指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『ゴルゴダの丘』

2021年07月31日 | 映画

ゴルゴダの丘とは、キリストが処刑された場所であり、キリスト最期が描かれているが、『新訳聖書』どおりに進行する。

エルサレムにキリストが来るところから始まる。多くの人が、キリストの力に半信半疑だが、目が見えない者、足が動かない者などの身障者がキリストを待望している。

彼も、多くの宗教の教祖と同様に、かなり怪しげな奇跡をやっていた。

 

          

当時、エルサレムはローマの支配で、総督のピラトは、ジャン・ギャバンで、この騒ぎを冷静に見ている。

ユダヤ人の高等法院では、キリストに来訪に大騒ぎで、多くは彼を処刑しろと言ってる。

広場には、沢山の露天があり、様々な物を売っているが、キリストは、それをドンドン壊してしまい、広場は大騒ぎになる。キリストの反富裕性を現わすもので、キリスト教もその初期では、庶民宗教だったのだ。

高等法院では、尋問が行われ、結果として死刑がきまる。総督のピラトに報告すると、「彼はどこの者だ」と聞かれ、「ナザレの人間だ」との答えが来ると、「ナザレの王に決めさせろ」と逃げる。

ピラトは、ユダヤ人同士の争いに巻き込まれたくないのだ。

死刑が決まり、ゴルゴだの丘へを自ら十字架を担がされて歩んでいく。

映画的には、フルショットが多いが、諸所で移動撮影も使用されている。

丘に着くと、急に天気が変わり、暗雲が立籠め、雷鳴がとどろく。

民衆は、やはり彼はメシアだと思うが、同時にメシアなら奇跡を起こして十字架から逃れてみろとも言う。民衆の無知蒙昧性がよく描かれている。

処刑が終わり、遺体をマリアなどが墓に持って行く。

入口を固め、兵士に厳重に警護させる。

3日後、石の扉が空き、中の棺には死体がない。

信者は言う、「キリストは復活したんだ!」

高等法院は言う、「護衛の兵士が寝ていて、その間に信者が運び出したんだ」

監督は、映画『望郷』のジリアン・デュビビエで、彼は熱心な信者だったのだ。

 

 


『アメージング・グレイス』

2021年07月30日 | 映画

かつて絶対に来日しないアーチストとしてアレサ・フランクリンがいた。理由は簡単で、彼女は飛行機に乗らないからで、アメリカ国内も車で移動していた。

その通り、一度も来日せずに2018年8月に彼女は亡くなってしまう。

アメリカのポピュラー音楽で、彼女がいかに偉大だったかは、オバマ大統領の就任式で歌ったことでも明らかだろう。

          

この映画は、1972年1月にロサンゼルスのバプテスト教会で行われたコンサートで、彼女はポピュラーソングではなく、ゴスペルを歌う。

なかで、彼女の父が出てきて話し、「アレサは、クララ・ウォードやジェームス・クリーブランドから多大な影響を受けている」と話す。

彼らや彼女たちは、ゴスペルのシンガーである。

会場には、ミック・ジャガーの姿もちらっと見える。

これは、シドニー・ポラックで監督されたが、編集等のドラブルで公開されなかったようだ。

久しぶりにアレサの歌を聴き、かなり堪能した。

横浜シネマリン


ボクシングで最初の金メダルは

2021年07月27日 | ボクシング

早稲田は、変な大学で、4年生以上は体育の授業を夏休みの促成授業で単位を取得できるようになっていた。

就職が決まっているのに、単位不足で卒業できないのはまずいとのことからだろうと思う。

私も、4年のとき、夏に促成授業でボクシングを取ったが、教授は白鳥金丸先生だった。

白鳥先生は、「日本で最初にボクシングで金メダルを取ると言われていた方だった」

1964年の東京オリンピックの時である。

彼は、早稲田大学の学生だったが、ハードパンチャーで、日本のアマチュアボクシングには珍しい選手だった。

だが、彼はライト級の2回戦でメキシコの若者に負けてしまった。

その理由を彼は、正直に教えてくれた。

第一は、外国人選手の態度の大きさ、平気で選手村の芝生の上で性交するなどで、純情だった白鳥選手は度肝を抜かれる日々だった。

その上に、試合前日に、「バンタム級の桜井孝雄が、選手村にいない」との大騒ぎになった。

ボクシングの主将だった白鳥君は、選手村等を夜中まで探し廻った。

すると、桜井孝雄は、渋谷のバーで酒を飲んでいたとのこと。

こうした騒動で、白鳥先生は、調子をこわして負けたとのことだ。

一方、桜井孝雄は、バンタム級で優勝して金メダルを取ったのだ。

 

