指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

5万5千人分の弁当

2020年04月30日 | 政治
テレビが、コロナウイルス騒ぎだけで詰まらないので、ユーチューブで「日本ニュース」を見ると非常に興味深い。
1940年、昭和15年は、紀元2600年で、11月に大祭が行われた。
11日に、皇居前広場で大祭が行われ、まず「君が代斉唱」の後、高松宮が祝辞を述べた。



その後、舞楽が舞われたが、当日5万5千人の参加者にはお弁当が配布されていて、中には酒を飲む者も見えた。
いったい、この5万5千人用の弁当は、どのようにどこが作ったのか、気になった。
大相撲の国技館で配布されるお土産の弁当のようなので、国技館の業者が作ったのだろうか。
この紀元2600年は、もともとはオリンピックの開催を予定していたが、日中戦争の悪化で中止となったものの代替えだったので、それなりの準備があったのだろうか。
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生駒千里は、

2020年04月29日 | 映画
生駒千里監督は、松竹ではあまりさしたる成績は残さなかったが、映画、演劇界には大変な成果を残されている。
彼は、つかこうへいの義父なのだ。
生駒千里氏の娘は非常に可愛く、つかの芝居のオーディションに行ったとき、つかに一目ぼれされて主演となり、最後は結婚された。
そして、娘は、愛原実花として宝塚のスターとなった。

1960年代以降の日本の演劇界の大作家と言えば、同時代だが、つかこうへいであるのは間違いないと思う。
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『日本よいとこ・無鉄砲旅行』

2020年04月29日 | 映画
1960年7月に公開された松竹大船映画、無鉄砲なのは、旅行ではなく、シナリオだと言いたくなる作品。
脚本は関沢新一で、監督は生駒千里。生駒は、昭和23年松竹入社で、鈴木清順や中平康らと同期とのこと。

話は、種子島から始まり、焼酎の醸造家菅井一郎の息子・山下旬一郎は、酒が嫌いで、東京で洋菓子の勉強をしたいと思っている。母親は清川虹子。山下の友人で漁師の森川信の息子・小坂一也は歌が好きで、コロンビアレコードの新人コンクールの参加券が来たので、一緒に東京に行くことになる。森川の船で鹿児島に行くが、二人ともろくに金がない。清川のへそくり貯金を当てにしていたのだが、箱を割ると菅井が使っていて、千円しかないのだ。

熊本に山下の社長の先輩がいるので行くが、社長と言うが一人で観光案内で生きているだけで、まったくの無一文。これは毒蝮三太夫で、彼は主に東宝なので松竹は珍しい。
福岡に行き、コロンビア・ローズと神戸一郎のショーがデパートの屋上で行われている。
二人を追って、森川と菅井も島を出て、九州を北上してくる。
なんとか関門トンネルを通過して広島に行く。
ここで、親父たちと会うシーンがあり、小坂たちは出雲に行く団体バスに乗って逃げる。ここは、由利徹と南利明がいて、やっと喜劇らしくなる。
やはり、芸の力は恐ろしい。
メロドラマは、旅行映画と言う説があるが、これも観光映画である。

出雲では、コロンビア・ローズ、神戸一郎、さらに岡田真澄と会い、岡田の外車で空港にコロンビア・ローズを送って貰い、今度はヒッチハイクで、東京に向かう。
その中で、結婚式から逃げてきた女の瞳麗子が加わり、有馬温泉でのドタバタ等があり、小坂は桑野みゆきの故郷の佐渡に行き、山下も間違えて瞳と新潟に行って、結局新潟で4人がまた会って全員で東京に行く。
書いていて嫌になる筋書きだが、チーフ助監督は山田洋次であるのは驚く。
そして、東京で古賀政雄指揮の楽団でのコンクールがあり、ここには島倉千代子が歌うが、さすがに上手い。
もちろん、小坂は合格し、そして30年後の1990年となる。
小坂は桑野と、山下は瞳と結婚していて、山下は焼酎の醸造家になっている。

