指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『華麗なる一族』

2023年08月30日 | 映画

前にテレビでは見たはずだが、山本薩夫監督版は初めて見たが、実に面白い。

              

関西の万表財閥の当主大介の佐分利信の、ある種強欲ぶりがすごく、まさにこういうのを骨太の人間と言うのだろう。

そして、息子鉄平の仲代達矢との確執がすごい。

その根源は、鉄平が、大介の子ではなく、もしかしたら祖父と母の月丘夢路との間の子ではないかとの疑問からくるというのがすごい。まるで志賀直哉の『暗夜行路』の主人公の疑問のようだが、明治、大正時代の日本の家にはあったことなのだろうかとあらためて思う。

月丘は、貧乏華族のお姫様で、鼓や刺繡をするだけで、家事の一切、息子や娘の婚姻、それはすべて閨閥作りの政略結婚なのだが、秘書で、実は大介の愛人でもある京マチ子が取り仕切っている。

この妻妾同衾というのを日本のメジャーの映画会社で描いたのは、きわめて珍しいことだろう。

話は、大きく二つあり、地方銀行上位の阪神銀行を他の都市銀行と合併して大銀行になろうとする佐分利の野望。

もう一つは、息子鉄平が専務をしている阪神特殊鋼が、自前の高炉を持とうとする計画とその進捗である。

大介は、本心では特殊鋼メーカーが自前の高炉を持つのは、分不相応との考えがあり、それが鉄平の計画の足かせとなっていき、最後は、建設中の高炉が事故で爆発してしまう。

これが元で、阪神特殊鋼は、会社更生法の適用を受け、最後は高炉メーカーの帝国製鉄に合併させられる。

その他、他の銀行、大蔵省、日銀、政治家、上流階級の人々など多数出てきて、ドラマを繰り広げるので、非常に面白い。脚本は山田信夫、撮影岡崎宏三。筋がどんどん進行してゆくので、厭きるところがない。

佐分利の他、悪役は、合併する大同銀行の西村晃や小林昭二などで、これも良い。

これは、地方銀行の阪神銀行が、都市銀行の大同銀行を合併するという、小が大を呑む合併であり、実際にはしばしばある。

1940年代の映画界での、大映の成立は、新興キネマという二流会社が、老舗の日活を呑んだ合併であり、元日活の伊藤大輔や内田吐夢は、この合併劇の犠牲になる。

そこでは、大蔵省から天下りの二谷英明頭取がいるが、彼を出し抜いて、西村らの生え抜き組が、連判状まで作って阪神銀行との合併に進み、二谷はカヤの外にされてしまう。

長女の香川京子は、大蔵のキャリア官僚の田宮二郎と結婚しており、次男の銀平・目黒弘樹の妻は、中山麻里という具合にスターが出ている。

次女酒井和歌子だけは、佐分利らがアレンジした総理大臣の親戚の男との婚約を破棄して、工場長稲葉義雄の息子の北大路欣也と結ばれる。

最後、仲代は、すべてに敗北して猟銃自殺してしまう。

いずれにしても、京マチ子、田宮二郎、二谷英明らが出るのは、大映が倒産し、日活がポルノになった所産だともいえるだろう。

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金子勝彦さん死去

2023年08月29日 | サッカー

元東京12チャンネルのアナウンサーだった金子勝彦さんが亡くなられたそうだ。

                   

彼と一緒に仕事をすることはなかったが、金子さんが放送していた『ダイヤモンド・サッカー』で大学時代アルバイトをしていたことがある。

それは、チームの得点を入れる仕事で、日曜日の朝、放送のときに映画で録画された試合の得点シーンで、スタジオの機械を使って得点を入れるとても楽な仕事だった。

試合は、イギリスの一部リーグの試合で、一時間30分のものを45分くらいに編集した画面に、金子さんと岡野俊一郎さんの解説が付いたビデオできていて、それを日曜日の朝に流すのだった。

今のように、サッカーの大人気の時代ではなく、まだマイナースポーツの時代だった。

東京12チャンネルというのは、元は駐留軍が使っていたチャンネルの12が返還されるというので、できたテレビ局で、いろんなところが応募したらしいが、結局日立系の科学財団に免許が下りた。

