抗感はなし(笑)。

そして改めて「6A3」の実力に慄きながら手持ちの3系統のスピーカーに次から次に繋いで本格的に試聴してみた。

「これがAXIOM80本来の色気のある音なのか!」「ワーフェデールからこんなに鮮度の高い音が出るのか!」と驚きの連続、そして一番イメージが変わったのがJBLの「LE8T」だった。

          

イギリス勢に押されてやや影の薄かったスピーカーだがまさに名誉挽回で力強くて歯切れのいい低音域と、音のスピード感に舌を巻いた。もちろんサブウーファーの必要性は微塵も感じさせない。

口径20センチのメリットをフルに発揮した「JBLサウンド」に欣喜雀躍したが、この「6A3シングル」で聴くとほかのアンプが「普通の音」になってしまうのがちょっと怖い(笑)。

いずれにしても、これはほんの一例でほかにもまだ世に知られていない「隠れた名管」がきっとあるに違いない。たとえば博士によるとドイツ製の真空管の中にも第二次世界大戦による爆撃を辛うじて免れた知られざる名管が残されているそうだ。

したがって現在高名な真空管を使っているからといって、ゆめゆめ油断してはいけないのがこの奥深い真空管の世界ではないかと思う今日この頃~。




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隠れた名管~その1~

2018年06月12日 | オーディオ談義

長いか短いかは別にして、これまで50年近い我がオーディオライフを振り返ってみると、やはりキーポイントはスピーカーとアンプの選択に尽きるように思う。

まず好みの音を出すスピーカーを選び、次に相性のいいアンプと組み合わせる。これだけでオーディオは8割がた完成すると思っているが、
スピーカー選びの方は比較的単純だ。有名無名を含めて実力のあるスピーカーはもうあまねく出回っていて本人の熱意と懐具合でいかようにも手に入るので「取りこぼし」はまず考えられない。

問題はアンプである。特に響きがプアなデジタルオーディオにおいて重宝するのが真空管アンプだが、この世界は実に奥が深い。

電圧増幅管、出力管、整流管といった違った役割を持つ膨大な真空管の中からどういう球を選択し、組み合わせるかはもうノウハウの極致だろう。

たとえば、有名どころの真空管といえば「WE300Bオールド」(アメリカ)「PP5/400」(イギリス)、「V503 or PL40」(イギリス)あたりとおおよそ相場が決まっているが、実はこれらは氷山の一角に過ぎず、未だ世に知られていない「隠れた名管」がほかにも実存するのを、このほど身をもって体験したので述べてみよう。

まず、そもそものきっかけは「71Aプッシュプル」アンプだった。

      

プッシュプル方式なので出力管が左右両チャンネルで2本づつ要るが、先日のブログで述べたように特性の揃わないペアを使ったばかりに高音域が歪んでたいへんな目にあった。

そこで、例によって「北国の真空管博士」のご厚意により手持ちの71系真空管をすべて送ってペア取りをしてもらうことになった。10日ほど経って戻ってきたのがこれ。

          

ご覧のとおりすべて縦置きだが、真空管の「送迎」はすべてかくあるべし(笑)。

博士からチューブテスター「ヒコック533」で測定してもらった結果、劣化した真空管が3割ほどもあったのにはがっかりした。まあ、オークションでの選択眼が無かったのだからこれは自己責任。

ペア取りは辛うじて2ペアだけが生き残り、あとは特性がまちまちですべてシングルアンプ用として使うしかなかった。

今回はついでに以前故障した「PX25」(イギリス)も同梱しておいたところ、博士によると「管内に空気が入っていて回復不可能です。運が悪いとしか言いようがありません。この球は急にこういうケースになることがときどきあります。」

まあ、そういうわけでダメな真空管が出てきたせいで戻りの荷物のスペースに余裕が生じてしまった。

すると、博士から「多分あなたのWE300Bアンプと相性がいいと思いますので「6A3」という出力管を3本同梱しておきます。新品でシルヴァニアの全盛時代のものです。刻印物ですが、気に入らないときはもちろん返却OKです。」

正直言うと「6A3」なんてこれまで聞いたことが無い球なので、あまり期待しなかったがせっかくの博士のご好意なので無にしては悪いという程度だった(笑)。

到着後に、さっそく「WE300B」(1951年製)と差し替えて聴いてみたところ、これがまあ信じられないような音を出してくれた!

