「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

危うく延命できたJBL「LE8T」

2019年10月31日 | オーディオ談義

つい先日のブログに掲載したように、ジャズ・ピアニスト「ビル・エヴァンス」の登場を奇貨として、息を吹き返したJBLの「LE8T」。



実はこの1年間ほどいっさい出番が無くて「置いとくスペースがもったいないし、そろそろ処分しようかな・・」と思っていた矢先だった。他のスピーカーのレベルが上がり過ぎたことも大きな要因だ。

ところがやっぱり「LE8T」独特の世界というのがあるんですよねえ!

エヴァンスが命の恩人になって危うく延命できました(笑)。

このスピーカーを手に入れたのはまだ忘れもしない2年半ほど前のことだった。隣町にお住いの、「パラゴン」などを製作されている「S」さんから譲り受けたもので、その経緯について手っ取り早く当時のブログの要所を以下のとおり再掲してみよう。

「音声信号に対する反応が早くて音の切れ味が抜群。「こういう音はまったくJBLの独壇場ですねえ」と、ほとほと感心した。

この時点で、迷いなくSさんから箱を譲ってもらうことを決めた。

あとはSさんに頼んで「LE8T」の入れ替え作業をやってもらった。お借りしていた「8Ω」仕様からこの度落札した「16Ω」仕様への交換。

この際とばかり箱の内部を拝見させてもらったが、ていねいな内部補強をしてあり木材同士の接合にネジを1本も使わず、「ほぞ」を使うなど本格的な大工さん並みの工作ぶりだった。

こういう風に箱がしっかりしているから低音域がカチッと締まって弾んでくるんだと納得。

最後に、Sさんから貴重な「LE8T」の資料をいただいた。                   

       

この中にオーディオ界の大御所ともいうべき「菅野沖彦」氏(故人)による「改良後のLE8T」に対するコメントがあったので紹介しておこう。

「このスピーカーの素晴らしさは積極的に訴えかけてきながらバランスを損なわないで、きちんと全帯域にわたってコントロールされている点ですね。マルチウェイシステムに比べれば周波数レンジは狭いわけですが、それほどレンジの狭さは感じさせない。

特に高音域の繊細な弦の感じは不満なく出てくるんです。それに中音から低音にかけての積極的な押し出しもよく再現されますので、とりたててどこかに欠陥があるかと探しても見当たらないわけですね。

やはり全帯域型としてもっともウェルバランスでしかも万人が納得せざるを得ないようなソースの質感を素直に出してくれるスピーカーという感じです。

欲を言えばクラシックよりもジャズにちょっと不満があることです。テナーサックス独特のダーティなサウンドが出ずに、滑らかにしなやかになってしまうんですね。これは今までのLE8Tに対するぼくのイメージとちょっと違うところです。」

以上のとおりだが、加えて資料の中に再現されたウェスタンエレクトリック仕様のバッフルに取りつけられた「LE8T」の写真があった。

       

「バッフル」と一口に言ってみても、こんなに凄いモノがあるとは想像もしなかった。

おそらく、これが究極かつ本来の「LE8T」の音だろうと推察している。

この本格的な「バッフル」に一度挑戦してみたい気もするが部屋のスペースが足りないのが残念。
 

とまあ、こういった調子(笑)。

そして、我が家では丁度いい季節に「格好の遊び道具」が見つかったとばかり、例によっていろいろ弄ってみた。

今でも十分だが、もっと音が良くなるかもしれないという欲望に突き動かされての振舞である。

✰ 吸音材の見直し

   

これまで入れていた自作の「羽毛の吸音材」(左側)を大き目のものから右側の小さ目なものに入れ替えた。

どちらが良いか悪いかは全く予測がつかないので、右チャンネル側だけ入れ替えて同時に両方を鳴らし耳をそばだててみた。

すると吸音材が小さめの方が音に躍動感がある感じがするので、こちらを選択。同様に左側も入れ替えた。

✰ 駆動するアンプの相性テスト

常用している「300Bシングル」(銅板シャーシ)も悪くはないが、このアンプではいかにも「鶏肉を裂くのに牛刀を使う」(論語)ようなものであまりセンスがない(笑)。

小振りのSPには小振りのアンプということで「171Aシングル」「171Aプッシュプル」「6098シングル」「6SN7シングル」の4台を次々試してみた。

すると「LE8T」の能率は90db以下と、とても低いのがネックになって小出力の「171A」と「7SN7」はあえなく討ち死に。

残るは2台となってどちらも甲乙つけ難しだが強いて挙げれば雰囲気が好ましかったのが「171Aプッシュプル」だった。

    

結局、スピーカーの「LE8T」といい、アンプの「171Aプッシュプル」といい、我が家では常用していない機器たちが久しぶりに脚光を浴びることとなった。これでメデタシ、メデタシ。

これも、ジャズ絡みの話題を提供してくれた「K」さんや「I」さんの波及効果によるものでほんとうに感謝に耐えません。

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「声高に聴け!」と叫ばない音楽表現の極致とは

2019年10月30日 | 音楽談義

このところ毎日、日替わりメニューのように粗製濫造しているブログだがそれでも「たった1日で消えてしまうのはもったいないなあ」と、つい後ろ髪を引かれるような自信作がときどきある。

その点、さすがによくしたもので、そういうブログは数日間にわたってアクセスが途切れなく続くケースが多い。

このブログの読者は今のところ1日当たり900人前後だが総じてかなり”しつこくて研究熱心”な気がするが、その反面、気楽に書き流すわけにもいかないので良し悪しだ(笑)。

さて、そういう自信作の一例として挙げられるのがつい先日搭載
した「音と音の間の沈黙を聴く」(2019・10.25)

これについては後日談があるので紹介させていただこう。

まず冒頭に、「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)の中の一節を再掲させていだだこう。その方が分かりやすいので。

                     

著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。

バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。
だが、心地よい。限りなく心地よい。

その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。

音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。
沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。

サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではない(苦笑)。

すると、さっそく関西のメル友「M」さんから反応があった。大のクラシック愛好家で奥様はピアノの先生である。

「最近になって第4番から第6番の3曲が新たに発見されて全6曲であることがわかりました。

グノシェンヌはサティの作った造語とのことです。

ギリシャ神話のクノックス宮殿や、キリスト教以前から存在していた神秘の宗教団体”グノーシス派”におそらくは関係があるのではないかと云われています。(以上 小原 孝のピアノ楽譜より)

早速、家内に弾いてもらって聴いてみますとゆったりと柔らかな音ですね!

確かに葬式の時に合う音楽で私も葬式のBGM候補にしたくなりました!

ただ・・・。

文面の「沈黙とは譜面上、空白として表される」ここがどうしても気になります。

スラーの多いのに気付きますがどこに空白が・・・。ご参考までに譜面を添付します。」

   

以上のような文面だったが、Mさん、わざわざ譜面まで添付してのご教示どうもありがとうございました。

たしかに、ご指摘のとおり空白はないものの音符の数が少ないことが際立っているので、著者はその点を象徴的に「沈黙=空白」として表現したかったように思いますがいかがでしょうか。

なお、本書の冒頭の文章の中で一番興味を惹かれたのが「声高に聴け!と叫ばない音楽表現」という言葉。

「魚釣りはフナ釣りに始まってフナ釣りに終わる」あるいは「オーディオはフルレンジに始まってフルレンジに終わる」という言葉があるが、人間は歳を取ればとるほど日常生活や趣味に対してシンプル志向になっていくので「仰々しさ」や「押しつけがましさ」に対して、つい敏感になりがちで何かしらの抵抗感を覚えてしまう。

たとえば、あの楽聖「ベートーヴェン」の作品でさえも、若い頃は感動も”ひとしお”だったが、人生も後半になると何だかときおり「押しつけがましさ」を感じて気分的に重たくなることがときどきある。

そう思う人はかなりいらっしゃるのではなかろうか。

その点、究極の自然体の音楽スタイルとなると、やっぱり「モーツァルト」の作品に尽きるように思う。

「声高に聴け!」と叫ばない音楽表現の極致だと思うのですがいかがでしょう(笑)。 

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世界で一番贅沢な趣味とは

2019年10月29日 | オーディオ談義

自分の生涯を通じての趣味といえば3つあって「オーディオ」「魚釣り」「ミステリーを読む」だが、このうち「魚釣り」は活動力の衰えとともに足が遠のくばかりだし、「ミステリー」は集中力の持続性に問題があってときたま読む程度で、今や「音楽&オーディオ」が以前にもまして存在感を増してきて、どっぷり浸かっている有様だ。

