指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

レコード大賞発表会を見て

2021年12月31日 | 音楽

年末恒例の「レコード大賞発表会」を、別の作業をしながら見る。

これはいつからか知らないが、初台の新国立劇場から放送されている。

昔は、レコ大は、有楽町の帝劇で行なわれ、NHKの『紅白歌合戦』は、東京宝塚劇場で行なわれていた。

この二つは、すぐ近くで、歩いて15分くらいなので、レコ大の受賞歌手が、そのまますぐに紅白の入場行進に並んでいるなんてことができた。

それが、NHkが内幸町から渋谷に移り、紅白はNHKホールでやるようになった。

そこで、9時の紅白の正式開始まで、新人歌手などで埋めていたのが、紅白が7時半過ぎから延々とやるようになった始めだと思う。

そして、ついにレコ大は、前日12月30日に、初台の新国立劇場の中ホールでやるようになった。

新国立劇場中ホールは、舞台機構が完備されているそうだが、その機構を駆使した舞台を私は見たことがない。

あえて探せば、佐藤信作・演出の『ブッダ』くらいだと思う。

ところが、このレコ大だけは、一年に一度舞台機構を十分に駆使するイベントなのだ。

今年は、大して使っていないようだったが。

時間は、6時から4時間もやるので、過去の新人賞から大賞までが放送される。

これが、公平に見て今のよるも、はるかに良いのは大変に困ったことだ。

そして、新人から優秀作品まで、みなグループ、団体である。

北朝鮮のマス・ゲームを始め、東アジアは、やはり「アジア的共同体」なのかとあらためて思う。

歌唱賞は、MISHAで、すごいとは思うが、私は好きではない。

余りに過剰で、自己陶酔が嫌なのだ。1曲なら良いが、延々とやられると参るとしかいいようがない。

明日は、紅白歌合戦で、つまらないけど見るが、これも集団競技なのが困ったものだと思う。

新国立劇場だが、元は通算省工業技術院で、そこの所長は池袋交通事故の被告その人である。

 

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『東京流れ者』

2021年12月30日 | 映画

何度も見ている映画だが、やはり面白い。

私が、早稲田の映画研究会に入って、その活動には大いに不満だったのだが、誰に言われたか忘れたが、

「鈴木清順と川島雄三は見ておけよ」と言われたことには、最大の感謝を表すものだ。

これは、入学した1966年の作品だが、見たのは記録では翌年の5月で、新宿国際だった。

                 

原作は川内康範だが、鈴木が相当に替えていると思う。

今回見て、『東京流れ者』を松原智恵子が歌うシーンがあるが、これは彼女が歌っているようだ。

ラストの『ブルーナイト・イン・アカサカ』は、鹿乃郁子のもののようだが。

この映画が成功しているのは、渡哲也も松原智恵子も、お人形さん的な美男美女だからだと思う。

マンガ的で、パロディ的な作品は、このお人形さん的な主人公によって成功していると思う。

しかし、この作品は東京流れ者ではなく、横浜、東京、山形、佐世保と全国流れ者である。

ただ、ここでの佐世保は、本当の佐世保ではなく、横須賀で撮影されている。

日活も、佐世保までスタッフ、キャストを行かせる余裕がなくなっていたのだ。

また、この後に、鈴木清順が『殺しの烙印』で、日活を追放されてしまうことを予言したような作品だとも言える。

チャンネルNECO

 

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大久保正信さんの略歴が分った

2021年12月30日 | 映画

ユーチューブには、いろんな情報があるもので、東宝映画に出ていた俳優大久保正信さんの略歴が分った。

それは、「メディア・あどりぶ倶楽部」という元関西テレビにいた難波さんいう人の対談で、元朝日放送の小関プロデューサーの叔父なのだそうだ。

小関さんは、慶応大学演劇研究会にいて、本気で役者を目指していたが、ある日、母親から、

「叔父さんのように、本当に赤貧洗うがごとしの生活になる覚悟はあるのか」と言われて、役者の道は諦めたとのこと。

この母親の2歳年下の男が、大久保さんなのだ。

                 

彼は、悲惨な中国での戦争から戻って、今後はやりたいことをするとのことで、演劇をやることになり、文化座に入った。

ただ、お二人の話で、文化座を左翼的劇団と断じているのは違う。

文化座は、井上正夫のところにいた佐々木隆が作った劇団で、いわゆる「中間演劇」の劇団なのだ。

今は、死語になった中間演劇だが、これは新劇と商業演劇の中間を目指すというもので、純粋な左翼演劇ではないのだ。

文化座からは、丹波哲郎、山村聰、山形勲らが出ていることでも、「左翼劇団」とくくるのは間違いだと思うのだ。

                   

