それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

そこは聖徳太子建立した日本最初の宮寺で☆四天王寺♪

2019-11-30 07:22:30 | おでかけ

ずっと、5月に始めてその日だけ駆け回り、あたふたしてる間に、2日目は11月。

後半は、美味しい厚焼きだし巻き玉子のサンドイッチを食べて、いざ!

大きな色紙を持ってます。それが、『なにわ七幸めぐり』なのだ。

1ヶ所目で色紙をお買い上げ、デカいのだ。もう、七か所のお名前は書いてある。

その上に、ご朱印。その名の通り、朱色の判子を押してくれる。ちょっと”和”っぽいスタンプラリーだ。

そこは和宗総本山 四天王寺。『大日本佛法最初四天王寺』とある。日本仏法最初の宮寺であるらしい。

聖徳太子が593年に建立した日本最古の・・・宮寺。ぐうじって読む。神社に付属した寺院なのだ。

四天王寺は、お寺?鳥居に一礼しながら、廻れるかな・・・なんて、一抹の不安。

令和四年に、聖徳太子1400年っていう、何かしらのイベントがある模様。

不安は的中。実際、ここで撮った写真は88枚。なんと末広がりで良い数字。

だけど、今更全体図と見比べたらなら、いったい・・・これは何処なのだ!?って思うものが多く、

しかも、全て廻ってる訳では無かった。なので、ここは再訪で一つ一つをもっと極めよう。

そう思ったので、まずは最初に、ここだって思ってたとこ。

こちら、西大門。通称は極楽門。

創建は推古天皇。第33代天皇で女性君主なのだ!推古天皇の甥っ子が聖徳太子だったっけか。

まあ、それはさて置き、推古天皇元年の593年創建。今の西大門は、昭和37年(1962年)に、

故松下幸之助氏の寄進に依り再建されたとの事。

門の柱には、それぞれ、転法輪が付いてるってのが4ヶ所。

これはね、古代インドの戦車の車輪をかたどったもので、『お釈迦様の教え』って意味があるって。

これを掌で、軽く右に回して、お釈迦様の尊い教えが、車輪の様に回転して、

遠くまで広がるとこを表してるのだって。

釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心。

四天王寺は釈迦如来が説法された聖地であり、境内の西の地である西門は、

極楽浄土の東の門に当たる。・・・・え?西から入ってそこは東?入ってから引き返す感じ?

では、四天王寺物語1回目、(2回目は忘れたころにやってくる。生きてれば)中心伽藍をゆく!

ここから入るよ。幾枚かのコインを課金する門、そこは西重門。

593年に創建された四天王寺。『日本書紀』によると、

物部守屋と蘇我馬子の合戦(飛鳥時代の丁未(ていび)の乱が起きて、

それは仏教の礼拝を巡っての争いで、いわば宗教戦争!?ってものだったのだが、

崇仏派だったと言われる蘇我氏についた聖徳太子が、不利な戦を打開するため、

自ら四天王像を彫り、この戦に勝利したならば、四天王寺を安置する寺院を建立し、

この世の全ての人々を救済すると哲願され、そして、その賭けに勝ち、有言実行したのだ。

ああ、話を戻そうね。西重門を潜ったら、どっちから行く?・・・・目の前に、五重塔と金堂!

例えば、お弁当が有ったなら、好きなものから先に食べるか、そうじゃないものをクリアするか、

そういう議論があったりするけど、私は前者。お腹空いてる時に、一番を頂く。

なので、より目を引く五重塔!ここに有るのは創建から8代目、1959年(昭和34年)再建。

六道利救(六道は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つで、利救は、その世界で、

生死を繰り返す世界からの脱却)の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に、

仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められている。って、髪の毛6本?知らんけど。

五重塔と並んで、こちらが金堂。

中の写真は撮れぬが、聖徳太子の御本仏である、救世菩薩をお祀りして、四方を四天王が守護してる。

毎日朝11時から、舎利出しの法儀ってのが有るらしく、早くから集まってる。

何が始まるのって、11時ってまだまだあるしな~どうしようかな~って、

結局、その法儀には参加しなかったけど、11時きっかりに読経、そしてお釈迦様の舎利が・・・・。

って、何が起きるのか知らない。てへ。また来るからさ。いずれまた。

五重塔と金堂のコラボだ。こうやって見ると、おもちゃの様にも見える。

金堂の基壇下には青竜池が有るらしく、白石玉出の清水が湧いているって。飲ませて欲しい。

なんでも、供養を済ませた経木を、その水で流せば極楽浄土が叶うって。

え!?その湧き出た清水は、何処に流れてるのかしら?流れなければ洪水でしょう。謎多し。

11月、秋って来るの?そんな感じの頃、晴天の四天王寺。

何を撮るにせよ、やっぱり晴天が一番だと、つくづく思いながら、青い空を眺めてて・・・・

し・・・しまった!!晴れではないわ。紫外線の豪雨が襲ってきてるの忘れてる!!ヤバい!

