4月29日に、パシフィコ横浜で、藤田正さん、特別ゲストにサンディーさんをお迎えして、トークイベントをします。
ぜひ、見に来てください。
大岡川の桜は、もう散っているでしょうが。
4月29日に、パシフィコ横浜で、藤田正さん、特別ゲストにサンディーさんをお迎えして、トークイベントをします。
ぜひ、見に来てください。
大岡川の桜は、もう散っているでしょうが。
昨日の夜、市内南区で、ミゼットが目の前を通っていった。
ダイハツのミゼットである。
昔、テレビの『番頭はんと丁稚どん』の幕間のコマーシャルで、佐々十郎と大村崑が、
「ミゼット、ミゼット」と連呼していた物だ。
私は、車に一切興味のない人間で、家の事情から40歳で、自動車の免許を取ったが、あまり使わず、70で返上してしまった。
この「ミゼットのような車なら乗っても楽しそうだな」と一瞬、思った。
昨日は、都立小山台高校の2・3年組Aの集まりが行われた。
これは、昨年夏にT君が亡くなられたのを哀悼するものだった。
彼は、在学中はバレーボールで活躍した背の高い男で、A組で唯一、同級生のJさんと結婚したカップルなのだ。
様々な話が出たが、小山台での特徴として、いわゆる部活動を「班」ということで、これは現在もそうのようだ。
だから、運動部野球班とか、文化部演劇班というので、私は「まるで陸軍の内務班のようだ」と思ったものだ。
この班という呼称は、戦後も実は、多くあったもので、日本テレビでは、各部を音楽班とかドラマ班、報道班と言っていらしい。
さて、私が横浜市役所に入って初めて聞いた言葉に、「要綱」があった。
これは、飛鳥田市政のときの「要綱行政」ではなく、いろんな事業の名称に「要綱」を付けることだった。
それは、区役所でも同様で、「区民マラソン実施要綱」のように使われていた。
そして、この「要綱」は、軍隊の作戦の名称から来ていると分かったのは、後々のことだった。
「何々作戦実施要綱」のようなのだ。
途上国であった戦前の日本の社会では、軍隊は、先進的社会組織の重要な組織だったので、そこでの多くの事物が、一般の社会にも反映されていたのだと思う。
女性映画人の最後の日、学研映画社作品『結婚する娘へ 父の愛』を見るが、主役の鉄鋼所で働く父親は、大久保正信さんで、初めて普通の顔を見た。工場の現場の奥には、モノレールの鉄路が見えるので、大田区蒲田のロケだと思う。
この人は、森谷司郎監督の『首』で、有名な方で、容貌魁偉な役なのだが、ここでは普通の役をやっていた。娘さんたちも知らない人達で、多分大久保さんがいた劇団の文化座の人だろうと思う。監督は、スクリプターだった城田孝子で、脚本は廣澤栄で、かなり東宝的に見える。それもそのはず、城田さんは、もともとは東宝の人だったのだ。
これの前に上映された『おなじ太陽の下で』は、女優望月優子さんの監督2本目で、黒人への差別、偏見をテーマにしている。主演の女優は、高田敏江だと思っていたら、望月さんの姪の中村雅子だった。共演の南廣が能天気で笑える。小学生たちが見学に行くのが、江の島で、ここには遊園地があったのだと知る。水族館の他にあったのか。日活社長の堀久作も当時は金があったわけだ。
午後最初の『野口英世の少年時代』は、偉人の少年時代の偉さを描くもので、一番苦手な作品。監督の関川秀雄は、まだアルコール依存ではなかった時代のようだ。
今度は、政党名を変えたのだそうだ。
NHK党から、政治家女子48党だとのこと。
立花の昔のスローガンの「NHKをぶっ飛ばす」は、昔の小泉純一郎の「自民党をぶっとばす」である。
今度の「政治家女子48党」は、AKB48のまねであることは、明白だろう。
本当に、どうしようもない連中だというしかない。
「なにか、オリジナルなものを出せ」と思うのは私だけではないだろうと思う。
1965年、東京オリンピックから1年と言っている。
主人公は、商社マンの園井啓介と旅行代理店の鰐淵晴子であり、この頃、やはり海外への憧れは強かった。
私は、高校3年で翌1966年に大学に入るが、当時海外旅行の経験がある人は、東宝の田中友幸氏の息子のTさんしかいなかった。