とにかくオーディオをやっていると時間がいくらあっても足りないのだから、このくらいありがたい趣味はない。

ときどき、これは「趣味の王様」ではなかろうかと思う。

300年以上にも亘って生き残ってきた優れた音楽芸術に、個人の家庭でも気軽に簡単に接することができるという意味では「世界で一難贅沢な趣味」ですよね。

そこで、このタイトルでブログをつくろうと思ったらもうずっと昔に同じタイトルのものがありました(笑)。


先日の朝刊(読売)に目を通していたら、3面の片隅に載っていた小見出しが視野に入った。「シベリア抑留死名簿 新たに5000人」。

フ~ンという感じでそのまま紙面をめくっていくと、改めて3面すべてを使ってカタカナで5000名の氏名が個別に記載されていた。

すると、急に一人ひとりの名前の背景にある人生が立体的に浮かび上がってきて、何だかいたたまれないような気持ちになってしまった。

厳寒の地シベリアから無事生き延びてどれだけ故郷日本の土を踏みたかったことだろうと思うと、お気の毒という月並みな言葉ではとても済まされず、つい言葉を失ってしまった。

つくづく平和な時代に生まれてよかったと、ありがたさを噛みしめるとともにオーディオに夢中になって音質がどうのこうのと勝手な御託を並べているじぶんが、何かとんでもない贅沢をしているように思えてきた。

「音が無事に出て音楽が聴けるだけでもありがたいと思え」とお叱りをうけているような気分だ。

それかといって止める気にもならないが、頭の片隅にしっかりと刻み込んでおくことは必要だろう。

そういえば、いろいろある趣味の中で「オーディオは世界一の贅沢だと思う」という記事がオーディオ専門誌に載っていた。

運動ジムの帰りに立ち寄った本屋でたまたま見かけた「ステレオ サウンド」誌。

久しぶりに現代オーディオの動きを知っておくのも悪くはなかろうという軽い気持ちで購入した。

                      

中身の方は相変わらず〇百万円もする高価な機器のオンパレードで昔はこういう機器を手にすることができる人をうらやましく思ったものだが、今では逆にバッカじゃなかろかと思ってしまう(笑)。

ビンテージの真空管と古典派のスピーカーという世界にどっぷり浸かると、近代システムの無機的な音なんかどうでもよくなる。

「聴いてもいないくせに無機的な音なんて言うな」とお叱りを受けそうだが、古典管とアルニコ・マグネット付きのスピーカー独特の人肌の温もりを感じさせる音質は現代機器ではとても無理だろう。もちろん好みの世界なのであれこれ言っても詮無き事だが。

一昔前の熱心に読んでいた時代と違って評論家先生の顔触れもすっかり変わってしまったが、買わせんがための抽象的な美辞麗句が羅列されているのは相変わらず。

そういう中でぐっと興味を惹かれた記事が2点あった。

☆ オーディオは世界一の贅沢な趣味だと思う

日本で「一番音がいいジャズ喫茶」とされている「ベイシー」(岩手県一関市)の店主「菅原正二」さんは相変わらずご健在のご様子でまことにご同慶の至り。291頁に対談形式で表題の記事が掲載されていた。該当部分を抜粋してみよう。

「何が大事って音より大事なことはない。オーディオによって古今東西の音楽を居ながらにして聴くことができるんだよ!超一流の音楽、演奏家と対話ができるんだから、こんなに凄いこと、僕にとっては他にないよ。そのための努力だったら何も惜しまない。」

「やっぱりオーディオは世界一贅沢な趣味だと思うな。音楽は何度聴いても汲めども尽きぬ魅力があるが、同じ音は二度と残せない。そのおかげで何度もトライできるし新鮮なんだと思う。オーディオは不思議なくらい飽きない。ぼくはオーディオで一生を棒に振ったかもしれないけど(笑)、おかげで退屈しないで生きてこられたと思っている。感謝してる。」

もう1点は、

☆ 五味康祐邸の音を復元したい  
            

312頁にこの記事があった。クラシック好きのオーディオマニア(中高年世代)にこれほど影響を与えた御仁は居るまいと思える五味康祐さん。

タンノイ礼讃の一本槍で、とうとう「タンノイの回し者」とまで揶揄されていたが、自分も例に漏れず感化されて、タンノイの「ⅢLZ」(イン・オリジナル・キャビネット」 → 「インパルス15」 → 「ウェストミンスター」という道程を辿った。

五味さんが58歳で亡くなられたのが1980年だからもう40年近く経つ。

今や芥川賞作家(「喪神」)というよりもオーディオの方で勇名を馳せられている感があるが、ご親族も既に亡くなられ練馬区役所に900枚にも及ぶレコードやオーディオ装置が寄贈されたのが2007年、その後綿密にレストアされてようやく当時の音が見事に蘇ったという。

「東京暮らし」だとどうせマンション住まいになるのでオーディオを心底楽しめるわけにもいかないだろうから、あまりうらやましい気持ちにはならないが、こういう文化施設を手軽に享受できるとなると、この点だけは逆立ちしても敵わない(笑)。

五味さんのオートグラフはイギリスから直輸入したオリジナルだが、ユニットは「モニター・レッド」だ。

その上をいく「モニター・シルヴァー」が入ったオリジナルのオートグラフがこのほど、東京のとあるオーディオ・ショップに入荷された件は度々このブログで記事にしてきたところ。

こちらの方も是非聴いてみたい。購入者が九州在住だといいなあ。同郷のよしみですぐに押しかけるのだが(笑)。→ 実際には東京在住の方が購入され大きなビルの一室で楽しまれている。

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ジャズ「You Must Berieve In Spring」を聴く

2019年10月28日 | 音楽談義

県内在住のKさんから寄稿していただいたジャズの4枚の名盤解説も名残惜しいがとうとう最後の1枚になった。

それはビル・エヴァンスの「ユー マスト ビリーブ イン スプリング」。

直訳すると「春が来ることを信じなければいけない」だが、ゆっくり噛み砕くと「冬来たりなば春遠からじ」(今は不幸な状況であっても、じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるというたとえ)ということかな(笑)。

      

1973年の1月、私は芝の郵便貯金ホールにいた。初めて来日するビル・エヴァンス・トリオを聴く為だ。

残念ながら、エヴァンスの真価が解るにはJAZZを聴き始めて4年ばかりの経験の未熟さでは、太刀打ち出来なかったと言っていい。

事ほど左様に、黒人の明るく弾けたハッピーなピアノ演奏ではなかったので、コンサート栄えしなかったのだ。そして、月日が過ぎて50年人生の明暗や喜怒哀楽の経験を積み重ねて、ようやくビル・エヴァンスの醸すハーモニーや冷やかなスィングが心に沁みてくるようになって来た。

この1977年のアルバムは、巷間言われている初期の黄金トリオ(エヴァンス~ラファロ~モチアン)ではなく、一番長く続いたゴメスとの最終作でしかもエヴァンスの死後発表されたもの。

この素晴らしいアルバムが何故すぐリリースされなかったか、不思議でならない。最初の1曲目「Bマイナー・ワルツ」は、エレンの為に書かれた曲。エヴァンスと共に初来日したのに、帰国後地下鉄のホームに身を投げたと報じられた。

2曲目「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」は、数々の有名な映画音楽を作曲しJAZZ好きなミッシェル・ルグランの、『ロシュフールの恋人たち』からの曲。

4曲目「ウィー・ウィル・ミート・アゲイン」は、自殺した兄ハリーに捧げた曲である。全ての曲があたかも組曲であるかのように連なり、亡き人に対する抑制の効いた哀悼、後悔、優しさを感じる。

それから、奇しくも追加されたボーナストラックの1曲が、「フレディ・フリーローダー」だ。あの『Kind Of Blue』でウィントン・ケリーが唯一弾いた曲で、故人となったケリーを偲んだのだろうか。

ちなみにこのアルバム・プロデューサーは、JAZZのみならずポピューラー全般で名盤を送り出してきたトミー・リピューマ。

ジョージ・ベンソンの『Breezin’』、ナタリー・コールの『Unforgettable』、ダイアナ・クラールの『Live In Paris』と3度のグラミー賞を獲得した名プロデューサーである。そして、録音エンジニアは名手アル・シュミットで音も不満はない。

            

以上のとおりだが、ネット情報によるとエヴァンスは1929年ニュージャージー州の生まれ。

マイルス・デイヴィスなどとの共演を経て(ジャズ史上最高の名盤の一つとされることも多い、マイルスの「カインド・オブ・ブルー」に参加)、1960年代に自己のトリオを結成。