なんともひどい映画で、監督の生駒は松竹を辞めて日大の先生になったのは良いことだったと思う。
衛星劇場


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『愛情の都』

2020年04月27日 | 映画


1958年の東宝映画、監督は「娯楽映画」の多い杉江敏男だが、この人はもともとは黒澤明の助監督も務めていた人なので、画面は正確でテンポも良い。宝田明のヒット曲『美貌の都』の映画化に続き、作られた宝田と司葉子のメロドラマ、前作は宝塚映画だったが、これは東宝で作られている。
お茶の水のニコライ堂のタイトルの後、バーで小泉博が飲んでくだ巻いている。その相手は、マダムの草笛光子だが、オーナーは他の店もやっている河津清三郎で、もちろん肉体関係もある。
昼は喫茶店、夜はバーの店に、司葉子がやって来る。草笛の亡くなった夫の妹の司は、上野から来たというので、東北の女なのだろう。
小泉は、神田の会社の社員だが、そこにいい加減な社員の宝田がいて、小泉は、社長の柳永二郎から
「息子の宝田をきちんと見てくれないと困る」と理不尽な小言を言われる。
宝田は、柳の息子だが、「俺は女中に生ませた子だ」として不貞腐れて女遊びを繰り返している。
今の女は、ダンサーの淡路恵子である。

当然にも、司と宝田は共に恋に落ち、横浜でデートするが、次のシーンがジェットコースターとは驚き。
一方で、社内には宝田を思うタイピストの団玲子がいて、彼女の家は、坂本武の下駄屋だが、その妻の浪花千枝子は、柳の家の女中だったという。
つまり、団玲子は、情実で入社したようで、「いったいこの会社はなんだ」と思う。
全員、少しも仕事しているように見えないのは、この時期の日本映画に共通するものだが。
柳は、宝田を大阪の自動車会社の社長伊豆肇の娘の白川由美とホテルで見合させる。
宝田は、白川のことを「ピンと来ない」と断るが、司と白川の感じが似ているので、ここは見ている方がピントこない。
司のことを知った浪花が、喫茶店に来て、司と草笛に対決し、宝田に「どこの馬の骨ともしれないお前は別れろ!」と言い放つのが最高。
この頃まで、結婚は、上層では家と家のものであり、元横浜市会議長の相川藤兵衛さんの奥さんは、港北の名門の飯田家から来た方だった。

草笛からも店から出て行けと言われた司は、河津の策謀で下流の店に行かされてしまう。もちろん、河津にやられたのだろうが、この時期の東宝なので、セックスシーンはない。店は、新宿南口で、ここは場末だったのだ。
司と別れた宝田はまじめになる。と言っても、毎日定時に出てくるだけのことだが。
そして、司が新宿のクラブで働いていることが分かり、宝田が会いに行くと、厚化粧の女になっていて、「もう昔の私じゃない」という。
主題歌が流れて雪の中を歩く宝田が、置いてあった車を開けると淡路がいる。
驚いたのは、いきなり淡路が拳銃で宝田を撃つ!
もちろん、軽症で、病室に司もやってきて、二人は結ばれることを示唆してエンドマーク。
家と家の結婚よりも、好きな同士で結婚しろというメッセージ。
現上皇陛下も、華族ではなく、上層ではあるが普通の家の正田美智子さんと結婚した時代なのだから。
日本映画専門チャンネル
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黒澤明は、なぜ徴兵されなかったのか

2020年04月25日 | 映画
先週の4月23日号の「週刊文春」で、三上延氏が、私が2013年に出した『黒澤明の十字架』について触れてくれた。
黒澤明は、身長180センチ以上で、特に身体的異常もないのに、なぜか徴兵されなかった。
彼は、自伝的という『蝦蟇の油』で、20歳の徴兵検査のことを書いている。

そこで、徴兵検査の担当官が父黒澤勇氏の教え子だったので、徴兵を逃れたというのだ。
これは、本当だと思う。
黒澤明が検査を受けた1930年、昭和5年は、世界も日本も、非常に平和な時で、陸軍でも宇垣軍縮が行われ、師団の削減が行われる時代で、お目こぼしはあり得たと思うのだ。
だが、満州事変から日中戦争、太平洋戦争と戦争が拡大する中で、徴兵は過酷となり、ついには43歳まで年齢も引き上げられる。
作家の中野重治も、42歳だったが、徴兵されたが、これは左翼作家への懲罰だろう。