そこで、当初は科学技術振興財団テレビという不思議な名称で、会社の基礎の不安定だった。

私がアルバイトをしているときも、ストライキがあり、職員は就労しないので、管理職で放送するなんてこともあった。

その後、日経新聞がオーナーになって、テレビ東京として安定したようだが。

職員にはもちろん、新卒で入社した人もいたが、他社から転職してきた職員も多かった。

運動部の中村さんという、大変にやさしい係長さんは、元NHK大阪のアナウンサーで、舞台中継などを担当されていたそうだ。

金子さんも、どこかラジオ局のアナウンサーから転職してきた方だと思う。

日本のサッカーの興隆に貢献された方のご冥福をお祈りしたい。

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久しぶりの図書館批判

2023年08月28日 | 図書館
ときどき出てくる図書館批判で、実にバカバカしい。
昔、テレビで大相撲が中継されるとき、観客が減るという意見があったが、テレビ中継で大相撲は大人気になった。
プロ野球のテレビ中継も同じだろうと思う。
 
町の書店が減り、本の販売数も減っているのは、言うまでもなくネット、スマフォの性であることは明らかで、図書館は関係ない。
この自民党の動きは、町の本屋さんという中小企業対策だろうが、無意味な動きだ。
私も本は、ネットで買ってしまうものだが。
 
 
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昭和天皇は、なぜ対米国戦を選んだのか

2023年08月27日 | 政治

木曜日は、佐藤先生の講座で、『真珠湾攻撃への道』を聞き、そこでは日本代表の野村吉三郎のヒアリングもあった。

それによれば、昭和天皇以下の近衛文麿などにも、三国同盟と日米友好は両立するとの楽観的な見通しがあった。

だが、最後に「ハル・ノート」が出て、特に中国からの撤兵を求められたとき、完全にデット・エンドになってしまったわけだ。

このとき、昭和天皇も、中国からの撤兵などできるはずもないとして、戦争に突入した。

この前に、近衛内閣がつぶれ、東條英樹を首相にすることを木戸幸一から言われたときの、天皇の言葉が極めて興味深い。

 

                                       

「虎穴にいらずんば虎児をえずだね」だが、これは何を意味するのだろうか。

普通に考えれば、陸軍という脅威があり、彼らから逃れるのは、その長を首相にすれば、御前会議の戦争への決定を変えられると思ったのだろうが、それは甘かったわけだ。

だが、最後のハル・ノートが出て、これを受諾したら、木戸ら側近はもとより、昭和天皇も、どこかの勢力に暗殺されただろうともそうぞうできる。

その意味では、天皇や側近にとって一番重要だったのは、自己保身だったとも考えられるのだろうか。

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金沢の花火大会だった

2023年08月26日 | 横浜

午後、電車に乗っていると、浴衣姿の女性がいるので、「ああ今日は金沢の花火大会だな」と思う。

金沢区役所に4年間いたが、毎年企業からの寄付集めに金沢区内をまわった。

花火というのは、大変に金の掛かるもので、本来の打ち上げ費用の他、警備とごみ処理で大変なのだ。

昔は、横浜では、7月20日の商工会議所主催の大会の他、8月1日の神奈川新聞の大会、そして8月末の金沢区の大会と三つがあり、その他港北区のものまであった時代もある。

だが、景気の後退で、商工会議所のはかなり困難になり、横浜市役所が多大な補助をしたが、結局駄目になった。

特に問題だったのは、ゴミの問題で、最後には25メートルプールのような大きなゴミ捨て場を山下公園近くに置いたりしたが、翌日の市内は、ゴミであふれていた。

そうして、7月20日はなくなり、今は8月1日の、神奈川新聞主催の大会と金沢区の大会のみになった。

神奈川新聞のは、企業の他、個人でも名前を付けられるもので、結構な応募があるので、成立しているようだ。

                                                   

金沢は、京浜急行と西武の二大企業の他、埋め立て地に立地している企業から多大なご寄付があるので、できている状況である。

なんとか、横浜市全体として、景気が回復してもらいたいものだと思う。

 

