「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

JBL「LE8T」の存在価値~その1~

2018年09月30日 | オーディオ談義

とても品が良くて思慮深い表現に尽きます。まるで「いぶし銀」のような光沢を放っていますが、見方によってはちょっと回りくどいような音ともいえます。

グッドマンのスピーカーを一言で形容すれば我が家では以上のような言葉になる。

「おい、おい、もっと歯切れよくストレートに言ってくれないかな。」と、まどろこしく思うことがときどきあって、そういうときはJBLスピーカーの出番になる。

日頃「芋焼酎」ばかり飲んでいる人間がときどき「ウィスキー」を飲みたくなるようなものだが(笑)、毎日ウィスキーばかりだと刺激が強すぎて身が持たないので登場の頻度としては「rarely」程度としておこう。

ちなみにご承知の方も多いと思うが「頻度」に応じた英語(副詞)を掲げておくと。

「100%=always」、「90~80%=usually」、「70~60%=often」、「50%=sometimes」、「40~30%=occasionally」、「20%=rarely」、「10%=seldom」、「0%=never」

日本語は「ときどき」という言葉で頻度の割合をすべて網羅しているが、やはりアングロサクソンは緻密だ(笑)。

そういうわけで登場する頻度は20%程度というわけだが、とにかく秋の青空のようにスカッと澄み切って屈託のないサウンドがJBLの持ち味である。

我が家のJBLサウンドは3系統あって、

1 口径20センチの「LE8T」(フルレンジ)

2 「D130」(口径38センチ:イン・ウェストミンスター)+175ドライバー

3 「D123」(口径30センチ)+ジェンセンのツィーター

このうち3はバッフルの入れ替え方式なので、現在は「トライアクショム」(グッドマン)が占拠しており聴こうとしたらやや面倒な作業が伴う。

また2もチャンデバによる2ウェイマルチ方式なのでスイッチを入れる箇所が多くやや大袈裟すぎて手軽に聴くというわけにはいかない。

そこで1の出番となる。手軽にJBLサウンドを味わうのはこれが一番。これは昨年(2017年)6月時の画像。

         

さ~て、これをどう料理しようかな(笑)。

以下、続く。

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思いがけないメール

2018年09月28日 | 独り言

ブログを始めてからこの10月でまる12年になる。

ずっと続けている理由をもし問われたとしたら、「ただ何となく習慣になっているので・・」としか答えようがないが、ごくたまにブログの内容に関して「思いがけないメール」をいただくことがある。

☆ 一番目のメール

つい先日、関東地方に在住のKさんから次のようなメールをいただいた。
 

「以前、何度かお便りさせてもらいましたTANNOYを使用しております〇〇町在住のKです。

過日の「音の大研究」(2018.9.11)についての投稿が大変参考になりました。拙宅ではアキュフェーズ社DG48を使用しておりまして日頃、調整を重ねている日々が続いておりましたが、今一つ「これだ!!」というカーブが出来ずに忸怩たる思いで過ごしておりました・・・
 
そこで〇〇様が投稿された耳の生理曲線に則ったカーブを作成したところビンゴでした。
 
それ以来、休日はもとより真夜中に起きだしてはDG48のカーブの試聴しつつ調整を行い5通りほど作り音楽に集中して鑑賞できるようになった次第です。
 
一番の収穫は古い録音(DG盤特有の粗悪なディジタルマスタリング等)が実に快く聴けるようになりました。
 
対して比較的新しい優秀録音盤は調整カーブを弄らない方が良い結果となった事も併せて報告いたします。
 
〇〇様もトライアクショムという名機を手に入れ音について一段落したとの仰せですが「迷える子羊」に今後とも有益な情報発信をして頂ければこれに勝る喜びはありません。」

以上のとおりだが、自分こそ「迷える子羊」(ストレイ・シープ)なので有益な情報発信なんてとても「おこがましい」けれど、拙いブログが人のお役に立てたとしたらそれはもう望外の喜びです(笑)。

すぐに返信メールを打った。

「お久しぶりです。メールありがとうございます。日頃のタンノイさんへの偏見をどうかお許しくださいね。

さて、当方の記事がお役に立ったとのことでとてもうれしいです。こういうお便りをいただくともっとブログを続けていこうと大きな推進力になります。

よろしかったらこのメールを「音の大研究」の広報材料にしたいと思いますので匿名を条件に引用させてもらっていいでしょうか?
どうかよろしくおご勘案の程お願いします。」

すると、

「TANNOY云々についてはご愛嬌という事で目くじらを立てることは有りませんのでどうかご安心を・・・(笑)
 
さて、私の拙い文章をブログにてUPしたいとのことですが別に構いませんよ。どうぞご自由にお使いくださいませ。」

どうもありがとうございます。

そういうわけで、過去記事「音の大研究」の中の「耳の生理曲線」のグラフを文章の一部とともに再掲させてもらおう。

「人間の音の感じ方が「周波数と音圧レベルの相関関係」によって左右されるという内容である。
たとえば、下図の「緑の線」のように「周波数1000ヘルツで音圧60デシベルの音」と「250ヘルツで70ベシデルの音」はどちらも同じ線上にあるので同じ大きさの音に聴こえるそうだ。」

   

☆ 二番目のメール

次のメールは東海地方在住のメル友「I」さんからだった。

「当方、NHKの朝ドラ「半分、青い。」のファンです。このドラマは悪人が一人も登場しません。もともと朝ドラはその傾向が強いのですが、今回はまた特別です。律はどうなるのでしょうか? 彼にはいままでいいことが何もなかったような・・ 笛が寂しい・・。カンちゃんの爆弾発言がどの方向か?個人的には、律と鈴愛を・・と思いますが・・。」

すぐに返信メールを打った。

「メールありがとうございます。私も「半分、青い」を毎日楽しく観ています。仰るとおりヒロインの相手役「律」に悲哀感が滲んでいますね。今後の展開はどうなるんでしょう。

さて、このドラマは「ヒロインの左側の耳が聞こえない」というハンディキャップが全編を通じ「通奏低音」となって流れているように思います。

なぜなら、ご承知のようにタイトルの「半分、青い」の意味は、雨音が聴こえない左側の耳はいつも「晴れている=青い」に由来しています。

当初は「青い=未熟」(たとえば「青二才」などの用例があります。)の意味がありますので、「いつまで経っても熟達しない」と曲解していました(笑)。

人間だれしも大なり小なりハンディキャップを抱えているものですが、それを本作のように前向きにとらえるか、それとも後ろ向きになるか大きな別れ道ですよね。

ちなみに、私は後ろ向きタイプですが(笑)、ときどき過去の分岐点を振り返ってあの日、あの時違った選択をしていたらどういう人生になっただろうかと思うことがよくあります。


この朝ドラはいろいろ考えさせられます。」

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JBLの「175ドライバー」 VS 「075ツィーター」

2018年09月26日 | オーディオ談義

散々遍歴を重ねてきたSPユニットも「トライアクショム」(グッドマン)の出現でどうやら一段落し、このところ関心は専ら大型スピーカーのウェストミンスターへ。

有名メーカーの既製品にもかかわらず中身をメチャ弄り回しているので誰もが想像できない音質のスピーカーに変身しているが、それをいいことに「書きたい放題」なのでこのくらい楽なことはない(笑)。

ブログのネタとして大助かりだが、今回はウェストミンスターの5000ヘルツ以上のツィーターを受け持つ機器をどれにするかで、JBLの「175ドライバー」と「075ツィーター」の一騎打ちを取り上げてみよう。

これまで何度も試しきた月並みな対決だが今回はちょっと事情が違う。駆動する真空管アンプに最適のものが見つかったのである!