    

以下、続く。


 


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やたらに大声を出すお医者さん

2018年06月10日 | 独り言

毎月1回程度のペースで薬をもらうために訪れるお医者さん(クリニック)はとても元気のいいタイプで年のころ45歳前後とお見受けしている。

もう5年ほど通い詰めているが、このお医者さんは何しろ待合室まで聞こえるような大声を出すのが特徴。

あるとき、たぶん胃カメラ検査の後だと思うが、「〇〇さ~ん、これはガンですがまだ初期ですから大丈夫ですよ~。」という声が耳に入ってきた。

ビックリ仰天した!

個人情報の保護が声高に叫ばれるこの時代にこの有様だからもう呆れてものが言えない。待合室からしょんぼり出てくる患者さんの顔がお気の毒でとても見ちゃおれなかった。

自分の場合だって、診察室に入るなり開口一番(先月の血液検査の結果を踏まえて)「〇〇さ~ん、また血糖値が悪くなってるよ~。」と言われることが再々ある。

まったく、食べ過ぎ、飲み過ぎによる「薄志弱行の徒」を証明しているようなもので、恥ずかしいのなんのってもうたまらん(笑)。

先日、待合室の患者が少ないときを見計らって、勇気を奮ってお医者さんに訊いてみた。「先生、いつも大きな声を出されますが何か意図があるんでしょうか?」

「エッ、大声の理由ですか・・・。まず耳の遠い患者さんが意外に多いのが一つ、もう一つは小さい声だといかにも自信無さげなので患者さんが不安になる気持ちを少しでも払拭できればと思っています。」

「はあ、そうですか・・・。そういうことなら診察室のドアを分厚い防音扉にしたらいかがでしょうか。」と、喉まで出かかったが、そういう差し出がましいことはとうとう口に出せなかった。

いつぞやのテレビで名医と称される現役のお医者さんが「患者のことを親身になって考えてくれる
のがほんとうのいい医者です。」と言っていた。

このお医者さんは流れ作業の診察でやたらに薬を出す傾向があるし、目下、転院を真剣に検討中(笑)。


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音楽好きが理系人間に多いのはなぜ?~最終回~

2018年06月08日 | 復刻シリーズ

前回からの続きです。

「音楽好きが理系人間に多い」理由の手がかりを求めて「音楽と数学の交差」という本を読んでみたが、なにぶん自分の読解力では荷が重すぎたようで完全に理解するにはほど遠かったが、概ね理解したエキスを記して恰好だけつけておこう。

「古代ギリシャでは数論(算術)、音楽、幾何学、天文学が数学の4大科目とされていた。そのうち音楽は数の比を扱う分野とされ、美しい音楽は調和のとれた音の比によって成り立っており、それこそが美の原点と考えられた。

もっともよく協和する二つの高さの音は1対2の関係(つまり1オクターブ)により作られているというように、ここでは常に音は数と対応して考えられ、また美しい数の比は美しい音楽を表すとも考えられた。

そもそも音楽は数学とは切っても切れない関係にあり、メロディーもビート(拍)も和音も、数の並びそのものである。つまり書かれた音符は数の並びなのである。数として認識された音は、身体的行為としての演奏を通して音楽になる。

したがって、私たちは何気なしに音楽を聴いているが、それは無意識のうちに数学にふれていることにほかならない。

「音楽を考えることは数学を考えることであり、数学を考えることは音楽を考えることである」
 

とまあ、簡単に噛み砕くと以上のような話だった。音楽を長時間聴いたりすると自然に(頭が)疲れてしまう経験もこれで説明がつくのかもしれない。

とにかく、本書は超難しかったが数学とは切っても切れない縁を持つ理系人間に音楽好きが多い理由が、これで何となく分かってもらえたかな~?

