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ぽかぽか春庭「日本語も変わる法律も変わる」

2024-03-19 00:01:01 | エッセイ、コラム

20240319

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(3)日本語も変わる法律も変わる

 日本語について書いてきた過去ログの再掲載を続けています。

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2010/05/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>日本語でどづぞ2(1)サヌい氏は存在するか

 自分が書いたことを訂正しなければならないとき、単純な誤変換などでは訂正したあと、いちいち「訂正した」という記述は残していません。しかし、本論の主旨に関わる記述で間違いに気づきとき、訂正するときは、文末に「○○という理由で、△△を××に訂正」という注記は入れなければならない。
 訂正する必要はないと感じるけれど、訂正ではなく注記を入れておきたいことも生じます。

 映画『デイアフタートゥモロー』の中の東京が災害に見舞われるシーンで、お店の入り口が鳥居であったり、バイク屋の看板に「オートツョップ」と書かれていたりすることの違和感から、これはハリウッドが見よう見まねで作り上げたセットの東京だから、このような違和感が生じるのだ、という感想を述べたことがあります。
 
 店名の看板文字が「サヌい」となっていたことにも違和感を感じました。日本人名の表記で、漢字、平仮名、片仮名それぞれの表記があります。選挙用ポスターの人名表記など、書きやすさを重視して、漢字と平仮名を併用することもあります。しかし、平仮名とカタカナを混用するのは、名前のほうには見たことがあるけれど、苗字ではあまり見たことがありません。名前ではたとえば「マサゑ」とか「ツね子」なんていうのも私の母の世代まではありました。

 でも、店の名の看板に「サヌい」とあるのに違和感を感じたのは、日本語表記で語尾の「い」をそれだけ平仮名で表記した場合、「この語は形容詞である」という感覚になるからです。「サムい」「マルい」「ヌクい」「カタい」「ヤバい」など。
 店の名として「讃井」「さぬい」「サヌイ」ならば、違和感はありません。「さぬい」は名詞や人名と感じることもできる。しかし「サヌい」と書いてあると、この「サヌい」は、形容詞であると私は感じてしまったのです。「サヌい」なんていう形容詞は見たことありません。だから、店の看板の文字として違和感を覚えました。

 さて、「サヌい」への違和感と、その訂正についてです。たぶん、片仮名と平仮名を混ぜた「サヌい」も戸籍表記上、現在では認められないことはない、と思います。したがって、私が「サヌい」なんていう苗字が店の名として看板に書かれることはない、と感じたことは、間違いでしょう。しかし、私が違和感を感じたことも事実であって、これは訂正する必要はないと思います。私の違和感は、「日本人の苗字は、漢字またはひらがな、カタカナによって表記され、漢字かな交ぜ書きの姓や平仮名カタカナ交ぜ書きの姓はないとは言えないが、少数である」という一般的な見方によるものでありました。

 「苗字の表記には、漢字を用いる」という規定は、つい最近まで行政指導として存在しました。以前は、外国人が日本に帰化するとき姓名を日本風に直すよう指導され、それが義務ではなかったものの、漢字表記のほうが帰化申請が通り安いとされていました。現在はその指導もなくなり、カタカナの姓でもOKです。(使用漢字は日本漢字の常用漢字と人名漢字の範囲内に限られているので、中国簡体字などを使うことはできません)。

010/05/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>日本語でどづぞ2(2)孫と侍

 トンガ王国出身のラグビー選手ルアタンギ・バツベイ(Luatangi Vatuvei)は日本国籍帰化後の戸籍名をカタカナ表記そのまま、ルアタンギという姓にしました。名前は「侍バツベイ(さむらいバツベイ)」です。ラストサムライにあこがれて日本に留学したことから、「侍」を名前に加えました。かって私が出講していた大学の出身ですが、スポーツ特待生で別学科。私の日本語クラスには在籍したことがなかったのは残念。怪我のため2009年にラグビーの一線からはいなくなりましたが、日本の戸籍名に「ルアタンギ」という新しい姓を加えた侍バツベイさん、これからも日本国民として活躍してほしいです。
 両親の国籍のふたつを持ち、成人後に国籍を選ぶ人もいます。野球選手のダルビッシュ有は2008年に日本国籍を選び、母親の旧姓によって戸籍を作り「東本有(ひがしもとゆう)」となりました。野球選手名の登録ではダルビッシュのままですが。
 
 かっては、国籍変更の帰化申請時に、「姓は、既存の日本人の姓のなかから選ぶ」という行政指導ありました。あくまでも指導であって義務ではなかったですが、法務局は新しい姓を記載することに慎重でした。ソフトバンクの孫正義は、帰化申請をしたとき、「孫は日本人の苗字にない」という理由で、既存の姓を選ぶよう指導を受けました。そこで彼はまず、家庭裁判所へ妻の姓の変更希望を届けさせました。奥さんは規定通りの手続きを経て旧姓の苗字から「孫」という苗字に変更しました。その次に「日本人が有する既存の姓」となった「孫」で帰化申請を出し、法律に則って「孫」という苗字が認められたのです。

