指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『ドッグ・ソルジャー』

2021年03月14日 | 映画
1971年のベトナム戦争の最前線。従軍ジャーナリストのジョン(マイケル・モリアーティ)は、戦争への反感から麻薬を運んで一儲けしようとし、友人のレイ(ニック・ノルティ)にアメリカへの持ち込みを頼み、レイは修理ヘリコプターの中に隠して無事オークランドにもって来る。

                              
そして、妻マージ(チューズデイ・ウエルド)のいる家にもって来ることにする。彼女は、インテリらしく、父親のやっている本屋で働いている。
マージの家にレイは来るが、彼は追跡されていて、FBIの捜査官が暴力的に侵入してくる。彼らは、一応捜査官だが、物をものにして横流しするなどもする連中のようだ。

マージとレイは、彼らと戦い、サンフランシスコからロスの逃げる。1970年代初頭なので、そこはヒッピーのフラワームーブメントが行われている。当時、サンフランシスコにいた人に聞いてことがあるが、「まさにある日突然、運動が起きた」そうだ。
レイは、かつて自分が住んでいた山の小屋に行くと、荒らされていて、「ヒッピーの奴ら」だという。壁には黒澤の『用心棒』のポスターが貼られている。
そこから、以前レイたちが住んでいたニューメキシコの山奥に行く。
そこはコミューンのようなところで、レイは光と音楽のイベントを仲間とやっていたと言う。
そこに、ベトナムから急に帰国してきたジョンを逮捕して、FBIが追いかけて来る。彼は、レイの仲間から聞いて、その場所を知ったのだ。
相当な山と谷のあるところで、山頂にいるレイたちにはすぐに手が出せない。
捜査官は、ジョンとヘロインを交換しようと言い、レイとマージは山を降りて、ジョンと交換するが、それは夜で、激しい銃撃戦になる。
ジョンとマージを先に逃がせて、レイは銃撃戦を戦い、胸に弾を受けてしまう。
レイは、「西に逃げて、鉄道線路で合流しよう」と言い、ジョンとマージは鉄路に来るが、レイは、線路の上で死んでいる。
レイを埋葬し、ヘロインを土にまき散らして二人は、車で去る。
そこに捜査官たちが来て、土の白い粉を集めようとするところで終わり。
カレル・ライスは、イギリスの監督なので、『真夜中のカーボーイ』のジョン・シュレシンジャーと同様アメリカに対して皮肉である。



カセットテープの普及は

2021年03月13日 | 音楽
日本ではあまり意識されていないが、カセットテープの普及は、世界、特にアジア、アフリカ等の国の音楽を大きく変えた。
それまで、音楽は、LPをステレオセットで掛けて、聴くものだった。それは、かなりの資産を持つ人と地域だけだった。
それを、安価で手軽なカセットセットなら、安く買えて、どこにでも持っていけるものになった。
これが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでのポピュラー音楽の振興に大きな貢献をしたのである。
また、これは音楽を多人数で聴くことから、次第に個人で聴くことへの変化の一つにもなったのである。

NEWS.YAHOO.CO.JPカセットテープ開発、ルー・オッテンス氏が死去 94歳(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース




『停年退職』

2021年03月12日 | 映画
1963年の大映映画、監督は島耕二で、主演は船越英二、彼は化学メーカーの厚生課長で、あと9ヶ月で退職で、この頃は、55歳で退職だった。
妻には先立たれていて、娘の藤由紀子は別の会社のOL(当時の言葉でいえばBG)であり、息子の倉石功は、受験を前にしている高校生。
船越の定年後の、再就職のことや、船越とバーのマダム中田康子との関係もあるが、主筋は、藤由紀子と会社の別の課の社員本郷浩次郎との結婚話。
要は、松竹から移籍した女優・藤由紀子の売り出し作品である。
また、船越の部下の職員江波杏子の不倫などもある。
全体として、小津安二郎の『秋刀魚の味』に感じが似ているのは、大映にしては珍しく脚本が元松竹の斉藤良輔だからだろうか。

               

