指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『野獣を消せ』

2020年01月30日 | 映画
長い間見たかったのがやっと叶った。期待に違わぬ爽快な傑作である。
1965年、脚本は永原秀一、監督は言うまでもなく長谷部安春。

          

アラスカからハンターの渡哲也が戻ってくる。
その前に、米軍基地の町で少女が、ジープやバイクを乗り回している不良に襲われて自殺するシーンがある。
少女は渡の妹で、彼は叔父で自動車修理工場をやっている鶴丸睦彦のところに居候する。
不良グループのリーダーは藤竜也で、情婦は集三枝子、スリムなジーンズ姿がかっこいいが、彼女はモデルでカバーガール出だった。
川地民夫や杉山俊夫、尾藤イサオらがメンバー。
彼らは、高級車に乗っていた女性藤本三重子の車にいたずらしようとするが、渡に追い払われる。
二人はクラブに行くが、その店の奥で、藤らは基地から入手した酒を売って稼ぎにしている。
不良たちは、しつこく藤本に絡み、暴行しようとするが、藤本は「私を誘拐して父親から金を取っては」と提案する。
父の清水将夫は有名な政治家なのだ。誘拐電話を使い基地周辺の森林をバイクで逃げて警察から逃げ、1,000万円を取る。
だが、バックを開けると、たった10万円で、あとは紙くず。
「お前は10万円の価値だ」という藤竜也。
その時、渡は一味の少年が妹のペンダントを持っていることに気付く。
やはり、この連中が妹を強姦して死に追いやったのだ。
そこから渡哲也と、藤竜也、川地民夫らの戦いになる。
渡は、猛獣用の罠を仕掛け、さまざまな物を使って一人づつ殺していく。
川地民夫をライフルで撃つと、内臓が出ているのが笑えた。
最後、全員を殺して終わり、藤本も「父のところに戻って戦うわ」という。
だが、そこはなんと米軍基地内で、米軍のMPが来て、渡と藤本を包囲する。
渡は、ライフルを両手で掲げてギブアップのポーズ。
日本は、米国の下にあることを描いた優れたエンドだった。
神保町シアター

黒木和雄3本

2020年01月30日 | 映画
国立映画アーカイブの「戦後ドキュメンタリー映画特集」 黒木和雄の『炎』『恋の羊が海いっぱい』『わが愛北海道』の3本.
『炎』には、映画『海壁』の第二部で、ルポルタージュのサブタイトルがついている。
ルポルタージュも、以前はよく使われた表現で、カメラルポルタージュというのも使われ、早稲田にもカメラルポルタージュ研究会というのもあった。
『海壁』は、横須賀の東電火力発電所の基礎工事を描いたものらしく、この二部では中心施設のボイラー、発電タービン、変電施設等の建設過程が記録されている。
冒頭に、炎の中で踊る男女の姿があり、諸所にも挿入される。
要は、炎が電気を作ると言うことなのだろう。
巨大なボイラーと内部の無数のパイプ、そこに海水を純水にしてパイプに流す。一方、海から石炭と石油を上げて、石炭は粉砕して粉にし重油と混ぜて500度に燃焼させる。できた蒸気でタービンを高速回転させて発電し、変電して高圧送電線で東京に送る。
解説は長門裕之、音楽は松村禎三で、大掛かりな楽団の演奏である。
シネスコ・カラーで、映倫マークも付いているので、一般館でも上映されたようだ。

次の『恋の羊が海いっぱい』になると黒木の才能が爆発する。これはペギー葉山を主人公にしたミュージカルなのだ。
ペギーが歌う東京の街角から、お針子の部屋、さらに緑の牧場へと忙しく転換するが、到底記録映画には見えない。
音楽は、小野崎孝介、詩は谷川俊太郎。
お針子で当時の若手女優が多数出てくるが、久里千春、五月女マリ、水垣洋子、そして言うまでもなく後に真理明美になる及川久美子。
牧場で出てくる鰐淵晴子のような女優は誰かと思うと、岡乃桃子で、松竹の女優だったらしい。




