自分の国は自分で守れ

Mikuのブログ

【周庭アグネス】私の刑務所での日々。(日中字幕)

2024-02-26 21:55:32 | 香港・台湾・フィリピン・アジア

【周庭アグネス】私の刑務所での日々。(日中字幕)

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日本皇室の行方。日本は皇室と同体でよいのか?

2024-02-26 21:34:35 | 皇室

こんなこと書くと、ネトウヨからは「やっぱり幸福の科学は左翼だっ!」と言われそうだけど、真実はどこにあるのか、私は個人的に真実を追いたいと思う。

天照大神を筆頭にその他の主要な神々の本性が知られてしまった現在。日本の皇室がどのようになって行くのか、ということは日本はどうなっていくのか。

心配である。

日本神道の神々が妖怪だったことが明かされたけど、考えてみれば伏線はあった。日本神道の元祖は七変化がお得意のベガ星人というところで。

かく言う私自身、魂の系列で言ったらそっち系なんじゃないかと密かに思っている。・・・・妖怪か~・・・

自分がちょくちょく見るポスト(旧ツィッター)に幸福実現党岐阜県本部の加納有輝彦さんという方がいてブログも書いておられるのですが、いつも興味深いお話で、その中にこんなことが

アッと驚く為五郎

 

安倍晋三元首相のルーツが朝鮮人というのは、本当かなと思えるんですよ。統一教会との関係に現れています。

何故、統一教会をそんなに?という疑問がここで解けてくる。

幸福の科学を何となく「個人的」に嫌いのかなと思えることがあり、幸福の科学大学の許認可に難色を示していたわけでしょ?母体が宗教だからにしても妙だと思ったんですよ。じゃぁ無類の宗教嫌いなのか?そうだとしたら、統一教会への厚意は何なんだっ・・・てところで、このルーツは真実味を帯びてくる。

ただ、横田めぐみさんのところですが、CIAと自衛隊が厳かにめぐみさん拉致を見守っていたかどうかは眉唾ですが、もしかしたらめぐみさんはそんな方ではあるのかもしれません。

仮に「日本皇室の血筋に実は朝鮮の血だって入ってるんだ。」という説があるとして、

定かかどうか、何を信じるかは、その人次第なんでしょうが、

最早日本神道の神々自体が怪しくなっているので、血筋なんてもう、どうでもいい事かもしれません、

 

しかし、もしこれが天照大神が天御祖神(あめのみおやのかみ)の血筋であらせられるぞ!と言うとなると話は別になってきます。

天照大神の魂が地球に来て、日本を担当するうちに妖怪になってしまったとはいえ、天御祖神の意識と天照大神の魂とは、少なくとも私たちがわかる範囲で、前の惑星のころからの深いご縁もあるかもしれません。

 

その天御祖神こそは数万年前に地球の日本列島の富士山に降り立ち、日本列島で活動を開始され、日本を開闢された由緒正しい日本の神様ですから。もう、そこに中国何千年の歴史なぞ吹っ飛んでいくわけです。

 

ただ、天御祖神さまが富士山に降り立ち、人々に法を説かれたとき、肉体を持って活動されていたのかどうかは・・・よくわかりませんが、宇宙から飛来してきたので、宇宙人だったようです。なので、残念ながら天御祖神さまが地球でご自分の子孫を持つことはなかったでしょう。

 

ということで、皇室ってなに?感は漂ったままです。

 

天御祖神様が創られた日本はアジアのどの地域よりも古く、あのムー文明にも影響を与えていたということです。わたしたちはムーが日本民族のルーツと思っていたけど、全然逆だったんですね。それ程、日本は古いということに、震えましたね。

天御祖神様の法の元つくられた文明が日本からインドへ、インドから中国へそして朝鮮半島を渡り巡り巡ってまた日本に逆輸入されたりと東洋文明は日本を中心に熟成されていったようです。

 

その内に日本にベガ星人が降り立ち活動開始。宇宙人だったし地球人よりちょっと能力があったのか、いつの間にか天御祖神さまの教えを基に日本神道という霊界を作り地上に影響を与えていったのかなぁ・・・それが皇室の元になったと。

 

ん、まぁということで、ベガ星人が元となった皇室もなかなかこの日本の国体として存在するのもそろそろ限界の時が来るかもしれません。(管理者私見)

 

これからの日本はやっぱり、この大川総裁の霊言による「天御祖神信仰」がどのようにでも、どうにかこうにか広がって、日本人ひとりひとりが元々の日本がどうだったのかに目覚めることで、誇りを取り戻すしかないと思いますね。

