指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

大田区役所は

2022年01月28日 | 東京

用があって蒲田の大田区役所に行く。ここについて、2008年に以下のように書いた。 

 

              

現在、蒲田にある大田区役所は、元国鉄蒲田貨物駅跡地で、そこは民間に払い下げられ、六本木の不動産王と言われた桃源社の佐々木吉之助氏が、多額の金額で落札し、桃源社ビルを建てた。だが、いろいろな経緯があり、桃源社は倒産し、そこは大手銀行とゼネコンの所有になって、再度一般に売却され大田区が落札して大田区役所にした。だが、佐々木氏の著書『蒲田戦争』によれば、この桃源社ビル建設には様々な圧力がかかり、いろんな付帯工事をさせられたとのことである。その一つに、あのビルの地下に、駅のための巨大な空間を建設させられた、と言うのがあった。それは、鉄道に詳しい人なら良くご存知だろうが、所謂「蒲蒲線」のための地下駅なのだ。「蒲蒲線」とは、JR蒲田駅から京浜急行蒲田駅を経由して羽田空港に行く鉄道のことで、大田区の計画になっている。本来なら、東急の池上線か多摩川線から蒲田を経由し、京浜急行羽田線を利用して羽田に行けるようになれば、渋谷方面から羽田に行ける。だが、東急、JRと京浜急行では、軌道が違うので、通過できない。そこで、JRの蒲田駅から地下で、京浜急行の下を通り羽田に行く路線なのだ。佐々木氏の著書に書いてあり、一昨日の同窓会に大田区議のM氏が来たので、聞いてみると本当とのことだった(このM氏は、大田区長の弟なのだ)ただ、石原都知事は、立川基地と羽田を結ぶ路線を考えているので、蒲田地下駅は不要なのだそうだ。立川と羽田を結ぶ路線とは、一体どういう鉄道なのだろうか。川崎のJR南武線を利用するのだろうか。蒲田駅下の巨大な地下駅は、一度見てみたいものだ。

この大田区役所は前は、大森と池上の間の池上通りの入新井にあった。

元々は、大森区と蒲田区に分かれていたのが、戦後統合されて大田区になった。非常に安直な命名である。

そして、この頃は、まだ大森の方が、区として優勢だったのだと私は思う。

大森には、外人村もあり、海岸には高級な料亭や旅館があり、比較的上品な人が住んでいる町だった。お上品なテニスクラブもあったくらいだ。

その後、蒲田の方が、高度成長の中で急に発展して行くようになった。

また、風俗店等も蒲田の方が多く、にぎやかな町になった。

こうした、大森と蒲田の町の発展の差から見て、その移転の経緯にはいろいろあったとしても、蒲田駅前に大田区役所があるのは正しいことのように思えた。

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「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いた頃

2022年01月28日 | 横浜

今や流行語になった、SDGsの「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いたのは、総務局国際室でヨークを担当している時だった。

「ITTOのスローガンがSDGsなんです」とのことだった。

このヨーク(横浜市国際交流協会、当時は海外交流協会)の中に国際協力会という組織があり、そのITTO(熱帯木材機関)などを担当していた。

そして、これをパシフィコ横浜のビル内に入れるとき、彼ら専用のエレベーターを作ることになった。

それを主張していたのは、A課長で、

「ITTOは国際機関で、24時間働いているので、彼ら用のエレベーターが必要なのだ!」とのことだった。

「本当かね・・・」と思ったが、私は課長補佐だったので、黙って聞いていた。

実際に入居すると、そんなものはまったく必要ないことが分った。

             

国際機関というのは、今や日本の円が強くなったので、昔のように高額報酬の意味はない。

ただ、昔も今も、国連を頂点とする国際機関は、休みが多いので最高なのだそうだ。

それは、1991年1月に富士宮市の(財)国際貿易研修センターに行ったとき、地元の方で事務局職員の人も言っていた。

「ここは、給与はたいしたことないが、休みが多いので、それが唯一の売りなので、結構応募者は多いのだそうです」とのこと。

あのA課長の「国際感覚」は、いったいどこから来たものだろうか、不思議に思ったものだ。

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「ロール・キャベツは和食」

2022年01月27日 | その他

朝、テレビを見ていたら、女優のKが出ていて、

「結婚したので、料理もやっています。特に和食で、ロール・キャベツなんか得意で・・・」と言っていた。

ロール・キャベツは和食とは驚くが、和食の店でも、惣菜として並んでいるので、間違えるのもあるのだろうか。

           