だが、これを見て興味深かったのは、原作の源氏鶏太は、言うまでもなく住友にいた人で、彼の作品に住友での体験が影響したとすれば、「住友も随分と田舎の「村社会」的な会社だったな」と言うことだ。
私は、1970年代に横浜市役所に入って、「村だな」と思ったが、民間企業も大して変わりがなかったというべきか。
まず、社自体が、一つの村で、皆強い帰属意識を持っている。
また、管理職から平社員に至るまで、その全人格的な姿が共有されていて、江波に言わせれば
「私のプライバシーはどこにあるの・・・」ということ。
その意味で、日本の会社等の姿をよく繁栄しているからこそ、源氏鶏太の小説はベストセラーになったのだと言える。東宝のサラリーマンものの最初は源氏原作の『三等重役』である。
それにしても、大映には美人女優が沢山いたなあと思う。
課長を退職後、自宅で書道教室をやっている人がいて、部屋の唐紙を開けると、和服姿の女優が山盛り。
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『宮本武蔵』1973年 加藤泰版

2021年03月10日 | 映画
1973年に松竹で作られた加藤泰の『宮本武蔵』、武蔵は高橋英樹、佐々木小次郎は田宮二郎と、元日活、大映のスターである。お通も、元大映の松坂慶子だが、この頃は松竹になっていたようだ。

                                   
話は、吉川英治の原作によっているが、1本で作られているので、アクションが中心で、中村錦之助・内田叶夢版のように、求道するところはほとんどなくて気持ちがいい。武蔵の実像については、今日では吉川の小説には、異論もあるようだが、まあそれは良い。
関ヶ原の戦いに敗れた武蔵と又八(フランキー堺)が、野に潜んでいると、朱美(倍賞美津子)が来て、二人に会うところから始まる。
音楽が鏑木創で、タイトルが非常にカッコ良く、作品の疾走感を現している。

故郷の村に戻った武蔵に、村人は冷たく、大木に吊り下げられてしまう。一番に怒るのが、又八を置いて一人戻って来た武蔵を怒るお杉(任田順好)ばばあで、武蔵を「殺せ!」と叫び、この後、どこまでもずっと付いてくるのが、大いに笑える。実は、加藤泰は、「お通は、任田にしろ」と言って、松竹を困らせたそうだが、任田の演技は大いに笑える。
というよりも、宮本武蔵には、ドラマがないので、周囲の者の方に劇がないと面白くない。無理矢理に、武蔵にドラマを作ると、内田叶夢版のように「武士としての苦悩」になってしまい白けてしまう。

要は、宮本武蔵は、戦争の時代に遅れてきた青年であり、武士が必要なくなっていく時代にいる「戦う青年」の苦悩だとも言える。
比喩的に言えば、吉川英治の小説の連載が行われた昭和10年代は、日本が中国で戦争していた時代であり、その「戦争の無意味さ」の苦しみに、武蔵の苦悶は合っていたとも言えるのだろうか。

この映画には、多くの良い脇役が出ている。吉岡一門との戦いのための京の宿の亭主は、明石潮、江戸で柳生家からの使者は、河野秋武、研師は、加藤映画常連の潮路章、巌流島での小次郎との決闘の際の宿屋の主人に有島一郎、そして江戸の有馬家では、仁科明子も。
この頃、彼女も少し太っていたようだが、やはりかわいい。

最後、佐々木小次郎との巌流島での決闘もあっさりと終わる。
ここで、加藤泰が見せているのは、総てに失敗するが、普通の人間として生きていくフランキー堺と朱美(倍賞美津子)の方が、人間としての悟りを得たというところだろう。
衛星劇場

『カルフォルニア』

2021年03月09日 | 映画
1993年の作品で、ブラッド・ピットがこんな役をやっていたとは。
そもそも、最初の文字が、CではなくKなのだ。

            
作家のブライアンと写真家で恋人のキャリーは、東部からカルフォルニアを目指すが、なんと殺人現場にいってなのだから、この二人も異常なのだ。
費用を節約するために、同乗者を募集し、やってきたのがブラッド・ピットのアーリーで、彼は恋人のアデールとトレーラーハウスに住んでいる。
キャリーは、彼らは文無しよ、と言うが、ブライアンは、アーリーの能天気な明るさに好意を持っている。

彼らのように、車でアメリカを移動する話は、ケラワックの『路上』以来沢山あるが、これほどの地獄旅はないと思う。
そもそも、アーリーは、トレーラーを出るとき、地主を殺しているのだ。彼は、拳銃不法所持で保釈中の身である。
途中でいろいろあるが、ブライアンは、彼らが下層民たちのカントリー酒場で、無法者に絡まれたとき、アーリーが助けてくれたので、一層好きになってしまう。
だが、アーリーが車に拳銃を持ち込んでいるのに驚くが、逆に「撃て!、撃てないのは臆病者だ」と脅かされてしまう。

