指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

東京スカイツリーの50年前

2013年05月31日 | 東京

山田洋次監督の『下町の太陽』を見る。

前にテレビで見たときには気づかなかったが、この映画の舞台になっている場所は、今の東京スカイツリーが建っているところである。

曳舟駅や三ノ輪等が出てくる。主人公の倍賞千恵子が父の藤原釜足らと住んでいるスラムのような住宅は、特定されないが千住あたりだろうか。

倍賞が働いているのは石鹸工場で、ここには資生堂やライオンの工場があったが、資生堂は再開発されてヨーカ堂や区民文化センターになっている。

一方、勝呂誉が働いているのは製鉄所(といっても溶鉱炉を持っているのではなく電炉メーカーのようだが)である。

いずれにしても肉体労働が賛美され、待田京介や早川保に見られる、下町を抜け出して丸の内でのホワイトカラーになることは、卑怯な行為とされている。

戦前の小津安二郎の時代から、千住などは、松竹の庶民映画のホームグラウンドで、この映画も城戸四郎の好みによく合っていたのだろう。

昨年、『東京家族』が公開された時、「山田洋次監督生活50年」が謳われ、この作品が起点となっているようだ。

だが、よく知られているように山田は、その2年前に『二階の他人』を撮っている。多分、それは助監督契約だったので、『下町の太陽』を起点としたのだろう。

山田洋次が監督生活50年なら、今年は黒澤明が1943年に『姿三四郎』で監督デビューして70年になる。

山田と黒澤は、たった20年間しか監督デビューの時期が違わないことには驚く。

来月6月6日には、黒澤明の特に戦後の作品の底にあった「贖罪意識」について、トークイベントを行いますので、時間のある方はよろしく。

 

 

 

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演壇では話ができなかったのに 三浦雄一郎

2013年05月30日 | 政治

三浦雄一郎が、80歳でエベレスト登頂に成功したことが話題で、それはそれで結構なことであろう。

だが彼は、8000mの山には登ったが、かつて数十センチの高さの演壇が大の苦手だったそうである。

 

1970年代に石原慎太郎が、参議院議員だった時、次の全国区候補を探していて、最初に上げられたのがプロスキーヤーの三浦雄一郎だったそうだ。

だが、当時彼は演壇に上ると上がってしまって一切演説することができなかった。

仕方なく次の候補になったのが、元首相の細川護煕で、参議院選挙で当選し、そこから細川の政治活動は始まったのだと石原は苦々しく書いていた。

1970年代は、数十センチの高さの演台で話せなかった三浦氏が、どのようにそれを克服したかは、私は知らない。

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地下鉄駅名

2013年05月29日 | 横浜

先週、用があって横浜市営地下鉄・ブルーラインの仲町台駅に行った。

センター北、南駅とは異なり、落ち着いた地域で、様々な施設も多く、とても感じの良いところである。

だが、この「仲町台駅」は、当初は地域名からとった「大熊駅」だった。

だが、大熊では「まるで熊が出て来るような田舎と思われる」と地元の反対があり、字名で仲町というのがあったので、仲町台にしたのだそうだ。

地元で町内会長をやっていた方から聞いた話である。

 

