まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安倍君は国家に憑依する魔物を見たか   14   12/7再

2017-03-22 09:17:37 | Weblog


公僕を看板にして、或るときは軍の僕(しもべ)として装い、或るときは民の下僕として無謬性を仮装し、あらゆる思想形態さえもその身を偽装して主となる民もしくは推戴された為政者でさえも翻弄する一群がある。それはバチルスの如く増殖しながら時の政体に寄生する。
それは骨付き筋肉のように弛緩と硬直を繰り返し、ときに刺激や麻痺を注入しつつ老化の自覚さえオボロゲニさせている。

しかも彼らの所有物ではない財をあたかも使用専用権の如く恣意的に乱費し、その政策瑕疵や推定効果の誤りを四角四面の成文法規に隠れつつもグランドに放置して、その責任を我が身に憂うることもなく、浮俗の民に選任された職業政治家の陰に隠れ、しかも政治家の無知無理解をよいことに、その責任まで彼らに放置する。
名利衣冠に汲々とする政治家は、票田に伏し貪官に媚びて社会の安寧を大声で偽装し、大義ですらその口舌の具になっている。

政治家の頓首や反省は一過性の姿態となり、彼ら茫洋とした一群の起こした瑕疵の陳謝に腹話術のように明け暮れる。そこには責任の受任意識などなく、唯、成文法規のグランドに立ちすくみ彼らが経験と呼ぶ経年の残滓を積み重ねるだけだ。

小人(小者)は利に集い、利が薄くなれば散ず」の譬えあり、分党、分派の離合集散は恒例となり、「小人の学は利にすすみ」その目的は政党助成金と己の失業対策となり腰の落ち着きのなさは甚だしい。

民は無関心を装いつつも嫉妬と怨嗟は、一方の不特定多数への忠恕心をよそに際限のない淵に達している。為政者の政策は中抜き、骨抜きのごとく、かつ隣国の公司の倣い、彼らの仮倉庫である独立行政組織に吸い込まれ天下りの数多の桃源郷を構成している。

「上下交々(こもごも)利をとれば国危うし」隣国の古典の浅智慧でさえ容易に模すことができるが、昨今はそれが堂々と鮮明になってきた。彼ら群れの醜態はお手盛り政治家のつくる法の便宜的粗製では直ることではない。いや煩雑となった法は社会とのバランスを失い、より彼らの恣意的な偏向理解によって増殖するだろう。








どこか明治の残滓のように国家の暗雲となった軍および軍官吏や財閥の伸張に似ていないだろうか。これをこの国の組成された官癖だとしたら、その脱却こそ戦後レジームに唯々諾々として順応し、増殖している群れの実態だろう。為政者はスローガンの前に腐った根を断ち切らなければ、国家は内壊すること必然だ。

それは議会でのパワーを背景にした安倍君でも難しいだろう。避ける、除けるは論外だが、この点に問題意識がなければ、憲法も、自衛も教育も枝葉末節な争論で終始するだろう。
政権さえ思うがまゝに支配する姿なき巨大な魔物は、すでに国家に憑依し、隅々まで浸透している。

自浄なき国家の弛緩や怠惰は堕落にすすみ衰亡する。
側近は人目を気にして商業マスコミを懐柔しているという。彼らとてその伴食を願う売文の徒だ。うら若き女性やイケメン、横文字経歴を並べて飼育しているが、そんなバナナの叩き売り選挙のような指定選択はろくな人材はいないと有権者も感じている。
ただ、いつの間にか・・・、この行き着くところの憂慮に対する感度がなくなっている

どうだろう。安倍君も巨大になった群れのつくる蜘蛛の巣から脱出できるだろうか。
これを知らしめることこそ為政者の務めであり輔弼としての責務だ。

これを大声で言えるようになれば投票率は上がること請け合いだ。
そして、国家にとって真の勝利は自ずと訪れる。

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