その初代のトリオによる「ワルツ・フォー・デビー」などの一連の作品は、ジャズのピアノ・トリオにおける究極とする人も少なくない。

麻薬の常用で身体を蝕まれ、1980年にわずか51歳で死去。直接の死因は肝硬変、出血性潰瘍にともなう失血性のショック死ということのようだ。

というわけで、ジャズマンと麻薬は切っても切れない環境にあるようで、プレイに陶酔できれば命なんてどうだっていい「太くて短い人生」の典型例といえる。

それにしても、「K」さんが選ばれたジャズの名盤4曲は結局「マイルス・デイヴィス」と「ビル・エヴァンス」に尽きるようだ。

ジャズには門外漢の自分でもビル・エヴァンスは随分親しみやすさを覚えていて、これまでもちょくちょく聴いている。クラシックにジャズのリズム感を取り入れて、まるで両者の橋渡しみたいな印象がある。

そして、改めて聴いてみて我が家のシステムの中で「ビル・エヴァンス」と一番相性が良かったのはJBLの「LE8T」(16Ω:初期版)だった。

    

ピアノの一音一音が綺麗に磨き抜かれて聴こえ、もうめったやたらに美しい。むやみに低音域が膨らまないのもたいへん好ましい。

ビル・エヴァンスが演奏したCDはほかにも、

「ワルツ・フォー・デビー」「ポートレイト・イン・ジャズ」「ムーン・ビームス」「モントゥルー・ジャズ・フェスティバル」「ヴァーブ時代 Ⅰ&Ⅱ」を持っている。

「ビル・エヴァンス」専用のSPとして、これで「LE8T」の居場所がやっと見つかったかな(笑)。

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プロ野球「ソフトバンク」の強さの秘密

2019年10月27日 | 独り言

大いに熱戦を期待していたプロ野球「日本シリーズ」も、あっけなくソフトバンクの圧勝(4連勝)で終わった。

大の巨人ファンである家内も口惜しさを通り越して、もはやその弱さに呆れ果てている始末(笑)。

「球界の盟主」としてのプライドを木っ端みじんに打ち砕かれた巨人は、これから1年間「俺たちは弱いんだ」と刻み込まれた十字架を背にしてプレイしなければならない。可哀そうに~(笑)。

それにしても「ソフトバンク」の強さはいったいどこに由来しているんだろうか。

どうも選手たちの単なる「投攻守の技術」以前の基本的な問題がありそうな気がして仕方がない。

折りしも「高校の同窓生ネットクラブ」に「T君」が次のように投稿していたのでご了解のもとに紹介させてもらおう。

1 資金力

ホークスの強さを語るうえで第一に資金力は外せないポイント。親会社であるソフトバンクの経営が順調であることから選手獲得に資金を惜しまないのが特徴的です。

「いい選手を取るためには資金を惜しまない」というスタンスだからこそ、メジャー帰りの選手や外国人助っ人の獲得も積極的に行いチーム力の増加に繋がっています。

また、オーナーの孫正義氏は”金は出すが口は出さない”という完全現場主義の人間。オーナーが球団の方針を握っている他球団とは異なり、野球のことは監督・コーチを含めた専門職に一任しているため、チーム内に軋轢が生まれることもない。

選手の年棒総額は55.9億円で12球団の中で1位です。2位は巨人の51.9億円です。

2 独自のスカウティング

近年、ホークスのスカウトは独自路線を貫いています。メジャーリーグで実績のあるベテラン選手ではなく、日本野球に適応できそうな選手を多く助っ人として迎え入れているのです。

代表的な例が昨年のデヴューから14連勝を記録したバンデンハーク投手。メジャーでは 良い成績を残せなかったものの、韓国リーグで才能が開花したバンデンハークを真っ先に獲りにいったのです。

また現在セットアッパーで活躍しているスアレス投手のスカウトも驚きのものでした。2015年にメキシカン・リーグで登板するまで草野球の経験しかなかったスアレス投手に対して白羽の矢を立てたのです。

資金力だけじゃなく逸材を見抜く力が相俟ってチーム力増加に繋がっている。

3 3軍制度

選手層の厚いホークスの中で若手選手は2軍での出場すら確約されません。2015年にはウェスタンリーグで4連覇を果たすほど2軍でも圧倒的な力を誇っています。

ホークスの2軍には「他球団に行けばレギュラーを獲得できる可能性もある選手が山ほどいる」とも言われているため、完全なる育成を2軍で行うことは出来ないのです。

そんな中で導入されたのが3軍制度です。高校卒の若手や育成指名された選手が地方リーグ・社会人チームなどと試合を行い「経験を積む」ことが可能になっています。

これによって試合機会をより多く与え、結果を残せば2軍に上がれるようになります。また2軍の選手もいつ3軍と入れ替えられるかわからない緊張感の中、日々の練習に臨まなくてはならないというわけ。

新幹線の筑後船小屋駅の近くに2軍用、3軍用の設備が整っている。

4 生え抜きの育成

資金力や助っ人の活躍にスポットが当たりがちになるホークスですが、現在のスターティングメンバーのラインナップを見てみるとほとんどが生え抜きの選手であることがわかる。

これは前述した3軍制度にも関係があるでしょう。千賀、甲斐、牧原、飯田、山田、二保といった一軍に顔を見せ始めている選手も元々は育成出身。

3軍でプレーを続け、実力を付けた後に1軍入りを果たしたのです。

育成により選手層が厚くなったため、怪我などのアクシデントが起きてもすぐに代わりの選手が活躍できる体制が整っており、日替わりのヒーローが登場するのも現在ホークスが強い理由。

5 工藤監督の徹底した選手管理

現在ホークスを率いる工藤監督は選手の健康管理を徹底しています。12球団でいちばん過酷とも言われているキャンプに入るまでの自主トレ期間にも、各選手に課題を出すなどして管理しており、初日に行われる体力テストで規定の数値に達しないと即B組スタートを命じられるとのこと。

休日に関しても疲れを取ることに専念してほしいという思いから基本的に休日返上練習を認めていないそうです。

工藤監督はシーズン中も積極的に2軍施設への視察を行っており、リハビリ中の選手の状態や不調で調整中の選手に関しても自分の目で状態を把握しているとのこと。圧倒的な強さの裏にはこういった細かな選手管理も役立っている。

以上のとおり、実に微に入り細をうがったソフトバンクの強さの分析がなされており、 どれもこれも重要度の点で順番のつけようがないが、自分の推測するところ、強いて挙げればやはり「選手の年棒が手厚いこと」ではなかろうか。

選手のヤル気にもっとも直結するところといえよう。

そして、その年棒の出どころはといえば、一つには「ヤフー・オークションの手数料」ですよね。

ネット情報によると、2013年度のヤフオクの落札額は約「7300億円」で、手数料を仮に「8%」とすると、年間「584億円」もの寺銭が自動的に転がり込んでくる計算になる。

           

ヤフーは2013年に「福岡ヤフードーム」から「ヤフオクドーム」へ改名しているが、「リサイクルの活用による環境保護の促進」というもっともらしい理由があるものの、建設費から球団の運営費まで「寺銭」に「おんぶにだっこ」という事情がきっと背景にあるに違いない。

ごく、ささやかながら自分も貢献しているはずだ!(笑)。

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オーディオと「風のイメージ」

2019年10月26日 | オーディオ談義

つい先日の「七転び八起きのオーディオ・スタイル」の続きです。

ノンフィクション作家の柳田邦夫氏のエッセイの中に「こだわりの克服」というのがある。

「人間には誰しも何らかの”こだわり”を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわりが嵩じてしまうと自分の生き方や周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。」

これを、我が「オーディオ人生」に当てはめようというのはちょっと無理筋かもしれないが(笑)、これまで比較的小ぶりのSPエンクロージャーでは「3ウェイ」だけは絶対に止めておこうと拘っていたが、廃品同様のユニットを生かすためには背に腹は代えられないとばかり、無理矢理組み立てたのが「にわか作り」の「3ウェイシステム」。

   

ところが予想だにしないほどの「素晴らしいサウンド」が出現したのにはまったくうれしい悲鳴だった。

ただし、こういう行き当たりばったりのケースではじっくり聴きこむと、往々にして「ぬか喜び」に終わることも限りなく経験しているのも事実(笑)。

そこでひときわ慎重に3日間ほど集中的に、それこそクラシックからジャズ、ポピュラー、歌謡曲までいろんな音楽ソースを聴きこんだところ、それでも欠点がいっさい見えてこない!