 

面白いんで幸福の科学の大川総裁の書籍も読んでみてくださいね。

天御祖神の降臨

 

アマゾン

こちらの中古だと200円安いくらいです。

 

 

 

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自民党が首相官邸というプラットホームを通じて世界に発信している内容

2024-02-22 09:38:03 | 及川幸久(BREAKING)




 


 

首相官邸

共生社会と人権シンポジウムにおける岸田総理ビデオメッセージ

2024 年 2 月 5 日
 
【仮訳】
 

私は日本の内閣総理大臣の岸田文雄です。
 
「共生社会と人権」シンポジウムの開催に際し、一言ご挨拶を申し上げます。
 
2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」は、「誰一人取り残さない」という理念の下、17の目標から構成されています。 SDGsの実現に向けた政府の取り組みの一つである共生社会の実現は、私たちが果たすべき重要な使命です。
 
しかし、残念なことに、日本では、外国人、障害者、アイヌ民族、性的少数者などが就職や住居、インターネット上で不当な差別を受けている事例を聞くことが少なくありません。
 
言うまでもなく、私たちは少数派に対する不当な差別的取扱いや不当な差別的言動を容認しません。
 
近年では、外国にルーツを持つ人々が、特定の民族や国籍を理由に不当な差別的言動を受けたり、放火や名誉毀損などの犯罪の被害に遭うケースも発生しています。偏見やその他の要因によるものです。このため、生活を続けながら、次の犠牲者は自分たちかもしれないと不安に思う人もいます。
 
私が国会で繰り返し申し上げてきたとおり、いかなる社会においても、特定の民族や国籍の人々を排除することを目的とした不当で差別的な言動はあってはならないものであり、また、そのような動機による暴力や犯罪についてはなおさらであってはなりません。
 
日本は、「法の支配」や「基本的人権の尊重」といった普遍的価値を重視し、国際社会と共有してきました。私たちが目指すべきは、「人間の尊厳」が守られ、すべての人が安心して暮らせる世界です。私は、内閣総理大臣として、この原則を損なう不当な差別や偏見に対して断固たる態度で臨んでまいります。
 
共生社会の実現には、私たちがお互いの違いを理解し、認め合うことが大切です。政府は、不当な差別や偏見をなくすためにさまざまな取り組みを行っています。その一環として開催される本日のシンポジウムは、「ダイバーシティ共生社会を目指して」をサブテーマに掲げ、共生社会の実現に資する様々な知識や気づきを得ることができる充実した内容となっています。 。ぜひ最後までオンラインで、ダイバーシティへの理解を深め、できることから第一歩を踏み出してください。
 
政府としては、引き続き、共生社会の実現に向けて着実に取り組んでまいります。この目標に向かって一緒に頑張りましょう。

 


 

まるで

「私の担当する日本では、こんな酷い状況です。

 “私たち”の目指す共生社会では、こんなことあってはなりません。私はこうしたことを無くすために引き続き取り組んでまいります。

 “我々”の掲げる“ダイバーシティ共生社会”を目指して共に頑張ってまいりましょう!」

 

と、、、誰に向けて言ってるんだか、一人宗教団体ごっこやってるみたい。世界の笑い者なだけある。

 

そんな自民党はこんな状態 https://news.yahoo.co.jp/articles/8df9c5303baf682638f189d80278785c6752f3f3

 

自民党にはもう国を任せられない。

そんなこと10年以上前からこっちは分かってんだけど、未だに国民は自民でなきゃと依存している。

 

これだけ酷いことを世界中に喧伝されておきながら、、、

「でも、この人と一緒じゃなきゃ生きられない!」とすがる馬鹿女だ日本人は。

 

もし、政治に興味なくたまたまこのブログを読んじゃった方がいたとしたら、自分こそが馬鹿女なんだと自覚をしていただけると幸いです。

 

 

 

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【マスコミの嘘】なぜウクライナ戦争は始まったのか?! ”タッカーカールソン×プーチン2時間独占インタビュー”(及川幸久×石田和靖)

2024-02-20 09:25:22 | 及川幸久(BREAKING)

【マスコミの嘘】なぜウクライナ戦争は始まったのか?! ”タッカーカールソン×プーチン2時間独占インタビュー”(及川幸久×石田和靖)

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【重要】タッカー・カールソンのプーチン大統領ヘのインタビューのポイントとは