「ど~もよく分からん、もっと詳しく知りたい」という方は、直接本書を読んで欲しい(笑)。

さて、実はこのことよりも、もっと興味のある事柄がこの本には記載されていたのでそれを紹介しておこう。こういう思わぬ“拾いもの”があるから濫読はやめられない。

第3章では数学家(桜井氏)と音楽家(坂口氏)の対談方式になっており、数学の観点から「アナログのレコードとCDではどちらの音がいいか」について論じられた箇所があった。(158頁)

数学家「これは数学と物理学で説明できます。デジタルを究極にしたのがアナログです。レコードの音はアナログだから時代遅れだと思う方がいるかもしれませんが、数学を勉強した人は逆なのです。アナログの音が究極の音なのです。

CDは1秒間を44.1K(キロ)、つまり4万4100分割しています。その分割した音をサンプリングと言って電圧に変換してその値を記録する。これをA/D(アナログ→デジタル)変換といいますが、このCDになったデジタルデータはフーリエ変換によってアナログに戻されます。

しかし、レコードの原理はマイクから録った音の波形をそのままカッティングするので原音に近いのです。だから究極では情報量に圧倒的な差があるのです。CDは情報量を削っているから、あんなに小さく安くなっていて便利なのです。」

音楽家「ただし、アナログで圧倒的にいい音を聴くためには何百万ものお金が必要になりますよね(笑)」

数学家「それなりのリスニングルームとそれなりの装置と、そこに費やされる努力はいかほどか・・・。だから趣味になってしまうんです。それはやはり究極の贅沢みたいなことになります。そんなことは実際に出来ないということでCDができて、さらにiPodができて、どんどんデジタルの音になっています。」

音楽家「結局、それで一つの文化というものが作られました。アナログの時代には“オーディオマニア”という人種がいたのだけれども、今、そういう人種はいなくなってしまいましたね。ほんのわずかに残っているみたいですが。」

その「ほんのわずかに残っている人種」のうちの一人が自分というわけだが(笑)、いまだに続いているアナログとデジタルの優劣論争においてこの理論は特に目新しくはないものの、いざ改めて専門家からこんな風に断定されると、
現代の流行り「ハイレゾ」をどんなに詰めてみても所詮「アナログには適わない」ということを頭の片隅に置いておいた方が良さそうだ。

自分のケースでは15年以上も前にワディアのデジタルシステムを購入してアナログとあっさり手を切ったわけだが、それではたしてよかったのかどうか?

その後にはさらにエスカレートして「ワディア」から「dCS」に乗り換えてしまったがこれらの機器の
値段を書くと「お前はバカの上塗りか!」と言われそうなので差し控えるが、これだけのお金をアナログに投資する術もあったのかもしれない。

   

つい最近でも仲間の家でレコードの音を聴かせてもらったが実に自然な「高音域」が出ているのに感心した。

いまだにアナログに拘る人の存在理由を改めて現実に思い知らされたわけだが、貴重なレコード針が手に入りにくくなったり、ターンテーブルの高さやフォノモーターの回転精度、アームの形状で音が変わったり、有名盤のレコードがたいへんな値上がりをしていたりと、いろいろ腐心されていたのでレコードマニアにはそれなりの悩みもあるようだ。

また、真空管プリやパワーアンプ、あるいはスピーカーなど周辺システムに細心の注意を払ったCDシステムと、幾分かでもそれらに手を抜いた場合のレコードシステムのどちらがいい音かという総合的な問題も当然ある。

俯瞰(ふかん)しないと、その優劣について何とも言えないのがそれぞれの現実的なオーディオというものだろう。


まあ、CDにはCDの良さもあって、前述のようにソフトの安さ、取り扱い回しの便利さなどがあるわけだし、今さらアナログに戻るのはたいへんな手間がかかるし、第一、肝心のレコードはすべて処分してしまっている。

もはや乗ってしまった船でオーディオ航路の終着駅もぼちぼち見えてきたので、CDで「潔く“良し”とするかなあ」と思う今日この頃(笑)。

 


