指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『妹』の台詞から

2020年09月29日 | その他
藤田敏八監督の『妹』には、大変に面白い場面がある。
それは、林隆三が、鎌倉に行き、今は吉田由貴子が一人でやっているブティツク「おいで」に行く。そして、夜林が毎日食堂に戻ってくると、秋吉久美子と吉田日出子がラーメンを食べている。
ジーパンから砂と木製のメガネが落ち、秋吉は言う「鎌倉・・・」
林は言う、秋吉のために鎌倉に行って吉田と話し合って来た、と。
吉田日出子は言う「裸で話し合って来たのね、サイテイね、今電話があったのよ」
秋吉は言う「今日、お兄様にむりやり犯されました、公衆便所で」
林は反論する「それは、あいつの罠だ、俺をネリから取ったという・・・」
吉田はさらに言う「自分から、その甘い罠に落ち込んだのね、虫の良い話ね」

             

これはよく言われる陰謀論が嘘であることを証明していると思う。
真珠湾攻撃のルーズベルトのやらせ、盧溝橋事件でのコミンフォルムの陰謀など、世に「陰謀論」は多い。彼らの陰謀で日本は戦争に巻き込まれたというのだ。
だが、どちらも、衝突が起きたとしても、それが偶然の結果ならば、どこかでやめられたはずである。
それが、どこまでも行ってしまったのは、結局は日本側に戦争をしようと言う意思があったからである。
そうしたことを無視して、陰謀に引っかかったというのは、自己の主体性を否定するものだと思う。


菅と菅

2020年09月27日 | 政治
菅義偉が首相になり、管直人とならび、二つの菅内閣が誕生した。
この二人には、共通しているところがある。
どちらも、地方出身であることで、菅直人は宇部、菅義偉は秋田である。
菅も菅も、名前からみれば、菅原氏の末裔のように思えるが、共に文化芸術には疎いように見える。
菅は、大学は空手部だそうで、菅も「芸術音痴」の小山台高校の出身である。
文書博士の菅原道真の末としては、やや恥ずかしいことと言うべきか。

さて、昨日書いた元パシフィコ横浜の社長の高木文雄氏は、文化に興味の強い方だった。1989年だと思うが、パキスタンのカワーリーのヌスラット・アリ・ハーンンが二度目の来日をして、今はない五反田の簡保ホールでコンサートをやった。この時、私は高木氏の隣席にいたが、休憩時に社長は言った。
「これは、本来は夜なかに徹夜でやるものではないかね」
まさにその通りなのである。

            

また、高木氏は大相撲が好きで、「枡席があるから見に行こう」とのことでパシフィコの佐久間常務らと国技館の枡席に行ったことがある。
席に着くと、例によって男衆が、「引き出物」を持ってきて我々にも配るのだが、その時高木氏は、そっとポチ袋を男に渡した。
相撲は好きで、子どもの頃からきているとのことで、長い間の経験があるのだなと感心した。

また、高木氏を横浜に招いたのは、元市長の細郷道一氏だった。
同じ事務次官仲間でよく知っていたからである。
毎年の正月の1月3日に歌舞伎座に行くと、細郷氏が奥さんと一緒に見に来ているのだった。
高木氏といい、細郷氏と言い、昔のキャリア官僚には、きちんとした教養があったのだなと思う。


菅首相が泣いて喜ぶ映画 『警察日記』

2020年09月25日 | 映画
日活は、1954年に映画製作を再開する。戦時中に、内閣情報局と永田雅一の策略で、東京と京都の撮影所は、新会社の大映に統合されていたが、日活は戦時中は旧作の、戦後は西部劇の上映で会社を経営してきた。
戦後の映画ブームの中で、「製作もすれば、もっと儲かるのでは・・・」と社長堀久作は考えて、調布に撮影所を作った。時代劇と文芸作品の二つが当時の路線で、文芸映画の一つが、この『警察日記』だった。原作は伊藤永之介、脚本は井手俊郎で、監督は久松静児である。久松は、なんでも撮る監督で、大映時代はサスペンスなどが多かったが、日活では文芸作品が多く、後に東京映画では森繁の『駅前シリーズ』を多作する。

               

