指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

心か形か

2008年05月31日 | 演劇
本郷功次郎という男優がいる。
彼は、柔道をずっとやっていたが、偶然大映のスターになり、日本映画全盛期に多数の作品に出演した。
そして、彼は当時大映の大スターだった勝新太郎と市川雷蔵の両者に可愛がられたそうだ。勝新と雷蔵は特に仲が悪かったわけでないが、撮影所の中には自然と両者の取り巻きがあり、派閥を形成していた。だから、両者に同等に付き合っていた役者は少なく、大変珍しいのだそうだ。

あるとき本郷は、大阪歌舞伎座公演に急病で休演になった中村錦之助の代役をすることになった。それも公演初日まで数日しかないというときに。
芝居の経験が全くない彼は、歌舞伎での経験の深い勝新と雷蔵の二人に「どうしたら良いか」を聞きに行った。

すると、雷蔵は「台詞を全部憶えろ。台詞を憶えればすべて動きが出てくる」と言った。
次に、勝新太郎のところに行き、聞くと勝は、
「台詞など全く憶える必要はない。役の心だけをきちんと辿っておけば、台詞は自然に出てくるもんだ」

これは、二人の演技感の違いを現しとても興味深いが、実はどちらも正しいのだ。
「心から入るか、形から決めるか」それは役者自身のタイプの違いであり、人それぞれなのだ。
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裸は速いのか

2008年05月31日 | その他
オリンピックの競泳用水着の開発競争が話題である。
昔々の東京オリンピックのとき、メルボルン、ローマ、東京と女子自由形100メートルで3連覇したオーストリアのドン・フレーザーは言った。
「裸で泳げば、男子より速く泳ぐことが出来る」

当時、水着の面積は狭いほど摩擦が少なく速いと信じられていた。
だが、近年では必ずしもそうではないようだ。
勿論、水着の素材の改良が進んだからだが。

勿論、用具で優劣が決まるなど、スポーツ本来のフェア・プレーの精神に反する、との意見もあるだろう。
だが、そんな言い草を許さないほど、今やスポーツ・ビジネスとスポーツ産業は巨大化し、その競争は熾烈になっていると言うことだろう。
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美術監督のデザインではないか

2008年05月29日 | 都市
職場の歓送迎会が鎌倉で開かれた。
元松竹大船撮影所近く有名なMの系列の和食店で、なかなか美味しい料理だった。
内装も立派なもので、骨太の木材を組み合わせてむき出しにしていた。
どこか映画のセットのようで、ここは撮影所に近く、スタッフも利用してはずで、多分このデザインは、誰か映画の美術監督のものではないかと思った。
この辺には、松竹のスタッフ、キャストが利用したレストランのM、T等があり、佐田啓二も、店の関係者と結婚したはずだ。

映画の美術監督木村威夫さんの本を読むと、1960年代、木村さんは日活で多数のアクション映画を作っていた。
鈴木清順監督の『東京流れ者』『けんかえれじい』、さらに芦川いずみ主演の蔵原惟善監督の傑作『硝子のジョニー・野獣のように見えて』などが有名である。
その頃、木村さんは地方のキャバレー、バー・クラブの経営者から、店の内装デザインの注文を沢山受けたそうだ。
「あの映画のセットのような店にして欲しい」と。
そして、それは良いアルバイトになったとも書かれている。
この店も、誰か映画美術家のものではないか、と思いつつ食事を味わった。

帰りは、JR大船駅から戻ったが、かつてはなかった笠間口という改札が横浜寄りに出来ていた。
随分便利になったものだと感心した。これも国鉄の分割民営化のおかげとすれば、評価に値する。
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『新・夫婦善哉』

2008年05月28日 | 映画
豊田四郎監督、森繁久弥、淡島千景主演の大ヒット作の8年後の続編。
原作の織田作之助に加え、上司小剣の『鱧の皮』を加えてあるとのこと。脚本は、前作と同じ八住利雄、音楽も団伊久麿。
船場の大店のぼんぼんの森繁の柳吉は、相変わらず妻淡島の蝶子の苦労を他所に、女にうつつを抜かしている。
柳吉自身が言うように、「次第に女が落ちてきて」、八代万智子、さらに淡路恵子と同棲し、養蜂の事業化の夢を追いかけている。
そして、淡路と東京に行くと、そこには兄と称する不動産屋の小池朝雄と出会う。
勿論小池は、本当は淡路の情夫であり、この小池と森繁のやり取りが最高。

