本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

たんぽぽの根の深さ、たんぽぽの種の軽さ

2017-04-24 15:46:41 | 住職の活動日記

「たんぽぽ」

三浦先生も好きだった花、

歩いていても目につき

気になる花です。

 

 

茶畑の土手沿いに

花を咲かせ、種を付けてます。

 

 

花も可愛いのですが

種も不思議な造形です

 

 

風が吹くと種を風に乗せて

どこまでも飛ばし

仲間を増やしていきます。

 

 

たんぽぽの種の軽さ、

 

 

そして、

落ちたところで深く根を張る

そのたくましさ、

 

坂村真民さんは

『ねがい』 という詩の中で、

「たんぽぽの根のように強くなろう

 たんぽぽの花のように美しくなろう

 たんぽぽの種のように軽くなろう

 たんぽぽの花言葉のように

 幸せをまきちらそう」

といっておられます。

 

根の強さということは

根が深く張るということで

根が深さをあらわし

種が軽さをあらわしている

 

『深さと軽さ』

この言葉は仏教のキーワード

のような言葉ではないでしょうか

安田先生の好きな言葉に

『深心妙行』

という言葉があります。

「深いところに立って

 自由にはたらく」

深いところに立たなければ

自由にはたらくことはできません。

 

十地経の第七地

ちょうど読んでいるところは

「遠行地」といいます

言い換えれば「深行地」ともいい

遠くへ行くという意味ではなく

行を極めていく、

至極という、行を完成していく

そういう意味があります。

そういう意味では「深行」と

言った方が

ぴったりするかもしれません。

 

また、菩薩は三つの心で

行を行じると

「直心・深心・大悲心」

素直な心、深い心、慈悲の心

というようにも出てきます。

 

同じジンシンでも、

深信という言葉もあります。

特に、善導大師の信仰告白として

「二種深信」は有名です。

 

軽い、という言葉は

世間では「軽い人」というと

軽薄な人のようですが、

仏教では信仰心の一つとして

とても重要な心です。

「軽安」(きょうあん)といって

軽くのびやかで安らかである

ということです。

 

この「軽安」という心は

人間が本来の自分に立ち還った

ときに起こる心です。

軽いの反対は重いですが、

人間の心は往々にして

何かにこだわっているもので

それを離そうとせず、

自分の固執にとらわれるものです

だから経典では、

画を見たり、お茶やお花を

やっているときは

軽安という心は起こる場合がある

しかし、日常生活では

絶対に起こらないと書いてあります。

 

ですから、

よく三浦先生にしかられたのは

「お前は重たい!

 もっと軽やかに

 はい!はい!と出来ないものか」

軽やかというのは大事な心ですよ

腹に一物、手に荷物

を持っているから重たい!

と言ったことを思い出します。

 

 

たんぽぽではないですが

「深くて、軽い」

これは私たちのあり方、

修行のあり方の要のような

気がします。

 

 

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