多くの映画評論家の中には、黒澤明が徴兵されなかったのは、この徴兵検査の挿話に示されるように、父黒澤勇氏のお力だと誤解する方は多い。
だが、黒澤勇氏は、明治24年に陸軍を辞めて,日本体育会・日本体操学校の創立に参加した方なのだ。
しかも、勇氏は、今で言えば自衛隊体育学校の教官レベルで、陸軍に影響を及ぼせるレベルの人ではない。
では、なぜ黒澤明は、徴兵されなかったのか。
私は、当時軍需企業だった東宝の力だと思う。

東宝は、社内に航空教育資料製作所という秘密スタジオを作り、陸海軍の注文を受けて、爆撃機の爆弾投下方を映像で説明する「マニュアル映画」を作っていた。
そこは、円谷英二の指導の下、特撮と動画によってパイロットに説明する映画で、全部で50本以上あったのだそうだが、戦後焼却されて現存しているものは1本もない。
撮影の宮島義勇も、「私にも令状が来たが、森岩男さんが、宮島は必要な男だからと言って、私の代わりに玉井正夫君を出すことになった。だが、玉井君も、病弱とのことで即日帰郷となった」と自伝で書いている。
また、石井輝男も、「徴収猶予を2,3回やってくれて、最後は軍の写真班に従事した」と書いている。

「具体的な証拠を出せ」というが、こうした徴兵猶予は、書類として残すはずもなく、またあったとしても、戦後焼却されたはずで存在するわけがない。
私は、黒澤明の徴兵猶予からくる「贖罪意識」は、戦後の作品の中にあると思っている。
映画『七人の侍』は、戦国時代のことではなく、太平洋戦争のことで、従軍できなかった黒澤の戦争参加である。
また、後に『トラ・トラ・トラ』で、黒澤明は、監督を解雇されるが、これも黒澤明の従軍への願望だったと思うのだ。
エルモ・ウィリアムスも言っている「黒澤自身が、山本五十六になったような気持ちがあったのではないか」と。

                  


私は、黒澤明を批難しているのではない。今井正、山本薩夫らの左翼作家が、戦時中の戦争協力を戦後ほとんど作品化していないのに対し、黒澤は自分の「贖罪意識」を映画化したのは、偉いと私は思っている。
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ロバート・ケネディが殺された日

2020年04月23日 | 事件
テレビが、コロナウイルスばかりでつまらないので、ユーチューブの「ケネディ家の野望」を見た。
ほとんど知っていることだったが、JFKの父親のジョセフは、いろんな事業をしていたが、ハリウッドで映画を作っていたことがあるとは初めて知った。
そして、兄のジョン・エフ・ケネディが1961年11月にダラスで暗殺された後、弟のロバート・ケネディは、民主党大統領予備選挙に出た。
そして、1968年6月、彼は射殺されてしまう。
この日、私は、当時付き合っていた女の子と渋谷の喫茶店にいた。
渋谷駅西口の、今は量販店になっているビルの3階の喫茶店にいた。
そこは、かなり洒落た店で、当時はまだ有線放送が普及していなかったので、ラジオを流している店が多かったが、そこはFENを流していた。
FENというのは、日本の米軍のための放送で、810キロ・サイクルで中波ラジオの放送が行われていて、毎時0分から5分間はニュースだった。
そこで、「ロバート・ケネディが殺された」と言っていた。
英文科の落第生の私でも、その程度は理解できたのである。
「へえ、殺されたのか・・・」と言い合ったはずだが、他になにを話したかまったく憶えていない。
ちなみに、英語のリスニングで一番良いのは、ニュースであり、ドラマ等は向いていない。なぜなら、ニュースは、特別にローカルな話題は別として、ラジオで言うような事柄の内容は大体知っているからで、英語で内容が想像できるからだ。
特に喜劇は、笑いの意味が分からないので一番やってはいけないことである。

                    

ところで、このケネディ家だが、日本では「ケネディ」と発音できない人が結構いる。
明治生まれの私の母もケネデエと言っていたが、菅義偉官房長官も、前アメリカ大使のキャロライン・ケネディ女史を「ケネデエ・アメリカ大使」と発音していた。
このキャロラインは、ニール・ダイヤモンドのヒット曲『スィート・キャロライン』のキャロラインであるのは有名だろう。
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ひどかった事業は