舞台は福島の本宮で、そこの警察をもとに庶民の姿を描くが、根本は貧困による悲喜劇である。
農家の娘岩崎加根子は、周旋屋杉村春子の口で、愛知の繊維工売り飛ばされそうなところを人情警官三国連太郎に助けられる。杉村は逮捕されるが、そこに愛知の労働基準監督署の多々良純がやってきて「愛知の我々が起訴送検する」と議論になる。
森繁久弥は、棄て子の仁木てるみと男の赤ん坊を自家で育てる。「5人育てるのも6人育てるのも同じだ」と。
地元出身の通産大臣稲葉義男の里帰りの大騒ぎも挿入され、ここはゴーゴリ―の『検察官』的だが、伊藤は元はプロレタリア作家だった。
子を捨てた女の坪内美子が東京から戻ってくるが、そのころには二人の子は、町一番の富豪の旅館沢村貞子に無事に引き取られている。
また、東京に行く坪内は、森繁とジープの中なら仁木らを見て涙ぐむ。
本宮駅では、荷馬車夫だった伊藤雄之助が自衛隊入隊になり、それを帝国軍隊への入営と間違えている老人の東野英二郎は、万歳を三唱する。岩崎は、年上の豚屋に嫁入りするが、この豚屋は、被差別民の感じがする。
要は、貧苦は、地域の中で解決されることで、菅首相が言ったまさに「共助」である。
「自助、共助、公助、そして絆」の模範である。
だが、これは原作は1952年、映画化は1954年のことだ。
その後の、経済の高度成長からバブルを経て、小泉・竹中の新自由主義経済の時代の現在ではないのだ。かつてはあった地域と繋がりは現在は地方でも失われているに違いなく、都市には存在しない。
その意味では、菅首相の「自助、共助、公助、そして絆」は、「2周遅れ」の政策であり、ひどい時代錯誤である。
今日、絆と言って若者に聞いたら、「絆とはスマフォのこと・・・」だろう。
宍戸錠は、警官の一人で、一番下の若者である。
宍戸が亡くなった今日、ご健在なのは、岩崎と仁木だけだろう。
横浜シネマリン


「暑さ寒さも彼岸まで」

2020年09月23日 | その他
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、良く言ったもので、今日は急に寒くなった。
友人の下川博は、若いころからよく言っていて、古臭いなあと思っていたが、この年になると結構実感する。
さらに、もうひとつは、日が短くなったことで、これの方が強く思う。
秋になって、日が短くなると、なんとなく気分が落ち込むものである。
よく聞くのは、秋になり日が短くなると、鬱の人などは強い暗さを感じるもののようだ。



『野獣の青春』

2020年09月22日 | 映画
1963年の鈴木清順監督作品、たぶん5回目くらいだと思うが、久しぶりに映画館で見たので、展開の早さとテンポにしびれた。
その早さは、宍戸錠の肉体の俊敏さに応じたもので、彼の肉体が、「早く行け、早く行け」とフィルムに命令しているように見える。

               

話は、ある町に来た宍戸が、わざともめごとを起こし、ギャング根城のキャバレーに行くところからお始まるが、大井町で、映画館は武蔵野だが、それは大井町線駅近くにあった昔の大井武蔵野で、後に移転して遠くになり、名画座になった。キャバレーの壁がガラスになっていて、その裏がギャングの野元興業の事務所になっている。対立する三光組の事務所は映画館の裏で、映画が上映されている。野元のボスは、小林昭二、三光の組長は信欣三と新劇役者。金子信夫や江角英明なども新劇の役者である。
一方、刑事の木島一郎が娼婦と心中し、それを暴くためにかっての同僚の宍戸がギャングに潜入して、双方を戦わせるというアメリカのハードボイルド小説によくある筋書きで、原作は大藪春彦。
宍戸は、二回疑われ、リンチされるが、あの手この手で切り抜ける。そのアイディアの豊富さがすごいが、後に作られる具流八郎となる助言者が鈴木の周りにすでに出来ていたのだろうか。

木島の元妻で、実は、という渡辺美佐子が不気味で美しい。宍戸と渡辺の最後のやり取りは、さすが元松竹大船出身なので、リアルな台詞が良い。

横浜シネマリン



『大草原の渡り鳥』

2020年09月21日 | 映画
横浜のシネマリンでは、今年1月に亡くなられた宍戸錠を追悼して「宍戸錠映画祭」が行われている。
本当は、6月にやる予定だったが、コロナで今月に延期になったもの。
佐藤利明さんの選定で、15作が上映される。

