指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

もう出てこないだろう 2・26事件資料

2024年02月27日 | 政治

昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。

                                               

さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。

それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。

日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。

人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。

天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧すると言ったのである。

まあ、2・26事件の青年将校たちは、憂国の青年たちとしてドラマでは描かれるが、悲劇的ではあるが、むしろ喜劇的だとの思えるのだが。

 

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『宮沢喜一日録』の存在

2024年02月26日 | 政治

昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。

いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。

              

日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。

この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。

おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。

同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。

だから、佐藤栄作は、自民党から社会党、さらに部落解放同盟から日本共産党に至るまで広い人脈を作っていたとのことだ。

日本の演劇界に言えば、唐十郎が、1960年代に上野公園音楽堂で芝居ができたのも、佐藤栄作と同じ東大卒の共産党の宮本顕治との関係だったというのだから驚いてしまうが、その間には上野のかの骨董屋も介在したのだそうだ。

この辺のネットワークは、実に不思議と言うしかない。

宮沢喜一氏が、地方政治家系の小沢一郎に負けたというのも、実に戦後日本の変化を現わしていると思える。

 

 

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『ZK』を見て

2024年02月24日 | 映画

映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。

             

彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。

それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。

それは、レゲエの ボブ・マーリーにも類似していると思う。

ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。

横浜シネマベティ

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山本陽子、死去、81歳

2024年02月22日 | 図書館

女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。

            

彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。

目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。

後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。

いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。

テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。

杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから、やはり場所を得ることは重要だと言える。

日活時代は、ほぼ同期の西尾三枝子、伊藤ルリ子らの方が上だったのだから、テレビでの山本の活躍はすごいと言えるだろう。

「美人薄命」と言うべきか。

 