鉄道の駅名については様々な騒動がある。

横浜でも、伊勢佐木長者町駅は、場所から見て本来長者町駅で、交通局はそう決めていて、公表していた。

ところが、伊勢佐木町側が、「地下鉄に全国に有名な伊勢佐木町の名がないのはおかしい」として、猛烈に反対し、大量の署名を集めて運動した。

その結果、交通局も困って、両方を折衷した、伊勢佐木長者町駅となった。

また、みなとみらい線の元町中華街駅も、事情はよく知らないが、多分同様のことがあったのだろうと思う。

第三者にはどうでも良いことだが、当事者には重大なことなのだろう。

まことに、言霊の国というべきだろうか。

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『巨人軍』

2013年05月28日 | テレビ

川崎市民ミュージアムの大島渚追悼特集、日本テレビの「火曜スペシアル」として1972年に放送された大島による、川上哲治監督へのインタビュー。

当時、巨人は、7年連続日本一を達成していて、その強さを大島が川上に聞くのが中心になっている。

戦前の職業野球の始まりから、沢村栄治、三原、水原らスター選手の巨人の第一期黄金時代、それは同時に戦争での選手の徴兵の時代でもあった。

沢村らが徴兵されて、戦力が低下した時にレギュラーになったのが、川上や同僚の吉原などの若手だった。

いずれにしても戦前、戦中は選手が突然徴兵されて抜けるので、どのチームも戦力がきわめて不安定だったようだ。

戦後のプロ野球の再スタートの中で、水原茂がシベリアに抑留されてチーム編成に苦慮していた巨人は、他球団に比べ出遅れていたようだ。

そこでやったのが、豪腕別所の南海から巨人への引き抜きで、当時大島は関西の人間で南海ファンだったので、これに怒ったと書いていた。

意外にも川上も、「他チームの選手を引き抜いてまでチームを強くすることはない」と当時は本当に思っていたようだ。

そして、二リーグ分裂による阪神の有力選手の毎日への移籍等で、巨人は第二期黄金時代を迎える。

この時期は本当に強かったようだが、南海、そして西鉄の台頭で、巨人はリーグ優勝はするが、日本シリーズでは負けることになる。

その象徴が、昭和34年の西鉄との日本シリーズで、初め巨人は3勝したが、稲尾の大活躍で4敗し、日本一は西鉄になる。

この時「もう我々の時代ではない。若い中西、豊田、稲尾、巨人では長嶋の時代だ」と言って引退した川上の声明を今も憶えている。

そして、王、長嶋によるV9時代の第三期黄金時代になる。

川上によれば、この時期よりも1950年代の第二期黄金時代の方が上だったそうだが、V9時代の巨人も本当に強かった。

今年こそ、阪神が巨人を破るだろうと期待するが、いつの間にか巨人が優勝している。

日本シリーズでは、阪急が勝つのではないか、と思うが結局は巨人が優勝した。

川上は、その強さを伝統の強さと言っているが、まあそうだろう。

さらに、川上は、正力松太郎が「いい選手を取れ、しかしいくら良い選手でも、これは不要だと思えば、どんなに金を掛けて取った選手でもすぐに切れ」

と言われたと言っているが、これは経営者としてすごい言葉だと思う。

いつまでたっても、日本のプロ野球は、巨人中心主義から離れられないのは、実に残念なことである。

川崎市民ミュージアム

 

 

 

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戦時中にアメリカ映画を見ていた東宝のスタッフ

2013年05月26日 | 映画

先日、東宝の航空教育資料製作所の資料を探しに日大芸術学部に行った。

とても立派なのに驚いた。

学生時代にアルバイトで江古田に来た時は、こんなに立派なものではなかったと思う。

 

さて、東宝に戦前から録音技師としていられた藤好昌生さんの「日誌」を見せていただくと、東宝の砧撮影所ではアメリカ映画の試写をしている。

昭和19年の前半だけでも以下のとおりである。

3月31日 コロンビア映画 「Amy Serenade」 

4月15日 ルビッチ作品(題名の記述なし)  黒澤明作品『一番美しく』

4月18日 RKO映画 『ガンガディン』

6月14日 20世紀FOX映画 『青い鳥』

9月2日 『ファンタジア』

この年の9月6日に藤好さんが徴兵されたので、日誌はここで終わっている。

 

それにしても不思議なのは、戦時中にアメリカ映画の新作が日本国内に入って来ていたことである。

『黒澤明の十字架』では、昭和18年に日活の撮影所で美術の木村威夫さんが秘密の試写で『風と共に去りぬ』を見て驚嘆したことを書いた。

このように映画界の中では、戦時中でも欧米の映画が見られていたこともあったようだ。

不思議なのは、一体どのようなルートで輸入されていたのかということである。

まだ、中国大陸との間の航路はあったので、中国の上海等で公開されていたものが、日本にまで輸入されていたのだろうか。

昭和16年12月8日の開戦で、日米のすべての通商は途絶したとされているが、実際はそうでもなかったようだ。

事実は、調べて見ないとよくわからないものである。

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6月6日は代官山にお出でください

2013年05月26日 | 映画

先週、来月行うトークイベントについて、司会の金子遊さん、現代企画室で担当の小倉裕介さんを交えて会場で打ち合わせをした。

会場は代官山のクラブヒルサイドサロンというところで、代官山というセレブなところですが、「都会の喧騒」が嘘のような静かな場所です。

5月に新たにオープンしたばかりだそうでとてもきれい。

1階上の3階には、ライブラリーもあり、多くの方が選んだすごい本が並んでいる。

当日、早めに来ていただいて、3階のライブラリーを覗くだけでも大変な楽しみだろう。

会員になれば貸出もしてくれるそうです。

 