園井は、ニューヨークから自殺した妻の遺骨を抱いて帰国したのだが、彼女がなぜ自殺したのかが、最大のサスペンスになっている。
鰐淵には、つきあっている平凡な男がいるが、園井の今度はロンドンへの渡航手続きで、彼に会うたびに園井に魅かれていく。
彼の妻の自殺の原因を明らかにするのは、銀座のバーのマダムの久保菜穂子で、彼女は、園井の妻と高校時代の同級生で、実は、園井の会社の同僚の待田京助と関係があったからなのだ。
待田曰く、「俺は、彼女を出世コースに乗っていた園井に取られたんだよ・・・」
社内の出世、社長就任の競争等も描かれ、全体にテンポは早く、上手くできているのは、さすがに番匠義明監督である。
番匠や市村泰一らは、ヌーベルバーグ以後の松竹で頑張っていた監督である。
だが、松竹の後退は続き、山田洋治の『男はつらいよ』以外のヒットは亡くなる。
番匠も、これが最後の映画となり、以後はテレビに行くことになる。
衛星劇場
WBCの勝利で、きれいごとに厭きたので、ひどい作品を見ることにする。
大部前に録画してあったが、なかなか見る気にならなかった作品。
1973年夏に、テキサスの田舎を4人の男女の若者(男2人、女2人)がバンに乗って旅しているが、その目的は昔にいた家に行って見ること。
途中で、男のヒッチハイカーを乗せるが、これがまず異常に変な男。
食肉屠畜場の話をしてきて、女たちは気味悪がるので、途中で下す。
ガソリンが不足しそうなので、小さなスタンドで車を停めてガソリンを買おうとするが、
「ない」と断られ、代わりに「バーベキューを食え」と言われる。
暑いので、一人の男が、川に行こうとして歩き出すと、変な館に遭遇する。
ガソリンを貰おうと、中に入ると、動物や人間の死骸が無数にある。
隣の部屋に行こうと、扉を開けると、突然仮面をかぶった大男が、鉈を振り下ろしてきて、その餌食になる。
その男の相手の女が、男を探しに館に来ると、やはり鉈の餌食になる。
日が暮れて、残された一組の男女も、いなくなった男女を探しに歩き出して、問題の館に着く。
男は、すぐに鉈の餌食となるが、女も捕まって縄で縛られる。
その部屋には、二人の兄弟がいて、なぜかガソリンスタンドの男もいるが、兄弟に「コックだ」と言われている。
時間が経って目を覚ました女は、なんとか館を逃げ出し、道路で、大型トラックに助けられるが、そこにもおかしな兄弟が追ってくる。
弟は、ガソリン式のチェーンソーをふりまわしている。
それで、人間や動物の体を切っているのだ。
なんとか逃げたのかというところで、画面は暗転。
実に、恐ろしいと言うか、おかしいと言うか、よくぞ作ったという恐怖映画。
車に流れている曲がカントリーであるのが、本当にテキサス的である。
ザ・しネマ
一昨日の国立映画アーカイブで、『婦系図』の前に見たのは、アニメーション作家神保まつえの作品だった。
彼女は、学習研究社映画で、主に人形アニメで活躍した女性監督だった。
中では、『セロ弾きのゴーシュ』と『泣いた赤おに』の孤独さが、胸にしみた。
最近、私も友人を失ってきた。共に、芝居をやってきて、映画や音楽について話した連中だった。
人は、結局ひとりだと言われるが、まさにそれを感じる日々である。
言うまでもなく、泉鏡花の名作だが、映画化されたのは、比較的遅く1934年で松竹蒲田である。
『滝の白糸』などに対して、セリフ劇だったからだろうか。
主演のお蔦は田中絹代、相手の早瀬主税は、岡譲二で、当時の蒲田の人気スターである。
芸者の蔦と密かに所帯を持っているのが主税で、それを知った恩師酒井修造先生の志賀請
江戸時代から、武士などでも師弟関係は、やや愛情的関係でもあったのだから、それは不思議ではない。。
そして、主税が、お蔦に別れを言うのが、有名な湯島の白梅の場面である。
ここは、実は鏡花ではなく、劇団新派の女形の喜多村禄朗が、セリフから動作まで全部工夫して創作したもののようだ。
「別れろ切れろは、芸者の時に言うことば、今の私には死ねということよ」になる。