2020年04月23日 | 政治
コロナウイルスで、国民全員に10万円が配布されるとのこと。
思いだすのは、以前「地域振興券」が配られた時のことだ。
40年間横浜市に勤務して、この地域振興券と「2000年問題」がバカバカしかった二つの案件である。

                     

「2000年問題」は、「世紀が代わる2000年1月1日に、コンピュターが誤作動する」とのデマ情報で、横浜市でも高秀市長のご指示で、各局区の総務課は12月31日の夜中も待機となった。
私もある区で総務課長をやっていたが、係長たちが「待機しますから」というので、普通の大みそかを過ごして元日の昼近くに区役所に出て行った。
すると前夜から待機していた総務課の係長と職員は、夜から飲んでいて寝ていたが、当然にも誤作動は起きていなかった。
この時、小学生だった私の次女は、「地球が滅亡するの」と思っていたそうだからひどいデマだった。

さらに地域振興券の配布も、異常な事業で、通常業務外なので、臨時に20人くらいのパート職員を雇用し、さらに監督者を2人使っていた。
もちろん、国の金なので、われわれにはどうでもよかったが、税金であることに代わりはなかった。
今回は、郵送や金融機関への振込で行うそうだが、やはり受付の臨時職員の雇用は必要となるのだと思う。
要は、税金の無駄使いであることに代わりはない。
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『原子力潜水艦浮上せず』

2020年04月21日 | 映画


1978年のアメリカ映画、原子力潜水艦がニューロンドンの基地に戻る途中に貨物船と衝突し船尾を破損し海底に沈んでいく。
当時、アメリカでは「災難映画」がヒットしていて、これも一種のデイザスターものである。
艦長のチャールストン。ヘストンは、これが最後の航海で、艦内ではそれを祝おうとしている時に、衝突が起き、皆艦内にたたきつけられる。
いろんな策を講ずるが、浮上できず、ついに潜水艦の救助船が西海岸から運ばれてくる。
だが、地滑りが起きて、さらに深く落ち、潜水艦は横倒しになり、ハッチも土砂に埋まってしまう。
ハッチの上の土砂をどけないと救助船が行ってもハッチを接合できず、救助できない。
そこで、持って来られるのが、二人乗りの小型潜水艦で、変人のデビット・キャラダインが操縦している。
ここに乗りこんでくる助手が、デブのネット・ビテイーなのがおかしい。
デビット・キャラダインとネット・ビテイーは、上手く操縦して土砂を取り除くが、再び地滑りが起きて、大きな岩が乗ってしまう。
すると、今度は爆弾を岩において爆破させて、艦を元に戻す。
そして、救助船が行き、乗務員は救助されるが、デビット・キャラダインの船は沈没してしまう。
この作品は、日本ではヒットせず、まさに沈没してしまったらしいが、中身は面白い。
このあの手、この手で救助へと攻防するのは、アメリカ映画的であり、大げさに言えば、アメリカ的発想だと思う。
シネフィルWOWOW

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『人間の証明』

2020年04月20日 | 映画
1977年の角川映画、テレビCMでさんざ聞かされた「母さん、あの帽子、どこに行ったのでしょうね」がラストで本当に流れる。
主演は、松田優作と岡田茉利子、岡田の夫で政治家が三船敏郎。松田の上司が鶴田浩二と、各社の大スターが出ている。
角川映画の功績と言えば、薬師丸ひろ子を作ったことの他、作品としては市川崑・石坂浩二の「金田一耕助シリーズ」くらいしかないが、日本映画にあった5社協定を有名無実化した実績はあったと思う。



著名デザイナーの岡田のファッションショーが開かれているホテルのエレベーターの中で、黒人青年の死体が発見される。
そして、これは戦後、闇市で米兵に暴行されたこともある岡田が、横須賀のバーで働いていた時にできた子であることが分かる、と言うもの。
話としては、松本清張の『ゼロの焦点』と同じで、戦後の米軍占領下の事件になる。
松本清張は凄いとは思うが、「下山事件」の解釈や小説『黒地の絵』などの米軍占領下の記述については、非常におかしいと思う。
もっとも、当時米軍の力は、今のわれわれには想像もできないほど大きかったので、仕方がないともいえるが。