この『大草原の渡り鳥』は、見たかどうか不明で、見に行ったが、すぐに見いていないことがわかった。
小林旭の滝新二が、北海道に現れるが、江木俊夫を連れている。江木は、子役で4歳からテレビ等に出ていたとのことで、芝居は上手い。
山から下りると、阿寒湖だろうか大きな湖で、アイヌのがあり、また佐々木孝丸が村の有力者で、鉱山を経営している。
その姪が浅丘ルリ子で、佐々木は自分の息子の木浦祐三と結婚させようとしているが、これは従弟婚になる。従弟婚は昔は非常に多く、レビー・ストロースは、アジア等の「又従弟婚」は、女性の交換であり、一族の始まりだとしている。私は、土地等の資産を自分の一族に残そうとするものだと思う。

アイヌの長は、河上信夫さんで、ここを釧路でキャバレーをやっている金子信夫が、水辺の地を取って飛行場を作ろうとしている。宍戸は、金子と銀行強盗をしたが、一人で罪をかぶって網走に7年いて、出てきたところ。
旭と宍戸は、拳銃使いの好敵手だが、二人とも台詞が上手いので、そのやりとりは、この5作目では漫才めいている。
金子は、ここではルリ子には特に手を出さず、その代わりに佐々木から借金の方に鉱山を取ろうとしている。
最後、アイヌの祭になり、伊藤久雄が歌う。そして『イヨマンテの夜』が演じられ、テレビでさんざ見せられたものだが、この形式は菊田一夫が舞台で始めたものだが、そうひどく歪曲はされていない。
以前、フィルムセンターで姫田監督のものを見たが、劇的にはなっていないだけで、そう『イヨマンテの夜』と違うものではない。
そこに金子の子分たちが来て、焼き討ちするが、小林旭の活躍で撃退される。
金子は、砂浜のようなところに逃げ、宍戸は彼に拳銃を投げて渡して堂々と戦って勝つ。
北海道なので、大群衆のなか旭が消えるというシーンはない。

         
             

終了後、佐藤利明さんの話で、宍戸錠の日活スタイルの奇蹟が解説されて、非常に面白かった。
『警察日記』の二枚目でデビューしたが、石原裕次郎の出現によるアクション路線への転換で、自分も豊頬手術という誰もしなかった造形を自らの体に施した宍戸。
日活の錠の拳銃の上手さの宣伝から出来上がる拳銃使い役と、裕次郎のス キー事故、赤木圭一郎の事故死により、急きょ主役にされ、『用心棒稼業』でアクション・コメディ路線になる。
そして、1960年代にはさらにハードボイルドへ上昇する。
『野獣の青春』のドラマ性とやくざの事務所が映画館の裏にある奇抜さ。
これは、古いやくざの信欣三の狂気ぶりがすごい。
そして、『拳銃は俺のパスポート』 これはプログラムに穴があいたために急きょ作られた作品だが、封切り時に見て本当に感動した。
だが、抒情派の野村孝監督にしては不思議だなと思っていたら、アクションシーンは、セカンド助監督の長谷部安春が撮ったのだそうだ。チーフ助監督は桑山朝夫で、ポルノ時代に作品を作ったが、普通の出来だったのだから。
そして、鈴木清順の『殺しの烙印』、実は封切りで見て、私は筋が理解できず
、2、3番館をまわって12回見て、やっと意味がわかった。
これはシュールで省略と飛躍が多いので理解しにくいのだ。これを見た堀社長が「わけのわからん作品を作る監督はいらない」として鈴木を首にしたのは、ある意味で正しいと思う。
私は、鈴木を首にした理由は、それよりも「具流八郎」で、多くの若手助監督、脚本家等が集団を作っていたのが一番に不快だったのではないかと思う。
日活という小企業の社長にとって、自分以外の者たちが徒党を組んでいるのは、会社、そして自分への反乱のように思えたのだろうと思う。
堀久作は、所詮は小企業の親父にすぎなかったのである。



小此木彦三郎に制裁を受けた方

2020年09月21日 | 政治
今度、総理になった菅義偉氏が秘書をやっていたのが、元通産大臣だった小此木彦三郎だが、彼が大臣になる前に、「小此木内閣成立」というイベントが神奈川県民ホールであった。
1980年代のことだと思うが、要は小此木議員の総決起大会だったが、結構面白く、羽田攻が省エネルックの背広で出てきて大いに笑えた。

             

この時、一番面白かったのは、作曲家・黛敏郎の話だった。
黛敏郎は、戦時中は神中(神奈川第一中学、現希望ヶ丘高校)にいて、彼の上級生に小此木君がいた。
ある日、黛は、応援団長の小此木に教室の裏に呼び出される。
「お前は、ピアノでフランス音楽など弾いていて非常に軟弱だ!」
と鉄拳制裁を受けたのだそうだ。
敵国のフランスではなく同盟国のドイツ音楽ならよかったのかもしれないが。
この頃、菅首相は、すでに小此木事務所にいたはずだが、この時はなにをしていたのだろうか。

