指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『新平家物語』

2006年08月31日 | 映画
溝口にしては内容に乏しいと言われる作品だが、大群衆シーンが再三出てきて、様々な人間が交錯するドラマはすごい。

言ってみれば、蜷川幸雄の劇のような迫力である。
こう言うのは正しくない。むしろ蜷川が、溝口の影響を受け、大群集シーンによる劇を作っているのだと。
溝口は映画のみならず劇にも大きな影響を与えていると思う。

市川雷蔵の平清盛の義弟になる林成年が、比叡山の僧侶と争う祇園祭のシーンは、「一体どのようにクレーン撮影をつないだのか」と、ゴダールが映写室に行きフィルムを調べたというほどのもの。

最後、比叡山の僧兵の強訴シーンのエキストラの大行列、また大行列。
神輿に矢を射込む雷蔵の演技のリアリティ。
人件費高騰の現在では出来ない大群衆シーンである。

最後、都の野原で公家と戯れている、白拍子から女御になり、また白拍子に戻ったの清盛の母・木暮実千代。
それを見て言う清盛。
「母君には、あれが一番幸福なのだ」
人生の流転を感じさせる名シーンである。

その野原は、中村錦之助の『宮本武蔵』の第2作『般若坂の決闘』の最後、槍の宝蔵院流と戦ったのと同じロケ地。
確か奈良にあったはずだ。
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『山椒太夫』は「共産主義映画」だが、実に素晴らしい

2006年08月30日 | 映画
溝口健二の『山椒太夫』は、名作でとても好きな作品だが、全体を流れる「共産主義思想」が今見ると大変滑稽である。

まず、タイトル前に、「この映画は、まだ人が人として目覚めのない時代の話」との字幕が出る。

丹後国の国司となった平正通(厨子王)が、山椒太夫の奴隷を解放するシーンの演説もすごい共産主義思想宣伝。

そして、解放された奴隷たちは屋敷で、飲めや歌えの大騒ぎ。
自由になった庶民というものは、こうしたものなのか。

セシル・B・デミルの『十戒』でも、解放されたユダヤ人は酒池肉林の大騒ぎを演じる。
無知蒙昧な庶民はそうしたものだという偏見は、洋の東西を問わず同じらしい。

思想は間違っているが、映画としては素晴らしい、というのはありえるのだ。
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『近松物語』

2006年08月29日 | 映画
溝口健二の代表作の一つ。この映画には、特別な思い出がある。
実は、この映画のほぼ公開直後、小学生のとき大田区民会館の無料映画会で見ていた。

と気づいたのは、30代になり、今はない銀座の並木座で見ていたときで、最後の長谷川一夫と香川京子が裸馬に乗せられ、京の大路を行くところで、「あの区民会館で見た映画は、これだったのだ!」と分かった。

他の記憶は全くなく、随分暗い映画としか憶えていなかったのだが、ラスト・シーンだけは鮮明に憶えていた。

この『近松物語』は、監督、役者、脚本、カメラ、音楽、美術がすべて揃った、日本映画史上の最高傑作の一つである。

何しろ、出てくる人間のすべてが、皆エゴイズムの塊であるところがすごい。
進藤英太郎、小沢栄太郎、田中春夫、石黒達也、十朱久雄、浪花千枝子、そして長谷川と香川、全員が自分のことしか考えていない。
他人のことを思いやるのは、父親の菅井一郎くらいだろう。

「王者大映のみがなしうる文芸映画の傑作!」とは、昨日の『雨月物語』の予告編の文句だが、これも本当に日本映画の達成の頂の一つである。
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『戦艦大和』

2006年08月29日 | 映画
佐藤純也監督の愚作『男たちの大和』ではなく、昭和28年に新東宝で制作されたもの。監督阿部豊、脚本八住利雄。
吉田満氏の著作『戦艦大和の最期』を原作とする名作。

実に淡々と描写が続く。
絶叫と臭い芝居が連続の『男たちの大和』とは、大違い。
音楽は芥川也寸志だが、実に控え目に鳴る。

主演は吉村大尉の船橋元。この人は、新東宝の数少ないスターで、倒産後はピンク映画を監督したりしたが、持病の糖尿病で早く亡くなられた。
生きていられれば、宇津井健のような活躍をされたと思う。