大久保さんの姿は、森谷司郎監督のデビュー作映画『首』で、東大法医学教室の雇員として出てくる。

容貌魁偉な方である。

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『ちゃらんぽらん物語』

2021年12月29日 | 映画

なんともひどい題名で、これで金を払って見に行こうと思う人間がいただろうかと思う。

1962年、松竹京都撮影所の盟主、伴淳三郎の原案、主演作で、そうひどくもなかった。

             

話は、二つあり、大阪阿倍野の漫才村にいる伴淳が、船橋のヘルスセンター近くで、物乞いになっていた元芸人の山茶花究に会い、貧しい者の年金を作ろうとするが、詐欺師に騙されるというもの。

これは、あゆみの箱を作って運動していた、伴淳の実話で、その過程でいろいろと騙されたこともあるのだと思う。

もう一つは、北あけみ、中島そのみ、香山美子の娘達と、さらに富永ユキらの恋の話である。

そこでは、漫才の若井けんじ・はんじ、台本作家の名和宏ら芸能人との結婚に反対する伴淳。

その他、伴淳の人脈だろう、三木のり平、フランキー堺、加東大介、木田三千男、黒柳徹子らも出てくる。

中では、三木のり平と伴淳が、なぜか行った熊本の小屋で演じる即興芸がさすがである。

こんな映画で人が見に来たのかね、と思うしかない。

監督は、堀内真直で、はいご苦労さん。

衛星劇場

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この時期に嫌なのは・・・

2021年12月28日 | その他

この時期、年末年始に嫌なのは、「ガキ」がうろうろすることだ。

普段は、親と一緒に外に出ることがないのが、出られてうれしいのか、浮かれて歩いている。

足に障害を持つ私には、ガキがうろうろするのが一番怖いのだ、どう動くか分らないからである。

             

昨日も、用があって外に出て、京浜急行の井土ヶ谷駅で降りようとした。

すると、小3くらいの男の子が、電車に乗ってきて、扉の横に付いている縦棒に捉まって回転しだした。

こちらは、すぐに電車から出たいので、

「邪魔だ!」と言って避けさせて降りた。

その父親は、子供より早く乗ってしまい、このことに気づいていなかった。

本当に参った。

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『クナシリ』

2021年12月28日 | 映画

『クナシリ』は、北方領土でロシアが実効支配している国後島のことで、ベラルーシ出身で、フランスにいる監督によってとられた2018年の記録映画である。

そうすごいとは言えないが、なかなか面白い作品である。

この島の貧しさと荒涼としているのはすごい、日本で言えば1950年代の光景であろうか。

「兵器のゴミしかない」とは主人公らしき漁師の言葉で、日露両軍の古い兵器がある。

             

まるで、郷土愛のない人が住み、作っている土地と言ったら言い過ぎだろうか。

全体として、この荒廃の仕方はかなり異常に見える。

そして、高揚するのは戦勝パレードだけなのだから、戦後がまだ色濃く残っているわけだ。

横浜シネマリン

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『ワールドトレードセンター』

2021年12月26日 | テレビ

ヒストリーチャンネルで、『ワールドトレードセンター』が放送された。

その最初は、1939年のニューヨーク万博で、この時に世界の物産展示館としたワールドトレードセンターができたそうだ。

戦後、それを自分で建てようとしたのが、デビット・ロックフェラーで、彼は父や兄が、ロックフェラー・センターやリンカンーン・センターを作ったのにならび、自分も歴史に残るものを作ろうとし、ニューヨーク港湾局と共同して建設したのだそうだ。

そして、建設の最初のデザインは、日系のミノル・ヤマザキによって作られた。

港湾局とデビットは、様々な障害を乗り越えて、10年間の工事で1972年に竣工する。

あの場所は、ラジオ街と呼ばれた町があったエリアだが、港湾局が土地を収用したとのこと。

日本の臨港地区規制に該当するものだろう。

この計画には、アンパイア・ステートビルが反対し、彼らのポスターには、飛行機が飛び込むショットがあったとのこと。

私は、1983年10月、横浜市のポートセールス団を引きいてアメリカに行き、この最上階のレストランで、関係者を招待して懇談した。

そのとき、驚いたのは、地下鉄の轟音が響き、振動が伝わってくることだった。

要は、非常に軽く、脆弱にできていたのだそうだ。

                                               

そして、2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた2機のジェット機が衝突して倒れてしまう。

衝突よりも飛行機のガソリンが燃えてその高熱で鋼板が壊れたのだそうだ。

あの日、私は脳梗塞で7月末に倒れていて、病院に入院していた。

病院は10時には消灯なので、夜のニュースは見ておらず、朝起きるとテレビが大騒ぎしていて、大変に驚いたものだ。

その頃、私はやっと手が動くようになったくらいで、左足はほとんど動かなかった状態だった。

その頃には、新宿のキャバレーの火事で死者が出て、また古今亭志ん朝も亡くなった。

もう20年も前のことである。

 