カルフォルニアニ近づくと、なんと放射線地区に入る。コロラド州のロス・アラモスなどの近くなのか。
瀟洒な家があるので、アーリーとブライアンは家の中に入る。このときには、ブライアンは、アーリーに手錠されている。
上品なお婆さんがいて、さらに夫は、原子力研究者のようで、隣の部屋で空を望遠鏡で観察している。
二人の上品さに怒ったのか、アーリーは、爺さんを即座に殺してしまい、お婆さんも卒倒する。

最後、ついにブライアンも、アーリーを拳銃で殺してしまう。これは冒頭で、死刑は無意味で、治療が必要と言っていたブライアンへの皮肉な結果であろう。
ラストは、カルフォルニアの海岸の家にいる作家ブライアンとキャリーの幸福な生活。
ブラッド・ピットば、異常な男をよく演じていると思える。
原子力や宇宙開発までするのと、この異常な人間を作り出すアメリカの本質をよく描いていると思う。それは、自由だからだろうと思う。




『明日に向かって突っ走れ』

2021年03月07日 | 映画
似た題名の映画は、沢山あるもので、特に、「明日」と「向かって」、さらに「走れ」は多いと思う。
これは、そうした全部を付けた作品で、1961年の日活。監督は、『太陽の季節』の古川卓巳。
この頃、ドル箱の石原裕次郎が、事故で療養中で、いろんな連中が主役に起用されている。
小高雄二は、以前から主役級だったが、顔つきが暗いのと演技が硬いので、ヒット作はなかった。

                      
ここでは、神戸から横浜に来て、内田良平をボスとする横浜の麻薬組織に潜入して活躍する。こうなると役は、二つしかなく、刑事か麻薬捜査官で、ここでは後者の方。タイトルは横浜港の全景だが、まだ山下埠頭には、鈴江の上屋しか見えない。その他、これは大したことのない作品だが、本牧の米軍基地内の建物が出てくるのは貴重な映像で、私もフェンス越しにしか見たことのない、ピッカリング・シアターの外観が出てくる。
そこで、小高は、高品格と会い麻薬取引現場に行くのだ。現場は、中華街のキャバレーで、その地下にバー等がある不思議なセット。
内田のほか、垂水五郎らもいるが、彼は元麻薬捜査官、高品も逮捕され警察から囮になれと言われたこともある。要は、悪人側から見ても臑に傷持つ変な連中なのだ。
松原智恵子のデビュー作だそうで、マリンタワーの職員だが、今と感じが大分異なる。
取引現場として、磯子の横浜プリンスホテルも2回出てくるが、2回目は、横浜ではなく赤坂プリンスホテルの庭園のように見えた。
そこでのアクションから、横浜の大桟橋に移るのは、徒歩では無理な話だが、映画だから仕方ないだろう。
勿論、最後は悪人たちが全員逮捕されて終わり。
手下の一人として、ロマンポルノ時代で活躍する市村博がでていた。彼も、雌伏10年で、やっとポルノ時代に来て、主役になったのだ。ついでに言えば、助監督はやはりポルノ時代にだいかつやくする西村昭五郎だった。
衛星劇場

『狂熱の孤独』

2021年03月06日 | 映画
曙町のエロビデオ屋で買った1枚。

                   
原作が、サルトルで、主演はジェラール・フィリップとミシエル・モルガン。
1953年のフランス・メキシコ作品で、メキシコの町(ベラクルスの近くらしい)にフランス人の夫婦が旅行でやってくる。夫は、血を吐いて倒れてしまう。汚い姿の男、ジェラール・フィリップがいて、彼は夫をホテルの部屋に運ぶが、死んでしまう。
細菌性の伝染病で、次々と患者が出る。

さて、かつては日本でも非常に人気のあったのが、サルトルで、私も大体は読んでいたが、高校で運動部の女性も、サルトルを読んでいて「『嘔吐』は感動した」と言うのでびっくりしたことがある。
意外にもサルトルは、映画のシナリオも書いていて、映画『賭けはなされた』は面白い作品だった。また、戯曲にも優れたものがあり、大学では『アルトなの幽閉者』をやって、数年前に新国立劇場でも見て、大変に面白いので驚いた。彼は、今後は思想家というよりも、劇作家として評価されるのではと言う意見もあるくらいだ。