『恋人たちは濡れた』

2020年09月20日 | 映画
           

1973年の神代辰巳監督作品。
海辺の道を大江徹が自転車で、映画のフィルム缶をは運んでいる。
途中で倒れて、フィルムがはじけて出て道路を走る。
昔は、日本映画の封切時は、複数館で掛けもち上映をしていたので、フィルムを運んでやりくりしていた。
昔、土曜日の午後、伊勢佐木町の映画館で『君よ、憤度の河を渡れ』を見るため、館に入ると客が「また、ここかよ」と怒っている。
たぶん、次の缶が来ないので、前のをもう一度上映したのだと思うが、その後は普通に話は続いた。
ここで、運んでいるのは、ピンク映画なので、掛けもち上映はおかしいのだが、まあいい。
公楽館の主人は、高橋明で、奥さんは絵沢萌子であり、非常に色っぽい。
大江は、町(千葉の大原らしい)の人間から「お前は加藤のケンだろう」と言われるが、初めての町であり、本人は違和感を持つ。
この辺は、カフカ的である。
そして、トラック運転手の男と正体不明の女中川梨絵のセックスを海岸で目撃することになり、ここから男二人と一人の女の関係になる。
これは、ニューシネマの『明日に向かって撃て』的で、ここでも自転車に男女が二人で乗るシーンがある。
神代の作り方は、いつも異化効果的で、ここでは御詠歌がかぶされている。
3人は、くっついたり離れたりする。
最後、大江は、金のために人を刺したといい、海べりでもう一人の男にナイフに刺され、大江と中川は、自転車ごと海に沈んでしまう。
途中で、大江が強姦する女は、薊千露で、高校の演劇部の2年下の女である。
中川梨絵は、数年前に亡くなったが、薊千露こと鈴木仁美君はどうしているのだろうか。

衛星劇場

稲田三吉先生、曰く・・・

2020年09月19日 | その他
早稲田に入ってうれしかったことに、フランス語の先生が稲田三吉氏だったことだ。

           
稲田三吉は、アンドレ・ブルトンの『シュールレアリズム宣言』を訳した人で、高校時代から、現代詩を読んでいた私は、大変にうれしかった。授業に出ると、まるでひよっとこ顔で、「とてもシュールレアリストには見えなかった」が。
授業の中身についてはほとんど憶えていないが、最初に言われたことはよく憶えている。

皆さんは大学に入って授業の勉強をきちんとすることはもちろんだが、それは三分の一である。
残りの三分の一は、クラブやサークルなど、みんなで何かやることである。
最後の三分の一は、自分が一人でできること、好きな本を読むことや映画を見る等のこと、この三つをやればいいのではないか、と。
大学は、何かを教えるところではない。それは高校で終わりで、大学は勉強の仕方、方法を教えるところだ。
たしかに、学者や研究者になる以外の人間が大学でやるべきことはそうだろうと大変に納得した。
稲田先生は、非常に良い先生だったが、もう亡くなられたようだ。

『縞の背広の親分衆』

2020年09月19日 | 映画
1961年の東京映画、監督川島雄三、主演は言うまでもなく、森繁久弥、フランキー堺、淡島千影、桂小金治など。
                 

芝浦の埠頭に、15年ぶりにヤクザの森繁が降りてくる。
彼は、人を殺したため、南米に逃げていたが、元の組の鳳組は、組長が死んで、新興やくざの風月組(有島一郎)に押されている。フランキーは、本当は寺の坊主だが、博打が好きで、森繁の子分になっていた。小金治は、食堂をやっているが、腕は大したことなく、いつも妻の藤間紫に怒られている。
話は、このやくざの対立と、海岸への高速道路建設に、鳳組の守り神の「お狸様」の移転のことが絡んでくる。そこには、代議士の渥美清、元やくざで今は道路公団役員になった沢村い紀雄らが絡み、沢村は、なんと森繁が殺したはずの男なのだ。
森繁が、百貨店の苦情係りになり、口から出まかせを言うのも楽しい。

これは元は、伴淳三郎の共演を予定した八住利雄の本があったが、松竹の反対で伴淳が駄目になり、柳沢類寿が急きょ書いたのだそうで、筋は一貫していないが、そのおふざけは楽しい。
要は、風俗映画で、人間の愚かしさ、男女の不思議な成り行きを描くもので、松竹的な映画だと言えるだろう。