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『宮本武蔵・巌流島の決闘』

2023年08月25日 | 映画

冒頭に、2部、3部の回想が流れるが、武蔵は呟く、

「われ、事において後悔せず!」

これは、数々の決闘において、勝つことが第一で、武士道など関係ないとのことだろう。

特に、武蔵のような孤剣の場合、ともかく一人で戦うのだが、ともかく生き抜くことが重大で、そうでなければ死んでしまうのだから。

武士道も、江戸時代が平安になった中期以後に作られたものであり、戦国から江戸初期では、なによりも生き抜くことが重要だったのである。

ここでは、佐々木小次郎との決闘に行く前に、武蔵が江戸の近郊の農地で、盗賊に対して村人を助ける挿話があるが、「これは黒澤明の『七人の侍』の影響だなあ」と思う。

それは、伊藤大輔でも同じで、映画『地獄花』では、草原を騎馬の大群が疾駆するシーンがあり、これも黒澤の影響だと思う。

内田吐夢、伊藤大輔の二大巨匠ですら、黒澤明の『七人の侍』を無視しては、時代劇が出来なくなったいたことを現わしていると思う。

                 

佐々木小次郎は、どの作品でも過剰なほどの美男剣士で、ここでは高倉健で、この頃は美男俳優だったのだなと思う。

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永遠の女学生 桂木洋子

2023年08月25日 | 映画

ユーチューブで、「日本の美人女優」を見ていたら、桂木洋子があった。

清純派女優もいろいろいるが、 なかでも女学生の感じが一番なのが、彼女だろう。

             

松竹で、横浜駅のシューマイ娘役の映画もあったが、女学生が最高だろうと思う。

2007年に亡くなっている。

彼女の最後の方の作品に、蔵原監督の『野獣のように見えて・ガラスのジョニー』では、人身売買の男・アイ・ジョージの情婦役で出ているが、これが晩年の最高作だと思う。

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スキヤキミーツ・ザ・ワールドも始まるはず

2023年08月25日 | 音楽

今日は、8月最終週で、富山県南砺市のスキヤキミーツ・ザ・ワールドも始まるはず。

                               

そして、このスキヤキと同時に1991年8月に日本で最初の野外音楽フェステイバルとして始まったのは、「ウォーマッド横浜91」だった。

今年の夏も、いろいろなフェステイバルが開催されたが、その始まりは、32年前のウォーマッド横浜91だったことは、横浜に住み、企画し、参加した者として、ここに書いておきたい。

 

 

 

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渡辺保さんが、俳優の鳴海四郎さんを見たのは『昭和演劇大全集』にある

2023年08月24日 | 演劇

鳴海四郎氏が、文学座の俳優で、慶応高校の教師だったことを書いたが、その出典を調べると、渡辺保さんと高泉淳子の『昭和演劇大全集』の225ページにあった。

                 

これは、田中千禾夫の『マリアの首』を話した時の冒頭に出てくる。

渡辺さんが見たのは、田中の戦前の名作『おふくろ』で、このとき鳴海氏は、息子を演じたそうで、1951年のことなので、慶応高校が横浜市日吉に移転したからのことになる。

『おふくろ』は、戦前に田中が岸田國士の下にいた時に書いたリアリズム劇で、4人しか出てこないので、高校などのアマチュア演劇でも良く上演された演目だった。

だが、戦後田中は、劇の作風を一変させて、名作『マリアの首』を1959年に劇団新人会の公演用に書く。

これは、私の考えでは、『マリアの首』は、戦後日本演劇史に残る最高の名作だと思う。

この劇がすごいのは、日常的な会話の中に、哲学的、観念的な語彙がどんどん入ってくるところである。ヤクザや娼婦が哲学を語るのだから本当にすごいのだ。

だから、役者は台詞と演技を自然なところから、一挙に抽象的、観念的な場所に飛躍させねばならない。

この劇の飛躍は、その後の1960年代の唐十郎のシュールリアリズム演劇というべき台詞術に大きなヒントと影響を与えたと思う。

それは、現在の野田秀樹にまで及んでいるのだ、というのが私の考えである。

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『旅する映写機』

2023年08月24日 | 映画

冒頭に、廃館になった渋谷の映画館で、映写機を外す方の作業が出てくる。

日本に、もう映写機を製造している会社はないので、古い映写機も、次に使う館のために映写機をはずして遠い館に持って行くのだ。

                                               