2024-02-17 09:18:53 | 及川幸久(BREAKING)

 

【緊急】日本の報道は嘘だらけ。プーチン×タッカーカールソン対話の真相に迫る/及川幸久氏

 

 

 

プーチン大統領は、透明な信仰心を持っている人なんだなとあらためてこの動画を見て感じましたね。

ドストエフスキーの話を出されたけれども、時の権力者からしたら信仰心の篤い政治家や、それこそ神の現れのような人物、こういう存在はほんとにウザい。抹消したい。

これを現代に当てはめると時の権力者はメディアを通じて彼らがどんなに悪者なのかを喧伝するんだけど、私たち庶民からしたら時の権力者の方が消えてほしいくらいなんですよ。

なので、私事ですが、大川総裁に対して誹謗中傷してきた文春だか新潮やメディアなどマスコミ、そして現政権もそれに一枚かんでいますよね。こういう輩にはうんっざり!!

 

お前らが消えろや!あ!?

・・・と、少々言い方には問題あるかと思いますが怒り心頭なんだよね。

 

そして、やはりプーチン大統領の信仰観が正しいのかなぁ・・・と感じました。もちろん、様々な方々のその人なりの信仰観はなん人からも否定されるべきではなく、何が正しいなんて一概に誰も言う事は出来ないですが、

これが真相なんじゃないかと思えてくる。

神様がいらっしゃるなら、人間がその信仰心で自ら未来を切り開くことを望むのでしょう。祈りはその姿の一部だと思います。

 

大川総裁から教わったことの基礎の一つに、人には発展段階があるということです。愛の形や信仰心において。

祈る内容の話がこの動画でも話題になっていますが、「神様どうか私の思う通りにしてください」も初段階として許されているんだろうと思います。

人には段階があるから、それを育てていくのが教団なんだなと思います。なので宗教団体は学校のようなところだと私は考えています。卒業は特にないですけどw。永遠の学校です。うん。人は永遠に学ぶ存在だから。

 

ここからは私の個人的つぶやきですが・・

幸福の科学で職員として働いている方々もきっと学びの段階があって、講師であり生徒でもある。だからみんな完璧じゃない。なので教団内でも様々な人間模様が展開されているでしょう。信者も含めて。

これからこの教団がどう成長していくのか楽しみ。もちろん来世も含め。

それより自分がどうなってるかを心配しろって感じですけどww

 

 

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【重要】タッカー・カールソンがプーチン大統領にインタビューこれは歴史的転換点!

2024-02-16 23:20:30 | 及川幸久(BREAKING)

 

【Front Japan 桜】及川幸久~世界史的転換点としてのプーチン×カールソン・インタビュー[桜R6/2/1]

 

 

 

インタビュー内容はこちら

 

【IWJ号外】タッカー・カールソン氏によるプーチン大統領インタビュー全編の翻訳!(第2回)つまみ食いの翻訳では絶対にわからないプーチンインタビューの内容! 冒頭から、ロシア・ウクライナ史の仰天の講義! 2024.2.13

 

タッカー・カールソン氏「大統領、ありがとうございます。ウクライナ紛争が始まった2022年2月22日(訳注1)、あなたは全国演説で、米国がNATOを通じて我が国に奇襲攻撃を仕掛けてくるかもしれないという結論に達したので行動すると述べました。

 アメリカ人の耳には、それは被害妄想に聞こえます。米国が突然ロシアを攻撃するかもしれないと考えた理由を教えてください。なぜそのような結論に至ったのですか?」。

(訳注1)ロシアが実際にウクライナ領土に侵攻したのは、2月24日。カールソン氏の記憶間違いか、侵攻2日前に行った演説を指すのか、どちらかは現時点では判然としない。

プーチン大統領「(大きなため息)アメリカが、アメリカ合衆国が、ロシアに奇襲攻撃を仕掛けようとしていたのではありません。そんなことは言っていませんよ。我々はトークショーをしているのですか? それとも真剣な会話をしているのですか?」。

タッカー氏「(笑いながら)これは一本取られました(訳注2)。ありがとうございます。大真面目な話です」。

(訳注2)タッカー氏は、「Here the quote」と笑いながら述べている。Quoteは、「引用」や「引き合いに出すこと」を意味する名詞である。直訳すると「ここに引用があります、引き合いに出されたものがあります」となり、ここで、プーチン大統領は、トークショーを引き合いに出し、タッカー氏の質問が馬鹿げたものであることを間接的に揶揄しているものと思われる。ここは、プーチン大統領の一種の切り返しと考えて、上記のように意訳した。