もしかしてこれは本物のサウンドかもしれないな・・。

そういう状況のもと、幸いにも22日(火)に近隣の「Y」さんに試聴していただいた。

「今、何をやってますか?」「フルートの練習です」「よろしかったらシステムの模様替えをしたので聴いていだけませんか」「ハイ、すぐ行きます」。「阿吽の呼吸」とはこのことか(笑)。

そして、日頃から辛口でズバズバと歯に衣着せぬご意見を述べられるYさんなので、それなりの覚悟をしていたところ意外な言葉が並んだ。

「これは素晴らしい。3つのユニットのバランスが見事に決まってます。音の密度が充実していて周波数の谷間がいっさいない感じです。

AXIOM80もいいのですがやや神経質なところがありますから、こちらの方が上かもしれませんね。

それにしてもウーファーはアメリカだし、スコーカーは日本、そしてツィーターはイギリスですからよくぞ多国籍企業をうまくまとめましたね」


「そうでしょう!低音域は陽気で明るいアメリカ人に任し、高音域は上品で知的なイギリス人へ、その間の接着剤は日本人という目論見ですよ」と、珍しく意見が一致してにわかに図に乗る自分(笑)。

うまくいった最大の原因はウーファー「D123」(JBL:口径30センチ)が100dbを越える高能率にあると秘かに睨んでいる。

それはともかく「3ウェイだけは嫌」と、こだわっていたのはどこのどいつだ(笑)。

というわけで、オーディオにおける「こだわり」は前進の妨げになることが多いことをつくづく痛感した次第。まあ、そのときどきの周辺機器の環境によっても大いに変わるわけですがね。

冒頭の文章には次の文章が続く。

“風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。」

オーディオも人生もかくありたいものだが、まだまだ精進不足です(笑)。

なお、この日は「ウェストミンスター」(改)の試聴も行った。

   

その結果、「175」と「075」のコンビの自己主張がやや強すぎるようなので、次の点を変更した。

 JBL175用のハイカット用のネットワークを外して上限をフリーにした。

 075ツイーターのコンデンサー(スプラグ)を「0.39μF」から「0.22μF」へと落とした。

これでより聴きやすくなった気がするが、しばらく様子を見てみよう。

最後に真空管の相性実験を記録しておこう。

   

駆動しているアンプ「PP5/400シングル」の前段管「LS7」(GEC)と「GSXー112」のどちらが相性がいいか。

   

左が「GSX-112」(1930年代製:トリタンフィラメント)、右が「LS7」(GEC)。

試聴の結果、出力管が「PX25」のときは、前者も後者もさほどの違いが無かったのに「PP5/400」になった途端に「GSX-112」の方が情報量が多くなってサウンドが伸び伸びと鳴ってくれた。

Yさんと二人して「とても面白い現象ですねえ!」(笑)。

出力管のグレードに応じて前段管の能力の伸びしろが変わるのだから実に興味深い。

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音と音の間に横たわる沈黙を聴く

2019年10月25日 | 音楽談義

恒例の運動ジム通いからの帰途のことだった。

翌月のTVガイド(月刊番組表)を購入しようと本屋に立ち寄ったところさりげなく店内に流れていたBGM
がモーツァルトのピアノソナタだった。

「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまった。

このところまったくご無沙汰だったピアノソナタ(全20曲)だが

「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。モーツァルトのピアノソナタは湧き出る欲求の赴くままに、何らの報酬の当てもなく作られた故か不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」(石堂淑朗氏)

のとおり、モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度はまってしまうと病み付きになる音楽でもある(笑)。


急いで自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出した。

      

感受性が豊かだった30~40代の頃は聴きながらたびたび感涙に咽んだものだが、この年齢になるとスレッカラシになってしまい涙の一滴も出てこないが(笑)、それでもやはり相性がいいのだろうか、相変わらず琴線に触れるものがある。

一昨日から昨日にかけて当時一番耽溺したグールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフと聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくるので、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと押しつけがましい気がしてきた。

当時はグールドでなければ夜も昼も明けなかったのに、年代によって好みが変わってくる典型的な例ですね。


その一方、ピリスはまことに中庸を得ていて、普段着のままの気取ったところが無いし何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。

「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットーだが、この演奏も等身大そのままの音楽を聴かせてくれる。

このソナタを久しぶりに堪能させてもらったおかげで、このところオーディオに傾いていたマインドが振り子のように音楽に戻っていったのはメデタシ、メデタシ。

これが「音楽とオーディオ」の本来あるべき姿なんだから(笑)。


そして、ふとこの「音楽の押しつけがましさ」で連想したのがつい最近読んだ「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)
の中の一節。

                     

この中でなかなか興味深いことが書いてあった。(61頁)

著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。

だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。

沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではない(苦笑)。

サティの押しつけがましさのない音楽の素晴らしさが充分に伝わってくるが、実は、文中にある「音と音の間に横たわる沈黙」については思い当たる節がある。

以前、クラシック音楽の大先達だった五味康祐さんが生涯に亘って愛好された曲目をベスト10として掲げてあるのをネットで拝見したが、第1位の「魔笛」に続いて第2位にランクされていたのがオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)。

五味さんほどの方が愛好される音楽だからさっそく聴いてみようと指揮者の違うCDを2セット(ハイティンクとアンセルメ)を購入して聴いたところ、これがあまりピンとこなかった。
           

気の遠くなるような長い静寂の中を登場人物がぼそぼそと囁くようにつぶやく、まことに冴えないオペラで、メロディらしいものもなく盛り上がりにももちろん欠ける。五味さんほどの方がこんな曲の何処が気に入ったんだろうと正直言ってガッカリした。

しかし、今となってみるとこれはサティの音楽とそっくりで、五味さんはもしかすると「音と音の間の沈黙」を聴かれていたのかもしれないと思えてきた。

この沈黙を聴きとるためには、聴く側にも心の準備として自己の内面と正面から向き合う「静謐感」が必要であることは、クラシック音楽ファンならきっと思い当たるに違いない。

ただし「音楽とオーディオは音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華できる」なんてことを偉そうに書くと、すぐに馬脚が現れそうなのでこの辺でお終いにしておくのが無難だろう(笑)。 

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七転び八起きのオーディオ・スタイル

2019年10月24日 | オーディオ談義

「七転び八起き」という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが、広辞苑によると「度重なる失敗にも屈せず奮起することのたとえ。また人生の浮き沈みが甚だしいことのたとえ」とある。

我が「オーディオ人生」もまったくそのとおり(笑)。

この50年ほどを振り返ってみると失敗の繰り返しばかりだが、そのたびに不要な機器が出てくるのも実に困ったこと。

再度オークションに出品して処理する破目になるのだが、これまで購入した経費以上で落札された試しはほとんどない。

そういう機器の中で代表格なのが4か月前に購入したスコーカーの「EAS-12PM10」(ナショナル)だ。スコーカーというのは中音域専用のSPユニットのこと。

    

基本仕様によると、口径10センチで能率100db以上、200ヘルツから6000ヘルツまで再生可能の優れものだが、ウェストミンスター用に購入してみたものの他のユニットとの繋がりがうまくいかずあえなく惨敗。

さあ、どう処分しようかと、この4か月余り思案投げ首だったが、ふと名案(?)が浮かんだ。

現在、予備役編入中のユニットばかり使って「3ウェイ」用に仕立て上げたらどうかな。

ただし、我が家では「フルレンジ方式」がベストで、ワンランク落としてもせいぜい「2ウェイ方式」までなら許せるというのがポリシーだが、な~に「君子は豹変する」(易経)ものなのだ(笑)。

使用する道具の見立てはこうだ。

ウーファー(~500ヘルツ)JBLの「D123」(口径30センチ)

スコーカー(500~4000ヘルツ) 前述のスコーカー

ツィーター(4000ヘルツ~) ワーフェデールの「スーパー3」

いずれもコーン型ユニットなので、もしうまく繋がってくれれば弦の響きに絶大の威力を発揮してひときわ艶やかに鳴ってくれそうだ。

ちなみに、この中でカギを握るのがツィーターだが「スーパー3」(ワーフェデール)がこの画像。

   

強力なアルニコマグネット型だから悪い音の出ようはずがないと思うのだが、こういうものを遊ばせておくのはもったいないと思ったのも3ウェイへの動機の一つ。   

肝心のネットワークはパイオニア製の「2ウェイ・3ウェイ兼用」のもので間に合わせよう。(クロスオーバーが500ヘルツと4000ヘルツ)

そして、完成後の姿がこれ。

   

さあ、にわか作りの「3ウェイシステム」の音出しだ。オーディオ愛好家にとってはワクワク、ドキドキの最も楽しい瞬間だ。

ちなみに、DAコンバーターは「エルガー プラス」(dCS)、プリアンプ抜きの直結でパワーアンプは「300Bシングル」(銅板シャーシ)だ。

耳を澄ませて聴いてみると・・・!

