指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

タイ料理店

2006年06月30日 | 横浜
アフリカの旅行記を読んで、急にアフリカ料理が食べたくなったが、横浜にはないので、タイ料理で我慢する。
バスで横浜橋に行き、若葉町を歩く。
ここには、タイ料理店が多数ある。
女性用のコースとビールで食事する。

店には、大伸ばしされた家族写真が貼ってある。王様の写真もある。この辺の感覚は、昔の日本のようだ。

いつか、アフリカ西海岸の大都市に行き、のんびりとビールを飲んでみたい。

「火サス」的思考

2006年06月29日 | 事件
女子大生誘拐事件は、犯人、被害者共、きわめて「火曜サスペンス劇場」のような、単純な思考の事件である。

実は、私が所管するある法人でも「内紛」があり、一方の当事者が言う話が、ほとんど「火曜サスペンス劇場」的ストーリーなのだ。
先日、亡くなられた川井伸旺のような悪人が法人を支配し、それが諸悪の根源で、自分たちは正義の被害者なのである。
現実の事件、事象を単純な劇によって解釈する思考方法が、最近はびこっているように思える。

勝ち慣れていない日本

2006年06月27日 | サッカー
先日、ポルトガル語の食事会で、長年ブラジルに住まわれ神田外語大学の講師で、現在はサッカー関係の通訳・翻訳もされている、高木耕先生が、日本の敗戦を次のように話された。

「オーストラリアもブラジル戦も、変なときに点が入ってしまったので、慌ててしまった。守るべきなのか、攻めるべきなのか、判断できず、中途半端になり逆転された」

要は、「勝ち慣れ」ていないのである。
その意味では、「勝ち慣れ」てきたジーコ監督には、到底理解できない精神だったろう。

太平洋戦争で、緒戦時の意外な大勝利で戦線を異常に拡大し、アメリカに大逆転負けを食らった日本帝国陸海軍とよく似ている。

シュートよりパス

2006年06月26日 | サッカー
土曜日に、横浜中華街の「シュラスカリア」で、横浜のカルチャー・センターでポルトガル語を勉強してきた者の食事会があった。
3年前に講師だった神田外語大学の高木耕先生をはじめ、子供一人を含む11人。11人の内、半分が公務員だったのには、驚いた。公務は、意外にも外国人に対応するケースが多いからだろう。

シュラスコが意外にも美味しい(値段も3,000円とそう高くはない)のはうれしかったが、話題の中心はサッカー・ワールド・カップの日本の戦い方。

「なぜ、日本選手はシュートをしないのか」
日本はグランドが狭く、シュートを外すと民家にぶつけてしまうので、無理なシュートはしないように子供の頃から習慣付けられているのだ、との説もあった。

シュートを外して非難されるより、パスして褒められることを選択するのではないか。シュートが成功して賞賛されるより、外して非難されるリスクを選ばないからではないか、と私は思う。

こうした「国民性」が変わらない限り、日本のサッカーは強くならない。
結局、ワールドカップは、それぞれの国の国民性を表現しているのだ。

『王女メディア』

2006年06月24日 | 演劇
まだ決まったわけではないので、憶測で書くのは問題なのだが、秋田の幼児殺人事件の畠山容疑者は、自分の子の死についても重大な関係があるように見える。
これは、ギリシャ悲劇『王女メディア』である。

メディアは、稀代の悪女で、自分の子2人を殺してしまう。
日本の女優では到底無理なので、昔の蜷川幸雄演出では、平幹二郎が女形で演じた。

2年前に、シアターコクーンで大竹しのぶが演じたが、これは見るものすべてが驚嘆するすごい演技だった。

だが、同時にメディアも、実は普通の家の女なのだ、ということを蜷川は強く示唆する演出をしていた。

そう考えると、ギリシャ時代以来、人類は大して進歩していないことになる。
悲しむべきことなのか。そうしたものなのか。

吉野文六氏

2006年06月23日 | 横浜
外務省の元アメリカ局長吉野文六氏が、沖縄返還に際しての日米密約を証言されたそうだ。
この「外務省密約事件」とは、沖縄のアメリカからの返還に際して日本から500万ドルが払われたと言うもの。
国会での爆弾質問の後、毎日新聞の西山太吉記者が機密漏洩で逮捕され、裁判では外務省女性職員との関係を「情を通じて」と暴露された。