それよりも、「原産地」が明確でないからだろうと私は思う。

今や、カレー、ハンバーグ、餃子、ラーメンと言えば、今や日本の代表的料理みたいなものである。

だが、それぞれは原産地が明確に分り、インド、ドイツ、中国だろう。

だが、ロール・キャベツは、どうだろうか。

南ドイツからルーマニア、ギリシャ、北トルコあたりまであるようで、その範囲は広いようだ。

そうした原産地の範囲の広さが、和食という誤解を生んでいるのだろうか。

ともかく若い方の「知識」はすごいと言うしかない。

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『チェイシング・トレイン』

2022年01月24日 | 映画

大学に入り、映画研究会を辞めて、劇団に入ったとき、2浪して8年生という林裕通さんに会った。

林さんは、1958年に大学に入った人で、なんと1960年6月15日には、国会に突入していたという人だった。

どうやって国会に入ったのですかと聞くと、「あの頃は、すぐそばで集会をやって、そのまま通用門に行ったんだ」とのこと。

当時は、最高裁判所や国立劇場のあたりは、国立劇場予定地と言われて、空地で自由に使えたのだ。

その後、これらの建物ができ、国会周辺は規制が厳しくなり、容易に近づけないようになったのだ。

さて、この林さんから、吉本隆明のことなどについて議論したが、同様に話したのが、ジャズのことだった。

私もピンときていなかったが、ジョン・コルトレーンで、LPは持っていたが、あまり良いとは思っていなかった。

林さんは、簡単に否定し、「鈍才が悩み苦しんでいるだけじゃないか」だった。

彼が好きなのは、ソニー・ロリンズは別として、オーネット・コールマンで、エリック・ドルフィーと共演していて夭折したブッカー・リトルなどを「青春の危うさと輝きだね」と言いきり、私を驚かせた。

そんな形で、ジャズを形容する人は、『スイング・ジャーナル』等にもいなかったからだ。

そんな中で、コルトレーンはいよいよ異常になり、ほとんど祝詞のように聞こえたので、私たちは「祝詞ジャズ」と言い合ったものだ。彼自身は、インドやアフリカの民族音楽を志向していたようだが。

このコルトレーンの伝記映画を見ても、私たちの考えを訂正する記はしない。

彼の祖父は、牧師だったとのことで、祝詞も彼の本質だったのだろう。

私は、彼のまじめで温厚な性質は、バラードや抒情的な曲にはあっていて、『ジョニーハートマンとコルトレーン』や『デューエリントン&コルトレーン』でのバラードは良いと思う。

ビル・クリントンからカルロス・サンタナまでの信奉者が出てきたのも驚いた。

これが終わってロービーに出ると、『水俣曼荼羅』を待つ人で一杯だった。

横浜シネマリン

            

夕方は、某所で大相撲初場所を見るが、御嶽海が照ノ富士を破って優勝する。

これで、大関は確定だろう。照ノ富士は、膝が悪いようなので、後半戦は疲労が蓄積するのか、横綱としてやっていくのは結構難しいと思う。

早く、御嶽海、さらに朝乃山を復帰させて、競わせないと本当に大関、横綱がまたいなくなるのではと思う。

 

 

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歌会始

2022年01月23日 | その他

皇室の正月の行事として歌会始があり、高校の国語の教師だったKは、批判的だった。

「下手な歌ばかりだ」と言っていた。

まあ、そうだろうが、私は、この歌会始は良いことだと思う。

            