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音楽好きが理系人間に多いのはなぜ?~その1~

2018年06月07日 | 復刻シリーズ

つい先日、高校時代の同級生(福岡在住3名)から連絡があって、我が家での試聴会の日程が6月好日に決まった。

メールのやり取りは別にして、およそ3年ぶりぐらいの再会になる。在学中はそれほど親しい仲でもなかったが、ブログを通じてお互いに音楽好きだと分かりお付き合いが始まった。

ただし、よく考えてみると3名とも理系出身である。卒業後の進路は建築科、機械科、電気科と見事に色分けされるし、自分だって理系の“端くれ”なのでいわば4人すべてが理系を専攻している。

”たまたま”かもしれないが、「4人そろって」となると確率的にみてどう考えても意味がありそうである。

全員がオーディオというよりも音楽の方を優先しているタイプで音楽を聴くときに、より興趣を深めるために仕方なくオーディオ機器に手を染めているというのが実状である。

つまり「音楽(クラシック)好きは理系人間に多い」。これは、なかなか興味深い事象である。

周知のとおり、ほとんどの人が高校時代に大学受験のため「文系と理系のどちらに進むか」の選択を迫られるが、これはその後の人生をかなり大きく左右する要素の一つとなっている。そのことは、一定の年齢に達した人たちのそれぞれが己の胸に問いかけてみるとお分かりだろう。

「自分がはたして理系、文系のどちらに向いているか」なんて、多感な青春時代の一時期に最終判断を求めるのは何だか酷のような気もするが、
生涯に亘る総合的な幸福度を勘案するとなれば、なるべくここで誤った選択をしないに越したことはない。

現代でも進路を決める際の大きな選択肢の一つとなっているのは、おそらく本人の好きな科目が拠り所になっているはずで、たとえば、数学、理科が好きな子は理系を志望し、国語、英語、社会などが好きな子は文系志望ということになる。もちろんその中には「数学は好き」という子がいても不思議ではない。

それで概ね大きなミスはないのだろうが、
さて、ここからいよいよ本論に入るとして、なぜ、音楽好きは理系人間に多いのだろうか。

その理由について実に示唆に富んだ興味深い本がある。

「音楽と数学の交差」(2011.5.20、桜井進、坂口博樹共著)

                      

音楽と数学の専門家によって書かれた本書の目次の一部を紹介してみよう。

1章 響き合う音楽と数学
   1 音を数えることから音楽は始まった
   2 数とは何か 
   3 宇宙の調和 根本原理を求めて
   4 音律と数列
   5 数学の中の音楽 素数の神秘
   6 音楽と数学の中の「無限」

といった調子だが、序文「はじめに」の中で音楽と数学の関わり合いについてこう述べられている。

「私たちは、数の世界の背後には深い抽象性があることを、ほとんど無意識で感じています。音楽によって与えられる快感は、ときにはこの抽象世界の中を感覚的に漂う心地よさで高まり、それは広がっていく心の小宇宙に浮遊し、魂が解放されるような感動まで到達することがあります。~中略~。音楽は数の比によって成り立っており、それを考える数学の一分野です。」(抜粋)

抽象的だけどなかなか含蓄のある文章だと思うが、要するに音楽は数の比によって成り立っており数学の一分野というわけ。

以下、さらに分け入ってみよう。

~次回へ続く~


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捕らぬ狸の皮算用

2018年06月05日 | オーディオ談義

つい最近のブログでも言及したように「我が家のオーディオは真空管無しでは完全に崩壊してしまう」と公言するほどの「真空管愛好家」を自認しているが、実はその影にはもはや使う見込みが無くなった真空管や、故障して使い物にならなくなった真空管が「おびただしい」数で横たわっている。

まさに「一将功なりて万骨枯る」(一人の将軍の輝かしい功名の陰には、戦場に命を捨てた多くの兵士がある。)の状態だ(笑)。

そこで、不要な真空管をオークションに出品したり、あるいは故障した真空管の寿命の確認や現用中の真空管のへたり具合を調べたいと思ったので、例によって「北国の真空管博士」に相談したところ、「チューブテスターがあれば便利ですよ。手元にいくつかありますので、再調整したうえで譲ってあげてもいいです。」

