波と狛のつれづれ日記

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あゝ五代様(五代友厚について)

2016-03-30 00:37:01 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。

箔波日記の読者の皆さんの中で、現在放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」を観ている方はいらっしゃるでしょうか? そのドラマの主人公の白岡あさ(波留)は、幕末から明治にかけて大阪で活躍した実在の女性実業家・広岡浅子をモデルにしています。女性ながら新たなことに挑戦し続けるあさの姿は多くの人の共感を呼び、彼女のまわりのキャラクターも丁寧に描かれていることもあって、観ている人をずっと飽きさせません。 そういうこともあって大人気のドラマなのですけど、実は今週いっぱいで終わってしまうのですよね。



その中に出てきた五代友厚は、薩摩(現在の鹿児島県)出身の実在の人物で、特に人気がありました。 ドラマに初登場したときは彼は幼名の才助(これは通称で、正式名は徳助)を名乗っていて、幕末ということもあって、頭はまだちょんまげが乗っていました。



あさのことを慕っていたのですけど、直接その想いを伝えることはなく、彼女が困っている時にはそっと手を差し伸べました。「あしながおじさん」のような古風な男らしさを持ち、いわゆる゛一歩引く魅力゛を感じさせます。 その一途な姿が、ディーンさんの男前の容姿にもハマって、朝から奥様方の心をグッとつかんでいました。

その五代友厚の銅像が、大阪市にあるというのですよ それは、どのような像なのでしょうか?ディーン五代のイメージを決して崩すことのないような、男前なのでしょうか?そのことが気になって仕方がないという奥様方に代わって、私が現地まで取材に行ってくるので、どうかご安心くださいませ。 そして、列車に揺られること4時間半弱で………



やって来ましたよ 大阪駅に。ここからさらに、地下鉄に乗り換え………



堺筋線の北浜という駅で、私は降りていきました。 また、このあたりは京阪電鉄の北浜駅とも隣接しております。 そこから地上に上がっていくと………



堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島に、大阪市中央公会堂が聳え立っていました。 その目と鼻の先には………



大阪証券取引所の建物があり、そのすぐ前の台座の上に………



五代(友厚)さまの銅像があるのですよ 実際にこちらの像を間近で見てみたら、想像していた以上に大きかったです。 けっこうな高さの台座の上に鎮座しているのですけど、たぶん実物の倍はあるのかと。背後の証券取引所の建物が大き過ぎることもあって、写真にすると普通に見えてしまいます。



五代友厚は、天保6年(1836年)に薩摩で生まれました。大阪経済界の重鎮の一人で、明治維新の動乱の中で崩壊寸前だった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図ったりしました。
それらの他にも、大阪株式取引所(現在の大阪証券取引所)、大阪商法会議所(大阪商工会議所)、大阪商業講習所(大阪市立大学)、阪堺鉄道(南海電気鉄道)などを設立したりしました。これらの他にも、彼の功績を挙げていったら、書ききれないほどあるのですけど、現在の大阪経済の発展があるのは、彼のおかげといってもいいでしょう。
その証券取引所の前の通りを、少し西に行ったところには………



光世証券という会社のビルがあって………



この日は休みなのでしょうか?鉄扉が閉じられていました。 それでも、外からもよく見えるその内側には………



五代さまの座像がありましたよ こちらはややハンサムで、証券取引所前のものよりディーン・フジオカさんのイメージに近いような気がします。



今回はスケジュールの都合などがあって、近接するこの二ヵ所しか廻れませんでしたけど、大阪市内にはこれらの他に、大阪商工会議所、大阪ビジネスフロンティア高校にも五代さまの銅像があるのですよ さらに最近になって大阪市立大学にも彼の像が設置され、その除幕式にはサプライズでディーン・フジオカさんが現れたそうです。なので、確認できただけでも5ヵ所あるということに。それだけではなく、彼の生まれ故郷の鹿児島にも、銅像が立っているそうです。



大阪の経済のために身を粉にして働いた五代さまでしたけど、糖尿病を患い、明治18年(1885年)9月25日に療養先の東京で49歳でこの世を去ってしまいました。



彼の死を間近にして、「あさが来た」を観ているディーン五代ファンの主婦の方々から「五代さまをどうか死なせないで 」という嘆願があったみたいですけど………
史実では夭逝(ようせつ)したあさの姉のはつが最終回まで存命したり、あさの夫の新次郎と妾の間にできた子の存在が操作されたり、………と、ドラマでは多少つくられたところがあります。 しかし、実名で登場した五代さままでこれ以上変えるワケにはいかず、彼の去り際も史実に則ったそうです。

おかげで、有働アナも含めた熱烈なディーン五代ファンの奥様方は大号泣 なかには番組に「五代さまが死んでしまうなんて、これほど悲しいことはない。私には朝は二度と来ない………」という投稿をした方も。
その五代さまは、あさへの想いを秘めたまま結婚もしないで亡くなったようになっていますけど、実際の彼には前妻の間に1女、再婚した妻との間に2男4女も生まれております。



家族構成から、ちょっとイメージが変わってしまったかも知れませんけど、亡くなる直前にドラマの中で発した「五代がいなくなっても、発展した大阪は残り続ける」というセリフには私もグッときましたし、きっと実在の五代さまもそう言っていたに違いありません。 また、ディーン五代さんの「ファーストペンギン」の発音も、よかったですよ。 それから、彼が没して130年にもなるのですけど、銅像の数からしても現在でも彼は人々から尊敬されているということがうかがえます。
大阪を訪れる機会があったら、五代友厚の功績と人柄を偲びつつ、彼の銅像巡りをしてみてはいかがでしょうか?きっと何か素敵な宝物を見つけられると思いますよ。

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