西重門から入ったら、目の前のお二方。取り囲むように廊下が有って、取り囲まれてる。

西重門の真反対は、東重門。

ここは閉鎖。出入りは出来ないのだ。外から覗き込んでる方もいらっしゃったけど、反対側に回ろうね。

それでは左側は・・。東西南北が分からない、劇的な方向音痴なのだ。

そういう時には、娘っこに。左っかわが北ならしい。

そこには講堂。

ここは、聖徳太子がお経を講義された場所。

現世の人々の悩みや苦しみを救う十一面観音菩薩、

来世極楽に人々を導く、丈六阿彌陀如来をお祀りしてるの。現世も来世も、安楽の世界。素晴らしい。

とっても、静かで、眺めていましただけでも、心落ち着くそんな場所。

その、反対側は南になるらしいが、そこには、中門(仁王門)・・・・・。

だが、こちら側から見えないので、外に出てから。

中心伽藍の南端に位置し・・・おお。南だ。、脇の間に伽藍の守護神である、金剛力士(仁王像)を

祀っていることから、仁王門と呼ばれ、ここが中心伽藍の本来の正面であるらしい。

赤の像は『阿像』。那羅延(ならえん)金剛力士で、青いのが『吽像』。蜜迹(みっしゃく)金剛力士。

お二人合わせて『阿吽』なのだ。『阿』は、物事の最初、『吽』は最期を表すのだそうだ。

阿吽の呼吸で山門を守護しているの素晴らしい。

最初に300円をお支払したとこに掲示されていたもの。

こういう感じで、ぐるりと・・・。そうそう、龍の井戸。

中心伽藍金堂の地下深くに流れる荒陵池の麗水に住む青龍が、寺域を守護していると信仰されてる。

四天王寺の地には七宝が敷かれ、青龍が常に守護し、その麗水は東に流れる。

江戸時代には井戸屋形(井戸の傍に柱を立てて、その上に屋根を付けたやつ)が造られた。

金堂の傍ら、屋形の天井には山下摩起画伯の筆による龍。

龍が、地下の麗水から、この井戸に上がってくるのかしら?

そんな感じで、その囲いの中を書きました、初めての四天王寺。

また来たいですね。スタンプはしっかり頂きましたよ。有難うでした。

和宗総本山 四天王寺

大阪市天王寺区四天王1丁目11番18号

TEL  06-6771-0066


蝶々が舞うだし巻き玉子サンドのモーニング☆cafe百花☆大阪市天王寺区♪

2019-11-29 05:23:31 | グルメ

ずっと、何日も『なにわ七幸めぐり』に行ってきたよ~ってお話書いてました。

昨日までのは令和になったばかり、5月の話。

四幸まで巡って、、なかなか続きにってならず。11月、満を持して四天王寺夕陽丘にやって来た。

・・・って、神社仏閣ちゃうんかい!?って感じですけど。

いやいやいや・・・朝から出掛けたなら、そこでモーニングを頂くって言うのも、密かな楽しみ。

ここ。ここよ!ず~~っと前から目を付けていましたわ。付けてる間に、

開店時間が1時間遅くなった。それほど、ずっと、行きたい気持ちを温めていたお店。

素晴らしいモーニングのセット。注文を聞いてから玉子を割る。それは、Bセット!

その厚焼きの玉子焼きは、お箸が付いてるっても頷ける。

お出汁が効いた、だし巻き玉子なのだ。和!もしかして、温かい白米の上にのせても最高。

この玉子でご飯2杯いけるわ的に、しっかり味が付いてる。しかも美味しい!

朝っぱらから、こんな味付け濃いの大丈夫?って一抹の不安。でも大丈夫。

基本的に私は、例えば茹で玉子に何もかけない薄味推奨派だから、普通にはかなりの美味しさだ。

濃くっても大丈夫。

だって、サラダの新鮮さ加減が半端無かったし、食べやすく切り込みを入れてくれてる、ぱいなぽ~ぉ!

こんなサラダと、ぱいなぽ~ぉ!、丼っていうより、ボールレベルで食べたいわって美味しさ。

ぱいなぽ~ぉの、あ、詳しくは、パイナップルなのですけどね、それの切り込みも、

食べる側の事を考えての事で素晴らしいのがけど、新鮮なしゃっきしゃき大根だから無し得た技。

大根が蝶々。てふてふ・・・。ぶんぶん、感激!