そして、地方にある様々な映画館と映写機の状況が紹介される。

尾道、秋田、福島等だが、一番の辺境は高知県高田の映画館・大心館。

ここでは、流し込みという1台の映写機で、卷の異なるフィルムをつないで上映していく方法が紹介される。

今の館主は、父親から教えられた方法で、普通は2台の映写機で交合に上映するのだが、1台でする非常に珍しい方法とのことで、映画以外は、農業やウナギ取りなどで生計を立てているようだ。

福島の本宮町も紹介されて、ここは「本宮方式」として大きく取り上げられた地域だが、現在は1館だけの本宮劇場での上映会が紹介される。

そして、興味深かったのは、多くの機器が「フジセントラル」という名称で、ここは富士精密なのだ。

富士精密と言えば、旧中島飛行機の後継企業の一つで、戦前、戦中の航空機製造の技術が、映写機製造に転化していたとは初めて知った。

現在、日本は自動車大国だが、ここには戦争中の飛行機製造の中島、三菱、川崎などの技術が反映されているのは有名だが、映写機製造にも反映されていたとは驚きだった。

監督の森田恵子さんは、亡くなれているので、その追悼である。

もう1本の『最後の活動弁士・井上陽一』は、戦前からの現役活動弁士だった井上陽一氏の活動を描くもの。弁士を志した理由が、活弁の上映の時は、弁士に向かって掛け声や盛大な拍手が起きることで、普通の映画ではないので、憧れてなったというのが面白かった。

タイトルに反すが、今は映画説明者として、多くの若者がいるのだが。

国立映画アーカイブ

 

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慶応高校の鳴海四郎先生

2023年08月23日 | 演劇

英米文学の翻訳で有名な鳴海四郎先生は、1950年代は、慶応高校の英語の先生だったそうだ。

                                     

同時に劇団文学座の俳優でもあり、実際に劇に出ていたそうだ。

ある日、高校生の渡辺保さんは、鳴海先生の授業の時、

「先生、昨日の芝居、見ましたよ」というと、非常に嫌な顔をされたそうだ。

その後、教師も俳優も辞めて、翻訳一本になったようだ。

また、今やシエークスピア翻訳の第一人者である小田島雄志先生も、都立八潮高校で英語を教えていたようだ。

ただ、中学の同級生の子に聞くと、少々むずかしくて生徒には不評だったようだ。

当時は、結構世の中が緩やかだったと思う。

教師が俳優もやるなど、大阪府、大阪市では許されないことだと思う。

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慶応高校は、どこから出場したのか

2023年08月22日 | 野球

高校野球全国大会で、慶応が日大土浦に勝ち、明後日の決勝戦に出ることになった。

なんでも105年ぶりとのことだが、その時、慶応はどこに地域の代表として出たのだろうか。

それは、東京代表だったのだ。

                                                         

当時は、慶応高校(普通部)は、東京の三田にあったのである。

その後、1949年に横浜の日吉台が米軍から返還されたので、ここに高校と共に大学の1,2年の校舎も作られたのだ。

この日吉台は、言うまでもなく戦時中は、日本帝国海軍の連合艦隊司令部がおかれていた。

なぜ、こんなつまらないことを私が知っているかと言えば、1963年に都立小山台高校に入った時、

教師が、「わが校は勉学だけではない、1948年には高校野球東京都予選では決勝まで行き、慶応高校に負けて甲子園に行けなかったように文武両道だ」とえばっていたからだ。

都立日比谷高校への無意味な強がりだったと思うのだが、当時小山台の野球部(正確には運動部野球班)が強かったことは事実である。

当時は名遊撃手でフランス文学者の海老坂武さんがいて、東大でもショートで活躍されたのだそうだ。

また、海老坂氏、先日亡くなれた大江健三郎と東大で同級で、大江君は快活で温厚で人気のある青年だったそうだ。

いずれにしても、一応は現在私も住んでいる横浜市港北区日吉の慶応高校を応援することにしよう。

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ペンテコステ大会

2023年08月22日 | 横浜

パシフィコ横浜にいたときには、いろんな大会、集会があり、見に行ったことがあった。

                 