後は読者のご想像にお任せするとしよう。

そして、我が家のオーディオのご意見番として鬼よりも怖い存在(?)ともいえる「Y」さんがお見えになったのが3日後の22日(火)のことだった。

さあ、たいへん~(笑)。

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ジャズ「Art Pepper meets The Rhythm Section]を聴く

2019年10月23日 | 音楽談義

県内在住の「K」さんから寄稿していただいた4曲のジャズ解説について既に「サムシン・エルス」「カインド・オブ・ブルー」を紹介させてもらったので、今回は第3弾目として「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」を取り上げてみよう。

周知のとおり「音楽の3要素」はメロディ(旋律)、ハーモニー(和声)、リズム(律動)だが、クラシック音楽にやや足りないものがあるとすればそれはリズムではないかと思っている。

ときどき無性にジャズが聴きたくなるのもそういう理由があるのかもしれない。

たしか「五味康介」さんの本だったと思うが、あの指揮者カラヤンが練習中のオーケストラのリズム感に飽き足らず、そういうときはこっそり脱け出してジャズを聴いていたという話が載ってた。

ましてや、一介の市井の音楽ファンであれば何もクラシックに固執することなく、ときどきはジャズも聴いて耳を肥やすことも必要だと思いますよ(笑)。

    

1957年マイルスが西海岸へ演奏旅行に来た折、コンテンポラリーのレスター・ケーニッヒがマイルスの許しを得て当時のマイルスのリズムセクションとアート・ペッパーを邂逅させたアルバム。

メンバーは、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)からなり最強と言われた。

不調のペッパーには極度の緊張を恐れて録音のことは直前まで知らされず、またマウスピースのコルクも傷んでいたのに、麻薬を打って臨んだというエピソードがある。にもかかわらず、この演奏は会心の出来栄えとなった。

著名な「You’d Be So Nice To Come Home To」のペッパーのアドリブを聴くと、その絶妙な音列配置の間隔が生み出す危うさ、刹那感がたまらなくクセになる。当代一流のリズムセクションをバックに、堂々と渉りあうプレイは神ってると言う他はない。

プロデューサーのレスター・ケーニッヒはハリウッドの映画産業に従事していたらしいが、マッカーサーの赤狩りで映画界を追われてJAZZレコードのレーベルを立ち上げた人物。

アメリカの西海岸の主要産業である映画産業は、トーキー時代に入ってオーディオを副産物として育てることになる。Westernを先駆けとして、Altec、JBL等の音響機器メーカーが誕生する。

まさに、映画がオーディオを育てたといっていい。そんな時代に誕生したキャピトルレコードでエンジニアとして、シナトラ、ナット・キング・コールらを録音していたロイ・デュナンを引き抜いた。

そして録音スタジオもない配送倉庫の片隅で、自作の録音アンプ、調整卓で奇跡としか言いようのないコンテンポラリーの名録音が生まれるのである。

ロイ・デュナンの録音は、カリフォルニアの空を思わせるような明るくクリアーで、どちらかと言うと響き、空気感を捉える録音が特徴。垢抜けた西海岸の白人JAZZにぴったりの音づくりだ。

バラックの倉庫の片隅で楽器間の音漏れを防ぐ立派な遮蔽板もなく、そこそこ漏れ入ってくる別のマイクに入った音がかえって臨場感を生み出したのかもしれない。

使用マイクは、ノイマンU-47、AKGのC-12、テープレコーダーはAMPEX 350で、ヴァンゲルダーと似ている。しかし全く正反対の音になっているのは感性の違いもあるが、リヴァーブを加えてカッティングの際にゲイン等を微妙に調整し、詳細なマスタリング・メモを残した。

このメモがなければ、オリジナルのテープを入手しても、ロイの作ったアルバムの音を再現することはできないという。

この解説を念頭に置きながら我が家でもじっくり聴いてみたが、「サムシン エルス」や「カインド オブ ブルー」に比べると随分穏やかなというか、プレイヤーが肩ひじを張ってなくて自分のような門外漢でも随分溶け込みやすい印象を受けた。

こういうジャズもありなんですね~。


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DAコンバーターに思う

2019年10月22日 | オーディオ談義

レコード愛好家はこの世にまだたくさんいらっしゃるが、我が家のようにCD派にとっては、システムのサウンドを大きく左右するのが「DAコンバーター」になる。

あらゆるデジタルの音声信号がここを通ってアナログ信号に変換されたうえでアンプに届けられるのだから、その精度が大切なのは当然ですよね。

ご承知のとおり頭文字を取って別名「DAC」(Digital to Analog Converter)ともいう。

それこそピンからキリの世界なので様々な機種が溢れかえっているが、自分のように10年以上も前のDAC「エルガープラス」(イギリス:dCS)を使っていると、現在ではもはや時代遅れの感は否めない。

なにしろデジタル技術は日進月歩だし、最新鋭の機種はいったいどういう音を出すんだろうといつも気になっている。

そういう状況の中、つい先日オークションに出品されていたのが「ORCLE」(オラクル)のDACだった。

    

定価で121万円(サンプリング周波数192KHz)の高級機種だが、昔の機種だし10万円以内なら「買い」だなと眺めていたらあっという間にオーバーしたのであっさり諦めた。最終的な落札価格は23万円だった。

高っ!(笑)。

なぜ「高っ!」というと、実は今や中国製のDACの優れものが安価でゾクゾクと登場してきているのである。中国のデジタル技術は「5G」の開発に象徴されるように凄い段階に来ているそうだ。

ただ中国製と言ってもやはりピンからキリの世界でしっかりしたメーカーとそうでないメーカーとの差が極端だそうだが、前者に当たると、最新鋭の安くて高性能のDACが手に入るのだから注目に値する市場である。

そこで、その辺にお詳しい「北国の真空管博士」にご登場していただき、解説をお願いしてみた。

それでは以下のとおり。

「DACのサンプリング周波数についての私見」

ToppingのD10はコストパフォーマンスで群を抜いているようですね! https://lantern.blog/topping-d10

デジタルオーディオにおけるサンプリング周波数の上昇は目覚ましく普及価格帯のものでも384Khzが当たり前の時代となりました。

DAC自体の集積率も加速度的に上昇しています。 今まで外付けであったものがDAC中に集積されたために小規模のガレージメーカーであっても最小限の外付けパーツで高品位な製品が製造可能となったのです。

そんな中サンプリング周波数の上昇が再生品質に及ぼす影響を考察してみました。

一般にサンプリング周波数の上昇は再生可能周波数の上昇を意味するものととして捉えられがちです。 理論的にはサンプリング周波数の半分の周波数まで再生可能となります。

たとえば384Khzのサンプリング周波数であれば192Khzまで再生可能です。 真空管アンプマニアとしては無用の長物ともいえる再生限界です。

では、384Khzのサンプリング周波数が真空管アンプにとって何のメリットも無いかと言えばそうではありません。 たとえば1Khzの信号に対して48Khzでサンプリングするのと384Khzでサンプリングするのとでは大きな違いがあります。

384Khzでサンプリングする方が8倍細かくサンプリングすることになりフィルターを通す前の波形の再現制度が向上します。 DA変換直後の波形は階段状の歪なものでありフィルターで滑らかにして出力されますからきめ細かな階段の方が有利なのです。

複雑な波形であればあるほどサンプリング周波数が高い方がより正確に原波形を再現できるといえます。

今度はCD再生に384Khzのサンプリング周波数が有効なのか考えてみます。 ご存じのとおりCDのサンプリング周波数は44.1Khzです。

384KhzのDACへの入力を考えると44.1Khzのまま入力するか384Khzにアップサンプリングして入力することになります。

44.1Khzで入力してそのままDA変換する場合は通常のCD再生そのものです。 384Khzにアップサンプリングする場合はどうでしょう。

この場合はどこでアップサンプリングするかによって微妙に異なります。 パソコン等でアップサンプリングする場合にはアップサンプリングするソフトウエアのアルゴリズムに依存します。

DAコンバーターにアップサンプリング機能が内包されている場合はその性能に依存します。 色々と調べてみるとDAコンバーターでアップサンプリングする方が有利な場合が多いようです。

DAコンバーター側でアップサンプリングする場合には一緒に強力なジッター除去が行われるからです。 CD音源であってもDAコンバーター側でアップサンプリングすればジッター除去の恩恵が得られます。 (ジッターはノイズやデータ欠落の原因となり音質を阻害する)

