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ぽかぽか春庭「9人の翻訳家」

2020-09-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200919
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020コロナにめげずの映画(4)9人の翻訳家

 飯田橋ギンレイの映画セレクト、支配人の久保田さんがひとりで2本立ての組み合わせを考えて選ぶ、ということです。久保田さんはもぎりもやるし、ゴミ箱持って館内清掃にも回るし、この映画館を愛しているんだなあ、という感じのする穏やかそうな女性です。今回見た2本立ちは、どちらもおもしろいミステリーでした。

 コロナで休館している間、クラウドファンディングが行われたそうです。夫は、シネパスポート開始以来、自営業の「社員福利」のひとつとして利用しており、クラウドファンドにも応募してギンレイ存続のためにささやかな貢献をしたので、もっとせっせと映画を見よう、と「9人の翻訳家」と「刃の館」の2本立てを「両方とも面白かったから見に行けば」と、娘に勧めました。
 予告編を見て「面白そう」と思った娘ですが、ギンレイの椅子が固いのでどうしようかと迷っていたのですが「父が薦めたから」と、見ることにしました。
 ギンレイの待機列に並んで、14:45から2本鑑賞。200席の座席は半分になっていますが、この回が一番座れる可能性が高い。椅子は市松模様にひとつ置き。

 「9人の翻訳家」
 実話がストーリーのヒントになっています。
 「ダビンチコード」で知られるベストセラー作家ダン・ブラウンの『インフェルノ』の出版に当たって、海賊版防止、原稿流出防止のために、5か国語11人の翻訳家を地下室シェルターに閉じ込め、翻訳に専念させました。
 この出来事から監督のレジス・ロワンサルは、他の2人の脚本家とともに秀逸なミステリーを作り上げました。
 以下ネタバレを含む紹介です。

 出版社社長エリック・アングストローム(ランベール・ウィルソン)は、世界的ベストセラー『デダリュス』の版権を得て、9か国語の翻訳を同時に仕上げて発売すると発表しました。
9人の翻訳家が大邸宅の地下に作られたシェルターに集められました。専属の料理人が毎日ごちそうを作り、プールもある地下室ですが、外に出ることや外部との連絡はいっさいできない環境での翻訳作業が始まります。

 シェルターに集まった翻訳者たち。英語、スペイン語、ロシア語、中国語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語、ギリシャ語、デンマーク語。



 この人選、どう考えてもこの出版社の意図がわからない。英語、スペイン語、ロシア語、中国語までは国連共通語であるし、ドイツ語イタリア語も文学愛好家数が一定数存在するので、理解できる。ポルトガル語が入ったのも、ブラジルの人口が多いから、ということでまあ、わからなくもない。しかし、ギリシア語とデンマーク語は、他の言語をさしおいて、なぜゆえに翻訳されるべき言語に選ばれたのだろうか。

 なぜ現代ギリシャ語とデンマーク語が付け加わったのか。キャラクター作りのためと思います。
 ギリシャ人翻訳家はシェルターに閉じ込められたことについて「金のためならどんなこともがまんする」と述べて、他の翻訳家から「国家財政が破綻しているからな」と揶揄されています。「お金のために翻訳作業をする」というキャラとして、ギリシャ人が一番ありそげな国。
 
 デンマーク語はスェーデン語ノルエー語とほぼ同じような言語です。この3言語は方言差程度の違いで、ドイツ語とも近い。デンマークの文学愛好家ならドイツ語か英語で小説を読みこなせる。わざわざデンマーク語をピックアップする理由がわからない。
 人口比、読書人口比、翻訳文学の売り上げ高から考えれば、英語の次に日本語がくるのが当然で、デンマーク語を選んだ時点で、エリックの出版社社長としての経営感覚が疑われる。
 ハリーポッターなどの人気作では、国際的な本というイメージをつくるための宣伝の意味もあって、ラテン語や古代ギリシャ語での翻訳本も作られました。古代ギリシャ語は滅びた言語ですが、文献を読むのに必要。しかし、現代ギリシャ語の翻訳家が加わる理由は、あまりないように思います。

 デンマーク語翻訳家エレーヌ・トゥクセン(シセ・バベット・クヌッセン)は、翻訳の仕事に満足していない。家庭に埋もれて暮らす生活に満足せず、何らかの突破口を求めて、幼い子供を夫にまかせてシェルターにやってきます。