このモーニングの素晴らしさに、四幸後、あと三幸を踏み出そうとしているこの時、

縁起が良いったらありゃしない。何となく、そんな事を気にするの・・・。

きっと、私を酒場で知る人ならば、全くそんなイメージは無いと言うでしょう。

ほんとはね、繊細で傷付きやすい小心なのですよ。知らんけど。

底に沈んでるのだけど、若布たっぷりで水菜INのコンソメスープ、

そして珈琲は、最初に飲んだの、むっちゃくちゃ美味しかった~。

ボリュームたっぷりでお腹いっぱいだから、動きましょう。

さ、なにわ七幸めぐり、後半三幸へいざ!って事です。ご馳走様でした。

cafe 百花

大阪市天王寺区四天王寺1-14-27 植田ビル1F

TEL  06-4303-4485

営業時間  8:30~18:00(L.O.17:00)

 

 


スタンプラリーなにわ七幸めぐり4つ目!☆太融寺☆大阪市北区♪

2019-11-28 05:30:13 | おでかけ

令和って元号になった記念に、手っ取り早く7ヶ所で満願か~って、

浅はかな気持ちで、四條畷スタートの、なにわ七幸めぐり。

大きな色紙持っての移動は、周囲の視線もえげつないから!

4ヶ所目は、ああ、お寺が有るからそういう地名だった?って感じにお初のお寺だ。

西国三十三箇所は鯖男さんと廻ったが。

ここは新西国の第二番らしいぞ。佳木山(かぼくざん)太融寺。

弘仁12年(821年)、嵯峨天皇勅願により、弘法大師が創建したって事だ。空海さんは財力あったのね。

ああ、私が入りましたのは西門で、他にも有ったみたいだけど。まあ、気にするな。

やっぱり、本堂からいっとくよ。

御本尊は千手観世音菩薩。それは、嵯峨天皇の念持仏だったとも。

そして、淳和天皇の代に、左大臣、源融(みなもとのとおる)が、七宝伽藍を建立したとか。

大融寺のその名の由来は、その伽藍を建立し源融に由来していたとな。

本堂から朱塗りの塔は、一願塔。

本尊は石仏の不動明王。昭和29年5月28日に再建って事ですよ。

脇仏矜迦羅、制咤迦二童子(石仏)同時に再刻。

戦前の不動明王は、一願堂東側お滝の洞窟内(奥之院)に安置。

一願不動と称し、一願成就の利益あり、昔より霊助にあずかった実例枚挙にいとまなし。

近畿三十六不動霊場第6番札所。

ぼけ封じ三十三観音も。なかなかの曲線美だ。

けれど、もしかして、もうそろそろ、こんな三十三箇所を廻って、

ボケ封じ祈願をはじめた方が良いのかしら?。効く?どうなのでしょう。

ああここは。マジですか?こんな小さなので良いのって思ってしまう。

元和元年5月、大坂城落城のよって、秀頼と共に自刀して果てた、淀殿のお墓。

豊臣秀吉のお嫁様で浅井長政の長女。お母ちゃんは信長の妹のお市っていう淀の方。

ん?全部じゃないのかしら?

淀殿の遺骨は、大阪城外鴨野郷、弁天島に一祠を作って埋められた。

これが淀姫神社である。・・・って、ここじゃないやん!!

明治10年11月城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀されることになり、

豊臣に縁りの深い当寺に埋め九輪の塔(現在戦災に依り六輪)を建て境内西北隅に祀った。らしい。

バラバラにしなくっても良かったのではないかしら。出来れば、旦那様と一緒の方が。

また、帰ってから調べたら、ちゃんと廻りきれていないのだな~。

こんなの見つけて、触りまくっていたさ。

ネパールの『マニ車』。経車って言うらしい。

あら、更に色々有るらしく、『おおさか十三仏霊場会』ってぇのが有るらしく、

パキスタンの学校建設に援助してるってさ。その(中略)シンボルだ。

マニ車の中にはお経が納められていて、手で回すとお経を一巻お唱えするのと同じ効果って、

だから、いっぱい回したわ。5月にね。何も功徳を感じない。

多分、そう思ったらいけないのだわ。たった1回だけ風邪ひいただけで生きてる。これが功徳って思わねば。

なにわ七幸めぐり、4ヶ所目は、無病息災の幸を授かれる・・のかな?