ロマンポルノ時代でも・・・

2020年09月18日 | 映画
1971年末に日活は、ロマンポルノ路線に移行したが、この時、実は他の路線もあった。
一つは、大作路線で、『戦争と人間』を作り、日活系ではなく、洋画系で公開した。ただ、これは、続かなかったが最後に『落陽』を作ることになる。
もう一つは、児童映画で、これは学校や地域で上映されるもので、結構作られた。
ロマンポルノ中も、一般映画も作られていて、昨日書いた『炎の肖像』や『宵待草』、さらに『妹』『赤ちょうちん』『バージン・ブルース』の秋吉久美子3部作も、一般映画だった。
中には、梢ひとみの『スケバンデカ・ダーティー・マリー』も、ポルノではなく、一般映画だったそうで、これは少々驚いた。
公開当時、「これはすごい笑える題名だ」と言った友人がいた。

         

もっと凄いのでは『アマぞネスVS片腕ドラゴン』という、ある村をアマゾネス軍団が襲い、それを片腕のドラゴンが村人を指導して勝つというイタリア映画もあった。この法的には少々問題があるが、『七人の侍』をヒントにした作品は結構面白かった。
題名で最高作は、なんと言っても『ポルノ先天的欲情魔』だと思う。


『炎の肖像』

2020年09月17日 | 映画
1974年1月4日に、横浜日活で見ている。
たぶん、仕事初めの午後、見に行ったと思う。
併映は、『宵待草』で、神代辰巳監督、高橋洋子主演のこれはよく憶えているが、沢田研二主演のこれは、今回見てほとんど憶えていないことに気づいた。
仕事初めで飲んだ酒で寝ていたのだろうか。

         

冒頭に海辺のホテルの部屋でベッドシーン、「体でかいな」と思うと、秋吉久美子ではなく、中山麻里だった。操車場で彼女は自殺する。
沢田が東京のマンションに戻ると、父親の佐野周二が、「外にいたよ・・・」と秋吉を部屋に入れる。佐野は、「サン・モニ」の関口宏の父で、松竹の二枚目だったが、彼は不思議にもこの時期は非常に軽い脇役で出ている。最高は、池内淳子の『花影』での、青山二郎役で、「よくもかつてのスターが、こんな役をやったな」と見るたびに思うが、偉い。
骨董商で、出物があったので京都から出てきたという。
電話が掛ってきて、沢田が秋吉と喫茶店に行くと、原田美枝子がいて、中山の妹で、「姉は自殺した」と詰問するが、沢田は取り合わない。
沢田研二と井上バンドのライブも挿入されるが、先日死んだ岸部四郎は、ザ・タイガース以後のことなのでいない。
沢田が、海岸付近で大門正明らと喧嘩する話もあるが、理由は不明。大型トラックの運転手地井武男との道中もあり、佐野周二と飲みに行くバーのマダムは、朝丘雪路と結構多彩な配役。
どこかの体育館で開催された「ジュリー・ロックン・ロール・サーカス」では、内田裕也と沢田のデュエットもある。
沢田が山手線に乗っているシーンもあり、降りてキヨスクに行くと秋吉が店員で、彼女とは渋谷の外れの沿線でキッスし、お待ちかねのベッドシーンもある。
最後、町で地井のトラックを見つけて乗り込むと、妊娠した女房を迎えに行くとのことで、ある町で止めて妊婦を乗せると、彼女は薊千露こと鈴木仁美。
彼女は都立小山台高校文化部演劇班の2年下にいて、日大芸術学部に行って女優になった。篠田昌浩の『無頼漢』にも出ていたはずだ。
これは、藤田敏八と加藤彰との共同監督になっていて、二人がどのように分担したかは分からない。

『小原庄助さん』

2020年09月17日 | 映画
1949年の新東宝映画で、東宝配給。この頃は、新東宝製作、東宝配給の体制だったが、後に新東宝が自立し、これが崩れる。
新東宝独立に動いたのは、主に戦前のPCL系の人だったようだ。

           

「小原庄助さん」が歌われるが、会津ではなく、東京の近郊の農村くらいのい感じである。
地主の庄助の大河内伝次郎は、善人で村の若者には野球の道具、女性にはミシンをあげるなどする。
要は慈善を施すが、これは福祉ではない。福祉とは、大河内一男東大総長が言ったように、資本主義が体制維持のために実施する施策なのだから。
彼は、頼まれると町長選挙では、インチキ男の日守新一を応援し彼が当選してしまい、友人坊主の清川荘司は落選してしまうが、日守は、選挙違反で捕まってしまい、清川が村長になる。
最後、大河内の財産はなくなり、売り払われて入札されているところで終わる。

