" border="0">鳥見山(とみやま)という名前の山が桜井と宇陀の近くに二山ある。榛原の鳥見山以外に桜井市外山(とび)には、もう一つの鳥見山が存在する。山頂の標高は245㍍。西側山麓に鎮座している式内社(しきないしゃ)の等彌神社(とみじんじゃ)が山上に鎮座していたとされ、神武天皇にまつわる伝承も同じ様にあり、山中に残る碑なども同じである。つまり、同じ、歴史がある山が二山あるという事らしい。
昨日、外鎌山(とがまやま)から眺めた、そんな伝説がある“二つ目の鳥見山”を歩いてみたくなって、12月5日(土)快晴の朝、「赤尾」へ向かいました。国道166号線の交差点を「赤尾」の方へ入って、最初の十字路を左折した左にある小さな工場で、念のため道を尋ねたら、「ハイキングに行くのか?」「道標もない所だから、初めての人には、分かりにくいよ」と言って、親切に案内してくださった。
途中に、忍坂山口坐(おっさかやまぐちにいます)神社があり、その境内に「赤尾の大クス」と言われる樹齢約600年の“楠の木”が聳えていた。「このクスノキは2代目で、言い伝えによると、初代のクスノキは京都金閣寺を建立するとき天井板として利用されたらしい」と教えていただいた。傍らには「押坂山口坐神社のクスノキ」の碑と「大和の古道紀行」の説明板もありました。
そこから、道なりに村の中を進むと、笹茂る小沢に“鉄の小橋”がある。そこを渡って、山畑のわきを通り、尾根が迫るところから坂上にあがる。「ここから、尾根には踏跡があるから分かると思う」「気をつけて」といって、案内をしてくれた方は帰っていった。
尾根に取付いて、少し行くと灯篭が立つ“山ノ神”?と思われる石碑の前にでた。ここから、踏跡が続いていて、登りは迷うことも無いが、今の季節は“落ち葉”が踏跡を隠す。下りは、迷い込みそうな枝尾根もあり、朽ちた道標も残っていた。
クヌギ、コナラ、など落葉広葉樹の美しい森の中、わずかに垣間見える音羽山や三輪山、外鎌山など眺めながら登ってゆくと、鳥見山の下にある広場へでました。「霊璽(れいじ)」の石碑が建つ山頂は、すぐ上でした。
鳥見山の山頂は双耳峰になっていて、霊璽の石碑が建っている方が東峰(標高240㍍)、鳥見山の山頂とされているが、頂からは残念ながら展望は得られない。山頂を後にして、下の広場から右へくだって、登り返した所に「白庭(はくてい)」の石碑(せきひ)がある。ここは「白庭山」とも呼ばれ、鳥見山の西峰(標高245㍍)である。ここも広くなっていて、ベンチが置かれているが展望は無い。
「白庭山」から階段状の坂道を下った鞍部の左側に小高い丘がある。登ってみると「庭殿」と書かれた案内板があった、そこに“庭殿は祭りの饗宴に供されたところ”と書かれていて、その傍らに桜井市の歌人の歌碑がありました。「庭殿」も、かつては“大和の国原”を見渡せるほど、眺めが良かったのでしょうが、今は、樹木の生長によって、わずかに木の間から三輪山が垣間見られるだけで、朽ち果てたベンチも寂しげでした。
「庭殿」からは散策路を最後の目標、「斎場山」へ向かいました。「斎場山」が何処にあったのか分からぬまま、霊璽拝所へ到着。(下山後、霊璽拝所が「斎場山」と分かりました)。
霊璽拝所をでると、そこは、もう等彌神社の境内でした。石段道を下って、稲荷神社の鳥居をくぐると、ここが等彌神社から鳥見山への正面登山口でした。
等彌神社は朝鮮からの渡来人と言われた物部氏の神社と伝えられ、見所も多く、棟方志功の版画を石に彫刻したものなど、興味深いものもあります。等彌神社正殿にお参りして正面の鳥居をでて、振り返ると綺麗なモミジの紅葉が無事下山を見送っていました。(小さい写真はクリックで拡大)。
昨日、外鎌山(とがまやま)から眺めた、そんな伝説がある“二つ目の鳥見山”を歩いてみたくなって、12月5日(土)快晴の朝、「赤尾」へ向かいました。国道166号線の交差点を「赤尾」の方へ入って、最初の十字路を左折した左にある小さな工場で、念のため道を尋ねたら、「ハイキングに行くのか?」「道標もない所だから、初めての人には、分かりにくいよ」と言って、親切に案内してくださった。
途中に、忍坂山口坐(おっさかやまぐちにいます)神社があり、その境内に「赤尾の大クス」と言われる樹齢約600年の“楠の木”が聳えていた。「このクスノキは2代目で、言い伝えによると、初代のクスノキは京都金閣寺を建立するとき天井板として利用されたらしい」と教えていただいた。傍らには「押坂山口坐神社のクスノキ」の碑と「大和の古道紀行」の説明板もありました。
そこから、道なりに村の中を進むと、笹茂る小沢に“鉄の小橋”がある。そこを渡って、山畑のわきを通り、尾根が迫るところから坂上にあがる。「ここから、尾根には踏跡があるから分かると思う」「気をつけて」といって、案内をしてくれた方は帰っていった。
尾根に取付いて、少し行くと灯篭が立つ“山ノ神”?と思われる石碑の前にでた。ここから、踏跡が続いていて、登りは迷うことも無いが、今の季節は“落ち葉”が踏跡を隠す。下りは、迷い込みそうな枝尾根もあり、朽ちた道標も残っていた。
クヌギ、コナラ、など落葉広葉樹の美しい森の中、わずかに垣間見える音羽山や三輪山、外鎌山など眺めながら登ってゆくと、鳥見山の下にある広場へでました。「霊璽(れいじ)」の石碑が建つ山頂は、すぐ上でした。
鳥見山の山頂は双耳峰になっていて、霊璽の石碑が建っている方が東峰(標高240㍍)、鳥見山の山頂とされているが、頂からは残念ながら展望は得られない。山頂を後にして、下の広場から右へくだって、登り返した所に「白庭(はくてい)」の石碑(せきひ)がある。ここは「白庭山」とも呼ばれ、鳥見山の西峰(標高245㍍)である。ここも広くなっていて、ベンチが置かれているが展望は無い。
「白庭山」から階段状の坂道を下った鞍部の左側に小高い丘がある。登ってみると「庭殿」と書かれた案内板があった、そこに“庭殿は祭りの饗宴に供されたところ”と書かれていて、その傍らに桜井市の歌人の歌碑がありました。「庭殿」も、かつては“大和の国原”を見渡せるほど、眺めが良かったのでしょうが、今は、樹木の生長によって、わずかに木の間から三輪山が垣間見られるだけで、朽ち果てたベンチも寂しげでした。
「庭殿」からは散策路を最後の目標、「斎場山」へ向かいました。「斎場山」が何処にあったのか分からぬまま、霊璽拝所へ到着。(下山後、霊璽拝所が「斎場山」と分かりました)。
霊璽拝所をでると、そこは、もう等彌神社の境内でした。石段道を下って、稲荷神社の鳥居をくぐると、ここが等彌神社から鳥見山への正面登山口でした。
等彌神社は朝鮮からの渡来人と言われた物部氏の神社と伝えられ、見所も多く、棟方志功の版画を石に彫刻したものなど、興味深いものもあります。等彌神社正殿にお参りして正面の鳥居をでて、振り返ると綺麗なモミジの紅葉が無事下山を見送っていました。(小さい写真はクリックで拡大)。