saderのエッセイ館

saderは自然の中を旅するのが好きです。
四季折々自然が持つ“蠱惑の魅力”を『エッセイ館(やかた)』へとどけます。

忍坂から鳥見山(等彌神社)

2020-12-21 12:42:51 | Weblog
" border="0">鳥見山(とみやま)という名前の山が桜井と宇陀の近くに二山ある。榛原の鳥見山以外に桜井市外山(とび)には、もう一つの鳥見山が存在する。山頂の標高は245㍍。西側山麓に鎮座している式内社(しきないしゃ)の等彌神社(とみじんじゃ)が山上に鎮座していたとされ、神武天皇にまつわる伝承も同じ様にあり、山中に残る碑なども同じである。つまり、同じ、歴史がある山が二山あるという事らしい。
昨日、外鎌山(とがまやま)から眺めた、そんな伝説がある“二つ目の鳥見山”を歩いてみたくなって、12月5日(土)快晴の朝、「赤尾」へ向かいました。国道166号線の交差点を「赤尾」の方へ入って、最初の十字路を左折した左にある小さな工場で、念のため道を尋ねたら、「ハイキングに行くのか?」「道標もない所だから、初めての人には、分かりにくいよ」と言って、親切に案内してくださった。
途中に、忍坂山口坐(おっさかやまぐちにいます)神社があり、その境内に「赤尾の大クス」と言われる樹齢約600年の“楠の木”が聳えていた。「このクスノキは2代目で、言い伝えによると、初代のクスノキは京都金閣寺を建立するとき天井板として利用されたらしい」と教えていただいた。傍らには「押坂山口坐神社のクスノキ」の碑と「大和の古道紀行」の説明板もありました。
そこから、道なりに村の中を進むと、笹茂る小沢に“鉄の小橋”がある。そこを渡って、山畑のわきを通り、尾根が迫るところから坂上にあがる。「ここから、尾根には踏跡があるから分かると思う」「気をつけて」といって、案内をしてくれた方は帰っていった。
尾根に取付いて、少し行くと灯篭が立つ“山ノ神”?と思われる石碑の前にでた。ここから、踏跡が続いていて、登りは迷うことも無いが、今の季節は“落ち葉”が踏跡を隠す。下りは、迷い込みそうな枝尾根もあり、朽ちた道標も残っていた。
クヌギ、コナラ、など落葉広葉樹の美しい森の中、わずかに垣間見える音羽山や三輪山、外鎌山など眺めながら登ってゆくと、鳥見山の下にある広場へでました。「霊璽(れいじ)」の石碑が建つ山頂は、すぐ上でした。
鳥見山の山頂は双耳峰になっていて、霊璽の石碑が建っている方が東峰(標高240㍍)、鳥見山の山頂とされているが、頂からは残念ながら展望は得られない。山頂を後にして、下の広場から右へくだって、登り返した所に「白庭(はくてい)」の石碑(せきひ)がある。ここは「白庭山」とも呼ばれ、鳥見山の西峰(標高245㍍)である。ここも広くなっていて、ベンチが置かれているが展望は無い。
「白庭山」から階段状の坂道を下った鞍部の左側に小高い丘がある。登ってみると「庭殿」と書かれた案内板があった、そこに“庭殿は祭りの饗宴に供されたところ”と書かれていて、その傍らに桜井市の歌人の歌碑がありました。「庭殿」も、かつては“大和の国原”を見渡せるほど、眺めが良かったのでしょうが、今は、樹木の生長によって、わずかに木の間から三輪山が垣間見られるだけで、朽ち果てたベンチも寂しげでした。
「庭殿」からは散策路を最後の目標、「斎場山」へ向かいました。「斎場山」が何処にあったのか分からぬまま、霊璽拝所へ到着。(下山後、霊璽拝所が「斎場山」と分かりました)。
霊璽拝所をでると、そこは、もう等彌神社の境内でした。石段道を下って、稲荷神社の鳥居をくぐると、ここが等彌神社から鳥見山への正面登山口でした。
等彌神社は朝鮮からの渡来人と言われた物部氏の神社と伝えられ、見所も多く、棟方志功の版画を石に彫刻したものなど、興味深いものもあります。等彌神社正殿にお参りして正面の鳥居をでて、振り返ると綺麗なモミジの紅葉が無事下山を見送っていました。(小さい写真はクリックで拡大)。                                                        