           

日本のボクシングで、数少ない金メダルだが、選手村を抜け出して遊ぶ等の大胆さがないと金メダルは取れないと言うことだろうか。

桜井は、プロに転向し、東洋バンタム級チャンピオンになり、世界タイトルにも挑戦したが、取れずに引退された。

彼は、その後高田馬場に、「メダリスト」という喫茶店を開いていて、私も一度行ったことがある。

桜井孝雄も、2012年1月に亡くなったが、日本ボクシング界で最初の金メダリストの記録は残っている。


へーシンクに負けた方は

2021年07月26日 | その他

先日の党首討論で、いきなり菅義偉首相が言い出したのは、1964年東京オリンピックの時の柔道無差別級の決勝戦のことだった。

オランダのへーシンクが、勝って驚喜したオランダの人が畳に上がろうとしたのを制止したのが、柔道精神だと言った。

            

このとき、へーシンクに押さえ込まれたのは、神永昭夫で、彼は明大を出た後、富士製鉄(新日鉄)に入った。

パシフィコ横浜のオフィスが、まだ関内の市役所の前のビルにあったので、1989年頃だと思うが、新日鉄から来ている山中課長の紹介で、社長室で高木社長にかなり長く説明している男がいた。

部屋を出るとき、山中課長は言った「神永ですよ」

私は口をきかなかったが、非常に大人しくて真面目な人のように見えた。

当時、新日鉄は、大規模コンベンション施設等への飲食事業を企画していて、その担当が神永昭夫さんだったのだ。

スカイラークと共同出資して「二ラックス」という会社を作り、首都圏のコンベンション施設に精力的に営業していたわけだ。

そして、希望通り幕張メッセでは、出展することができ、日経新聞では「新規事業成功の見本」として高く評価されたようだ。

だが、パシフィコ横浜では、飲食施設は、地元企業中心になったので、二ラックスはお呼びでなかった。

その後、やはり「鉄屋は鉄屋」で、所詮飲食業は無理で、新日鉄は株を全部売却してスカイラークの完全子会社になったとのことだ。

神永さんのご努力は報われなかったことになるが、まあ鉄屋は鉄屋であると言うべきか。

 

 


今回のオリンピックでよかったこと

2021年07月26日 | その他

ひどい開会式だったが、今回のオリンピックで二つだけ良いことがあった。

一つは、多くの日本人が、IOCなど金儲けの企業にすぎず自分勝手な連中の塊だと分ったことだろう。

もう一つは、開会式の行進で、世界中の選手がバラバラに歩いていて、だらだらとして皆携帯で写真を撮っていることだ。

         

いわんや、ナチス式敬礼は、まったくない。

要は、スポーツにおいても上からの指令や強制では動かなくなっていることが明らかにされたことだ。

21世紀になってからのコンピューターとネットの普及で、情報と社会は、著しく平準化された。

そのことの現れの一つだと私には見えたのだ。


オリンピック開会式は、本当にひどかった

2021年07月24日 | その他

昨日の夜は、家に戻ってからオリンピック開会式を見たが、これほどつまらないのも珍しい。

最初の方に、ルームランナーを走るランナーが出てきた。

昔、横浜市に宮原さんという助役がいて、ある講演で、「ルームランナー型管理職」を指摘していた。

自分は、懸命に走っているが、動いているのは自分の足だけで、周りはなにも動いていない。

このルームランナーは、今回のオリンピックの本質を現わしていると思えた。

組織委員会などは、懸命に走っているのだろうが、誰にも影響を与えず、感動はどこにもないのだ。

結局、この五輪は、最初の言い出しっぺが石原慎太郎で、都知事選の3期目に出るとき、なにも公約がなかったので、五輪誘致を言い出した邪道から始まったことが諸悪の根源なのだ。