「それは助かります。ぜひお願いします。」というわけで、とんとん拍子に話が進んで、ほどなく我が家に到着したのがこのタイプ。HICKOK(ヒコック)の「533」という型番だった。

      

この画像はネットからの借用なのであまり冴えないが、現物はもっと程度がいいし、100Vから117V用への変換トランスも付属している。

チューブテスターとしてほかにも有名なのはオークションでの解説でも頻繁に登場する「TV-7」という機種があるが、博士によると「これは止めておいたほうがいいでしょう。」とのことだった。

ただし、これはおよそ1年半ほど前の話になる。

つまり、なぜチューブテスターを1年半もの長きにわたって放っておいたのか。

画像をご覧になってお分かりのとおり、素人にちょっと毛が生えたような自分にはとても使いこなせないような複雑な代物だった。意気込んではみたものの、とうとう使用方法を地道に研究する根気を持つまでには至らなかった。

もはや無用の長物に等しいので、そのうち、好事家にでもお譲りしようと思っていたところ、先日たまたまNさん(大分市)が我が家に試聴にお見えになった。

Nさんは真空管アンプを自作できるほどの腕前をお持ちの方で、我が家でも愛用中の「WE300Bシングル」(モノ×2台)を見事なまでに改造していただいている。

何かの話のついでに「我が家にチューブテスターがあるのですが、とても使い方が難しくて手を焼いています。」と、述べると、「ちょっと見せてください。」「ハイ、いいですよ。」と即答。

すると流石に万事理詰めで物事に取り組むNさんだった。10分ほどあちこち弄られていたが、「だいたい使い方が分かりましたよ。」。

「エ~ッ」と驚いた(笑)。

「このまま我が家に置いていても何の役にも立ちませんので、(チューブテスターを)持ち帰って、もっと使い方を詰めてくれませんか。うまくいったら、ときどき真空管を持っていって測定に協力していただけるとありがたいのですが。」と、虫のいいお願いをしてみた。

「ハイ、研究してみましょう。」

ああ、よかった!どうやらNさんのおかげで不要になった真空管をオークションに出品できそうだ。

「ヒコック533で測定済み」の表示ともなると、さぞかし付加価値が増して真空管の値が張ってくれることだろうと早くもワクワクしているが、どうか「捕らぬ狸の皮算用」になりませんように~(笑)。




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過去記事とのジレンマ

2018年06月02日 | 独り言

早いものでブログを始めてからもう11年余が経ち、記事の数も昨日(6月1日現在)で1860件に達した。

どちらかといえば物事を深~く掘り下げて考えるタイプではないし、はっきり言ってそういう能力もないが、“広く浅く”の雑学大好き人間なので、記事の内容の方もオーディオから音楽、読書、独り言までいろいろだが、やはり何といっても大好きなオーディオに関することが多くて延べで900件あまりとなりおよそ5割近くに達していて量的にはダントツの存在になっている。

とはいえ、この世界には「極めて研究熱心な先達がいて、上には上がある」ことを熟知しているのも事実。

したがって、こんなに沢山のオーディオ記事を恐れ気もなく投稿するなんて何ともはや厚かましい限りだともいえるが、「音の仕組み」にはたとえば「ケーブルによる音の違い」など変化指数が多すぎてまだ理論的にはっきりと解明されていない事柄が多いし、各人毎の感性も大きく左右するので、素人にちょっと毛の生えたような自分でもこの世界で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)出来るんだろうと分析している。

言い換えると「リアリティ優先」のもとに実際に体験したり見聞したことを「現象面」だけをとらえて投稿しているだけだが、原理原則をないがしろにしているせいか後で振り返ってみると、実は「あんなことを書いたけれど、今考えると間違いだったなあ」と思う記事がいくつもある。