この映画のニューヨークでの撮影は、日本のスタッフ、キャストが実際に行ったが、撮影の姫田真佐久さんの話では、カメラを操作したのは、アメリカ人スタッフで、姫田さんは米人の撮影監督を指揮する形だったとのこと。
また、佐藤純弥は、ほとんど役者の演技を見ておらず、「演出をしていなかった」とのことだが、本当だろうか。
結局、佐藤の作品で良いのは、『新幹線大爆破』だけだろうか。
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維新の会、10年

2020年04月19日 | 政治
日本維新の会ができて10年たったそうだ。
もう10年も経ったのかと思うが、結局何ができたのか、私は非常に疑問に思う。



地方自治体だが、横浜市の市議会職員として10年以上も議会と議員を見てきた者として、維新の会のような議員連中が出てくる理由はよくわかる。
と同時に、維新の出現で、かつての自民党が持っていた保守の良さがなくなって来たと思う。
小泉純一郎政権ができて以前の自民党が持っていたものの本質は、簡単に言えば「金持ち喧嘩せず」で、政権側にケンカを売るのは野党側だった。
地方の資産家、元官僚等の成功者からなる昔の自民党は、無理やりことはせず、野党が反対すれば、すぐに政策を引っ込めるか修正するものだった。
元首相の竹下登は言っていた。
「昔の自民党は楽だった。野党が言ってくる政策を、今はまだ早いと、2、3年後に政策化すればよかったが、今はそうはいかない」
小泉政権の新自由主義的政策は、これに対して「金持ちがケンカを売る」ものに転換した。
この転換をさらに進めたのが、維新の会で、その気持ちも分かる。
それは、地方にしても、国にしても政策決定が進まないからで、即断即決をすべきという気分が自民党の若手に出てきたからだ。
だが、それは誤解で、民主主義には時間が掛るわけで、民間企業の方針決定とは違うのである。
なぜなら、企業は株主に責任を持てばよいが、公共は、一応すべての市民、国民に責任を持たねばならず、そのための政策決定には時間が必要だからだ。
橋下らが、二言目にいう、スピードが重要は、公共である国や地方には当てはまらないからだ。
その理由は、簡単に言えば、国民と市民にとって、他の国や自治体を選択することはできないからである。
例えば、テレビで言えば、NHKか日本テレビか、TBS、フジテレビか、テレビ朝日、テレビ東京かという選択はある。
だが、日本にするか、第二日本政府にするか、新日本政府にするかという選択はあり得ず、第二大阪市もない。
だからこそ、政治には時間が掛って良いのだと私は思うのだ。
海外との競争があるではないかとの意見があるだろうが、海外との競争は、現在のコロナウイルス騒ぎで、今後はむしろ問題ではなくなるのだろうと思う。
海外との競争のない分野、福祉、衛生、教育、文化等の分野に投資することが今後の重要な政策になるはずだ。
大阪の反東京意識は、豊臣秀頼の大坂の陣で徳川家康に負けて以来のもので、大阪・関西が、東京を凌駕したのは、近代史では関東大震災以後の昭和初期しかなかった。
この時期には、経済の中心が東京から大阪に移り、ジャズ、映画、文学等でも関西が日本の発信源となったのである。
だが、昭和10年代以降の日本の戦時体制下の軍需経済の進行の中で、産業の中心は、再び東京に戻ってしまい、以後大阪は後退することになったのだ。
橋下らが言うように、大阪都を作ったところで、簡単に回復するものではないのである。
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『女の警察・乱れ蝶』

2020年04月17日 | 映画
1970年の日活なので、もちろんダイニチの配給だが、製作はアローエンタープライズと小林旭の会社になっている。
アローエンタープライズ作品には、ブラジルロケの『赤道を駈ける男』があるが、これはむしろ他社の俳優を出す工夫だったように思う。
旭の元恋人は水野久美で、悪役の内田良平の妹は松本めぐみと、東宝系の役者が出ている。
また、すでにダイニチ時代なので、北原義郎や三田村元の大映系は、ノンタイトルで出ているが、北条寿太郎は大映とある。
5社協定も弱くなっていたが、律儀な小林旭は、日活ではなく自分の会社名義なら、協定違反にならないので、自社名義にしたのだと思う。
珍しいのは、麻生れい子が出ていて、自分で台詞を言っていることで、彼女の主演の『変奏曲』では、あまりにひどいというので、吹替えにしたのだから。