だから、ここにはなにも世界に向けて言うべきメッセージがないので、式のテーマがない。

また、ドラマに必要な悪や反対物がないので、劇としての盛り上がりもない。アナウンサーの説明を聞いて意味がやっと分かるなんて、表現力が不足している証拠。

聖火リレーもひどくて、最初が野村忠宏・吉田沙保里はよいとしても、長嶋・王・松井はなんだ!

王と松井はアメリカ人は知っているとしても、長嶋なんて誰が知っているのか、野球は世界的には極めてマイナーなスポーツなのを知らないのか。

そこから、医療従事者、東北の子供、パラリンピック走者との偽善的にはさらに参る。この辺の偽善性は、NHK的だ。これを演出したのは、佐々木等ではなく、元NHKの連中ではないだろうか。

 

              

最後は、大坂なおみで、これなら最初から彼女にして走らせれば良かったと思う。

橋本聖子のつまらない挨拶の後の、バッハの長広舌はなんだ! 

しきりに「連帯」を連呼しているのが実に不快で、逆にIOCの孤立が見えた。

いずれにしても、意味のない五輪であることが、ここで明確になった。

 


大岡昇平説によれば・・・

2021年07月23日 | 都市

作家大岡昇平の説によれば、「公有地、つまり道路や公園等は変化しないもの」だそうだ。

だが、横浜は、結構変わっているエリアが多い。

その典型は、横浜駅東口だろうが、西口はそれほど変わっていない。

前にも書いたと思うが、以前の横浜駅東口が出てくるのが、吉永小百合・浜田光夫の1963年の『泥だらけの純情』である。

当時は、今の上野駅のような立派な駅舎があったのだが、今のルミネとポルタに変わっている。

最近、見たなかでは、その前年の高橋英樹の『激しい河』の冒頭にも出てきた。

これは、高橋が医者で伊豆の田舎の漁村を船で廻るという変な映画だが、二つだけ見所がある。

それは、キャバレーシーンで、ジプシー・ローズが出てきて踊ることだ。後に、ロマンポルノでも主人公として描かれた彼女だが、そこでは本物が出ている。

もう一つ、ポール聖名子(みなこ)も出てきて歌っている。

 

        

ポール聖名子は、当時ラテン等を歌っていた歌手だが、実はシリア・ポールのお姉さんなのだ。

シリア・ポールは、当時関西では有名な子役だったそうで、松竹作品に結構出ている。

私が見たのでは、佐田啓二・岸惠子のメロドラマ『亡命記』で岸の子供で、さらに伴淳の『二等兵物語』には、現地の南島の子供役で出ていた。

彼女が、大滝詠一のラジオ番組で言っていたのでは、「高田浩吉の時代劇に出ていた」そうだが、見たことがない。

『激しい河』で、高橋英樹の相手役は和泉雅子で、当時15歳だが立派に演じているのはさすがである。

彼女は、非常に演技の上手い女優で、それは浦山桐郎の『非行少女』を見ればよく分ると思う。

 


『赤ちょうちん』

2021年07月22日 | 映画

1974年、当時最盛期の日活が、ポルノではなく一般映画として公開したもの。私は、1974年に川崎名画座で『愛と死を見つめて』の2本立てで見ている。

 

                                     

秋吉久美子、藤田敏八の作品の最初のもので、脚本は中島丈博、桃井章で、他の2作『妹』、『バージンブルース』の脚本が内田栄一であるのと違っている。

この藤田作品を見ると、彼も松竹の系譜にあるなと思う。もちろん、藤田は松竹とは関係ない。ただ、彼が助監督として付いた蔵原惟繕は、松竹京都の監督であり、松竹の匂いを持っている。