最後の『わが愛北海道』は、まことに凄い作品で、北海道へのラブレターというか、アジテーションのような詩である。
ナレーションの原稿は劇作家清水邦夫、音楽はいつもの松村禎三で、これも非常にパセテックというか華麗なピアノ曲。
冒頭に小樽のニシン小屋のことが出て、すぐに札幌の主人公関口正幸になるのが唐突だが、本当は関口と及川久美子との全裸のシーンがあったが、北電の重役が激怒してカットされたとのこと。
コンサルの関口が、北海道の産業、農業、漁業、石炭、発電、港湾開発、製材等の将来の発展をまさにラブレターのように歌いあげる作品である。
及川は、小樽の靴工場の女工で、諸所に出てきて、関口と結婚し、ハッピーエンドに向かう。
ここで賛美された北海道の産業のほとんどが現在ではみな駄目になったが、中では長崎から移住してきた若者のパイロットファームが、その後どうなったのかが一番気になるところである。
及川久美子は、前の『恋の羊が海いっぱい』など、いろいろな作品に出ていたのだが、映画『モンローのような女』のオーディションで選ばれて真理明美として主演し、松竹の作品に出た。
しかし、真理は、モンローのような肉体的な女優ではなく、ヘップバーンのような感じだったので、大成しなかった。
ただ、その後映画監督須川栄三と結婚し、彼のフリーになってからの映画製作に大変に貢献したようだが、2017年に亡くなられた。



「相撲は演劇だ」を思いだした 徳勝龍、優勝

2020年01月27日 | 相撲
大相撲初場所は、幕内の徳勝龍の初優勝で終わった。
場所中、「序盤で二人の横綱が休場になったので面白くない」という人がいたが、なにを言っているんだと私は思っていた。
きっと大波乱になると思っていたら、その通りになった。
「相撲は演劇である」と言ったのは、国文学者の折口信夫先生で、『日本芸能史ノート』に書かれている。
「相撲は、神と聖麗の戦いであり、農業の吉凶を占う行事、演劇」なのだそうだ。

今場所の勝負は、14日目の徳勝龍・正代、貴景勝・朝乃山戦で決まったと思う。
徳勝龍・正代戦は、上位の正代の勝ちと思われたが、意外にも正代の腰高で徳勝龍の勝になった。
続いて、貴景勝・朝乃山戦も、朝乃山の粘りで貴景勝が負け、「これは千秋楽であるいは・・・」と思った。
本来、相撲はボクシングやレスリングとは違い、「倒れたら負け」という競技なので、滑って転んでも負けで意外性の起こりやすいものなで、ドラマ的なのである。
要は、土という穢れにまみれたら負けで、きれいなことが勝ちなのだ。

私の兄は、若乃花のファンで、姉は栃錦が好きで、私は鏡里が好きだった。
鏡里は、あまり強くない横綱だったが、なぜか好きだった。
そう考えると、徳勝龍は、どこか鏡里に似ている気もする。

          

私の贔屓の栃の心の成績が良くないのは残念だったが、人気の炎鵬を釣り上げた一戦などは、さすがと思われた。


安江仙弘と四天王延孝 『日本人にとってエルサレムとは何か』

2020年01月26日 | 政治
『日本人にとってエルサレムとは何か』の5回目として、安江仙弘と四天王延孝の話があった。日本女子大の臼杵陽先生。
どちらも普通の人には有名ではないが、安江は「河豚計画」の提唱者として知られているかもしれないが。

                 

この河豚計画とは、戦前に満州国にユダヤ人を移民させて国を発展させようとするもので、日産の鮎川義助は賛同し、工場を国内から満州に移した。
この鮎川らの意図は、満州国を使って日米戦争を回避させるものだった。

ユダヤ人国家をどこに作るかは、様々な議論があり、中央アメリカやアフリカなどのもあり、現在のパレスチナのみではなく、その一つとして満州国もあったのだ。
安江は、陸軍の情報将校で、陸軍の上層部に実際に提案もしている。
今から考えるとユダヤ人の満州国移民など荒唐無稽に聞こえるが、当時は本気で考えられていたのだ。
そして、安江は実際1930年にパレスチナのキブツに行っている。
キブツも、1960年代は将来の社会の理想形態と考えられていて、多くの若者が行ったものだ。
横浜にいた新聞記者のK君も学生時代にキブツに行っていたが、聞くと非常に否定的だった。
だが、ソ連や中国の集団農場と共に、イスラエルのキブツは非常に注目されていた。
それは寺山修司も同じで、映画『書を捨てよ、町に出よ』の中で、
平泉征に『家族は将来はなくなり、集団的雑居になる」と言わせている。