  • 光る海(日活、1963年12月25日) - 女子学生 役
  • 赤いハンカチ(日活、1964年1月3日) - 石塚家の女中 役
  • 成熟する季節(日活、1964年1月15日) - 百貨店の店員 役
  • 花と怒涛(日活、1964年2月8日) - 芸者 役
  • 月曜日のユカ(日活、1964年3月4日) - ホステス 役
  • 抜き射ちの竜 拳銃の歌(日活、1964年4月4日) - 黒木梨江 役
    • マスメディアによっては、本作を「映画におけるデビュー作」とする場合もある[2]
  • 帝銀事件 死刑囚(日活、1964年4月12日) - 帝国銀行の行員 役
  • 猟人日記(日活、1964年4月19日) - 尾花けい子 役
  • 間諜中野学校 国籍のない男たち(日活、1964年5月31日)
  • 風と樹と空と(日活、1964年7月12日)
  • 新・男の紋章 度胸一番(日活、1964年8月1日)
  • 東京五輪音頭(日活、1964年9月9日) - 松宮れい子 役
  • 殺られてたまるか(日活、1964年11月11日) - 桂子 役
  • 大日本コソ泥伝(日活、1964年12月6日)
  • 現代悪党仁義(日活、1965年2月3日) - 桜満由子 役
  • 青春の裁き(日活、1965年4月14日)
  • 涙をありがとう(日活、1965年4月29日)
  • 夜霧の脱出(日活、1965年6月9日)
  • 明日は咲こう花咲こう(日活、1965年8月14日) - 田中美代子 役
  • 大日本殺し屋伝(日活、1965年8月25日)
  • 東京は恋する(日活、1965年9月18日)
  • 怪盗X 首のない男(日活、1965年10月23日)
  • ぼくどうして涙がでるの(日活、1965年10月30日) - 太田正子 役
  • 結婚相談(日活、1965年11月23日) - 鶴川美津子 役
  • 源氏物語(日活、1966年1月14日)
  • この虹の消える時にも(日活、1966年1月27日)
  • 愛して愛して愛しちゃったのよ(日活、1966年2月5日)
  • 鉄火場仁義(日活、1966年2月12日)
  • 賭場の牝猫 捨身の勝負(日活、1966年3月12日)
  • 哀愁の夜(日活、1966年3月27日) - 浅沼町子 役
  • 涙になりたい(日活、1966年5月18日)
  • 私、違っているかしら(日活、1966年7月30日)
  • 仁侠八方破れ(日活、1966年10月22日)
  • 夢は夜ひらく(日活、1967年1月14日)
  • 新・男の紋章 若親分誕生(日活、1967年2月4日)
  • 恋のハイウェイ(日活、1967年3月11日) - 浜野節子 役
  • 秩父水滸伝 影を斬る剣(日活、1967年4月8日)
  • 大巨獣ガッパ(日活、1967年4月22日) - 小柳糸子 役
  • 花と果実(日活、1967年8月26日) - 長谷川夫佐子 役
  • みな殺しの拳銃(日活、1967年9月6日)
  • 錆びたペンダント(日活、1967年9月14日)
  • 君は恋人(日活、1967年11月3日) - 山本葉子 役
  • 赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男(日活、1967年11月3日)
  • 愛は惜しみなく(日活、1967年12月3日)
  • 関東刑務所帰り(日活、1967年12月3日)
  • 花の恋人たち(日活、1968年1月3日) - 伊吹万千子 役
  • 藤猛物語 ヤマト魂(創映プロ、1968年2月13日)
  • 青春の風(日活、1968年3月30日) - 小林峰子 役
  • 残侠無情(日活、1968年4月20日)
  • 嵐の果し状(日活、1968年8月1日)
  • 鮮血の賭場(日活、1968年8月14日)
  • だれの椅子?(日活、1968年8月28日) - 後藤光子 役
  • 青春の鐘(日活、1969年1月11日)
  • ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓東宝、1969年1月15日)
  • 恋のつむじ風(日活、1969年3月12日)
  • 昇り竜 鉄火肌(日活、1969年3月29日)
  • 野蛮人のネクタイ(日活、1969年5月1日)
  • 博徒百人(日活、1969年5月14日)
  • 日本残侠伝(日活、1969年8月9日)
  • 夜をひらく(女)の市場(日活、1969年9月3日) - 平野梅子 役
  • やくざ番外地(日活、1969年9月13日)
  • 涙でいいの(ピロ企画、1969年11月1日)
  • 朱鞘仁義 お命頂戴(日活、1969年12月17日) - 小雪 役
  • 嵐の勇者たち(日活、1969年12月31日) - 理江 役
  • 盛り場流し唄 新宿の女(日活、1970年5月30日)
  • 三人の女 夜の蝶(日活、1971年4月24日) - 小島君子 役
  • 女の意地(日活、1971年5月5日) - 静江 役
  • 華麗なる一族(東宝、1974年1月26日) - 万俵早苗 役
  • 怒れ毒蛇 目撃者を消せ(松竹、1974年2月16日)
  • 撃たれる前に撃て!(松竹、1976年6月26日)
  • 八つ墓村(松竹、1977年10月29日) - 多治見春代 役
  • 必殺!5 黄金の血(松竹、1991年12月23日)
  • デンデラ東映2011年6月25日) - 浅見ヒカリ 役
  • フローレンスは眠る(2016年3月5日) - 牧羽早苗 役[10]
  • 無限の住人(2017年4月29日) - 八百比丘尼 役
  • 空と海のあいだ(2017年5月6日) - ナンシー桜 役
  • ソローキンの見た桜(2019年3月22日) - 高宮菊枝 役
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『恋の浮島』

2024年02月19日 | 映画

ポルトガルと日本の合作映画だが、ほとんどは日本側で作られた作品で、撮影の岡崎宏三さんによれば、日活スタジオで撮った日本側の映像と、ポルトガルで撮影した部分の調子を合わせるのが大変だったとのこと。

            

主人公は、ポルトガルからマカオを経て神戸、そして徳島に来たモラエスの伝記映画で、彼は海軍士官だったが、日本の文化や事情を本国の新聞等で紹介した人だった。

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンもそうだが、欧州に人間には、非西欧的文化に強い興味を持つ者がいる。英国の監督デビット・リーンもそうで、彼の題材は、アラブ、アイルランド、ロシアと非西欧世界で、日本の女優岸恵子を気に入り、本当は彼女を主役に映画を撮るつもりだったそうだ。

さて、モラエスについては、結構伝記本があり、その一つは横浜市図書館にもいた佃実夫さんの『わがモラエス』だった。私が図書館に行ったときにはもういなかったが、かなり変わった人だったらしい。

また、モラエスについては、朝日カルチャーセンターでポルトガル語をやった時に、堤さんという方が研究されていた。堤さんは、商社にいてポルトガル語は完璧で、マカオに行って、モラエスについて調べたりしいて、