中で、興味深かったのは、国立大ホールでのキリスト教の伝道集会コンサートだった。

小坂忠、本多路津子らが出たが、大ヒット曲『異邦人』の久保田早紀は、久米小百合として出たが、ピアノは久米大作だったと思う。

久米大作は、俳優久米明の息子で、新国立劇場の『ブッダ』の音楽は非常に良かった。

だが、一番記憶に残っているのは、会場に行く階段の踊り場で、絨毯に横たわっている少年に名にかを言いかけている夫婦らしい男女だった。

おそらく、その子はなにかの障害を負っていて、両親は、それに対して祈っていると思えた。

『新約聖書』のキリストも、病気平癒など、かなり怪しいことをやっているが、宗教への勧誘の一つは、病気であるが、その例を見たときだった。

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ケイヒンの荒業 本牧ふ頭基部

2023年08月21日 | 横浜

鳥浜の埋め立て地をめぐるケイヒンのもろもろについて書いたので、他のことも書いておく。

ケイヒンで一番有名なのは、東京港のふ頭公団のライナーバースを作る時、ケイヒンはオプション契約をしていたのに、途中で勝手に降りた事件である。ここでは、多額の違約金を東京都に取られた。

それをある人から聞いたとき、私は、東京都港湾局は偉いなと思ったものだ。

その点、横浜は地元企業でもあるので、すべてをドライにはできなかったようだ。

さて、もう一つ横浜港でも、ケイヒン絡みの案件があった。

それは、本牧Aふ頭基部の、当時は住友倉庫が持っていた1000平米くらいの土地だが、ここも実は1950年代からケイヒンが所有していたのだ。

その先というか、そこには前歴があり、戦前に心丸ハッチボードという岐阜県から出てきた会社が、船の甲板を合板で作る技術を持っているので、小型船舶を作る企業と工場を本牧の岸壁に作る事業を始めた。

それは、株式会社として作られて、横浜の有力企業も出資してはじめられた事業だったそうだ。

なにかの機会に、市会議長の松村千賀雄先生に話したところ、

「俺の親父も出したんだよ」と言っておられた。

この心丸ハッチは、大した事業をしない内に、戦争になり、彼らが持っていた土地は、戦後は有名無実化していたようだ。

だが、「蛇の道はなんとらや」で、ケイヒンがこの土地に目を付けた。

そして、土地を分割して、いくつかに分け、さらにそこに同名の会社をケイヒンは設立して、その株券を操作して、最後は、全部ケイヒンのものにしてしまったのだ。

その後、そこは住友倉庫のものになり、ベイブリッジができたときに、必要部分は横浜港ふ頭公団に売局されて、今日に至っている。

           

もちろん、市内企業も株券を持っていたので、それは安い価格で買い取ったようだ。

それについては、松村さんも、

「親父も騙されたようなもので、やすやすと取られてしまったんだ」

と言っていた。

ただ、最後に松村さんは言っていた。

「ああいう(つまり在日の人)人や企業が上手い汁を吸う時代は終わったね」と言っていた。

それは、横浜港が、1954年までは米軍管理下にあったので、当時は日本人よりも優遇された時代があったのだと私は推測したが、多分そうだろうと思う。

 

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「出世と恋愛」

2023年08月20日 | 

一昨日の斎藤美奈子さんによれば、「出世と恋愛」は、近代の所産、個人の営為なのだそうだ。

たしかに、日本でも近代以前の封建社会では、身分は一応固定されていたので、その身分の中での上昇はあっても、身分を越えての上昇はないのが建前だった。

また、結婚も男女の恋愛の結果ではなく、ある程度の階層では、結婚は家と家の間で行われるもので、さらには、一生の内、男女が必ず結婚するようになったのは、江戸時代後期のことだったそうだ。

これも、やはり農民にとって不可欠の土地、田んぼや畑を次男、三男に持たせることはできなかったからだと言われている。

そして、明治維新となり、身分解放となり、近代社会は、一応個人は自由に生きられるとされたので、職業の選択も自由になり、成功も失敗も個々人の責任とされるようになった。

ここにきて、出世と恋愛は、その可能性が起きる場をえたという具合なのだ。

これは、勿論基本的にであり、どの時代でも例外はいくらでもあるのだが。]

                                 

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