『戦艦大和』は、公開時に見て、大変興奮したのを憶えている。
最後の、戦闘場面は今見ると極めて冷静な表現だが、当時は大変衝撃的だったのだ。

ここでも大和は、「片道の燃料」で出撃したことになっている。それは嘘で「きちんと往復分の石油を積んで出た」という説もあるが、どちらが正しいのだろうか。詳しい方がおられたら、是非教えてください。
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『ナック』

2006年08月28日 | 映画
1960年代のイギリス映画。監督はビートルズ映画等を撮ったリチャード・レスター。
特に筋はなく、軽いコントの連続。
「ナック」とは、女を引っ掛ける、あるいは、もてるコツと言った意味らしい。
この映画は、結構話題になり、公開時にテレビの紹介(「11PM」)で知ったが、見逃していたもの。
今回、オークションで入手。

主演のリタ・トウシュンハムは、名作『蜜の味』にも出たが、とても変な顔をしている。
全体としては『モンティイ・パイソン』のようなナンセンス・ギャグの連続。
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『花の咲く家』は着物ショーだった。

2006年08月28日 | 横浜
インドネシアのバリ島に学会で行った医師・佐田啓二は、商社マン渡辺文雄の妻・岡田まり子(いつもながら字が出せない)と知り合う。
佐田と妹岩下志麻は幼いときに父母と死別し、二人で生きてきた。

佐田と岡田の恋、不倫に、佐田たちの叔父で富豪の笠智衆の財産をめぐる小坂一也らの親戚の話が絡む。
渡辺文雄が型どおりの出世主義の典型的な悪役で笑わせる。小坂は軽薄な若者でコメディー・リリーフ。他に、岩下の友人で富士真奈美、岡田の友人で環三千代など。
佐田と京都で結ばれた岡田は離婚を望むが、渡辺は承知しない。
いつか二人が結ばれることを暗示して終わる。
岡田が登場の度に、違う豪華な着物、洋服で出てくる。
一種の着物ショー。

1963年の制作で、バリ島が舞台になのは、恐らく日本映画でも最も早いものだろう。勿論、多くの遺跡やケチャも出てくる。音楽の牧野由多可は、ガムランもきちんと使用。

佐田は保土ヶ谷の国立横浜病院の医師という設定なので、横浜の風景が出てくる。岡田と佐田が最初に抱き合う海が見える高台は、多分本牧だろう。
下はまだ海で、今は日石の製油所になっているあたりは埋立て以前。遠く杉田周辺の埋立が見える。

題名の「花の咲く家」とは、笠が住んでいる旧家の敷地の桜の古木のこと。最後は、そこも工場に売却され、桜の花見もその年限りになる。

またしても原作は大仏次郎だが、ここでも戦後社会と人間への反発が根底に流れている。
だが笠が、軽薄青年小坂に敷地の利用を委ねて工場に売却するように、一定の妥協を見ている。もはや、戦後的な流れは動かしがたいと諦めたのだろうか。

監督の番匠義彰は、つまらない歌謡映画が多く、低級な監督と思っていたが、ここでは重厚に撮っている。
カメラが松竹の名カメラマン生方敏夫。この人は軟調の画面で有名だが、ここではやや「絵葉書的」だが、大変美しい画面を作っている。
全体にレベルとしては、なかなか高い作品だった。
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『愛と悲しみ』

2006年08月28日 | 映画
結婚していながら自由奔放に生きる美人の姉・岡田まり子(字が出ない)と、真面目でおとなしい妹・倍賞千恵子との間で揺れる医学生津川雅彦の恋。

夫・山内明との離婚協議に、北海道まで岡田に同行した津川は、その帰り十和田湖の旅館で岡田と出来てしまう。
成瀬巳喜男の名作『乱れ雲』で、加山雄三と司葉子は、最後まで行きそうになるが結局出来ないが、ここでは当然のごとく簡単にできてしまう。