四天王延孝も、陸軍将校で、ユダヤ人問題について多数の著作を書いた人だそうだが、臼杵先生によれば完全な反ユダヤ思想の人のようだ。
横浜朝日カルチャーセンター

『創価学会・秘史』 高橋篤史(講談社)

2020年01月25日 | その他
私が生まれ育った東京大田区池上は、言うまでもなく本門寺の門前町で、同時に創価学会が非常に強い地域だった。
現在の会長池田大作氏が生まれたのも大田区大森であり、多くの幹部は大田区で教員だった人が多い。
この教員というのも、創価学会の特徴の一つで、初代の会長牧口常三郎、二代目の戸田城聖も、教員だったことがあるのだ。
しかも、この二人は、共に北陸の港町の出で、元は裕福な家だったが、その後没落して北海道に移住するという家の子だった。
これは、江戸から明治時代に代わり、日本の流通システムが変わり、かつての北前舩による日本海岸の交通が減ったからだろうと思う。
また、教員というのも、地域の子供たちと直接に触れあうもので、そのエリアの経済的貧困等を感じるものだったと思う。
彼らが、そうした地域の貧困層に対し、貧困から抜き出るために説いたのは、教育と信仰であるのも当然と言えば当然だろう。
出版事業を手掛けた戸田が出してヒットとなったのは、算数等の参考書で、これは当時では、上流階級に行く関門の一つだった中学への入学試験への本だった。
そして、牧口、戸田の二人は、当時の様々な宗教、修養団体を遍歴しているのも、大変に興味深いことである。
おそらく現在よりもはるかに多くの新興宗教団体があったようだが、それは現在と異なり、生活保護、国民健康保険、年金などの行政の福祉制度が不備だった戦前まで、自己と神に頼むしか、貧・病・災を逃れる方法はなかったからだ。
さらに、満州事変から太平洋戦争への戦争の時代の中で、死を逃れる方法としての信仰は大いに「能力」を発揮したに違いない。
例が出ているが、「日蓮宗の信仰があったので、全滅の戦場でたった一人生き残った」等の話が流布されて信者の拡大に役立ったのだ。
死んだ者は、神社のお札を身に着けていたので、敵弾に当たった等である。
まさに迷信というしかないが、生か死かの戦争の時代ではリアリティのある話だったと思う。
ただ、この本の欠点は、草創期の牧口と戸田の事情は詳しく描かれているが、昭和初期の拡大期の学会の理由は、あまり触れられていないことだろう。

さて、戦時中の学会の言動についても、非常に厳しく書かれていて、決して「平和の党」ではなく、積極的に戦争に協力した団体の一つであるとされている。
一庶民にすぎなかった牧口や戸田が、戦争体制を批判する視点を持っていなかったのは当然である。
それは、映画で見れば黒澤明が、映画『一番美しく』で、戦争を賛美したことと同じである。渋谷陽一は、同作品を反戦映画と言ったそうだが、本当にバカ者である。

                 

戦後、学会は、軍隊的組織体制を作り、自己拡大と他団体攻撃に向かっていく。
そこには、竜年光、柏原ヤス、和泉覚、森田悌二等の名前が出てくる。
彼らは、みな後に議員になって活躍した連中である。
森田悌二など、どこかで聞いた名前だと思っていて調べると、鶴見区の市会議員だった。
学会は、当初は無所属で、次には公明政治連盟の名で、選挙に出て次々と当選していった。
このため、役所がやっていた「公明選挙運動」は、名が紛らわしいと、明正選挙と変えたくらいだ。
公明党・創価学会の地域の力は大変なもので、同じく庶民層に支持基盤を置いているはずの共産党とは比較にならない。
横浜市の三つの区で勤務した経験でも、生活保護等で助言・指導していた公明党の議員は多いが、共産党はほとんどいなかった。
そのために、自民党の議員、町内会長、商店会会長等の連中が一番嫌うのは、共産党でも民主党系の人間ではなく、公明党に繋がる連中だった。
「あいつらは、働かずに行政に頼って生きている」と。
それは実態を見れば半分は正しいということになる。