豊田の真骨頂は、ブラック・ユーモアにあり、森繁が小池と夏の夜に、二人でアイスクリームの箱作りの内職を手伝うあたり、淡路が狂言自殺を図ったときに淡島が大阪から上京するところが最高である。
森繁たちが下宿している1階は、朝鮮人の辻伊万里夫婦が住んでおり、多分城東地区だと思うが、この辺の設定も面白い。豊田は、戦前に朝鮮で映画を撮ったこともあり、結構敏感なのだ。
森繁が一人で善哉を食べる店で、音丸のヒット曲『船頭可愛や』を竪琴を手に持って歌う流しが出てくる。あるいは、大阪の盆踊りで、不思議なゆっくりとした曲が歌われる。この辺の風俗描写も、豊田らしく細かくて面白い。

最後の「頼りにしてまっせ」の名台詞は、森繁ではなく、淡島から発せられるのは、皮肉。
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『ロマンス娘』

2008年05月27日 | 映画
NHK・BSで、ひばり、チエミ、いずみの三人娘映画特集で『ロマンス娘』を見る。
封切り時に見ているはずだが、途中の三人のショー場面と最後の、宝田明、江原立よし、井上大助の相手役と二人乗り自転車でサイクリングに行く場面しか憶えていない。
確かに、孤独な大富豪小川虎之助の孫娘をめぐる詐欺師森繁久弥の話など、実に古臭くてくだらないから仕方ないのだが。
結局、ショー的な場面が私は好きと言うことのだろう。
この前の『ジャンケン娘』は、数年前に放映されたときには、ほとんど憶えていたのに、この差は大きい。

三人娘の中では、昔は古臭く見えて一番嫌いだったひばりが圧倒的に上手くて、今は一番好きである。
雪村いずみなど、ただの素人であり、ある意味で今日的タンレントである。
三人娘で、最も才能がなかった(と本人も認めている)雪村いずみが生き残っているのは、その性だろう。

三人の男の中では、井上大助のみが若くして死んでいて、他の二人はご存命であるのは、誠に慶賀に耐えない。
なんといっても、ひばりの死は大損失だったと思う。
改めてご冥福をお祈りしたい。
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翻訳者の奥さんが来られた

2008年05月26日 | 演劇
昨日の午後2時の公演に小説『やし酒飲み』の翻訳者、土屋哲さんの奥さんが見に来られた。
土屋先生は、昨年春に亡くなられたそうだ。

エイモス・チュツオーラの小説を劇化するに当たり、当然のこととして、翻訳者の著作権を尊重し、昨年夏に出版社の晶文社に連絡し、許可をお願いした。返事はなかったのだが、晶文社は著作権の継承者である土屋さんの奥さんに連絡をしていた。そこで、昨日見に来てくれたわけだ。

我々は、小説の中から主人公と妻と息子だけの話にした。
小説を読まれた方はお分かりになるだろうが、原作は膨大かつ様々な物語が含まれていて、一環したストーリーがない。
言わば、日本で言えば『古事記』や柳田国男の『遠野物語』等の民族神話、民話の雑多な集成のごときものである。
劇化に当たっては、どこを抽出し、切り取ってくるか、が最大の課題だった。
実は、演出の田村光男同様、大学時代に同じ学生劇団にいて、現在はテレビのシナリオを書いている下川博が構成を考えてくれた。

それは、「主人公のやし酒飲み、妻、息子、この3人の話にすれば劇になる」だった。
その後、事情があって下川は、脚本を書くことが出来なくなった。
そこで、田村が下川の構想に従って脚本を書き、演出した。

土屋さんの奥さんにご感想を聞くと
「長い複雑な話を、よく劇にまとめられた。若い人たちが、小説をよく忘れずに取り上げてくれてとても嬉しい。
主人が生きていればとても喜んだだろう。劇はとても素晴らしかった」とお褒めのお言葉をいただいた。
土屋先生は、昨年なくなられたとのことだが、「もし生きていられたら是非見ていただきたかったとね」と田村光男と話した。

昨日で、金沢区での公演は終わった。
また、今週中に再度稽古して、週末の馬車道でのバンカアート公演に備える。
今週末の公演は、さらにブラッシュ・アップして良い芝居にしますので、どうぞ見に来てください。
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大盛況だった

2008年05月25日 | 演劇
昨日、金沢区の長浜ホールでミュージカル『やし酒飲み』の初日が無事終了した。
原作、脚本、そして稽古を見ている私たちには、細かい間違いや不十分さは勿論ある。
初日の出来はこんなものといえばそれまでだが、フィナーレの大盛り上がりは大変なものだった。
特に、5時からの夜の部の公演の客入りが不安だったが、結果的には夜の方がお客さんが多かった。
雨の中来てくれた方、本当に有難うございます。

今朝の朝日新聞横浜版に写真が出ていたが、多分フィナーレのものだろう。
今日も、金沢区長浜の長浜ホールで、午後2時と5時からの2回公演を行います。
もし、お時間のある方は、是非お出で下さい。
必ず楽しいミュージカルをお見せします。
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ついに本番