当日の内容は、日本で初めて黒澤明論を書かれた佐藤忠男さんをお招きして、その当時のこともお聞きします。

以前の打ち合わせで、佐藤さんにおうかがいした時には、あの本を書くために、全作品を特別にフィルムセンターに金を払って見直して書かれたとのこと。

今は、DVD等でレンタルができるのとは大きな違いがあると実感させられました。

さらに大変だったのは、その後小津安二郎を書いた時で、サイレント時代のは、ニューヨークの近代美術館にしかないので、自費で渡航したそうです。

その他、貴重なお話が聞けると共に、あの黒澤論を思いついた経緯などもお話ししたいと思うますので、是非おみえください。

 

また、金子遊さんは、映像作家ですが、4年前の衆議院選挙での北海道の新党大地代表鈴木宗男のドキュメンタリー『ムネオイズム』を監督し、6月22日からオーディトリウム渋谷で上映される有望な若手です。

当日は、佐藤忠男、指田文夫というおじさん世代と金子さんに代表される若手との激論が展開されると思います。

 

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弱きをくじき、強きになびく男

2013年05月26日 | 政治

大阪市の橋下徹市長は、慰安婦問題の発言の内、沖縄で米軍司令官に「沖縄の風俗産業を活用して欲しい」と言った部分は、謝罪し撤回したそうだ。

この人は、アメリカのような強いものが出てくるとすぐに謝ってしまう。

要は、弱いものいじめであり、強いものにはすぐになびいてしまう人間なのである。

負ける喧嘩はしないとも言えるし、また卑怯だとも言えるだろう。

彼の心の中に女性への差別意識があることは間違いないと言えるだろう。

「かつて世界中に従軍慰安婦があったことは事実だ」と言ったところで、どのような意味があるのだろうか。

政治家が、こうしたことを公の場で言うことは慎むべきだと私は思う。

なぜなら、政治とは言うまでもなく、社会を良くし、前に進めることが最大で最後の目的なのだから、こういう後ろ向きの発言は甚だよろしくないのである。

 

例えば、橋下徹市長は、アメリカのオバマ大統領に対して、「アメリカの建国のためには黒人奴隷制度は必要だった」と言えるだろうか。

恐らく言えないに違いない。

問題はそうした礼儀の問題であり、政治というのは本質的に建前であり、本音ではないからである。

 

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『アジア温泉』

2013年05月24日 | 演劇

新国立劇場の日韓共同製作演劇シリーズの3作目、作は鄭義信、演出は韓国のソン・ジンチェクである。

アジアの、済州島を思わせる島で温泉が出るという噂になり、そこに多くの人が集まってくる。

リゾートホテルを作ろうと、日本から勝村政信と成河の兄弟がやってくる。

彼らの父は、その島の生まれで、島を出て事業で儲けて資産を残したので、その金で土地の所有者の梅沢昌代から取得しようとやってきた。

古い因習や宗教が残る島の長のキム・ジンテは、梅沢の土地所有も認めず、開発には絶対に反対である。

だが、彼には梅沢を愛人として、息子を作った過去があり、その子は自殺してしまったのである。

成河が、キムの娘イ・ボンリョンと恋仲になったことから悲劇が始まり、二人の結婚に反対するキムは、偶然の過失から成河をナイフで刺し殺してしまう。

事実は隠されるが、最後にキムは、自分の行為を認め、勝村に謝罪して劇は終わる。

祈祷師の友近のようなおばさんのチェ・エヒョンの祈りですべてが清められて、魂が鎮められる。

もちろん、これは寓話劇であり、そううまくいくものかと思われるに違いない。

重要なのは、この相互理解の想いを両国の人が抱き続けることであり、それはワールドカップサッカー日韓共同開催を契機に進んでいると思う。

今、妄言で話題の橋下徹大阪市長にも、是非見てもらいたいと思うが、芸術、文化音痴の彼には到底理解不能だろう。

いつもながら久米大作の音楽が、時として林光のような叙情性を見せてとても良い。

新国立劇場ができて15年になるそうだが、一番の成果は久米大作の音楽ではないだろうか。

新国立劇場

 

