指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『親方、宗十郎によく似てる』

2008年08月29日 | 演劇
豊田四郎の映画『如何なる星の下で』の中で、山本富士子の父加東大介が言う捨て台詞で、何の意味がよく分からなかった。
日活末期とロマンポルノで数本の監督作品もある藤浦敦の『三遊亭円朝の遺言』を読んでいたら、太神楽の台詞とある。

一人が「親方、宗十郎によく似てる」と言うと、
相方が、
「よく見りゃ掃除屋によく似てる」と洒落れて交ぜっ返すのだ。
宗十郎とは、歌舞伎の沢村宗十郎で、良い男の代名詞。

加東大介は、戦前は太神楽の芸人だったが、戦争で腕に弾を受けて働けなくなり、三益愛子と山本富士子の佃島のおでん屋に寄食しているぐうたらである。
だから、この台詞が出てくるわけだが、その辺のことは、昔の映画人はさすがによく踏まえている。

藤浦家は、三遊亭の宗家で、藤浦さんは新作落語もあり、またこの本は落語家の批評としても、大変レベルが高いものであるが、それについては別に書く。

『幕末純情伝』

2008年08月26日 | 演劇
新橋演舞場の、つかこうへい作・演出、石原さとみ主演の『幕末純情伝』を見に行く。
新選組の沖田総司が、実は男で坂本龍馬に恋していたという奇想天外な設定だが、今回はさらに坂本龍馬が実は女性だったとなっていた。
坂本役は、元宝塚の真琴つばさで、両者が女性というのには、作品の意味がなくなっていると思うが。
石原では、観客が呼べないので、元宝塚の真琴をキャスティングしたのだろうが、坂本も女性では、純情は成立しない。
まるで、男だけの集団である新撰組自身が、男だけ故に彼ら自身が純情になっているように見えた。

石原さとみは可愛いが、発声と滑舌が全く出来ていなくて、マイクで声を拾っているが、半分くらいしか台詞が理解できない。
牧瀬理穂、藤谷美和子ら多くの女優が演じてきたが、彼女たちの台詞は聞こえたのだろうか。

今回、つかの劇を見て思ったのは、「彼はSCOTの鈴木忠志の直弟子だな」ということだ。つかは、学生時代に早稲田小劇場に出入りし、鈴木から大きな影響を受けている。
鈴木忠志は、「演劇にとって最重要なのは、役者の演技を見せることで、テーマ、物語等は演劇の本質ではない」としている。
鈴木の禁欲的訓練主義を除き、サド・マゾゲームを入れれば、作品の持つ批評性と言い、つかの芝居になるというのが私の考えである。

つかも、やろうとしていることは、役者の演技を見せることである。
山崎銀之丞をはじめ男優たちは嬉々として奇想天外な劇を演じている。
そこでは、新撰組の人物もただの記号と化している。
個々の人物がどうであるか、などどうでも良いのである。なぜ、坂本龍馬が憲法第9条を唱えるか、など意味はないのだ。
要は、役者がカッコよく演じられればそれで良いのだ。
だが、石原がこのザマでは、劇は無意味化していた。

内容は、結局は「日本人論」で、その意味で「つか芝居」は、すべて日本人論である。
私の隣のお客さんは、「全く意味が分からないけど、忙しく煩くて眠る暇もないわね」と言っていたが、実に的を射た批評だった。

石原さとみは大いに問題があったが、真琴つばさは、とてもカッコ良かった。

吹き替えヌード

2008年08月26日 | 映画
吹き替えで思い出したが、昔の日本映画では、ヌードシーンになると主演女優とは別のヌード女優が出ていることがあった。
1960年代の大映の増村保造監督、若尾文子主演の過激な作品が多数あった。
『赤い天使』『濡れた二人』『刺青』『夫が見た』などだが、これらでベッド・シーンになると若尾文子ではなく、別の女優が脱いでいた。
別の女性を抱かされる男優は、どのような気分だったろうか。
いつも見ると、「しらけるだろうな」と思ったものだ。

口パク映画は

2008年08月26日 | 映画
北京五輪開会式での「口パク」歌唱が問題になっているが、映画ではいくらでもある。
アメリカのミュージカル映画では当然のことである。
ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』で自分で歌ったのは、たしかリタ・モレノくらいで、主演の連中は皆吹き替えである。
また、オードリー・ヘップバーンが主演した『マイ・フェア・レディ』も,歌のシーンは勿論吹き替えである。、
このオードリーと、『ウエスト・サイド・ストーリー』の主演のナタリー・ウッドの吹き替えは、同じ女性歌手なのだそうだ。