言ってみれば、これは『紅白歌合戦』と『日本レコード大賞』を併せたような行事である。

これを鎌倉時代あたりから、日本の皇室がやっていたことは素晴らしいことだと思う。

つまり、皇室は、武力ではなく、文化の持つ権威で国を統治していたわけで、すごいことだと思う。

昔、インドのサタジット・ライの映画で、インドのある藩国がイギリスに合併されようとする。

その時、藩国王は、「イギリスの女王は、作曲ができるのか」と聞く。

その国では、「王は作曲ができないとまずい」ようになっていたのだそうだ。

イギリスの女王が、できないと聞き、藩国王は、悲しげな顔だったように憶えている。

アジア等の王の存在は、そうした文化的な権威からくるものだったのだ。

日本の天皇制も、明治以降は戦争と侵略の象徴になってしまうが、それは日本の伝統から見れば例外で、短い時期だったのだ。

このように文化的権威として天皇制が存続していくのは、私は良いのではないかと思っている。

その意味では、早く愛子様を天皇にできるように法的制度を整えるべきだと思うのだ。

なんで天皇が女性ではいけないのだろうか、実に不思議である。

 

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『水俣曼荼羅』

2022年01月22日 | 映画

私が今までに見た映画で、最も長い作品の1本であり、入場料の高い映画でもある。

6時間以上、3,900円だが、それに十分に見合う面白さだった。

            

作品としては、第一部が非常に面白く、浴田熊本大学教授が、水俣病の病原を明かすところが非常に面白い。

従来、水俣病は、有機水銀中毒のよる末梢神経の障害とされてきたが、浴田教授は、そうではなく、大脳の細胞の損傷による障害であることが明かされる。

それは、私が経験した脳梗塞にもよく似ている。

私は、2001年7月に倒れた時は、左半身マヒで、左の手足が動かなかった。

今も、左足の足首から下は、自分では動かすことはできない。

だが、感覚は当初から完全にあり、痛み、熱さ、寒さは完全にある。

これは、人間の末梢神経は、二本あり、動かすのと感じるのと2本あるからなのだそうだ。

私の場合は、動かす方の神経の細胞がやられて消失しているからが、感覚の方は生きているからなのだそうだ。

この映画でも、手を動かすことができるが、感覚がないために手の指を切ってしまった方の例が出てくる。

つまり、有機水銀が、水俣の窒素の工場から廃液として出され、それが水俣の海の魚介類に食されて凝縮し、濃度が上がり、それを食べていた漁民たちが水銀を取って、脳細胞に障害を起こして水俣病になったのだ。

人間がなる前に、魚を食べていた猫が狂ったような動きをし、そして死んだというのだ。まことにひどい話である。

また、水俣病も、脳梗塞のように、ある日突然に障害が起きたのだそうで、次第におかしくなったと言うのではないようで、それも脳梗塞みたいだ。

第二部では、土本典昭が監督した映画『患者さんとその世界』での、チッソ株主総会での患者の「怨」の決起の様子も引用される。

また、私も見たNHKの『日本の素顔』での「奇病をこえて」の冒頭のガラス越しに患者の姿が映されるシーンは、患者ではなくNHkのスタッフの演技であったことも明かされる。

第三部は、かなり長くて、ここは第二部と一緒にして1本にした方が良かったのではないかと私は思ったが。

 

第一部の冒頭の環境大臣・小池百合子の「カエルの面にションベン」の態度、最後の熊本県知事樺島郁夫ですら、国の指示に従わざるを得ないのには唖然とする。

環境行政みならず、日本の国と地方の関係は、現在の沖縄の辺野古問題にも見られるように、依然として大問題であり、根本的に直さなくてはいけないとあらためて思った。

横浜シネマリン

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フィルム撮影だった 『剣客商売・婚礼の夜』

2022年01月21日 | テレビ

昨夜、BSフジの『剣客商売・婚礼』を見たら、監督が井上昭で、脚本は野上龍雄だった。

渡部篤郎の友人の金山一彦が、浪人から一応小身だが武家の娘の聟になる。義父は、左右田一平でこれは良い。

その娘は、名は分らないが、言ってみればデブ、でも金山は惚れている。

                                     

