指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『fukushima 50』

2021年03月15日 | 映画
『fukushima 50』が昨日放映された。
もちろん、見なかったが、以前見たときのがあるので、以下に再録しておく。

         

フクシマ50とは、言うまでもなく2009年3月11日に起きた東日本大震災と福島の原発事故である。これは、日本の近代史に残る大事件だが、これを映画化すると、お涙頂戴の浪花節になってしまうのには唖然とした。主人公は、吉田署長を演じる渡辺健、そして当直長の加藤浩市である。原発事故が起きて、原子炉の冷却水が作用しなくり、炉内の温度が急上昇し、水素爆発の危険が起きる。吉田は、冷却の手段として「ベント」という炉内の空気を抜くことを考える。すると、当時首相の菅直人(佐野史郎)がヘリで飛来して来て、彼も「ベント」を命令する。ここは非常に滑稽に描かれていて、菅と官房長官枝野は、否定的人物とされている。この菅が言ったベントは、原発の技術者だった大前研一(平成維新の会)からの助言によるもので、正しいことだった。だが、ベントの操作は中央のコントロールパネルからはできず、当直施設内の職員によって手動ですることになる。ここが、この映画の最大の見せ場で、佐藤は「決死隊」を募り、自分も行くと言う。もちろん、全員が手を上げる。まさに涙、涙の場面である。
これでは、太平洋戦争中の特別攻撃隊と同じではないか。これでは、鶴田浩二が演じた『雲流るる果てに』と同じはないか、まるであきれるほかはない。
幸いも、ベント作業は、放射線量が強くて途中で引き返すことになり、全員無事帰ってくる。この原発事故で、一番重要なのは東電幹部の責任のはずで、これが浪花節になってしまうのはどうしたことだろうか。もともと、岸壁を10メートル以上にしておくのは、過去の歴史を考えれば当然のことで、経済的理由で10メートルにしてしまったのが、この事故の最大の原因で、それを一切描かないのは、本当におかしいと思う。私は、原発については詳しくないが、ベントよりも、最初に海水注入をすぐにやればよかったのではないかと思う。
ただ、この海水注入は、原子炉が二度と使えなくなるはずで、東電、さらに官邸も指示できなかったのだろうと思う。今更考えれば、二度と使えない云々はお笑いだが、当時は誰も思っていなかったのだろう。この50とは、福島原発で決死の覚悟で対応した東電職員50人のことだそうだが、これはやはり日本は特攻隊と思っているのだろうか。 港北ニュータウン・イオンシネマ

以上は、たぶん今も正しいと思うので再録する。