「佃さんの本の間違いを見つけたよ」と話されていたが、すぐに病気で亡くなられたので、聞くことはできなかった。

モラエスは、神戸で芸者お花(三田佳子)と知り合うが、お花は亡くなり、彼は徳島に行く。

ここでも、若い女性と知り合い、子もできるので、やはりモラエスは、魅力的な男だったようだ。

岡崎さんによれば、監督のパウル・ローシャの撮り方は、昼に何度も稽古をして演技を固めて、夜にワンシーンワンカットで撮るというもので、「まるで溝口健二みたいだ」とのことだったそうだ。

音楽がとても良かった他、美術も大変丁寧に再現されていた。

ただ、全体に長いのは参った。

 

 

 

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『ダイヤモンドは傷つかない』『二十歳の原点』

2024年02月18日 | 映画

私は、「藤田敏八、ベケット説」で、『ゴドーを待ちながら』のように、うろうろしているが、いきなり破局が来るのが藤田の映画だと思っている。

             

ここでは、予備校の教師山崎努が、妻朝丘雪路がいながら、帽子デザイナーの加賀まりこ、そして学生の田中美佐子との間をうろうろするもので、田中を「宝物」と言い、「50年たったら結婚しよう」とも言う。

実に自分勝手で、いい加減な男だが、最後まで同じで終わる。ただ、田中は、学生と一緒になろする。

「なにこれ」と言いたくなる。実は、これと田中裕子主演の映画『ザ・レイプ』が東映系で2本立てで公開されて、そこそこ当たったのだ。

ダブル田中映画だが、東陽一の『ザ・レイプ』の方が、作品としてははるかに上だった。

田中美佐子をダイヤモンドとは言えなかったし、山崎努に愛嬌が不足していると思う。

前に見た『二十歳の原点』は、もともとは森谷司郎監督で進行していたのが、忙しくて大森健次郎になったそうだ。

実際の女性高野悦子の手記を基にしている。

主人公で立命館大生の角ゆり子は、全共闘のリーダーの大門正明に憧れるが、アルバイト先のホテルの係長地井武男にも恋焦がれ、学生の富川と最初の性交をしてしまう。

最後は、地井とのベッドシーンもあり、結構豊かな胸も披露してくれる。

それを見たのか、後に日活ロマンポルノの『嗚呼女たち猥歌』に出て驚かされたが、その後は辞めてしまったようだ。

津田京子や地井のように死んだ方もいるが、この角ゆり子と富川は、この後見なくなってしまう。芸能界で長く生きていることも大変なようだ。

国立映画アーカイブ

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東條英樹、暗殺計画

2024年02月17日 | 政治

CSで、山田朗先生の『軍人としての三笠宮』を見るが、この方は、戦時中に東條英樹暗殺計画に加担させられたことがあるそうだ。

 日本の歴代首相で、一番嫌われたのは東條英樹だろうが、戦争末期には、3つの暗殺計画があったそうだ。

             

1 高木惣吉らの海軍グループ

2 細川護貞グループ

3 津野田知重・牛島辰熊グループ

この内、最後の津野田とは、陸軍で旧知の仲だったので、計画書を見せられたことがあり、沈黙を黙認と見なした津野田は、実施に向かったが、サイパン島陥落で東條が首相を辞めたので、沙汰止みになった。

だが、憲兵隊の知るところとなり大問題になったが、三笠宮にもかかわるとのことで、大事にはならなかったようだ。

なお戦後、津野田は、東京12チャンネルの創設にも関わったとのことだ。

こうした三笠宮を、昭和天皇はかなり警戒していたようだ。

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佐久間健治さん、死去

2024年02月16日 | 横浜

いろいろな方の訃報が伝えられるが、先日、佐久間健治さん死去の報が息子さんから葉書で来た。91歳。

              

佐久間健治さんは、日本のコンケンション事業の第一人者であり、パシフィコ横浜の営業部長として、また横浜コンベンションビューローの常務として、私が長年にわたりお世話になった方だった。