吉村公三郎によれば、「映画で重要なことは、風俗を描くことだ」と島津保次郎に言われたそうだ。

この藤田敏八作品を見ると、1970年代の風俗がよく描かれていると思う。

また、これはポルノではないので、多彩な役者が出ている。

最初に、高岡健二が住んでいるバッティングセンターに付属した部屋の管理人は、小松方正。

2軒目に行く木造アパートの管理人は、俳優座の三戸部スエ。3軒目の郊外のアパートのそれは、悠木千帆で、最後の葛飾のボロ長屋の隣の主婦は、南風洋子で、その夫は陶隆。

米屋の配達で、秋吉にビール瓶で殴られるのは弘松三郎と昔の日活の俳優も多数出ている。

また、秋吉が勤めているスーパーの同僚は、山科ユリ、高岡が勤めている立体駐車場の同僚は、河原崎長一郎で、その恋人は横山リエ。2軒目のアパートに以前住んでいたとして部屋に入り込んで来るのは長門裕之である。

ただ、この作品の真ん中あたりで、秋吉、高岡、河原崎、横山、そして長門が海に遊びに行く。

この辺の感じは、家族がなくなり仲間社会になるのでは藤田も思っていたのかという気がする。

それは、1971年の寺山修司の『書を捨てよ町に出よ』でも、平泉征が言っていたことばであり、

「家族はなくなり、みんな仲間になるのではないかなあ」と言っていた。

そんなことは勿論なかったが、この作品の最後では、秋吉は精神を病み、高岡は一人で子育てをすることになる。

最後の葛飾の工場の行員で、山本コータローが出ていたが、河原崎を逮捕する刑事の一人は内田栄一のように見えたが。

チャンネルNECO

 


『あの旗を撃て』

2021年07月21日 | 映画

1944年2月に公開された東宝映画、監督は阿部豊である。

フィリピンは、日本軍が占領して米軍を追い払った国だったので、大いに宣伝された。

ほぼ同時期に記録映画『東洋の凱歌』も作られていて、撮影の宮島義勇によれば、そのスタッフもフィリピンに来ていたとのこと。

 

         

1943年は、まだ日本軍がある程度の威勢を持っていた時なので、これも威勢が良い。

当初は、八木隆一郎のシナリオでは、スペイン・アメリカの暴政に苦しむ貧農が、日本と協力して立って、と言うものだったそうだ。

だが、それでは纏まらないと言うことで小国英雄の手で、フィリピンでの戦闘を中心に作品化された。

フィリピン攻略来た、日本軍に対して米軍は、マニラを放棄して「無防備都市」としてしまい、バターン半島に逃げ込む。

フィリピン人の子供との挿話があるが、最後はコレヒドール要塞を攻めて、日本軍の勝利になる。

最後、司令官の大河内伝次郎は、将兵に演説する、「これは終わりではなく、始まりにすぎない」

その通りで、翌年にはフィリピンから駆逐されてしまい、マッカーサーにリターンされてしまうのだ。

監督の阿部豊は、ハリウッド帰りで、日本の監督で最初に自家用車を持った欧米派だった。

だが、戦争が始まると反米的になり、戦後も『戦艦大和』を作るなど、そうだったようだ。

しかし、戦後は大した作品はなく、新東宝、日活で監督をしていたが、晩年は落剥していたようだ。

中でましなのは、『細雪』だが、これは原作が3女の雪子であるのに対し、この映画では、4女の妙子・髙峰秀子であることだ。戦後の社会で、蒔岡家ではなく、一人の女性として自立していこうとする女性を肯定しているのだ。

これは、阿部の意思に反していると思えるが、時代の風潮に従ったのだろうか。

先日、東京に行き、エロビデオ屋で買って来たビデオの1本である。

 

 

 


山田洋次と城戸四郎

2021年07月20日 | 映画

先日の山田洋次特集で、少しだけ城戸四郎に触れていたが、以前の番組や伝記では、城戸について詳しく言っていた。

           