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外鎌山(桜井市)へ

2020-12-11 17:28:35 | Weblog
12月4日(金)晴天に誘われ、外鎌山(とかまやま)へ出かけてみました。
近鉄「朝倉台駅」前の駐車場に駐車、ここから団地の中を南東にまっすぐ進み、朝倉台西六丁目を目指す。団地の中を突き当りまで行くと、通行止めの鎖がある。ここに道標がある。その前から坂道を登る。
団地を左下に見て、竹林の中に続く道を縫うよう様に登ってゆく。所々に道標が設置されている。7合目の立て札の所で道は傾斜をゆるめるが、後醍醐天皇に尽くした桜井の武士、玉井西阿(さいあ)の最後の砦があったという、外鎌城跡の石積付近からジグザグ道の急登となる。 それも、しばしの事、山頂の台地につく。
外鎌山は、慈恩寺側から見ると‟富士山“のような端麗な姿から「朝倉富士」、「磯城富士」とも呼ばれているようで、山頂には、三等三角点標石がある。この付近、5月末にはナルコユリ、ササユリが咲き、秋にはリンドウも咲くようである。
眺望は耳成山、天香久山、畝傍山の大和三山をはじめ、金剛山・葛城山から二上山まで、奈良盆地の山々が眺められる。眼下には、明日、登ってみようと思っている鳥見山(榛原の鳥見山とは別の山)が間近に見下ろせる。標高こそ232,5㍍の里山であるが、自然林の中、ベンチが設置され静かな山の雰囲気があじわえる。
「西阿の碑」、「妙西光龍王と法白天龍王」碑をあとに、静寂の頂を離れ、「忍坂(おっさか)」方面を目指して尾根を東へくだるとしよう。 
東へくだる尾根は境界尾根になっていて、左が自然林、右が植林の分かりやすい道である。一つ目の鞍部から小さなコブを登り返すと、後は緩やかな起伏を幾つか経て、「竜谷(りゅうたに)・忍坂」分岐にでる。
忍坂へは道標から90度、右折して下る道を選ぶ。途中、フイックスロープが見られるが、これは登りに使うのだろう。やがて樹林を抜け、丸木橋を渡ると“忍坂街道ビューポイント”の看板がある見晴らしのよいところにでる。
明るい栗の木の疎林を下ってゆけば「大伴皇女墓」分岐に着く。墓へは往復7~8分である。元の道へ戻って、すぐの右へゆくと鏡女王墓がある。畑中の道を下って行けば小沢の流れを左に、舒明天皇陵を右に見る(工事中で立ち入り禁止になっていた)。
舒明天皇陵を少し下ったところに、今日、最後の見所?になる「ちごいし」という石がある。石の上に半鐘がある珍しいものだ。神武天皇に縁がある石とも、古墳の石室の石とも言われている。
ここからは、古い村の中を北へ抜け、朝倉台の坂をのぼって、朝倉台駅前の駐車場へもどるだけである。
(小さい写真はクリックで拡大)

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葛城古道(一言主神社の大銀杏)

2020-12-02 10:34:02 | Weblog
今年、和歌山の四郷で見られる串柿の“暖簾”も、紅葉も見に行くことが出来なかったが、“天ノ川温泉”へ行ってきた友人が、坪ノ内の大銀杏が色づき、綺麗だったと言って話していたのを思い出した。
坪ノ内の大銀杏というのは、天川弁財天の西側にある「来迎院の大イチョウ」と言われているものである。これが綺麗だったと聞いて1週間、“葛城古道の一言主神社なら、まだ、銀杏が綺麗なはず”である。
11月30日(月)、昼近くになってから出かけてみた。一言主神社の参道には数台の車が止まっていたが、人影はなかった。石の階段脇のモミジが綺麗に色づいて、境内の木々も予想した通り、大銀杏の木を中心に見頃を迎えていた。
お天気もよく、境内の景色だけでも、じゅうぶん満足させてもたった。帰りは、お土産に、無人販売の店でジャンボ柚子を二つとレモン一袋、買って帰りました。(小さい写真はクリックで拡大します)



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