劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

日本フィルハーモニーのコバケン・ワールド

2018-10-29 19:55:17 | 音楽
10月28日(日)の昼に東京芸術劇場で、日フィルのコバケン・ワールドを聴く。午後2時30分開演で、終了は4時40分頃。客席は9割程度の入りだった。曲目はウェーバーの歌劇『オベロン』序曲、サン・サーンスのチェロ協奏曲第1番、20分の休憩後にサン・サーンスの交響曲第3番。チェロのソリストは辻本玲、オルガンは石丸由佳。

チェロ協奏曲は、辻本のチェロが優しい音を聴かせた。やさしいながら豊潤な音で、なかなか感心をした。後半のサン・サーンスの交響曲第3番はオルガン付きで、東京芸術劇場のアール・ヌーヴォー・スタイルのオルガンが響いた。オルガン付きの交響曲というのはあまり聞く機会がないが、オルガンの低音が響くと、オケで味わう音とはまた違う経験をするような気分となる。やはり、オルガンが響くと、それだけで宗教的な雰囲気が出る気がした。

辻本のアンコールは、カザルスの「鳥の歌」で、オケのアンコールはブラームスのハンガリア狂詩曲第5番。コバケンの説明では、来年ハンガリーとの国交150周年を迎えるので、それの先取りとのこと。この曲の演奏は、速度の緩急をしっかりと付けたチャールダッシュ風。最後にコバケンのピアノ伴奏で、辻本がチェロでチャールダッシュを演奏した。

オケで聴くチャールダッシュなども良いのだが、やはり本当のチャールダッシュが恋しくなった。大昔に観た映画『未完成交響楽』の中で、美女歌手のマルタ・エッゲルトがチャールダッシュを踊っていたのを思い出した。

油井正一の「生きているジャズ史」

2018-10-26 14:13:46 | 音楽
1988年にシンコー・ミュージックから出た文庫本の「生きているジャズ史」を読む。310ページほどの本で、ジャズの発祥から、モダンジャズまでが判りやすく説明されている。油井正一は1918年生まれなので、この本が出たのは70歳の時だが、1950年代前半に書かれた内容がほとんどそのままで、最後の方に1988年までの補遺がある形。油井氏は博識なジャズ評論家で、真面目に書かれたジャズの歴史書もあるが、この本はちょっとくだけた落語調で書かれていて読みやすい。

ただ、ニューオリンズの時代から、シカゴ、ニューヨーク、スウィング時代、ビバップ、クール、モダンジャズなどという言葉がどんどんと出てきて、有名な演奏家の説明が続くので、少しはその時代の音楽を聴いていないと、イメージが湧かずつまらないかも知れない。逆に、一通り知っていれば、その背景などが判り、とても面白い。

ジャズも、スウィング時代までは大衆的な人気と共にあったが、クール以降あたりから、妙に芸術的で判りにくい音楽が出始めて、ソニー・ロリンズやオーネット・コールマン以降ははっきり言って、どんな人が活躍しているのか、僕も知らないが、この本ではちょうどオーネット・コールマンあたりまでで終わっているので、ちょうど読みやすかった。

ジャズ評論家というのも昔は、いろいろといたのだが、今ではすっかり影が薄くなってしまい、こうしたジャズの歴史を自分の言葉で語れる人は、皆死んでしまったなあと、つくづく感じた。暑い夏もようやく終わり、秋の気配が感じられるよういなると、油井正一だけでなく、野口久光や植草甚一、久保田二郎などをもう少し読みたいという気がしてきた。

原研二の「オペラ座」

2018-10-20 10:58:32 | 読書
講談社選書メチエから出ている原研二の「オペラ座」を読む。原研二の「シカネーダー」は読みにくいがそれなりに面白かったので、この「オペラ座」の本も読んでみた。題名からしてなんとなくパリのオペラ座の歴史でも書いてあるような気がして読んだのだが、この本が扱っているのはオペラを上演する空間を人々はどう考えていたかということが書かれていた。