ところが、倍賞らが住む伊豆三島に残してきた岡田の娘が、日本脳炎にかかり入院していた。
まるで、津川と岡田の不貞が娘の病の原因であったように二人は悩み、周囲も非難する。
最後、岡田は伊豆の海岸で自殺し、その罪を悔いた津川は、最初の志のとおり、シュバイツアー博士のごとく、僻地医療に身を捧げる。
シュバイツアー博士というのが、笑わせる。当時は、無批判に賛美されていたのだ。
実にご都合主義的な話だが、監督大庭秀雄の丁寧な演出が最後まで見せる。
ラブ・シーンのカット割りと主人公たちの感情の変化の表現が極めて細かく、上手く描かれている。少しも嫌らしさがなく、ご清潔。

子供が日本脳炎になって、という件は原作者の壇一雄が、自由奔放に多くの女と日本中を放浪していたとき、息子が練馬で脳炎になり、下半身不随となったことからきているのだろう。一種の贖罪である。
最後には岡田を自死させるところに明白。

1962年の作品で、すでに太陽族も松竹ヌーベル・バークの後だが、そんなこととは無関係な純朴な恋愛映画。早川保も農村青年として出てくるが、余り劇絡まない。
性道徳が、日本映画で根本的に変わるのは、日活ロマンポルノ以降なのである。

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『帰郷』

2006年08月27日 | 映画
川崎市民ミュージアムの今回は「昼下がりのメロドラマ」として松竹メロドラマ・シリーズ。

原作大仏次郎、監督大庭秀雄、主演佐分利信、木暮美千代、津島恵子。
戦前、不祥事から海外に逃亡した海軍軍人佐分利と木暮、津島との戦後の再会の話。
木暮は戦時中、佐分利とシンガポールで愛し合い、戦後銀座で佐分利の分かれた子津島と偶然に知り合う。
最後、三人は京都で再会する。

この映画は、昭和39年に日活で吉永小百合、森雅之、高峰三枝子で作られていて(監督は松竹出身の西河克己)、私は見ている。吉永と森の父娘の父物映画と思っていたが、ここでは木暮との愛と再会、別れが中心だった。木暮の妖艶さがすごい。

これは、五所平之助の大ヒット作『今ひとたびの』の反歌であろう。
高見順原作の同作は、戦前から戦後にかけての高峰三枝子と竜崎一郎のメロドラマなのだが、左翼的立場の映画だった。作られたのは、左翼運動の最高揚期の昭和22年で、この『帰郷』は、朝鮮戦争が始った昭和25年である。3年で日本の時代、社会は随分と変わったのだ。

原作は、大仏による保守的な立場からの戦後論である。
戦時中、シンガポールで佐分利を拷問した憲兵三井弘次が、戦後は進歩的作家らしい津島の義父・山村聡に追従する左翼ジャーナリストになっている。
岩井半四郎の気障で軽薄な若者など、戦後社会への反発は強い。
京都など、日本の伝統文化に本物を見出すところなど、日活作品で見たときには随分反発を感じたが、ここでは余りなかった。
大庭秀雄の丁寧な演出によるものだろう。
音楽が吉沢博と黛敏郎で、黛としてはきわめて初期の作品である。

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井上真介監督

2006年08月25日 | 映画
一昨日、横浜駅近くでビデオ監督と女優がわいせつ物陳列罪で逮捕された。女性を全裸で歩かせたらしい。監督は井上真介だった。

彼は、フリーの助監督、中島丈博の弟子で、一般映画も撮った人間である。
話題作りなのか、実際そうした際物ビデオを作らなければ成らない程、事業が急迫しているのか不明だが、映画・ビデオ業界が大変なことは事実だろう。
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ワイヤーレコーダー

2006年08月24日 | 音楽
今、神奈川新聞に俳優加山雄三の自伝が載っている。戦後日本の芸能史の一部でもあり、大変興味深いが、先日ワイヤーレコーダーのことが載っていた。

ワイヤーレコーダーとは、テープレコーダーと同じ原理だが、テープの代わりにワイヤー、つまり細い銅線を使うもので、テープレコーダーに先駆けて戦前から実用化されていた。