高野山真言宗 太融寺

大阪市北区太融寺町3-7

お電話 06-6311-5480

もう無理、もうダメ、喉がカラカラだし、お腹ペコペコだし。

一旦、梅田に戻ったならば、9月末までの期間限定のお店がそこに。

5月、一人ですが2杯呑みましたのこ。

 

 

 


日本最初の念仏道場は融通念佛宗の総本山だった☆大念佛寺☆大阪市平野区♪

2019-11-27 05:35:49 | おでかけ

令和になった5月の事、新しい事を何か・・・って、

なにわ七幸めぐりを企てた。

人生には七つの難関が待ち受けていて、その難関を乗り越え、幸せな人生を送る為に、

神仏から授かる叡智を身に付けていきましょう・・・って言うのか、この企画なのだな。知らんけど。

その3ヶ所目にやって来たよ。駅から、大きな色紙を持って、結構歩いたさ。

大念佛寺は、融通念佛宗の総本山、っていうと、一番偉いってこっちゃ。大変だ。

でね、念仏は分かるよ。融通念佛って、何?

融通が効く。とかって我儘通るって感じだったら、面妖しな話で。

あ。今調べましたよ。融通は、溶け合い和合する事。なのだそうだ。なるほど。

それぞれの形も働きも異なる者が、溶け合う。すべての関係の上に、融通和合すると・・・云々。

さ、サクッと書いていくよ。殆どがカンニングだけど、まぁ・・・小さい事は気にしないで。

上の写真、平成18年に大阪市指定有形文化財に指定された山門。

棟行3.6m、梁行2.7m、両脇に2.1mずつの壁落ち屋根。

それは江戸時代の初期の建造で、そこに掲げられた『大源山』の勅、

霊元天皇(1654年~1732年、第112代天皇)皇女(吉子内親王で宝鏡寺宮徳厳尼)ご親筆だそう。

一茶の歌碑だ。まあ、新しいし、

先を急ぎましょう。週の中日だと言うのに、グズグズしていられませんからね・・・・。

本堂は、総欅造りの銅板葺き。東西約50m、南北約40m。

1172年、って、日本は平安時代。元号は承安といったそうな。

承安3年(1173年)に親鸞が生まれた・・・なんて言っても。全くピンとこないけど、

1172年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人(聖應大師、今の愛知県東海市で生まれたのだ)が、

四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により、

平野に、根本道場として創建されたのが始まり。妻女の念仏道場がここなんだ。

その後、火災が起きたり、なにやかにやで、元禄期(1700年頃)に、本山として体裁が整い、現在に。

今ある本堂は、昭和13年再建の、大阪府下最大の木造建築物で、

平成15年には国の登録有形文化財に指定されておりまする。

御本尊は十一尊天得如来。それは特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像なのだそうな。

鐘楼。これは時が来たら、鳴らすのかしら?鳴らすよね、知らんけど。

この鐘は、江戸時代の名鐘。従一位右大臣藤原家孝公撰の碑文・・・って、あれ?そうだったの?

冬の足音がひしひしと感じられる今日この頃、この写真のお話は、令和になったばかりの

5月のお話にござりまする・・・・。なので、咲き初めた紫陽花もまだ若い。こんな時期でした。

そして、圓通殿(えんつうでん)は、観音堂。

元禄六年(1693年)第四十六世再興大通上人の創建で、平成元年に修復。

『圓通殿』の扁額は、大通上人直筆らしいが。とても素晴らしい保存状態だったのだ。

御本尊は木造聖観音立像で、像高五尺五寸。・・・五尺五寸、166.666667cmだそうだ。

私よりチビ。だけど、木造のそのお姿、お会いしてみたいものです。

と、その観音様は、傳教大師作と伝えられてるそうだ。ますます・・・・。御開帳とか有るのかしら?

ふと見上げたら、瓦が、鬼瓦が、とてもお洒落さんなのですよ。

さあさあ、はよ次行きましょう。

実はね、五月の、油断してて水分不足になりそうな快晴の日。

後で寺の事をあれこれ調べて見ますれば、あ、あれ?廻ってない箇所も沢山あって。

また、いつの日か再訪しましょうって思うのだけれど、ひとまず、あと1枚。

地蔵堂だ。

ちゃんと、説明書きを撮ってきた。ここだけは!

平日は朝執筆の拙ブログ、今日この日の時間の無さを予感していたのかしら・・・。って、横着します!

しっかり・・・・読んでね。

また、いつの日か、再訪しよう。うん、そうするさ。

ちと、熱中症?って感じになりつつ、判子だけはちゃんと頂いたよ。

あかん、コンビニでも自販機でも何でも良い。水を、うぉ~た~ぁぁぁぁ!!