それでは、経緯を追ってみよう。

つい先日、「トライアクショム」(グッドマン)と相性のいいベストアンプ探しをオーディオ仲間とトライしてみた。

4台の真空管アンプをとっかえひっかえしながら、3時間にわたって熱戦を繰り広げたところ「どれもこれも似たりよったりで、ほとんど差がつきませんね。」で一致を見たが、その中でひときわ仲間がゾッコンだったのが「6SN7アンプ」だった。

「このアンプが一番元気が良くてスピード感がありますね。」

     

「エッ、こんなアンプ持ってましたっけ?」と疑問の方もいるかもしれない(笑)。

実は知人に貸していたものをこのほどTRアンプと交換して回収してきたアンプである。概要を記しておこう。

前段管はSTCの「CV-569」(=ECC35=6SL7)、出力管はレイセオンの「6SN7」、整流管はムラードの「GZ32」、出力トランスは名門「TRIAD」(トライアッド:アメリカ)

偶然手に入れた「TRIAD」のトランスを生かしたいばかりにアンプ製作歴50年のKさん(大分市)に頼んで作ってもらったものである。

このアンプの特徴はすべてにわたって「小型」に尽きるが、そのおかげで音声信号に対する応答性は抜群でこれほどとは思わなかったので取り返して正解だった。逆にいえば真価に気付くのが遅かった(笑)。

ちなみに、いたずらに馬齢を重ねるばかりの50年近いオーディオ人生だが、原音に近づく要諦の第一は「音のスピード感」(音の立ち上がり、立下り)にあり、「間延びした低音は百害あって一利なし」とだけ申し添えておこう。

また、ついでの話だがこのアンプの製作にかかった経費は「WE300Bシングル」アンプ(銅板シャーシ)の1/7くらいなのでまったく言葉を失ってしまう(笑)。
             

このアンプをそのまま「トライアクショム」に使用してもいいのだが、スピード感を最大限に生かすにはやはり5000ヘルツ以上を受け持たせるのがベストだろう。

          

そういうわけで、このアンプのもとに「175」と「075」を相互に交換しながら試聴した結果は次のとおり。

☆ 175ドライバー

低音域(D130 )との繋がりはこちらの方がずっといい。シンバルの輝きが075に比べるとちょっと物足りないが厚みがあるのでそのマイナス部分を補って余りある。ヴァイオリンは075よりもずっと落ち着いた響きなのでクラシックを主体に聴くのであればこちらをとる。

☆ 075ツィーター

ジャズを聴くのならこれが一番。シンバルの輝きに焦点を絞れば075の右に出るツィーターはおそらくあるまい。ただし、弦楽器はちょっと金属的な響きになって苦しい。やはり075は3ウェイにして7000ヘルツくらいから受け持たせた方がよさそうだ。

以上のとおりで、当方は大の「モーツァルトファン」なので「175ドライバー」で決まり(笑)。

それにしても、たかだか5000ヘルツ以上を受け持つだけなのにアンプの選択次第でこれほど全体の響き具合が変わるのかと空恐ろしくなった。
 

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ボリュームを上げてもうるさくない音

2018年09月24日 | オーディオ談義

先日のブログ「オーディオ意欲が減退するSPユニット」(2018.9.15)がいまだに根強いアクセス数になっている。

普通ならブログを掲載して2日もすると霞の彼方に消えていくのが相場なので(笑)、どこか読者の興味を引くところがあったのだろう。

当方の推測するところ、それは2点あるように思う。

1 グッドマンの「トライアクショム」(口径30センチ:3ウェイ同軸)

          

希少というわけでもないがオークションでも3年に1回ぐらいの割合でしか登場しない比較的珍しいユニットだが、かねて狙っていたユニットなので即決で落札したが音質は期待に違わぬものだった。

「もうこの音で十分」と、オーディオ意欲が減退したのも事実で、このところオーディオ関係の記事が少なくなったのを読者はお気づきだろうか(笑)。

久しぶりにオーディオを忘れて音楽に聴き耽っている。

まあ、これにて一件落着といえば世話はないが、オーディオに終着駅がないのも事実でもっと高みを目指さねばと自らを鼓舞している毎日。

次に、読者の興味を惹いた2点目だが

2 「原音に近づく正しい音とは」について

「いい音とは何?」の指針のために某オーディオメーカーの「8か条のポイント」を羅列したが、やはり「いい音」に迷っておられる方がいるのではなかろうか。

こればかりは実体験としてたくさんの音を聴くしかないと思うが、参考になるものとして先達が苦労の末に到達された名言もたしかにあるが、どちらかといえば迷信に近いものもあったりしてなるべく自分で確かめたものしか信用しないことにしている。

ちなみにその8か条を再掲してみよう。

 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

 
音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

 
小さな音でも明瞭度が下がらない。

 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 
音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

 
試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

この8か条の中で一番半信半疑だったのが1の
「ボリュームを上げてもうるさくない音」

ボリュームを上げたら、そりゃあうるさくなるに決まっているけどなあ・・・(笑)。

ところが、昨日(23日)偶然のごとく「ボリュームを上げてもうるさくない音」に遭遇したのである。

経緯を述べてみよう。

ここ1~2年、良きオーディオ仲間に恵まれたおかげでプリアンプ(真空管式3台、TR式1台)が続々増えている。

選択肢が増えれば増えるほど音は良くなるので大歓迎だが、つい最近も1台手に入れた。「12AX7」が3本使ったアンプだが、中高音域に独特の艶があってなかなか捨てがたい味がある。

したがって、2台目のプリアンプとしてオーディオラックに容れるスペースをようやく見つけて設置したのはいいものの、パワーアンプまでのRCAコードが1mでは届かない。仕方がないので直し込んでいた1.5mのコードを使うことにした。

         

以前にオークションで購入したものの、一聴するなり「これはアカン」(笑)。全体的に音がバラバラになってしまいとても淡白のように聴こえてしまった。

したがって数年ぶりにあまり期待しないままに接続して聴いてみるとアッと驚いた。

音が塊りとなって出てこないのだ!

