アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

お陰様で土日の2日間をゆったり休暇で過ごせました。

カミさんと嵐の相葉雅紀主演の「僕とシッポと神楽坂」の第4話をDVDで観ました。

撮影場所は、神楽坂の赤城神社、毘沙門天周辺だけでなく江戸川橋駅近くの神田川沿いの江戸川公園まで登場していました。

さて、ヒューマン・ギルドが1985年4月に新宿区山吹町 ー 現在の新宿山吹高校の斜め前 ー に最初のオフィスを構えたのは、最初に役員(非常勤)の一人になった人が5階建てのビルのうちの3つの階を借り、そのうちの1階を貸してくれることになったためです。

最寄駅は、江戸川橋駅(8分)が一番近く、その次は神楽坂駅(10分)、早稲田駅(11分)で、私は足立区の梅島駅から神楽坂駅下車でオフィスに通っていました。

代表取締役に私、取締役会長もいて、社員数は、常勤のパートを含めて5人もいました。

その他に最高顧問が2人(そのうちの一人が野田俊作先生=アドラーギルド代表)もいて、私は雇われ社長でした。

1年も経たないうちに最高顧問の一人と対立し、業績不振も加わって、株主の4割が最高顧問の一人、会長と共にヒューマン・ギルドから去っていきました。

私は、その人たちの出資金の買い取りと事業の存続のためにだんだんと経営者の意識を高めていきました。

そうこうしているうちに役員(非常勤)の一人の会社の経営がおかしくなり、マスコミをにぎわしていた不動産会社(やがて事業破たん)がオーナーになり、ヒューマン・ギルドは、設立から2年もしないうちに立ち退きを迫られ、現在のオフィスの前の榎町34番地に移転しました。

神楽坂駅から7分、早稲田駅から8分くらいのところでした。

設立時から最高顧問の一人とのいさかいがあっても、野田俊作先生は終始一貫、私を大いに支えてくれました。

ヒューマン・ギルドが窮地を脱したのは、野田先生と顧問の2人、そして従来からの株主と新たに株主になった人たちのお陰です。

そのことは、私は今でも恩義を感じています。

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