神戸のふ頭で、女の死体が発見され、それを旭と水野が見るのが発端で、銀座で旭が斡旋した女のクラブの者が一斉に引き抜かれている。
総会屋内田朝雄の仕業で、彼は旭を銀座から追放すると共に、多くの日本人女を使って、海外から来た外人に乱交パーティーさせ外資を導入しようとしている。
ここでも行方不明になった女は、牧紀子である。「カッパ締め」ではないようだが。
もちろん、最後は旭の活躍で、内田朝雄らの悪事は暴かれて、葉山マリーナのようなヨットクラブ近くでのアクションになり、無事解決する。
しかし、あまり爽快感がないなと思う。
チャンネルNECO



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福留孝介だけだった

2020年04月14日 | 野球
日曜日、BSで2006年のWBCの日本・韓国戦を放映していた。
やはり、久しぶりに見るプロ野球は面白い。



この時は、里崎が活躍したのだが、彼は今は解説者であり、現在も現役なのは、阪神の福留だけだった。
外野は、福留の他、イチロー、多村だった。
小笠原、平成の三冠王松中信彦らが主力だったが、皆引退している。
福留は、イチローが大活躍し、オリックスが優勝して1995年の日本シリーズを前に、ヤクルトの監督野村が、「イチローって本当に凄いの、福留や内の稲葉の方が上じゃないの」と言ったほどの選手なのだ。
福留は、打撃のほか、守備もよく、元は足も早い選手だった。
彼の打撃は、重要な時に打つというもので、阪神で一番信頼できる打者である。
大山は、ぜひ彼を見習ってほしいと思うのは、私だけではないだろう。
今年は、いつから公式戦が始まるのか、何試合できるのかもわからないが、やればきちんとした成績を残すだろうと思う。
早く始めてほしいと思う。
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横浜市警本部はどこに協力したのか 『決闘』

2020年04月13日 | 横浜
朝、コロナ報道ばかりでつまらないので、録画していた映画を見ると、タイトルに横浜市警本部協力とあった。
松竹の立体映画、松竹ナチュラル・ビジョンの『決闘』である。
新聞記者の川喜多雄二とカメラマンの大坂志郎の活躍を描くもので、脚本は柳沢類寿、監督は田畠恒男である。
筋は、東京で起きた銀行強盗事件で、現場にメダルが落ちていて、それを川喜多も持っている。
ギャング団の幹部に三橋達也がいて、彼と川喜多は学生時代は友人で、全国の射撃大会で同位の優勝したので、同じメダルを持っている。
学生時代の親友が悪と善に別れて対決すると言うのは、井上梅次のアクション映画に度々出てくるが、三橋は実際に射撃の名手だった。
さて、最後三橋の情婦に呼び出された川喜多と大坂は、横浜の倉庫街に来る。もちろん、アクションがあって、善玉が飼って無事解決。
良く見えないが、たぶん新興埠頭の一部だと思う。この1953年は、まだ港湾法施行以前だったので、港湾地域は警察が管理していたのだろうか。
それゆえの市警本部の協力なのか。



               
この市警というのは、戦後の民主化の中の一つで、警察制度も地方は自治体警察になり、横浜市にも市警本部が作られた。
その後、警察制度の改正のなかで、横浜市警はなくなったが、本部ビルがあり、その払下げが問題になる。
場所は横浜駅東口、崎陽軒の隣、今は横浜プラザホテルがあることろ。
ここは、熊沢ビルといい、元は神奈川区の中央市場で事業をやっていた男のようだ。
彼が、市警本部跡地の払下げを受け、現在のホテルとなるビルを建てたわけだ。
これに対して、戦後横浜市の自民党の大幹部だった横山健一市議らが異議を唱えて、市会で問題になる。
結局は、尻つぼみになったようで、そのまま熊沢氏の会社の所有になって現在に至っている。
その後、横山健一氏は、横浜駅東口開発にさまざまな利権を持つようになったが、その発端はこの市警本部跡地の問題なのである。
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島村抱月以来だが・・・