全体的に音の粒立ちがとても細かくて俗にいう低音とか高音を意識させない。たしかに、こういう音ならボリュームを上げてもうるさくならないよなあ。

ダメだと思ったRCAコードがアンプやスピーカーとの相性次第で蘇ったのだからほんとうに捨てなくてよかったが、はたしてこれが「原音に近づく正しい音」なのかどうか1週間ほど様子見が必要だろう。

使用したアンプは71A系の「171シングル」(トリタンフィラメント)。前段管は「MHL4」(GEC:イギリス)、整流管は80S(ブライマー:イギリス)。

        

スピーカーは当然のごとく「トライアクショム」だが、後日「AXIOM80」(最初期版)でも実験してみることにしよう。

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難聴予防の王道

2018年09月23日 | 復刻シリーズ

先日のブログの末尾に家人から「耳が遠くなりつつある」と指摘されたことを記したところ反響があったみたいで、さっそく過去記事「難聴予防の王道」へのアクセスがちらほら。

やはり音楽愛好家にとっては耳が遠くなることは切実な問題なのだろう。

「難聴予防の王道」はずっと昔の記事なので知らない方が大半だろうし改めて今風にアレンジして以下の通り再掲しますのでどうか参考にされてください。
 

音楽&オーディオ愛好家にとって耳の機能が衰えるというのは”恐怖の的”である。とにかく音がいいとか悪いとか以前の問題として、音が聴こえてこなければ音楽の楽しみようがない。 

したがって経年劣化は受け入れるとしても努力のしがいがあって、せめて耳の機能を最低限維持できればというのが現時点での最上の望みである。

2008年5月放映のNHKテレビ「ためしてがってん」では難聴になる一番の原因は「耳は臓器の一部であり血流による栄養補給が疎外されること」だとされていた。

その要旨を再現してみよう。

      

左から「有毛細胞」、「ダンス細胞」そして「難聴のリスク」である。
       
☆ 音が聞える仕組み

人間の耳の奥にある蝸牛(かぎゅう)という器官に有毛細胞が並んでおり、入り口に近い有毛細胞が高音を感じ、奥の方にある有毛細胞が低音を感知して振動し脳に伝えて音として認識される。

段々と高音が聞きづらくなるのは入り口に近い有毛細胞が高音も低音も感知して振動するので傷みやすく、加齢、騒音の聞き過ぎによるのが原因というのが定説。

☆ 先入観による「音韻修復」
 

男女10人による混声合唱団に対して実験が行われる。いずれも日頃音楽に親しみ耳に自信のある方ばかり。実験の内容はノイズをずっと聞かせて、その中に「さくら、さくら」のメロディが隠されておりそれを聞き分けることが出来た人が何人いるかというもの。

その結果、10人中8人がメロディが聞えたと手を挙げたがこれが大間違い。実はメロディは何ら含まれておらずタダの雑音ばかりで結局、聞えた8人というのは「気のせい」だった。

これはオーディオでもよくある話。

たとえば他家で、お値段が一桁違う高級なオーディオ装置の前に座らされ、見た目の豪華さも手伝っていかにも「いい音」を聴いた感じになるのだが、実は左右スピーカーのプラス・マイナスの結線が間違っていたり、ツィーターの片方が鳴っていなかったりすることはままある話で、いかに先入観が人間の聴覚を誤魔化すかという好例だ(笑)。

☆ 難聴のリスク要因とは?

1 加  齢 → 1.6倍  2 高脂血症 →  1.9倍  3 糖尿病 → 3.7倍  4 腎臓病 → 5.9倍

科学的な根拠として有毛細胞の根元に並んでいる「ダンス」細胞に正常な血液によってきちんと栄養補給がなされていないことが難聴につながる大きなリスク要因であるという。

結局、前述したとおり難聴予防には
「生活習慣病の予防が大切」という結論だった。
  

ところが、つい最近のネット情報で「コエンザイムQ10」で難聴予防ができるという記事を見かけたのでたいへん興味を持った。

要約してみると次のとおり。

年を取るにつれて耳が遠くなる「老人性難聴」は、耳の奥の「内耳」にある感覚器の細胞が遺伝子の働きで死滅して起きることを東京大などがマウスの実験で明らかにした。
 

抗酸化物質で遺伝子の働きを抑えると、発症しないことも突き止めた。哺乳類の耳の仕組みは共通しており、人の難聴予防につながると期待される。 

また、損傷を受けた細胞を自殺に導くBakという遺伝子に着目。マウスのBakを働かないようにすると、人間の50歳に相当する生後15ヶ月でも聴力がほとんど低下しないことを確認した。 

Bakの働きを抑えられるか調べるため、17種類の抗酸化物質をエサに混ぜてマウスに与えたところサプリメントとして市販されている「コエンザイムQ10」など3種類が難聴予防に効果があることが分かった。

以上のような内容だが、宣伝目的ではない、れっきとした学術的な研究成果というので早速、飛びつくように「コエンザイムQ10」をネットで注文したのはいうまでもない。

これで、朝食後に服用するサプリメントがまたまた増えてしまったが、3か月ほど試してみたもののそのうちどうも効果がわかりづらくてあえなく自然消滅(笑)。

結局、難聴予防の王道は日頃の生活習慣において極めて地道な「腹八分」「継続的な有酸素運動」に優る対策はないと悟ったという次第。

以上は若い人には縁のない話だが、どのみちいずれは遭遇するわけですから今からでも予防するに越したことはありませんよ~。

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オペラを聴くと頭が冴える?

2018年09月21日 | 音楽談義

ときどき図書館に出かけて本を漁っていると思いがけない書物に“当たる”ことがある。

「頭が良くなるオペラ」(2007年7月刊、著者:樋口裕一)

                                           

副題として「品位を高める、知性を磨く」とあるが、まず冒頭に「オペラを聴くとなぜ頭が良くなるのか」とある。その理由とはこうである。
 

「室内楽であれ、オーケストラであれ、オペラであれ、クラシック音楽を聴くと頭が良くなる。それが私の持論だ。

クラシックには微妙な音が用いられる。それにじっと耳を傾けることによって、物事をしっかりと落ち着いて思考する態度が身に付く。

変奏形式などに基づいて論理的に構成されていることが多い。それゆえクラシックを聴いているうちに自然と論理的な思考が身についてくる。


だが、オペラとなるとその比ではない。オペラは総合芸術だ。そこに用いられるのは音楽だけではない。ストーリーがあり、舞台があり、歌手たちが歌い、演出がある。

それだけ情報も増え、頭を使う状況も増えてくる。必然的に、いっそう頭の訓練になる。言い換えれば頭が良くなる。


とまあ、以上のとおりだが、自分の場合は別に頭を良くしようとクラシック音楽を聴いているわけではなく聴いていて単に心地いいだけの話だが、目下の関心事のひとつは「ボケないこと」にあるので、一石二鳥になればそれに越したことはない。

興味を惹かれて通読してみた。
 

本書では具体的に16の有名なオペラが挙げられており、“頭を良くする”ための聴きどころが懇切丁寧に解説されている。

我らがモーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」ももちろん入っている。
 

この三つのうち、もし一つでも欠けていたら著者のオペラに対する見識を疑うところだったので好感度は100点!(笑)