仮に、タッカー氏が、自分の主張の根拠を示すために、「ここに引用があります」と言ったのだとしたら、同時に、ペーパーなどの物証を見せるはずであり、映像にはその物証は提示されていない。そもそも、笑いながらそう言うことは考えにくい。

プーチン大統領「私が理解する限り、あなたの基礎教育は歴史ですから」。

タッカー氏「はい」。

プーチン大統領「もし差し支えなければ、30秒か1分でいいので、歴史的背景を少しでも知ってもらうために、歴史について少し触れたいのですが」。

タッカー氏「お願いします」。

プーチン大統領「ウクライナとの関係が、どこから始まったのかを見てみましょう。ウクライナはどこから来たのか? ロシア国家は中央集権国家として始まりました。そして、862年にロシア国家が成立したとされています(訳注3)。

(訳注3)下記にあるように、ヴァリャーグ(ノルマン人とされる)のリューリクがノヴゴロドに到着したとされるのが862年。

 ノヴゴロド(訳注4)の住民が、スカンジナビアからバイキング(ヴァリャーグ)の王子リューリク(訳注5)を招いて統治させました。1862年、ロシアは、建国1000年を迎えました」。

(訳注4)ノヴゴロド(Novgorod)は、ロシア西部のノヴゴロド州に位置し、歴史的に重要な都市。中世には、ノヴゴロド公国の首都として栄え、商業や文化の中心地として知られていた。現在も、その歴史的な遺産や文化的な重要性から、観光地として人気がある。

(訳注5)バイキング(ヴァリャーグ)の王子リューリク(Rurik)は、9世紀にバイキングの首長として活躍した人物。リューリクは、862年にノヴゴロドに招かれて(もしくは南下して)、スラブ人の部族を統治した。彼は、優れた統治者として知られ、ノヴゴロド公国を繁栄に導いた。

プーチン大統領「ノヴゴロドには、建国1000年を記念する記念碑があります。882年、リューリクの後継者オレグ王子(訳注6)は、実はリューリクの幼い息子の摂政の役割を果たしていました。リューリクは、その時までに亡くなっていたため、オレグはキエフ(訳注7)へ行ったのです。

 彼は、かつてリューリクの部隊の兵士だったと思われる2人の兄弟(アスコルドとジールのこと)を追放しました。こうしてロシアは、キエフとノヴゴロドの2つの勢力を中心に発展し始めました」。

(訳注6)オレグは、バイキング(ヴァリャーグ)の出身で、リューリクの親族。リューリクの死の際に彼の王国と子(イーゴリ1世)の世話を委ねられた。オレグはドニエプル川沿いの町を攻略し、最終的には、リューリクの部下だったアスコルドとジールが支配するキエフを奪い、そこに都を構え、キエフ・ルーシ(キエフ大公国)を樹立した。

(訳注7)12世紀初めに編纂されたとされるロシア最古の年代記「過ぎし年月の物語」によると、東スラブ諸族がドニエプル川中流域に定住していて、それぞれ各地域と交流していたが、各諸族間で都市国家が形成されていくと、統合や抗争が起きて、9世紀には北のノヴゴロドと南のキエフの2つが有力な中心地となっていった。プーチンが口にしたオレグが南下してキエフを支配したのは882年であり、ノヴゴロドとキエフはリューリク朝のもとにおかれ、この時から「キエフ・ルーシ」が始まったとされる。

プーチン大統領「次にロシアの歴史で非常に重要な年は、988年です。この年、ロシアは洗礼を受けたのです。リューリクの曾孫であるウラジーミル王子が正教(東方キリスト教)を採用したということです(訳注8)。この時から、中央集権的なロシア国家が強化され始めました。

 なぜでしょうか? 領土が単一だからです。統合された経済関係。同じ言語。そして、ロシアが洗礼を受け、同じ信仰を持ち、ウラジーミル王子の統治を受けてから、中央集権的なロシア国家が形づくられ始めたのです。中世にさかのぼると、ヤロスラフ賢公(訳注9)が王位継承の秩序を導入しました」。

(訳注8)神聖ローマ帝国が成立したのが962年。東西両教会の分裂が決定的となる1054年の前、プーチンは988年としているが、989年とも言われる時代にギリシャ正教を国教として受容し、キエフ大公であるウラジーミルはビザンティン皇女アンナと結婚し内政を充実させた。