 日本人帰化申請も時代の要請で変化があったように、日本語表記もこれから変わっていく部分もあると思います。「てふてふ」という歴史的仮名遣い、現代表記では「ちょうちょう」と書く。私の変化予想のひとつは、平仮名の長音表記が、カタカナと同じ「ー」になる、というものです。「おかーさん」「おねーさん」などの平仮名長音表記がメールの中などでは若者に使われているので、やがてはこれが標準表記になるという予想。当たるかな?

 侍バツベイさんにとって、きっと『ラストサムライ』は、日本そのものに思えたことでしょう。2003年公開の『ラストサムライ』あたりだと、日本人俳優やスタッフががんばって、「アメリカ的思いこみの日本」像をずいぶんと訂正して撮影に臨んだというエピソードが伝わっています。

 しかし、1987年公開のラストエンペラーだと、満州皇帝溥儀の弟溥潔の妻嵯峨浩の着物姿がなんともだらしない。妊婦姿ということなのだけれど、前あわせがダラ~としていて、とても人前に出られる着物姿ではなかった。髪型も変。江戸時代の浮世絵の花魁の結髪をさらに崩したようなおかしな後ろ姿でした。ヘアメイク担当者は、日本の浮世絵を参照しながら「これぞ日本女性の髪」と思って鬘を作ったのかも知れませんが、華族出身の皇弟の妻が花魁の髪型をすることは、ありえない。

 『デイアフタートゥモロー』で感じた東京シーンへの違和感、ハリウッド映画ではよくあること。映画『ラストエンペラー』の衣装やメイクで、私には嵯峨浩の奇妙な結髪が気になったけれど、中国清朝の宮廷を知る人々にとっては、あんなのはあり得ない、と感じる衣装や髪型もたくさんあったことでしょう。今見ているテレビドラマ『蒼穹の昴』では、清朝時代の満州族宮廷の時代考証がかなり史実に近く、きちんとなされている感じがするので、『ラストエンペラー』の宮廷人たちの衣装やヘアスタイルが、これは、きっと「西洋から見た中国清朝なのだろう」とわかるようになりました。

 日本の時代劇でも、元禄時代の話なのに、女性の髪型が文化文政時代以後に流行した結髪だったり、ということはよくあることなので、そんなに目くじら立てることもないのかもしれませんが、映画の中に描かれる各国の文化、それぞれの国で「これは、我が国のようすとは違うぞ」と、感じられ、その国に人にとっては違和感が残るものなのでしょう。春庭カフェコラムでも、映画『ビルマの竪琴』のビルマ僧の僧衣がタイ仏教の僧衣であり、ビルマの人々には違和感を感じさせるものであったことを書きました。

 『デイアフタートゥモロー』の東京シーンで、店の前に立つ鳥居に違和感を感じたことを述べましたが、大阪のウェブ友toukuroさんから、「ビルの前に立つ鳥居」の写真をみせていただきました。ほんとうにビルの入り口に立っている鳥居です。少し離れたところにある神社の参道だったところに、あとからビルが建ったのではないかということですが、ビルを建てるとき、石造りの鳥居があって建築の邪魔になったのではないかと思うのですが、罰があたりそうで、撤去できなかったのか、鳥居をくぐってビルに入っていく人々、毎日どんな気分でしょうか。「日本珍景百選」というのがあったら、推薦したい写真です。

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20240319

 「日本国籍を持つ日本人の苗字には漢字を用いる」というかたくなな方針が変化したことを述べました。

 日本の法律の中で、変わるほうに賛成しているもののひとつが、「結婚した男女が同じ苗字を名乗らなければならない」という法律です。結婚したら夫の苗字になる男女のほうが圧倒的に多い現代の日本ですが、結婚前の姓を名乗ることで、職業上の不利益をこうむってしまう人々などが、法改正を求めましたが、今回も却下されました。

 夫の姓になりたい人はなったらいいし、妻の姓と同じになりたい人も同じ。ただ、結婚しても姓を変えたくない人に、変えない権利を認めよう、というだけのこと。

 ついでにいうと、結婚を「男女」に限っている現行の法律も、変えてほしい法のひとつです。

 多様性ということば。、「布地面積の狭い衣装を着けたダンサーに口移しでチップを渡したパーティの言い訳にも多様性」と言い出した昨今の「多様性」の一般化にもかかわらず、結婚だけが多様性を受け入れていないのは、残念しごく。

<つづく>

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