原作は、1940年代に書かれたもので、カミユの『ペスト』にも似た構想である。
ミシエル・モルガンは、早く町から出て行こうとするが、続出する患者のために当局によって隔離命令が出て、町にいるしかなくなる。手当は、たった一人の老医者によって行われている。ジェラール・フィリップは、医者だったが、出産時に妻を亡くしてしまい、以後酒浸りになっているのだ。
町には、飲屋・ホテルがあり、そこでジェラール・フィリップが踊り狂うのを見て、モルガンは驚く。音楽は、メキシコのマリアッチだが、50年代なのでマンボになっている。
これを機に、モルガンは彼を好きになり、教会で、神父に懺悔する。
彼女は言う、
「夫が死んでも泣けず涙がでない、そして彼を好きになっている」と。
最後、海岸に仮の病棟を作る彼のところに行き、二人は固く抱き合って終わり。
どこが「孤独な狂熱」なのかと思うが、悪くない作品だった。






『夜叉ケ池』

2021年03月04日 | 映画
1979年に公開された松竹作品で、私は当時松竹系だった伊勢佐木町の横浜ピカデリーで見て、かなりすごいと思った。その後、まったく上映されないので、その理由を以前篠田正浩監督が横浜シネマリンのイベントに来られたとき、お聞きした。理由は、
「これは、玉三郎さんがかなりお金を出した。できて見ると、私が男に見えるので、以後公開しないでほしい」とのことだったので、「できない」とのことだった。
私などは、二役の内、普通の女性の百合の玉三郎など、女性にしか見えない、と思ったのだが。特に、大正初期の女性の話し方(もちろん、聞いたことないが)のように思える台詞を言っているのがすごい。

                   
植物学者の山崎努は、岐阜の山中を歩き、夜叉ケ池を目指す。
途中は干ばつで干上がっているが、あるところから緑になり、水が湧いていて、辿ると一軒の農家に付く。
そこに美しい女性がいて、さらに親友の加藤剛がいることがわかる。
夫婦は、村の言い伝えである、「日々、3回鐘を突かないと、池の龍が嵐を起こすので、必ず突け」という言い伝えを守って生きている。
この辺は、白河郷で撮影されているようだ。
夜叉ケ池の映像は、岐阜と福井の県境の本物ではなく、富山の奥の「南砺市の池だ」と、城端駅の看板に書かれていた。理由は、実際の夜叉ケ池が小さいからではないかと思う。実際に行った人の話だと、非常に小さいのだとのこと。
岐阜の白河郷と南砺市は非常に近く、私は「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」の時、南砺市からバスで白河郷に行ったことがある。その途中には、利賀村もあったが、今は南砺市になっている。

さて、ここで動物たちが出てきて、鯰の三木のり平が、白山の若君から、夜叉が池の姫への恋文をもって来るところから、以前見たときは筋がまったく理解できなくなった。だが、その後、泉鏡花や宮澤賢治のように、動物と交歓する作家は、普通の人でも飼犬や猫の言葉が理解できると称する人と同じと思うようになった。それは鏡花の幻想に過ぎないと思えるようになったので、十分に楽しめる。
そして、丹阿弥泰子の乳母、石井めぐみの召使いらに傅かれている、お姫様の玉三郎が現れる。ここは、遠くから望遠レンズで撮影されていて、篠田は多彩なテクニックを使っている。そして、ここでは皆お芝居めいた演技になっている。玉三郎の二つの演技わけはさすがである。そして、お姫様は、恋心で、白山に行こうとするが、村の鐘突き堂に来て、赤ん坊に子守歌を歌う百合を見て、想いをやめてしまう。女性性が、母性に負ける瞬間である。
この動物たちのシーンは、三木のり平は別として、山谷初男らが出て、当時のアングラ劇のような雰囲気にしているのは、篠田の意図だろう。

村は日照りで苦しんでいて、村の偉い人々の提案で、生贄を池に入れることになり、「生娘の美人」とのことで、百合に白羽の矢が立つ。
そして、無知蒙昧な村人が、百合の家に押し出してくるところは、木下恵介や今村昌平の傑作『楢山節考』みたいである。
村人を扇動する、金田龍之介、安部徹、南原宏治らの地位をかさに着た汚らしさも良く出ている。