 

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『テザ 慟哭の大地』

2013年05月21日 | 映画

この数年間に見た外国映画で一番感動した作品である。

1990年、エチオピアの農村に中年の男アンベルブルが戻ってくる。

出迎えるのは年老いた母親と弟、男は村一番の秀才で、長く外国に留学していた。

片足が不自由で、また記憶喪失で過去が思い出せないが、次第にわかってくる。

祈祷師のところに行き、冷水を浴びせられ、そのショックで記憶が戻ってくる。

 

1970年代、彼は東ドイツに留学し、医学を学んでいたが、そこではベトナム反戦運動の高まりから、政治運動に参加していくようになる。

そして1974年にエチオピアで革命が起き、皇帝ハイラ・セラシエが退位し、新政権ができ、外国にいた留学生たちも母国に戻る。

アンベルブルも、エチオピアに帰国し医学研究所で働くことになる。

だが、メンギツス軍事政権のとる社会主義政策の結果、「反知識人運動」があり、研究所の労働者から反革命と糾弾され、裁判にかけられてしまう。

中国の文化大革命の中での「反右派運動」とよく似ている。

同じ研究所の幹部になっていた友人も所内の過激派に殺され、アンベルブルは、東ドイツに逃れる。

そこはエチオピアからの亡命者が多数いたが、彼はそこで、白人の若者の暴徒によって襲われ、片足が不自由になる。

 

そして彼はエチオピアに戻ってきたが、1990年代は、軍事政権と反政府派が激しく戦っている時代で、双方の兵隊が村の若者を狩っている時だった。

最後、彼は村の学校と言っても(ただの木造の小屋だが)、そこで子供たちに勉強を教えることにする。

 

この映画の見所の一つは音楽で、その不思議な日本の歌謡曲のような曲が何度も出てくる。

それは、ハイラ・セラシエが日本びいきで、何度も来日していて、歌謡曲が好きになったので、エチオピアに「輸入」させたのが始まりと言われている。

私は、持っているCDの中で一番奇妙な音楽として、エチオピア国立楽団のものがあり愛聴しているが、この映画ではふんだんに出てきて最高だった。

例えて言えば、沢島忠の監督、中村錦之助主演の『一心太助』シリーズのような感じのものであるといえば理解できるだろうか。

オーディトリウム渋谷

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書評のことなど

2013年05月20日 | 映画

おかげ様で、拙書『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』の書評が色々と出てきた。

先日の週刊朝日で佐藤忠男さんには「これまでにない視点で表現者の責任を論じているのに感銘を受けた」と書いていただいた。

先日、6月に行うトークイベントの打ち合わせでお会いした時も、「面白かった。丹念によく調べている」と褒められた。

それにつづき、先週には神奈川新聞で服部宏さんが「斬新な指摘、分析」と書いてくれた。

昨日は、朝日新聞の朝刊で作家の出久根達郎さんが「兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である」と書いてくれた。

雑誌では『ミュージック・マガジン』で伊達政保さんが、『レコード・コレクターズ』には安田謙一さんがそれぞれ書評を書いてくれた。

 

内容は、もちろんそれぞれ異なるが、いくつかのものでは、「徴兵忌避の文書のような証拠がないではないか」というものがあった。

その通りで、多分、戦前、戦中に東宝にも社員に徴兵、徴用令が来たとき、人によっては会社は「徴兵延期」の願いの文書を出したと思う。

本にも書いたが、撮影の宮島義勇は、自伝で彼に徴用令が来たとき、森岩雄撮影所長が、西原中佐に「宮島は必要な男だ」と言ってくれたと書いている。

もちろん、そうしたことは口頭で済む訳はなく、東宝の総務課から陸軍宛に、徴兵延期のお願いを文書として必ず提出したと思う。

徴兵延期は、映画界では主にカメラマンや録音技師などで行われ、俳優や監督ではあまり例がないようだ。

陸軍動員令の徴兵延期者の項目に「陸軍大臣の指定工場で必要欠くべからざる者」というのがある。

撮影や録音は特殊技術だが、俳優や監督は誰でもできると思われたらしく、普通に徴兵、徴用されたようだ。

 

