ズッキーニの味噌煮込みBlog版

コンピュータのこと、食べ物のこと、なんでもないこと、とんでもないこと。

猫は箱が好き

2009年01月27日 09時14分49秒 | Weblog
たまたま手元にいつものデジカメがなくてiPhoneのカメラで撮った。ボケ気味なのはそのせいであって、腕のせいじゃない、とは言えないか。

猫というのは本当にこういう、狭いところで寝るのが好きだ。我が家の居間にはこのように座布団を敷いた段ボール箱が三つもある。なにしろ猫が5匹、いや最近アカが非正規飼い猫になっているので6匹もたむろしているのだから、三つでも足りないくらい。ふだんはペチカの近くの箱にダイちゃんとハナ、テーブル脇のひとつがアカ、もうひとつがボッチーズ、つまりボッチとタケ(なにが「つまり」なんだ?)。

ナナさまはアタシの部屋のクローゼットのほぼすべてを占拠している。しかも棚板を使って二階建てになっている。いかにナナさまが嫁さんに大事にされているかがよくわかる。そんなに大事なら自分の部屋に入れてやればいいのに、なぜかアタシの部屋なんだなぁ。

    *

この写真を撮っていたら、テレビの脇の鉢植えに花が咲いていて、つぼみがあるのを発見。さっそく27日の花にいただく。春はまだまだまだまだ、ずぅっと先。

鉢植えのつぼみ

アカ君お食事中

2009年01月22日 09時49分26秒 | Weblog
アカ君は非正規飼い猫なんである。

去年の夏だったか、ひょっとしたら秋口か、我が家の広大な庭(ウソ)をうろつき始めた野良ネコ。どうやら少し先に居着いていたパンちゃんとの権力闘争に打ち勝ったらしく、ベランダでにらみを利かせるようになった。

エサをやって少しずつ人間に慣らしていたら、ときどきベランダから居間に入ってくるようになった。昨年の遅い初雪が降った日、とうとう我慢ができなくなったか、「入れてくれ」という顔をした。そういう顔があるんだからしょうがないじゃないか。

以前、我が家ではネコをみっつに分類していると書いた。内ネコ、外ネコ、野良ネコである。内ネコはいわゆる飼い猫で、ちゃんと去勢なり避妊なりさせて飼っている。外ネコはベランダにご飯だけもらいに来る猫。野良ネコはそれ以外で、単に我が家の周辺にいる猫。

ところがアカ君はこの分類に当てはまらない。ご飯をもらいに来るだけではなく家の中に入ってくるので、外ネコではない。しかしどうも内ネコたちとの折り合いが悪く、このまま飼っていいものか当方も判断に困っている。だから内ネコでもない。当然だが野良ネコではない。

それで「非正規飼い猫」という半端な分類になっている。

朝は必ずベランダに来ている。開けてやると「わーっ、寒かったよーっ」とか「おかーさん、メシ、メシ」とか「ひー、タケ(内ネコ)が睨むよーっ」とか、大騒ぎしながら入ってくる。

エサを山ほどもらって満腹すると、必ずストーブに一番近い段ボール箱に入って爆睡する。昼ごろに一度、外出してすぐに戻ってくる。小便に行っているらしい。また少しエサをもらって、夕方まで寝る。内ネコと一緒に夕食をとると、ほどなく出ていく。どこに行くのか、どこにいるのか、そのまま翌朝まで一切姿を見せない。

メシと睡眠のためだけに我が家を利用している。嫁さんが「アカって、うちのことどう思ってるんだろう」というので、「ネットカフェじゃないか」と言ったら納得していた。それからは「ネットカフェにゃん民」とも呼んでいる。

ご近所で猫好きなお宅が、たまにエサをやっていると聞いた。けっこう遠出もしているようだ。時々体に泥がついていたり、頭がアブラ臭かったりするので、どうもどこかの車庫か工場に潜り込んで寝ているらしい。寝場所とお食事処(笑)を複数確保しているのだろう。我が家が留守の時でも、ちゃんとそれなりに生活ができているわけだ。

猫は仕事があるわけではないから、寝場所とエサの確保が人生…いや、にゃん生のすべてだ。それをちゃんと自分の知恵と才覚でやっている。いつもエサをくれる相手には、どう見ても良くはない器量だが愛想良くする。アタシの膝が気に入って、よく丸まって寝ていたのだが、足がしびれるので押しやっていたらそのうち乗らなくなった。乗らないが近くの段ボール箱に丸まって「ぶにゃ」と甘えたような声を出す(居間にみっつも大きな段ボール箱がある家は珍しい)。そこそこに処世の知恵を持っている。

非正規ではあるが、にゃん民なのだが、一応自立している。なにかに依存して生きていこうという気がなさそうなところが、潔い。

古畑、キムタク、立川談志

2009年01月10日 18時24分51秒 | Weblog
暮れから正月にかけて録画しておいたテレビ番組を、いまごろゆっくり観ている。

4日に「古畑任三郎」を全部観た。勢いで「HERO」を少し観て、昨日(9日)の帰宅後から深夜までかかって残りを全部観た。きれいな男はいい。そっちのヶはないが、きれいな男が好きだ。