この中では、最晩年の作品「魔笛」が音楽的には「一頭地を抜いている」と思うが、前述の「頭が良くなる」という見地からはおそらく「ドン・ジョバンニ」に指を屈するだろう。

いったい、なぜか?その理由を述べてみよう。
 

このオペラはモーツァルトの「天馬空をかける」ような爽やかな音楽には珍しいほどの人間臭さがプンプン臭ってくる男女の愛憎劇である。

まず、簡単なあらすじを述べると、女性と見れば若い女からお婆ちゃんまで次から次に手を出す好色な貴族の「ドン・ジョバンニ」が、神を信じず人を殺した報いを受けて最後は地獄に堕ちていくというもので、第一幕の冒頭の出来事にこのオペラの大切なポイントがある。

ドン・ジョバンニが貴族の女性「ドンナ・アンナ」をモノにしようと館に忍び込むものの父親の騎士長に見つかり、争いになって騎士長を刺し殺してしまう。

父を殺されたドンア・アンナは恋人ドン・オッターヴィオとともに犯人を捜し、復讐しようと誓うシーン。

五味康祐さんの著作「西方の音」にも、このオペラが登場し詳しく解説されているが、この館の夜の出来事においてドン・ジョバンニが父親を殺す前にドンナ・アンナの貞操を奪ったのかどうか、これがのちのドラマの展開に決定的な差をもたらすとある。

言葉にすることがちょっと憚られる「暗黙知」がこのオペラの深層底流となっているわけだが、こういうことは鑑賞する上でどんなオペラの解説書にも書かれていないし、もちろんこの本もそうだが、このことを念頭におきながらこのオペラを聴くととても興趣が尽きない。

ちなみに、「西方の音」では二人に関係があったことは明白で「さればこそ、いっさいの謎は解ける」と具体的にその理由が挙げられている。

「貞操を奪われたのではないか?」と薄々気づいて疑心暗鬼になる(ドンナ・アンナ)の恋人ドン・オッターヴィオ、素知らぬ風を装うドンナ・アンナ、そして臆面もなく他の若い娘にも触手を伸ばす好色漢ドン・ジョバンニとの三角関係、その辺の何とも言えない微妙な雰囲気をモーツァルトの音楽が問わず語らずのうちに実に巧妙に演出しているのがとても憎い!(笑)

ロマンチストだったベートーヴェンと違って、モーツァルトは人間の機微に通じた人生の達人であることがいやがうえにも窺い知れるのだ。

ただし、この辺の雰囲気の醸成は指揮者の力量にも負うところが多いようで、やっぱりフルトヴェングラーの指揮にとどめを刺す。

いずれにしても「ドン・ジョバンニ」をこういう風に鑑賞すると頭の血の巡りが良くなること間違いなし!(笑)

我が家の手持ちは前述のフルトヴェングラー、以下クリップス、バレンボイム、ムーティなど。

               
    

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とめどもない試行錯誤

2018年09月17日 | オーディオ談義

前回のブログで述べたようにSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)騒動が一段落したのはいいものの、オーディオ的には一抹の寂しさを覚えている。

「小人閑居して不善をなす」のとおり、いつもシステムのどこかを弄っていないと落ち着かない悲しい習性の持ち主である(笑)。

そこで弄り甲斐のあるものはないかと期待の目を向けたのが我が家の唯一の大型システム「ウェストミンスター」。

これはあの有名なオートグラフ(タンノイ)の後継機種だが、購入するときに一度も試聴することなく「タンノイブランド」に幻惑(?)されて手に入れたもので、あれから25年くらい経つだろうか。

当時は家内に相談することなく勝手に購入したので逆鱗に触れ1週間程口をきいてもらえなかったことを思い出す。しかし、それほどの犠牲を払ったわりにはパッとしないスピーカーだった。

今となっては図体が大きいばかりに持て余し気味で、あのころはほんとうに「半分青かった」なあ(笑)。

不満の原因をいろいろ書いてもいいが、そうすると世のタンノイファンの多くを敵に回すだけだから、そんな馬鹿らしいことはしない(笑)。

とにかく納得のいくまで中身のユニットをとっかえひっかえしながら、ようやくJBLのユニット(口径38センチ)に入れ替えてどうにか小康状態を保っている。

チャンデバ(クロスオーバー:5000ヘルツ)を使って5000ヘルツ以上は同じJBLのツィーター「075」を設置し「2ウェイマルチシステム」で聴いている。

     

そこで問題となるのが5000ヘルツまでを担当するパワーアンプにどれを充てるのかということ。

人間の可聴帯域は周知のとおり「20~2万ヘルツ」だが、5000ヘルツまでに音楽情報の大半は含まれているので、これはもうこのシステムにとって死活問題となる。

候補は二つあって「TRアンプ」と「真空管アンプ」。

まずTRアンプだが、昨年知人が作った立派なものを譲り受けた。これはインピーダンスマッチングトランスまでついている。

         

低音域の沈み込みも十分でスケールの大きな音になるし、どこといって不満がなく入れ替えた当初は「もうこれで十分」と思ったことだった。

だが、しかし・・・・。

日を追うにつれアンプのスイッチを入れる回数が段々と減っていくのである。どこといって悪いところは無いのに、あまり好んで聴く気がせず、ますます足が遠ざかるばかり。おかしいなあ・・・。

そこでやむなくアンプを真空管式へ交換すると、やっぱりこっちのほうがええ(笑)。

       

低音域の伸びなんかTRアンプに比べるといまいちだが、なんといっても気分的にほっとするのだ。音の響きが豊かで暖かくて潤っているあたりがちょっと違う。

ただし、そのうち飽きてくるかもしれないのであくまでもこの状況は瞬間風速みたいなものだとお断りしておこう(笑)。

我が家ではこうして「とめどもない試行錯誤」が続きながら季節は移ろい確実に歳だけは取っていく。

先日、家内から「あなた、この頃ちょっと耳が遠くなったんじゃない?」と言われた。「どうしてだ」と、問い直すと「何回も聞き返すことが多くなったみたい。」

高齢になればなるほど高音域が聞きづらくなるのは誰にとっても宿命みたいなものだが、オーディオ愛好家にとってはとみに身につまされる事柄である。

こんな耳で音がどうこう言える資格はないのかもしれないと思う今日この頃だ(笑)。

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オーディオ意欲が減退するSPユニット

2018年09月15日 | オーディオ談義

口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークⅡ」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

 
ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

 
音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

 
小さな音でも明瞭度が下がらない。

 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 
音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

 
試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。

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我が家の試聴盤

2018年09月13日 | 音楽談義

我が家では日常的にスピーカーシステム(7系統)、プリアンプ(5台)、パワーアンプ(7台)の相性テストをやってオーディオを楽しんでいるが、先日「真空管オーディオに初めて取り組んでいます。」という方からメールをいただいて「よろしかったらどういう試聴盤を使っておられるかご教示ください。」