『各駅停車』

2020年01月24日 | 映画
東京映画の「駅前シリーズ」の1本、森繁久彌のSLの運転手と万年助手の三木のり平のコンビの話。
高崎駅なので、八高線や他の路線で撮影されているようだが、1965年のこの時期は、首都圏でも多くのSLが使われていたのだ。
森繁の妻は、森光子、のり平は独身だが、少し年がいっているように見える。本当は、もう少し若い人間だと思う。
森繁らが行く飲屋の女将が岡田茉利子で、息子は東京に行っていて一人で暮らしている。
駅の管理職山茶花究から、森繁に退職勧告が出るが、森繁は死ぬまで運転すると言ってきかない。



「俺は、運転ならなんでも知っていると言い」ナポレオンと呼ばれている。
この頃、国鉄では定年退職はなかったのだろうと思う。1972年に私が横浜市役所に入った時、定年退職制度はなかったのだから。
ナポレオンも今では言われなくなったことだが、昔は英雄の代名詞だった。

途中で事故が起きるなどの挿話もあるが、全体にドラマ性は薄く、松竹蒲田的であるのは、脚本松山善三、監督井上和男が元松竹だからだろう。
カメラが岡崎宏三で、さすがに良い。特にSLの狭い運転台での撮影などは岡崎の得意な分野である。
最後、森繁は退職を決めるが、視力が衰えてきたからだった。
のり平が好きな鉄道病院の看護婦は有田双美で、この女優は日活の吉永小百合の作品でよく見た女優である。もちろん、のり平は降られる。
最後、森繁とのり平は、川に潜って岩魚取をするが、二人とも褌。

昔、ロシア語通訳の米原万理の講演で、彼女の父で共産党の国会議員だった米原昶氏も、褌だったと言っていたが、この頃の日本人の親爺は皆パンツではなく、褌だったのか。
日本映画専門チャンネル

石井輝男2本 『徳川いれずみ師・責め地獄』『やさぐれ姉御伝・総括リンチ』

2020年01月23日 | 映画
昔、石井輝男がテレビで話していたが、彼は新東宝での助監督時代、渡辺邦男の組についた。
それはエノケンの喜劇だったらしいが、撮影の休憩中に、つい「先生はなんでこんなくだらない映画を作るんですか、もう少しましな映画を作ってはどうですか」と聞いてしまった。
すると大監督の渡辺邦男が怒って、「石井、それなら俺が200本を超える映画を作ってきた理由を言ってみろ!」と怒鳴られた。
そこで石井が「先生は、モラルだけはきちんと守られているからじゃないですか」と答えると先生はにっこりして、
「そうだ、石井、俺もこんな映画は本当は作りたくないんだ」
そこで「先生の作りたい映画はなんですか」と石井は聞くと、
「マルクスの『資本論』だよ」と答えたそうだ。
渡辺は、早稲田大学時代は、後の浅沼稲次郎らと共に建設者同盟にいたマルクス主義者だったのだからおかしくはないのだ。

         

石井輝男の映画もエロ・グロ・ナンセンスだが、ラストはいつも勧善懲悪であり、モラリストなのがおかしいのだが。
『徳川いれずみ師・責め地獄』も、『やさぐれ姉御伝・総括リンチ』も、女の裸が乱舞し、サド的な暴力や凌辱が横行する。
だが、どこかユーモラスで、時には笑ってしまうものになっている。
『徳川いれずみ師・責め地獄』は、刺青師の兄弟弟子の吉田輝男と小池朝雄の戦いで、江戸から長崎に女は連れて行かれ、外人によって海外に売り飛ばされる。
ここで注目されるのは、長崎の町のカスバのような雰囲気で、石井の作品によく出てくる。
これは戦争中に石井が、中国各地を従軍した体験にもとずくエキゾシズムのように思える。

『やさぐれ姉御伝・総括リンチ』は、池玲子主演のスケバンもので、時代がよくわからないが、荒唐無稽で適当なところは石井らしい。
最後、倉庫のようなところで名和宏や遠藤達雄らと悪とのアクションが展開されるが、二階のロビーにずらりと上半身裸の女が並ぶのは、日本映画史で初めてのことだろう。
ただし、この時も一之瀬レナだけは裸にならず、別格だったのだろうか。
多くの女優が、日活ロマンポルノでも見る女優で、これは京都撮影所だが、多摩川の日活スタジオでも仕事をしていた女優はたくさんいたことが分かった。
阿佐ヶ谷ラピュタ