佐久間健治さんは、高校までは山形県で、上京して早稲田大学文学部に入ると共に、東京税関に勤務された。

税関では、当時の日本の国際空港である羽田空港に勤務したほか、芝浦にあった輸入映画の保税倉庫に勤務したこともあったそうだ。

羽田空港では、「滑走路で相撲を取ったりして遊んだものだ」と言っておられたが、まだのんびりした時代だったわけだ。

だが、もともと海外で仕事をしたいという意欲があったので、1964年の東京オリンピックを契機に(特)国際観光振興会が設立されると応募して合格し、アメリカに赴任された。

アメリカでは、日本紹介の16ミリフィルムと映写機を積んで全米を飛びまわったそうだ。

そして、日本に戻られると、コンベンション事業の日本の第一人者として、日本での振興にまい進され、当時、パシフィコ横浜を拠点として横浜でコンベンション事業の展開を企画されていた、横浜市都市計画局担当部長の岡本坦氏と会い、横浜に迎えられた。

佐久間さんで、偉いと思うのは、自身が日本の第一人であるのに、

「日本にコンベンションの専門家なんていません。だから何をやってもいいのです」

とわれわれをいつも励ましてくれたことだ。

ウォーマッド横浜ができたのも、この佐久間さんと、同時に岡本坦さんの度量の大きさ、なんでも許してくれる器量だったと思う。

また、パシフィコ横浜でも、コンベンションビューローでも、私は佐久間さんの下でなんども新入職員の採用試験をやったが、女性に対して聞くことはいつも同じだった。

「あなたは、結婚して子供ができても、この仕事を続けますか」だった。

実に、女性に対しても公平なフェミニストだったと思う。

多くのことを教えられた先輩のご冥福を心からお祈りする。

 

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山の上ホテル、休業

2024年02月13日 | 東京

お茶の水の山の上ホテルが、休業するそうだが、閉鎖だろう。

               

大岡昇平によれば、日本の都市では企業などの民間の物はどんどん変わるが、公共の物は変わらないそうだ。

これもその一つで、いずれマンション等を含んだ建物になるのだろう。

ここに入ったのは、一度だけで、故下川博がNHKの仕事をしているときで、

「ここにいるから見に来い」とのことで行ったのだ。

当時は、NHKのスぺシアル番組の企画、脚本を書いていたときで、中国が題材だった。

例によって、スタッフの悪口で、下川のよくない癖だったが、大手の連中と仕事すると、すぐに彼らの悪口になるのだった。

私は思った「我々は、倉本聡や山田太一のような一流の人間ではないのだから、お相手をしてくれるスタッフも、それなりなんだから」

だが、彼は最後まで、考えは変えなかったようだ。

それも、素晴らしいことだったと今は思うのだ。

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市大病院は、やはり山下ふ頭に整備を

2024年02月12日 | 横浜

先週、用があって南区浦舟町の横浜市大センター病院に行った。

15年ぶりくらいだったが、その混雑に驚く。

横浜の市大病院と医学部は、もともとこの地にあったのだが、拡幅するために金沢の埋め立て地の福浦に移転させた。

だが、やはり金沢区では不便で、シーサイドラインを使かわないといけないので、次第に浦舟のセンター病院に戻って来ているようで、大混雑になっているのだ。

先日、発表された市大病院と医学部の移転整備計画では、さすがに医学部は、根岸の旧米軍住宅地区に整備するが、病院は、浦舟のセンター病院に作るのだそうだ。

センター病院の西側に緑地と駐車場用地があるので、そこに作るのだろうか。

            

それはいいとしても、やはり根本的には、山下ふ頭地区に、市大病院と医学部を整備するのが最上の作ではないかと思った。

そして、医学等の研究施設、先端技術企業等も誘致すれば良いのではないかと思うのだ。

もともと、市大病院を金沢区福浦に移転させたのは、シーサイドラインの乗降増加のためで、これは神戸のニュートラムも、最大の利用者は、神戸の市民病院の利用者であることにならった策だったので、市大病院は、どこでも良かったのであるのだから。

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武道館の小澤征爾

2024年02月11日 | 音楽

小澤征爾が亡くなったが、彼の指揮を見たのは、一度だけだと思う。

なんとそれは、日本武道館でのトロント交響楽団の公演だった。

たぶん、1960年代末で、兄から貰った招待券で行ったと思う。

武道館でクラシックなど、今では考えられないが、小澤は、NHK交響楽団とのトラブルがあったので、おそらく普通のホールでは公演できなかったのだと思う。

このときは、武満徹の曲もやったと思うが、さすがに良く憶えていない。

             