試聴盤といえば愛聴盤と言い換えてもいいくらいだが、公開するのは何だか心の中を覗かれるような気がして仕方がないが(笑)、せっかくのお訊ねなので曲目と愛聴する理由を述べてみよう。

一応、下記のとおり9枚の試聴盤に絞り込んだが、特定の盤だけ上手く鳴るよりも9枚全体の平均点が聴感上で80点ぐらいになることを目安としている。

     

それぞれ聴きどころをざっと解説しておくと、

上段左から「ディヴェルトメントK136」(コープマン指揮)はモーツァルトがわずか16歳のときの作品だが、「画家の若描き」に相通じるものがあって、いかにもモーツァルトらしい天真爛漫の溌溂さと瑞々しい情感にいつも胸を打たれる。これほど飽きがこない曲目も珍しい。

次に、同じくモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」(五島みどり、今井信子コンビ)で、手放しで絶賛したいほどの素晴らしさで「みどり」快心の演奏。

ちなみに、一流どころのパールマン盤、グリュミオー盤も持っているが日本人コンビの方がはるかに上回っているのだから痛快極まりない。モーツァルトをうまく弾ければホンモノの芸術家だといつも思う。

次は「シュワルツコップの芸術」だが彼女の歌唱力は今でも群を抜いている。中でも「4つの最後の歌から~眠りにつこうとして~」(リヒャルト・シュトラウス)は、間奏のヴァイオリンも含めて絶品。いつも就寝前に聴きながら感涙にむせんでいる(笑)。

中段左からモーツァルトの「ピアノソナタ全集」(グレン・グールド)はもう若いころから盤が擦り切れるほど(?)聴いてきた。この全集(3枚組)は当初の16ビット録音、次の24ビット録音、そしてこのSACD盤と3回買い直した。

一流の演奏家がスランプに陥ったときはひたすらこの全集を聴くと読んだことがあるが、このピアノソナタからはいつもモーツァルトの”飾らないホンネ”が聴こえてくるような気がして仕方がない。

モーツァルトにはいくつもの顔があるが、ほんとうの素顔が隠されているのはこのピアノソナタ全集だけで、これは彼の全作品の中ではまったく異色の存在といっていい。

次は名花、女流ヴァイオリニストの「ローラ・ボベスコ」でヴィオッティのV協奏曲22番の第二楽章。甘くて切ない名旋律にいつもウットリする。大家グリュミオーやアッカルド盤も持っているが、どうしてもボベスコじゃないと独特の雰囲気が出てこない。

次は近頃手に入れた木村好夫の「ムードギター昭和歌謡百選」。哀愁溢れるアコースティック・ギターの音色ばかりは中高音域に独特の艶を持っているグッドマン系ユニットの独壇場となる。

下段左からジャズ史に残る名盤「サキソフォン・コロッサス」(ソニー・ロリンズ)で、ビクターの「xRCD」盤。この盤もSACD盤も含めて3回買い直したが、録音はやっぱりこれが一番。マックスローチのシンバルはツィーターのテスト用としても重宝している。

次は、マキシム・ヴェンゲーロフの「ブルッフのV協奏曲」で、このヴァイオリンの重厚な響きを聴くといつも背筋がゾクゾクッとする。一時、腕の故障で引退をささやかれていたヴェンゲーロフだがどうやら復活したようだ。

そして最後はモーツァルト「ヴァイオリンソナタK301」(ピレシュとデュメイ)で、ピレシュ(女性)はずっと昔から大好きなピアニストで音楽への愛情がふつふつと伝わってくる演奏にいつも魅了されている。今年(2018年:71歳)で引退とのことだが実に惜しい。

以上、弦楽器を中心にボーカル、アコースティックギター、ジャズまで、これだけのソースを聴けばスピーカーのクセと相性のいいアンプが浮き彫りになるはずだが、沢山あり過ぎて逆に混迷の度を深めるのだから始末に負えない(笑)。

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読書コーナー~「音の大研究」ほか~

2018年09月11日 | 読書コーナー

メチャ暑かった今年の夏もどうやら一段落して、このところ朝晩どころか日中まで過ごしやすくなってきたのでようやく読書意欲が湧きおこってきた。

音楽、オーディオ、そして読書と、もう忙しくてかなわん~(笑)。

今回は図書館から借りてきたうちの興味を惹かれた2冊を忘れないように記録しておこう。

☆ 「音の大研究」(PHP研究所)

   

小学生向けに書かれた本のようで別に目新しいことはなかったが、33頁に「周波数と(音の)大きさの感じ方」というのがあった。

人間の音の感じ方が「周波数と音圧レベルの相関関係」によって左右されるという内容である。「そんなことはとうの昔に知ってるよ」という方も多いだろうが改めてメモしておこう。

たとえば、上図の「緑の線」のように「周波数1000ヘルツで音圧60デシベルの音」と「250ヘルツで70ベシデルの音」はどちらも同じ線上にあるので同じ大きさの音に聴こえるそうだ。

つまり、周波数によって求める音圧が違うというわけで、この図によれば60ヘルツあたりから下がやたらに音圧を欲しがっているのがわかるし、その一方4000ヘルツ前後の音が一番音圧が小さくて済む。したがって、人間にとって(4000ヘルツ前後が)一番敏感な周波数ということを示している。

「低音域がもっと欲しいけどボリュームを上げると中高音域が出すぎてうるさくてかなわん。」にもこれで説明がつく。大きな音圧で聴けば聴くほど中高音域が歪むのだ。

逆にいえば、60ヘルツ以下にそれほど拘らなければアンプの負担は飛躍的に少なくなるのでむやみに低音域にこだわるのは考えものですよねえ(笑)。

電気回路を通じての音楽再生が一筋縄ではいかないことを改めて銘記しておかねばならないようだ。

☆ ミステリー「骨を弔う」(小学館)


「巻(かん)を措(お)く能(あた)わず」という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが、巻とは書物のことで「非常に面白くて一気に最後まで本を読んでしまう」という意味。

近年、図書館から大量の本を借りてくるのはいいものの、昔と違ってどうも一気呵成に読むことが困難になっている。

途中まで読みかけのまま、他の本に目移りすることが再々でやはり寄る年波には勝てず(笑)、己の集中力の欠如が一番の原因だろうと諦めていたところ、久しぶりに面白い本に出会った。

   

読みだしてみると、まさに「巻を措く能わず」で、ほんとうに面白い本ならこの歳でも「一気読みできるんだ。」と大いに自信がついた。

話の骨格はこうである。

「骨格標本が発掘されたことを報じる地元紙の小さな記事を見つけた家具職人・豊は、数十年前の小学生時代、仲間数人で山中に骨格標本を埋めたことを思い出す。

しかし、それは記事の発掘場所とは明らかに異なっていた。同時に、ある確かな手がかりから「あれは本当に標本だったのか」との思いを抱いた豊は、今は都内で広告代理店に勤務する哲平に会いに行く。