「あなたの記事は以前書いたものと矛盾していますよ」という指摘があっても“ちっともおかしくない”が、まったくと言っていいほど無い。

さすがに賢明な読者の方々はおそらく「どうせ読み流しだ、細かいことを言ってもキリがない。指摘するのも面倒くさいし~。」と、メディア・リテラシーを存分に発揮されているに違いない(笑)。

さて、前置きが随分長くなったがそういう「過去記事とのジレンマ(板ばさみ)」として、いくばくかなりとも良心の呵責を覚えている例を、つい最近でも2件ほどあるので述べてみよう。

☆ JBL175ドライバーの落日

以前の記事で「JBL・D130」のコンビとしてあれほど「もてはやした」175ドライバーだが、つい最近手に入れたワーフェデールのツィーター「スーパー3」によって見る影もなくなってしまった。

         

ジャズではさすがに見事な存在感を示すのだが、我が家ではクラシック系統の試聴が9割方を占めており、さすがにこの分野では弦楽器群を自家薬籠中のものにした「スーパー3」の足元にも及ばない。

もはやよほどの心変わりでもない限り今後の出番がありそうもないが、まるで「手のひら返し」のような薄情な仕打ちに自責の念がふつふつと沸き起こってくる。

同時に(過去のブログで)「あんなに褒めそやさなければよかった」と後悔している今日この頃(笑)。

☆ JBL075ツィーターの出番

この「スーパー3」がらみでもう一つ。

つい先日、近所にお住いのYさんがお見えになった。「ワーフェデールのスーパー3が来たので試聴してみませんか」とお誘いしたわけだが、「どうです、いい音でしょう!」と自慢したい下心が無かったと言えばウソになる(笑)。

すると、しばらく聴かれていたYさんが「たしかに音の光沢とかは群を抜いていますが、もう少し上方のレンジが欲しい気もしますね~。」

「ウ~ン、そうですかねえ・・・」と、つい心の中に動揺が走ってしまった。

独りで聴くときはいつも音楽に熱中してしまい、つい音質の方がおろそかになってしまう傾向があるのを自覚しているが、こうして仲間と一緒に聴いていると妙に冷静になって音質のアラに気づきやすいのも事実。

「ちょっと、075ツィーターをつけ加えてみましょうかね。」と、すかさず動いた。接続は実に簡単でマイカ・コンデンサーをSPコードのプラス線に挿入してSPターミナルに接着するだけである。

        

「いやあ、音の色艶といいレンジといいこれで完璧ですね。マイカコンデンサーの値はどのくらいですか?」

「ハイ、0.075μFですよ。」 「すると、同じ075という数字になりますね。」

「エッ、?!」なるほどと、つい運命的なものを感じてしまった(笑)。

いずれにしても、この前のブログで「清澄感があるので075ツィーターを付け加える気にサラサラならない。」なんて偉そうにほざいたが、舌の根も乾かないうちにこういう始末だから、そのうちきっと罰が当たることだろう(笑)。

万事がこういう調子なので、この頼りない作者の記事の内容をけっして鵜呑みにしてはいけませんからね~。


これからも「過去記事とのジレンマ」は、ずっと続きそうだが「正直に勝るものなし」と自身を慰めている今日この頃(笑)。


 


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男性は女性よりなぜ早死に?

2018年06月01日 | 復刻シリーズ

アルファベットの「Y」という文字を見るとミステリーファンの一人として、ついエラリー・クィーンの「Yの悲劇」を連想する。

最後になって「ありえない犯人」の実像が示され、誰もが納得せざるをえないその緻密な論理構成はまことにミステリーの金字塔にふさわしい。

それはそれとして、今回は同じYでも
「Yの哀しみ」という遺伝子の話。

ご承知のとおり男性はXYの染色体(女性はXXの染色体)を持っているが残念なことにそれは基本仕様ではなく、生まれたときに片方にそのY遺伝子という貧乏くじを引いたばかりに女性よりも短命になっているという話である。

    「本が好き」〔光文社月刊誌)    

