指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『宮本武蔵』1973年 加藤泰版

2021年03月10日 | 映画
1973年に松竹で作られた加藤泰の『宮本武蔵』、武蔵は高橋英樹、佐々木小次郎は田宮二郎と、元日活、大映のスターである。お通も、元大映の松坂慶子だが、この頃は松竹になっていたようだ。

                                   
話は、吉川英治の原作によっているが、1本で作られているので、アクションが中心で、中村錦之助・内田叶夢版のように、求道するところはほとんどなくて気持ちがいい。武蔵の実像については、今日では吉川の小説には、異論もあるようだが、まあそれは良い。
関ヶ原の戦いに敗れた武蔵と又八(フランキー堺)が、野に潜んでいると、朱美(倍賞美津子)が来て、二人に会うところから始まる。
音楽が鏑木創で、タイトルが非常にカッコ良く、作品の疾走感を現している。

故郷の村に戻った武蔵に、村人は冷たく、大木に吊り下げられてしまう。一番に怒るのが、又八を置いて一人戻って来た武蔵を怒るお杉(任田順好)ばばあで、武蔵を「殺せ!」と叫び、この後、どこまでもずっと付いてくるのが、大いに笑える。実は、加藤泰は、「お通は、任田にしろ」と言って、松竹を困らせたそうだが、任田の演技は大いに笑える。
というよりも、宮本武蔵には、ドラマがないので、周囲の者の方に劇がないと面白くない。無理矢理に、武蔵にドラマを作ると、内田叶夢版のように「武士としての苦悩」になってしまい白けてしまう。

要は、宮本武蔵は、戦争の時代に遅れてきた青年であり、武士が必要なくなっていく時代にいる「戦う青年」の苦悩だとも言える。
比喩的に言えば、吉川英治の小説の連載が行われた昭和10年代は、日本が中国で戦争していた時代であり、その「戦争の無意味さ」の苦しみに、武蔵の苦悶は合っていたとも言えるのだろうか。

この映画には、多くの良い脇役が出ている。吉岡一門との戦いのための京の宿の亭主は、明石潮、江戸で柳生家からの使者は、河野秋武、研師は、加藤映画常連の潮路章、巌流島での小次郎との決闘の際の宿屋の主人に有島一郎、そして江戸の有馬家では、仁科明子も。
この頃、彼女も少し太っていたようだが、やはりかわいい。

最後、佐々木小次郎との巌流島での決闘もあっさりと終わる。
ここで、加藤泰が見せているのは、総てに失敗するが、普通の人間として生きていくフランキー堺と朱美(倍賞美津子)の方が、人間としての悟りを得たというところだろう。
衛星劇場