(訳注9)ヤロスラフ賢公は、キエフ・ルーシの大公(在位:1016年 ― 1054年)。キエフ・ルーシの大公に即位する以前にロストフ公、またノヴゴロド公を歴任した。ロストフは、モスクワから北東へ225kmに位置するロシアのヤロスラヴリ州にある古都。

プーチン大統領「しかし、彼(ヤロスラフ賢公)が亡くなった後、それはさまざまな理由で複雑になりました。王位は父から長男に直接受け継がれるのではなく、他界した王子からその弟に受け継がれました。そして、その息子たちへと受け継がれていったのです。

 その結果、ロシアは分裂し、ひとつの国家として終焉を迎えました。特別なことではありませんでした。当時のヨーロッパでも同じことが起こっていたのです。

 しかし、分断されたロシア国家は、チンギス・ハーンが先に作り上げた帝国の格好の餌食となりました。彼の後継者たち、すなわちバトゥ・ハーンは、ほとんどすべての都市を略奪し、破滅させました。

 ちなみにキエフを含む南部と他のいくつかの都市は、単に独立を失っただけでした。一方、北部の都市は、その主権の一部を維持しました。彼らはオルダ(訳注10)に貢ぎ物をしなければならなりませんでしたが、なんとか主権の一部を維持することができたのです」。

(訳注10)オルダは、金帳汗国またはキプチャク=ハン国のことで、13世紀から15世紀にかけて、現在のロシア南部、ウクライナ、カザフスタン、クリミア半島などを含む広大な地域を支配したモンゴル帝国の西方ウルス(国家)の一つ。
 このキプチャク・ハン国によるロシアに対する240年にわたる支配を「タタールのくびき」もしくは「タタール・モンゴルのくびき」とロシアでは呼ぶ。この支配を最初に打ち破って現れたのが、急速に成長をとげてきたモスクワ公国だった。1480年、モンゴル族のジョチ・ウルス(チンギス・ハーンの長男、ジョチの系譜の国家。ウルスは国家の意)の支配を脱して、モスクワ大公が主権を得て、北東ロシアの政治的統一を達成した。ロシア帝国の前身である。別名モスクワ・ルーシ。

プーチン大統領「そして、モスクワを中心とする統一ロシア国家が形成され始めました。キエフを含むロシア南部は、徐々に別の磁石、つまりヨーロッパに出現しつつあった中心に引き寄せられ始めました。それがリトアニア大公国で、ロシア人が人口のかなりの部分を占めていたため、リトアニア・ロシア公国とさえ呼ばれていました。

 彼らは古いロシア語を話し、正教徒でした。しかしその後、リトアニア大公国とポーランド王国の統合がありました。その数年後、別の統一が調印されましたが、この時はすでに宗教的領域で、正教会の司祭の一部がローマ教皇に従属するようになったのです。こうして、これらの土地はポーランド・リトアニア国家の一部となりました。

 数十年の間、ポーランド人は、この地域の植民地化に従事しました。彼らはそこにひとつの言語を導入し、この住民は正確にはロシア人ではなく、辺境に住んでいるからウクライナ人なのだという考えを定着させようとしました。

 もともとウクライナ人という言葉は、その人が国家のはずれ、周縁部に住んでいる、あるいは国境警備の仕事に従事しているという意味だったのです。特定の民族を意味する言葉ではありませんでした(訳注11)」。

(訳注11)「ウクライナ」という呼称が史書において最初に確認できるのは、キエフ・ルーシの歴史が著された『原初年代記』(イパーチイ写本)の1187年の項である。この年、ステップ地帯の遊牧民ポロヴェツ人に対して軍事遠征を行なったペレヤスラフ公ヴォロディーミルが戦死し、「彼を思ってすべてのペレヤスラフ人が哭いた」「ウクライナは大いに悲しんだ」と記されている。
 「ウクライナ」という呼称には、「分かつ」ことを意味する印欧祖語由来の語根「クライ」が内包されている(現代ウクライナ語においても、「分かつ」を意味する動詞の一つに「ウクラーヤティ」がある)。
 「分かつ」ことが「境界」という概念と、分かたれた「(一定の)領域」という概念の二つを生み出している。