吉野氏とは、十数年前に横浜市で「先進国サミット」を招聘しようと言う動きがあり、その助言を頂くため、当時勤められていた九段のトヨタ系財団にお邪魔した。吉野氏は、サミットという頂上に上るための「シェルパ・事務方」としても、ご活躍されたのである。
わずか1時間程度くらいだったが、ご立派なお人柄に大変感銘を受けた。

退官されてかなりの年月がたつとは言え、元外務省の高級官僚が、真実を証言されたことは、大変勇気のあることである。
87歳で耳は遠いようだが、とてもお元気な様子である。
まだまだご健在で、ご活躍をお祈りしたい。

『嫌われ松子の一生』

2006年06月22日 | 映画
随分前、原作の話を聞いたとき、あまりの物語に笑ってしまった。
小学校教師、愛人、トルコ嬢、殺人犯、美容師、そしてゴミ女、最後の撲殺死まで、ストーリーは、およそ目茶苦茶である。

映画は、完全に漫画であり、小劇場演劇である。画面を過剰露出にしていて、最初から「これは嘘ですよ」と言っている。私は、ほとんど笑っていた。
何度も繰り返されるテレビの「片平なぎさ」番組が最高である。

こういう映画は大好きで、日本映画には類例がない。ラス・メイヤーの巨乳映画『ワイルド・パーティー』に似ている感じがあるが、監督は意識していたのだろうか。

主人公の中谷美紀がいい。まるで、大竹しのぶである。
音楽のセンスもいい。
間違いなくお薦めできる映画。
私が見たのは、平日の昼間で客が少なかった性か、ブラック・ユーモアが受けていなかったことが危惧される。

唯一つの欠点は、最後の撲殺死の表現がとてもあっさりしていることで、それまでの過剰表現から見れば、もう少し執拗に描いても良かったと思う。




「つかえば、つかえるものだな」 『楢山節考』

2006年06月21日 | 映画
家に戻り、まず宮藤官九郎の『我輩は主婦である』の続きを見た後、昨日録画した今村昌平の『楢山説考』を見る。

昭和58年の封切時に見たときは、木下恵介の新歌舞伎的様式の方が良いと思ったが、こちらは深沢七郎の『東北の神武たち』との混合であり、今村版もすごいと感心した。
今村昌平は、戦後の日本映画監督では、間違いなく最高峰である。

『東北の神武たち』は、ズンムと呼ばれる、嫁をとれない次男、三男の、神武天皇のような姿のむさ苦しい連中のことで、1957年に東宝で市川昆が映画化している。
このとき主人公を演じたのは芥川比呂志だが、ここでは左とん平。

中年になって、初めて女とやるが、相手の老婆清川虹子の台詞が最高。
「使えば、使えるものだな」

清川は、喜劇女優と思われているが、実は大変上手い役者で、今村作品では『復讐するは我にあり』の、浜松での元殺人犯の老婆がすごい迫力である。
舞台でも、福田善之演出のテネシー・ウィリアムズの『薔薇の刺青』では、年少の峰岸徹を相手の芝居がとても良かった。

坂本スミ子にしろ、『復讐するは我にあり』のミヤコ蝶々にしろ、今村は意外なキャスティングを時にするが、それがいつも最高である。
女優の使い方の上手い監督は、優れた監督だが、今村も勿論その一人である。

この映画は、ほとんど喰うことを題材としており、日本人は縄文時代以来、喰うことに苦闘してきたことがよく分かる。
食い物を盗む一家を生き埋めにしてしまうシーンなど、物凄い。

民俗学者宮本常一の説では、日本の村ではつい最近まで「間引き」をしていたのだそうだから、食い物の問題は大変だったのである。
飽食の時代になったのは、最近の十数年のことなのだ。

『バイバイ・ブラジル』

2006年06月20日 | ブラジル
1980年に作られたブラジル映画。ドサ周りのインチキ手品師(ジプシー・キングという名がおかしい)と、そこに入ったアコーディオン弾きの若者夫婦の話。