2008年05月24日 | 演劇
本日午後2時から、ミュージカル『やし酒飲み』が、長浜ホールで本番を迎える。
昨年7月から、このミュージカルを企画してきた者としては、大変感慨深い。
結果については、全く心配していないが、唯一の心配は天気である。
詳しくは書けないが、屋外に置いてあるセットもあり、雨は少々困るのである。
だが、何とかなるだろう。
昔々、横浜でウォーマッド横浜をやったとき、当日早朝に台風が来た。
かなり被害はあったが、台風一過、問題なくイベントは出来た。
まさに台風も押し返すような盛り上がりだったのである。
今回も、そうなることを願う。
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しっかりしていると言うか

2008年05月24日 | 演劇
下の娘が大学に入学し、某大学の劇団(入学したのとは違う大学)に入った。
夏に公演が行われるそうだが、参加するには「参加費」をあらかじめ払うのだそうだ。
その劇団は、参加費のみだからむしろ良心的で、中にはさらにチケット・ノルマのある劇団もあるそうだ。
なんとも、しっかりしていると言うか、いじましいと言うか。

我々が学生劇団にいた頃は、大学からのわずかな補助とチケットの売り上げが唯一の収入で、チケット売りが生命線だった。
だから、チケットの売れ行きが悪いと、制作から「売れないと公演が出来ないぞ!」と脅かされたものだ。

私が入る数年前の公演では、大道具の我侭で大掛かりなセットを作っため公演は大赤字になってしまった
そこで、劇団員は全員で、映画のエキストラ、スタッフ等のアルバイトをやって赤字を補填したとのことだった。それも良い経験だったそうだが。

だが、始めから参加費を確保しておけば、収入は確実にあり、問題はなくなる。
実に大したものだと言うほかはない。
何か夢のない感じもするが。
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宝塚と漫画の世界

2008年05月23日 | 演劇
宝塚と漫画と言えば、『ベルサイユのバラ』等で原作にしたくらいで、余り関係がないように思えるが、実はきわめて深い関係がある。
と言うのも、日本の漫画の開祖手塚治虫は、宝塚の生まれ、育ちで、幼いときから宝塚歌劇を見て育ったのである。
だから、手塚治虫をはじめとする日本の漫画の主人公の現実離れした美男・美女姿は、宝塚の役者の絶対的な美しさから来たものなのである。
そして、1970年代になり、手塚漫画で育った池田理代子原作の『ベルサイユのバラ』が、宝塚に逆輸入されて大ヒット劇になったのも、故なしの子とではないのだ。
こうした文化の異なった分野から他の分野への影響、さらに逆影響と言うのは、意外にも良くあることだが、大変興味深いことである。
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白井一幸をオリックスの監督に

2008年05月22日 | 野球
オリックス・バッファローズのコリンズ監督が辞任したそうだ。
理由は分からないが、これまた中村勝広GMの失態だろう。
失礼ながらこの人は、ほとんど何をやっても上手く行かない。
コリンズ監督もなぜ連れてきたのか、理由が不明だった。
多分、報酬が安かったことが、オリックス本社の気に入られたのだろう。
次の監督は、当分大石大二郎ヘッド・コーチが勤めるらしい。
まあ悪くはない。
だが、時間が来たら、白井一幸ロヤルズ特別コーチに戻ってきてもらい監督に就任してもらいたいと思う。

彼は、日本ハムの内野手として守備の上手い渋い選手だった。
現役選手引退後、コーチとしてヤンキース留学などをした後帰国し、ヒルマン前監督をよく補佐して日本ハムを優勝させた。
ヒルマン監督には高く評価され、現在はヒルマンが監督をしているカンサスシティ・ロイヤルズで特別コーチを務めている。

英語が十分に話せ、日米両国の野球に通じている彼は、今後の日本プロ野球の振興に最適な人物の一人だと思う。
是非、彼に監督に就任してもらいたいものだ。
清原が監督だなんて、冗談もいい加減にしてもらいたい。
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『ベル・バラ』以前の宝塚はマイナーだった

2008年05月22日 | 演劇
朝日新聞夕刊の「人生の贈り物」の安奈淳が大変興味深い内容である。

彼女の回想によれば、『ベルサイユのバラ』の大ヒット以前と、以後では宝塚人気が全く違ったというのだ。
私の記憶でも、昔の東京宝塚劇場での宝塚歌劇団の公演は、大抵ガラガラで、最初二階席の切符を買って1幕目は2階で見て、2幕目からは下に下りて1階席で見られたものである。
そのくらい座席は売れていなかった。

安奈淳によれば、『ベル・バラ』以前の地方公演の宿舎は連れ込み旅館やラブホテルもあった。
それが『ベル・バラ』以降はきちんとしたホテルになったそうだ。
安奈淳は、見た目が極めて弱弱しく、天性のダンスの軽さが好きだった。
女優としては本人が言うように、全く練習しない役者だったようだ。
それで、すべてがきれいに見られたのだから、それは天性の才というしかない。
だが、彼女は引退結婚後、病気をして大変だったようだ。
今度は、その辺のことになるだろう。