2020年04月12日 | 大衆芸能
コロナウイルス騒ぎは、まだ収まりそうもない。
志村けんが亡くなったのは、大変に残念なことで、彼は実は大変な勉強家で、世界中の喜劇の資料映像を見ていたとのことだ。
さもありなんと思う。
さて、100年前のスペイン風邪のとき、日本では作家・演出家の島村抱月が亡くなっている。
そして、島村の愛人で、芸術座の看板女優だった松井須磨子が後追い自殺している。
この松井須磨子さんは、かなり変わった人だったらしい。
彼女の演技を見ることはできないが、歌声は聞くことができる。
有名な『カチューシャの唄 復活唱歌』で、今はネットで聞くことができる。



正直に言って下手であり、もっと強く言えばほとんど音痴である。
だが、この京都のオリエントという会社で吹き込まれたレコードは大変に売れたそうで、日本最初の大ヒットレコードである。
なぜ売れたかといえば、私は彼女の唱法が非常に下手で素人くさかったことが、その原因だと思っている。
大正時代の当時、歌舞音曲をする女性はいたが、芸者の他、長唄、義太夫、常磐津など、すべては「玄人の女性」がするものだった。
素人の普通の女性が人前で歌うという習慣はなかったのである。
そこに出てきたのが、素人くさい松井須磨子の歌で、これが大変に受けたのだと私は思う。
日本人は、AKB48のように素人くさい芸を愛好する傾向がもともとあるのだが。
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『ゲッテイ家の身代金』

2020年04月11日 | 映画
1973年7月、ローマで石油王ゲッテイ家の三世パウロが誘拐される。
冒頭のシーンが見事で、長い横移動でパウロが町を歩いているところが撮影されるが、その間にモノクロからカラーに代わってゆく。
画面に凝るリドリー・スコットらしい取り方である。リドリーと言えば『ブラック・レイン』や『ブレードランナー』と来るが、その前の『デェリスト』も見事で、これは作品のほとんどが二人の男が決闘していくシーンの連続だった。
すぐに母親に犯人たちから電話がかかってきて、1700万ドルの身代金を要求してくる。
義理の祖父のゲッテイに話すが、彼は「要求を認めたら14人の孫全員の身代金を払わなくればならなくなると」断る。
彼は、ケチで有名で、昔サンフランシスコに邸宅を持っていて、パーティを開くと客が勝手に電話するので、公衆電話を置いたと言うのだ。
父の代から石油事業を始めたのだが、この吝嗇と節税で、財産を作って来たのだ。
節税は実に面白いもので、彼の母も資産を保有することになるが、それを会社の株を交換したり売買したりして税金を逃れてきたのだ。
彼の息子の二世は、石油にも事業にも関心がなく、欧州の責任者だが、ローマにはいず、モロッコで女と麻薬に溺れている。
息子とローマにいるのは、元地方検事の娘のアビゲイルで、彼女とゲッテイの戦いが、映画の筋である。
最初身代金の支払いを拒否していたゲッテイは、突如同意する。
それは、父親に金を貸し付ける形にすれば、自分の所得から控除されると言うもので、この辺も笑わせる。
彼の趣味は、財産と骨董収集で、膨大なコレクションがあり、死後サンフランシスコ市に寄付しようとしたが、市は拒否する。
その理由は、ある美術の専門家に聞いたところでは、「コレクションの多くが偽物だったからだろう」とのこと。
金持ちが偽物を突かされるのはよくあることで、西武の堤康二郎にも膨大な美術品があり、一時は軽井沢に美術館を持っていた。
だが、父の死後堤清二氏が見ると、ほとんど偽物だったので、清二はそれらを隠し、美術館も閉鎖したそうだ。

犯人グループは南イタリアのマフィアで、彼らとゲッレイ家、そして警察とのやり取りになり、犯人は少年の耳を切って送ってくる。
最後、身代金と少年の取引になるが、田舎で解放された少年は、母親たちが来るのを待たずに勝手に町に出てしまう。
家々に助けを求めるが、人々はかかわりになるのを恐れてドアを閉めてしまう。
外国の金持ちへの反感だろう。
勿論、少年は無事助けられ、犯人たちも逮捕される。
その時、ゲッティ氏は一人で死ぬが、これは事実と違うようだ。
大変に面白い作品だっt。
ムービープラス
コメント
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