ブラジルの電気もないような田舎専門にまわるが、次第にテレビが普及し、客が来なくなる。同じく、ドサ周りの映画上映屋がいるのが面白い。地方周りの映画屋は、細川周平さんの名著『シネマ屋、ブラジルを行く』にも出てくる。

手品師は、賭腕相撲で唯一つの財産だったトラックも失い、妻に売春させるまでになる。若者は、若妻に売春はさせられず、希望の都市・ブラジリアに行く。ブラジリアでは、ソーシアル・ワーカーが仕事、家等を世話してくれる。
最後、若者は一応ミュージシャンに、手品師もキンキラキンのトラックを買い、多くの女性を加え各地を廻っている。鉱物の密輸出で儲けたのだ。

実に面白い映画で、ロード・ムービーであり、味わいとしては日活ロマン・ポルノに似ている。
まさにロマン・ポルノ全盛時代で、日本とブラジルで同様の傾向の作品が作られていたことが、きわめて興味深い。

ファイルーツの曲名は

2006年06月18日 | 音楽
レコードを探す。題名は、「Days of Fakhr Eddeen」で、レコード会社は、リリコードではなく、同じアメリカだがモニター社だった。

ファクルー・イデーンとは、レバノンを作った英雄、愛国者だそうで、17世紀、日本で言えば豊臣時代のことである。
彼は、トスカーナというから北イタリアに流刑になっていたのからレバノンに戻り、レバノンを建国したらしい。

1967年の録音で、大編成の歌あり、踊りありで、ある説では当時盛んだったソ連影響下の大衆的国民歌劇らしい。
ソ連でも、ハチャトリアンの『ガイーヌ』の優雅な「バラの乙女の踊り」を社会主義建設の足音のごとき曲想に変えるなど、社会主義建設に奉仕する芸術が盛んに作られた。

序にファイルーツの名作『愛しのベイルート』もカセットで聞くが、プレーヤーが昔のものと違うので、音質が変わり余り良くなかったのが、残念だった。

ファイルーツ、バールベック音楽祭公演

2006年06月17日 | 音楽
音楽評論家北中正和さんのサイト(wabisabi)にバールベック音楽祭(レバノン)に、歌手ファイルーツが8年ぶりに登場することが出ていた。

ファイルーツを私が最初に知ったのは、アメリカのリリコードから出ていた『Days of Fakurue Eden』というレバノンの建国神話オペラのようなレコードで、多分30年くらい前に銀座山野楽器2階の民族音楽売場で買った。
ジャケット写真に、ショールを巻き神秘的な表情で中空を見上げているのがファイルーツであった。
彼女は、アラブ最大の歌手で、いつもフラフラと震えるような独特のビブラートの歌声は、一度聞いたら絶対に忘れられない、病み付きになる。
まさにそのレコードは、バールベック音楽祭でのものらしく、遺跡をバックに大コーラス団を従えての実況録音版だった。

彼女も、レバノン内戦、夫のラバハーニの死など、様々なことがあり、最近は余りCDを出していないようだ。それでも20枚以上はあるはずだが。

実は、是非日本にも呼ぼうということで、私も関係したウォーマッド横浜でも、いつも招聘を提案したのだが、随行が大楽団ということで、おじゃんだった。
いつかは日本でも彼女の震える歌声を聞いてみたい。

『初恋』

2006年06月16日 | 事件
1969年に起きた3億円事件の犯人が女子高生という意表をつくアイディアは面白いが、表現にテンポとメリハリがなく、2時間は長い。映画としての表現よりも、1960年代の事象や流行を追うのに忙しい。
3億円強奪のシーンが一番面白いのは、フィクションとしては問題である。

時効成立時に作られた『実録3億円事件・時効成立』(監督石井輝男)では、犯人は年上の女小川真由美に養われている若者岡田裕介だったが、今や彼は東映の社長である。
この事件の犯人もどこかで平穏に生活しているのだろうか。