それだけ、歌手、役者の層が厚いと共に、歌とルックス、演技に求められるレベルが高いと言うべきだろう。

星野野球とは何か

2008年08月24日 | 野球
星野野球とは、結局明治大学の「島岡野球」だろう。
簡単に言えば、選手の技術、能力ではなく、すべてを根性、やる気に帰結させる野球であり、「愛の鞭」と飴の訓練だろう。
こういう訓練と野球方法は、程度が高くない選手を引き上げるのには通用するが、一流選手には関係ないものである。やる気が欠けていた中日や阪神の選手を奮いたたせるには有効だったが、すでに一流選手の日本代表には無用である。

星野仙一の「暴力性」は、とても有名で、昔中日にアロンゾ・パウエルという連続首位打者を取った功打者がいた。
だが、彼は「星野監督が鉄拳を振るうのがとても怖い」と言ってさっさと中日を退団してしまった。

星野のようなスタイルの根性野球は日本では珍しくないが、現在の国際化の中では通用しないことが、今回のオリンピックで明確に証明された。
もっと別のスタイルの野球を目指さない限り国際大会では通用しないだろう。

なぜアメリカにも負けたのか

2008年08月24日 | 野球
オリンピック野球は、アメリカにも負けて4位になった。
結局、韓国、キューバ、アメリカには一度も勝てず4勝5敗である。
その原因は、勿論松井、イチロー、城島、福留のメジャーに行った選手が出なかったことだが、やはり監督を星野にしたことが大問題だったと思う。
冷静に考えて、星野は人気はあるが、実績はほとんどない。
特に、リーグ優勝はしているが、日本シリーズで一度も勝っていないことは、短期決戦で弱いことを示している。

長嶋、王が無理な現在、本当に相応しい監督は、元阪急の上田あたりではなかったか。
日本シリーズで何度も優勝している実績等から考えれば、上田、あるいは森あたりが上位だろう。
ただし、森は全く人気がなく、また広岡をはじめ球界で敵が多いので、無理とすれば上田あたりしかいなかっただろう。

代表選手の人選もおかしかった。中日勢が多く、自分の使いやすい選手ばかりだった。
4番を新井にしたなど、どう考えても首をかしげる采配という他はない。
4番を打たせるなら、同じ阪神の金本にすべきで、「アニキ」と慕われる彼なら、他の選手の模範にもなり、拠所となって精神的プレッシャーも取り除けただろう。
G・G・佐藤も悪い選手ではないが、今年初めて一軍で活躍するようになった選手である。日本代表というには荷が重すぎたのではないか。
セで言えば、小笠原、パで言えば、松中、小久保など、いくらでもホームランもヒットも打てる打者がいた。
故障だが、巨人の高橋佳伸や横浜の仁志でも、G・G・佐藤、村田らよりは上だと思う。

いずれにしても、アメリカが元巨人のデーブ・ジョンソンを監督にしたように十分に日本対策をしてきたのに対して、アメリカ、韓国、キューバへの対策が不十分だったと思う。田渕、山本、大野らは韓国、キューバ勢を視察に行ったのか、疑問である。

『大俳優・丹波哲郎』

2008年08月23日 | 映画
中央図書館にあったので、少し読んだら抜群に面白いので買って読む。
最高に面白い。
ワイズ出版の映画関係の本は随分読んだが、これが一番面白いと思う。
それは、丹波が正直で、結構真面目だからだろう。
適当に作っている作品では、適当に演じているのがおかしい。
台詞を憶えない、という話だが、それはどうでも良い作品だからで、本人も周囲も真面目に作っている作品では、長台詞もきちんと憶えてきてやる。

『日本沈没』『人間革命』『砂の器』等での大演説は、日本映画史に今後も残るものだろう。
今後、ああいう演技が出来る役者は、もう出てこないのではないか。

エピソードでは、松竹の『智恵子抄』で、岩下志麻とベット・シーンになったとき、岩下は下半身は写らないというので、Gパンで撮影した、と憤慨しているのが最高におかしい。

アメリカ戦は、わざと負けたの?