1945年8月15日以降、東宝では多くの戦争関係書類を航空教育資料製作所のフィルムと共に総て焼却したと言われている。

それは当然に陸軍も同じで、8月15日以降、長い間陸軍省の中庭からは、重要書類を焼く煙がもうもうと立ち上がっていたとのことである。

では、黒澤明の徴兵忌避の証拠は一切ないのだろうか。

それは、昭和24年の『静かなる決闘』以後の作品の中にある、と言うのが私の考えである。

是非、DVDで見て確かめていただきたいと思う。

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浪曲に泣く

2013年05月19日 | 大衆芸能

浅草のアミューズミュージアムで行われたイベント『The 浪曲』を見に行く。

ちようど三社祭りで大変な人混み、

地下鉄から祭りの人ごみを一切無視し、ひたすら北上してアミューズミュージアムに行く。

ビルの6階の会場で、座敷の広間と椅子席があり、観客はざっと40人くらい。

まずは、シンポで小林渡と山田直毅のトークで、浪曲の歴史のお浚い。

内容は、ほぼ知っていたが、1954年に作られた浪花節映画『赤穂義士』は初めて知った。

翌日に小林さんにメールで教えてもらったところ、脚本池田富保で、監督は荒井良平、主演は黒川弥太郎で、そこに浪曲市の語りで映画が進行するもの。

深作欣二によれば、浪花節映画には「母もの」が多かったそうだが、忠臣蔵はまさに王道なのだろう。

続いて、玉川太福、澤雪絵、東家一郎太の短いものがあってここで、お中入り。

 

後半は、「至芸の世界」とのことで、富士路子の『杜子春』  東家浦太郎の『大岡越前と天一坊』 そして浪曲協会会長澤孝子の『徂徠豆腐』

どれも素晴らしかったが、富士の芥川の『杜子春』の最後のところで、主人公の子春が、母親の愛に思わず「お母さん」と言ってしまうところは涙が出た。

東家と澤は流石で、浪曲の持つ魅力を十分堪能した。

明治から昭和30年代まで、レコード、ラジオ、実演、映画で大人気だった浪曲が、急に人気を失ったのかは日本芸能史最大の事件である。

多分、浪花節が人気を失った1960年代中頃に、それに代わって出てきたのが演歌だったと言えるのではないかと思う。

三波春夫や村田英雄らの演歌の頂点にいた歌手が、浪曲出身だったことも無縁ではないはずだ。

以前、古臭い筋書きの否定的な形容として「浪花節的」と言われたが、これはいつごろから言われるようになったのだろうか、一度調べてみたい。

アミューズミュージアム

 

 

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日本維新の会は、この際に党名変更を

2013年05月18日 | 政治

橋下徹大阪市長の発言にひきつづき、西村真悟同党議員は、韓国の人に対してもっとひどい発言をしたようだ。

まるで、親父が居酒屋で飲みながらの放談のレベルである。

日本維新の会ではなく、居酒屋親父トーク党国会支部とでもすべきだろうか。

その程度の人間が集まっているのだろうと思うしかない。

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橋下徹発言の真意は

2013年05月15日 | 政治

橋下徹大阪市長の従軍慰安婦をめぐる発言は、間違いなく論外だが、それは結局自分の生活史を弁明したもののように思える。

「銃弾が飛び交う戦場の男が、それを慰める女性は必要だ」と言ったそうだ。

それは、法曹や政治の世界で、日々戦って来た彼にとって、その興奮を鎮める手段として女性との性交が必要だったとの意味だと理解できる。

その相手が、家庭の妻なのか、風俗産業のスチュアーデス姿の女性なのかは知らない。

だが、それは自分のことであり、それを日本の男総てに拡大するのはひどい。

私として、性風俗に関心はあり、もちろん何らかの形で利用したこともある。

だが、それを公言し、そこに居直るのは「はしたない」というべきだろう。

 