二人はいやいや別れて、主税は静岡に行き、お蔦は、姉芸のこ芳に倣って、髪結いになる。
そして、お蔦は、危篤となり床に臥す。原因は不明だが、多分結核だろう。
実は、この主税の静岡行きとそこでの悪人たちの死の件は、鏡花の劇の展開と順序が逆なのだが。
死の床で、先生はお蔦に詫び、主税もなんとか駆けつけてl来るが、間に合わずに終わる。
トーキーなので、録音に注意しすぎた性か、照明が悪くて、非常に画面が暗い。
『婦系図』は、映画として5回作られているが、1962年の大映の市川雷蔵と万里昌代のが一番良いと私は思う。
「たけしの芸能史」で、子役特集があり、面白かった。
BSなので、テレビが中心だが、日本映画で、子役が多く必要とされたのは、サイレント末期、1920年代の松竹蒲田からである。
それまでの、チャンバラ時代劇では、子役はほとんど必要なかった。
松竹蒲田撮影所は、一応近代的な映画の制作を目指していて、現代劇を目標としていたからだ。
だが、当時は、劇団新派の演目である「継子いじめ」「なさぬ仲」等が中心だったので、いじめられる存在としての子役が必要だったのだ。
最高のスターが、高尾光子で、次いで加山雄三の母親の小桜京子などが上位にいたが、高峰秀子もなんでも演じられる子役として珍重されていたようだ。
小津安二郎の映画『東京の合唱』では、少年役も演じているのだから、彼女は子供時代から上手かったわけだ。
戦後も、浅丘ルリ子、吉永小百合、桑野みゆき、松島トモ子、太田博之などが子役から出ているが、珍しいところでは、東映の教育映画『風呂焚き大将』から石橋蓮司が出ている。
そして、子役の需要が増えたのは、1954年のテレビの開局からで、ここでのヒット番組からは「チャ子ちゃん」や「けんちゃん」らの「大スター」が出てくる。
そして、子役養成の教室というか学校は、東京だけで70もあるとのことには本当に驚く。
もっもと、俳優養成の学校は1950年代からあり、松竹の脚本家だった小林久三も、大森の俳優学校で教えていたと書いている。ここからの生徒には、女優の芦川よしみなどもいたそうで、売れない監督、脚本化等のアルバイト先になっていたようだ。そこは、子役ではなく青少年が多かったようで、地方から出てきた少年少女が、都会暮らしの寂しさを紛らわす場でもあったらしい。
東京のある教室の授業の様子も紹介されたが、発声や身体訓練の他、「即興演技」で、これは、かのロシアのスタニスラフスキー・システムに起因するものだなと思う。
私たちも、稽古は、スタ式のエチュード・システムでやったものだ、大学の学生劇団では。
最後に、赤ん坊の表情等の撮影の専門家の「ベビー・ハンドラー」という方の存在は、初めて知って驚いた。
『徒然草』ではないが、「何事にも先達はあらまほしきものなり」というべきだろうか。
雨で、外に出られなかったので、一日家にいて、最後にこの問題作を見る。
日本と違い、アメリカには舞台から映画に移行する人が多く、監督でもエリア・カザン、マイク・ニコルズなどもそうだが、この映画の監督シドニー・ルメットもそうである。
構成は、いろいろと複雑にしているが、話は、不動産会社の会計担当のアンディは、社の金を使い込んでいることから強盗を計画する。
それは、なんと自分の両親がやっている宝石店で、気弱な弟のハンクにやらせることにするが、彼は自分ではなく友人の男ボビーに店に侵入させて実行させる。
だが、当日、店には彼らの実の母親が偶然に来ていて、犯人と拳銃の撃ち合いになって、二人とも死んでしまう。
そこから二人と家族の悲劇が進行してゆく。
ルメットの演出が上手くて、役者も最高である。
父親も、元は宝石商だったので、宝石の闇売買をする男のところに行くと、息子のハンクの名刺を見せられる。
店主は言う、「すぐに息子と分かったよ、あんたと同じだよ」と言われてしまう。
父親は、息子二人の後を付けると、ハンクは、ボビーの妻の兄というヤクザな男に脅迫されていて、fy二人は、かれらの家に行く。そこで、ハンクは、ボビーを撃ち殺し、アンディーは、妻に撃たれてしまう。