 

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50年前の今夜は

2021年12月24日 | 政治

今から50年前の今夜、1971年12月24日、私は同じ劇団にいた星野と新宿の喫茶店にいた。

彼は、大学を5年で出て、製薬会社に就職していたが、私はまだ大学の6年目で、共に女もいないので会っていたのだ。

夜、7時過ぎ、喫茶店の前の道をまず救急車が行き、消防車そして機動隊の車が行った。

「これは何か起きたな」と新宿駅近くに来ると、伊勢丹の前の交番が黒山の人だかりで、そこにはすごい臭いがただよっていて、爆発部のような砂利、小石が散らばっていた。

「クリスマスツリー爆弾事件」である。

 

              

後に犯人は逮捕されたが、新劇人反戦に属していた者が被告にいた。

劇研で私の一つ下にいて、後に横浜のパシフィコ横浜のオープニングイベントとして「ウォーマッド横浜」の制作・演出をやってくれた田村光男も、そのグループの近くにいたと後で聞いた。

後に、ウォーマッド横浜が駄目になり、それでも年に何回か会っているとき、昨日はツリー爆弾事件の被告が刑期を終えて出てきたので、皆でお祝いをしたと言っていた。

その田村光男も、2014年に亡くなってしまった。

あの事件から、もう50年が経過したことになるのか。

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『慶安風雲録』

2021年12月22日 | テレビ

私も、多くの映画、テレビを見てきたが、これほど想像力が豊というか、でたらめな話もないと思う。

筋は、慶安太平記、由井正雪の乱で正雪と松平信綱伊豆守の知恵伊豆との対立である。

知恵伊豆は、里見浩太郎、由井は西郷輝彦、徳川家光は峰岸隆之助、大久保彦左衛門は下川達平、丸橋忠弥は榎木孝明

ともかく、家光の前で、御前試合をするが、宮本武蔵と荒木又右エ門が戦うのだからすごい。

            

こんなことあったのか、疑問になるが、筋はどんどん進行する。

最後は、一応史実通り、反乱は抑えられて終わり。

本当にすごい劇だった。

監督斎藤光正。

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神田沙也加、死去

2021年12月19日 | 大衆芸能
自殺なのか、やはり親の存在が大きすぎるのは、子供には大変だと言うことだと思う。
彼女の舞台は、一度だけ見たことがある。
新国立劇場の『夏の夜の夢』で、英国人演出家だったので、依怙贔屓はなく、きちんと評価された上での起用だったと思う。
ただ、見ていて、演技等はひどくはないが、あまり存在感がなく、
終わってから、「あれは神田だったのか」と思ったくらいだ。
よく親の七光りという言葉があるが、大きな存在の親に生まれるのも大変なことなのである。
神田沙也加さん急死 札幌のホテル高層階から転落(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
NEWS.YAHOO.CO.JP
神田沙也加さん急死 札幌のホテル高層階から転落(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
 女優の神田沙也加さん(35)が札幌市内のホテルの高層階から転落し、死亡したことが18日、分かった。北海道警は自殺を図った可能性もあるとみて調べている。関係者によると、神田さんは18日昼頃、体に血が
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柏木博氏、死去

2021年12月17日 | 音楽
柏木博氏は、日本のデザイン批評の草分けの方であろう。
さらに、公的には知られていないことだが、音楽評論家中村とうようさんの膨大なコレクションの武蔵野美術大学図書館への寄贈の橋渡しをした方でもある。
柏木さんは、若いときからブルースが好きで、『ミュージック・マガジン』も読んでいたようだ。
そして、NHkテレビで夜11時に放送されていた『ナイト・ジャーナル』で、とうようさんと一緒になったとき、そのコレクションを武蔵美図書館に寄贈してくっれませんかと話し、そこから進んだのである。
武蔵美大が、新たな図書館を建設するに当り、美術のみならず音楽、文化等の大衆文化の総合的な図書館を作れば文部科学省からかなりの補助金が出るとのことで、とうようさんも同意されて、武蔵美大に寄贈されたのだ。
この中村とうようさんの膨大なコレクションについては、私が横浜市の国際室にいるときに話をし、とうようさんもその気になり、横浜市内部でも部長レベルくらいまではOKとなるのだが、いつもその上でだめになり、最後はとうようさんにもご迷惑をかけることになったのは、実に慚愧に堪えないところである。
高秀市長当時で、文化事業でできたのは、フランス映画祭と横浜にぎわい座だけであり、まことに「文化音痴」の市長だった。
ただ、田中勝則が本に書くような、「不誠実な男・指田」の性ではないと私は思うのだが、そんなことはどうでも良い。
一切反論する気にはならない。
「ああ、とうようさんは、あたり前のことだが、いきさつの全部を田中には話していないんだなあ」と思ったのである。
デザイン評論家の柏木博氏死去、75歳:時事ドットコム
JIJI.COM|作成: 時事通信社
デザイン評論家の柏木博氏死去、75歳:時事ドットコム
柏木 博氏(かしわぎ・ひろし=デザイン評論家、武蔵野美術大名誉教授)13日午前8時9分、敗血症のため東京都内の病院で死去、75歳。神戸市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻美紀子(みきこ)さん。
 