この種の発言は、本音を言ったものとして、その勇気をたたえる論説が出ることがあるが、それは日本の言論のレベルの低さを示すだけだろう。

沖縄で、「性風俗産業の活用を」言って、米軍幹部に軽蔑されたのは、当然のことである。

さらに、それを「ずるい」と言うのは、公的立場の人間の発言の意味を分かっていない者の言葉である。

「ずるい」とは、逆に言えば公的ということであり、公的とは建前のことである。

それが政治家という公人の発言であり、飲み屋での親父トークとは違うのである。

 

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アメリカ的な映画2本

2013年05月14日 | 映画

大森のキネカで、ロバート・アルドリッチ監督の『合衆国最後の日』と『カルフォルニア・ドールズ』を見る。

アルドリッチは、アクション映画を始めなんでも撮る監督で、日本で言えば舛田利雄みたいな人である。

『合衆国最後の日』は、元軍人のバート・ランカスターが、軍の腐敗、不正を正確に国民に発表しろとミサイル基地を乗取り、大統領府を脅すもの。

最後は書けないが、極めてアメリカ的な解決であり、その理想的な正義感には感心した。

大統領役のチャールス・ダニングが、ビル・クリントン元大統領にそっくりなのがおかしい。

 

『カルフォルニア・ドールズ』は、女子レスリングの2人のタッグ・チームを率いるマネージャーのピーター・フォークの話。

ドサ回りから農業祭の余興の泥レス、大都市の巡業から最後はネバダ州のリノのホテルでのチャンピオンへの挑戦で勝利するまで。

最初の試合で日本人タッグが出てくるが、これがミミ萩原とジャンボ堀。芸者というリングネームだからあまり愉快ではないが。

ドールズの二人の女性は、ルックスも悪くないが、試合が本当に戦っているように上手くて迫力があるのには感心した。

オーディションで、レスリングのできる女優を探し、入念に訓練したのだろうか、アメリカ映画のすごいところである。

スペイン系のタッグ、トレドの虎にドールズは、ピーター・フォークのあの手、この手の手腕で勝つ。

ふてくされるトレドの虎の二人に、ベテランの黒人マネージャーは言う。

「勝ったドールズにおめでとうと言うんだ」

そして4人はきれいに握手する。

これまたきわめてアメリカ的な理想主義であり、感動した。

キネカ大森

 

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『欲望の血がしたたる』

2013年05月12日 | 映画

若松孝二は、フィルムセンターが嫌いだったそうで、自分からは寄贈しなかったので、センターが所有する数少ない若松監督作品。

1965年と「初期の傑作」とパンフにあったが、『情事の履歴書』など、もっと良い作品はあったと思うがないのだろうか。

ただ今見て珍しいのは、上野山功一が、敵役で出ているところだろうか。上野山は、日活の俳優で、アクション映画の敵役で、後には大映にも出ていた。

この時期は、急速に邦画5社がダメになり、ピンク映画が全盛だった時代で、その流れに沿って上野山も出たのだろう。

新宿国際も閉鎖されて、今や絶滅危惧種のピンク映画だが、1960年代は大変な勢いだったのだ。

話は、新妻と結婚した上野山が上高地に新婚旅行に行く。妻は、叶美智子という女優のようだ。

とその初夜に部屋に電話がかかってきて、愛人の香取環がホテルのロビーに来ている。

香取は、上野山が入社し課長に出世した証券会社の社長の愛人で、彼女の助言で出世できたのである。後に異常に太る香取だが、まだ普通の体型である。

この上野山は悪い男で、友人で画家生方健の妹を誘惑し、彼女に会社の秘密書類を盗み出させて、それで証券会社に入社したのである。

妹役は、志摩みはるという女優のようだ。そして彼の裏切りで、彼女は大正池で自殺したのである。

その裏切りを追求する画家の男の行動で映画は進行する。

最後、叶は上野山の悪事を知り、上野山を毒殺するが、ここまでは予想どおりだったが、次に生方も刺殺するには驚く。

ピンク映画だが、露出度はきわめて低く、着物を着てセックスしているのだから、非常に異常である。当時はきわめて映倫の審査が厳しかったのである。

日活がロマンポルノを開始するのは、この6年後の1971年のことである。

フィルムセンター

 

 

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