村人と玉三郎、加藤剛、山崎努らとの争いになるが、最後にヤクザものとして唐十郎らも出てくる。
3人は、鐘を突く必要はないとして、撞木の綱を切り、鐘がつけないようにすると、ちょうど明け六つで、池の上から水柱が昇り、すぐに嵐になり村と谷の全部が流されてしまう。
鐘撞堂の柱に身を縛り付けていた山崎が気がつくと、そこは大滝の縁で、囂々と水が落ちている。ここは、イグアスの滝である。
篠田には珍しい、「愛の賛歌」であり、昔よりも今の方が容易に受け入れられる作品だと思えた。
 
衛星劇場







国際劇場で見た北朝鮮歌劇

2021年03月03日 | 演劇
1975年6月に、北朝鮮の国立歌劇団が来て、浅草国際劇場で公演をした。
万寿台国立歌劇団で、演目は『金剛山のうた』だった。

                        
筋は、よく憶えていないが、日本軍に抑圧されていた金剛山付近のある家族が、金日成主席のご指導によって家族は再会し、幸福になると言うものだったと思う。
観客は、日頃のガラガラの席とは大違いで、ほぼ満員だった。
南北の朝鮮・韓国の人だと思われ、言語は朝鮮語だが、脇に日本語字幕が出た。

この不幸な家族が再会して幸福になるというのは、中国の桂林で見せてくれた歌劇も、そうで、日本も含め東アジアの演劇では共通の要素だと思われる。
さて、この歌劇は結構面白くて、歌もよく、「あ、あーカングルンサン・・・」という曲のメロディは、今もよく憶えている。

ただ、これは差別になるので、あまり大きな声では言えないが、南北の朝鮮・韓国の方で満員だったために、会場中はニンニクの臭いが充満して、私は休憩中は外に出て外気を吸ったこともよく憶えている。
その国際劇場も、とっくになくなっている。



宝塚ひとり勝ちの理由が分った

2021年03月03日 | 演劇
衛星劇場で、浅草国際劇場でのSKDの公演の映像が放映された。1950年代末で、小月冴子と川路竜子が主演のもの2本。どちらもカラーである。

      
1970年代に私も、浅草に見に行っていたが、大きな劇場はガラガラで、寒々しいものだった。
そこで行われているのは、歌と踊りのショーで、劇はなかった。この2本も同じで、劇はなく、歌と踊りのショーのみ。だから、売り物はラインダンスのみとなり、男の客とお上りさんだけになるわけだ。
SKDの他、当時は日劇のNDTもあり、戦前から大阪にはOSKもあって、これらの方が宝塚よりも上だと思われていた。宝塚は、「お嬢さん芸」というのが一般の評価だったと思う。特にOSKの評価は高く、笠置シズ子、京マチ子の二人のスターを出している。一方、宝塚は月丘夢路のようなスターは出ているが、女優としであり、歌や踊りの巧者ではいないと思う。

たが、宝塚は、1970年当時から「歌と踊り」のショーと劇があった。
引用するのも恐縮だが、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』によれば、「劇的言語帯は、物語言語帯の上に成立する」ものであり、ドラマのないところに、スターは生まれないのだと思う。
宝塚のすごいところは、権利関係でだめな時以外、パンフに脚本の全文が載っていることだ。ファンは、家に帰って、スターの真似をするだろう。野球少年が、王や長島のフォームを真似するように。
また、『歌劇』という雑誌があるが、これの半分くらいはファンの投稿である。ここの編集者だったのが、岩谷時子で、彼女は越路吹雪と共に退団し、後の作詞家になったのだ。これも、赤字だと思うが、きちんと毎月出している。

以前、太地真央のファンの女性と知り合って、彼女に付き合って公演を見に行ったことがある。
太地は、東京公演の際は、帝国ホテルに泊まっている。そこから、毎日劇場に行くときに、車の送迎が行われる。それは、彼女のファンクラブが運営していて、毎日の担当を決めているのだそうだ。
たった数百メートルの送迎のために!
これは、ファンにとっては、スターと一緒の時間を過ごせる、スターにとっては「自分はスターだ!」という実感が得られる、そして阪急にとっては、その分スターへの給与を減らせる、という全員への利益がある。
まさに小林一三はすごい! と言わざるをえない。
こうした、ファン作りが、現在の宝塚一人勝ちを作り出したと私は思うのだ。