最初は訝しがっていた哲平も、ふと、記憶の底に淀んでいたあることを口にする。リーダー的存在だった骨格標本埋葬の発案者・真実子の消息はわからないまま、謎は思いも寄らぬ方向に傾斜していく。」

以上のとおりだが、誰にでもある小学校時代の懐かしい思い出が実は後になっておぞましい殺人事件の片棒を担いだことが判明する。

大人になって失ったものを子供の頃の懐かしい冒険の想い出を辿りつつ「真犯人と殺人の動機」の謎解きを絡めながら「今を生きる力」に代えていく筆力はなかなかのものだった。

作者の「宇佐美まこと」さんは、はじめは男性かと思っていたが読了すると女性ということが分かった。そういえば登場人物の心理描写に女性独特のきめ細かさがあったのも道理。

読解力は別にして、これまで内外のミステリーを読んだ冊数だけは人後に落ちないことを自負しているが、その経験から言わせてもらうと僭越ながらこの作家は明らかに才能がある。今後が楽しみ~。


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「トライ・アクショム」 VS 「アクショム80」

2018年09月09日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

かねてから憧れの的だったSPユニット「トライ・アクショム」(グッドマン)を手に入れ、所定の作業も
完了していよいよ音出しへ~。

              

こういう瞬間は何とも言いようがない不安と期待が交錯する。おそらくオーディオ愛好家ならこの「はらはらドキドキわくわく」感がきっとお分かりのはずだろう(笑)。

日常生活ではめったに味わえない緊張の一瞬だが、じっと耳を澄ましてみるとノイズはしない代わりにやたらにハイ上がりの音が出てきた。慌てて付属のツィーターのレベル調整器を最低にしたところ、見事にバランスの取れた音が出てくれた。まずはひと安心で、後はじっくりと音楽鑑賞に浸った。


つまるところ「トライ・アクショム」は低音とか高音がどうのこうのというよりも「気品のある音」に尽きるようだ。

けっして舞台で大見得を切るような音ではなく、まるで渋~いイギリスのゼントルマンを思わせるような音だが、こういう音じゃないと伝わらない音楽があることもたしかだ。


そういえば、同じ「AXIOM80」愛好家のSさん(福岡)から次のようなメールが届いた。

「おめでとうございます。私は、トライアクショムがグッドマンユニットの中においてアキシオム80と双璧だと思います。20年ほど前に、知人がイギリスから持ち帰ったトライアクショムSPQUAD22アンプで聴かせて貰いましたが、その時に受けた衝撃からブリティッシュサウンドの虜になった事を思い出します。

優雅な猫脚のキャビネットに入ったそのトライアクショムは、その後に肥後細川家次代当主の護光さん宅へ嫁いで行きました。もしも、単体ユニットで音楽を完結させたいのであれば、トライアクショムは史上最高のユニットなのではないでしょうか。〇〇さんは、またまたオーディオの歴史的遺産を手に入れられましたね。羨ましいかぎりです。」

Sさん、無断引用お許しくださいね。

ただし、こういう音が出てくれると他の3つのユニットの出番が当分回ってきそうにないのが悩みの種だ(笑)。

翌日、例によって近くにお住いのフルートの名手「Y」さんに来ていただいて試聴していただいたところ、一聴するなり「音の傾向はAXIOM80(以下「80」)と随分似通ってますね。」との第一声。

「そうなんです、爽やかな雰囲気が実に似てますね。これでもツイーターのレベルは最低に抑えているんですよ。」

次から次にいろんな試聴用のCDをかけたが、Yさん持参のCDの中に「佐藤久成」さんの演奏があった。

先年、亡くなられた「宇野功芳」さん(音楽評論家)が高く評価されていたヴァイオリニストだが、それに関連して話題になったのが可憐な「有山麻衣子」さんの歌声。

これも宇野さん一押しの歌手である。「プロの歌手からは絶対に得られない声」と解説にあるが、まったく心が洗われるような清純そのものの声である。

           

以後、これをテスト盤にしてアンプとの相性探しを愉しんだ。

         

左が「WE300B」(1988年製)シングルアンプ(以下「WE300B」)、右側が「6A3・300B兼用」シングルアンプ(以下、「6A3・300B」)である。

後日のためにアンプの概要を記しておこう。

「WE300B」アンプの前段管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「274A」(STC)、インプット&インターステージトランスは「UTC」、出力トランスは「PSMプロダクト製」の手巻きによるもの。

次に、「6A3・300兼用」アンプの前段管は「AC/HL」(最初期版:英国マツダ)、整流管は「CV378」(細管:ムラード)、インプット&インターステージトランスは無名の国産もので、出力トランスは「タムラ」(特注品)。


なお、この「6A3・300B」アンプは半年ほど前にアンプ製作歴が40年以上になるKさん(大分市)にお願いして「インターステージトランス」(国産)を組み込んでもらったところ、音の解像力が見事に向上して我が家のエース級に昇格した経緯がある。

総じて我が家の真空管アンプの救世主は「インターステージトランスにある」といっても過言ではないほど。

さて、Yさんのご感想といえば「WE300Bでは有山さんがいかにも18歳の乙女らしい声がしますが、6A3では22歳くらいの少し艶めかしい声がします。どちらがいいとか悪いとかはちょっと判断がつきませんね。」

結局、原音に忠実な音となるとWE300Bアンプに軍配が上がり、音に色気を付け加えて聴きやすい音となると6A3アンプになるということで、いずれも甲乙つけがたし。

ただし、自分の場合は「音に色気が有ること」が「好きな音」の一番の判断基準になっている(笑)。

最後に、原点を確認する意味で「AXIOM80を聴いてみましょうかね」と、スピーカーを交換したところ二人ともアッと驚いた。

音響空間がまるで枠を取り払ったように際限なく広がったのである!

「音の透明度」の向上が如実に感じ取れたので、二人して「こういうシンプルなソースになるとAXIOM80の独壇場になりますね。編成が大きくなるとトライ・アクショムの出番ですから、これら二つのセットがあるともう鬼に金棒!」と、感嘆したことだった。

「トライ・アクショム」と「アクショム80」の両方を毎日愉しめるなんて、もうオーディオ冥利に尽きますわいなあ(笑)。


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ゲットした「究極のSPユニット(口径30センチ)」

2018年09月06日 | オーディオ談義

先日のブログ「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズを連載したことを覚えておられるだろうか。

グッドマンの「棺桶型エンクロージャー」を改造し、3つのユニットをそれぞれ簡単に入れ替えが利くようにしたもので、その再掲画像がこれ。

     

左から「JBLのD123」、「グッドマンのAXIOM150マークⅡ」、そして「ワーフェデールの赤帯マグネット付き」だが、出てくる音質にそれぞれ捨てがたい味があって日替わりメニューのように入れ替えて楽しんでいたが、いよいよ新たな決定版の登場でそれにも終止符を打つ時がやってきたようだ。

長年探し求めていた幻の「TRI AXIOM 」(以下「トライ・アクショム」)(グッドマン)がオークションに出品されたのだ!

