帰省時の8月14日(日)に十日町市(旧川西町)の『節黒城跡(ふしくろじょうせき)』に行ってきた。ここの駐車場に車を止めて周辺を山道散歩することにした。
節黒城とは;南北朝時代の正平7年(1352)に築城、新田一族の拠点になったと伝えられている。急いで築いたために、とりでの木が素材のままで節が黒々と残っていたことから「節黒城」と名付けられたと言われている。戦国時代には、上杉謙信傘下の上野氏の居城になり大改造されて妻有地方で最大級の代表的山城となり、慶長年間まで使用されていた。(市のWebより)
まずは、城跡に向かう。目を向けると・・・「何アレ?」見慣れない建物がある。
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ここへ直近に来たのは二十年前かな~(?)、そのころの展望台は鉄骨製だった。それが木造2階建ての櫓風に変わっている。面積は小さくなったが立派になった。
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現地の説明板によると、『節黒城跡展望台』は、老朽化に加え平成16年の中越大震災により致命的な被害を受けた。(それ以降、立入禁止に)そこで、地元の方が建て替えの要望書を市に提出。平成25年10月に改築された。
展望台は、戦国時代末期の節黒城最後の城主・上野中務長安の天守台を想定し、史実確認の上で規模・構造を検証し設計したようだ。実際、内部の造作をみると、古い方法ではないかと思われた。
展望台からは、河岸段丘に広がる田んぼと信濃川、対岸の十日町の街なみと魚沼丘陵、はるかにそびえる越後三山が見られるが、この日の眺望はかすんでイマイチ・・・。
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説明板に記されていた『節黒城本丸周辺図』。図には入ってないけど西側に駐車場がある
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展望台のあるところは狼煙台だったようだ。その北側にある広場(?)と上野氏の大きな石碑。
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一番先の石碑。
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展望台から少し離れたところにある本丸跡。きれいに刈られている草地と石碑。
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次回、城跡周辺の様子をとりあげよう。
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ところで、駐車場にこんな立札があった。『緑100年物語』って?
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カチャッてみると、にいがた「緑」の百年物語は、21世紀の100年をかけて県民が主体となって、木を植え緑を守り育てて、22世紀の県民に「緑の遺産」を引き継ぐための運動とのこと。「緑の募金」活動を展開している。
当地では、平成26年に【緑の募金~森づくり事業】として、松苗10本と山取苗木5本の植栽を、節黒城跡保存会員・有志協力者によって行われたようだ。
来世紀まで続きますように。
来世紀まで続きますように。
※にいがた「緑」の百年物語 http://www.midori100.com/
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