アンディーが入院している病室に父親は、侵入し、彼の心臓機器を外して、枕を押し付けて殺してしまう。
なんともすごい話で、フィクションだが、なんともやりきれないと思える。
父と子との対立という意味では、アメリカ映画に多くある作品だが、ルメットの演出力がさすがと思える。
ザ・シネマ
『レコード・コレクターズ4月号』で、北中正和さんから『ウォーマッド横浜・歴史に消えたビッグ・フェステイバル』が書評された。
もう少し、実際のフェステイバルの模様の記述がほしかったとのことでした。
でも、大衆文化評論家の私としては、「ウォーマッドの意義、周辺から中心を見る視点」として、中村とうようさんをはじめ、プロデューサーの田村光男、さらに大きく言えば黒澤明から、立川談志、そして石橋蓮司らの、東京とは言っても、その周辺である城南地区の人間の視点として書いたつもりなのです。
来週には、『ミュージック・マガジン』にも書評が掲載される予定です。
どんな批評になっているかが楽しみである。
WBCが盛り上がっているが、巨人と無関係なところが非常に良い。
そして、投手に関しては、細かな球数制限があり、これも投手を守るルールで良いと思う。
そして、このルールは、どうやら生命保険会社の力があるらしい。
アメリカでは、あらゆる事業、分野に保険が適用されており、事業実施のリスクに備えている。
だから、新人選手が、入団する時には、厳格な身体チェックがあるが、これも保険会社との契約によるもののようだ。
つまり、球団は、きちんとした肉体の選手を適切に使用しないと、選手が故障したときに払われるはずの保険金が支払われないと言うことになるからだ。
われわれが、こうした保険の実態を知ったのは、黒澤明の『トラ・トラ・トラ』監督の降板の際の保険会社の調査だろうと思う。
映画製作にあたって、多くの制作会社は様々な保険をかけている。
その一つに、スタッフ、キャストの変更があり、理由が妥当なときは、損害に対して保険金で補填されるのだ。
黒澤の監督降板は、「大事件」だったので、降板の翌年にアメリカの保険会社が調査に来たそうだ。
その時の結果は、「黒澤は気が狂ったので、これは予測不可能な事件であり、黒澤プロは、20世紀フォックスに損害金を払わなくて良い」との結論だった。
これで、黒澤プロは、ホッククスに違約金を払わないで済み、倒産の危機を免れたのだ。
だが、この決定を下したのは、当時社長だった菊島隆三で、このために黒澤は、菊島を絶対に許せず、二人は完全に決裂してしまう。
これによって黒澤明は、『用心棒』『椿三十郎』という大ヒット作の原動力であった菊島の力を失うのである。
その後は、黒澤明の周辺には、黒澤和子、黒澤史郎という「家族」しかいなくなり、完全に個人企業、零細企業となってしまうのである。
個人企業の悲劇というべきだろうか。
別に歌手、俳優としての二人の比較をしようというのではない。
この二人のショーの作・演出をした田村光男の意見である。
彼は、大学を2年で辞めた後、仲間と照明会社を作ったが、それも辞めて、自分の会社ステーションで仕事をするまでの間は、フリーの放送作家、演出家としていろんなことをやっていたようだ。
中の一つに、歌謡ショーの仕事があり、若い時は、橋幸夫ショーで全国をトラックで廻っていたそうだし、
『泳げタイヤキ君』の子門真人ショーなどもやっていたそうだ。
中でアイドル歌手の演出もあり、三原じゅん子や中山美穂もあったとのこと。
意外にも評価が高かったのは、中山美穂で、
「彼女は、頭もよく理解力もあり、表現力もあった」
対して、三原じゅん子については非常に厳しく、
「なにをやっても理解せず、演出の新手を見せてもダメだった」とのこと。
彼女は、議員に当選した時、「八紘一宇は素晴らしい言葉だ」と言った程度の人間なのだ。
そんな彼女が、参議院議員で、3期目なのだから、自民党も人材が不足しているというか、安倍晋三や菅義偉には、人を見る目がなかったと言うべきだろうか。
話題の高市早苗も、同類だと私には、思える。