saderのエッセイ館

saderは自然の中を旅するのが好きです。
四季折々自然が持つ“蠱惑の魅力”を『エッセイ館(やかた)』へとどけます。

矢田丘陵(遍路道から「こどもの森」へ)

2020-09-18 11:55:06 | Weblog
矢田丘陵の矢田山三角点が無くなったと聞いて、もう何年も行っていない矢田丘陵へ出かけてみました。
9月14日(月)、猛暑が少し緩んだような感じはしましたが、蒸し暑い日だったので、矢田山“三角点の消滅”確認が目的なので矢田寺から‟こどもの森“までゆき、東明寺経由で矢田寺へもどる短いコースにしました。
矢田寺の山門には「金剛山寺(こんごうせんじ)」と書かれているので、以前から気になっていた矢田寺という寺名の由来を調べてみました。矢田という地名は「饒速日命(にぎはやひのみこと)が天の磐船に乗り降臨された時、三本の矢を射て、その矢が落ちたところを住まいにするとして矢を射た。矢の落ちたところが‟矢田“と呼ばれる様になった。
その矢田の山へ大海人皇子(おおあまのみこ)が壬申の乱の戦勝祈願のため登った。天武天皇として即位した大海人皇子が白鳳4年(西暦675年)智通僧上に命じ、七堂伽欄48カ所坊を造営させたのが「金剛山寺」の開基とされる。これらの伝説、伝承から矢田寺と呼ばれるようになったと言われているようです。
1台の車も駐車していない矢田寺駐車場に車を置き、無人の駐車料金入れに500円を入れ、「金剛山寺」と記された山門をくぐり、階段道を登って石畳道を進み本堂への前に立つ。今日1日の無事を願ってお参りしたら本堂の右側から登る。分岐を左へ進めば遍路道の道標がある。獣除けの冊を入って、細道を上がって行けば不動明王像を正面にする。ここを左へ進むと‟下草刈り“された雑木林の九曲折れとなって‟じゅっぷく休憩所”に着く。
若草山方面の景色を眺め一息入れて、先へ進むと小広い尾根上の満米上人石像の前にでる。ここから尾根を少し下ると、頂池と矢田寺への道を左右に分ける小さな鞍部にでる。左、頂池への小道を下ると‟下草刈り“された頂池の畔へでる。池に沿って行き、頂池休憩小屋を右に見送れば、間もなく矢田丘陵遊歩道に合する。
遊歩道の道標に従い、矢田峠を経て、頂上展望台までゆく。展望台には危険・立入禁止の看板があり、黄色いテープが巻かれて荒れた感じになっていた。気を取り直して「こどもの森」方面へ向かい、「まほろば展望休憩所(標高343.3㍍)」と休憩所の北側15m程の矢田山最高点(基準点331.76㍍)に立ち寄ったら、ここも展望休憩所には危険・立入禁止の看板があり、黄色いテープが巻かれ、休憩はできない状態でした。
因みに、三角点矢田山は最近のGPS測量により旧測量との間に乖離が生じたため、正式に廃点になって国土地理院により2017年12月5日に撤去されたものです。(小さい写真はクリックで拡大)

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熊野古道・伊勢路の浜街道(北)

2020-09-08 17:02:15 | Weblog
熊野古道の中で最も長い伊勢路には幾つものコースがあり、季節や時間、自分の体力などに応じて選択することができることは、ガイドブックや友人からの情報で承知していて、何時かは訪れてみたい場所の一つでした。
これまで「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録推進の際、奈良県の業務に関わった事もあって、大峰奥駈道を中心に小辺路などを訪れてばかりで、伊勢路については関心が薄く、新宮・熊野方面に何度も行っていたのに知らない事ばかりでした。 
8月24日(月)紀伊勝浦へゆく機会があり、伊勢路・浜街道(北)が新宮から熊野へ海岸沿いの道をゆく事を知り、あらためて新宮の海や七里御浜などを訪れてみました。
那智の補陀落の海は‟ブルービーチ海水浴場“とし知られ、昼は松原と白砂の浜が昔なつかしい海水浴場そのままの姿でした。新型コロナウイルスの流行で人影まばらだったのが、よけいに昔見た風景に見えたのかも知れませんが・・・・。      
温泉宿の露天風呂から眺めた海は月光に銀盆の耀きで神秘的な情景をみせ、朝は払暁の空と海のドラマチックな風景で1日の始まりを教えてくれました。道の駅・ウミガメ公園の浜辺にはタカサゴユリが咲き、人のいない七里御浜では紺碧の空を映す海が那智黒石の浜に波となって白く砕けていました。(小さい写真はクリックで拡大)

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