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(yottin blog)

明治維新の整理(11)

2018年01月20日 12時51分39秒 | 明治維新の整理

時は若干前後して1863年夏から、翌64年春にかけて勤王討幕派は相次いで事を起こした

くり返しになるけれど、イギリス軍艦を砲撃した長州藩は孝明天皇に信頼された、そのため天皇を担ぎ出して

倒幕を容易に出来るという錯覚をもつようになった、そして素早く長州寄りの公家を頼んで、天皇の大和行幸

(天皇の行列が国内を巡行すること)を強く望んだ。

そしてそれは8月に行われるというところまで話しが進んだのだった、長州は小躍りした、これで天皇の権威が

高まり、その供として従う長州藩は天子様の兵となり朝敵德川を打つことが出来る。

ところが話しは早々上手くはいかない、薩摩などの公武合体を推し進める大名が行幸を反対した、さらに朝廷の

宮様(天皇様の身内)に働きかけて過激な長州の話に乗るのは危ういと進言してもらった。

孝明天皇も国内を2分するような戦争が起こるのはのぞまなかったから、行幸を取りやめてさらに不穏な動きがある

長州藩を御所の警備から外すよう指示した。

8月18日、長州藩2000あまりが御所に押し寄せると、臨戦態勢の薩摩、会津など多くの諸藩が数万で御所の警護に

あたって待ち構えていた。

やむなく長州は都を落ちて長州に戻っていった、その時長州寄りの公家7卿もともに長州に落ちていった。

(8.18政変)

ところが、行幸があると思って先走って動いた公家を中心の部隊が幕府方の阻止で壊滅した「天誅組の乱」

それに続く「生野の義挙」など相次い勤王倒幕派が自爆してしまった

これらは比較的小さな騒動だったが、翌年の春、大きな騒ぎが起こった

あの水戸斉昭の御三家水戸藩、水戸藩も尊王攘夷派と佐幕派に別れていたが、斉昭が亡くなって分が悪くなった

尊攘派が筑波山で蜂起した。

同じ水戸藩の佐幕派諸生党と領内各地で一進一退の戦闘を行い、時には近くの村や代官所を襲い、次第に勢力を増やし

千人を超える勢力になった、秋になっても事が思いどおりに行かず、この窮状を一橋慶喜に訴えようと中山道を進み出した。

彼らはいつしか「水戸天狗党」と呼ばれた、一橋慶喜は尊皇攘夷の巨頭だった斉昭の子である、まさに天狗党の

最後の切り札だった。

慶喜は今は大坂、京都を中心に将軍家茂を補佐して活躍しているのだった、信州の大名と戦闘を続け、ようやく

美濃近くまでやってきたけれど、そこで御三家尾張藩の大軍に行く手を阻まれた、しかも頼りにしていた一橋慶喜も

その軍にいた、そして冷たく言い放った「狼藉をやめて解散降伏せよ」

慶喜だけを頼りに、ほぼ1年に及ぶ長い戦闘の旅を続けてきた天狗党の落胆はいかばかりだったろう、慶喜には

そんな薄情さが垣間見える、これからも・・・・。

結局、天狗党の面々は脱落者を出しながら冬の山中を越えて越前に出て、そこで降伏した

およそ1000人の罪人達はフンドシ一枚で寒くて臭いニシン倉に閉じ込められた、その中で死んだ者も居た過酷な扱い

だった、そして幕府の高官によって始末が行われた、およそ600人が罪に問われ、その半数以上が打ち首という

極刑に処された、まことに惨い幕府の仕打ちである、長州藩処罰に次ぐ倒幕派への見せしめだった。

こんなわけで尊皇攘夷倒幕派は一気にその勢力を削がれて、公武合体派が政治を動かすようになった、そして

ついに皇女和宮が德川家茂将軍に降嫁して江戸城に入った、すなわち篤姫が和宮の姑となったわけである

こうして公武合体が一歩進んだわけだが、その影で悔し涙を流す宮様が居た、「有栖川宮」である

このような事態が起こらなければ宮様と和宮は結ばれていたのだった、それが公武合体によって宮様の手から

和宮が将軍家に奪われてしまったのだった。

 

今や徳川幕府、大名、孝明天皇にまで嫌われてしまった四面楚歌の長州藩、もがいていた、だが高杉が長州藩の

実権を握り、倒幕の炎を燃やし続けていた

この頃、軍事は高杉と彼の奇兵隊が率いていたが、政治面では桂小五郎という長州藩の幹部が担っていた

この桂もまた「逃げの小五郎」という異名をとるほど京都では新撰組や幕府の京都見回り組などに追いかけ回されて

いただけに、会津と薩摩への復讐心は異常なほどであった、だが高杉同様打つ手がない。

そこにぷらりと風来坊が一匹、話しでは袴に皮のシューズを履いて、懐には連発のペストルを忍ばせていたとか

勝海舟の教えを受けて、今や国際派となった龍馬は、まだまだ小村根性が抜けない高杉や桂を説いた

「こんな姑息な考えでは、新しい日本は開けんぜよ、おまんも幕府ば倒そうちゅ考えがあるんなら、長州一藩ちゃ

無理だちゅのはわかっちょろう、どうじゃここらで薩摩と手打ちせんかい、儂が中に入るけん」

「いいや、薩摩だけは絶対許せん、あの外道めら必ず仇を討ってやる(長州弁を標準語で)」

「じゃがのう、このまえの西郷さんが、おまんら長州にどうしたかおぼえちょろう、あれは西郷さんでなきゃできん腹芸ちゃ

思わんか?、薩摩もおまんら長州と同じようにエゲレスと戦って、その強さに驚いたんじゃ、そんでな

薩摩も、うかうかしちょれん、敵だったエゲレスに頭下げてでも新式の武器ばそろえんと、外国にこの国をとられてしまうっち

ことに気づいたがじゃ、今の薩摩は凄いぞ、軍艦ちゃもっちょるし、鉄砲ちゃエゲレスの最新式、大砲も幕府の

オモチャと比べもんにならん、儂も実は薩摩から船一艘まわしてもろうて商いしちょるのよ、もう藩だのなんだの

いいちょる時代じゃないぜよ、目ばさまさんと倒幕なんちゃ絵に描いた餅で終わってしまうぜよ、幕府もそろそろ、おまんらの

企てに気づきだしちょうぜよ、必ず長州征伐が始まる、薩摩は今度ばっかしは幕府に味方はせんじゃろう、じゃが頭

切り替えんと長州もこれで終わりじゃけ、もう薩摩と手を組むしかなかろう、どうじゃどうじゃどうじゃ????」

「う~~~ん・・・・・・mmm」

「案外長州の天才も頭が固いんじゃのう、古すぎて笑ってしまうぜよ、西郷にもおまんらの肝っ玉の小さいがみられとうよ、

そうじゃろ、さあどうすがじゃ、桂さん?会って見るかい西郷に」      つづく