日本から出て、世界で活躍された方のご冥福を祈るが、確か最近、ピアニストの江戸京子さんも亡くなられている。

皆、もう忘れているが、江戸京子は、小澤の最初の妻であり、彼の活動を助けた方である。

お二人のご冥福を祈りたい。

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『その人は女教師』 

2024年02月10日 | 映画

映画は、見てみないと分からないものだと思う。

宮内富貴子脚本なので、だが映画『俺たちの荒野』以外、ろくなものがない出目昌伸監督なので、期待せずに行ったが、大変に良かった。

                

1968年10月21日、新宿は大騒乱で、一人列を離れてさまよっていた高校生に三船志郎は、偶然に出会った岩下志麻のOLのような女に抱擁・キスされて、機動隊の追及から逃れた。

そして、三船の三島市の高校の数学の新任教師として岩下がやってくる。

これは、校長の案ではなく、生活指導の戸浦六広のアイディアで、学生時代に運動をしていた岩下なら、学生に上手く対応できるだろう、「毒には毒を持って制す」だった。

三船の家は、地元の有名医師神田隆と一の宮敦子の夫婦、高校のクラスには、美少女の髙林由紀子、日活の不良の中沢治巳らがいて、高林と三船は一番親密で、彼らは常に学校と対立している。

岩下とのキッスが忘れられない三船は、岩下の上京にも付いていく。東京で保健婦をやっている母の北城真紀子と会うためで、北城は、いずれ三宅島に行くという。日活には、保健婦映画があり、芦川いづみや樫山文枝らが演じた。

まるでストーカーだが、岩下も三船が好きになり、仲間と借りている別荘で数日をすごし、もちろん性交にまで行くが、岩下のベッドシーンは吹き替えだろう。

そして、三船は、「いずれ20歳になったら結婚しよう」と宣言し、岩下も同意する。

家から出た三船は行方不明となり、学校にも来なくなり、騒動になる。

すると、神田と懇意の警察署長の清水元が、「岩下の三船への未成年者誘拐で告訴すれば良い」と神田に助言し、岩下は逮捕されてしまう。

取り調べで岩下は言う、「教師と生徒の問題で、男性教師と少女なら、いくらでもあり、問題にしないが、私が女で、生徒が男だから問題にされ、これは差別だ」と言う。

日本でも映画『若い人』から『エデンの海』に至るまで、先生と生徒の恋はいくらでもあるが、すべて男性教師と女生徒との恋だった。

ある日、岩下は、突然釈放される。三船が自殺したからだ。

三船の葬式に岩下が行くと、一の宮は言う、「息子を殺したあんたに焼香はしてもらいたくない」

その時、列席していた高林が出て来て、岩下の横に立ち、他の生徒も、受付の親戚との間に立つ。

大変に感動的なラストだった。

いつもは『陸軍中野学校』で、重い響きの池野成の音楽が、武満徹のようにメロデイアスで泣かせた。

この映画の良さのほとんどは、脚本の宮内のものだと思えた。元は、当時フランスに起きた実話だそうだが、そこでは女性が自殺したのだが、宮内は関係を逆にして成功した。

国立映画アーカイブ

 

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西河克己の偉さを思う

2024年02月09日 | 映画

早見優主演の映画『KID』を見る。1985年の公開時に併映の『ブレイクタウン物語』もひどいと思い、『ミュージック・マガジン』に書いたが、やはりひどい。

ここで思うのは、百恵・友和映画をヒットさせた元日活の西河克己の偉さである。

最初、東宝から山口百恵の映画の企画が来た時、ホリプロは「女学生映画」を考えていたそうだが、西河は、女学生ばかりだと百恵が目立たないと反対し、『伊豆の踊子』にしたそうだ。

早見優は、体は大きいが、まだ大人の情感はないので、それこそ「女学生映画」でもよく、女学生映画には、大成功ではないが、伊東ゆかりの映画『愛する明日』があり、そこそこ映画として成立していたのだから。

ただ、この愚策を見て、発見したことが三つあり、松尾和子と小坂一也がまだ生きていたこと、宍戸錠の映画『殺しの烙印』で、錠が最終の相手の南原宏治と会う海辺の桟橋が、横須賀港のものであったことが分かったのだ。