本誌に「できそこないの男たち~Yの哀しみ~」(36頁)というのがある。著者の福岡伸一氏は青山学院大学理工学部(化学・生命科学科)教授。

2016年の時点で日本人男性の平均寿命(生まれたばかりの男子の平均余命)は80.98歳であり、対して女性の平均寿命は87.14歳。ゼロ歳の時点ですでにおよそ6年もの差がある。

「女性の方が長生きできる」
この結果はすでに人口比に表れている。現在、日本では女性の方が300万人多いが、今から50年たつとその差は460万人にまで拡大する。

男女数の差は年齢を経るほどに拡大する。80歳を超えると男性の数は女性の半分になる。100歳を超える男性の数は女性の5分の1以下にすぎない。中年以降、世界は女性のものになるのである。

どうして男性の方が短命であり、女性のほうが長生きできるのだろうか。諸説ある。

☆ 
男の方が重労働をしているから
☆ 
危険な仕事に就くことが多いから
☆ 
虐げられているから
☆ 
男の人生の方がストレスが大きいから

いずれももっともらしい理由だが、6年もの平均寿命の差を生み出す理由としては薄弱である。

著者が着目したのは上記の理由がいずれも環境的要因に限られていることで、むしろ
生物学的な要因
に原因があるのではと焦点を当てて検証が進められていく。

その結果、世界中のありとあらゆる国で、ありとあらゆる民族や部族の中で、男性は女性よりも常に平均寿命が短い。そして、いつの時代でもどんな地域でも、あらゆる年齢層でも男の方が女よりも死にやすいというデータが示される。

結局、生物学的にみて男の方が弱い、それは無理に男を男たらしめたことの副作用
とでもいうべきものなのだという結論が示される。

その証として、取り上げられるのが日本人の死因のトップであるガン。

ガンは結構ポピュラーな病だがそれほど簡単にできるものではない。細胞がガン化し、際限ない増殖を開始し、そして転移し多数の場所で固体の秩序を破壊していくためには何段階もの「障壁」を乗り越える必要がある。

つまり多段階のステップとその都度障壁を乗り越えるような偶然が積み重なる必要があって、稀なことが複数回、連鎖的に発生しないとガンはガンにはなりえない。

それゆえに、確率という視点からみて
ガンの最大の支援者は時間
であり、年齢とともにガンの発症率が増加するのは周知のとおり。

もうひとつ、ガンに至るまでに大きな障壁が横たわっている。それが個体に備わっている
高度な防禦システム、免疫系
である。

人間が持つ白血球のうちナチュラルキラー細胞が、がん細胞を排除する役割を担っているが、何らかの理由でこの防禦能力が低下するとガンが暴走し始める。

近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。

つまり、主要な男性ホルモンである
テストステロンが免疫システムに抑制的に働く
という。

テストステロンの体内濃度が上昇すると、免疫細胞が抗体を産生する能力も、さらにはナチュラルキラー細胞など細胞性免疫の能力も低下する。これはガンのみならず感染症にも影響を及ぼす。

しかし、テストステロンこそは筋肉、骨格、体毛、あるいは脳に男性特有の男らしさをもたらすホルモンなのだ。

男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストステロンにさらされ続けている。これが男らしさの魅力の源だが、一方ではテストステロンが免疫系を傷つけ続けている可能性が大いにある。

何という両刃の剣の上を男は歩かされているのだろうか。

以上が「Yの哀しみ」の概略。

結局、「男性がなぜ女性よりも早死に?」の理由は「男性に生まれたばかりにYというありがたくない染色体を無理やり持たされ、男らしさを発揮した挙句に早死に」というのが結論だった。

ただし、同じ男性でも当然のごとくテストストロンの量に濃淡の差があるような気がする。

たとえば濃いタイプは筋骨隆々として野性味あふれた男らしい人物、その一方淡いタイプは「柳に風」のような細身の神経質そうな人物に色分けされ、前述した論調によると前者は「太くて短い」人生に、後者は「細くて長~い」人生とに分けられそうだ。

そして、クラシック音楽ファンともなるとことの性質上どうも後者に分類されるような気がするが、人生は「太くて長~い」が一番いいにきまっているので、どうもままならないのが残念(笑)。


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