テープレコーダーを開発したのは、実はナチスドイツである。
ある日、連合国がヒトラーの演説を傍受していると、同時に別の場所で演説しているのがあり、それが音質がきわめて良いので、新しいタイプの録音機に気づいたと言う。
当時は、ワイヤーレコーダーや、SPレコードの円盤に直接録音するレコーディング・カッターしかなく、それらは余り音質が良くなかったからだ。
銅線や円盤では、素材の特性上良い音質にはならないらしい。特に高音が良く出ないようだ。
ジャズの歴史的名盤『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』は、素人が自分の携帯用のレコーデイング・カッターで録音したもののレコード化である。

加山雄三の家、すなわち上原謙家では、戦後すでにワイヤーレコーダーがあり、上原はそれで台詞の練習をしたが、加山は自分の演奏を録音したと言う。

ワイヤーレコーダーにも種類はあり、携帯用のものが多かったようだが、今回の写真で見ると卓上式の大きなものだった。
さすが、上原謙、当時日本でも最上の報酬を得ていた大スター。
随分と高価な輸入品だったに違いない。

ソニーがテープレコーダーを開発したとき、一応参考にしたのがワイヤーレコーダーなのだそうだ。
今の若い人は、オープンリールの大きな丸い円盤が回るテープレコーダーも見たことがないのだろう。
技術開発の速度はきわめて早い。
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黒木和雄について

2006年08月23日 | 映画
今年に死去されて、大変評価が高くなったようだ。
確かに、映像構成力は大変強く、あえて言うなら映像の作り方は、かの黒沢明に匹敵するものがあったと思う。メジャーの撮影所に所属していたら、巨匠になったかもしれない。
ただ、彼の思想的内容はかなり希薄で、その時のシナリオの出来によって中身と出来は左右されてきたと思う。

昨日見た、『日本の悪霊』や『原子力戦争』のように政治や思想を直接対象としたものは上手く行っていない。

意外にも通俗的な体質で、最高作は『祭りの準備』だと私は思う。
晩年の戦争4部作は、『TOMORROW 明日』しか見ていないが、思想的なものというより、相当にメロドラマ的である。
叙情的な映像と音楽(松村禎三)が黒木の一番の良さだったと思う。
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『原子力戦争』

2006年08月23日 | 映画
日活アクション+ファッション+ルポ=駄目映画だった。
制作友田二郎・脚本鴨井建比古+主演・山口小夜子+原作・田原総一郎であるが、なんとも中途半端な、出来の悪い映画だった。
この映画は、黒木和雄がヒット作『祭りの準備』の後だったので、多分皆の期待が大きく、普通ならありえないトップ・モデル山口小夜子の出演となったのだろう。

福島県太平洋海岸で、心中死体が発見され、東京からヤクザの原田芳雄が来る。
トルコ嬢だった女は、自分のもので、その死因を探る。
彼女は地元有力者浜村純の長女で、次女は風吹ジュン。

山口は死んだ原発の技師の妻だが、原田と出来たり、最後は原子力利用の権威である大学教授岡田英次と一緒になることが暗示される。

僻地に左遷された新聞記者の佐藤慶が、原発事故を原田を使って探る話がメインだが、松林を山口がしゃなりしゃなりと歩くシーンが挿入されるなど、大変困惑させられる。
山口の演技は、勿論論外だが、原田に話しかけさせて演技させるなど、上手くやっている。

地元の田舎ヤクザで、阿藤海が出てきて、意気がるのがるのが笑える。当時は、俳優座の下っ端だったのだ。
同じく俳優座のベテラン女優だった三戸部スエさんが出ている。
彼女は俳優座の分裂劇で、何故か原田芳雄、中村敦夫らの過激派の脱退組に参加していたため、この頃は『青春の殺人者』などのATG映画によく出ている。

今日は、黒木和雄の1970年代の『日本の悪霊』と『原子力戦争』の2本を見て、予想通りよくなかったが、どちらも「本気なの」と言いたくなるものだった。
松村偵三の音楽がどちらも余り良くなかった。

この映画は、タイトル映像でも『原子力戦争』となっていたが、何故か『原子力戦争・LOST LOVE』となっていた。一体いつ題名を変えたのだろうか。
勿論、作者の自由、権利だが。
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『日本の悪霊』