『アラビアのローレンス』

2020年01月21日 | 映画
これを見るのは、5回目で、今回で脚本のロバート・ボルトやマイケル・ウィルソンが描きたかったのは、休憩の後の後半だと分かった。
前半は、映像と音楽、アクションで見るものを十分に魅了した後、元左翼の二人のシナリオライターは、アラブをめぐる世界の事情を明確に描いている。
その意味で、前半はサイレント映画のような作りだが、後半は演劇のような台詞劇になっている。
さすが、ロバート・ボルトだと言える。

                   

第一次大戦中、カイロの英軍司令部のローレンスは、風変わりな変人とされていたが、ベドウィン族のアリーと共に、ネフド砂漠を渡ってトルコが占領していた港のアカバに達し、町の背後から攻撃して成功する。トルコ軍の大砲は、海にしか向いていなかったからだ。
さらにシナイ砂漠を横断してカイロに戻ってくると一躍英雄になり、司令官は、ローレンスを少佐に昇進させる。
カイロの英軍の大多数は、皆現地の植民地官僚になっていて、冒険などする気はない状態だったからだ。
さらに、トルコの巡礼鉄道も破戒し、ローレンスの活躍は誰の目にも明らかになる。
この前半の戦闘の過程で、アラブが部族社会であり、他の部族は互いに無関係で、民族はおろおか国民意識などまったくないことが明らかにされる。
また、完全な競争社会で、そこから落ちた者は、誰も助けないという非人間的な社会でもあることが明示される。
封建社会まではそうしたもので、この時期のアラブ社会は、日本でいえば戦国時代のようなものだったと言えばわかりやすいだろうか。

休憩後の最大のドラマは、ローレンスたちのダマスカスへの侵攻で、ここで作者たちは、「戦争の狂気」に落ちていくローレンスを描いている。
英国の正規軍との、ダマスカスへの競争でローレンスは、トルコ軍の捕虜の殺戮するなど、自分の信条である「捕虜のジュネーブ協定」の扱いを破ってしまう。
さらに、トルコ軍に捕まり、軍人に凌辱されてすべての信念を失ってしまう。

ダマスカスには、英国軍も来て、アラブ国民会議が開かれるが、部族対立で、会議は紛糾し、それを英国はなにもせずにただ見て放置している。
アラブの諸族が町から去るとき、英軍司令官は言う「初戦は流浪の民だ」
人類史的に言えば、農耕も牧畜も、このアラブで始まったのだが、その後の砂漠化で農耕はなくなり、遊牧と商業の地になってしまったのだ。
結局、この地域は名目的にはアラブの地になったが、インフラ等はイギリスの運営するものとなる。
ロレンスが反対したように、イギリスとフランスは、大戦中に締結した「サイクス・ピコ協定」で、戦後北はフランス、南はイギリスの分割支配することになる。
すべて絶望してローレンスはイギリスの戻るところでエンド。
ここには、イギリスのアラブ人とユダヤ人との「二枚舌外交」についてあまり描かれていないのは、製作のサム・スピーゲルがユダヤ人だからだと私は思う。
上大岡東宝シネマズ





『弁天小僧』

2020年01月19日 | 映画
『弁天小僧』を最初に見たのは新宿昭和館だろうと書いたが、調べると大森のみずほ劇場で、1977年10月だつた。
渡辺祐介の『新宿馬鹿物語』を見行って、これはつまらなかったが、伊藤大輔先生の趣向の新しさに驚嘆したのだった。
このみずほ劇場は、主に松竹系で、邦画の古いものを上映していて、『活弁物語』という、伴淳、アチャコ、徳川無声などが出た松竹京都の映画も見たことがある。
監督は福田晴一で、この人は松竹京都撮影所が閉鎖されるとピンク映画に行った方である。

               

このように、昔は名画座ではなくて、古い映画を上映する館は多かった。
今のBS,CSが雑多な作品を放映しているように、毎週異なる映画を上映するためには、少し古いものも上映しないとプログラムに穴があくからだったと思う。
いずれにしても、1980年代まで、東京、横浜にもこうした映画館はかなりあり、映画ファンは雑多な作品が見られたことに感謝したいと思う。

