本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

空(くう)

2017-08-05 20:07:35 | 漢字

辞任された大臣、

その心境を聞かれて

「…… 空ですね!…」

と、何かしら明るいお顔です。

この方よく色紙にも「空」という

字を書いておられるようです。

 

いろいろ使われる「空」という字、

そらともいいますし、

からともいい、むなしいとも

 

漢和辞典では

うかんむりではなく、

あなかんむりの部になります。

昔の住居、竪穴住居でしょうか

そこから見上げた天井が

天空に見えたところから

「そら」を表す意味になり

なにもないから、むなしいという

意味も出て来て

またなにもないから、からっぽ

という意味も出てきたのでしょう。

 

仏教でもとても重要な言葉として

「空」ということをいいます。

般若心経の有名な一句

「色即是空・空即是色」

色だけではなく、色を含む五蘊

色・受・想・行・識の五蘊が

全て空といっています。

色だけが物質ということで

後の四つ(受・想・行・識)は

心のはたらきをいっています。

 

インドの言葉のシューンヤという

言葉を「空」と翻訳したのは

随分と苦労があったのでしょう。

似たような意味で「無」とか「不」

という言葉もあります。

 

色即是空という一句だけが

よく知られて使いますが

「全て形あるものは実体がない」

という意味に使いますが

そういってしまうと

ややもすると虚無主義に

陥ってしまう危険性があるのです。

そこで、

空即是色と言い直しています

実体がないとうことは

あらゆる形あるものに

なることができると、

 

そのことを経典では

「真空妙有」(しんくうみょうう)

という言葉で表しています。

空は虚無(偏空・へんくう)

ではなくて、

空を観ずることは

真実なる価値の発見であるから

本当の空を観ずることは

有という現実の姿を見て

正しい行動ができるということです

 

十地経でも

第七地は遠行地(おんぎょうち)

という、

遠いということは

本当の行ができてくるということで

そこに一つの難があって

「七地沈空」という

空ということが分かったといって

そこに腰かけてしまい

修行を止めてしまうという難関です

第六地は般若現前地で

本当の智慧という般若が現れてくる

だから空ということも

実感できるのですが

ただ、わかったと一服してしまう

そこが難なのです。

 

さきの大臣もその心は「空」と、

やることはやったし心は空っぽ

ということでしょうか

野党からの追及もあり

なんともむなしい、という

やりきれないことかもしれません

 

とかく、

私たちの頭は

見るもの聞くものすべて実体化

形あるものとして

理解しようとしてしまいます。

憎い奴!

といっても

憎い奴という人がいるわけでもなく

ただ、今の自分には都合の悪い人

というだけの話です。

憎いと思っていても

やさしい言葉をかけられたり

プレゼントでも貰うと

途端にいい人に変わってきます。

そういう風になにか、

物事を決めつけて見たいというのが

私たちの心です。

 

その私たちの執着してみる偏見を

打ち消してくれるのが

空という一つの智慧なのでしょう。

教義的には

こんな簡単なものではありませんが

考える一つの手がかりになるかも

しれませんね。

 

気になった言葉

いろいろ辞書を引いたり

考えてみるのもおもしろいものです。

 

 

 

 

 

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