 
 
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「親の死に目にあえないぞ」と言われたが・・・

2021年12月14日 | その他

冬の夜でも、

「寝るときに靴下をはいて寝ると親の死に目にあえない」とよく言われたものだが。

 

                           

湯たんぽを出すのも面倒なので、このところ夜は非常に寒いので、靴下をはいて寝ている。

父親は、小学校6年のときに、母親も約30年前に亡くなっていて、なんとか病院で死に目にあっているので。

でも、なぜこんなことを言ったのだろうか。

要は、お行儀が悪いと言うことなのだろうか。

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鈴木淳、死去

2021年12月13日 | 音楽
この人の配偶者は、元女優の藤田佳子で、作詞家の悠木圭子である。
鈴木淳が、本名ではなくて鈴木の姓を使っていたのは、彼がある出版社の社員だったからだ。
今は、サラリーマンが副業をすることは問題ないが、昔は問題にされたのだ。
作曲家の鈴木淳さんが死去 87歳 伊東ゆかりの「小指の思い出」手がける/デイリースポーツ online
DAILY.CO.JP
作曲家の鈴木淳さんが死去 87歳 伊東ゆかりの「小指の思い出」手がける/デイリースポーツ online
 作曲家の鈴木淳(すずき・じゅん、本名・藤田順二郎)さんが9日午前1時に都内の自宅で虚血性心不全のため、死去したことが13日分かった。山口県出身、87歳だった。葬儀告別式は、遺族の意向などにより、近親...
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二つが欠けていた 『昭和天皇が語る開戦への道』

2021年12月12日 | 政治

百武侍従長などの日記を基にして『昭和天皇が語る開戦への道 後編』が放映された。

多くの証言を集めているが、二つ欠けていた。

一つは、日中戦争時に、新聞が積極的に戦意を高揚させる報道を行なったことで、それは事実だが、それには裏があった。全国で在郷軍人会等が、反戦的新聞に不買運動をやったことで、これによって全国の新聞は次第に陸軍寄りになった行ったのだ。

もう一つは、ドイツトのことで、最後は三国同盟に行くが、なんとドイツは中国国民党にドイツの武器を売っていたほか、軍事顧問団まで派遣していた。

これでは、三国同盟なんてなんだったのだと言いたくなる。

要は、陸軍が馬鹿だったと言うことになるのだろうか。

 

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ポカスカ寄席『ポカスカ忠臣蔵』

2021年12月10日 | 大衆芸能

12月は、『忠臣蔵』の季節で、それに因んで桜木町の横浜にぎわい座で、『ポカスカ忠臣蔵』が行なわれた。

                                             

感想は、ポカスカジャンって、こんなに面白い連中だったのか、である。

と言っても、前は3人だったのが、一人抜けて2人になっていた。

いろいろな演目があったが、この夜のメインは、『洋楽忠臣蔵』で、忠臣蔵を洋楽のアーチストに当て嵌めて語り、歌うという趣向。

吉良は、ミック・ジャガーで、浅野はボブ・ディラン、大石はエルビス・プレスリーという配役。

松の廊下での顛末を、浅野ボブ・ディランが、『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリングストーン』で語り、歌うという抱腹絶倒の仕儀。

大石のプレスリーというのは、役が違うのではないかと思ったが、赤穂城での評議に入るところでチョンなので、これはOKだった。

彼らの芸は、今や絶滅危惧種と言われる「ボーイズ芸」で、現在ではもう誰もしなくなっているものだけに、非常に貴重である。

ボーイズ芸は、私は、あきれたボーイズに始まる、戦前、戦中の時期が最高で、戦後は衰退したと思ってきた。

戦後は、むしろハナ肇とクレイジー・キャッツやザ・ドリフターズのような本格的な音楽グループに移行したと考えてきた。

だが、この二人の音楽的素養も相当なもので、まだまだ可能性があるのだな、と思わせてくれた一夜だった。

ゲストは、春風亭昇太

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