指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『夜叉ケ池』

2021年03月04日 | 映画
1979年に公開された松竹作品で、私は当時松竹系だった伊勢佐木町の横浜ピカデリーで見て、かなりすごいと思った。その後、まったく上映されないので、その理由を以前篠田正浩監督が横浜シネマリンのイベントに来られたとき、お聞きした。理由は、
「これは、玉三郎さんがかなりお金を出した。できて見ると、私が男に見えるので、以後公開しないでほしい」とのことだったので、「できない」とのことだった。
私などは、二役の内、普通の女性の百合の玉三郎など、女性にしか見えない、と思ったのだが。特に、大正初期の女性の話し方(もちろん、聞いたことないが)のように思える台詞を言っているのがすごい。

                   
植物学者の山崎努は、岐阜の山中を歩き、夜叉ケ池を目指す。
途中は干ばつで干上がっているが、あるところから緑になり、水が湧いていて、辿ると一軒の農家に付く。
そこに美しい女性がいて、さらに親友の加藤剛がいることがわかる。
夫婦は、村の言い伝えである、「日々、3回鐘を突かないと、池の龍が嵐を起こすので、必ず突け」という言い伝えを守って生きている。
この辺は、白河郷で撮影されているようだ。
夜叉ケ池の映像は、岐阜と福井の県境の本物ではなく、富山の奥の「南砺市の池だ」と、城端駅の看板に書かれていた。理由は、実際の夜叉ケ池が小さいからではないかと思う。実際に行った人の話だと、非常に小さいのだとのこと。
岐阜の白河郷と南砺市は非常に近く、私は「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」の時、南砺市からバスで白河郷に行ったことがある。その途中には、利賀村もあったが、今は南砺市になっている。

さて、ここで動物たちが出てきて、鯰の三木のり平が、白山の若君から、夜叉が池の姫への恋文をもって来るところから、以前見たときは筋がまったく理解できなくなった。だが、その後、泉鏡花や宮澤賢治のように、動物と交歓する作家は、普通の人でも飼犬や猫の言葉が理解できると称する人と同じと思うようになった。それは鏡花の幻想に過ぎないと思えるようになったので、十分に楽しめる。
そして、丹阿弥泰子の乳母、石井めぐみの召使いらに傅かれている、お姫様の玉三郎が現れる。ここは、遠くから望遠レンズで撮影されていて、篠田は多彩なテクニックを使っている。そして、ここでは皆お芝居めいた演技になっている。玉三郎の二つの演技わけはさすがである。そして、お姫様は、恋心で、白山に行こうとするが、村の鐘突き堂に来て、赤ん坊に子守歌を歌う百合を見て、想いをやめてしまう。女性性が、母性に負ける瞬間である。
この動物たちのシーンは、三木のり平は別として、山谷初男らが出て、当時のアングラ劇のような雰囲気にしているのは、篠田の意図だろう。

村は日照りで苦しんでいて、村の偉い人々の提案で、生贄を池に入れることになり、「生娘の美人」とのことで、百合に白羽の矢が立つ。
そして、無知蒙昧な村人が、百合の家に押し出してくるところは、木下恵介や今村昌平の傑作『楢山節考』みたいである。
村人を扇動する、金田龍之介、安部徹、南原宏治らの地位をかさに着た汚らしさも良く出ている。

村人と玉三郎、加藤剛、山崎努らとの争いになるが、最後にヤクザものとして唐十郎らも出てくる。
3人は、鐘を突く必要はないとして、撞木の綱を切り、鐘がつけないようにすると、ちょうど明け六つで、池の上から水柱が昇り、すぐに嵐になり村と谷の全部が流されてしまう。
鐘撞堂の柱に身を縛り付けていた山崎が気がつくと、そこは大滝の縁で、囂々と水が落ちている。ここは、イグアスの滝である。
篠田には珍しい、「愛の賛歌」であり、昔よりも今の方が容易に受け入れられる作品だと思えた。
 
衛星劇場