それは、城戸の江戸っ子としての気質で、「マジめなことが嫌いで、落語的なマジが大嫌いであった」と言っていた。

「それは、われわれはもともと大したことをしていないだろう、だから物事を真面目には見ず、しない」と言うことである。

それは、江戸時代以来の戯作者の精神に通じるものではないかとも言っている。

だから、城戸が嫌いなのは、日活現代劇で、「また、百姓映画か」と言い、小津作品についても、

「また、女の股ぐらを覗く映画か」と批評したそうだ。

1950年代に、黒澤明が松竹で映画を撮った時は、「黒澤は、卑怯だ」と言ったそうだ。

それは、黒澤が本番を一発で撮らないことで、なんテークも撮って編集段階で決めることだそうだ。

これは、今井正も本番30回何度と言うことがあったそうで、東宝と松竹の作り方の違いである。

貧乏と裕福の差かもしれないが。

東宝は、島津保次郎が松竹から行き、東宝映画の基礎を作ったので、松竹的なところがある。

だが、黒澤明は、松竹的ではなく、日活の真面目な百姓映画的なところがあり、内田叶夢などに一番近いと私は思うのだ。


『ハレンチ学園』

2021年07月20日 | 映画

1970年の日活映画、漫画のヒットから作られたものだが、笑えるシーンがどこにもない。

製作は、日東プロダクションとピロ企画になっていて、日東は監督の丹野雄二の会社だと思う。

聖ハレンチ学園というのがあり、校長は上田吉次郎、教師は小松方正、由利徹、大泉滉、藤村俊二らなど。

 

            

生徒は、雷門ケンボウ、児島みゆきなどで、その他大勢の児童劇団の男女。

スカートめくりが最大の見物なのだから非常に苦しい。

そこに新任の女教師として来るのが、うつみミドリなのだから、さらに泣けてくる。

旅行に行くが、ピロの宣伝バスを乗っ取って、伊豆の船原温泉ホテルに行く。

この辺は、全部宣伝費を取っていると思えるが、当時日活の総務には、タイアップを取る担当がいたとのこと。

ホテルの温泉では、唯一女性との裸が乱舞するが、それが唯一の売物だろう。

実は、これには大学の映研の友人がアリバイとの助監督で参加し、あまりだとのことで辞めたそうだが、私でもそうしただろうと思う。

しかし、ヒットしたので3本も作られていて、監督の丹野雄二は、テレビに行き、『日本昔はなし』を当てる。商売人なのだと思う。

今は、妻だった女優の稲垣美穂子が代表をしているようだ。

チャンネルNECO

 


『紅の流れ星』は、やはり傑作だった

2021年07月19日 | 映画

昨日の午後は、なにも見るものがなかったので、舛田利雄の『紅の流れ星』を見る。

1967年の秋、新宿国際で『マカオの竜』『東京ナイト』と3本立てで見て、感激した。

今回見て、そのクールな感じと画面と音楽のよさにしびれた。

撮影は、高村倉太郎で、音楽は鈴木創であり、非常に音楽も良いとあらためて思った。

この映画は、東京である組のボスを殺した渡が、神戸に逃げて来る話で多くは神戸で起きるのだが、実はほとんどが横浜で撮影されている作品なのだ。

 

          

今回見て、本当に神戸に行ったのは、渡哲也、浅丘ルリ子、藤竜也、宍戸錠、山田真二、奥村チヨのほか、榎木兵衛位だと分った。役としては小さな榎木が神戸に行っているのは不思議だが、長年の彼の功績からだろうか。

夜の女の石井富子が、渡と話す福原の設定の街も、どうやら奥に大鳥神社があり真金町のように見えた。

日活最後のスターだった渡哲也は、石原裕次郎映画のリメイクをさんざやらされて、これも裕次郎の『赤い波止場』のリメイクだが、渡のクールで、ある種自己放棄をしたような役が非常にぴったりだったのだ。

その意味では、後の「無頼シリーズ」のキャラクターを作ったとも言えるだろう。

チャンネルNECO

 

 

 


