それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

弁慶さんは力持ち☆園城寺(三井寺)♪

2014-04-26 06:56:17 | おでかけ

園城寺(三井寺)は天台寺門宗の総本山。

創建は飛鳥時代、686年に弘文天皇の皇子、大友与多王が、

荘園城邑(田畑や屋敷の事)を投げうって、一寺を建立したので、

『園城寺』という、寺号になっております。。。

はい、勉強しましたとも

手水舎で、手と口と・・・・心を清めましょう。

・・・って、手水舎でよく見かける龍なのですけど、何故か檻の中。

なんぞ、悪い事でもしはったんか、檻の中の龍は、

どことなく、切ないお顔に見えるのですけど・・・・・・・。

園城寺は、比叡山延暦寺の山門派に対して、寺門派とよばれ、

その昔は、争いを繰り返してきたとか。

こんなに、穏やかなのに。

園城寺は通称、三井寺とも申します。

天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に、御産湯に用いられたという、霊泉があり、

『御井の寺』と呼ばれていたものを、後に智証大師が

当時の厳義・三部潅頂(密教の儀式)に用いたことから『三井寺』と・・・。

で、その三井の霊泉は今は重要文化財、閼伽井(あかい)屋と申します

ぽこぽこ・・・・音がするのです。

涌いてるの。ほんとに、霊泉って感じがして。

この閼伽井屋の上部に、有名な左甚五郎作の龍の彫刻があったのさ。

だのに、見とれてただけで、写真撮ってないって

ところで、争いが絶えなかった当時、比叡山延暦寺には僧侶・弁慶がいらっしゃった。

三井寺に襲った弁慶が、琵琶湖の龍神から頂いたとされる梵鐘を奪い、

比叡山へ引き摺り上げたという。なんて力持ち

で、比叡山に引き摺り上げた鐘が、なしてここ、三井寺にあるのかと申しますと、

その戦利品の鐘、撞いてみたら、『イノー、イノー』と響いたそうな。

『いのう』は、関西弁で『帰りたい』『帰りましょ』の意味。

『そないに、三井寺へ帰りたいんかい、われ!』って感じでしょうか。

弁慶さん、怒って谷底へ投げ捨ててしまったんですね。悪いやっちゃ。

こちらは、弁慶の汁鍋

三井寺を襲うって時に、自分用の鍋を持ってくるって・・・どんなもんなんでしょ。

ただ、帰りは、鐘を持ってたので、鍋までは持てなかったのでしょう。

さて、重要文化財の三重塔

元々、大和の比蘇寺の塔を、何故だか慶長2(1597)年に豊臣秀吉によって

伏見城に移築。それをまたまた慶長5年に徳川家康が三井寺に寄進したと。

こないデカいのん、あっちこっち移動できるもんなんでしょうか?

組み立て式?

1層目には、木造の釈迦三尊像が安置されてるそうな。

そして、ここは観音堂

いつぞや、西国三十三箇所を巡礼してたとき、一度、訪れておりましたね。

本尊は・・・如意輪観世音菩薩。 (三井寺の本堂のご本尊は弥勒菩薩)

お久しぶりね。でも、ご本尊は、33年に1度しかお会いできない秘仏なの。

とても良い気候。

染井吉野は散ってても、八重桜はまだ残ってる

そんな境内をうろうろ。 うろうろしてるだけでも、清々しくって気持ちいい季節。

ところでここは、映画『利休にたずねよ』や、『るろうに剣心』、『武士の献立』、

テレビでも大奥や大河ドラマ等々、いろんな作品のロケ地となったらしい。

そんな話をしながら、観音堂横のなだらかな石段を登っていくと・・・

突然、何の前触れもなく、こんなものが

そうね、何を隠そう、能力検定も実務検定も2級なの。

ここ大津は、そろばん発祥の地 初めて知りましたが。

母が今も使ってるMyそろばんは、五つ玉が2個あるもの。

これが、大津そろばんの特徴らしい。

久しぶりに、そろばん触りたくなった・・・けど、お嬢のそろばん、まだ家にあったかしら??

そろばん記念碑のところから、三井寺境内、そして琵琶湖も望めます。

清々しい春の日の遠足でした

長等山 園城寺 (三井寺)

滋賀県大津市園城寺町246

TEL  077-522-2238

拝観時間  8:00~17:00

 

 

 

 

 

 



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