些細なことだが、当時新宿にあったジャズ喫茶のジャズ・ビレッジだか、ビレッジ・バンガードと、何度も出てくる新宿駅南口が、すぐ近くに見えるのは、おかしい。
方角としては、全く逆で、相当に遠いのだから。

永六輔です。

2006年06月15日 | 映画
『憎いあンちくしょう』の主人公北大作のモデルは、永六輔。
彼は、当時小林信彦(中原弓彦)らと共に、日活に出入りしていた。
舛田利雄の『零戦黒雲一家』では、ギャグ・ライターとしてタイトルにある。

この映画の他、『銀座の恋の物語』『何か面白いことないか』の裕次郎・ルリ子の3部作には、ルリ子は榊田典子(『銀恋』では江利チエミだったと思うが)の名で出てくるが、このテンコとは、女優の松本典子からの命名
脚本家山田信夫が松本典子を気に入り、そこから取ったのだそうだ。

「三行広告から」は、当時ラジオ関東(現ラジオにっぽん)で放送していた、トーク番組のはしり「昨日の続き」
「昨日の続きは、今日の続き、今日の続きはまた明日」というはじまりだった。
永の他、ホストは女優富田恵子で、最初は前田武彦が出ていたが、青島幸男、はかま満男ら、いろいろな連中が出ていた。

裕次郎が浜辺で歌う曲の作詞は、藤田敏八、名は敏矢となっているはずだが、である。

日活史上の最高作だと思う。
このとき、浅丘ルリ子は、なんと21である。

『OK横丁に集まれ』

2006年06月14日 | テレビ
『夜の片鱗』の逗子とんぼから、彼も出ていたテレビ初期の番組『OK横丁に集まれ』を思い出した。

日本テレビ、日曜の昼間で、逗子らコメディアンが出演するライト・コメディだったと思う。
「集まれ、OK。皆集まるOK横丁。
 OK横丁は、・・・(メロディは憶えているが、歌詞は思い出せない)」というテーマソングで始まった。

ガッツ石松が言う、「OK牧場」も、この「OK横丁」が頭にあったような気がするが、違うのだろうか。

『夜の片鱗』

2006年06月12日 | 映画
ラピュタの桑野みゆき特集。モーニング・ショーなので、横浜を8時半に出る。1964年中村登監督作品。
電機会社の女工・桑野は、バイトのバーで知り合った平幹二郎と恋仲になるが、彼は女を食い物にするヤクザだった。桑野は、彼の言うままに街で客を引く娼婦になってしまう。

平のヤクザというのも珍しいが、その兄貴分の菅原文太はともかく、非情な組長が木村功というのが大変意外である。
チンピラに「東京の田舎っぺ」で有名になる前の、東京ぼん太が普通の役者で出ている。
売春の客に武内亨、桑野の同僚で岩本多代、タイトルに逗子とんぼの名があったが、どこに出たか分からなかった。

真面目なサラリーマン客の園井啓介が桑野に求婚し、一緒に北海道に行こうと言うがついて行かず、アパートに戻ってしまう。
だが、桑野は衝動的に平を包丁で刺し殺してしまう。

平と桑野のほとんど二人だけの芝居で、しかも平は最初の凶暴な男から、出入りで急所を蹴られて不能になり、女性的なヒモになるという、相当に演技力を要する役なので、平になったのだろう。

実は、この映画は、大学1年のときに見ているのだが、ほとんど記憶になく、また意味もさっぱり分からなかった。
多分、なぜ桑野がヤクザと分かれないのか、理解できなかったのだろう。
セックス・シーンはないが、全体として極めて強烈な反社会性の映画である。

なかなか面白い作品だが、どこかいまいちなのは監督の中村登は本来真面目な方で、渋谷実や豊田四郎のように、皮肉で冷笑的な視点がないせ性だろう。
音楽(日暮雅信)がいまいちだった。

桑野みゆきはスタイルがとても良い。藤原紀香にも負けない。
当時22歳で、普通の女工から娼婦まで多様な女性を演じるが、とても上手い。
同じ年に、彼女は豊田四郎の映画『甘い汗』では、京マチ子の娘で高校生を演じているのだから、たいしたものである。