『切られ与三郎』

2020年01月17日 | 映画
昨日見た『弁天小僧』が最高に面白かったので、同じ趣向の『切られ与三郎』を見に行くが、これも大満足だった。



話は、源氏店の切られ与三郎で、お富さんが囲われている源氏店に与三郎が、昔のことをネタに強請に来るところが最大の見せ場だが、その前後、さらに後も非常に面白い。
まずは、芝居小屋で三味線を弾いている与三郎の市川雷蔵が、出ている役者が下手で嫌だと一座を辞めるところから始まる。
戻ってきた長屋で、ばあやの浦辺粂子との会話で、蠟燭屋に子ができなくて養子に入ったが、なった途端に子ができて邪険にされたいきさつ、雷蔵は蠟燭屋が嫌で放蕩をしていることが簡略に語られる。
そこに妹のお金(富士真奈美が可愛いい)が来る。お金は、雷蔵を心底慕っていることが分かる。

芝居の一座を辞めて、与三郎は上総木更津で、心内流しているが、その三味の上手さに漁師の親分(潮万太郎)の妾のお富(淡路恵子)に目をつけられる。
潮は、下品で粗野な男で、深川の芸者だったお富は耐えれれず、潮が旅に出て不在だった隙に、自然と与三郎とできてしまう。
それを知った潮は、二人を折檻し、雷蔵の頬に大きな切り傷を付けて、簀巻きにして海に投げ込む。

すると、中村玉緒の旅役者一座が海岸で発見して雷蔵を助け、彼は一座の人間となるが、ある日突然に姿を消す。

そして1年後、信州の温泉で雷蔵が新内を流していると、宿にいる玉緒と再会する。
玉緒は、座主だった父親がやくざ者に殺され、一座は解散し、今はやくざ者の女になっている。
「もうこんなことは嫌だからと、夜来てくれ、一誌に逃げよう」と真剣に言う。
夜、宿に行くと玉緒の傍らで、やくざ者は寝ているので、「酒で寝かしたのか」と聞くと「殺した」と良い、首に紐がまかれている。
そこにヤクザの子分が戻ってきて大殺陣になり、玉緒は「この人が殺した!」と雷蔵を裏切り、自分もやくざ者に殺されてしまう。

なんとか江戸にもどった雷蔵は、頬かむりで傷を隠して生きている。
そして、浦辺と会い、かつての蠟燭屋は、義母村田知暎子のものになっていて、その兄弟で大阪からきた小沢栄太郎が実権を握り、お金を旗本の嫁にして自分が幕府の御用商人になろうとしていると聞く。
なんとしてもお金を救おうとする与三郎は、まず源氏店で、小沢の妾になっているお富に会い、有名な場面を再現する。
頬に蝙蝠の刺青のある蝙蝠安の多々良淳とも、お富を強請り、脅し、お金を嫁に行かせなくする計画を打ち明ける。
と、お富は、与三郎を裏切り、小沢に伝え、小沢はお金の嫁入りを急かせる。
その夜、淡島神社にお参りに来たお金と与三郎は再開するが、言うまでもなく、御用提灯の波が寄せてくる。
与三郎は、すべての女に裏切られた不運な男として伊藤大輔は描いている。
お金から、兄の与三郎以外に結ばれる男はいないと告白された与三郎は、
「お前だけが、俺を裏切らなあった」と二人で、海に進んでいく。

例によって伊藤大輔先生得意の三角長屋、童唄、踊りのような振付芝居が心行くまで楽しく展開される。
これを見たのは、今度が初めてだったが、戦後の伊藤大輔作品で一番良いのではないかと感じられた。
江戸趣味、しかも化成期の頽廃した感じが非常によく出ていると思えた。
早速、ビデオを注文した。
横浜シネマリン


『弁天小僧』

2020年01月17日 | 映画
これが、映画の面白さだ。
これを最初に見たのは、たぶん新宿昭和館あたりで、途中に挿入される芝居仕立ての場面の面白さに驚いた記憶がある。
そして思ったのは、「伊藤大輔は若いなあ」ということだった。

