saderのエッセイ館

saderは自然の中を旅するのが好きです。
四季折々自然が持つ“蠱惑の魅力”を『エッセイ館(やかた)』へとどけます。

「高見山」令和元年の初霧氷

2019-11-29 12:22:37 | Weblog
週間気象予報で11月15日(金)は大陸の寒気が日本列島を覆い、冬型の気圧配置になると知らせていた。もしかしたら、三方を川に囲まれた独立峰で霧氷の名所、高見山は今年最初の霧氷をつける可能性があるのでは・・・。
11月15日(金)早朝、空を見上げると満点の星、前夜、念のため用意しておいたザックを車に積んで高見山へむかいました。静まり返った高見峠に着いたのは4時過ぎ、気温はマイナス3℃、体が慣れていないうえ、まだ脚力にも反射神経にも自信がもてない。山頂まで休憩を入れないと登り切れないだろうから、1時間はかかってしまうと考え、少し早めに出発しました。
ベンチがある中間地点のススキの広場に着いて振り返ると、台高山脈の山影が黒く波打ち、ようやく三重県側の空が白み始めていましたが、ヘッドランプを外すのは山頂に着いてからになりそうだった。
ブナの樹林帯を抜け、低木灌木帯へでると、木々の梢がライトの光にキラキラ光り、馬酔木の葉が小さな霧氷で縁取りされていた。
頂きが見えるたりで山頂付近をヘッドランプの光が動くのが見えていたが、主稜線へでると人が二人いるのがハッキリ分かった。霜柱で白く凍てついた地面をキックステップで滑らないよう用心して神社の横までゆくと、堺から日の出を見に来たという若者二人が迎えてくれました。
山頂部だけでしたが今年初めての小さな霧氷ができていました。風があるので体感気温はマイナス8~9℃ぐらい、じっとしていると、手の指先、つま先の感覚がなくなり、日の出までの30分ほどの時間が長く感じられた。ようやく陽が昇り始めたが霧が邪魔して、思うような色彩にはなってくれませんでした。
堺から来た二人は、日の出をスマホで撮影していましたが、満足したのか「温泉は、何時からですか~」と聞いて、車を置いてある平野へと下ってゆきました。それを見送って下山しました。(小さい写真はクリックで拡大)


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多武峰談山から御破裂山へ

2019-11-22 17:22:06 | Weblog
11月11日(月)多武峰談山神社の紅葉がどの程度進んだのか見て、談山(かたらいやま)から御破裂山(おはれつやま)へ行ってみた。談山神社の境内にある十三重塔の西側から山道を登ってゆくと小さな鞍部にでる。右へ50㍍ほど行くと談山である。ここは中臣鎌足(なかとみのかまたり)と中大兄(なかのおおえ)(天智天皇)、大海人(おおあまのみこ)(天武天皇)が蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺する計画を練ったとされる所で、山頂の広場に石碑が立っています。
ここから鞍部へもどり、そのまま山腹を直進すると林道にでる。林道の突き当りに鳥居があり、階段が続いていて、その上が御破裂山の山頂ですが、山頂部は藤原鎌足の墓になっているので三角点は踏めません。鳥居の右側から山道を展望台へ行くことはできますが、残念ながら樹木の生長で展望は得られませんでした。
御破裂山からは林道を戻るようにたどり、民家の横のT字路へ出たら右へ進み、増賀上人の墓とされる念誦崛(ねずき)を訪ねてみる。この辺りは、かつて多武峯奥の院と呼ばれた紫蓋寺(しがいじ)の寺域だったとのことで、明治維新の頃までは念仏常行堂、地蔵堂、鐘楼、僧坊などが建ち並んでいたという。今は廃墟となって石垣や石段が、名残をとどめている。因みに、増賀上人は平安中期の僧ですが俗世間を嫌って念仏三昧の内に入滅したから墓に念誦崛の名前がついたそうです(念誦崛はケルンのように石を積み上げたドーム型)。
念誦崛からは再び林道にもどって、万葉展望台へむかいました。左に万葉展望台への道標が現れたら下がり気味の道をゆく、途中、個性的な三体の石仏がある高家(たいえ)への分岐を見送ると、道の中央に石柱が立つ小広い十字路にでる。直進すれば万葉展望台、左へゆけば石舞台、右へゆけば飛鳥寺方面です。展望台へ上がると金剛・葛城山に雨雲が・・・・。1時間ほどで明日香は雨になりますから大急ぎで飛鳥寺方面へと下りました。(小さい写真はクリックで拡大します)



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奈良・談山神社の“蹴鞠祭り”

2019-11-12 17:53:41 | Weblog
11月3日(日)文化の日、例年、文化の日は天候にめぐまれ“晴れる”と言われている。多武峰の談山神社では毎年、“蹴鞠祭り”が奉納される。
談山神社で“蹴鞠祭り”が行われるようになったのは蘇我氏の氏寺である法興寺(現在の飛鳥寺)の蹴鞠会(けまりえ)で中大兄皇子と藤原鎌足が出会い、後に談山(かたらいやま)(談山神社本殿の裏山)で蘇我入鹿を暗殺するクーデター計画を練り、「大化の改新」へとつながったと伝えられている。また、談山神社の祭神は藤原鎌足とされている。このような故事から談山神社で毎年、春桜の咲く頃と秋の紅葉の時期に“蹴鞠祭り”が行われるとのことです。
総社拝殿と神廟拝殿の間にある“蹴鞠の庭”に着いたのは午前10時少し前でしたが、幕が張り巡らされた周囲は、もう人でいっぱいでした。案内では11時開催となっていますが、神殿での祈りなどの行事があって、実際に“蹴鞠”が始まるのは11時30分頃です。何処かのツアーで来ていた人達が10時20分ころ、“蹴鞠祭り”を見ることなく添乗員に促され、次の目的地(春日大社)へと向かうというハプニング?があったりで、ざわついていた境内も“蹴鞠”がはじまると、飛鳥時代の雅な世界に引き込まれ、一蹴ごとに“オー!”歓声があがっていました。
雲行きが怪しくなるころ、“蹴鞠祭り”も終わり、紅葉がはじまったばかり残りの談山神社をあとにしました。(小さい写真はクリックで拡大)


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