(ToppingのD10はアップサンプリング機能とジッター除去機能を持っています。)

現在のDAコンバーターの殆どはレシーバー+DACIC+オペアンプICの構成で成り立っています。 DACICとオペアンプICに評価の高いものが使ってあれば製品の評価が高いようです。

DAコンバーターの中にはオペアンプICの交換を前提としてICソケットタイプの製品がありますから注目です。

真空管の差し替えのように評価の高いオペアンプICに差し替えできるのです。

ただしオペアンプICは偽物が多く出回っているので信頼のおける販売店から購入しましょう。 アマゾンでは偽物が横行しています。 国内では秋月電子がお勧めです。

もっと技術的な部分に踏み込んだ解説もできますがかえって分かりづらくなるので今回はこの辺で。

以上のとおりだが、サンプリング周波数については今や「384KHz」を軽く通り越して「768KHz」(192KHzの4倍!)の代物が桁違いの安価で手に入る時代になっているそうで、これを簡単に見逃す手はないと思いますよ(笑)。

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声の温故知新

2019年10月21日 | 独り言

先日、NHKテレビで放映された「AIでよみがえった美空ひばり」は大きな反響を読んだようで、ネットでも随分評判だったが、それを題材にして投稿した「AI(人工知能)で・・・」(10月1日付)もなかなか好評で、いまだにアクセスが続いている。

実を言うと、美空ひばりの歌声を人工知能で蘇らせるという話はずっと以前に投稿した「声を読む」で触れていたことを読者はご記憶だろうか。

けっして自慢するつもりはないが(笑)、要点をかいつまんで再掲させていただこう。それでは、以下のとおり。

私たちが普段コミュニケーションの道具として何気なく使っている「声」。

声と同時に発せられる言葉については強く意識されるものの、トーンというか「声音」(こわね)についてはあまり注意を引くことがないように思うが今回はその「声」が持つ役割、真価について話題にしてみよう。

<「声」の秘密>(2008.10.1、アン・カーブ著)という本がある。
                                            

「声は人間の社会で大きな役割を果たしているのに驚くほど顧みられていない。そのもどかしさが本書を書くきっかけとなった。言語やボディーランゲージについては詳しく調べられ、その重要性が高く評価されている。

一方、声は(少なくとも学問以外の世界では)なおざりにされ、称えられることはほとんどない。

声は文字にとって代わられ、画像にその地位を追われて<目が耳に勝った>といわれているがそれは間違い。

人は家庭や職場で、あるいは友人知人との交流において、”声を読む”という優れた能力を利用している。声を正しく理解するためには、鋭い感性を身につけなければならない。<深く聴く>ことが必要だ。」

といった内容だが、声を読む」というのは実に”言いえて妙”でいろんな情報が声から得られるのは事実である。

自分の場合に例をとると、人と接するときに話の内容よりもむしろその人の表情とか声音でいろいろと判断していることが意外と多いことに気付く。

また、「オーディオ愛好家」の立場からすると目と耳との機能の違いにも凄く興味が湧く。いわば「視覚と聴覚」の対決だが、
「目が耳に勝つ」なんてあまり信じたくないほどの圧倒的な耳擁護派である(笑)。

たとえば、モーツァルトのオペラ「魔笛」を鑑賞するときにDVDで画像を観ながら聴くのとCDで音楽だけ聴くのとでは受ける感銘度が違う。

自分の場合、圧倒的に後者の方がいい。


その理由を端的にいえば第一に画像が目に入るとそちらに注意力がいってしまって”聴く”ことに集中できない。

第二に音楽を聴いて沸き起こるイマジネーションが、既に与えられた画像の枠内に留まってしまってそれ以上には拡がらない。


結局、現実の情報量を得るには目が勝っているものの、豊富なイマジネーションの量となると耳の方が勝っていると勝手に思っているのだが、これは聴覚をひたすら大切にするオーディオ愛好家の勝手な“身びいき”なのかもしれない。

ただし、養老孟司さん(解剖学者)の著書「耳で考える~脳は名曲を欲する~」には次のような箇所があって科学的な根拠が示されている。

「耳の三半規管は身体の運動に直接つながっているので退化せずに残っており、情動に強く影響する<大脳辺縁系>と密接なつながりを持っている。そしてこれと一番遠いのが<目>。だから、目で見て感動するよりも耳で聴いて感動する方が多い。」

そういえば、下世話な話だが「女性は耳で恋をする」といった話を実際に現役時代の上司だった女性から聞いたことがある。

つまり女性は男性の“見かけ”よりもむしろ“口説き文句”の方に弱いという意味だが、世間で「美女と野獣」の実例をときおり見かけるのも、おそらくこの類だろう。
 もちろん「お金」の威力もあるかもしれないが。「色男 金と力は 無かりけり」(笑)。

さて、本書「声の秘密」の第Ⅲ部に「声の温故知新」というのがある。以下、要約してみよう。

「百聞は一見にしかず」の諺どおり「見る道具」の発達により「現代は視覚文化」となっている感があるが、声の重要性は高まりこそすれ決して低下していない。

たとえば、今後「音声合成システム」の発達に伴い「声はいったい誰のものか」(288頁)という問題が確実に発生する。たとえば誰もが身近に使っている「カーナビ」の音声は合成だが結構うまくできているのはご存知のとおり。

というわけで、いずれ、実在する人物の声を合成できる時代が来るという。この技術が完成すれば「窃盗」など新種の犯罪が起きる可能性がある。現在も衰えを知らない「振り込め詐欺」などへの悪用は最たるものだろう。

さらに懐かしの映画スターに新しい台詞を言わせるのは造作もないことで、そうすると「声は一体誰のものだろうか」
というわけ。「声」の著作権についてこれから物議を醸す時代がやってくるそうだ。

と、いうわけで将来、マリア・カラス、美空ひばりといった名歌手たちの新曲が聴けるかもしれないなんて凄いこと。さらに、もしかすると往時の名演奏家たちが奏でる音までもが再現できるかもしれない。

そういえばグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)の旧録音盤(1955年版)を完全にデータ化してヤマハの自動演奏ピアノで再録音した盤がある。
             

ときどき引っ張り出して聴いているが、こういう芸当が簡単にできる時代になった。

さらに飛行機事故で、はかなく散った女流ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー」のヴァイオリン協奏曲(ブラームス)だって、唯一の欠点である録音の悪さが克服され、良質の録音で装い新たに聴ける時代がやってくるとなるとこれはただ事ではない。

こうなると”長生きは是非してみるもの”かもしれないですね(笑)。

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聴覚と視覚のどちらが主役?

2019年10月20日 | オーディオ談義

前々回の「実り多かった試聴会」からの続きです。

常に目まぐるしく二転三転する我が家のシステムの中で不動の存在なのが「AXIOM80」だ。

現に愛用されている方はお分かりだと思うが、このスピーカー(以下「SP」)を”物差し”にして他のいろんなSPを聴くと、欠点が洗いざらい見えてきて困ってしまうことが度々ある。

平穏な心がむやみに”かき乱される”という意味では「ありがたくない存在」とも言うべきだが、やはりこれは贅沢な悩みというものだろう。

常に我が家のSP群の質的向上を促す羅針盤的な役割を果たしてくれているので改めて感謝すべき存在。

こういう背景のもと12日に続いて13日(日)も絶好の秋日和で朝から意欲満々でオーディオに取り組んだ。

まずは、JBL「075」ツィーターの移動である。「百聞は一見に如かず」でご覧のとおりこれが完成後の姿。

   

奥の「ウェストミンスター」(改)は、クロスオーバー「8000ヘルツ」で「075」ツィーターを追加し、その移動に伴ってグッドマンの「トライアクショム」(口径30センチの同軸3ウェイ)が再登場。

と、ここで一言。それはスピーカーの「見かけ」について。

調子に乗ってこんな画像を拘りなく搭載しているものの、もしかしてオリジナルの「姿」を愛でる人から見ると、よくもまあこんなに弄りまくってと眉を顰める向きがいらっしゃるかもしれない。

どなたかのブログでも「とてもクラシックを聴くような雰囲気ではない」と酷評されたこともあるが、幸か不幸か自分はまったく「見かけ」に拘らないタイプである。

たとえば「見かけ」が100点で音質が80点のケースと「見かけ」が「80点」で音質が85点の場合、躊躇なく後者を選んでしまう。

「聴覚と視覚のどちらが主役?」を考えたら自ずと答えは出ますよね。

それに、どうせ音楽を聴くときはいつも目を瞑っているんだから~(笑)。

さて、話は戻って、この体制で12日に続いて14日(祝日:月)に再度Yさんに来ていただいてテストした。

誘う方も誘う方だが、お見えになる方もなる方で二人とも並外れた熱心さというか、好きなんですねえ(笑)。

試聴結果については「これで十分」で、もはや詳細は言わずもがなだが、ここで3つのスピーカーの個性を挙げておこう。

 ウェストミンスター(改)