話は、弁天小僧で、もちろん市川雷蔵が演じる。
対立するのが、旗本愚連隊の河津清三郎、須賀不二雄らで、雷蔵の方には、田崎潤、黒川弥太郎らがいる。
弁天が、大名の屋敷から救い出してくる娘が青山京子で、初め雷蔵はもちろん手籠めにしようとするが、なぜかできない。
不良少年の純情さである。
河津らは、品行不良が問題になり、叔父で老中の中村鴈治郎から、
「11歳の息子に家督を譲って隠居せよ」と命じられ、息子を浜松屋・香川良介の娘近藤恵美子と結婚させて身代も取ろうとする。
それを弁天らは、屋敷に乗り込んで潰すが、遠山金四郎の勝新太郎の手が迫っていて、江戸から逃走することになる。
「自分は、浜松屋の息子だった」ことを明かして、雷蔵は自害して果てる。
ともかく、監督の伊藤大輔をはじめ、出演者全員が歌舞伎を熟知しているので、筋の運びも非常に上手い。
最後の、河津の屋敷に乗りこむあたりから、ラストの雷蔵の自害への盛り上がりは最高!

続いて、田中徳三監督の『濡れ髪牡丹』も見る。前半は退屈だったが、後半は盛り上がるのは、さすが。
雷蔵と共演の京マチ子が上手いが、彼女の演技はすべて踊りである。
横浜シネマリン

市役所の先輩の村岡さんと一緒に見て飲んだ後、家に戻ると青山京子の死が出ていた。

        
84歳、言うまでもなく青山京子は、小林旭と結婚し手引退した。



渡哲也2本

2020年01月16日 | 映画
神保町シアターに行き、渡哲也映画を2本見る。『赤いグラス』と『あばれ騎士道』
『赤いグラス』は、1967年に蒲田パレス座で鈴木清順監督の『刺青一代』、井田探監督の『東海遊侠伝』の2本と3本立てで見たことがあり、あまり面白い記憶がなかったが、やはり駄目だった。
監督は一部で評価の高い中平康だが、私はそれほど良いとは思っていないが、この時期は本当にひどかった。
これが日活での最後になるのだが、非常に暗い作品であり、渡の相手役に小林哲子が出ているのが珍しいことくらいだろう。
小林は大柄な美人で、東宝の『海底軍艦』では、ムー帝国の女王を演じているが、若くして亡くなったようだ。

            

1965年の『あばれ騎士道』は、渡哲也のデビュー作で、宍戸錠の弟を演じる。二人はレーサーだが、車ではなくオートバイであることが時代である。
外国から宍戸とマネージャーの本郷淳が羽田空港に戻ってくる。
宍戸は、海外のレースで大金を稼いだので、日本ではレースに出る気はなかったが、スリに擦られたのでレースに出ることになる。
レースが行われるのは、大井オートレース場で、この時期はレース場があったのだが、壊されて今は駐車場になっている。

宍戸は、レースに不正がたくまれていることを知り、その若いレーサーに教えて上げるが、彼が渡哲也で、優勝する。
宍戸は父親の家に行くと渡がいて、二人は兄弟であることが分かる。と同時に兄弟の父の刑事が事故死していることを知る。
彼は、釣りに出て遭難したのだが、実は密輸船の捜査をしていたのだ。
密輸グループの親玉は、香港から来た二本柳寛で、日本での手下は、郷暎治、小高雄二らで、郷はホテル、小高はクラブを経営しているが、その上がりを二本柳に報告している。
二本柳が、「ホテルは、ボーリング場は?」と聞くので、思わず「映画は?」と聞くのではとみえたように、まるで日活の社長の堀久作のことのように思えた。
もちろん、宍戸と渡、さらに若手オートバイ連中の活躍で、二本柳、郷、小高らの悪事は暴かれ、悪は滅んで終わる。
中国人のダンサーで水谷良江、渡の恋人で松原千枝子、小高の愛人で東恵美子が出ていた。

監督は小杉勇で、音楽は勿論小杉太一郎。
言うまでもなく小杉勇は、名優だったが、映画監督するのが長い願望で、日活で叶えられたので、うれしくて仕方なく、
そのために「現場は非常に楽しかった」と白鳥あかねの本にあったが、そうした楽しさが感じられる作品だった。
対して、中平の現場は暗くてつまらなかっただろうと想像できた。