そこに、金山の結婚を妨害しようとする浪人者がいて、それは真剣白羽取りの剣豪の白竜。

彼は、大阪にいたとき、女子に暴行した現場を金山に暴かれて逮捕されたことを恨んでいて、彼の結婚を妨害しようとしているのだ。

この浪人者達は、豪商を襲って強盗したこともあり、彼らが奪った小判には特定の刻印が押されたいた。

渡部は、浪人組に潜入し、梶芽衣子は賭場で小判を使った男を付けて彼らの小屋を見つける。

そして、婚礼の夜、渡部は小屋に行って連中をめった切りし、最後は白竜との対決になり、勿論勝つ。

ドラマとしては普通だが、タイトルの藤田まことのシーン以外の本編は、フィルムで撮影されていた。

2000年くらいだが、この頃まだフィルム撮影だったのか。

井上がいた大映京都は、ビスタビジョンと言い、意外にも新しいもの好きなのだが、ビデオ撮影にしていないのは不思議だった。

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「やあやあ、元気会」

2022年01月20日 | 横浜

昔、よこはまで「やあやあ元気会」というのがあった。

横浜の自民党のボスだった横山健一元市議が主催するもので、1月10日くらい、横浜駅西口の宴会場に集まる会だった。

そして、この種の挨拶や式辞などがまったくなく、「やあ、やあ」と挨拶する会だった。

バカバカしいと言いつつ、皆行っていたが、私もこの年になると、「結構意味があるな」と思うようになった。

年賀状も、そうだが「結局まだ生きていますよ・・・」と言う通知である。

横浜健一氏も、いろいろと毀誉褒貶のある方だったが、先見の明のある人だったのかもしれない。

 

 

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井上昭、死去

2022年01月20日 | 映画

大映の監督だった井上昭が、死んだそうだ、93歳。

大映では、以下のような作品を作っている。

  1. 1960.04.06 幽霊小判  大映京都
  2. 1960.06.01 続次郎長富士  大映京都  ... 助監督
  3. 1960.10.18 大菩薩峠  大映京都  ... 助監督
  4. 1961.01.27 潮来笠  大映京都
  5. 1961.11.01 釈迦  大映京都  ... 助監督
  6. 1961.11.29 銭形平次捕物控 美人鮫  大映京都  ... 助監督
  7. 1962.02.21 婦系図  大映京都  ... 助監督
  8. 1962.07.29 江戸へ百七十里  大映京都  ... 助監督
  9. 1963.01.13 雪之丞変化  大映京都  ... 助監督
  10. 1963.12.19 桃太郎侍  大映京都
  11. 1964.06.20 黒の凶器  大映京都
  12. 1964.11.28 勝負は夜つけろ  大映京都
  13. 1965.04.03 座頭市二段斬り  大映京都
  14. 1965.12.11 ザ・ガードマン 東京用心棒  大映東京
  15. 1966.03.12 眠狂四郎多情剣  大映京都
  16. 1966.05.03 若親分乗り込む  大映京都
  17. 1966.07.30 私は負けない  大映京都
  18. 1966.09.17 続・酔いどれ博士  大映東京
  19. 1966.12.24 酔いどれ波止場  大映京都
  20. 1967.05.13 若い時計台  大映京都
  21. 1967.06.17 陸軍中野学校 密命  大映京都
  22. 1967.09.02 監獄への招待  大映東京
  23. 1968.01.27 秘録おんな牢  大映京都
  24. 1968.03.09 陸軍中野学校 開戦前夜  大映京都
  25. 1968.05.18 講道館破門状  大映京都
  26. 1968.08.24 関東女やくざ  大映京都
  27. 1969.05.17 用心棒兇状旅  大映京都
  28. 1969.10.04 関東おんなド根性  大映京都
  29. 1993.02.06 子連れ狼 その小さき手に  小池一夫事務所
  30. 1998.02.07 陽炎IV  松竹第一興行

中では、『座頭市・二段切り』が非常に面白く、ニセ座頭市の三木のり平が良かった。小林幸子が娘で、これも上手い使い方だと思った。

大映の監督なので、『座頭市』の他、『眠狂四郎』シリーズなども作っている。

             