 「境界」という概念の系列に、「辺境」や「僻地」「国境」「荒野」といった意味があり、「領域」といった概念の系列に、「国家」や「内地」といった意味が生じたと考えられる。
 中世から近世にかけての東ヨーロッパ平原南部一帯(現在のウクライナ)は、モスクワ・ロシアやリトアニア・ポーランド、クリミア・タタール、オスマン・トルコ等の列強の緩衝地帯となり、その無帰属性と人口の希薄さゆえに「荒野(ディーケ・ポーレ)」と呼ばれた。古代に栄えた「キエフ・ルーシ」は、「タタールのくびき」以来、独立性を失い、「モスクワ・ルーシ」のように、自力で独立を再び取り戻すことができなかった。
 ウクライナの象徴や代名詞ともなっているコサックが誕生したのが、この危険な辺境地帯であって、隷属・抑圧からの解放を求める者たちが周辺諸国からこの権力の空白地帯に集い、軍事能力を備えた強力な自治共同体を形成するに至った。

16世紀以降のコサック台頭と共に、「ウクライナ」はコサック国家(ヘトマンシチナ)の領土を意味するようになる。
 キエフ中興の祖ペトロ・サハイダーチヌイ(1582~1622)を始めとして、フメリニツキー、ヴィホフスキー、ドロシェンコ、サモイロヴィチ、マゼーパ、オルリク等のヘトマン(コサック軍の首領)たちは、コサック国家の領土のことを哀歓を込めて「(我らが)ウクライナ」と呼んだ。
 ウクライナに「国家」や「内地」の意味が現実的に加わったのは、16世紀のコサックの台頭以降と考えられる。
 原田義也氏は『ウクライナを知るための65章』(明石書店)の中で以上をまとめて、次のように記している。

 「キエフ・ルーシ時代、『ウクライナ』は(キエフ)大公国の版図に属する諸国・諸地方に対する内名(自らが呼ぶ呼び名)として用いられた。
 これに続くキエフ大公座の衰退や東欧平原南部の『荒野』化の時代になると、『ウクライナ』は危険な辺境・国境地帯を意味する外名(外部が呼ぶ呼び名)としてのニュアンスを帯びてゆく。
 この『荒野』化が逆説的にもたらしたコサック共同体の発生とその勢力拡大の時代には、『ウクライナ』は自由と独立不羈を掲げる彼らの『祖国』を表わす内名となった。
 そのコサック国家が再び周辺列強の支配下に取り込まれ、かつて『荒野』と呼ばれた地域に『ノヴォロシア(新ロシア)』『マロロシア(小ロシア)』という新たな異名があてがわれた時代、あるいはロシア革命後、ソ連を構成する一共和国として、『ソヴィエト』という称号が国名に冠された時代、『ウクライナ』は中東欧の大局的な「中心/周縁」の政治力学上、やはり『周縁』であることを余儀なくされた外名であった」

 このように、「ウクライナ」の意味する内実は、時代とともに変遷してきた。
 プーチン大統領の「ウクライナ」理解は、キエフ大公国が衰退し、ウクライナが荒野化され、危険な国境地帯・辺境という意味を帯びた時代の、「外名」としての呼び方で、それを「ウクライナ」という言葉の起源として採用しているように見える。
 いずれにしても、歴史的に見ると、「ウクライナ」は、民族名ではなく、一定領域や境界を指す空間的な言葉だったことは確かである。

プーチン大統領「そのため、ポーランド人はあらゆる手段を使ってロシア領のこの地域を植民地化しようとし、実際に残酷とまでは言わないまでも、かなり厳しく扱いました。彼らはワルシャワ(ポーランドの首都)に手紙を書き、権利が尊重されることと、キエフを含む当地で人材が登用されることを要求しました」。

タッカー氏「失礼。ポーランドによるウクライナ弾圧は、いつの時代のことなのでしょうか」。

プーチン大統領「13世紀のことです。さて、何が起こったかは、後で話しましょう。混乱しないように日付をあげます。1654年、さらに言えばその年の少し前、ロシアのこの領域(訳注12)を支配していた権力者たちは、ポーランドとの戦争に際して、ロシア系で正教徒の統治者を派遣するようワルシャワに要求しました。

 しかし、ワルシャワはこの要求に応じず、拒否したため、彼らはモスクワに庇護を求めてロシア領に組み込まれました。捏造していると思われたくないので、文書をお見せします」。

(訳注12)現在のウクライナ領。1654年で言及された戦争は、現在のウクライナ・ロシアとポーランド・リトアニア国家との間で起きたロシア・ポーランド戦争(1654年―1667年)のこと。

