まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

また、台湾から贈りものを頂いた 15 5・19再

2017-04-23 09:14:28 | Weblog


熱情的擁護ですが・・・


それにしても盗人猛々しいとは日本の対応である。
どこの国よりも早く、たくさん援助を頂き、慰霊式典では国扱いもせず二階の一般席に追いやった。
この対応には日本国民は怒った。本国台湾では怒ることもなく哀悼と復興を祈った。
政府はともあれ、国民は、いや市井の朋友同士は堅い絆があった。
あれは、台湾地震や風水害の時のお返しだと澄ましていたが、被災者に心情的負荷を掛けまいとする朋友ならではの深慮だった。

今回は産地偽装ラベルによる強欲的商行為による悩ましい事件だ。それは詐欺事件だ。
台湾の消費者は高価でも日本の商品を求める。それは台湾における先代日本人の大きな信頼に基づく遺産なのだ。その遺産を食いつぶす忘恩的行為に消費者は「まさか、日本人が・・・」と困惑した
政府を通じて善処をお願いした。しかし、何の理由なのか不作為的後回しという日本官吏特有の対処しかできず、しかも明確にもならず、時を弄した。日本人は「消極的無責任民主主義」に慣れているのか、うやむやが好みだが、台湾の消費者は「積極的民主主義」ゆえ、日本の対応が生ぬるくスローに見えた。
また、自国政府にも強く出るように要求した。

当初は「偽装ラベル」についての犯罪的行為が明確に処理され、再犯防止策の要求だった

どうしてなのか、日本側は数カ月経っても明確な答えは出せなかった。
狡猾な官吏は言い訳を作った。「あなたの基準設定は科学的根拠がない」と。

あろうが無かろうが、「産地偽装という台湾諸費者をダマす犯罪的行為をやめてほしい」という切なる声に、日本政府は後付の言いがかりをつけた。答えにはなっていないことは日本国民がみても明白だ。







台湾外交部 



時をおき、交渉当事者は収拾策を考えた。もちろんメンツの立て方だ。
それは、当初の被害者である台湾消費者の気持ちが収斂されるのを待って馬総統は「短期的処置」と譲った。ただ、台湾消費者の偽装ラベルにおもう、放射能の健康被害意識の理解と受容のために共通の基準を考えてほしいと付け加え、日本側のいう科学的根拠の争いより、元々の問題発生であった「犯罪的産地偽装ラベル」という法律上の問題に対処すべきだとコメントを述べた。
それが明確になれば貿易は再会すると・・・



多くの日本人が考えても台湾に理はある。だから自信を以て譲れるのだろう。金持ち喧嘩せずとはいうが、ここは「知恵持ちは争わず」だ。
いくらWTOに提訴するといっても結論は数年かかる。これでは日本の生産者が干上がってしまう。日本は脅かせば腰を折るとでも思っているのだろろうか。もし大国の中国や米国だったら抗弁もせず唯々諾々と従う日本官吏だが、友邦意識の強い台湾消費者に四角四面の後付け理屈を振り回す当局者に同胞として恥ずかしい限りだ。そんな薄情な気持ちで国内の被災地や弱者にあたっているとしたら、国民のうつろいの原因は彼らにあると云わざるを得ない。
何よりも美辞麗句を唱えて財布をふりまわして仲間づくりをするような、稚拙な外交の心根がよくみえる。

故リ・クワンユー・シンガポール首相は日本を非難する某国に、「日本はアジアの兄貴分だから責めることはない・・」と、マハティール首相は「ルック・イースト」と、日本を見て見倣う運動を提唱した。台湾の李登輝総統もそうだった。

武器を揃えれば使いたがる。金が余れば無駄を生ずる。その使い方でも人物が読み取れる。
地位が上がったらどんな友人を持つか、あるいは登用するかで人格が見える。まして、力が有ったらどのように行使するか、敗者や小国にたいして譲る心があるか、など東洋が主張する人間の資質や人格を観察する良機でもある。

それが無くなったら人心は乱れ・離れ、利を企図する諸外勢力は侵入する。
それは軍備や経済など、努力すれば数値が上下するその多寡を比較したり、競う国力比較より、諸外国の市井の人々に普遍な深層の情緒こそ、真の国力だと認知しない愚かな為政者の亡国への道だ。












今回は、また台湾からの贈り物を頂いた。
日本人の作ったものは信頼できる。それは物に似して日本人を信頼できるからだ。その日本人が大変な時は同感し精一杯の努力を提供する。それは信頼を維持し、信ずる心を持ってたいからだ。
日本には欠けてきたが、家族や縁者の関係は大切なことだ。それは日本の先人が唱えていたことだ。
その子孫となる子供の健康にはことのほか敏感だ。台湾には台湾が台湾であるべく依って立つ心と習慣がある。それは日本人と同様な、嘘をつかない、人を困らせない、協働する人々の連帯だ。
だから、今回は嘘をつき、開き直って弱いと思った相手を非難するその姿に期待がそがれたような気持になったのだ。

だが、当初の被害者の台湾が譲ることで、日本も冷静になってきっと歴史の恩顧を想いだしてその態度を改めてくれるだろうと期待する。友邦にはメンツを外し、一歩譲ることでも台湾市民は怒ることはない。
それでよい、それが大人の態度だと理解するだろう。

私たちの当然な義志(義捐・ボランティア)に日本の若者はわざわざ台湾に訪れて感謝をしてくれた。それは熱狂的な友邦に対する有り余る行動だった。台湾の人々は歓迎して、これこそ将来の日本人だと友誼を確信した。

些細なことだ、分ってくれればよい、その寛容に対し日本人は再度台湾の存在を考える善き機会としていただきたい。消費者の好む日本製品であるからこそ、間違いがあってはならないと考えてほしい。

筆者はそのように感ずる

それにしても親台派といわれ、永年便宜供与を受けた議員や学者・言論人が声を挙げない不思議さがある
古老は「お土産?が足りなかったのか・・・」と嘆息していた。

コメント
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