             

解説文を見てみよう。

「Goodmans Tri Axiom Model T88 12インチ( 30センチ同軸 3way ) 16オーム アルニコマグネットです。

TRI AXIOM としては初期のもののようでおそらく1960年代後半頃と思われますが定かではありません。

これ以降のものはたまに見るんですがこれと同じものをほとんど見たことがなく十数年前に入手し使っていました。

エッジに補修跡があります、動作には特に問題ありませんが、あまりに細かいところはご容赦ください。しばらく使ってなかったのでツィーター用のアッテネーターはガリありですが回していれば取れてくると思います。」

以上のとおりだが、通常の口径30センチのユニットではせいぜいダブルコーン方式(2ウェイ)までだが、「トライアクショム」は同軸3ウェイとしてツィーターまで付いているのがミソである。

あの中高音域の艶やかさに定評のあるグッドマンだからさぞや素晴らしい音質だろうとはおよそ想像がつく。また、実際に所有しているオーディオ仲間からも「べた褒め」で、耳にタコができるほどその凄さを聞かされてきた。

やはり執念というものは恐ろしい、とうとう「トライアクショム」を見つけ出したのだから~(笑)。

こういう希少な逸品ともなると、お値段を問う気にもならず「即決」(もちろん常識の範囲内だが)で落札した。さっそく自宅に届いたユニットを並べてパチリ。

           

輸送中の事故も無く致命的なダメージもないようだ。マグネットの形状が明らかに「アルニコ」タイプなのでひと安心。これが「フェライト」タイプになると平べったい形状になる。

そもそも「アルニコ」と「フェライト」とで音質にどのような違いがあるかは有識者の間でも論争があるところだが、我が経験ではこれまで「フェライト」タイプで気に入った音が出た試しがない。

早くバッフルに取り付けて音出しをしたいのでさっそく工作に取り掛かった。こういうこともあろうかと余分なバッフルを2ペアほど準備していたが、本体に取り付けるためのネジ穴合わせ、直径30センチの穴のくりぬき、そして塗装などたいへんだった。

午前9時から作業に取り掛かって、ようやく音出しができるようになったのが昼食をはさんで午後2時頃のことだった。猛暑の中の玄関先での作業だし、やはり老骨には少しこたえた(笑)。

先日お見えになったオーディオ仲間が一連の「SPユニットの工作」を見て「とてもそこまでは”やる気〝が起こらん。」と仰っていたが、やはり相当な熱意の後押しがないと無理のようですぞ。

          

ご覧のように、グッドマンにはおあつらえ向きの純正の「ARU」(背圧調整器)がエンクロージャーの下部に付いているので「おかしな音」の出ようはずがないが、こればかりは実際に聴いてみないと分からない。

それくらい、周辺機器とのマッチング次第でスピーカーの音は変わるが、取り分けグッドマンのユニットは繊細なのでアンプを選ぶことでも有名である。

さあ、いよいよ待望の音出しだ!

以下、続く。

 


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テレフンケン「RS289アンプ」とのお別れ

2018年09月04日 | オーディオ談義

ようやく朝晩に涼しい気配が漂ってきた。

9月といえば暑かった夏の想い出と爽やかな秋への橋渡しをしてくれる月だが「セプテンバー・ソング」という歌があるように、(月の)名前がそのまま曲目のタイトルになるのは珍しい。

ネットの受け売りだが、この歌には「日が短くなるこの時期を愛の感情に重ねて歌い上げる曲です。明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しています。あるいは人生の秋、無駄にする時間は無くなり、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味も感じられます。」
と、ある。

たしかに「オーガスト・ソング」なんて、まったく様にならないし(笑)、かといって「オクトーバー・ソング」となるとちょっと直截過ぎるし、(9月は)1年の中でも曖昧模糊とした独特の月のような気がする。

それにしても今年の夏はことのほか暑かった。ギラギラと太陽が照り付けるような熱気を感じたが、しかしその暑さもテレフンケンの「RS289」アンプの出現で気が紛れたようで夏の後半はあまり暑さが気にならなかった。

「心頭滅却すれば火もまた涼し~快川和尚~」
かな(笑)。

このアンプの紹介は先日のブログ「凄いアンプ!」(2018.8.17)で紹介させてもらったが、この過去記事へのアクセスぶりがいまだに「凄いこと!」になっている。それだけ読者の興味を引いているということだろう。

このアンプを借り受けてから3週間ほど堪能させてもらったが、とうとうお別れの日がやってきた。人生に出会いと別れはつきものだ(笑)。

先日、アンプの製作者「チューブオーディオラボ」さん(新潟県)から、ご連絡があって「ぼちぼち次の方が待っておられますので・・・・。」と、遠慮がちな督促があった。

「あっ、そうですね。とてもいい音がするのでつい夢中になって時が経つのを忘れてしまいました。10月初旬のオーディオフェア(東京)に間に合わないと大変なことになりますね。次はどちらの方に送付したらいいんでしょうか?」

「久留米市のMさんにお願いします。一応の話は通じていますが、一度ご連絡をとってみてください。」

久留米市(福岡県)といえば中心部に有名な「久留米市美術館」がある。以前はたしか「石橋美術館」と言っていた。ブリジストン・タイヤで有名な「石橋財団のコレクション」が母体である。ちなみに、ブリジストンの由来は「ブリッジ(橋)、ストーン(石)」の合成語である。また、したり顔して余計なことを言う(笑)。

とにかく、久留米は近傍の方々を含めて高級なオーディオ愛好家が集積していることで有名である。

オーディオのためにはお金に糸目をつけない感じの人が多くて(笑)、中でもMさんは豪華なアンプとタンノイさんの「オートグラフ」をはじめとしたスピーカーの収集ぶりを、つとに耳にしている。

Mさんと連絡が通じ合い、住所をしっかりお聞きして無事発送が終了した。

      

画像のとおり、容れ物が大きいし、アンプは重たいしで運送業者に取りに来てもらった。

あ~あ、このアンプともとうとうお別れか、淋しくなるなあ~。

我が家のシステムに大いに新風を巻き起こし、様々な弱点をあぶり出してくれたので実に感謝に堪えないところ。

改めて整理しておくと次の2点に尽きる。

☆ ウェストミンスターの新たな編成

これまでクロスオーバーが1000ヘルツのチャンデバを使って2ウェイマルチで鳴らしていたが、「WE300B・6A3兼用アンプ」の資質をより生かそうと、別のチャンデバを使ってクロス5000ヘルツで使用したところまさに「ドツボ」にはまったみたいで素晴らしい音になった。

これにはその後さらに発展があって、ウェストミンスターにふさわしい強力なパワーが欲しくなったので5000ヘルツまでをTRアンプに換えたところ力強さに思わず唸った。

クロス1000ヘルツのケースで実験したときは低音域のTRアンプと高音域の真空管アンプとの肌触りがまったく合わず水と油だったが、クロス5000ヘルツとなると違和感が無くなるのだからうれしくなる。