中で、特筆したいのは、『陸軍中野学校』シリーズの最後の2作で、『密命』と『開戦前夜』が良かった。

この市川雷蔵の現代劇が、5作で終わってしまったのは、大変残念なことだった。

大映が倒産した後は、映像京都、さらにテレビの『剣客商売』などで、手堅い作品を見せていた。

この人は、私の大好きな森一生監督の正統的な弟子だったと思う。

京都の職人的な娯楽映画監督のご冥福をお祈りしたい。

 

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銀行も大変なんだなあと思う

2022年01月19日 | 東京

昨日、三菱銀行池上支店から通知が来ている。

4月22日から、池上支店を蒲田支店に統合するとのこと。

そこには、池上支店の他、蒲田駅前支店、羽田支店も統合するとのこと。

            

池上は、池上本門寺のお賽銭もあり、それなりの工場や事務所もあるので、そう小さな支店だとは思えないが。

銀行も大変なんだなあと思った。

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いつもの会だった

2022年01月18日 | 横浜

昨日の朝、ゴミ出しに行くと、町内会館の前にバンが停まっていて、人が出入りしている。

「ああ、毎月の売り立て会だな」と思う。

毎月、15日に、骨董品の売り立て会をやっているのだ。

               

横浜アートオークションの札が掛けられている。

この南区、磯子区は骨董品店が多いのだ。

なぜかは知らないが。

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「藤竜也って知ってますか」

2022年01月17日 | 映画

私が、亡き田村光男の紹介で、現代企画室から黒澤明についての本を出すことになった時、

渋谷の喫茶店で、担当の小倉君に会った時、すぐに聞かれたことである。

もちろん、日活のファンだった私は、「知ってますよ」と答えると、

「僕の叔父なんです」と言う。

背は、藤のように高くはないが、顔はよく似ている。

小倉君の母親は、藤のお姉さんなのだ。

藤竜也も、本名は、伊藤で、そこから藤竜也にしたのだそうだ。

            

小倉君は、非常にまじめに仕事をしてくれて、『黒澤明の十字架』として出すことができた。

今まで出した中で、一番問題を起こした本のようだ。

 

出た後、ある日、中年の方から現代企画室に電話があり、

「この著者は、黒澤明監督作品をなんで見たのかね、ちゃんとブルーレイで見ているのかね」との質問があり、その後1時間以上もいろいろと苦情を言われたそうだ。

その方は、黒澤明研究会の人で、前にはオーディオの店もやっていたマニアなのだそうだ。

本当にご苦労さんとしか言い様がない。

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大変ですね 大学入試

2022年01月16日 | その他

昨日、今日は、大学入試センターの試験であり、見ていて大変だなあと思う。

私は、幸運にも現役で合格したので、浪人はせずに入学できた。

だが、教育学部英語英文科は、レベルが高くて、参った。

定員120人だが、男女60ずつと、明らかに「足切り」をしていたと思う。

普通に選考すると、女性ばかりになるので、半分で切っていたと思われる。

すでに帰国子女もいて、多かったのは地方の女子のミッションスクール出の子で、優秀だった。

早稲田に来る女性で、首都圏の高校出は少なかったと思う。

首都圏の女子は、だいたい慶応や立教、上智や学習院などに行き、田舎くさい早稲田には来なかったのだ。

唯一の例外は、女子学院で、私がいた学生劇団には、女子学院卒の女性が5人いた。

授業に上手く付いて行けないのと、芝居が面白いので、ほとんど出ず、いずれ中退するつもりだった。

だが、2年の夏に、母にガンが見つかり手術する。

医者は言った「3ヶ月は生かしてみるよ」

小学校6年で父が死に、母子家庭になっていたので、これはまずいと、12月の公演が終わると、授業に戻ることにした。

3,4,5,6年で無事卒業することができた。

母は、もともと丈夫だったのだろう、その後30年生きて、今度は胆嚢ガンで死んだ。

まるで、私を芝居などの世の中の「裏街道」から、まともな生き方に戻すためにガンになったようなものだった。

 

 