戦後、地主が没落したのは、大河内のような蕩尽ではなく、言うまでもなく「農地改革」である。
これで、大土地所有がなくなり自作農ができ、農村の保守化が進み、自民党体制の基礎になる。
戦前は、日本でも農民運動が非常に盛んで、小作争議が多数あり、日本労農党という社会主義政党があったくらいだ。
この農地改革は、新憲法制定とともに、GHQの指令で行われたと言われる。
だが、実際はそうではなく、戦前から国の官僚たちによって検討されてきた施策が、GHQの力で実施されたというのが正しく、それは労働3法の制定もそうで、日本国憲法も、ややそれに近い。
「新憲法」制定の時、昭和天皇も反対の意は示さなかったことが、その大きな証拠である。

町の栄枯盛衰

2020年09月16日 | 横浜


菅義偉議員が総理になり、地元の商店街の一つの横浜橋商店街も盛り上がっているようだ。
横浜で有数の商店街である、横浜橋商店街も、実は南区ではそう昔から賑わっていたわけではないようだ。
以前は、この横浜橋の一つ東の横浜医大通り商店街の方が賑わっていたらしい。
その証拠に、横浜のストリップの名門の横浜セントラ劇場は、横浜橋通りではなく、医大通り商店街を少し脇に入ったところにあったというのだ。
以前、ここのY店で酒を飲んでだ時、「横浜セントラルから由利徹が女性を連れてきてよく飲んでいた」と言っていたから本当である。

なぜ、この二つの商店街の勢力が逆転したかと言えば、言うまでもなく横浜市大病院が、浦舟町から金沢に移転したことが大きい。
市大病院の患者、見舞客等が医大通りの飲食店に来ていたのが、なくなったことが最大の原因だと思う。
町の栄枯盛衰は不思議なものだと思う。

『黒い太陽』

2020年09月15日 | 映画
菅義偉官房長官の自民党総裁勝利のニュースなど見ても仕方ないので、蔵原、山田、川地のジャズ映画を見る。
1964年で、このころはまだ日本ではジャズ・ブームだった。
7月には、「世界ジャズ・フェスティバル」が行われ、なんとマイルスが初来日した。厚生年金会館ホールで公演し、高校2年の私も見に行った。この様子は、『マイルス・イン・トーキョー』としてLP化され、1960年代にジャズ喫茶に行くと、一日1回はかけられたものだ。
    
ここでも、川地は、渋谷のチンピラで、せこい窃盗をして生きている。恋人の千代郁子は、やはり外人相手のパンパンである。川地は、桜ケ丘に住んでいて、そこは廃屋の教会で、外観は実際に建てられたようだ。
ある日戻ると、喧嘩で人を殺した黒人兵のチコ・ローランドが潜んでいる。
川地は、黒人ジャズが好きなので、「ア・イ・ラブ・ユー」と言うが、互いに理解しえない。
『狂熱の季節』でも、川地は「黒人ジャズが最高で、白人が盗み、日本人がまねしている」と言っている。ジャズ、イコール、黒人と言うのは当時の理解だが、まあそんな程度だったろう。
音楽は黛敏郎だが、マックス・ローチらが本当に来て演奏している!
日活も金があったのだなと思う。
川地は犬を飼っていて、誤ってチコに撲殺され、それをジャズ喫茶・デュエットで「モンクが死んだ!」と叫ぶと、
「セロニアス・モンクが死んだの?」と大騒ぎになるのが、そこがただ一つ笑えるシーン。
川地は、盗んだ外車の代わりに、廃車屋の大滝秀治から借りたオープン・カーにチコを乗せ、道玄坂商店街の宣伝で渋谷を流す。チコは白塗りで、川地は黒塗りにしている。

二人は、対立と和解を繰り返すが、最後、夢の島でチコが歌うのを聞き、本当に川地はチコが好きになり、海に逃がしてやろうと思うが、警察と米軍のMPに包囲される。
チコは、アドバルーンに巻き上げられ、川地はMPらに逮捕される。
君が代の黛敏郎は、戦後は米軍基地やダンス・バンドでジャズ・ピアノを弾いていたとのことで、音楽は非常に良い。
この映画の企画は大塚和で、この人は本当に範囲が広い。