量感と質感がマッチした本格的な低音を得ようと思ったら、やはり真空管アンプなら前述の「RS289」アンプのようなプッシュプル方式が理想で、次にはTRアンプかなあ・・・。

☆ AXIOM80のエンクロージャーの改造

じゃじゃ馬的なユニットとして知られるAXIOM 80だが、これまでそこそこ鳴っていると思っていたが、RS289 アンプに触発されてエンクロージャーを全面的に見直す契機となった。

吸音材の入れ替えによる容積の拡大、ARU(背圧調整器)の改良などによる効果は絶大だった。

以上、「RS289」アンプに対する感謝の念は堪えないが、あとは本番の「真空管アンプオーディオフェア」(東京:10月7~8日)での活躍を祈るのみ。

なにしろ「真空管アンプ製作の熟練者」と「古典管の生き字引=北国の真空管博士」とのコラボだから「鬼に金棒」のはずで、きっと期待を裏切ることはないと思いますよ~。



 


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我が「音楽&オーディオ」の原点とは

2018年09月01日 | 復刻シリーズ

このブログのブロバイダである「グーブログ」には「アクセス解析」という項目があってその一部に過去記事のランキングが日替わりで掲載されている。

先日、そのランキングの上位にあったのが「オペラ魔笛の想い出」だった。2009年に投稿したものなので今から9年も前のブログだ。

エーッ、こんな昔のものまで目を通している方がいるんだと驚いたが、どういう内容かさっぱり忘れていたのでざっと目を通してみるととても真面目な内容なのに我ながら驚いた(笑)。

現在のオーディオ一辺倒の記事とは大違いで、自分で言うのも何だが音楽を愛する真摯な姿勢が垣間見えるような気がして、これこそ我が「音楽&オーディオ」の原点なんだと、思わず身が引き締まった。

そういうわけで、昔日の真面目な面影を知っていただくために、以下のとおり一部修正のうえ再掲させてもらいました。「音キチ」からのイメチェンにつながればいいのですが~(笑)。

オーディオ専門誌「無線と実験」の読者交換欄を通じて「アキシオム80」を譲ってくれた千葉県のSさんとはその後もメールの交換を頻繁に行っている。

お互いに「音楽&オーディオ」好きなので話題は尽きず毎回、Sさんがどんな内容を送ってくるのかが愉しみだが、7月27日付けのメールは次のような内容だった。題して「魔笛の想い出」。

Sさんの友人のNさんは美大を卒業後ご夫婦でドイツに留学、画家として将来を嘱望されていたが精神を病んで極度のウツ症状となり帰国後病院通いをしながら最後はとうとう自殺されてしまった。

当時の14年前のクリスマスの頃、丁度SさんがNさんご夫婦とお会いする機会があり、内田光子さんのモーツァルトのピアノソナタのLPを買ってプレゼントしたところ奥さんが「ありがとう、今は魔笛なの、魔笛ばっかり聴いてるの」と力説されていたのが最後の想い出となってしまった。

そこで、このメールに大いに触発されて返信したのが次の内容だった。

モーツァルトの創作活動の集大成とも言える魔笛のあの「透明な世界」と「人間が消えて失くなること」とが実に”しっくり”きていて胸にジンときました。たしかに魔笛の世界には人間の生命を超越したものがあってとても言葉なんかでは表現できない世界なんですよね。

自分にも是非、「魔笛の想い出」を語らせてください。

あれは丁度働き盛りの37歳のときでした。それまで、まあ人並みに出世の階段を昇っていたと思っていたのですが、その年の4月の異動で辺鄙な田舎町の出先機関に飛ばされてしまいました。

今となっては「そんなくだらないことに拘ってバカみたい」ですが、人生経験の浅かった当時はたいへんなショックでした。

傷心のまま、片道1時間半の道のりをクルマで2年間通勤しましたが、1時間半もの退屈な時間をどうやって過ごすかというのも切実な問題です。

丁度その当時コリン・デービス指揮の「魔笛」が発売されクラシック好きの知人がカセットテープに録音してくれましたので「まあ、聴いてみるか」と軽い気持ちで通勤の行き帰りにカーオーディオで聴くことにしました。

ご承知のようにこの2時間半もの長大なオペラは一度聴いて簡単に良さがわかるような代物ではありません。

最初のうちは何も感銘を受けないままに、それこそ何回も何回も通勤の都度クセのようになって何気なく聴いているうち、あるメロディが頭の中にこびりついて離れないようになりました。

それは「第二幕」の終盤、タミーノ(王子)とパミーナ(王女)との和解のシーンで言葉では表現できないほどの、それは、それは美しいメロディです。この部分を聴いていると後頭部の一部がジーンと痺れるような感覚がしてきたのです。

そう、初めて音楽の麻薬に酔い痴れた瞬間でした。こういう感覚を覚えたのは魔笛が初めてです。ベートーヴェンの音楽もたしかにいいのですが、強い人間の意思力を感じる反面、ちょっと作為的なものを感じるのですが、モーツァルトの音楽は天衣無縫で俗世間を超越したところがあって生身の人間の痕跡が感じられないところがあります。

魔笛という作品はその中でも最たるものだという気がしますが、文豪ゲーテが晩年になってモーツァルトの音楽を称し「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と語ったのは実に興味深いことです。

それからは「魔笛」の道をひた走り、病が嵩じて「指揮者と演奏」が違えばもっと感動できる「魔笛」に出会えるかもしれないと、とうとう44セットもの魔笛を収集してしまいました。これも一種の病気なんでしょうね~。ちなみに、我が家のすべての魔笛を引っ張り出して撮ってみました。

左からCD盤、DVD盤、CD(ライブ)盤です。

                       

ただし、あれからおよそ30年以上になりますが、あの「ジーン」と頭が痺れるような感覚はもう二度と蘇ってきません。おそらく感性が瑞々しい時代特有の出来事だったのでしょう。

今振り返ってみますと、37年間の宮仕えで一番つらかった失意の時期が自分の精神史上最もゆたかな豊饒の実りをもたらしてくれたなんて、まったく人生何が幸いするか分かりませんよね。

「人間万事塞翁が馬」という”ことわざ”を自分は完全に信用しています。人生って結局この繰り返しで終わっていくんでしょう~。

これから、久しぶりに魔笛を聴いてみようと思います。トスカニーニ盤、ベーム盤(1955年)、デービス盤、クリスティ盤どれにしましょうかねえ。

と、以上のような内容だった。

現在のようにオーディオに熱心なのも、「夢よもう一度」で再び「後頭部の一部が痺れるような感覚」を追い求めているからだが、たとえ今後どんなに「いい音」を手に入れたとしても、あの感性の瑞々しい時期に遭遇した「いい音楽」との出会いにはとうてい敵わないような気がしている。

当時のお粗末なカーステレオの音でそういう感覚を味わったのは実に皮肉ですねえ・・(笑)。

 


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