ジャズとオーケストラで無類の強味を発揮。オリジナルのときよりも段違いのいい音だと思うんだけどなあ(笑)。

 AXIOM80

小編成とボーカル、そしてヴァイオリン・ソロはこれに限る

 トライアクショム

「1と2」を足して2で割ったような音で、通信簿でいえばあらゆる音楽ソースに対して「オール4」(5点満点)という平均的な優等生タイプで身構えることなく気楽に聴けるところがいい。

以上、それぞれ個性が違うので毎日の気分に合わせて聴くのが楽しみ。いわば「妻妾同居」で「正妻」がで「妾」がといったところかな(笑)。

ほかに今回の一連の試聴会で気が付いた点を述べておくと、

 「ブルーレイレコーダー」と「CDトラポ」との比較

同じ音楽ソースを片や「ブルーレイでHDD録音したもの」、そして片や「CDトラポ」との比較試聴を行ったところ、後者の方がより繊細な表現力を有していた。スピーカーの性能が上がると状況が変わってくる。やはりCDトラポは追放するわけにはいかない。

 3種類の300B真空管の試聴テスト

   

左からスヴェトラーナ(ロシア)の「SV-300B」、真ん中がオリジナルの「ウェスタン300B」(1988年製)、そして一番右側が「300Bもどき」(戦後すぐの製造でおそらくGE製?)

テスト用のパワーアンプは次のとおり。プリアンプなしでDAコンバーター「エルガープラス」(dCS)からパワーアンプに直結した。SPは「AXIOM80」。

    

試聴結果の特徴は次のとおり。

3種類ともに楽器の音色とか表現力にそれほどの違いはなかった。

ただ、SV-300Bはややハイ上がり気味、「300Bもどき」はやや重心が下がる、「WE300B」はグッドバランスで録音現場の微妙な雰囲気感を表現するのに長けていた。

お値段の違いからすると、WE以外の二者は大善戦だった。日頃聴くのであればもうこれで十分ですね(笑)。

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デジタルの人生は肉体の人生より長い

2019年10月19日 | 独り言

つい先日の「日経新聞」(10月13日付け)に興味深い記事があった。

題して「死者のプライバシーは守れるか」。そして小題として「私たちのデジタルの人生は肉体の人生よりも長い

デジタル遺産の話題はこのブログでも以前に取り上げたことがあるが、最新情報になるので無視するわけにもいかない。

この”しょうもないブログ”だってデジタル遺産の一環ですから、当人にとってはかなり切実感がありますよ(笑)。

   

解像度がイマイチのため読みずらいでしょうから要約してみよう。

「著名な人物が残した言葉や写真は社会的、歴史的な価値を持つ。ただ今はごく普通の人でも思いがけずたくさんの情報を死後に残す時代だ。

SNSへの書き込みやスマホやパソコン内のデータなど、死後に残る「デジタル遺品」への関心が高まっている。

60人の大学生を対象にアンケートをとったところ、「削除したい」が51%、「残しておきたい」が13%、「遺族に任せる」が23%だった。

ただし、死後にそのまま放置すると乗っ取られて悪用される危険がある。

その辺を留意しつつ、逆に故人を追悼するホームページをつくったり、亡くなった人が綴ったブログを保存したりするケースも増えてきた。

親しい人の写真や遺品を長く残したいとの思いは自然だ。ネットの上ならいつでも遠くからでも訪れることができる。

死後に残したデジタルデータは誰のものなのだろうか。死後のプライバシーというのはあるのだろうか。

研究者によると「はっきり定めた法律はない」。プライバシー保護に熱心な欧州の保護規則も対象となっているのは生きている人だけだ。

結局「生前のプライバシーと同様に故人の意向に沿って取り扱われるのが望ましい」。

理化学研究所の人工知能の研究家は次のように述べる。

日々の生活や行動の一切を記録した画像や音声などを「ライフログ」と呼ぶが、一生分を残すことは可能だ。このデータを活用すればあたかもその人がまだ生きて話すかのように応答する「AIもどき」がつくれる。それも本人そっくりに巧妙にデザインされたCG動画付きで。

そんなことが当たり前になれば、親しい人を弔うという慣習や個人を偲ぶ気持ちも次第に今とは変わったものになっていくのかもしれない。

人生は短くデータは長生きだ、そんな時代の入り口にいる。」

 

とまあ、かいつまむと以上のような内容だった。

実はこのブログでも9年ほど前に「センスキャムの出現に思う」と題して関連した内容を投稿しておいた。もう忘却の彼方にある方が大半だろうから再掲しておこう。

ちょっと長くなるので暇のある方だけどうぞ(笑)。

「エコノミスト誌」(2009年6月2日号)巻頭の「闘論席」に興味深い記事が載っていた。

脳科学者の池谷裕二氏による「センスキャム」についての寄稿。

既にご存知の方もあるかと思うし、要約して紹介するのがいいのだろうが、エ~イ面倒くさい、そっくり引用させてもらおう。

『センスキャムという装置が注目を集めている。2004年には、米マイクロソフト社が試作品を披露したので、ご存知の方もいるかもしれない。

これは
首からつりさげるデジタルカメラで、日常的なシーンを自動的に記録する、いわばビジュアル日記
である。

最近は小型化や軽量化や広角化が進み、赤外線センサーと可視光センサーも備え、部屋を出入りしたり、誰かが目前を横切ったときに、自動でシャッターを切る仕組みになっている。
訪れた場所や会った人など、その日の行動履歴が、毎日約2000枚の断続写真として保管される。

実際に使用した人によれば、
半年前のことであっても、数枚の写真を見ればあたかもそれを再体験しているかのように、鮮明な記憶を自然に思い出すことができる
という。
この装置が最近再注目されている理由は、ビジネスや娯楽としてではなく認知症治療への応用が期待されているからだ。 治療に初めて適用したのは英アッデンブルックス病院の研究グループである。

今年、その成果が報道された。記憶が数日ももたなかった患者が数ヶ月もの記憶保持に成功した劇的なケースがあり、試行期間が終わっても、使用継続を希望する患者もいたという。

ビル・ゲイツ氏は「センスキャム」の可能性に惚れ込み、数百人の記憶障害患者に配布するため6000万円の開発費を複数の研究グループに寄付している』

以上のとおりだが、折角なので「センスキャム」検索してネット情報を追ってみた。まだ少なかったが目ぼしいものをアトランダムに箇条書きしてみると次のとおり。

 
マイクロソフトの研究チームは人の一生を全てデジタルで残す研究をしている 

 「センスキャム」は12時間で2000枚もの画像を自動的に撮影できる

 
試作品の段階では明るい光や突然の動作と言った変化に反応させているが将来的には(人間の)心拍や肌の温度に反応する

 
浮気している人はどうすんだ、これ!

 
ウィルス感染で自分の人生が全て消えたらどうする?

人間の記憶は実に広範に亘っているので忘れることも多いし、むしろそっちの方がいいという人もいるが、現実にはある種の記憶を根拠にして生きているのも事実。、

したがって身の回りの出来事をデジタルで記憶して全てパソコンにしっかり保管しておくといった発想はやっぱりスゴイと思う。

現在、巷に氾濫している文章主体のブログも将来はビジュアル日記みたいに写真中心の形になる可能性が大いにある。 つまり「映像が言葉を駆逐する」可能性大だが、「頭の中でイメージをゆっくりと膨らませる」という点では文章の方が長(た)けている気もするがそんなアナログ的な思考も今後、徐々に形を変えていくんだろう。

とにかく、こういう話は「これから段々と人間の脳がコンピューターに置き換わっていきますよ」という象徴みたいな感じがするが、20世紀のエジソンと呼ばれスキャナーの発明で有名な「レイ・カーツワイル」氏の近著「シンギュラリティ(特異点)は近い」(邦題:ポストヒューマン誕生コンピュータが人類の知性を超えるとき)
によると2045年ぐらいにはコンピューターの演算処理の加速によって人工知能が人間の知能を上回るようになるという。

NHKのBSでもやってた。

                                   
               

「人間の知能」くらいならまだしも、「人間らしさの根源」ともいえる「心の動き」となるとどうだろうか。

そうなるとたいへんだが、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」にも、コンピューターが人間に反抗する印象的なシーンがあって妙に記憶に残っている。

さて、その「心の動き」を読み取る具体的な手法としては「脳波」を利用する技術がある。
脳には多くの神経細胞が存在し細かな網のようなネットワークをつくりあげているのだが、脳が何らかの働きをするとこの神経細胞に電気信号が流れ頭皮上に電位変化があらわれる。

これが「脳波」だがこの変化をとらえて類型化すると「感情の変化」が読み取れるようになる。この技術は犯罪捜査やメンタルケアでの活用が考えられているが、上記の「センスキャム」にそっくりこの「脳波測定」の技術を応用する事も当然考えられる。

つまり「明るい光、突然の動作」 → 「心拍数や肌の温度」 → 「脳波を感知」へと「センスキャム」のシャッター・チャンスが自動的に増えていくとコンピューターがより人間臭く
なっていく。

それに、いずれ「ナノボットの時代」がやってくるとカメラも超小型化しほんの首飾り程度に収まるようになれば洒落た真珠みたいな首飾りやイヤリングを身につけて前後左右の四方向の写真を撮りまくるのも夢ではない時代がやってくる。
犯罪防止には極めて役立ちそう!