またも、白鳳が負ける

2020年01月15日 | 相撲
白鵬は確かに変だ。
下半身が安定していないように見える。歳と言えばそれまでだが。
ただ、遠藤は非常によくなったと思う。朝の山などの若手に刺激されたのだろか。

         

妙義龍7年ぶり白鵬から白星「ちょっと驚いたッス」
日刊スポーツ

<大相撲初場所>◇3日目◇14日◇東京・両国国技館 妙義龍が過去1勝20敗だった横綱白鵬から7年ぶりに白星を奪った。その7年前も初場所、2連敗で迎えた3日目と同じ状況。左からの突き落としが決まり「ちょっと驚いたッスね。たまたまですよ。体が動いた」。


『追憶のダンス』

2020年01月13日 | 映画
河瀬直美は、最初に見た『殯の森』が好きになれなかったので、この特集にも興味はないが、写真評論家西井一夫さんの死を描いたものだと言うので、見に行く。
西井さんの批評はよく読んでいて、最近見ないと思ったら、2001年11月に亡くなられていたのは、今回初めて知った。
彼が亡くなられた2001年11月は、私は脳こうそくで倒れて入院し、やっと退院してきたころなので、訃報を見逃していたのだろうと思う。

                     

今回の上映の後の写真家百々俊二さんの話では、西井さんは『カメラ毎日』編集部にいて厳しい批評を展開し、日々論争に明け暮れて、ウィスキーを流し飲むと言った生活だったとのこと。
そして、勝新太郎のように、2001年夏に咽頭がんが見つかり、最後杉並のホスピスに入院し、「あと2か月を河瀬に撮ってもらいたい」と百々さんに電話を聞いて直接電話してきたとのこと。
映像は、主にハンディカムで、8ミリも挿入されている。
膨大な映像を撮ったのだそうだが、西井の姿は、ほとんど痛々しいの一語に尽きる。

そして、今回の作品とトークを聞いて、河瀬監督は非常に思い込みの強い人だなと改めて思った。
こうしたタイプに、故劇作家の岸田理生がいて、私は非常に苦手だった。
ただ、生理的な岸田と異なり、河瀬は元はスポーツ選手で、健康的なのは良い。
今度の2020東京五輪の記録映画の監督をすることになったのだそうだ。
2020東京五輪には賛成できないので、誰が監督しても興味はないが、1964年の市川崑監督のような名作にはならないだろうと思う。
それは、監督としての優劣ではなく、時代の差である。
1964年は、日本が戦時中から戦後にかけて、文化映画、記録映画、ニュース映画が最高潮に達していた時で、それらのスタッフが総結集した結果があの名作なのだ。
山本晋也も岩波映画にいて、陸上競技班で撮影を担当したそうだ。
その後、文化映画、ニュース映画が衰退する中で、山本もピンク映画に行く。
ピンク映画というと、1962年に倒産した新東宝の人によって作られたと言われているが、それは半分で、ニュース映画、文化映画からの転向組も非常に多かったのである。
私の席の近くには、河瀬の類縁らしい男の子がいて煩くて不快。
国立映画アーカイブ

穴守神社に行く

2020年01月12日 | 東京
羽田空港線で、穴守稲荷神社に行く。
現在の羽田空港線は、昔は穴守線だが、現在のように空港の中まで延伸される前は、海老取川の手前で止まっていて、空港に行くにはバスに乗換えるものだった。

                

江戸時代から穴守稲荷は、大変ににぎわった歓楽街で、特に「あなもり」という名称から花街の女性に人気があったのだそうだ。
あなもりだから、花街の女性に人気があったというのは、日本人らしい洒落で面白い。
空港線穴守神社駅から歩いてすぐで、稲荷なので全国の稲荷神社と同じ稲荷神である。

東京の富岡八幡宮、横浜の厳島神社、そして穴守神社と、みな海のすぐそばにあったのが興味深い。
やはり、西の海の向こうから神が来るという信仰がここにもあったからなのだろうか。
現在で言えば、シーサイドリゾート的発想だとのいえるだろう。

夕方、黄金町のシネマジャックで『典座』を見る。曹洞宗青年会の助力でできたものだそうで、『バンコクナイツ』の富田監督の作品だったが、今一つだった。