融通念佛宗総本山 大念佛寺

大阪市平野区平野上町1-7-26

TEL  06-6791-0026

拝観時間  午前9時30分から午後4時30分まで(午後5時閉門)

 

 

 


”なにわ七幸めぐり”2ヶ所目の大阪天満宮の幸は学業だった☆大阪市北区♪

2019-11-26 05:21:05 | おでかけ

四條畷であちっこっちと歩き廻ってJRに乗ったわ。

なにわ七幸めぐり、真面目に巡りましょう。2ヶ所目です。

有名過ぎるとこ。書かなくっても、もうみんな知ってんじゃ~ん!なんて感じだろうけど。

大阪で生まれ育った、どっからどう見てもおばちゃん年齢が、平成31年の梅まつりが初。

人生2回目の大阪天満宮なのであった。

令和になった5月にやって来たんだ。やっと書いてるのは、先日って11月、やっと満願したからね。

やっぱり、表大門の天井の、大注連縄は健在。

出雲玉造天満宮から来たのか?御神退千百年大祭記念奉納って?それって何?

まあいい。早朝から深く考えない事にしよう。

ほんとはね、ちゃんと書こうと思ったのだけど、起きれなかったんだよぉ。

そして、その大注連縄のとこの、これは・・・・・。

不動の方位磁石みたいなもんかしら?南とか、東・西、動く方位磁石が有っても、

全く使い方を理解できない、例えばあっちが北だって分かったからってどうだっていうのだ?

極端な方向音痴には、方角ってものの意味が分からない。

ナビなんてものが無い時代、営業をしてたのだけど、道に迷って上司に電話したならば、

『お日様はどっちにある?』って聞かれたりっていう、重度な方向音痴。

あ、話を戻して、この日は5月で、令和になった記念の時。

なので、行列を見た。う・・・・・どうしよう、苦手だな。それは、ご朱印行列。その隙に。

スタンプラリーより先に、お詣りをしなくっちゃいけません。

白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した折、ってね、難波長柄豊崎宮は、

孝徳天皇の皇居だよ。今上天皇が126代なら、孝徳天皇は36代。昔々の事。

そこは大坂城の南(ってどっち?)に、宮址があるらしいさ。

ああ、じゃなかった、それを造営した際に、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが、

ここ、大阪天満宮のルーツ、始まりの時だったのであ~る。

天満宮だもの。この方が登場する。

延喜元年(901年)、菅原道真が九州大宰府へ左遷された折、この地に有った大将軍社に参詣、

旅の安全を祈願していったと。没年、903年。

延喜三年(903年)道真公が没した後に、天神信仰が広がり始める。

誰が提唱して広めたのか、天神信仰は、日本の天神(雷神)に対する信仰で、

火雷神は天から降りてきた雷の神、雷は雨と共に起こり、雨は農作物の育成に欠かせない。

農耕の神が・・・・・なにがどうなって菅原道真になったのか、調べてる暇はない時間になってきた。

あ、農耕?確か学問方面の神様では無かったか?

ここの御祭神はその菅原道真で。

没後、949年、難波京の西北の鎮めとされた、大将軍社前に、一夜にして七本の松が生えた!

天皇の勅命により、大阪天満宮が建立されたって事だ。村上天皇??まあいい。

ここ大阪天満宮、初宮詣・厄除け・交通安全・商売繁盛・試験合格・学業成就・七五三詣・お子様の撰名。

各種御祈祷、絶賛受付中ですね。御祭神も、忙しいっ

たらありゃしない。

他のとこの御祭神も兼務してらっしゃるだろうし、なかなか、全ての祈願をコンプリート出来てるのか。

多分、忙しいから、お願いするよりも自分自身で精一杯やるから、観ていて欲しいと願ったら、

ガッツポーズの1つでも頂けるかもしれない。

暑いのだよ。5月って言っても、殺人的な紫外線が降ってきて。

だけど、ちゃんと並びましたよ。普段、行列は避ける。嫌いやもん。

挫けそうになったけどね、なにわ七幸めぐり、七か所廻って七つの神徳・功徳を頂けるんだ。

ここ、大阪天満宮の功徳は、るるる、らんらら・・・・・え?”学業成就”か。学生に戻りたい。

大阪天満宮

大阪市北区天神橋2丁目1番8号

そして、そこの商店街がむちゃくちゃ誘ってくるのだけど。

ダメ。何って、このご朱印、実は判子だけ、まさしくご朱印のみのスタンプラリー、

土台の色紙が、デカいのだな。持ったまま呑み屋に行けない。泣く泣く電車に乗った。