2008年08月22日 | 野球
北京オリンピック、野球の日本・アメリカ戦、延長11回からのタイ・ブレークのとき、岩瀬がいくら打たれても星野監督は、岩瀬を替えなかった。
リリーフは、藤川、上原といくらでもいたのに。
これは、準決勝でキューバに当たりたくないためではないか。

韓国とキューバを比較すれば、キューバにはまず勝てないが、韓国なら何とか勝つ可能性もある。
もし、韓国に勝てれば、キューバには負けても2位である。
そこで、あの時は、わざと岩瀬を続投させたのでないか。

そして、今日韓国との準決勝になるが、そう上手く行くだろうか。
これは見物である。
わが贔屓の、杉内の投球と稲葉の打席に期待するしかないだろう。
このオリンピックで、打者では期待できるのは稲葉だけだが、さすがである。

華国峰元主席死去

2008年08月21日 | 横浜
華国峰中国共産党元主席が死んだ。87歳。
1979年に上海で「横浜工業展覧会」が開催され、私も市代表団の一員として上海に行ったときの最高権力者が華国峰だった。
そのとき始終聞かされたのが、「4人組」の悪口である。

後に、日本のオークラがホテルを作った「花園飯店」での宴会に招待されたが、そこは江青女史以下の「上海ギャング・4人組」の巣窟だったと言っていた。
上海は、江青などの出身地であり、直に被害があったようで、その分彼らへの憎しみはとても強かったようだ。

当時は、文化大革命の傷跡がいたるところにあり、会う多くの人が、文革中(彼らはプロ文革と言っていた)は、チベットや僻地に流されていたと語っていた。
そして、名誉回復しやっと大都市に戻って来たのである。
政治的に対立すると、その相手を僻地に流してしまうのだから、中国の政治的対立はすごい。

華国峰時代は、現在に繋がる『改革開放』路線の登小平時代への過渡期の時期であり、その意味では興味深い時代だったと思う。
つまり、「プロ文革は間違いだったが、毛沢東思想は正しい」という矛盾を含んだ路線だった。
そうした矛盾は、現在では完全に払拭され、毛沢東の個人的、思想的誤りや、劉少奇、さらに周恩来への嫉妬までが暴かれている。

だが、将来歴史がどのように描かれようと、20世紀に中国を共産党の下に統一し、近代国家への道を開いた政治思想家・毛沢東の偉大さは、なくならないだろう。
ただし、共産党が政権を取り、政治、経済的に発展すべき過程でおかした誤謬は、また別の問題である。
彼は、偉大な政治思想家ではあったが、国家を管理、運営する実務家ではなかったのだから。
その意味では、ロシア革命における党官僚スターリンに対立する自由人トロッキーと似た資質だったと思う。

関東鉄道について

2008年08月20日 | その他
関東鉄道は、取手から下妻まで以外なくなった、と書いたら、「鉄道オタク」から二つのご指摘をいただいた。
取手からは、下妻ではなく、下館だそうで、その他に龍ヶ崎から佐貫の線もあるとのこと。
勿論、その通りなので、訂正いたします。

この辺は、明治の蒸気機関車の時代からかなり鉄道は敷かれていたが、自動車時代になり、ほとんどが廃線になった。
それだけ、変化が激しかったのだろう。
しかし、高齢者など車を持たない者は、移動が大変だろう。


練習不安症候群

2008年08月19日 | その他
女子マラソンで棄権した土佐礼子、そして出場しなかった野口みずきら、日本選手全員に言えることだが、練習しないと不安になる性癖である。

去年2007年4月、フィルム・センターでの黒木和雄追悼上映で見た『あるマラソンランナーの記録』で、君原健二を見た時も感じたのが、この練習しないと不安になってしまう症候群である。
君原は腰痛に悩みながら、それでも練習する。
野口、土佐らも、そうした常に練習していないと不安になってしまう選手なのだろう。
土佐は外反母趾、野口は筋肉痛と明らかに練習のしすぎから来たものだろう。

ともかく、こうした練習方法を根本的に変えない限り、日本選手のアクシデントは避けられないと思う。

常に練習していないと不安になってしまう性癖と言うのは、経済の高度成長に象徴される戦後一貫して、常に仕事に走り続けている日本人の姿そのもののように見えるのは、残念な気がする。

H元局長が亡くなられた

2008年08月18日 | 横浜
横浜市元局長のH氏が亡くなられたのを知ったのは、なんと某国会議員のブログだった。
密葬だったとのことで、新聞にも一切出ていないのは、現役時代の「偉さ」を知る者には意外である。
二枚目で、かなりカッコをつける方だったので、この間の体の衰えを晒したくなかったのだろう。
写真を見ると痩せている。肺ガンだろうか。

H氏は、財政局のエースで、その言動で皆んな震え上がるほど怖い方だったらしい。
私は、ほとんど接触がなかったが、噂は随分聞いた。
昔、私がパシフィコ横浜のオープニング・イベントとして、「ウォーマッド横浜91」を企画し、横浜市から約1億円の補助金を当てにしていたとき、「指田が考えたなら仕方ない。1億は出してやろう」と言ったと仄聞した。
それなりに度量の広い方だった。
私のような異端児の企画も、横浜市の将来のためと許容されたのだろう。
誠に有難いことである。