 日本では出版界で、翻訳家には高い地位が保証されています。出版された本にも、著作者の下に翻訳者の名前が同じ大きさで印刷されます。しかし、欧米などでは、翻訳者はあくまで裏方であり、編集者や出版業者の名を本の表紙に印刷しないのと同じく、翻訳者の名が表に出されることはありません。
 翻訳家9人の中に日本人が入らなかったのは、このためかと思います。高く評価される日本語翻訳者は、翻訳の仕事に誇りを持ち、収入も高い。ハリーポッター出版にあたっては、作者J・K・ローリング と同じくらい翻訳者松岡佑子と出版社の静山社は高く評価されました。日本人翻訳家が加わっていたら、9人の翻訳家とはさまざまな局面で異なる反応を示すと考えられます。翻訳家としてのプライドが高く、収入も印税契約ができる日本語翻訳者が、シェルターに閉じ込められて強圧的な社長のもとで屈辱的な状況で翻訳することはないでしょう。

 翻訳がまだ半分も終わらないのに、社長エリックは重大なメールを受け取ります。「冒頭10ぺージ分をインターネットに流出させた。これ以上流出させたくなかったら、500万ドル支払え」という「原稿の身代金」要求を受けたのです。
 エリックはひとりひとりの部屋を徹底的に調べさせますが、何も出てきません。

 全員が裸にされ、屈辱的な身体検査を受けます。

 
 さて、「虐げられ、低くみられてきた翻訳者」の9人の中、デンマーク語担当のエレーヌは、翻訳者の身分に甘んじてはいません。小説家志望だったエレーヌは、家族との生活に時間を奪われて封印してきた「小説執筆」を密かに再開しました。仕事時間のほかを何に使うかは自由であるべきなのに、社長は怒り、小説執筆を禁じます。「翻訳以外に文字を書くエネルギーは無駄」と彼は思っています。エレーヌの小説をろくろく読みもしないで「まったく才能がない」とこき下ろし、手書きの原稿を暖炉の火に投じます。エレーヌは絶望を感じます。

 エリックに才能のなさをこき下ろされて、先に進めなくなったエレーヌ。ただの翻訳者ではなく、自分自身のことばで小説をつづることがエレーヌのプライドだったからです。
 このキャラクター、弱い性格の表現がその国への侮蔑と受け取られたら困る。アジアアフリカ語圏やアラビア語圏の人だったら人種差別問題にするでしょう。デンマーク語が選ばれたのは、「デンマーク人翻訳家を弱い性格に設定しても、デンマーク人は人種差別問題にはしないだろう」という読みがあったのだと思われます。

 エリックの秘書のローズマリー・ウエクス( サラ・ジロドー)は文学を愛するゆえに、出版社の仕事を続けています。これまでは社長の言うことを黙々とこなしてきました。
 しかし、社長エリックには「文学への愛」などかけらもなく、あるのは「出版による金儲け」だけだと、ローズマリーにもわかってきます。

 英語の翻訳者に若くして選ばれたアレックス・グッドマン(アレックス・ロウザー)は、社長エリックとの対決姿勢を強め、「作者のブラック・ブラウンに会いたい」と主張します。エリックは「著者を知っているのは私だけ。誰にも会わせない」というのですが、、、、

 そうこうするうち、身代金要求はどんどんエスカレートし、「小説の半分を流出させた。結末まで流出させたくなかったら、8000万ドル支払え」という要求にまで拡大します。
 エリックはアレックスを疑い、ロンドンの自宅を徹底的に調べさせます。

 刑務所の面会室で対峙するエリックとアレックス。面会者と被疑者。さて、どちらが被疑者でどちらが面会者?
 アレックスの幼少期の回想によって、「ブラック・ブラウンとはだれか」も明らかにされていきます。

 「文学への愛」をキーワードに、思わぬ展開を遂げるサスペンス。文学、翻訳文学を愛する人には一見の価値あり。文学好きじゃなくても、二転三転のストーリーを推理好きなら楽しめる。

 娘が「このシーンの意味がわからない」と言った部分。文学大好き少年アレックスは本屋に入り浸り、立ち読みに励んでいます。本屋の老店主はアレックスに課題をだします。「オリエント急行殺人事件の犯人はだれか。正解したら本を進呈。不正解なら本屋の棚の整理を手伝え」少年アレックスは「全員が犯人」と答えます。次のシーンでは、アレックスが本棚の整理をしている。娘は、どうして少年アレックスは本棚整理をしなければならなかったのか、わからない。だって、オリエント急行殺人事件の犯人は、、、」
 ミステリーには、作者が書いたストーリーじゃない物語もあるのだ、と言いたかったのか。

 原稿流出の方法も動機も、身代金の8000万ドルがどうなったかも、真実があきらかにされている結末ですが、「全員が犯人?」のしかけがあったほうがもっとよかったかな。刑務所の中にいるのは一番疑われていない人、というミステリー鉄則は守られているんだけれど。

<つづく>
コメント (2)
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