タッカー氏「まあ、あなたが捏造しているようには聞こえませんね。しかし、2年前に起きたことと、どう関係があるのかよくわかりませんね」。

プーチン大統領「それでも、これは公文書館の文書です。コピーです。これは、当時ロシア領だったこの地域(現在のウクライナ)の権力を掌握していたボフダン・フメルニツキー(訳注13)の手紙です。彼はワルシャワに手紙を書き、自分たちの権利を守るよう要求しました。拒否された後、彼はモスクワに手紙を書き始めたのです」。

(訳注13)ボフダン・フメルニツキーは、1595年にドニプロー川中流域のチヒルィーン近郊にあるスボーチウに生まれた、ウクライナ・コサックの指導者である。

プーチン大統領「(フメルニツキーは)ウクライナを、モスクワ・ツァーリ(訳注14)の強力な支配下に置くよう求めたのです。これらの文書のコピーがあります。あなたの良い記憶のために、残しておきます。ロシア語への翻訳もあります。後で、英語に翻訳してください。しかし、ロシアは、ポーランドとの戦争が始まることを想定して、彼ら(ウクライナ・コサック)をすぐに認めることには同意しませんでした。

 それでも1654年、ツァーリを頂点とする、古ロシア国家権力の代表機関であった聖職者と地主からなるロシア議会は、古ロシアの一部をモスクワ公国に含めることを決定しました。案の定、ポーランドとの戦争が始まりました。それは13年間続き、1654年(訳注15)に休戦協定が結ばれました。

(訳注14)ツァーリとは、15~16世紀以降のロシアの君主・皇帝を指す言葉である。モスクワ大公が「タタールのくびき」から独立し、ロシア平原に支配をおよぼして大国化してゆく過程で、西方の神聖ローマ皇帝との対等意識がめばえて、古代ローマのカエサルを語源とする「ショーリ」を、1547年、イワン4世が取り入れて、神意による絶対的な専制君主という意味をもつようになった。

(訳注15)休戦協定が結ばれたのは、1667年。1654年はロシア・ポーランド戦争の始まった年で、プーチン大統領の言い間違いであると思われる。

 そして32年後、ポーランドとの間に、彼らが恒久平和と呼んだ講和条約が結ばれました。そしてこれらの土地、キエフを含むドニエプル川左岸全体(訳注16)がロシアに渡ったのです。そしてドニエプル川右岸一帯(訳注17)は、ポーランドに残りました。エカチェリーナ2世の統治の下、ロシアは南部と西部を含むすべての歴史的な土地を取り戻し、これは(ロシア)革命まで続きました」。

(訳注16)(訳注17)ドニエプル川左岸全体は、トランスクリプトでは、「the whole left bank of Dnieper」となっている。ドニエプル川右岸一帯は、「the whole right bank of Dnieper」となっている。
 通訳の英語も、確認したところ、このとおりに通訳している。通常、ロシア領となったのは、北極を北にしてドニエプル川を見た場合、右岸全域であり、ポーランドに残ったのは、ドニエプル川の左岸である。

 考えられるのは、モスクワから見て、黒海方向を基準として、左右の位置づけを逆に考えたという可能性がある。これ以前にも、プーチン大統領が、ドンバス地方を「西ウクライナ」と述べた点を考慮すると、この可能性は高い。もう一つの可能性は、単純な通訳の間違いだが、これは考えにくい。

プーチン大統領「第一次世界大戦前、オーストリア参謀本部は、ウクライナ化の思想に依拠し、ウクライナとウクライナ化の思想を積極的に推進し始めました。その動機は明らかでした。第一次世界大戦直前、彼らは潜在的な敵を弱体化し、国境地帯で有利な条件を確保したかったのです。
 そのため、(当時の)ポーランド(領内)で生まれた、その領土に住む人々は、本当のロシア人ではなく、むしろウクライナ人という特別な民族集団に属しているとする考え方が、オーストリア参謀本部によって宣伝され始めました。

 遡ること19世紀には、ウクライナの独立を主張する論者が現れました。しかし、彼らはみな、ウクライナはロシアと非常に良好な関係を築くべきだと主張しました。彼らは、そう主張しました。1917年の革命後、ボリシェヴィキ(注18)は、ウクライナの国権回復を目指し、ポーランドとの敵対を含む内戦が始まりました。
 1921年、ポーランドとの和平が宣言されました。その条約により、ドニエプル川右岸(訳注19)は、再びポーランドに返還されました。1939年、ポーランドは、ヒトラーに協力しました(訳注20)。
 ヒトラーはポーランドに、和平と友好条約を提案しました。その見返りとして、ポーランドは、ドイツの大部分と東プロイセンおよびケーニヒスベルクを結ぶ、いわゆるダンツィヒ回廊を返還することを要求しました。