数年前、彼女はデイビット・ルボー演出のミュージカル『ナイン』で、脇役の映画評論家役をやったが、これは適役だった。
意外にも知的な役が合っているのかも知れない。
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長浜ホールで稽古

2008年05月21日 | 演劇
今日から能見台の長浜ホールに夕方から集まり、衣装、持ち道具を着けての稽古。

私は、朝台風が弱まった後、再編集したDVDを受け取りのため、川崎の梶ヶ谷に向かい、再編集DVDを受け取って試写する。
結果は、とても良い。
その後、友人夫婦と孫とで近所のファミリーレストランに行って昼食。
彼は、私とは一つ違いだが、娘が20歳で子どもを産んだため、すでに爺さんになっている。
様々な昔の友人たちの話になる。
人それぞれである。

そのまま、電車を乗り継いで、能見台の長浜ホールに行く。
すでにステージに2台のイントレが組み上げられて、美術、衣装も持ち込まれている。

高校生も順次集まり、6時半から動きや転換を中心にした稽古。
浅葉和子さんの衣装、美術が素晴らしい。アフリカへの造詣の深さが良く出ている。
映像を記録し、インターネットで配信してくれる能見台の橋本さんに来ていただき、紹介用DVDを渡し、当日の撮影方法等について打ち合わせ。
橋本さんは、自宅に大型AV装置を持っておられるので、そこでの映画等の上映方法について話し合う。現行の法体系下では、なかなか難しいのだが、何か方法がないか考える。

本日も、舞台監督、音響、音楽等のスタッフなど、新たな参加者が増えた。
日々、参加者が増加しているのは、作品が面白い証拠である。

その後、金沢文庫に行き、「金沢区連合町内会長会」の歓送迎会に行く。
私は、3月末に退職したので送られるメンバーの一人なのだ。
皆さんには、金沢区政60周年記念実行委員会の委員で、ミュージカルも実行委員会事業の一つでもあるので、皆さんに公演への協力とお礼を申し上げる。
当日は、出来る限り夜の回に来ていただくよう図々しくお願いする。
この間、広報・宣伝、プロモーション・イベント、観客動員と、制作のような役割をしてきて、自分が随分図々しい人間になりつつある気がする。
そのくらいでないと、芝居の制作は出来ない。
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『やし酒飲み』は是非夜の部の公演にお出で下さい

2008年05月20日 | 演劇
ついに今週末から、ミュージカル『やし酒飲み』の公演になります。
5月24日(土)、5月25日(日)、5月31日(土)、6月1日(日)、各日とも2時及び5時開演(ただし5月31日は、午後5時のみ)。

先週、朝日新聞と読売新聞に大きく取り上げられたので、入場券の申し込みも急激に増えて来ました。
大変有難うございます。

各日とも、昼の部は間もなく満員になりそうです。
恐縮ですが、これから申し込む方、また当日お出かけの方は、是非夜の回(午後5時)に、よろしくお願いいたします。
そうすれば、比較的余裕を持って観劇いただけると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
今日から、長浜ホールで舞台の仕込みと稽古に入る。
嵐の中の決行であるとは、なんともライブ・ミュージカルに相応しい。
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パームワイン・ミュージックだった

2008年05月18日 | 音楽
横浜の赤レンガ広場に行われている「アフリカン・フェスタ2008」に行き、午後からのギネアのセク・ベンベヤ・ジャバテのライブを見る。
このフェスタで最高のミュージシャンだろうと言うより、他がほとんど論外的だったのだが。
午前中に、『やし酒飲み』一座が挨拶する前にやっていた、エジプトの国立アスワン民族舞踊団など、「どこが国立なの」というレベルだった。
よく地方のホテル・旅館に行くと、様々な海外の連中が音楽等をやっているが、実は風呂場のかまたきや配膳もやっていたりするただの外国人労働者に近い存在なことが多い。
アスワン舞踊団は、在日労働者ではないが、世界中を、多分この程度の芸で出稼ぎしている連中なのだろう。

それに比べれば、セク・ベンベヤ・ジャバテは、ベンベヤ・ジャズの後裔であり、本物のアーチストである。
演奏は、実にのんびりしたもので、昔日本にも来たシェラレオーネのパームワイン・ミュージックのS・E・ロージーのような音楽なのだ。
同じ西アフリカなので、シェラレオーネやギネアは同系統の音楽なのだろう。
この辺は、ナイジェリアやコンゴ、ザイール等には全く異なる音楽である。
アフリカのスケールの大きさと面白さを感じた。

会場で、『やし酒飲み』の最新のチラシを配る。
結構、反応があるので、嬉しかった。
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