saderのエッセイ館

saderは自然の中を旅するのが好きです。
四季折々自然が持つ“蠱惑の魅力”を『エッセイ館(やかた)』へとどけます。

吉野山の紫陽花

2023-06-26 17:57:47 | Weblog

6月24日(土)あまり良い天気とは言えないが梅雨時なので仕方ないか・・・、吉野山の“紫陽花祭り”の間に行きたいと思いつつ1日延ばしにしていたが、この日、思い切って出かけました。
久しぶりに上千本の花矢倉から吉野山の新緑を眺め、それから如意輪寺へ向かいました。かつて写真教室の皆さんと何度か訪れたコースを五郎兵衛茶屋付近まで行って、紫陽花の綺麗なところ見つけてきました。
     
以前、金峯山寺の近くで珍しい紫陽花の咲くのを見た覚えがあったなァ~と、おぼろげな記憶をたどって、誰も居ない金峯山寺へとたどり着きました。
       
最終目的地の “下千本の七曲り”は見頃の紫陽花が見頃を迎えていました。思ったほどの人出でもなく、照ったり曇ったりの天気でしたが、遠くに山々を望む事もできて良い一日でした。

(小さい写真はクリックで拡大します)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「和佐又ヒュツテ」にオオヤマレンゲを訪ねて

2023-06-20 17:43:41 | Weblog

6月19日(月)梅雨の晴れ間、和佐又山のオオヤマレンゲがその後、どうなっているのか気になって見に行きました。和佐又ヒュツテの再建中という事もあって、前の和佐又ヒュツテの主人がイノシシを育てていた場所(旧第三駐車場)から歩くようになっていました。
和佐又のオオヤマレンゲは “フォトクラブ大峰”とも縁があります。和佐又ヒュツテを拠点にしていた頃、ヒュツテの主人が“皆が年を取って大普賢に登れなくなった時にも観られるように”と大普賢岳から実生の苗を持ってきて、育ててくれたものです。
今では大な木になりましたが、手入れする人が居なくなって、鹿よけフェンスも傷んで、下に生えていた幾種類かの蘭やベニバナヤマシャクヤクの花も無くなった様でした。救いはオオヤマレンゲが幾つかの花をつけ、まだ生き残っていたことでした。和佐又ヒュツテ前の広場も、この季節には鬱蒼と茂ったススキノ草原にヤマユリの花が咲き乱れていのですが・・・・。今はバイケイソウが幅を利かせ、苔の様なもと雑草が生えるだけになっています。
     
オオヤマレンゲの横から和佐又山へ老骨に鞭打って登ってみました。山頂は以前、雑木が切り払われ、眺められた行者還岳、弥山・八経ヶ岳の稜線は樹木の生長で展望が無くなっていました。僅かに大普賢岳の頭頂部が覗くのを眺めて、和佐又のコルへ下りました。和佐又のコルでは、美しい青空と昔と変わらぬ椅子、サラサドウダンの花が迎えてくれました。
“見返り台地”の坂口圭正氏(奈良山岳会)のレリーフが、すっかり大木になった桜の並木に囲まれ、涼しげに和佐又山を見上げていました。
    
オートキャンプ場がある、かつての“こまどりヒュッテ跡”まで来ると、ツタ紫陽花が絡まる大木(以前はモモンガが居たが・・・)に“展望台の様なもの?”が建てられていた。ここから工事中の新しい和佐又ヒュツテの全容が眺められた。和佐又山に見送られ明るいブナ林の舗装路を下って駐車場へもどりました。(小さい写真はクリックで拡大します)



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良百遊山『貝吹山』へ

2023-06-14 15:58:25 | Weblog

6月4日(日)初めて“牽牛子塚古墳”を訪れた。良く整備された丘陵公園に相応しく、音羽三山から大峰山脈前衛の山々が広がっていて素晴らしい景色でした。
地形図をひろげてみたら、奈良百遊山の一つ『貝吹山』山稜の東端に位置することに気が付いた。当然、貝吹山の山頂につながっていると考え、稜線とおぼしき尾根を探し、山仕事の作業道へ入ってみた。道の途中に獣除けフェンスが設けられ、その先が山道になっていたので、辿って見る事にした、少し先へ進むと左に「益田岩船」への道標がでてきた。
この道は主稜線から東へ延びる支尾根にむかっているが、途中で主稜への分岐があるだろうと考え先に進む。2~3の倒木と小沢を過ぎると西へ下る分岐にでた。主稜への分岐を見逃したのかも知れない。
ここまで来たのだ、ついでに「益田岩船」を訪ねてみる事にした。竹林に囲まれた巨石の前には、先客のトレランの人達が15・6人ほどいた。リーダーと思しき人に『貝吹山』へのルートを訪ねたが、この山稜の事は知らないらしく、見当はずれの答えが返ってきた。
 
「益田岩船」から引き返す途中、注意していたが作業道に変わるところまで、それらしき踏跡は見当たらなかった。そこで最初の「益田岩船へ」の道標から主稜の140㍍コブを目指しで分け入ってみた。踏跡の名残り?と思える様な痕跡はあるが、途中で引き返してきました。
 6月6日(火)午前中は曇りの天気だったので、白樫の南妙法寺町から『貝吹山』への最短コースから山頂にでて、“牽牛子塚古墳”への縦走が出来ないか、踏跡は残っていないのか、調べて見る事にした。南妙法寺町の集会所に車を置かせて頂き、登り口を教えて頂き、貝吹山山頂(標高210㍍)に登ってみた。
低山ながら、北から北東、及び南に展望が開け、二上山、金剛・葛城山など展望がひらける。生憎の天気で小雨がパラツキ、山に霞がかかり展望は得られなかった。“牽牛子塚古墳”へ踏跡の可能性も見極められず、往路を引き返すことになった。
        
 6月11日(日)梅雨時なので雨さえ降らなければ・・・と思い、今度は千塚古墳公園からのコースを調べて見ようと、出かけました。 “貝吹山丘陵”西端の北越智町から縦走できたら橿原神宮の畝傍山~千塚古墳公園~貝吹山~牽牛子塚古墳を繋ぐコースが出来るのでは?・・・・。そんな、甘い考えを持って出かけたが、地元の方から“昔は北越智町から貝吹山へ登る道はあった”が過疎と高齢化で山へ入る人も無いので道も消滅した。
ネットで紹介してる道も、「今は、千塚古墳公園から貝吹山へ登る道は“地蔵峠”からの道しかない」と云うことでした。“地蔵峠”へは「桝山古墳(崇神天皇陵)」の北側から南東へ巻くように集落の道を行き、古墳の正面から南へ続く農道をゆく。少し高くなった山畑の十字路から右に見える獣除けの冊を通って、山道に入る。

    
左の竹林に“獣罠”をみたら程なく地蔵峠に着く。“貝吹山へ”の道標と細いフイックスロープ?が数本ある。ここから取付き、約80㍍程の標高差を登り、草が茂るコブを絡み下ると6月6日に登った南妙法寺町からの登山道を左から迎えて、山頂へとむかう。山頂からの展望は今回も曇天で“お預け”だった。
帰路、“地蔵峠”近くで大和高田市から来たという若者に出合った。人に出会う事も稀な静かな山歩きがでるコースだ、晴れた日に出直して来るとしよう。(小さい写真はクリックで拡大します)


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする