劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

チェコ国民劇場の「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」

2018-05-31 10:30:48 | バレエ
5月19日昼に国民劇場で、アシュトン版のバレエ「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」を観る。日本では「リーズの結婚」という題名になっているが、原題は「よく見張られていない娘」というような感じか。土曜の昼とあって、いかにもバレエをやっていますというような子供連れや、若い娘さんが多かったが、場内は満員。

コミカルなバレエというのは案外少ない気がするが、この作品はコミカルで面白い。最初のニワトリの踊りや、木靴の踊り、リボンを使った踊りなど見せ場も多い。専属バレエ団の公演だが、それなりのレベルでなかなか見応えがあった。アシュトンの群舞はなかなか良いなあと感心する。コールドバレエなどの群舞も日本の新国立劇場のように一糸乱れずというわけではないが、生き生きと難しい踊りをこなしていて、なかなか良いと思う。

日本はバレエ人口も多いがバレエ団が林立しているので、レベル的にはドングリの背比べのようなところがある。一方、チェコなどは人口も少なく、バレエ団は少ないのだろうが、どちらの方が良いのか正直よく分からない。

夜には観たい公演がなかったので、鴨料理で有名なレストランに食べに行った。ガイドブックによると、昔、小泉首相が食べてうまいといった店らしい。かもが良いというので、前菜は盛り合わせを取り、メインはかも胸肉のグリル、フォアグラ・ソースを食べた。英語メニューでは「グリル」という表示だが、印象としてはソテーの感じ。フォアグラはソースというよりも、上に乗っている感じで、かものロッシーニ風とでもいう方が当たっている。それでも味はなかなかうまい。モラヴィア産の赤ワインでお勧めのものを出してもらったが、なかなかしっかりとした赤で、これも旨い。値段的にも現地ではかなり高い部類だろうが、日本のレストランで注文したら、この2~3倍はしそうな品質だった。気分を良くして、デザートのマスカルポーネも食べた。

チェコ国民劇場の「ノルマ」

2018-05-30 09:40:12 | オペラ
5月18日の夜に、チェコの国民劇場でグルベローバの「ノルマ」を観る。プラハはそれほど大きな町ではないのに、オペラ劇場が4つもある。国立オペラ劇場は現在改装中で休みだが、メインは国民劇場の方。昔はオペラ劇場はドイツ系のオペラが多かったので、チェコ語のオペラを上演するために国民劇場が建てられたという。チェコのオペラ作曲家としては、ドボルジャーク、スメタナ、ヤナーチェクなどがいる。そのほかに、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」を初演したエステート劇場、オペレッタやミュージカルを上演するカーリン音楽劇場がある。これだけあると、毎日どこかの劇場でオペラが上演されていて、オペラ・ファンにはありがたい。

ほとんどの公演はチェコの国立オペラ劇場の専属歌手、合唱団、バレエ団、オケが上演するので、入場料もかなり安い。演目も多彩だ。公演は概ね夜の7時から始まり、10時前後に終わる。「ノルマ」は珍しくグロベローバという大歌手をゲストに迎えての公演なので、通常のオペラ公演の倍ぐらいの価格設定だが、それでも日本で観る半額ぐらいの印象。舞台の上部に、チェコ語と英語の字幕が出るのもありがたい。ただし、英語はこなれておらず、かなりわかりにくい。

グロベローバはチェコの隣のスロバキアの出身なので、地元人気も手伝って、場内は満員。日本人も何人か見かけた。ソプラノ歌手で60歳ぐらいまで歌う人はいるが、グルベローバは70歳ぐらいのはずなので、果たしてどのくらい歌えるのか気になったが、これが見納めかもしれないと思い、前から3列目の席を取って、声援を送った。1幕前半に有名な「清き女神」の歌が入るが、この歌では往年のような声が出ておらず、特に小さな声で歌う部分に弱さが感じられたので、心配したが、だんだんと調子を上げて、一幕の終わりなどは、若いソプラノに負けない声を出していたので、さすがだと思った。

二幕は、調子が出て見事に難曲を歌い切った。体の動きも、声も、年齢を感じさせずに、すごいと思った。ただ若いころのように声の輝きというか、つやのある声ではなくなってきたが、それでも若い連中には負けないという気迫が感じられた。観客も大喜びで、何度もカーテンコールが続き、拍手が鳴りやまなかった。

演出は、ローマ将軍が拳銃を持って出てきたりする現代的な印象があるものの、概ねオーソドックスな演出で、わかりやすかった。装置はコンクリート打ちっぱなしの大きな柱が並ぶようなものだが、それが石造りの神殿にも見えたりして、なかなか良いという感じ。衣装はそれほど凝っておらず、割と単純な時代不明のものだった。

グルベローバを堪能して、宿に戻り、部屋で昼間に買っておいたチェコ産のスパークリング・ワインとビールを飲む。つまみはサラミとチーズとサラダ。チェコのワインはモラヴィア産だが、まあ、平凡な印象。それに引き替えビールはどれを飲んでも美味だ。やはりチェコはビールが良いと思う。この日は、ヤギ印のコゼルと、アメリカに商標を使われたバドワイザー(アメリカのものとは別物)を飲んだが、コゼルが香高く気に入った。仕上げにベヘロフカを飲んで寝た。

プラハまでグルベローバを聞きに行く

2018-05-29 13:21:24 | 旅行
恐らく70歳を超えたグルベローバが「ノルマ」を歌うというので、プラハまで聴きに行くことにした。プラハへは直行便がないので、乗り継ぎのよさそうなポーランド航空を使い、ワルシャワ乗り換えで、プラハに向かった。ワルシャワの空港はターミナルが一つだけの小さな空港で、フレデリック・ショパンの名前が付いた空港だ。最低乗り継ぎ時間は40分となっていたので、45分の乗り継ぎに挑戦しようかと思ったが、EUへの入国処理があり、入国に行列ができていると間に合わないかも知れないと思い、ワルシャワ~プラハ間は1本遅らせたので、結果的にショパン空港で2時間ぐらいの待ち時間が生じた。

そこで、名前がついているので、ショパン・グッズがたくさん売られているのではないかと期待して、空港内のショップを隅から隅まで見たのだが、ろくなショパン・グッズはなかった。ショパンの顔をかたどった消しゴムとか、顔のついた鉛筆ぐらいあるのではないかと期待したのだが、そういうお土産は一切なし。美味しそうなものもないので、仕方なくスマホの疎通確認で時間をつぶした。

アマゾンで売っていた、英国の会社のプリペイドSIMを、ローミングで使おうという考えだ。1GBで1か月間有効なデータ通信専用のSIMで、送料込みで1000円程度なので、安い。音声通話はついていないが、普段からIP電話を使っているので、データ通信ができれば問題なく電話も使える。SIMを挿入して、APNを登録、ローミング設定をすればよいはずなのだが、それをやっても繋がらないので、ちょっと焦った。しかし、使っているスマホはSIMを2枚使えるので、その優先ネットワーク設定もする必要があるとわかり、それを変更したらあっさり繋がった。動画を見るわけではないので、1GBで十分だ。

ワルシャワで乗り継いで、プラハの空港へ到着したのが、午後7時半、そこからホテルへ向かい、チェック・インをしたのが8時半ごろになった。

疲れてはいたが、まだ明るかったので、老舗のビール酒場ウー・フレクーまで、ビールを飲みに行く。ウー・フレクーはプラハでも最も古いビール酒場。規模も2000人ぐらいは入れる大規模なところで、醸造所も兼ねているようだ。ビールは1種類だけで、いわゆる黒ビール。サイズだけは選べる。0.5リットルのジョッキで飲みながら、ソーセージのマリネなど、チェコの名物料理を頼む。アコーディオン弾きが客席を回りにぎやかなムード。

小さなショット・グラスに入ったリキュールを勧められたので、飲んでみると薬草系のリキュールで、ベヘロフカだった。これとビールを交互に飲むと、いくらでも飲めるという感じでよく合う。薬草系のリキュールではドイツのイエーガーマイスターが有名だが、それよりもハンガリーのウニクムのほうがいいかなと思っていたのだが、チェコのベヘロフカはビールによく合う印象。すぐに2杯目のビールが必要となった。

向かいで飲んでいたドイツ人の夫婦が話しかけてきて、酒場の部屋を案内するというので、ついて回ったら、いろいろな部屋があってなかなか面白かった。話を聴くとライプチッヒから来ているというので、ワーグナーの生まれ故郷かなと聞いたが、あまりそちら方面には関心が内容だった。いろいろと話すと、東ドイツ育ちで学生時代の思い出があって、再訪して感慨にふけっている様子。この酒場で学生時代にチェコの学生と飲んでいて、南(西側)へ行きたいという話になったら、ハンガリー経由で行けるのではないかという話になって、皆でハンガリーへ行ったという。

それを聞いて1989年の話かと尋ねたら、そうだという。歴史の生き証人みたいなやつが面前にいるかと思うと、すごいという感じで、こちらも興奮した。その相談をしたのが、まさに今我々の座っているこのテーブルだったというもんだから、重ねてびっくり。プラハの春だけでなく、ベルリンの壁崩壊もプラハの酒場から始まったんだと驚くことしきりだった。

時計は11時を回ったので、ドイツ人夫妻と別れて、ホテルへ戻った。

石川英輔の「総天然色への一世紀」

2018-05-16 14:20:01 | 読書
石川英輔の「総天然色への一世紀」を読む。こんな本が出ているとは全く知らなかった。カラー写真とカラー映画の発達史が詳しく解説されている。1997年に青土社から出た本で、530ページを超える力作だ。筆者は写真家でもあるようで、技術的な解説が詳しい。神田の古本市というのがあり、これはかなり大規模だが、早稲田にも古本街があって、昔から穴八幡神社の境内で古本市が開催されていたのだが、最近はなくなったのかと思っていたら、春に早稲田大学の構内で開催されていると知り覗いてみて偶然に見つけた本だ。

本が出版されたのは、1997年だが、21世紀に入るとデジタル写真の時代となり、長く続いてきたフィルムの写真はなくなり、映画もデジタル上映になってしまったので、現在ではフィルムでのカラー化の歴史などはなかなか注意が向きにくい。だから、今買って読んでおかないと、永遠にわからなくなるだろうと思い。買って読んでみた。

最初に、光の三原色の話が出てくる。人間の眼は赤、青、緑の三種類で見ているので、その三原色を使えば、全部のカラーを再現できるという話だ。これはテレビやパソコンのディスプレイのように光を合わせて色を合成するする場合にはRGBと呼ばれる信号で制御している。現在はデジタル端子が多いので気が付きにくいが、昔のアナログ信号の時には、RGBのピン端子が付いていた。

それに対して、印刷するときは色の三原色と呼ばれるシアン、マゼンダ、イエローがある。この三色を混ぜれば、すべての色が表現できる。これは印刷でも使われるが、家庭用のインクジェットプリンターのインクの種類は、基本はこの3色と墨(黒)となっている。

ここからが面白いのだが、カラー写真やカラー映画は、基本的にはRGBに三色分解して記録して、それをもう一度合わせればよいのだが、その時に、光の三原色で合わせるのか、色の三原色で合わせるのかによって色の種類が異なってくる。場合によっては、RGBをシアン、マゼンダ、イエローに変換する必要が出てくるのだ。

原理は簡単だが、実現するのは結構難しいので、昔はいろいろなアイディアが出されたようで、その主なアイディアを結構細かく解説してあるのが面白い。

この本を読むと、同じフィルムを使ってカラーを再現することを目指したのにもかかわらず、写真と映画では全く違った技術が誕生したという所が面白い。映画はアメリカのテクニカラー社が1950年頃までは独占的に技術を有していたが、これはRGBに分解撮影したものから、色の三原色に変換して、印刷方式でフィルム上に染色していくという方式だ。

それが、三色分解せずに1本のフィルム内で多層化して三色を記録できる方式が確立されてテクニカラー方式がなくなってしまう様子も説明されている。僕なども映画をたくさん見てくると、大昔のテクニカラーは色鮮やかに残っているのに、それよりも後に作られた1960年代の映画などは退色がひどいという例を多く見ているのだが、これはフィルムの記録方式に起因している。この本では、記録原理については詳しく書いてあるが、保存性や安定性、プリントの退色の問題にはほとんど触れられていないのが残念だ。

いずれにせよ、なかなか、面白い本だった。


国立小劇場の「彦山権現誓助剣」

2018-05-15 10:36:42 | 演劇
5月13日の夜に国立小劇場で「彦山権現誓剣」を観る。午後4時に開演、終演は8時40分。昼間は襲名披露で満席だったが、夜は空席が目立った。7割程度の入りか。有名な人形遣いや太夫は襲名披露に出ているために、夜は若手と中堅が中心。この演目は歌舞伎でよく出るが、「毛谷村六助住家」しかやらない。文楽はその前からやってくれるので、話がよくわかる。今月の文楽は昼が「本朝廿四孝」で、夜がこの「彦山権現誓剣」なので、両方とも親孝行の話が出てくる。偶然の一致か。

この演目はかなり昔に国立劇場で復活の通し公演が行われたようだが、今回の上演は全11段のところの6段目から9段目までということで、まあ、半通しの公演。それでも話はよくわかる。

最初の須磨浦の段は、三輪太夫、始太夫、小住太夫、咲寿太夫で、全体的に低調だが、小住太夫の成長が著しい。師匠の住太夫が亡くなったが、その分まで頑張っているようだった。

次の、瓢箪棚の段は、語りよりも人形のアクションを見せる場面か。瓢箪棚の上から人形が飛び降りる場面があり、人形だけでなく三人の人形遣いも一緒に飛び降りたのには驚いた。杉坂墓所の段を経て、最後が毛谷村六助住家の段となる。

六助住家の段は千歳太夫の語りで、今回も熱演。現在の太夫の中では、最も安定していて、安心して聴ける。今回も面白く聞いた。

日曜日の夜だったので、いつも行く店が休みで、雨も降っていたため、国立劇場近くの中華料理屋で食事。点心と炒め物で紹興酒を飲む。料理よりも紹興酒の方がおいしく感じられる程度の水準。まあ、ほかに選択肢がないので仕方がないとあきらめる。