去年、和佐又ヒュツテへは9月、「フォトクラブ大峰」の皆さんに連れてきて頂いたきりで、ヒュッテを閉じる時も、来ることが出来ませんでした。今年は、和佐又山ヒュツテへオオヤマレンゲを見に行こうと思いつつ、日がたち、花の盛りを過ぎた6月22日(月)になってしまった。
和佐又ヒュツテのオオヤマレンゲは鹿の食害で大峰山脈のオオヤマレンゲが全滅にさらされたとき、和佐又ヒュツテの主人が大普賢岳から実生の苗木をおろし、保護してくれました。そのおかげで毎年、6月上旬に大普賢岳のオオヤマレンゲを和佐又山ヒュツテで見ることが出きるのです。
かつて、和佐又ヒュツテ前のスキー場は一面ススキの原で、夏、そこにはヤマユリが大群落を作っていました。
今では、気候変動の影響や鹿の食害などで植生が変わり、バイケイソウが蔓延るようになってしまいましたが、和佐又が大普賢岳への登山拠点で、四季折々の美しい自然にめぐまれた高原台地であることに変わりはありません。
今日の天候はイマイチでしたが、オオヤマレンゲは僅かに数輪、咲き残っていました。オオヤマレンゲの保護地横からゲートをくぐり、和佐又山頂の展望台へいってみました。天気が良ければ、大台ヶ原や台高山脈、大普賢岳、国見岳、行者環岳の山容が望まれ、眼下には北山峡を見下す事ができるのですが・・・・・。
低く垂れこめた雲の大普賢岳の姿に、初めて和佐又山を訪れた1961年(昭和36年)2月上旬のことを思い出していました。八ヶ岳冬山合宿の疲れが抜けず、新茶屋から雪の和佐又谷を苦労して登ったこと、小屋でご馳走になった夕食‟ユリ根の卵とじ丼“の味、忘れ得ない記憶・・・・。
展望には恵まれなかったが、その代わりに、見頃の夏椿(沙羅双樹)、ベニサラサドウダンの花にも出会うことができました。
‟見返り台地“から振り返る大普賢岳は、やはり雲の中でした。(小さい写真はクリックで拡大)
和佐又ヒュツテのオオヤマレンゲは鹿の食害で大峰山脈のオオヤマレンゲが全滅にさらされたとき、和佐又ヒュツテの主人が大普賢岳から実生の苗木をおろし、保護してくれました。そのおかげで毎年、6月上旬に大普賢岳のオオヤマレンゲを和佐又山ヒュツテで見ることが出きるのです。
かつて、和佐又ヒュツテ前のスキー場は一面ススキの原で、夏、そこにはヤマユリが大群落を作っていました。
今では、気候変動の影響や鹿の食害などで植生が変わり、バイケイソウが蔓延るようになってしまいましたが、和佐又が大普賢岳への登山拠点で、四季折々の美しい自然にめぐまれた高原台地であることに変わりはありません。
今日の天候はイマイチでしたが、オオヤマレンゲは僅かに数輪、咲き残っていました。オオヤマレンゲの保護地横からゲートをくぐり、和佐又山頂の展望台へいってみました。天気が良ければ、大台ヶ原や台高山脈、大普賢岳、国見岳、行者環岳の山容が望まれ、眼下には北山峡を見下す事ができるのですが・・・・・。
低く垂れこめた雲の大普賢岳の姿に、初めて和佐又山を訪れた1961年(昭和36年)2月上旬のことを思い出していました。八ヶ岳冬山合宿の疲れが抜けず、新茶屋から雪の和佐又谷を苦労して登ったこと、小屋でご馳走になった夕食‟ユリ根の卵とじ丼“の味、忘れ得ない記憶・・・・。
展望には恵まれなかったが、その代わりに、見頃の夏椿(沙羅双樹)、ベニサラサドウダンの花にも出会うことができました。
‟見返り台地“から振り返る大普賢岳は、やはり雲の中でした。(小さい写真はクリックで拡大)