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パタパタ撮影で思い出したこと

2022年01月15日 | 横浜

昨日、京浜急行川崎駅を通ると、列車の表示機・「パタパタ」を撮影している人が沢山いる。

            

これは、

「内の会社が作ったんですよ」と横浜コンベンション・ビューローにいたとき、帝国社から来ていたM君に言われた。

M君は、横浜市の幹部の息子だが、高校を中退し、自衛隊でジェット機に乗っていたという少々変わった経歴の男だった。

その後、横浜で当時は最王手の広告会社だった帝国社に入り、そこからビュ-ローに出向していた。

帝国社は、元は京浜急行の現場にいた方が、辞めて始めた広告会社で、京急の駅の看板、車内広告を扱うなどしていた。

また、横浜の佐々木投手が活躍すると、ポルタに「大魔神神社」を作るなどもしていた。

だが、この会社の社長は、雨宮という家で、当時は二代目が務めていて、社を作った方は事業担当の常務だった。

二代目社長は、たぶん広告代理店という業種に我慢できなかったのだろう、慶応大学時代の友人を入社させて、新規事業に取り組み、彼を専務にする。

そして取り組んだのは、当然にも不動産投資だった。

「土地を右から左に移せば、億単位で儲かる」といわれたので、やれば止められなくなるのだ。

ついには、オーストラリアでの不動産開発に乗り出し、そして失敗する。

ある年の1月4日、M君が、私と部長の浜崎さんに向かって言った。

「内の会社が潰れるんです・・・」

すぐに私と浜崎さんは、西口の本社行く。

常務は悲痛な表情で私たちに言った。

「私も全然知らなかったんです、不動産開発なんて・・・」

それは本当で、社長とその慶応ボーイの友人の専務の二人だけでやっていたとのこと。

翌週に債権者説明会が行なわれ、帝国社は倒産した。

コンベンション・ビューローには、当時は債権債務はなく、財団への出損と出向者の受け入れだけだったので問題はなかった。以前には、宣伝映画を付くってもらっていたのだが。

その後、M君は、またしても父親のお力で、京急アドに入社したとのこと。

今は、この「パタパタ」の終了をどこで聞いているのだろうか。

 

さて、問題の雨宮家だが、きちんと存在し、コンビニなどをやっている。
株式会社は、有限責任なのだから、会社と個人は別なのである。

 

 

 

 

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『決算、忠臣蔵』

2022年01月14日 | 映画

               

 

『忠臣蔵』は数多いが、これは二つでユニークである。

一つは、各場面での行為を金額に換算していること。

もう一つは、赤穂方の人間の台詞は、関西弁というか、赤穂地方の言葉にしていること。

この赤穂事件で、一番悪いのは、言うまでもなく浅野内匠守で、吉良に賄賂を送らなかったのは、異常と言うしかない。

当時は、朝廷の勅使を迎える儀式など、特別な作法を教えてもらうときは、それに応じた金品を送るのは習慣だったのだから。

吉良家は、こうした金品で生きていたのだから、ひどい。

武士道云々は、無関係である。

大石内蔵助の堤真一は、かなり適当な男で、その場その場で対応していて、彼は討ち入りは考えていなくて、浅野家再興のみを願い運動している。

これが、すべて賄賂、金なのだ。

だが、浅野家再興が駄目と解ると、大石は、討ち入りを選ぶ。

ここからは、普通の運びになるが、討ち入りの説明をする妻夫木聡の美しさが光る。

また、京の橦木町で遊興する大石の堤は、本気で遊んでいるように見える。

瑶泉院の石原さとみがひどいバカ女で、これも笑える。当時の高貴な女は、そんなものだと思うが。

この撞木町は、京都ではなく近江八幡で、ここの堀は貴重で、時代劇はここでないと絵にならない。

一つだけ文句を言えば、恐らくは手持ちカメラで、絶えず画面が動いているのは、私の趣味ではない。

すべてを金に換算してしまう「なんぼのもんじゃい」映画で、実に関西的である。

原作の山本博文氏も、岡山とのことで、関西的発想だと思う。

チャンネルNECO

 

 

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