小坂一也が悪人で、最後早見優に伊勢佐木町で殺されるが、これは小坂と堀社長がロカビリー時代からの旧友だったからだろう。

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若山と勝新

2024年02月09日 | 映画

若山富三郎と勝新太郎は、言うまでもなく兄弟だが、その性格はかなり違ったようだ。

先日の『座頭市千両首』を見ると、若山は、最後であっさりと勝新に負けてしまうが、これは「座頭市は勝新の映画だ」と心得ているからだろう。

若山は、勝新の後を追って映画界に入ったが、新東宝、大映、東映と必ずしも順調な歩みをしたわけではない。

そうした経験が、生かされたのが、黒澤明監督の『影武者』の時である。

当初、この企画で東宝では、勝新と若山の共演でやるつもりだった。当時、東宝では、勝新の『座頭市』と若山の『子連れ狼』がドル箱だったからだ。

だが、このとき、この企画を若山が断った。

「勝と黒澤が組んだら、きっと喧嘩になる。その時、俺が仲裁役になるのはご免だ」

これは、彼の予想通りになって、撮影1日目で、勝新の解任となる。

これは、普通に言われているように、勝新がビデオを廻していたからではない。

準備の段階で、黒澤も勝も、全国のロケ地を現地視察に行った。

そして、昼が終われば、当然にも夜は宴会になる。

そのとき、黒澤明の言うことは、昔話ばかりで、次第に周りに人がいなくなった。

対して、勝新は、いつも話が面白いので、次第に宴会は、勝新中心のものになり、黒澤明は極めて不愉快になる。そうした中でも、黒澤明の傍にいて大声で笑っていたのは、仲代達矢だったそうだ

彼には、『七人の侍』以来の恩義があったからだ。

そうした、不穏なスタッフ、キャストの雰囲気の中で、東宝のスタジオでの撮影になった。

そして、勝新の解任と仲代達矢の代役になったのである。

これについて、『無法松の一生』で勝新を使ったことのある堀川弘通は言っている。

「勝新は、どこまで黒澤明が許容してくれるのか試して失敗したのだ」と。

「彼は、物が読める人間であり、『無法松の一生』の時は、借りて来た猫のように大人でぃくてなにも起さなかったのだから、そこを見誤ったのだ」

『座頭市』等で大成功していた勝新と、『トラ、トラ、トラ』の解任以後、追い詰められていた黒澤明との差である。

 

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「女中映画」

2024年02月08日 | テレビ

かつて日本には、女中映画と言うジャンルがあった。左幸子の『女中っ子』が典型だが、若水ヤエ子の「女中シリーズ」もあった。小沢昭一によれば、女中と言うのは、「お女中」と言うように尊敬語だったが、いつの間にか差別用語になった。

ただ、つい最近まで、女中は普通にいたもので、私の元妻の家でも、そう裕福ではなかったようだが、いつも女中がいたそうだ。それだけ、若年の女性の人件費が安かったからだろう。

だが、差別用語のなったので、1976年の森昌子主演の映画化に時は、左幸子と同じ原作なのに、『どんぐっ子』に替えられた。

             

最近の女中映画と言えば、テレビの市原悦子主演の「家政婦は見た」シリーズである。

これは、テレビ、マスコミが持っている「のぞき見」的本質をよく生かしたシリーズだったと思う。

世田谷線沿線にある家政婦紹介所にいる市原悦子主演で、主に富豪の家の裏を暴く筋になっている。

録画で2本見たが、一つは衆議院議員長門裕之の家と、その死後に、実の息子と秘書のどちらが後継者になるかで、佐藤B作のやりすぎ演技が大いに笑えた。

もう一つは、往年の大女優大空真弓の、カムバック映画の制作を巡るドラマで、監督が藤田敏八、製作は村井国夫で、その他カメラマンとして中尾彬等が出てくる豪華キャストで、意外な新人女優がデビューするかという、『女優志願』的ストーリーだった。

どちらも、最後の結論を出さないのは上手いと思えた。

見る者の興味は、家ののぞき見にあるわけで、最後はどうでも良いからだ。

製作の柳田博美は、大島渚のテレビ映画もやった方だが、大映テレビで活躍されていた。

藤田も、最後は役者で結構やっていたんだなあと思って見た。

 

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