2006年08月23日 | 映画
高橋和巳の小説の映画化。脚本は福田善之、監督は黒木和雄。佐藤慶がヤクザと刑事の二役をやる。
きわめておかしな映画である。
例えば最後のシークエンスは、こうだ。

対立していたヤクザの手打ち式が、保育園の開園式で行われ両組長が並び、記念撮影をしている。
ヤクザ映画のように、着流しを着て長ドスを下げ、土手を歩いていく二人の佐藤慶。
殴りこみに来たと、びっくりする両組長のアップ。
岡林信康が『私たちの望むものは』を歌う映像。
そのフレーズの「私たちが望むものは、あなたを殺すことなのです」
で、爆音が入り、ゴミ捨て場の映像。
煙幕が流れる中に死体が見える。
そして、最後は岡林と高橋美智子(当時、早稲田小劇場の女優)の普通の会話で終わり、なのだ。

この映画は、1970年当時を反映したもので、原作は1950年代の共産党幹部が実は警察のスパイだったというものだと思うが、それを佐藤慶のヤクザと刑事の二役に変えている。
ここでは明確ではないが、ヤクザが実は昔の共産党の生き残りにしている。
全体として、言いたいことは、政治的対立、抗争等があるが、こうした混乱は、岡林の歌に象徴されるように、いずれは若者世代によって解消される、とのようだ。
「本当かね」と言いたくなるが、黒木はそう思っていたらしい。

リヤカーを引いた岡林が街頭でいきなり歌いだすなど、ともかく構成が目茶苦茶。
また、昔の共産党幹部が、舞踏の土方巽という珍しい配役。
ともかく、監督黒木和雄の他、劇作家福田善之のシナリオ、制作が大島渚映画の中島正幸に、何故か漫画家の福地抱介、高橋美智子の他、早稲田小劇場の役者連中など、これほど様々な才能が集まった映画も珍しい。出来がひどいのが唯一の欠点。
一番下の助監督がルポライターの足立倫行、詳細が『1970年代の漂泊』に書かれている。

金は随分となかったらしい。ヤクザの親分の出所祝いの宴会シーンで、出ている料理が枝豆のみなのだから。
黒木としては、劇映画をまだ上手く処理できなかった時代の作品である。
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『爆弾男といわれるあいつ』

2006年08月21日 | 映画
小林旭と東京ぼん太の「あいつシリーズ4作目」で最終作。
新潟県長岡の奥地のダムで月給が強奪される。
巻き添えを食らって殺害された老人が、ぼん太の恩師だったことから、長岡に二人がくる。

最初、長岡署で山田禅二の刑事が、旭に「何しに来たのですか」と聞くところがおかしい。
勿論、事件を解決するためなのだが、ヒーロー映画への批評になっていておかしかった。

事件は、意外な結末だが、殺された老人の娘嘉手納清美と、ダンサーの万里昌代がよく似ているため、黒幕の女が最後まで分からないという、監督の長谷部安春らしいトリッキーな脚本。
悪人は、主犯の青木義朗の他、西村晃、品格など、いつものメンバー。
最後のダムサイトでの旭と青木のアクションがすごい。

その他、コメディ・リリーフで漫才の新山ノリロー・トリローなど、懐かしい連中も出ている。
嘉手納は意思の強そうな美人だったが、役者の工藤堅太郎と結婚し、引退したそうだ。
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堀久作の怒り

2006年08月21日 | 映画
鈴木清順の『殺しの烙印』が公開されたとき、社長の堀久作は、「こんな訳の分からない映画を作る監督はいらない。日活のイメージダウンになる」と言って鈴木を解雇した。これに対して共闘会議が作られ裁判になったのは、有名だろう。

だが、堀社長の怒りの真相は、もう少し別のところにあったのではないか。
『殺しの烙印』を見ると、宍戸らが嬉々として映画制作を本当に楽しんでいるように見える。

自分のものである映画会社の日活で、自分の命令と無関係な連中が自由にやっているように見えたのが多分不愉快だったのではないか。
勿論、それは日活のスタッフ、キャストが育っていることの結果だったが。
それを全く理解できなかった中小企業経営者の狭量さの典型である。
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