そして今日、嫁さんが午後から出かけたのを待って、「新春蔵出し!まるごと立川談志」。

10時間番組を5時間に再編集したものだそうだが、それでも見応え十分。「芝浜」では女房のなんとも言えぬかわいさにボロボロと泣き、「粗忽長屋」では主観の強すぎる男に、大いに笑う。「現代落語論」に衝撃を受けた中学生のころからのファンだが、いまさらながらに思う。談志はやっぱり天才だ。

嫁さんが帰ってきたので、1時間あまりを残して続きは明日にする。最後は「居残り左平次」をかけるのかな。楽しみだ。

年越し派遣村の労働者、厚労省に12日以降の住居を要望

2009年01月07日 09時59分58秒 | Weblog
なんだかだんだん厚かましくなるなぁと思って見ている。

昨日も経団連かなにかの集まりをやっている、どこやらのホテルまで押しかけて恫喝まがいの大声を上げているところをニュースで見たが、どうも釈然としない。

首吊りやら飛び込みやらもあった年の瀬にテントとはいえ寝られる場所を与えられ、年越しソバを振る舞われ、マスコミに「いかがですか」と現在の心境を聞かれているのに「もうあと三、四杯は食えますね」などとトンチンカンな受け答え。聞くところでは正月にはお屠蘇までいただいたというではないか。それで世の中とっくに働いているこの七日になってもまだ徒党を組んで騒いでいる。いい加減、働きなさいよ。

「働く場所があったらすぐにも働きたい」などとほざいている場面も見たが、あったらもなにもない。働く場所を見つけるのは自分の責任でしょうが。派遣暮らしが長いからそういう感覚を失っているのだろうけど、登録しているだけで仕事を見つけてきてくれるという状況の方が特殊だってば。

アタシは奴隷扱いにつながりかねない労働者の階層化には問題があると思っているが、その最下層に安穏として抜け出す努力もしなかった方の責任はどう考えるのか。社宅を与えられて合わせて25万円ほどの手取りを取っていた夫婦が、社宅の退去を迫られたらすぐにコインランドリーのイスに座って夜を明かすっていうのは、おかしくないか。まったく蓄えというものをしていなかったのか。いざというときに助けてくれる友人知人や親戚がないという状況に、なんで危機感のひとつも持たなかったのだ。

    *

…と、毒を吐いたところでちょっと視点を変える。

この問題でいささかショックだったのは、五十代の派遣社員という人たちが大勢いることだ。どうも古いのか、派遣社員というのは二十代かせいぜい三十代だと思っていた。それが、四十代でも意外に思うところへ五十代だ。

間の抜けた疑問なのかも知れないが、この人たちは派遣労働の適用範囲がいまのように広がっていなかったら、どこでなにをして食べていたんだろうか。

骨付きソーセージ

2009年01月03日 16時51分38秒 | 食い物
前にも書いたかも知れないが、実に不思議な食べ物だと思う。

どこの世界に、骨の周りが挽肉である動物などいるものか。明らかにこれはまがい物なのだ。

しかしなぜかこの「骨付き」という言葉にだまされて、なんとなく自然な食べ物のような気がしてしまう。骨なしよりうまそうな気分がわいてくる。

言葉の威力だ。

初詣2009 [初]北海道神宮

2009年01月02日 08時42分29秒 | 食い物
札幌に住むようになって28年。ここ数年は毎年五月の連休に円山公園、つまり神宮のお膝元で花見の宴を催していたのに、肝心の神宮参拝をしていなかったという罰当たり。初詣も近所(笑)の神社で済ませていた。

嫁さんが「今年は北海道神宮に行くからね」と何度もしつこく言うので、仕方がなく重い腰を上げた。宮の沢駅の近くまでクルマで行って地下鉄で円山公園へ。200円の直行バスで神宮まで。臨時だから仕方がないが停留所からしばらく歩かされるのはどうにかならんのか。

12時過ぎという時刻が幸いしたか、恐れていたほどの混みようでもない。数年前から痛めていて長時間の歩行がつらい腰を騙し騙し、ようやく賽銭箱ならぬ賽銭ビニールシートの前にたどり着く。

信念があるわけではないがいつもそうしているようにポケットに100円玉。手にとって隣を見ると、こういうことには太っ腹な嫁さんが財布から札を取り出している。これはまずいので「これも一緒に。かのさんの家として」と100円玉を渡す。嫁さんは重しにちょうどいいとばかりにそれを札でくるみ、えいやと投げ込む。アタシは「商売繁盛、商売繁盛、商売繁盛。たのんまっせ」と、道産子のくせになぜか関西弁。嫁さんは「どうかイケメンに出会えますように」(想像)。

心がけの差が出たか、引いたおみくじは嫁さんが大吉、アタシが末吉。まぁ、吉は吉だ。