 第一次世界大戦後(訳注21)、この領土はポーランドに譲渡されました。そして、ダンツィヒの代わりにグダンスクという都市が出現しました。ヒトラーは彼らに友好的な譲渡を求めたが、彼らは拒否しました。もちろん、それでも彼らはヒトラーに協力し、チェコスロバキアの分割に一緒に関与したのです」。(続く)

(訳注18)ボリシェヴィキは、ロシア語で多数派を意味する。レーニンが指導し、「プロレタリアート」独裁を目的にした職業的革命家集団。これと対立したのが、マルトフやプレハーノフが指導し、「民主主義革命(ブルジョア革命)」を目的にしたメンシェヴィキ(少数派の意味)だった。
国際的には、大衆に開かれたメンシェヴィキの方が、少数派ではなく、ドイツ社会民主党のカール・カウツキーやローザ・ルクセンブルクなどに支持されていた。レーニン率いるボリシェヴィキは、最多指導部の中で多数を占めたあと、少数派のメンシェヴィキを粛清した。トロツキーとの権力闘争を経て、レーニンの独裁権力が形成された。このため、レーニンが率いたその後のロシア共産党、あるいはソ連共産党を「ボリシェヴィキ」という通称で呼ぶ。

(訳注19)(訳注17)と同じ。

(訳注20)ポーランドは、ヒトラーの電撃戦で侵略され、降伏したのが現実で、単に自主的に協力したのではない。

(訳注21)第二次世界大戦を、プーチン大統領が「第一次世界大戦」と言い間違えている。

 

 

 

ウラジーミル・プーチン大統領インタビュー

2024 年 2 月 8 日公開•127分

https://tuckercarlson.com/the-vladimir-putin-interview/

 

 

~番外編~

緊急対談!及川幸久氏にプーチン×タッカー・カールソンのインタビューの真相とグローバリストの現在地について徹底的に聞いてみた

 

 

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アメリカ人がおかしいんだろ!未熟な人格をあたかも正しいかのように世界に広めるなよ!

2024-02-16 09:00:06 | トランプ大統領・アメリカ

とあるお気に入りの動画を見ていたら

「海外ではポケモンを正式名称のポケットモンスターと言ってはいけないらしいです。結構有名な話ですよ」

 

ポケモン|グラニフ公式オンラインストア

https://www.graniph.com/collection/collection_00464

 

とか言っていたので

へぇそうなんだ

なんでだろうって調べてみたら

 

https://zatsugaku-company.com/pokemon-america/

 

 

・・・・・・・・・・ ( ̄_ ̄ )。o0○(…)

 

 

 

は?

だから?

 

ポケモンは海外でも人気のアニメだけど、

pocket monster

は原作者が考えた正式名称なので何も恥じることはない。

しかも海外とか言うからどこのことかと思ったら

アメリカだった。

ほんと日本人アメリカ一択気にしすぎ。

 

ポケットに入るようなモンスターたち

ポケットに入れて持ち運べるモンスターたち(管理者による考察)

 

何か?恥ずかしいですか?破廉恥ですか?

破廉恥なのはアメリカ人の方でしょう。

アメリカ人の方がおかしいんですから。

 

そもそもアメリカでは“pocket”って言葉自体がタブー気味らしいけど

 

全く理解不能

まぁそりゃぁ アメリカ人にとっては英語が日常だし、その考えや感じ方、風俗が英語に密着して、タブーも生まれるって言うのはわかりますけどね。

私的にはアメリカ人って老若男女「アレ」のことばかりが頭にあるってイメージしかないから、だから3億人も増えてるんでしょう。

LGBTQなんてのもアメリカ発だしね。

体と心の性が違うからってそんなに悩むかねって話。

同性にしか性的に発情しないってくらいのことなら、ひっそりとその性を引っ込めておけばいいだけのことじゃないですか。

それを我慢が出来ないわけでしょ?彼らはww

 

そんな未熟さを世界に広めて恥ずかしくも無い国民の言うことなんて

まともに相手にしなければいい。

 

こんな奴らの考えをあたかも正しいかのように常識として取り入れていたら

正義なんて崩れるだけですよ。

あいつらにこちらの常識を教えてやんなよ!

アメリカに正義なんて無くなっているんだから。

むしろ日本人の方が正義わかってるよ。

 

 

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