原研二氏によると、オペラの誕生は一般的にはルネッサンス期に、ギリシャ悲劇を再現しようとした好事家がオペラを作ったとされるが、それよりも深い時代の流れでアルカディア的な物を求めた結果がオペラとなったのではないかとしている。そうした調子だから、かなり、いろいろな背景知識が駆使されて説明されているので、まあ、言いたい内容はそれなり理解はできたが、読んでいてちょっとくたびれた。

渡辺裕の「聴衆の誕生」

2018-10-19 11:00:29 | 読書
中公文庫に入っている渡辺裕の「聴衆の誕生」を読む。副題に「ポスト・モダン時代の音楽文化」とある。解説を含めて325ページの本。初版は1989年の出版で、増補版が1996年に出ていて、文庫に入ったのは2012年。

読んでみると、バブル時代の末期に書かれたためか、今とはだいぶ時代感覚がずれてしまったという印象。クラシック音楽の「聴衆論」を書くというのだから、そもそも、時代遅れになるなんてことは考えにくいが、読んでみるとあまり聴衆論になっていない気がする。

最初は19世紀のドイツの話が出てきて、近代に入りブルジョワが出てきて、お金を出して音楽を聴くという「聴衆」が誕生したという説明がある。次が1920年代にアメリカで自動ピアノが出てきて複製の音楽が楽しまれるようになると説く。その次は現代(といっても日本の1980年代)になって、ポストモダンになり、権威が相対化されるカタログ文化になったという感じの本だ。

説明の大半は、聴衆の話ではなく、作曲家がどんな曲を書いたかという説明に費やされている。ポストモダンならば、マーラーとエリック・サティ、グレン・グールドなどが出てくる。このように作曲家や演奏家の話ばかりしていて、一体何が聴衆論なのだろうという気がする。

聴衆論で、近代のブルジョワ聴衆誕生から始めるならば、第一次世界大戦後の大衆の誕生によるポピュラー音楽の発生、自動ピアノではなく、レコードやラジオ、映画などの登場による音楽の楽しみ方の変化。シート・ミュージックを買って自分で演奏する楽しみ方から、レコードを買って聴くだけの楽しみ方に変化していくあたりの考察が王道ではないかという気がする。

どんな聴衆論が出てくるのかなと、期待して読んだが、あまり意味のある話はなく、ちょっと時間を損した感じの本だった。

秋元万由子のフルート・コンサート

2018-10-17 17:30:49 | 音楽
10月16日(火)の夜に紀尾井ホールで秋元万由子のフルートコンサートを聴く。秋元は現在ミュンヘン音楽大学の大学院で学ぶ新進のプルート奏者だ。19時開演で、20分間の休憩を挟んで、21時に終演した。客席は9割を超える入りだった。

ピアノの伴奏が付く曲と独奏曲が入るが、曲目は古典派的な作品から現代曲までバランスの取れた構成だった。最初はバッハの次男の書いたフルート・ソナタで、美しい曲。続いてフランスのフェルーの3つの小品で、これはちょっと中国的な旋律が使われていた独奏曲。その後は、プロコフィエフのフルード・ソナタで大曲だった。

休憩の後、シューベルトの作品で、これもいかにもシューベルトらしい美しい作品。その後は武満徹の「ヴォイス」で、かなり前衛的な現代曲。題名のとおりに、吹きながら声を出したりする。それだけでなく音程を連続的に変えるグリッサンドのような技巧もあり、フルートでもこんなことができるのかと驚いた。全体的には尺八を使った「ノヴェンバー・ステップス」を思い起こさせるような曲調で、確かに面白くはあったが、こんな曲ばかりでなくてよかったと胸をなでおろした。

最後はウェーバーのオペラ「魔弾の射手」の主題を使ったタファネルンによる幻想曲で、知っている旋律も出てきて楽しかった。アンコールはマーラーの作品。

フルートだけのコンサートで、どんな曲を吹くのだろうと、ちょっと心配をしたが、曲目もバランスが良く取れていて、退屈せずに2時間楽しめた。休憩時間に客席を歩いていたら、昔一緒に仕事をしたことがある知人にばったりと会って、驚いた。秋元嬢の母親と学校が同じで知り合いというので、更に驚く。

家に戻って、ソーセージとジャガイモのソテーというドイツ風の食事。飲み物はカヴァ。