『山田洋次の青春』

2021年07月18日 | テレビ

昨夜のBSで、『山田洋次の青春』をやっていた。

山田は、私の高校の先輩で、たぶん一番有名な人だろう。もう一人有名なのがいて、元首相の菅直人である。

この二人は、共通したところがあり、二人とも山口から東京に来て、編入試験で小山台高校に入っているのだ。

昔の都立高校は、落第があり、その分2年と3年の時に編入試験をやって補充していたのだ。

だから、通常の高校入学試験よりも倍率は遙かに高く、これで入学できたのは非常に優秀なのだ。

このテレビではよく分らなかったと思うが、山田洋次は相当に背の高い人である。私は、新国立劇場で見たことがあるが、非常に背が高いのである。

 

         

彼の作品で好きなのは、『霧の旗』と『懐かしい風来坊』である。『男はつらいよ』では、船越英二が出た『男はつらいよ・寅次郎相合い傘』で、カットの繋がりが完璧で文句の付けようがなかった。

1960年代初頭に、松竹ヌーベルバーグが言われたとき、彼はその外にいて、目立つ存在ではなかった。

大島渚、篠田正浩、吉田喜重が松竹を去った後、唯一の大船的な監督として光り出して来た。

その意味では、非常に皮肉だったと思う。

 

 


オールスター戦を見て

2021年07月15日 | 野球

米大リーグのオールスター戦で、一番の話題は大谷翔平の大活躍だが、私はプレーボールの前に行われたハンク・アーロンの回想映像に一番感動した。

アフリカ系アメリカ人選手として、最初に様々な記録を立てたハンク・アーロンの映像が流され、家族が招待されていた。こういうのは、非常に良いと思う。

アメリカでは、このように過去の選手を表彰して回想することが良く行われる。

歴史がない国だから、過去の記録や歴史を表彰するのだという見方もあるだろうが。

振り返って日本では、こうしたことを見たことがない。

巨人でも、王、長嶋の回想映像を試合前にやったという話を聞いたことがない。

以前、大リーグ放送を見ていたら、ジャイアンツが「ムラカミ・デー」をやっていて、本人が出てきた。

村上と言っても、もうほとんど知らないだろうが、日本人で最初に大リーグ選手になった村上雅則である。

南海、阪神、日本ハムで活躍した左投手である。

法政二校時代は、目立つ選手ではなかったが、南海に入り、そしていろいろと問題があったのだが、サンフランシスコ・ジャイアンツに行き、そこで勝利を挙げたのだ。

今は、ほとんど誰も知らないだろうが、日本人最初のメジャーリーガーなのである。

日本で言うなら、オールスター戦では、ぜひ山内和弘の回想をやってほしいと思う。

 

           

山内は、長嶋、王が出てくる前は、大変に人気のあった選手で、成績もすごかったが、「オールスター男」と言われ、オールスター戦になるといつも活躍して、商品を持っていた男だった。

日本のプロ野球は、長嶋、王から始まったわけではなく、それ以前の多くの優れた選手の活躍によって大きくなってきたのだ。

そのことをどこかできちんと表現してもらいたいと私は思う。


『東京物語』の熱海の村上茂子さん

2021年07月14日 | 映画

先日やった「映画は都市のアルバム」の中でできなかったことの一つに、『東京物語』の熱海のシーンがあった。

あそこでは、尾道から上京した笠智衆と東山千栄子夫妻が、実の息子の山村聰と娘の杉村春子には、じゃんけんに扱われ、杉村の提案で熱海の旅館に行く。

 

            

ところが、職場旅行の団体が騒いでいて、二人はなかなか寝られない。

外では、流しが『湯の町エレジー』を歌っている。2人のギター弾きの真ん中にアコーディオンの女性が見える。

彼女は、村上茂子さんで、当時大船管弦楽団のメンバーで、小津安二郎の愛人だった。

村上さんは、東京下町の弟の家に同居し、普段は近所の子供にピアノを教え、録音があるときは大船で演奏していた。

そして、彼女は独身だったが、戦前に一度結婚したが、夫は戦争で死んだのだそうだ。

つまり、『東京物語』で、原節子が演じた、笠智衆と東山千栄子夫妻の戦死した次男の妻は、この村上茂子さんがモデルだったと思うのだ。