だが、死んでしまえば、それまでというしかない。
やはり、タバコはいけない。
余り関わりのなかった方だが、心からのご冥福をお祈りした。

筑波山と土浦市

2008年08月17日 | その他
夏休みで、大学時代の友人が住んでいる土浦に先輩と行き、筑波山に登る。
と言っても、ロープウェーで中腹に行っただけだが。

8月15日、東京は35度と猛暑で、茨城も暑かったが、さすが吹き上げて来る風は涼しかった。
展望台からは、晴れてれば東京タワーや六本木ヒルズも見えるそうだ。
だが、霞ヶ浦の名があるとおり、下の平原は一面に霞がかかっていて、全く見えない。
たしかに、三浦半島の観音崎からランドマーク・タワーが見えるのだから、筑波から東京が見えても不思議ではない。

友人から、眼下の平野の膨大な田圃の源水は、総べて霞ヶ浦の水で、それをポンプで揚水し水田に配水しているのだと聞く。
国の農業への補助金や直轄事業は、我々が知らないだけで、実は膨大にあるのだが、その一端を知り、改めて驚く。
そうやって戦後、自民党は農民を自作農として取り込み、保守政権の維持をしてきたわけだ。久保栄の名作『火山灰地』に象徴される全国の小作農たちは、戦後解放され自民党政権支持者になった。これは勿論、彼らにとって良いことだったのだ。

帰り、つくば市を友人の車で通る。
いきなり整然とした幅の広い道路、近代的なビルで、およそ日本的ではない外国が出現する。
西欧の大学都市は、こうしたものらしいが、新宿の雑踏の延長のごとき猥雑大学を出たものには、どうもピンと来ない。
一緒に行った先輩も、「ごちゃごちゃしている方がしっくり来るね」とのこと。
我々はアジア的な感性である。

土浦市に近くなると、桜並木が続いている。
以前は、鉄道の敷地だったとのこと。筑波鉄道の跡地だろう。
関東鉄道は、以前は、常陸平野一帯を鉄道で結んでいたが、今は取手から下妻までの常総線以外はなくなり、バス路線に替わっている。
鈴木清順の映画『刺青一代』で、満州に渡ろうとして新潟から高橋英樹が乗ったのも、確か関東鉄道の線だったと思う。

翌日は、せっかく土浦市に来たのだからと、市立博物館に行く。
昔、横浜に来たアメリカ人に聞いたが、「ある都市に行ったら、まず博物館か美術館に行けば、そこの都市は理解できる」そうなので、私は知らない町に行ったら、博物館か美術館に行くことにしている。
亀城跡にある市立博物館は、人口15万の市にしては立派なものだった。
だが、展示品のほとんどは、江戸時代以前の物である。
江戸時代、土浦は土屋家9万石の城下町で、霞ヶ浦と利根川の水運の結節点として、また水戸藩に対する政治的要衝として大変栄えたようだ。
近代以降は、水運がなくなり、霞ヶ浦の海軍の「予科練」の地として有名になり、その施設も残っていて、そこは前に友人と見に行ったので、今回は行かず。
博物館の展示には、海軍関係はほとんどなかったが、余り触れたくない歴史なのだろうか。

前夜、ホテルのテレビを見ていると、東京の地上波以外のテレビ局がなかった。
タクシーの運転手に聞くと、ラジオは茨城放送があるが、テレビ局はないのだそうだ。ホテルがズルしてUHF局を入れていないのではなかった。
かなり珍しい県である。

水泳アナウンスの独自の調子

2008年08月15日 | その他
北島が金メダルを取って盛り上がる水泳だが、最近は違うが、昔は国内水泳大会というと必ず独特の調子のアナウンスがあった。

「ただいまの結果ー、一着○○君、」 これが、「けっかぁー、・・・君」と大変抑揚の強い調子だった。
最近は、普通に平板に言っているようだが、昔の大会は必ずあの調子だった。

そして、あの水泳の独特のアナウンスを始めたのは、関東地方の水泳協会の幹部の方だったそうだ。
そして、この人は、最後は水戸市だったと思うが、そこの助役になられたと新聞で読んだことがある。
多分、教員から教育委員会事務局職員になり、そこから行政職になったのだと思う。
もう憶えている方もないかも知れないが、記憶に残るアナウンスである。

美女金メダルは誰か

2008年08月14日 | その他
北京オリンピック、美女金メダルは、今のところ柔道女子70キロ級のフランス代表で、日本の上野に準決勝で負けたエディツト・ボスだろう。

背が高く、セシール・カットの横顔が非常に美しかった。
申し訳ないが、ルックスでは上野の一本負けだった。
オリンピックは、こういう不謹慎な楽しみ方もある。
それでいいのだ。