もちろん、いいことばかりではない。ヴィジュアルのコンピューター利用はプライバシーの侵害がつきもの。近年、グーグルが街路上の家を特定できるまで細かく写した地図を公開して物議を醸したが、この「センスキャム」は下手をするとそれ以上の危険性を孕んでいる。

この命、2045年まではとても無理だが、はてさてどうなることやら~。

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実り多かった試聴会

2019年10月18日 | オーディオ談義

秋もだんだんと深まっていき、それと同時に五感の方も鋭敏になっていく。このところ九州は絶好の秋日和が続いている。

やっぱりこの季節はオーディオにもってこいのようですよ(笑)。

「芸術の秋」そして「収穫の秋」ともいえるが、去る12日(土)と14日(月)の2日間にわたって繰り広げた試聴会はほんとに実り多きものだった。後日のためにざっと整理しておくとしよう。

まず12日(土)

「JBLの175に新たにホルンを取り付けたので聴いてくれませんか」との依頼に、すぐに馳せ参じてくれた近隣のYさん。我が家のシステムの音を誰よりも熟知されている方である。フルートの名手だけあって耳の方も鋭い。

いつも「井の中の蛙」になることだけは「真っ平ご免」と思っているので、実にありがたいオーディオ仲間である。

この日最初に聴いてもらったのはJBLの2ウェイシステムだった。以下、音楽ソースは「サムシン・エルス」にすべて統一。

   

「とてもうまい具合になりますね」と、感心されることひとしきりだったが、他のソースに代えて聴いてみると、二人してウ~ン・・・。

どうやらコーン型ユニットを8000ヘルツまで持たせた弊害がそこかしこに出たようで、解像力がもっと欲しい音楽ソースがちらほら出てきた。すべての音楽ソースをそつなくこなすとなるとやっぱり難しいみたい(笑)。

次に、メインとなるウェストミンスターの試聴へ移った。

   

「以前と比べるとずっと良くなりましたよ。窮屈そうな音だったのが、伸び伸びと開放的になりました。ホルンに代えて大正解だと思います。ただし、クラシックならこれで十分でしょうが、ジャズにはツィーターが欲しくなりますね。私ならツィーターを付けます。」

う~ん、やっぱり。難しい選択になるなあ(笑)。

「175」に見合ったツィーターとなると「075」しかないし、すると「D123」(口径30センチのコーン型)が使えなくなるし~。

ただし、以前にも「175+075」の組み合わせをしたときにちょっと075が浮いていた感覚があったが、その時は175に「蜂の巣ホーン」を付けていたときだった。

今回は楽器を改造したより自然な「ホルンホーン」なので音の抜けが段違いだし、うまく繋がるかもしれないという期待感が持てる。

それに、やっぱりジャズがうまく鳴ってくれた時の爽快感は捨て難いものがあるので前向きに考えてみようかな・・。ま、とりあえず宿題としておこう。

次に3台目の試聴は「AXIOM80」である。

   

「ARUを弄ってからほんとうに低音域が充実しましたね。相変わらず細かい音をよく拾うし録音現場の雰囲気感の再現にかけては”ピカイチ”ですよ。」

結局、この日も「AXIOM80」が主役となって脚光を浴びたことになるが、いつものことだし、どうもあまり変わり映えがしない(笑)。

そこで、澄み切った秋の青空にふさわしく気分を一新することにした。

翌13日(日)は二つのシステムの模様替えをして14日(月)に向けて再挑戦の準備を行った。

詳細については、次回以降へと続く。

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ジャズ「カインド・オブ・ブルー」を聴く

2019年10月17日 | 音楽談義

県内在住のKさんから頂いた4枚のアルバム(ジャズ)の解説について、その内からとりあえず「サムシン・エルス」を、つい先日搭載したのはご承知のとおりですよね。

このブログの読者はジャズ・ファンが多いとにらんだ通り、とても反響が多くて、メル友さんからも「サムシンエルス」の名解説に感心され、残りの3枚についてもぜひ紹介してほしいと強いご要望があったのでこれから折を見て一枚づつ紹介させていただこう。

今回は2枚目に当たる「カインド・オブ・ブルー」。

Kさん、おかげさまでこのブログに貴重な「彩」を添えていただき感謝しています。

  

この1959年に録音された歴史的モダンジャズの傑作は、ビル・エヴァンスの参加なくして誕生しなかった。

この頃、コード進行に従って即興演奏を行なうことに限界を感じていたマイルスは、モードによるアプローチを探索し、白羽の矢を立てたのがエヴァンスである。

実際には、半年余り前に正規メンバーとして活動していたものの、他のメンバーや演奏するクラブのオーナーらから黒人でないという理由の逆差別を受けていて退団を余儀なくされていた。

しかし、次回作のアルバム制作には是非ともエヴァンスのアイデア、スケッチが必要で、参加を要請したのだ。

そしてここからがマイルスの凄みと言えるが、録音当日に事前に知らされなかったピアニストが、2人鉢合わせとなる。

新しく正規メンバーとなったウィントン・ケリーには、何でビル・エヴァンスがここにいるのか理解できなかった。

しかも、ウォーミングアップのつもりの「フレディ・フリーローダー」の1曲のみ録音してケリーを帰してしまったのだ。

ケリーの心中を察するに、いかばかりかと思わざるを得ない。この軋轢、緊張感がスタジオ全体に漲り、張り詰めた空気が60年を隔てた今でも薄まることがない。

あたかも惑星直列のような磁場が働き、稀有な演奏者のパフォーマンスが録音されたのである。

さらに余談だが、録音されたコロンビア(CBS)のニューヨーク30丁目スタジオは、元ギリシャ正教会でホールの効果が絶妙なサウンドとして、クラシック、ジャズを問わず数々の名盤が制作された。

録音技師は名手フレッド・プラウト。建築を思わせるような安定した土台基礎部分の低音、ピアノのアコースティックな響きを最上のバランスで捉え、ホーンの咆哮の生々しさ、トップシンバルからは星屑が落ちてくるような質感で迫ってくる名録音である。

しかし、物語はこれでは終わらない。1992年になって、マスターのテープ録音機の不調で1/4ピッチ高めの音でリリースされ続けたことが判り、録音から33年経ってやっとセーフティのもう1台のテープから正確なピッチのCDが発売の運びとなった。

ビル・エヴァンスと言えばトリオ構成が一般的だが、いの一番にこのマイルスのアルバムを挙げたい。

クラシックの素養に裏打ちされた、ラベルやドビュッシーらの印象派の響きがJAZZに注がれた。ピアノの和声の響きを例えるなら、空気を描くことに腐心したモネの、色を混ぜ合わせる効果に近い。

マイルスに影響を与えた白人の音楽家、2人のエヴァンスのもう一人ギル・エヴァンス(アレンジャー)の手になる「ソー・ホワット」のピアノのイントロによく表れている。

エヴァンスに限れば、「ブルー・イン・グリーン」や、ピアノの羽ばたきのようなトレモロが印象的な「オール・ブルース」、スパニッシュモードの「フラメンコ・スケッチズ」が聴きものである。

まさに無人島に1枚だけ持って行くCDの最右翼である。

以上のとおりだが、熱い、実に熱い!

大いに刺激を受けて我が家でも耳を傾けてみました。

ジャズは門外漢だが、当時の超一流のメンバーたちの緊張感に溢れた熱気に完膚(かんぷ)なきまでに打ちのめされたことをご報告しておこう。

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