『異聞猿飛佐助』 「後出しジャンケン」の慎太郎

2021年03月02日 | 映画
高校3年のとき、池袋の文芸地下で見て、篠田正浩を見直した作品。
モノクロで最高なのは、『乾いた花』だろうが、この映画の快感もすごい。
篠田は、多彩な作品を作るが、その本質は娯楽性にあり、これは中では一番だと思う。
武満徹の音楽も良いが、画面の美しさ、そして筋が進行していくテンポの良さ。
主演の佐助は、大河の織田信長で大人気となった高橋浩治、遊女で渡辺美佐子が出てくるが、非常に可愛い。
関ヶ原の戦いが終わって15年で、徳川方、大坂方が、次の戦いを目指して信州の諏訪で、入り乱れている。
大坂側の戸浦六宏は、徳川方の有力武将・岡田英次を大坂に寝返らせているとして、佐助に助力を頼むが、すぐに殺されてしまい、渡辺も殺される。
諏訪には、宮口精二、岡田、佐藤慶らが来て、さらに徳川方の丹波哲郎らも現れる。この丹波の衣装が面白く、白い修験者風で、頭を巻く布の角状のものが不思議。
丹波は、佐助の敵だが、なぜか佐助を助ける。
最後は、一番の悪は、元は遊行の群れにいた佐藤慶であることが分る。
諏訪大社の祭の踊りも、黒澤明の『隠し砦の三悪人』のようで、スケールが大きくて面白い。

          
これの欠点は、脚本が福田善之のことで、彼は新劇で『真田風雲録』をヒットさせたからだろうが、娯楽作家ではないので、筋がよくわからない。篠田は、それを映像で補っているが。

佐藤と高橋の決闘になり、「佐助あわや」と言うところで佐藤に手裏剣が刺さって佐助は勝つ。
なんと石原慎太郎の霧隠才蔵!
ここはいつ見ても爆笑だが、いつも「後出しジャンケン」の慎太郎の本質をよく突いている。
衛星劇場

『地方紙を買う女』

2021年03月01日 | テレビ
これを最初に見たのは、大井武蔵野館で、日活の『危険な女』だった。松本清張原作で、1時間くらいの中編で上映しやすかったのか、よく3本立ての1本として上映されていた。主演は、渡辺美佐子、作家は芦田伸介で、監督は若杉光夫だった。

              
これはテレビで9回も作られているそうで、今回の主役は内田有紀、小説家は高島政伸。話は、東北の地方新聞に連載を書いているのが高島で、「先生の小説を読みたいので、わざわざ東京から購読したいと言ってきた女がいましたよ」と聞かされる。
新聞の連載小説も、人気があったもので、朝日、読売、毎日のような全国紙は人気作家を起用できるが、地方紙はできないので、共同して連載を書いてもらっていた。川端康成の『東京の人』も、そうで日活で映画になり、歌もヒットした。小説は、実は川端ではなく、梶山李之が書いたとのこと。ただ、監督の西河克巳によれば、「歌は映画ができてからヒットしたので、映画のヒットには無関係だった」そうだ。

この話の筋は省略するが、宮城の山中で男女の心中事件があるが、実は偽装殺人だったと言うもの。『点と線』といい、松本清張は偽証心中ものが多いが、なぜなのだろうか。
内田は、千原ジュニアと国分佐智子から、宝石店でペンダントを万引きしたことを見とがめられ、脅迫され金を強請取られ困って二人を殺す。動機として弱い気もするが、日活のでは、渡辺には無能な小説家の下元勉を殺すもので、どちらも動機はさして強くない。

さて、私が見ていて、完全な間違いだと思ったのは、内田が、事故で身体障害児になった娘への送金である。見るところでは、意識もない重度心身障害児になって施設に入院している。
だが、重度の心身障害児者は、100%補助なので、医療費は無料。
徳田虎雄のように豪華部屋に一人で入院していない限り、月20万円の送金は不要なはず。まあ、送るとしても、衣料やお菓子等の小遣い程度で、月20万の送金はあり得ない。福祉制度への理解の不足だと思った次第。
BS日テレ